自己限定をやめてほしいのです。
あなた方の中に、愛の光の、愛の奔流をきらめかすということに つまらない、かつての仏教であったり、キリスト教であったり、神道であったり そのようなドグマのような自己規定をいっぱい、あなた方はぶら下げているのです。 こうあるべきであると、宗教者はこうあるべきであると、自己限定をしている。 「その鎖を外してほしい」と、わたしは言っているのです。 それを外してごらんなさい。 もっともっと、自由になっていきなさい。 そうしたら、あなた方の内側から、もっともっと大いなる愛が出てくることでしょう。 湧き上がってくることでしょう。 そうしたら、自分をも、他者をも、弱き神の仲間たちのことも 愛さずにはいられない。 愛さずにはいられぬ思いが、宇宙の根源の神の愛と同通するのです。 それが神我一体の境地なのです。 そこに至れば、神の通信塔になれるのです。 みんなが霊媒になり、みんなが神と同通できるのです。 そのような時代がくることをわたしは願っている。 「如来界は一定の数、何百人だから、それ以上の者はいない」などと誰が言った。 みんな如来になれる。 みんなミカエルぐらいの者になれるのです。 その認識力と、その愛する深さによって、広さによって 皆さま方、ものすごく素晴らしい方がたなのです。 その心の鎖を取りなさい。 数々の鎖が見えるのです。あなた方の中に。 宗教者であるのならばこうあるべきであろう。 お酒を飲んだら地獄に堕ちる。 結婚したら地獄に堕ちる。 つまらないです。 キリスト教の蹟罪説を受け入れなかったら、原罪説を受け入れなかったのならば クリスチャンとして、神の子として、信者としてあり得ないのではないか。 神に喜ばれないのではないか。 神の罰が当たるのではないか。 そのような恐怖心で、人びとは信仰という名の中で縛られてきたのです。 ほんとうに湧き上がるような愛の歓びの中で、信仰心の中で 神につながってきたのではないのです。 中世以降のキリスト教でもそうだった。 ただただ、その罰が当たるという原罪説の中で 自分自体が罪の子であると常に言われることで 懺悔をしなければ自分が罪を赦されないのではないかとか そんな恐怖心に満ちた中で自らを縛って そして、地獄に行きたくないという、罰されたくないというだけの思いの中で 少しの喜びもなく、人びとは神というものと出会ってきたのが、今までの歴史なのです。 そんなものからはずされ、その鎖を外し、ほんとうの喜びをもって 素朴な愛の思いをもって、自らの中にある宝のような 神の子としての愛の光に気づいていきなさいと。 それをほんとうに喜びをもって、感謝をして、大いなる神の通路として より深く、より広く、大宇宙をも愛していくような、自らが愛の化身となったとき 人びとはそんな恐れおののくようなもので神と出会うのではなく ほんとうに心からの喜びと歓喜の中で、神と出会っていくのです。 そこには寺院もいらない。 教会もいらない。 ドグマもいらないのです。 神は何も求められない。 ただただ、神に対する感謝があるのならば あなたの脇で弱く傷ついている者たちのために、力になってやってほしいと 助けて愛してやってほしいと。 愛は呼吸と同じです。 自らを愛し、神から愛される。 その愛という生気を受け入れ そして、それを受け続けて呼吸を吸い続けたら苦しいでしょう。 それを吸ったら、やっぱり吐きたくなるでしょう。 吐くときが今度、あなた方の愛の思いなのです。 これだけいっぱいの酸素 これだけいっぱいの愛をあなた方は受け入れて吸っているのです。 神から愛されているのです。 ほかの方がたからも愛されているのです。 それをいっぱい吸ったのならば、思い切って周りを愛する愛に返していきなさい。 それが愛の循環です。 欲張りになってはいけません。 愛を受けているだけで、吸って、吸って、吸ったら、どうなりますか。 酸素が多すぎて苦しくなるでしょう。 生きていけないではないですか。 吸った空気は、いただいた愛は返すことをもって 自らの中で報われて、活きたものとなって、生気を帯びてくるのです。 それと同じなのです。 あなた方が受けた傷もあるでしょう。 でも、大いなる愛により生かされた自分、自らがあるのです。 であるのならば、「その者のために祈れ」とわたしが言ったのも インマヌエル、イエス・キリストがおっしゃられたのも 自分がどれだけ罪を犯してきたか どれだけの方がたの愛によって生かされてきたかということがわかってきたのならば どうか、あなた方を憎む者、迫害する者、そしる者、傷つける者のために祈ってほしい。 その者たちが、いつか愛のもとに、神のもとに そして、ともに歩める立場にくるまで、その者の成長を祈り 愛することをやめないであげてほしい。 その圧倒的な愛をもって、神の愛というのです。 その中に、あなた方が投げ出していったとき、あなた方は愛の通路になる。 如来界、菩薩界、そのような苦行の中で、自らのエゴの 自らが高く、偉し者になりたいというだけの、そのような修行論はもうやめましょう。 自らが偉し者となるために修行をして行をするのではなく より深く、より広く、ひとりでも多くの神の子を、仲間たちを愛していける そんな自分になるために、そんな自分に成長していけるために どれだけ多くの愛を表現できるための自分に成長できるかということをもって 自らの成長としていく。 それを高く上っていく道を、魂の階梯としていくことができる。 それをもって修行とできるような、そんな道に もう一度、神と出会う旅を、認識力を変えていける、そのような時代をともにつくりましょう。 間違った宗教のドグマに支配された、戒律に支配された、その道の先に神はいない。 そんなたやすいものではない。 自分だけが修行し、高きところに上り そして、苦しんでいる者たちに対して、何ひとつ手を差し伸べない。 そのような非情なものをもって、本来の神の、宇宙の根源である 愛の塊である神が喜ばれるとでもお思いか。 わたしたちは、自分たちが偉くなるとか、そういうことではなく 神の思いを、神の手足となって、神の道具となって この宇宙を神のご意思のままに表現していく。 その道具となるためにその身を投げ出し 愛と感謝のいちずな思いの中で仕事をしてきている。 それが、わたしたち、七大天使と呼ばれている者たちであったり エル・ランティのご意思そのものでもあるのです。 わたくしは少なくともそう言われて エル・ランティから育てられてきました。 自分が偉しとなるために、悟りを高くするために 脇にいる弱き者たちを見捨ててもよいなどと言われて 育ってはこなかったのです。 (2005.8.19 レムリア・ルネッサンス) *あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい ![]() ![]() わたくしの言うことがわかりますか。
あなた方、わかる方もおられれば、わからない方もおられるようだけれども わたくしも今、七大天使と呼ばれている立場にいるかもしれない。 でも、これが別に数々の難しい法を勉強したから 切磋琢磨だけをしたから今の立場にいるというのではないのです。 わたしはいつも言います。 「ただ、ミカエルという魂は、エネルギーは 神に対する感謝のエネルギー以外の何物でもないということ」 それをかつてのG会のときにでも、ずっと言い続けてきているはずなのです。 我が使命は、ただ生かされんとする神に対する感謝のエネルギー。 感謝というのは何でしょう。 生かされているということを、ほんとうに感謝したのならば その生かしめてくださっている愛の神に報恩し 自分のなせることを最大限に返していきたいと思うのが 本来の感謝のエネルギーなのです。 それをどうしていくべきか。 それは、神が望まれるのは「最も傷つき、最も心を見失い そして、これから成長しようとする、力まだ弱き者たちの力になり その者たちを成長させるために、進歩させるために、愛の光として返していくために ミカエルよ、おまえはその感謝を使ってほしい」と 神はおっしゃっているように、わたしは感じるのです。 ですから、命がけで今まで仕事をしてきました。 この地球の中において、この地球に降り立ったときより ベーエルダから降り立ったときより わたしはその仕事を延々とやり続けてきたのです。 そして、今やっとこの段階に入ってきて、愛というものが宇宙の愛の法そのものであり 神そのものであるということを人類に伝えられる段階がきたということをもって そのものをもって、最終的に地獄を清めていく。 迷っている、かつての光の天使、神の子たちを、もう一度、光の中に救い上げていく。 本来の姿に戻していくということ。 その段階にやっときたという感無量さを、わたしはかみしめているのです。 どうか、そのことのためにも、このステップを上がるためにも このわたしに力を貸していただきたいのです。 この手段をもって以外、地獄を清めるということ、この地球界において 地獄という霊域をなくすということはできないのです。 力づくで、この悪想念を追い払い 力づくで彼らを消滅させたとしても、何にもならないのです。 地上において今、かつてあなた方がこの間、言われていたように わたしたちが八次元、九次元、七次元から、今このような霊言を送っております。 それをみんなが耳を澄ませて、ちゃんと聴いているのです。 天上界でも聴いているし、そして、この地下にいる者たちも聴いているのです。 そして、この地上でたくさんの迷える魂たちがいるのです。 天上界に帰って行けなくなった者たちがたくさん来て、周りで聞いているのです。 そして、学ぼうとしているのです。 この天上界、地上、地獄界、すべてを巻き込みながら この霊言というものが降りて この光というものがダイレクトに地上に降りることをもって この愛のエネルギーが柱として降りてくることによって、最終的な地獄までも清める。 この地球が生まれ変わる、愛の星になる 大ルネッサンス運動の精神的基盤を今、つくろうとしているのです。 まず、精神的な基盤が、理念がなくては そのあとの組織変革というものはあり得ない。 この愛あふれる理念というものを今、降ろせるこの時に、少しでも高度な 少しでも神本来の御心に近い、宇宙の法を地上に降ろしていけたのならば 時間の流れの中で、必ずやそのあとに生まれてきた者たちが それをひとつの統一政府のような形で 地球自体を愛の星に変えていくという運動は起きていくでしょう。 そのように、物理的に組織変革をすることは、ある意味たやすいのです。 でも、いちばん大事なことは、この大いなる愛の理念 物質や、科学や、唯物論的に毒されてしまったこの社会の中で 神の子として、愛の理念が最も最優先であるという その基本の価値観というものに、まず精神的にいくということ 変化をさせるということ。 そのことがいちばん難しいのです。 それを、イエス・キリストも、インマヌエルもやろうとされた。 そして、十字架にかかったのではないのです。 あの方は、けっしてカエサルのように帝国をつくって 神の国をつくろうとなさったのではない。 意識変革をさせたくて、神の愛のもとに戻したくて 意識を改革したくて、愛の法を説かれた。 それがゆえに人びとの怒りを買って、十字架にかかったのです。 それぐらい精神的な改革というものは難しいということ。 でも、それができるだけ、そして、宇宙というものを、すべてではないにしても ある程度、トータルに見回せるだけの人類の智慧 そして、経験というものが伴うだけ発達してきた、今のこの時点であるからこそ 今この宇宙界の法というものが 九次元の法というものが、地上に降ろされていくのです。 これをどうか、あなた方の素晴らしい、この真摯なる態度によって 絶え間ない努力の仕事の結果によって、この地上に足跡を残していただきたい。 書物として残していただきたい。 先ほどから伺っていると、本来はお坊さんで、次に本業の仕事があるということを 皆さんおっしゃっておられました。 皆さんご立派な仕事をお持ちであるにもかかわらず 本業は神の子としての、神の使者としてのお坊さんの仕事であると言われた姿を見て わたしはたいへん胸が熱く、うれしく思って聞いておりました。 そうであってこそ神の使者なのです。 でも、地上における良識、常識、するべき責任から逃れてはなりません。 それをしっかりと行いながら、そして、神の愛の法というものを伝えられてこそ 仕事をなし得てこそ、人びとというのはそこに神の姿、愛の姿を見るのです。 自己逃避の姿の中に、人を悪しざまに言っている姿の中に その姿の中にだれも神の姿など感じないのです。 ですから、もし、あなた方を非難中傷する方がいたのならば あなた方を非難中傷するものをもって その方がどれだけ神の使者であると偉そうに言ってみたって 多くの人びとは、その方の姿の中に神などの姿を 神の愛などは、何も感じないのです。 そのぐらいの心は、みな持っておられるのです。 ですから、その方たちのことを哀れんで、けっして彼らのことを悪く言うのではなくて 彼らのために祈り、彼らがいつかわかってくれる日を、忍耐をもって待ちましょうという 我々と同じ、神の愛と同じ忍耐という時をもって、その方の成長というものを待つ。 彼らが一緒に、また歩んでいくことがかなうようになるようなときを祈って 今という場を、彼らをけっして恨まずに頑張っていこうと 自分の仕事に頑張っていただけることを、あなた方に期待するのです。 天上界の通信というものは、ひじょうに難しいのです。 あなた方が考えている以上に難しいのです。 わたしがこの方の言語機能を使うということは、この方のことを 魂をひじょうによく知っているから、最初からすんなりと通信が送れていたのです。 そして、ほかにも、たとえば明治維新の方がたにしても この方のあまり面識のない方がたが多いのです。 面識のない霊を、霊人をとって、その方の認識を言語化するということが ひじょうに、どれだけ難しいかということ。 そして、伝えようとしている霊人にとってもですね、その、もし、霊媒の方の 現代のこの日本語というもの、そして、その方の思考形態というもの 男性霊、女性霊でも違います。 経験や学識によっても相当違うのです。 その中における、その方の認識力をもって、自らの思いというもの 思想というものを伝えようとしてくるわけです。 ひじょうに難しい。 ひじょうにそこにおいては、お互いにじれったいものがあるのです。 それであっても、天上界は伝えていきたいと思って伝えてくる。 そのような霊媒の霊言機能というものを、あなた方はどうか理解していただきたい。 そして、どうかお一人、おひとりが、いずれ受容的に神のもとに対して心を開け広げ 愛というものを無防備に出すぐらいに、大いなる愛の化身として 神の子の化身として、あなた方が聞かれていったのならば あなた方も同じように霊言というものを 神からのメッセージというものを受け取っていける。 そのような成長した姿になっていかれるということなのです。 それは、一人ひとりが特殊な、あなた方の頭の中にあるのは、特殊な霊媒という者の 役割を授かった者以外はこのような仕事はできぬと そのようにまた、自己限定しておられる方が、数々おられるようなので わたしは申し上げているのです。 そうではない。 あなた方一人ひとりが、みな日蓮のように、空海のように そして、エリヤのように、ダニエルのように、神の言葉を受け入れていくことができる。 男性であってもなっていける。 けっして神の言葉を受けるのが一部の特権的な者たちだけの仕事ではない。 あなた方みんなが、それをやっていけるような水準に これから向かっているということ。 今申しあげた者たちは、大体がみな八次元如来界の者たちなのです。 あの者たちと同じ心境になっていく。 それだけの力を持っていく。 あなた方の魂の中において 素晴らしい魂の飛躍のチャンスを与えられているということなのです。 行いにおいて、覚悟において、認識力において、そして、霊言の知識において あなた方が死ぬ気でついてくる気になれるのならば あなた方は一躍、如来の境地にいけるということなのです。 それはけっして難しいものではない。 ピラミッドでもない。 あなた方が、どれだけ深い大きな愛で人を赦し、自分を赦し 宇宙の神のために、神の子たちのために、自らの人生を投げ出し、受け入れ 愛の表現体として自らの神性をきらめかせていくことができるか。 それによって、あなた方は如来にでも、救世主界の者にでもなれるということ。 (2005.8.19 レムリア・ルネッサンス) *あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい ![]() ![]() 厳しいことを言うように思われるかもしれないけれど、これから先は誰かを憎んだり
誰かを非難していく、そのような思いではなく あなた方の中に、圧倒的な愛というもの、それは、神だけの専売特許だけではなくて 聴いている神の子として、あなた方一人ひとりも神の子として 神そのものの愛を表現する、ひとつの光とならなくては これから先の法は聴けないということなのです。 それをわたしは伝えているのです。 あなた方の認識力が、あなた方の高度なレムリアの磁場を生み そして、その努力と高度な認識が、より高度な法を降ろす内容を決定するのです。 いくらでも優秀な、素晴らしい法というものを降ろせる方がたが 今、脇に来られておられるけれど、やはり、それをどこかひと事であるとか 自分は関係のない人生であると思って、最大限の努力をなされないのならば 腹を決めていかれないのであるのならば そこにおいて、確実な、より高度な法というものを降ろす 天上界との信頼関係というのはできないのです。 そうすれば、何%かは、何十%かは、実引かれたものというものしか 法の内容として降りないということをわたしは申し上げているのです。 天上界の者、そして、この受けている、この巫女と呼ばれている この霊媒の、この認識力以外にも、一緒に、ともに努力し ともに仕事をされているあなた方一人ひとりのお力、エネルギーというものが これから降りようとしている天上界の、この法の高さ、広さ 深さというものを決めていっている。 けっしてひと事ではないのだということをわたしは伝えたい。 その時のキーワードは、やはり経験や、高度な知識による 高い認識力というものと同時に、深い愛というもの、万象万物、一切を育くもう そして、すべてが自らの仲間であり 自らが、すべてが、地球全部が大いなる家族であるということ。 いかなる弱き者、そして、迷いし者、その者も愛していくような圧倒的な愛。 太陽のような、いかなる悪人であれ、善人であれ 均等に太陽はすべての者たちを育み、愛と熱を与えておられます。 それが神の姿の似姿であるということ。 あの者はあのような悪さをしたから、あのような悪口を言ったから、愛されなくて当然。 それは神の愛ではないのです。 太陽をいつも思ってください。 たとえ悪と思われし者であったとしても、みな神の子であるということ。 その、今は失敗して、ひじょうに自ら影のようになっているかもしれない。 でも、それでも神の子であり、我が子であると思い、大宇宙の神はいとおしまれ その者がいつか気づいてくれることを思い 圧倒的な愛で、愛の光でその者を育んでいる。 けっして悪だから、その者に光を、その者だけには与えないで すぐ命を絶ってしまおうなどと思われないのです。 それが神の愛。 ならば、あなた方も愛を神だけの専売特許にしてはなりません。 あなた方は誇りある神の子。 神の子であるということは愛の子であり 愛の化身そのもの、愛の光、個性ある愛の光であるということ。 自らの光を、自らの個性を輝かせなさい。 そして、自らしかできぬことを、必ずや神は期待され あなた方、お一人おひとりの個性をつくっておられること。 そのことを追求する旅を忘れてはいけません。 かけがえのないあなた方であるからこそ かけがえのないあなた方でしかできない仕事があるのです。 そのことをもって愛をなし この地上において、この世界において、仕事をなしていかれることです。 ここにいるのでも、あなた方、一人ひとりの個性がきらめき合い そして、複雑にからみ合ってここの磁場を今、形成しているということなのです。 そのことを思ったのならば、自分はただ霊言を聴きに来たのだから 聴いているだけなのだから関係ないのだと わたしやこの霊媒の者だけがたいへんであると、そのようなことはないのです。 あなた方一人ひとりの光が、その個性が今、仕事をしているのです。 それはあなた方の覚悟であり、認識力であり、愛の深さであり どのように人生に、どのようにこの救世の運動に対して向き合おうとしているか。 何をしていこうとしているか。 その認識力そのままの意識が、あなた方の光の度合いとして、今黙っていても この磁場において仕事をしているのです。 そのことがわかりますか。 だから、人生の一瞬、一瞬において無駄はないし、手を抜いてはなりません。 あなた方の中にある愛を、最大限に開花し、最大限に神のために投げ出してほしい。 そうすれば、あなた方一人ひとりがもっと、もっと霊的にも敏感になり 我々の言葉をインスピレーションとして受けやすくなるでしょう。 学んでほしいのです。 なぜ巫女として、あと、霊的な こういう霊言というものを受けられる者と、受けられぬ者がいるか。 確かにこの者のように 神に最初からそのような個性と能力を与えられたということもあるでしょう。 でも、それは最初から、そのように一方的に与えられたわけではないのです。 あなた方でもできるのです。 何が違うか。 それは心の持ち方が違うのです。 神の使者として霊言を受ける。 それは女性である、巫女と呼ばれている方たちは 女性の機能において受動的なものはあるのです。 でも、男性でも、イエス・キリスト、インマヌエルのように そして、わたしもかつて出たときには、やはり霊言というものを 霊視というものを通して天上界の指導を受けておりました。 そして、預言者と呼ばれている男性の方たちは、たくさんおられるのです。 男性であったとしても、受けることが可能なのです。 ではなぜ、できる者たちとできぬ者がいるか。 それは神に対して、大いなる素直な受容性というもので、神の道具として 使者として、身を投げ出し、その人生を、魂を、神の前に投げ出して 最大限に神の使者として仕事をしようという覚悟があるかないか。 その覚悟が、その受容性を開く鍵になっているということなのです。 男性だから、能動的だから、受容的にはなれないから 霊言や我々のインスピレーションを受けられないというふうに決めてはなりません。 そのように決めてはならない。 女性の機能のほうが確かにあるかもしれない。 受容的に受けるということはあるかもしれないけれども あなた方の心の持ち方によっては、それはいくらでも可能なことなのです。 それは、かつて仏教の中においても、そして、ヨガの中においても 神の言葉を、神と一体になるという道を、いろいろなさまざまな行というものを通して 人びとは神と出会おうとしてきたかもしれない。 でも、そのような一方的な、そのような自らが悟りたい、悟りたいということだけではなく 今簡単なことは、この大枚世運動かあったのならば その中で、あなた方がどれだけ自分の人生と、その仕事とその使命において 神の前に一切を投げ出し、神の存在を自らが受け入れることができるか その素直さを持てるか、それにかかっているということなのです。 かつての預言者と呼ばれていた者たちは、すべての自らの人生を放棄し 自分の生まれたところから石をもって追われながら 神の言葉を聴くためにさすらって行ったのです。 その時代に受け入れられぬ者たちがたくさんいたのです。 でも、彼らは聞こえてくる神の言葉のために、その人生を投げ出し、覚悟を決め その言葉を人びとに伝えていったのです。 なぜこのようなことを言うかというと 仏教でいう小乗における、自らだけを悟らしめんとする、そのような阿羅漢とか そのような思いの中で神と一体になっていく、それを修行というのではなくて 小さきもの、すべての宇宙にいる自分たちの同胞、友たち その者を幸せにするために、自らを神の道具として その受容性の中において神の前に投げ出し、神の愛の通路として 自らの中における神性を、愛を、奔流のごとく打ち出しながら 多くの者たちを愛して、神そのものの化身として一体化していく その道を求めるそのような段階がきているということなのです。 (2005.8.19 レムリア・ルネッサンス) *あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい ![]() ![]() あなた方に言っておきたいのは、霊能力があるということ
そのことが、即、何でもかんでも 我々の言葉を地上の霊媒が伝えられるのではないということ。 そのことをもう一度確認したくて、今日は参っているのです。 それは、天上界は天上界で、一生懸命努力をしております。 それと同時に、地上の者たちの努力あってこそ それは行動においても、あなた方が運営していく上においても 仕事という内容においても素晴らしいけれども 認識力、霊媒ひとりだけの認識力ではなく あなた方が、これだけ優秀な方がたがおられるのです そのあなた方で、こういう何気なく話されている言葉 あなた方がこれからどのようにしていかねばいけないか そして、今まで戦ってきたさまざまな苦しみ、悲しみを越えてこられた そのことをどのように御自分たちの成長として役立てていかれるのか。 そこに学んだものがあって、それを共通の言葉としてあなた方が語り 高度な認識力をもったたときに、その先の叡智というものが与えられるのです。 あなた方が魔と戦ったり 仲間の中に入った魔というものに対して、どのように対処するか。 今、あなた方がやってきておられること。 それは、ひじょうにわたしも正しいと思って見ております。 ですけれども、やはり、このような試練を幾つもあなた方が乗り越えてこられたから 今のような認識に到達されたのではないでしょうか。 そして、切られていった者たち その者たちがネットなどでいろいろ騒いでいるようですが そのような、あのような状況に置かれたからこそ あのような見苦しい振る舞いがある。 それに対して、攻撃を受けたあなた方がどのように冷静に対処をしているか。 それに対して、あなた方も同等レベルで、もし、言い争いをするようであるのならば やはりどっちもどっちということが言えるのではないでしょうか。 愛というのは、あのようなことをする者たちそのものも愛することを愛というのです。 愛というものは、けっしてその時に傷をなめ合ったり その者たちをいつでも仲間として輪に入れて、ともに害し合ってしまう それを、一時のそのようなものを、傷をなめ合う姿を愛とは言いません。 それは、彼らにとっても、彼らの天命を、使命を汚すことになるのです。 彼らが、今わからぬのならば、いつかわかってほしいと。 ともに法を学ぶ仲間であるのだからと。 祈りの思いを持って静かに彼らの前から身を引き、自らの使命に最大限の努力をし 彼らができなかった分まで精一杯やり続ける努力をする。 その姿をもって、友を愛し、仲間を愛するという姿勢を見せることなのです。 そこに、彼らを憎むとか、彼らが自分たちより劣っているとか、彼らが悪であるとか そのようなことを思う姿に神の愛はないのです。 神の使者としての愛の姿はないのです。 彼らは彼らなりの悲しみがあり、彼らなりの苦しみがあります。 認識できなかった。 理解できなかった。 何ゆえに怒られているかがわからない。 でもこれは、時間がたてばわかってくるでしょう。 あなた方がほかの者たちから、G会の者たちにおかれても 数々の苦しい試練を受けているのは、我々としてもよくわかっているのです。 でも、G会の者たち、そして、ほかのネットであなた方を中傷している者たち あなた方は今、あなた方がここの席に座っている。 じゃあ、どの立場にあなた方はいたいと思われるか。 彼らの姿に替わりたいですか。 なぜ彼らがあのようになっているか。 その不惘さを思うのならば、彼らを悪といったりするのではなくて 彼らもいつかわかってくれるように神に祈りながら 彼らもまた、神の使者として 精一杯仕事をしたかった仲間だったのだということを思って 彼らが果たせなかった夢の分まで精一杯頑張る。 そして、一切恨まない。 彼らの存在そのものも、自らの存在と同じくらいに愛する。 そのような思いを持ってこそ、真の神の使者というのです。 あなた方がこれから九次元の法を聴いていく。 宇宙の法につなげていく。 愛の法を聴いていく。 そのような存在になりたいのならば、あなた方を揶揄し、あなた方を攻撃し あなた方を苦しめる者のために祈りなさい。 彼らを愛するような思いで日々を生きていきなさい。 彼らが悪いのではない。 彼らができなかった夢、それを自らの使命としているからこそ 今この座に座るということが許される自分であるという、神に感謝をして 彼らの分まで、彼らが涙を流してできなかった悔しい分あなた方が仕事をしていける。 そのような方がたであっていただきたいのです。 誰かを憎んだり、誰かを恨んだり、誰かを激しくそしったりする心があると もうこれから先の宇宙の法は聴けなくなっていくのです。 なぜならば、九次元の法という、宇宙の法というのは、万象万物を生かす 宇宙の神の愛のエネルギーそのものを理解する法 そのものになっていくからなのです。 神は何ひとつ神の子を憎んだり、怒ったり、抹殺しようとはなされません。 その中において、惑星意識であられる方を傷め尽くすほどに その中に邪悪なる影を忍ばせたとしても、その惑星そのもの その惑星にいるすべての者たちを神は育まれ、愛され、生かそうとなされます。 それが大宇宙を内側から生かしておられる愛の法としての、愛の法としての 神の摂理としての、愛の摂理としての、神の生きざまそのものなのです。 愛そのものなのです。 それに、同化していく水準をあなた方が持たねば あなた方はその法を聴いていくことができなくなるのです。 今までは六合目、七合目という言い方をしました。 でも、これから先は宇宙界の法を聴いていくあなた方であるのならば あなた方の認識力の中に、かつての仲間を恨む思い、憎む思い、そしる思い その彼らすべてをも、自らも嫌な思いをし 苦しんだり、悲しい思いをしたあなた方であるのは、よくよくわかるけれども よくよくわたしたちは見ているから、知っているけれども。 でも、その彼らを赦してあげる。 そういう彼らそのものをトータルに受け入れていく。 それもまた、神の子としての修行の姿であるのだということを思い けっして恨まないこと。 それが愛そのものであるということ。 あなた方は思い出してごらんなさい。 生まれてどれだけの罪を重ねてきましたか。 どれだけ至らないことをしてきましたか。 どれだけ多くの人びとにお世話になってきましたか。 どれだけ多くの方がたに迷惑をかけてこられましたか。 そうやって現在のあなた方があるのでないでしょうか。 そうであるのならば、彼らが、あなた方を苦しめたことは大きな罪ではあるけれど でも、それでもあなた方のかつての仲間です。 ともに同じ夢を歩もうとした、歩みたいと願った仲間です。 彼らは今はもう、この場に座ることは許されないけれど、でも、彼らをも愛しましょう。 彼らのこともけっして恨まず、大いなる愛の中に包んで 彼らの果たせなかった分まで、深い深い、広い愛をもって そういうあなた方になっていくことを通して 次に出てくる大いなる宇宙の法を降ろせるあなた方でありなさい。 そうでなければ宇宙の法は 愛の法は、もう地上にいる者たちとしては聴けないのです。 それを受け入れる磁場をあなた方はつくりなさい。 そこに一点の疑いがあってはなりません。 あなた方が今、受けようとしている使命が どれだけ価値のある尊いものであるかということ。 それを魂に銘記しなさい。 そして、愛の豊かさの中で、地獄も、悪魔も、サタンたちも何もないのだと。 わたしはサタンそのものも、かつての愛する仲間と思っている。 だから、彼をもう一度、仲間として、また一緒の仕事がしたいから 彼を受け入れるために、彼が戻って来る場をつくるために わたしは今、一生懸命、救世の仕事をしているのだと思っている。 彼によって人類が数々の試練の場を与えられ、数々の戦いをわたしもしてきました。 でも、わたしは厳しい口調で言うかもしれないけれど でも、心の奥底の中には、彼らに戻って来てほしいと そして、彼らと共にもう一度、神の使者としての仕事をしたいと ただそれしか、このミカエルにはないのです。 そのことを思ったのならば あなた方が、かつての仲間たちにされたことなどというのは わたしがサタンと戦ってきたことから考えたら、わずかなことではないですか。 (2005.8.19 レムリア・ルネッサンス) *あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい ![]() ![]()
あなた方がご存じであるシルバー・バーチにしても
さまざまな、数々の霊訓を降ろされた方におかれましても けっして大人数でとっていたわけではないし 組織の大衆の前で、いつもとっていたわけではないはずなのです。 逆に言うと、霊言というものは、ほんとうに心から気を許し合えた者たち その者たちがひとつの目標のために手を取り合って、ひとつの磁場として形成し 天上界の言葉を限りなく受容的に 限りなく素直な思いの中で受け入れていくということ。 そのようなことができるところに、本来の霊言というものは降りていくのです。 だから、組織というもの、そのようなものは霊言とか、宗教をやる段階においては あまりわたしは必要ではないと思うのです。 そのあとに大いなる組織、教会制度、キリスト教におけますドグマというもの 教義というもの、そのようなものがいかに素直な信仰心 いかに本来あるべき天上界、神の姿に、神の子のあるべき姿に 人びとを導くために妨げになっているかということを わたしは常日頃、かみしめているのです。 別に、キリスト教の教義の中でがんじがらめに、善人として生きたからといって 天上界により早く入って行けるわけではないのです。 高い所に行けるわけではないのです。 本来、原始キリスト教というもの、イエス・キリスト、インマヌエルと言われている方は 実に素朴であり、実に愛豊かなおおらかな方であったということ。 そこにはとらわれることもなく、自らを偉しとすることもなく そこには自由な、深い人類に対する愛が息づいておられたのです。 そのような素朴さというものを、あなた方はもう少し理解しなくてはいけません。 難解にすることばかりをもって神の御心に近づいたと思う、その心の中に 本来、救世主たちが降ろされた、本来の法というものを神から遠ざけてしまう 人びとの心を遠ざけてしまう第一歩が含まれているということなのです。 教義にするよりも、知で法を説くことよりも、信仰とは、愛とは、心で ハートで確認し、つかむものです。 愛というものは、自らが神の子であるという 自らの心の中にある神性というものを開いていったとき あふれんばかりの神の子としての愛が湧き出てくるということ。 けっして外にあるものでもなく ハートの中にあふれんばかりにある神の子としての愛を 理屈の、理論の中で固めたからといって その愛がより深くなるわけではないのです。 自らの中にある愛という、無尽蔵な愛の泉、井戸を掘り当てたのならば 他の者たちにも、その愛の泉というものを掘り当てる そのようなことを、その道を教えてあげていただきたいのです。 それはけっして難解な理論によってではなく ただ、「ほら、あなたの胸の中を開ければ、愛がいっぱいあったんだよ」と 教えてあげること。 そのことがいちばん大事なのかもしれない。 理屈で納得したものは、しばらくたてば もっと知的好奇心というものだけに踊らされて忘れてしまうのです。 その時は納得したかもしれない。 その時に知的好奇心において、信仰というものを納得したかもしれない。 でも、ほんとうの意味で、知で悟ったものが、ハートの中に 心の中に深く落ちていった者だけが ほんとうの意味で、その人の信仰心としての実力になるし 愛というものの深さ、広さというものを極めていく 手がかりになっていくということなのです。 これから、地球人類の多くの者たちを救わねばなりません。 その者たちに対して言うことは、難解な言葉よりも 我々、精霊と呼ばれている者たちの言葉を、わかりやすい言葉で そして、自らが神の子であり、自らの神性の中にある こんこんと湧き出る愛というものに、どうか、一人ひとりが気づいてほしいと 一人ひとりがかけがえのない、神性を帯びた神の子としての光であるということ。 誰ひとりとして存在しなくてよい者などはいない 尊い、尊い光であり、命であるということ。 そのことを踏まえて、地球自体の大ルネッサンスがこれから行われていくのです。 難解な言葉だけで世の中が変えていけるほど、神理の道は安易ではないのです。 難解なことに酔ってはいけない。 難解な知の論議、遊戯に落ちていったとき たとえ、どれだけ愛を伝えられる方であったとしても その知の遊戯の中において身を滅ぼしてしまうということを あなた方は学んでいるはずなのです。 知がなくていいとは申しません。 愛がまず、第一であるということ。 そして、知的なもの、そういうものを通して、愛を論証していき そして、それを自分たちの中に役立ててこそ、知というものは価値を帯びるのです。 知性というものは価値を帯びるのです。 でも、大事なことは、あなた方の胸の中にあふれんばかりにある愛というもの その豊かさというもの。 他を傷つけることを心から悲しく、他の幸せ、ほかの方がたの幸せを自らの幸せと思い 自らの喜びと思い、みんな一緒になって、神のもとへ帰って行こうという そのような思いに満たされる。 けっして難しい言葉はいらない。 けっして難解な言葉でもない。 易しい言葉で神を語る。 そのような時代がきているのです。 ただひとつ言えることは、認識力においては段階があるということ。 原始時代に、古代の時代に、中世の時代に、近世の入り口に そして、現代に至るまで、我々天上界の者たちは それは、それは忍耐強く、忍耐強く 人類を成長させるために指導してきたはずなのです。 そして、その時その時の、瞬間の中でしか 我々も地上に降りた霊媒と呼ばれている方を通して メッセージを送ることがかなわなかったのです。 あなた方におかれても、そうであるはずです。 今あなた方に、これからあと十世紀ほど先のことを あなた方に伝えたとしても理解できないはずなのです。 今の時点、ひとつの座標軸の中における、今という時点の中の、座標の中において 人類がこのレベルまで成長してきたということをもって 我々はあなた方、人類が納得できる、理解できる段階までかみ砕いて そして、やっとここまで語ることが可能になったということをもって 我々は神理というものを伝えているのです。 相手が理解できぬもの、そしゃくできぬもの、成長のために役に立たぬものを 一方的に与えるのは、それは愛とはいいません。 愛ある教育、愛ある指導というのは、相手のほんとうの意味で 成長のために役に立つものをもってこそ ほんとうの意味での愛ある指導というのだと、わたしは思うのです。 ですから、今のあなた方において、理解できる者においては、最大限のものが今 与えられようとしているのです。 女性の法におかれましても、家族の法におかれましても、男女の法におかれましても そして、明治時代の志士と呼ばれている方たちの ある意味で世の中の改革者と呼ばれている方たち 地球大ルネッサンスにいくための気概というもの それを語られた、そのような数々のテーマにおける 無尽蔵な天上界の叡智というものが、今降りてきている。 それをどうか書籍に残し、インターネットなどを通して 人びとに、ひとりでも多くの方がたに伝えていただきたい。 今、時代はひじょうに霊的に敏感な時代になっているのです。 霊的な意味においても、宇宙的な意味においても、神の愛の波動というものが より繊細に人びとの心に届きやすい時代、霊的な時代になってきているのです。 ですから、あなた方もこの時代の波というものを、ぜひ利用なされ 天上界の大いなる地球浄化運動の ひとつの先駆けとしてこの仕事をやっていただきたいと思うのです。 (2005.8.19 レムリア・ルネッサンス) *あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい ![]() ![]()
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