自然の中で、心の調和、霊能力開発に、修行に一身を捧げた方で
とても真似のすることなどかなわないほど、肉体の限界を極めたことと思います。
ネイティブアメリカンでも、ヒマラヤでも自然の中で心を調和し
肉体の限界を極めていくと
肉体を超えた世界を常時、経験できるようになるみたいです。
消える、瞬間移動する、傷を治すなどは朝飯前なのです。
しかし、だれでもできるわけではありません。
霊界にいるときから、そういう霊能力を日々研鑚されているという下地もあるのです。
2005年にアマーリエさんが降ろされたスピリチュアルメッセ―ジです。
我にとって愛とは、信仰とは、実行あるのみである。
一人でも多くの者たちを幸せにしてこそ、愛してこそ
多くの人びとに神の御心を伝えられてこそ
我は、神の使者としての使命があると心から思っている。
実行なき者、どれだけ頭が良くても、その時代の知に酔っている者などは
我は、神の子としては、神の使者としては認めぬ。
そのような臆病者はいかん。
そのような中に数々の、我々のように実践に継ぐ実践の中で、真の勇気とは、叡智とは
神とつながるということはどういうことかということを
体をもって学ぶ。
法力というものは、間違った方向に使えば
すぐその場で反作用として体にぶつかってくる。
だから我々の中においては、自分が、何が正しかったか、正しくなかったかを
体の中で即、反応の中において学ぶことができるのである。
それが、我らが階段を上って行くための修行の方法である。
知に酔っているときは、ぐるぐる、ぐるぐる回っていても、それがほんとうに正しいか
間違っているかわからぬものである。
で、いつの間にか正しかったような、自分がまるですべてをわかったような
世界中の叡智を知ってしまったかのような錯覚に陥るのである。
でも、そのような道を我らはとらぬ。
実践あるのみ。
正しいものは正しい。
原因結果の法則によって、正しい思いを出せば正しい結果として
他の誰よりも何倍として返ってくる。
間違った結果を出せば、我が身の苦しさとなってすぐ反応が戻ってくる。
それをもって我らは道を這い上がって来た。
そして、この国土というものを少しでも、伝道という形は使わなくとも
一人でも多くの神の子たちを幸せにするために、この国を幸せな国にしていくために
統一していくために、その力を使うために、国というものを平定し、広げてきた。
それが荒神と呼ばれている、戦(いくさ)の神と呼ばれている
自由の神と呼ばれている者たちとの、我々の仕事の役割であるということ。
そなたたちは、そのようなフロンティア精神、開拓精神の名において
これから神より与えられし、素晴らしい叡智を、メッセージを
この地上に広めねばならぬ。
その厳しさを持ってほしい。
不退転の境地を持ってほしい。
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