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地球を愛の星へ

出口王仁三郎からのメッセージ(2)

裏神道というものが、我々のような力を持った者たちが軽視されるというのは
その法はおかしいぞ。
最近はどうじや。
やたらあっちにも、こっちも霊言が出るという話もさっき聞いておった。

いいか。
スプーンを曲げてみせたユリゲラー。

いいか。
あの世の、いや、下に迷っておる者たちもいるが
その者たちの言葉を伝えた数々の霊能力者というのも
テレビやなんかに言わせたであろう。
あの者たちはだいたい、わしの配下にある者たちじゃ。
その者たちが邪魔だったというか?
その人生が無駄だったというか?

かつてのK会ということでは、ひじょうに蔑視された言い方をされたであろう。
だけど、彼らが知性だけでうん蓄かました時に
多くの人びとは目を引いたであろうか。
目に見えない世界ということを、人びとが受け入れただろうか。
ああ、ひょっとしたら、この物質至上主義のこの三次元の中で
どうじゃ、目に見えぬ世界があるやもしれぬ。
ひょっとしたら死後の世界があるかもしれぬ。
そのようなきっかけを強烈に印象づけたのは
我らが配下の者たちの仕事ではなかったのであろうか。
違うか?

確かに、物珍しさだけでいうような、求めるような
現象だけの世界というのは、危険なものはたくさんある。
だけども、スプーンをいきなり曲げてみせたらね
いろいろな、さまざまな超常現象というものを見せる者たちがいて
それがいったい何になるのであるか。
実際、何にもならんのである。

ここにあるワイングラスをバーンと割ることなど我らの世界では簡単なことだ。
この間、いきなりホーンと、竹筒を割った者がおったであろう。
そのような、物質的にこの次元の物を
ある意味で瞬間的になくしてしまうことですら簡単である。
そんなことばかりを彼らはやっている。

それが何のためになるのかと、そんなものは神の子のためには余計なことであり
無駄なことであると、そのようにかつてのK会では言われていたのではないか。
なんの役割もなかったであろうか。
多くの者たちに、目に見えない世界がある、魂は永遠の命を持ち
転生輪廻を繰り返していくものがある、そのように伝えておったはずじゃ。

でも、もし死んで迷っているじいちゃん、ばあちゃんでも
自分をいじめ抜いて死んだ姑や嫁が出てきたとしても
もしそこで話ができたり、地獄で苦しんでいる姿を伝えられたら
それは逆に魂が永遠で生き通しであるということを
現象の中で示していることであろう。
理屈はわからなくても、実証の中で
この三次元の人びとに伝えているのであろう。

それを、我々は現象の中、現象しかないと言われても
現象を通して目に見えぬ世界が実在するのであると
人問には潜在的に持っている
もっともっと多くの力があるのであるということを
難しい理屈や法理念というものが伝えられなくても、ただその現象を通して
繰り返して見せることの中で、人間たちに物質界以外の世界の力があると
人間には肉体だけが滅びればすべてが終わりではなく
霊の力があるのだということを
霊的な力があるのであるということを実証せしめていた。
そのような役割もある。

だから、そのような者たちであっても今生、生まれてくる使命はあったし
そのような者たちにも、しっかり神の子としての使命があったのだということを
資格があったのだということを
それをわしはもっと生前多くの人びとに伝えたかったし
それとこの間、Oという者が説いていたK会の教えというものも
あまりにも難しく、あまりにも立派過ぎて
我々の力をひじょうに侮ったところがあった。
それがゆえに簡単に
ある意味で足をすくわれたというのがあるのではないだろうか。

我々の世界は、すべて行いがあるのみ。
すべて技があるのみ。
その力があるかないかは、自己の研さんにもよるし
実際地上に生まれていったとき何ができたか。

人が驚くようなものであっても良い。
そのようなことが、何がこの地上に生まれたときになせたか。
それが、たとえくだらないものであったとしても
イタコのようなことであったとしても
霊的な世界の実証の一翼を担ったということには変わりないであろう。
何もしなかった人生よりはましであろう。
出口王仁三郎からのメッセージ(2)_c0171476_12555673.jpg

これからは霊性の時代と言われている。
この物質的にみな満たされたこの時代から
よいか、これから霊的な自らの神性の中にある
神の子としての霊性に目覚めていく時代がくる。
その時に、そなたたちはもっともっと自らの力を信じ、引き出さねばならぬ。

我らが裏神道、裏の力を持った者たちが霊的な力を持つのではない。
そなたたち一人ひとりも
もっともっと気づいていないだけの
霊的な力を持っている者たちであるということ。
霊言のようなこのような力は
神より選ばれし者にだけが降りる力ではあるけれども
我らが磨いているような力であるのならば
そなたたち一人ひとりにおいても十分発揮できるものである。

それが邪魔になる時もあろう。
しかし、これから霊文明の、霊性の証明ということをしていく時に
そなたたちのように、知的に法理論も持った者たちが
多くの現象を通して語っていくことがもし可能であるならば
もっともっと多くの者たちが
そなたたちレムリア・ルネッサンスというところの力を信じていくであろう。

だから自己限定をしないこと。
自らの力を信じること。
そのようなことをもって、そなたたちの使命を果たすという
そういう側面が欠けておろう?
違うか?

霊的なことはすべてこの者に任せ
自分たちは表であるということの理論の中だけで
悠然としているように我には思う。
しかし、神の子が神の子であるということ。
その可能性は無限であるということ。
その自らの力をもっと信ぜよ。
そうすれば、大いなる力が発揮されてくるであろう。

悟りというものが、難しい、難しい修行の過程の中で
うん蓄かました、小難しい理論に囲われたものでなければ
何にも高みまでに行けないのであるならば
それは少しも神理などというものは人間を自由にしないものであると
わしは思う。

悟りというものは、高くなればなるほど、自己の魂を自由にするものである。
自由に、自らの神の子としての神性を表現せしめ
人びとに対して多くの愛というもの
まあなんというか、夢というものを広げていける
そのようなものであるとわしは思う。

そのときに、坊主と呼ばれている連中は、あれもしない、これもしない
だから一生懸命修行して、自分を高みに連れて、多くの悟りを開いて人びとを
衆生を指導しようとするかもしれないけれども、あれもしてはいけない
これもしてはいけないという思いの中で
ひじょうに魂を不自由に縛っているように思う。

しかれども、我が思う悟りの中には、高みに昇れば昇るほどに
修行というものは、魂の中で神の子の神性を開き、自由に、この大海原のように
この宇宙の中を自由に自在に飛んでいき、泳ぎ
自分の中における光を自由自在に発揮できる、そのようなものが悟りであると
わしは思う。

だから、一面的な画一的なものの中だけで悟りというものを考えず
自分の中に自己限定をせず、自由に神のもとに
自らの与えられた個性というものを信じて
大いに頑張っていただきたいとわしは思う。

(2005.4.23 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-01-10 12:56 | 出口王仁三郎 | Trackback | Comments(0)
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一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。

by nagoyasc
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