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地球を愛の星へ

ゾロアスターからのメッセ―ジ(3)

それは多くの日本人において、神という名を語るのは恥じるということ
わたしから見たらまことに信じられない、まことに考えられぬ
ひじょうに愚かな国民のように見えて仕方がないのである。

神というものを語る時、誇らかに愛に満ち、自分の全存在の心を
生きがいすべてを神に認められるためにしていこうという
今の中東の人たちの姿を見ていただきたいと思うのです。

彼らにおいては、自分たちの宗教の枠にはまり
アルカイーダとかいろんな者たちが残虐なことをやっており
とてもあなた方日本人から見ると、宗教による恐ろしさというもの
宗教に狂った者たちが、あのようにも残酷になって、命をかけるのかと
信じられない思いであるのかもしれない。

でもわたしはその意味においては
彼らは狭い判断力しか持たないかもしれないが
根本において、神に認められるためならば、神に愛され
ほめていただけるのであるならば
この命捨てでも、大儀のために命を果たすのであるならば
たとえ露と消えようと爆薬とともに吹っ飛ぼうと
それにおいては、まさにそのように生き、そのように死にたいと
神に対する熱き思いを持ち続ける彼らを
逆に、ほめてあげたいような気がするのです。

信仰心というものは、まずそこがなくては
どれだけ難しい言葉を、難しい法を、知識を勉強したとしても
その熱き神に対する思いがない者に、神を語る資格はないのです。
信仰を語る資格はないのです。

まして地上にいる人間たち一人ひとりが、すべてが神の子であるのだから
神の子であるならば、神の奇蹟を伝える
そのような使命において、神と同通できるような者たちが
多くの使命の中で
地上の者たちを善導していく、その使命を全うしていく
そのためにお役に立てる姿こそ自らの誇りとなっており
自分の生きる価値として神に認めてほしい
「神よ、私は正義のために、こうやって散っていくのです」と胸を張り
神の前に自分の人生を捧げていく。

その熱い思い、これが我々中東と言われている地域に住んでいる者たちの
神に対する熱い、熱いラブメッセージであるのです。
これが信仰の原点であるということなのです。

冷たい知に閉ざされた、頭でっかちの神理で人の心は動かないのです。
熱い思いだけが人の心を、ハートを震わせ、人びとを駆り立て
命まで惜しくないと言って
一国を動かし、世界を動かしていくエネルギーになるのです。

高橋信次という方がいまだに
多くの人びとを魅了してやまない姿はなぜでしょう。
彼は知で法を説きましたか?
けっしてそんなに賢いことを言った人ではないと思う。
でも彼には熱き情熱があった。

この地上に最後の命尽きる瞬間まで、神のために、自分の信仰というものを
現象を通して多くの人びとに証明していきたいという
熱い、熱い情熱が、仕事に対する熱い情熱があったし
多くの彼の周りに集まってくる人びとに対し
熱い愛の思いが、高橋にはあったではないか。

それがいまだに高橋という方のファンを次から次へと生み
死してなお、復活してなお
その語る言葉の中に人を魅了してやまないものがあるからこそ
「高橋教」とまでいわれるほどの多くのファンが
次から次へと出てくるのではないだろうか。

彼はやはり砂漠の神であったという意味において
私たちと同通する熱い信仰に対する思い
そしてこの「ヤハウェよ、エホバよ」と言って
慕い来る信仰心厚き民たちに対する、エホバ、ヤハウェの神として
すべての自分のもとに来る民人たちを愛してやまないという熱き思いが
圧倒的な愛が、彼から流れ出てくる。

その心と心のぶつかりが、死してなお、高橋という人を
多くの醒めた日本人の中においても、慕わせる原動力になっているのだ。
けっして難解な知で法を説いたから
高橋という方がいまだに人気があるわけではないはずなのです。

初期の頃に彼が説いたことは、間違いも多々あるし
けっして難しい言葉ではないし
けっしてそんなに優れた高次元のことを言っているわけではないのです。

でも、知でどんなに法を説いたところで、人の心はついてはこない。
人気も出ない。
そこがORの焦りとなり
高橋、エル・ランティに対するジェラシーを生んでしまったのです。

それは、仏陀として生まれたORだけの責任とは言えないかもしれない。
確かにこの現代の日本という土壌の中に隠された
悲劇であったのかもしれないと
私はそのようにも思うが、でも神近き神仏からの
まして我々の世界から出た使者であるのなら
神の心に立ち返るということを
今一度彼自身の中で深く悟り、認識し、若き頃に自分の中から
キリスト教を通してでも、仏教を通してでも
その熱き信仰心に目覚めてほしかったものだと
心から悔やまれるのです。

その厚き信仰心あってこそ、大量の書物を読み
法というものを降ろしてこそ
その法の中に、熱き信仰の血潮の息吹というものが流れいで
多くの人びとを直撃する、圧倒的なエル・カンタラーの法となったのです。

仏陀の法に至りきれなかったのは、結果的に2600年前の
インド時代の釈迦意識を出すにとどまってしまった
それに終わってしまったのは、そこにおける、厚き信仰心
神仏に対する情熱というものが欠けていたがゆえに
いくら知を降ろしてみたところで、知で悟ってみたところとて
エル・カンタラーの法にはならなかったということです。

天上界におられるエル・カンタラーというお方は
それは、それは圧倒的な愛の持ち主であり
圧倒的な神仏に対する、謙遜な、謙虚な、深い信仰心の持ち主の方であります。

それは、それは、圧倒的なまでに謙虚な
圧倒的なまでに多くの地球人を愛してやまない
熱い、熱い心情の持ち主の方であります。

その熱情に同調しない限り、いくら知で彼が、人間ORが説いたとしても
彼には仏陀の本来の悟りというもの
エル・カンタラーの法というものは降りないし
同通できなかったのは仕方なかったということです。
ゾロアスターからのメッセ―ジ(3)_c0171476_13134890.jpg

アフリカなどで、難しいことはわからなくても
自然とともに愛深く、神を畏れて生きている
原住民と呼ばれているアフリカの方がたがおられます。

外宇宙から移住して来ると、まずそのような未開の地と呼ばれるところに
地球での日常生活に慣れさせるために、そういう地にまず送るのです。
そして、地球人として第一歩、まず何を学ぶかというと
けっして物質文明が豊かではなく、学校教育もそれほど
本などもたくさんはないけれども
何をいちばん初歩で学ぶか、魂が学ぶかというと
それは自然という中における神というものと一体となり
神を賛美し、神に感謝し、ご飯を食べていけるということ
そういうことを、神に感謝し、祭りを行い
信仰深くまず生きるということ、そこをまず最初に学ばされるのです。

そこあってこそ、徐々に物質文明
そして、小学校、中学校、高校、大学という
高学歴の高度な近代社会の中に、順番に生まれ変わっていくのです。

いいですか、基本はそこなのです。
目に見えぬ神に対して
圧倒的な信頼と感謝と畏れというものをもって生きる。
それが信仰の原点であるということです。

ここが善悪でいう善と悪のいちばん大事なところなのです。
神とともに生きて、畏れて、神とともに信仰深く生きる。
これこそが善そのものであります。

その後は物質文明の中におかされながら
悪というものが徐々に徐々に忍び寄ってくる。
でも原点はまず、神とともに生きるという信仰心であるということ。
まず外の生命体、宇宙から来た者たちは
そこを地球人として、原点として学ばされるのです。
そういうプロセスがあるのです。

近代国家に生まれ、学歴も
そして物質文明の豊かさの中で生きているあなたたちは
もうそこのプロセスは終わったものとみなされ
より複雑な難解な修行の中に、試されていくのです。

でもいちばん大切なことは、神とともに生きるということ。
神の真意を自らの真意とし、善とし、神に忠誠を誓い
おのが人生を光り輝かし
そして精一杯生きた姿を父なる母なる大地を通して、神を認めて賛美し
神に認めていただけるという、そこにおいて自らの喜びとしていくという
そのような信仰態度を
それこそが神の子としての絶対的なる善の価値に伴う
そのような神の子として誇り高い生き方であると
そのように唱い上げて生きていけというのが
地球としての根本的な神理の流れなのです。

その意味において、中東の者たちはぶれているところも多いかもしれない。
でも、日本のこの冷たい、寒々しい、信仰心失われた姿を見ていると
どちらかというと
間違って傷つけ合った愚かさを持っているかもしれないが
確かにいま戦争の坩堝と化しているかもしれないけれども
彼らが神を求める姿は、まるで幼子が母親の姿を見失ったかのように
神よ、神よと母親を追い求めるかのように
恋い慕いながら神を追い求めているではないか。
神のためであるならば、死ぬことも誇りをもって
喜びをもって死んでいくではないか。

その判断において間違っていることがあるかもしれないが
でも、心から神を恋い慕い呼び続ける、その幼子のような
神を愛する姿を私は上から見ていると、いとおしく、いとおしく
これこそが信仰の原点であると、現代のこの日本の姿をみている
私のような立場にあるものには目に映ってしょうがないのです。

(2004.7.22 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-25 13:13 | ゾロアスター | Trackback | Comments(0)
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一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。

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