地球を愛の星へ

カテゴリ:イエスキリスト/アモール( 22 )

アモールからのメッセージ(10)

あなた方の姿を見て、真の神の子とはどういうものか。
神のお姿というのはどういうものかということをー
地上に降りた光の天使の姿から、人びとが神の臨在を、実在を知るのです。
わたくしが、あの時代に神の言葉を伝えた
その生き様を見て、人びとが神というものを感じたようにー

近年なら、マザー・テレサという方が
ただただ与えきった貧民の中にわたし(キリスト)の姿を見ると言った。
その姿をもって、神の愛というものをその行為で伝えられた。
マザー・テレサとその一門のシスター方、ブラザー方の姿を見て
「ああ、やはり神はおられるのだ」と、多くの人びとは感じたはずなのです。
神の子とは、究極的には愛の通路として、神の光の通路として
おのが神性を光輝かせた者の姿を、愛の化身と呼ぶのです。
愛の姿、愛の化身が神の子そのものの姿です。

先ほどの質問にもありましたね。
愛の究極の姿は何か。
わたくしたちは神ではありません。
神の子です。
地上に降り立った光の天使ならば、愛そのものが何であるかということ-
天上界の神より、天上界の意思をもって
神意の代行者として、自らを愛の通路とし
地上における神の臨在を、自らの器と個性を通して、精一杯に表現した
その姿を神の使者と言い、神の子と言うのです。
究極的にはそこを言うのです。

わたくしたちもすべて同じです。
九次元、八次元、七次元、すべて同じなのです。
上に行けば行くほど、自分の意識の中の
愛として懐に抱えるものの度合いが違ってくるだけのことなのです。
七次元からは、自らの悟りだけではなく
他者を愛するということに尽きてきます。
他者を愛することは
自らの人生をもって他者を愛することによる、奉仕の姿になる。
奉仕は苦しいことではありません。
簡単なことなのです。
自らの中にある愛、神の子としての部分を、家族、兄弟たちを愛するために
分かち合うだけのことなのです。
その姿を奉仕と、言うのです。

自分のためだけに愛を使おうと思っても
愛は循環しなくては流れていきません。
すべてが神の子である、すべてが兄弟、隣人であるのですから-
自分の肉親だけを愛しているうちはまだまだなのです。
血がつながっていようと、つながっていまいと-

たとえば、地球の裏側で泣いている子どもたちがいます。
飢えの中で、涙をいっぱいためて、水がない、ミルクがないと言って
戦乱の中で逃げ惑っている親、その親ともはぐれて
ひとりぼっちで生きている子どもたちがいます。
その子たちを、別の国に生きているから、自分たちとは違う環境にいるから
ましてや、自分と血がつながらない、我が子でないからといって
彼らの悲しみを、彼らの苦しみを我が苦しみとしないようであっては
愛の子とは言えないのです。

あなた方は、潜在意識、神の子であるということで
深層心理で、一体になってつながっているのです。
現在のスピリチュアリズムでは
「ワンネス」という言葉を使っているのかもしれません。
そんな難しい言葉を使わなくてもいいでしょう。
あなた方は神の子であり
神の子としての意識の中において、あなた方は一体である。
ここにおられる方がたは、血はつながっていないでしょう。
でも、レムリアとして、寄り添って同じ思いをしている。
あなた方は、目に見えない力でつながっておられるのです。

それをもっと広げていけば、レムリア以外の方がたにも
あなた方を誹誇中傷する方がたとも、あなた方はつながっているのです。
そして、日本を、世界を、地球を、地球の裏側に至るまで
あなた方が考えておられる以上に
地上にいる動物、植物、鉱物、自然霊と呼ばれている
あなた方が知らない、海を治める海神たち、竜神たち、山の神
空を治めるものたち、大気を守っている、空気の精霊、花の精霊。
みんなすべてが神の子であり、つながっているのです。

神の子たちみんなが手をつなぎ合って
地上を、大宇宙を、絵巻物のように紡ぎ上げている
それが、神の交響楽のように、シンフォニーのように
この大宇宙に鳴り響いています。
これこそ、神の愛そのものであり、神が望んでおられること。
神が大宇宙を創造し、ご自分の愛の思いを
大宇宙を通して表現なさろうとしている。
そのために、わたくしたちは分光して
分けられてつくられた神の子なのです。
その姿を、その位置を、知らねばなりません。
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永遠の時の中で、自らの神性の可能性というものを修行する
そういう立場にわたくしたちがいるのなら
永遠に、無限に進化発展していく中で
あなた方は隣人たちを愛さねばなりません。
分かち合わねばなりません。
幼い、砂漠で飢えている子どもたちに対して、無関心であってはなりません。
彼らとあなた方はつながっているのです。
彼らの意識も、あなた方の意識も
織り成す糸の中において必ずつながっているのです。

だから、彼らに対して親切に、愛を与え、隣人に対して寛容でありなさい。
愛は与えるものです。
見返りを求めてはいけません。
与え続ける中に、そして赦し続ける中に、愛の根本原理があるのです。
そうやって、わたくしたちは大宇宙の神により、生かされ守られ
今日まで生きてきたのではないでしょうか。
その感謝の思いがあるなら
あなた方は、それを自分たちの隣人たちに分け与えていくべきでしょう。
その認識を、単なる家族や身内だけではなく
この地球全部に、人類に広げてください。

地球人類すべてに広げられたとき、その次に出てくるのが
今はまだ息を潜め、愛を与えるときを待っておられる、宇宙の友たちです。
そんな時代がきます。
宇宙の友たちは、大字宙の中で
自分たちが神のお力で生かされているということを
すでに知っておられる仲間たちです。

その者たちが、やっと地球人類がここまできたということを
手を叩いて喜び、そのときを待っていらっしゃる。
愛を与えたくて、でも今の段階で優れた科学技術などを与えてしまったら
進化の法則、発展を阻害することになるので
与えたい愛を必死でこらえて、見守ってくださっているのです。

わたくしたちも愛を与えるときが、ほかの惑星の人々に対して
受けた愛を返す時期がもうすぐくるのです。
愛は循環し、分かち合い、与え合い
それが大宇宙を巡って、自分に返ってくるものなのです。
そのことを、この地球だけの規模で考えていたかもしれない。
違うのです。
宇宙の友は、はるかに離れた宇宙に行って、人助けをしています。

わたくしたちも最初に呼ばれた肴たちは
はるか遠い宇宙からやってきているのです。
この地球という磁場を、少しでもすばらしい星にするために
わたくしたちは努力し
今日まで人類の修行場として発展させてきました。
これを次にステップアップさせることで、無限の進化の過程における
地球意識のレベルアップをもって
また別の生命体の修行場としていきたいのです。

そして今度は、地球から外へ出て行く形で-
今まで数々の宇宙の友に助けていただいたのですから
今度はそれをお返しする立場になる。
そのような進化ができるような惑星に早くしたいと、愛の星にしたいと
わたくしは心から願っています。
そのために、多くの魂が、宇宙の高級神霊が招雲されて
この地球を修行場にするために、この地球に来ているのです。

かつて、オリオンのことをあなた方は聞きましたでしょう。
彼らは自らの星を愛の星とすることに
高度なところまで到達しておられるがゆえに
その溢れんばかりの愛と、神の叡智を、後進的な星に行って
愛を分かち合うために、愛を伝えるメッセンジャーとして
多くの星に分かれて行っています。
それが星の進化なのです。

わたくしたちは、まだまだ自分の、地球という中で
戦争という野蛮なことをおこない、争い、奪い、傷つけ
戦争で、自らの文明を何度でも滅ぼしている、幼い次元の星なのです。
それをそろそろ卒業し、小学校から中学校にと、この間言われたでしょう。
愛の星として、宇宙船地球号の乗組員として、みんなで手を取り合うのです。

「国境なんて本来はいらない」
「わたくしたちは、神により生かされている
愛により生かされている神の子なのだ」と、最低限のことを知り
「自分がやったことは自分が始末をするのですよ」と
それは、幼い子にお母さんが教えていることでしょう。
「自分がやったことの結果は、自分が責任を取る」
それを、わたくしたちは伝えているのです。

(2005.7.30レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-08-10 07:48 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(9)

あなた方が、失うことを怖れているものは何ですか。
地位ですか、名誉ですか、権威ですか、お金ですか、または家族ですか。
家族であったとしても、あなた方が神の子として神性を開き
天命を全うして帰られたのならば、あとで家族が天上界に帰ってきたとき
「わたくしの父は、母は、このような神命の中においてよくやってくれた」
「わたしの娘は、すばらしい思いでがんばってくれた」と
誇りに思われることでしょう。
地上だけの観点で考え過ぎるから、苦を抱きしめすぎるのです。
悲しみをつくり過ぎるのです。

仏陀は「生・老・病・死」と言われました。
「生・老・病・死」の中で、病というのは何であるかと
もうすでにレムリアでは言われているでしょう。
寿命、病は、病ということだけを言うなら
過去世での大量のカルマの清算という場合もあるでしょう。
魂を穢したくないから早く帰ってきたい、と設定した場合は
何かしらの病を設定しなければ帰ってこられないので、病があるのです。

だからそのようにとらえたなら、病は別に何も怖がることではありません。
必要以上に病むことはないのです。
病を引き起こしている原因が、もし自らの心の中にあるのなら
その心を反省すればよいのです。
そして、病はただひとつだけの原因によって
起こることではないことさえわかれば
病と闘うことなく、病と寄り添って生きていけばいいのです。

そして老いていくということ。
いずれ、誰でもが実在界に帰ってくるのです。
この地上の数十年の命がすべてだと思うからこそ、老いも苦しい。
死も苦しいのです。
病も、すべてを抱えて、苦の原因をつくってしまうのです。

でも、あなた方に言います。
あなた方はすべて神の子です。
永遠の命を持っています。
苦しみを握りしめることなく、執着を捨てることにより
苦しみの大半は消えていくのです。

握っているものは何ですか。
怖れているものは何ですか。
地位や名誉、財産、家族も、肉体も、一度離してごらんなさい。
この地上で、何が苦しみでしょう。
いちばん怖れるべきは、神の子としての神性に目覚めないことです。

地上の神の使者としてあなた方が目覚めた現状があるなら
そこで精一杯神の使者としての仕事をしていけば
何も怖れることはないのです。
もしそれで命を奪われるようなことがあったとしても
火あぶりにあったような者たちも
わたくしのキリスト教の弟子たちにはたくさんいました。
それでも、喜び勇んで天上界に帰ってこられたのです。
神の使者として、光の使者として迎え入れられてきたのですよ。
魂にとって、栄光ある歴史になったのです。
あなた方も、そのような神理の価値観を持ってください。

地上は、実在界で修行したことの試験場であるということ。
そして、あなた方が神仏の使者として地上に降り立ったとき
この地上を、地球を修行場として
神の愛の星として光らしめるための使者として
神の代行者として地上に生まれたという、そのことを思い
今何をやらなければならないか、何を悲しむべきか、何が苦しみなのかとー。
もうその境地に達しなければいけません。
今までのような初期の苦しみ
初期の悲しみを抱えるような人類であってはならない。
人類は魂の奥から解放されていくのです。

たとえ死にたいと思っても、自らの魂の記憶をストップさせたいと思っても
肉体が死んでも、それをストップさせることはできないのですよ。
死んだとたんにまた別の意識が芽生え
魂の永遠性を実感することになるのです。
魂は永遠です。
神が無限の修行の中で、わたしたちに無限のときを与えてくださる中で
永遠の中でわたくしたちは進歩発展し
自らの神性を開花させていくというそのような立場に
その場所を神は与えてくださっている。
それは地球だけにとどまりません。
ほかの惑星に行っても、同じ修行が続行されるのです。

であるならば、地上においてあなた方が抱きしめようとする
守ろうとしているものは一体何ですか。
地位や名誉、プライドとは何ですか。
あなた方の文明の中では意味があるかもしれない。
しかし、ほかの文明の中ではまったく価値のないことかもしれないのですよ。
それは神の子としてのほんとうの意味で
あなた方の魂を、あなた方の価値を高めるものになっているのでしょうか。
それをもう一度考えてください。

神の子としての誇り、生きがいを守るために
あなた方があえて守ろうとするものなら、それは価値のあることでしょう。
でも、そうでない、それ以外のことに目がくらんでいるのだとしたら
それは単なる執着で、魂の進化を遅らせているだけかもしれません。
地球人類は、もうそのことに気づかなくてはいけない。

魂が、この地上における命だけで有限のものであるという認識を
あなた方は捨てねばなりません。
そして、愛というものが何であるか、自らが神の子であるとわかったときに
神が宇宙の愛の根本原理であるということをわかったときに
自分が愛の化身であり、愛の分光であるということを理解したときに
あなた方が、愛をなさなければ何の意味もない存在であるということを
学ぶでしょう。
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何度も言いますが、愛は、条件付きのものではありません。
まわりの環境の一切のものを我が痛みとして
分身として感ずることにあるのです。
であるのなら、一見あなた方を誹謗する
敵であると思われる者たちも、神の子たちなのです。
ただ迷い、苦しみ、自らが進むべき方向がわからないゆえに
あなた方を非難しているのかもしれません。

でもそのときに、あなた方も今まで間違ってこられたのですよ。
自分が神の子であるということに気づかず
神が宇宙の中で、無限のときの中で、黙って酸素を、太陽の光を与えて
わたくしたちを育んでくださったことに
まったく恩知らずだったではありませんか。
それにもかかわらず、神は、無償に愛を投げかけ
あなた方を育み、進化発展するための環境を整え
祈りをもって、あなた方を生み出してくださった。
その恩知らずなわたしたちであるならば
あなた方を誹訪中傷する敵を赦すことで
神への恩に報いるとしても、よろしいでしょう。

それをわたくしは言ったのです。
「汝の敵をも愛せ」と。
「右の頬を打たれたのなら左の頬も差し出せ」とも言ったかもしれません。
それは、極論であったかもしれないけれど
敵である彼らも、同じ神の子である、仲間である
兄弟であると言いたかったのです。

「汝、人を裁くことなかれ」ということも申しました。
隣人を裁くということは、己自身を裁くことになるのです。
愛の摂理の中で行なったことは、必ず自分に戻ってくる。
そのことを思って、あなた方は同胞を愛しなさい。
自分の友を、自分の敵をも愛していくことが
巡り巡って、原因結果の法則によって
あなた方が多くの方々から愛されるという結果になり
幸福を生み出すのです。
それは、根本的な宇宙の法則に則っていることなのです。

愛は循環します。
与えた愛を、その人からだけ返してもらおうと思うから、苦しみが湧くのです。
他の人たちを赦しなさい。
あなたの愛を求めている人は、あなた方の身のまわりにいるはずなのです。
できることからしなさい。
無理はしなくていい。
無理をする必要はありません。
あなた方がやれる些細なことはたくさんあるはずです。

毎日、行き交う人ににっこりと笑って
「おはようございます」「こんにちは」と言うことも愛の一歩でしょう。
難民の子たちに五百円のお金を送ることも
その子たちが教科書をもち、食べるものを得
井戸の水を掘ることができたら、それもまた愛でしょう。
それ以外にも、あなた方のように、我々の言葉を直接、出版物にし
多くの人々に対して愛の言葉として直接的な伝道をする。
そういう仕事をするということも愛でしょう。
私生活の中でも、レムリアの仕事でも、職場においても家庭においても
できる限り、愛を与える存在になりなさい。

愛はむさぼるものではないのです。
愛は与えられると思うから怒りがこみ上げるのです。
愛を批判するものとして
批判されることに対して怒りを持つから、苦しみになるのです。

あなた方を苦しめているものは、わたくしも知っています。
わたくしが法を説いた時代にも、数々の法敵はおりました。
身の危険もありました。
命を狙われ、わたくしは毎晩毎晩いろいろなところを渡り歩いていたのです。
寝ることすらままならない。
いつ命がなくなり、神理の仕事ができなくなるかと
弟子たちとともに逃げ回っていたときもあるのです。

あなた方は殺されることもなく
平和な現代で、人権というもので守られています。
ジャンヌ・ダルクと呼ばれる方も、火あぶりになられたとおっしゃっています。
わたくしの弟子たちも数々火あぶりになり
わたくしが十字架に架けられたので
彼らも十字架に架けられてしまった、不幸な悲しみを負っているのです。

そして、あなた方がお話ししている、明治維新の方がたも
命を張って、正義のために、現代の日本を実現するために
刃のもとに命を散らした、若い命を散らした
その覚悟で、今日の日本をつくってこられました。

あなた方は今、命を狙われることはない。
最低限、命を狙われることはないのです。
だから、守るということより、愛というのは与えきりに与えるものであるとー。
見返りを求めるものでなく
条件付きの愛は愛とは呼ばないということをもう学んでいただきたい。
勇気を持っていただきたい。

(2005.7.30レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-07-27 07:13 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(8)

愛とは何か。
それは、古今東西数々の議論の中で聞かれてきました。
ひじょうに幼い段階では、自らの家族、恋人、という
身内のことだけで凝り固まってきたかもしれません。
しかし、本来わたくしたちはみんな、神の子です。
それを、はっきりと、高橋信次、エル・ランティという方を通して
言い渡されたのが、今回の大救世運動の口火でありました。

「神の子」です。
「罪の子」とキリスト教では言われてきましたが
「罪の子」ではない。
わたくしはそんなことを言った覚えはないのです。
罪の子であるとは言っていない。
「神の子」なのです。

「神の子」とは何を意味するか。
それは「愛の子」ということ。
神の意識が愛そのものである以上わたくしたちは愛の意識
愛のエネルギーの表現形なのです。
自らに内在する神性を見つめ、自らの内を反省とともに開いていったなら
神の子としての、溢れるほどの愛が出てくるのです。
そして、わたくしたちは大いなる神の愛の意識につながっていくのです。

どんなに自分がみすぼらしいと思っていても
自分は誇り高い神の子であるという意識に目覚めたとき
人は何に気づくでしょう。
自分が神の愛の一部であったと気づいたとき
自然界も、憎しみ合う友人たちも、敵も、すべてが自分と同じ神の子である
一体であるという、その意識に気づくのです。

あなた方が敵だと思っていた人は、実はあなた方の兄弟である。
あなた方が戦争を仕掛けていた相手は
あなた方と同じにつくられた兄弟であったということに気づく。
そのためには
まず、己自身に内在する神の子としての神性に気づかねばなりません。
それを高橋信次は、エル・ランティは、はっきりとおっしゃられたのです。
「神の子である」「神の子であり、愛の子である」と。

愛とは何でしょう。
愛とは「赦し」です。
自らのカルマや、他者のもつ罪、さまざまな苦しみ
それをすべて赦して、無限に赦し続ける。
その慈愛の思いが愛そのものです。
愛そのものがあなた方、神の子です。
無限の愛の中に永遠を見る。
それが神のお姿そのものであるということ。
それが宇宙の摂理であり、根本原理です。

あなた方は、今肉体の中にあって、傷つけられたら自らの肉体が危険だから
地位が、名誉が、立場が危ないと思うから、戦いをするのでしょう。
何を守ろうとしているのでしょう。
ほんとうの意味で魂が永遠であるということがわかれば
自らが愛そのものの化身であることがわかっていたなら
あなた方は、たとえどんなに傷つけられても
相手を赦し続けられるはずです。

愛とは赦しなのです。
ですから、赦していって、最後、あなた方が究極に気づくことは
大いなるもののため、愛の摂理のために
自らを投げうち、神の愛の通路として
神の道具として神性をきらめかせようと-
使命はそこにしかないと気づくこと。
それが、究極の愛の摂理であり、悟りの極致なのです。

わたくしは、それをあなた方に伝えるために
神より派遣された、アモールという愛の天使なのです。
愛は人を裁きません。
自らも裁きません。
あるがままに愛を受け入れ、愛し合っていく、それが愛です。
条件付きのものは愛とは言わない。
見返りを求めるものは愛ではない。

愛というものは、ただただ相手を受け入れ、相手を赦し
自分自身を受け入れ、あるがままに生かし
そしてともに進化成長し、無限の進化を遂げていこうとする
それが宇宙の根本原理であり、神のお心なのです。
宇宙の創造原理は、その法則の中に貫かれているのです。
あなた方はそれを知らねばなりません。

わたくしのような者、高級霊と呼ばれている指導霊、救世主界にいる者を
「神」と呼んではなりません。
わたくしたちも、また、無限の進化の過程にいる
自らも修行の過程にある神の子であり、修行の身なのです。
それを理解したなら、自らの宗教の救世主のみを絶対視したり
宗教戦争で、地球上の神の子たちを排他的に傷つけ合うことは
二度となくなるでしょう。
そのような戦争は、愛の摂理、根本に反しています。

愛の摂理に反するものは、宇宙の中に存在できないという原理があるのです。
あなた方自身の中に、赦し合い、愛し合い、生かし合い、分かち合う
そういう思いが出てこなければ、地球が存在することが
この文明が存在するということ自体が許されなくなる。
それくらい、神の体である大字宙に
愛の根本原理、摂理が行き渡っているということなのです。
それを理解せねばなりません。

そこがわかれば、あなた方が、隣人に対して
どのように接しなくてはいけないか
家族に対してどうしなければならないかが、わかってくるはずです。
それは、各人が各人の環境で学び取ることです。
だから、地球は修行場と呼ばれるのです。
修行を堅苦しく考えてはいけません。
修行というのは、不本意な理由で、不本意な努力の中で苦しんだり
自分が望まない方向に努力を重ねることではありません。


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よろしいですか。
あなた方は、みんな神の子なのですよ。
神の子ということは愛をそのまま表現している
愛でできているということです。
愛の子、神の子が、本来の姿になっていく道、ただそれだけのことなのです。

自分を取り戻し、神から与えられた自らの個性で、愛を表現し
愛の通路となるため、愛の表現形となるために努力していく。
それを、修行という言葉を使ってあらわしているだけなのです。

いいのです。
わからなければ、ときは無限にあります。
自分に与えられた時間がわずかだと思うから、人々の心に焦りが生れる。
愛とは忍耐であり、期間を限定してあなた方がカツカツすることではない。

忍耐であるとは何か。
わたくしたちも、永遠のときの中
人類を指導するために、数々の文明を興してきました。
であるならば、あなた方も、もっともっと忍耐を学んでください。
忍耐というと、苦しいことのように思われるかもしれない。
違うのですよ。
苦しいことではない。
なぜならときは無限にあるからです。
ときは永遠にあるからです。
永遠のときの流れの中で、あなた方は生き続けていくのです。

ですから、今世だけを思うと、恨みも悲しみもあるかもしれません。
それは、あなた方が一時的な条件を抱きしめすぎたー
それは「執着」と呼ばれるかもしれない
抱きしめすぎた結果による苦しみなのです。
人に殺されても、自分が悪いことをしていないなら
肉体を置いて、わたくしたちの世界に帰ってくればいい。
それを地上では「死」といいます。

わたくしは、三年半しか法を説かなかった。
いつの時代でも、生き長らえようとして
それほど命を長く持ったことはありません。
なぜなら、地上にいるとき、わたくしは精一杯、使命を果たすためのみに
自らの生涯を使っているからです。
肉体の幸福を追求することよりも、与えられた大いなる使命
果たせるかどうか自信がないくらいの使命の中にいたのです。
その使命を果たしたなら、売られ、十字架に架けられても
それも良しとしてー
肉体を置いて、わたくしは、天上界の、仲間のいる世界に戻ってこようと思い
何の執着もなく、人生が短かったからといって
いたずらな悲しみを生むこともなく
喜びをもって天上界に帰ってくることができたのです。

あなた方も、そのことをぜひ考えてください。
地上は一時のものです。
実在界と呼ばれる天上界にこそ、あなた方の本体のエネルギーがあるのです。
あなた方は永遠の時をそこで過ごすことができたにもかかわらず
今回の救世の法が説かれるということで
ひじょうに倍率の高かったこの日本という場所に
この地上に自ら出たのです。

出た理由は何だったのでしょう。
それは、この救世の法を通して
地上を愛の星として光らすための大実験場としての今回の機会に
ひとつの役割を果たしたいと
命がけで、この地上に出られたのではないでしょうか。

人生八十年といいます。
わたくしたちのときはもっともっと短かった。
この地上に生きる長さの中で、葛藤の中で、苦しみを持つ必要はありません。
やるべきことをやったなら帰っていらっしゃい。

(2005.7.30レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-07-10 05:43 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(7)

アモールです。
今日は、みなさま方の前で、再び霊言を送ることができますことを
心より神に感謝申し上げます。

いくつか質問がおありのようでしたので
わたくしがお伝えしたいこととまた別に
最初にお答えしておこうかと思います。
聖書にあった言葉についてですが
そのことは、これから話す内容とも
ひじょうに深く関連していることのように思います。
これからわたくしが話すことは、わたくしたちはみんな神の子であり
神の子であるのは、人間であるわたくしたちだけではない。
動植物、地球という自然環境すべてが神の子であり、もっと広げていくなら
宇宙のすべての星々、星雲、大宇宙すべてが神の子であるということです。
わたくしは今日、それを伝えたいと思ってきています。

それを、わたくしがいたナザレの時代
わたくしが叱りつけたから波が収まったとか、わたくしがいるのに
波が荒立つわけはないのではないかと思われるかもしれませんが
そういうことは、わたくしをひじょうに買いかぶったものの言い方です。

わたくしたちは、一人ひとり、みんなつながった神の子です。
神の子としての一体になって織り成す綾のように
ひとつの大きな絵巻物のように
大宇宙をつくりあげている、それが神の子たちの実態です。

自然界には精霊があります。
海には海の、空には空の、そして山には山の
そこに、自由意志をもって生き
己の魂を修行する、神の子たちがいるのです。
ですから、精霊たちの意志を無視して、わたくしがいるからといって
波が荒立たないなどということはありえないのです。

海神の精霊によって海は荒立つもの。
わたくしはあのとき神のメッセンジャーとして
多くの者たちに法を語り伝えようとしました。
なぜ海に、船のほうに出たかというと、群集が押し寄せてきましたから
ですから、わたくしは、距離をとるために船の中に入ったのです。

そのとき、海がひじょうに荒れて、風も強かったので
「わたくしはこれから、神の使者としての話をしたい。
だから波よ静まれ、風よ静まれ」と言ったのを憶えております。
でも、海には海の精霊が、風には風の精霊が自然界にはおりますから
彼らの意志により、吹かせていた波と風、そういうものがあったとしても
おかしいことではないと思います。
その場所を借りて、わたくしは、愛の言葉を、神々の言葉を
地上の神の子たちに伝えさせていただいたという
それだけのことだったのですから
そのようにとらえていただければよろしいと思います。

わたくしは当時、神の使行として
地上に神の言葉を伝える者としておりましたけれども
「神」ではございませんでしたし、あなた方と同じ「神の子」でしたから
神の子として、精一杯、神の使者としての使命を果たすために
多くの者たちに言葉を伝えていた者であると、そのような立場だったのです。
よろしいでしょうか。

愛の段階論について、それと、愛の本質についての質問がございましたけれど
これは今日、わたくしがお話したいメインテーマでもありますから
それは、わたくしの話の中で、お答えしたいと思います。
その中でわからなかったら、またご質問ください。
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わたくしは、「アモール」(AMOR)という名前を神より授かっております。
これは「愛」を意味します。
あなた方の中で、愛ということは何であるか。
長い歴史の中で問われてきたことでしょう。
でも「アモール」というのは単になる恋愛や、家族愛というものではなく
今日レムリアで言われておりますように
愛、アモールの本質とは、宇宙を統べる神の本質そのものなのです。
それは、レムリアを通してすでにお伝えした通りです。

愛というのは何であるか。
それは、宇宙を貫く根本的なエネルギーです。
神が、宇宙の中で壮大な摂理として行われている、法則そのものを言うのです。
多くの人々を、ただ無償の姿で、あるがままに受け入れ
相手を生かそうとするエネルギー、それを「愛」というのです。
そのエネルギーが、宇宙に満ちています。

個人的な、家族的な、地域社会の中の愛を
わたくしたちは初歩的段階として学んできました。
でも、ミクロ的な部分からマクロ的な部分に進むなら
我々太陽系だけでなく、銀河系、小宇宙、大宇宙という、大いなる神の体
その表現体として大宇宙が存在する
その根本原理に愛のエネルギーというものがあり
この宇宙の隅から隅まで内在し、生かしめている力であるということなのです。

そこで神は、あなた方が気づくはるか昔より
宇宙の中で、地球に対して恒星という太陽をもたらし
太陽の恵みをあなた方の地上に与え、酸素や、オゾン層をもって
人類を、生物を、神の子を守ってこられたのではないでしょうか。
これは、ほかの宇宙においてもそうなのです。
そして、それに今、わたくしたちがやっと気づいて
生かされているということに気づきましたが
何億年も昔から、神はただ無私に、愛ひとすじに、見返りを求めず
無心のエネルギーで、大宇宙の生きとし生けるもの
神の子たちを育んでこられた。
これが神のお心そのものであり、神の摂理なのです。

あなた方は、愛について
見返りを求めたときに愛は死ぬということを学んでいますね。
愛というものは、ただ相手のあるがままを受け入れ
無心に与える一方になって、与え続けていくものです。
そこに、愛の本質がある。
そのことを、大宇宙の創造原理を通し
この宇宙の中において、神は表現されているのです。

もし、この地上にから太陽がなくなったら、と考えてください。
あっという間に人類は凍え死んでしまうでしょう。
酸素がなくなってみたら、と考えてください。
あなた方は10分と生き続けることはできないでしょう。
オゾン層が破壊されたら、あなた方は紫外線にさらされ
いろいろな宇宙線の影響で、あっという間に死んでしまうことでしょう。

あなた方がそのことに気づくはるか昔より、神は語らず、無心に愛を与え
あなた方を生かしむために
愛のエネルギーであなた方を守り続け、育んでこられたのです。
これが愛の根本原理です。
愛というのはそういうものです。
それを、神が、宇宙というこのお体を通して教えくださっている。

最初に「思い」がありました。
神の、ご自分の愛の表現としての地上を、宇宙を創造される
最初の「思い」がありました。
最初に言葉ありき、最初に「思いありき」なのです。
その「思い」で、ご自分の愛の表現形としてのこの大宇宙を
ビッグバンとともに創造されたのです。

だから、その愛を「宇宙」と申しますし
神は最大の芸術家であるとも言われるのです。
愛の中から、この宇宙すべてが生まれているのです。
隅から隅までの星々、恒星、衛星
星の上に息づくすべての動植物、鉱物に至るまで
すべてが、神の愛の摂理と、愛の思いで生まれた、神の子たちなのです。

愛の思いをこめて、神はすべてを創造されました。
それを育み、保持し、生かすために
それに気づこうと気づくまいと、愛を注ぎ
すべての大宇宙を生かそうと、無償の愛で
すべてを今日まで育んできたのです。
地上における、神の子たちの修行場として与えるため
地球も存在しております。
そうなるように生まれたのです。

神の叡智、摂理として「原因結果の法則」は
あなた方はもう知っているでしょう。
自分がしたことは自分に戻ってくる、そういう摂理があります。
そして「親和性の法則」があります。
同調するもの同士が引き寄せ合うという法則があります。
そのような摂理の中、神の無限の愛が、この宇宙を隅から隅まで貰いている。
わたくしたちを生かしているのは、神の大いなる慈愛の思いであるということ。
愛のエネルギーであるということ。
そのことを学ぶ時期がきたのです。

地球は、神の子のひとつの惑星として誕生しました。
その使命を持たされて、この宇宙に存在しています。
わたくしたちは、さまざまな未熟な段階で
自らが何であるかということを学ぶために、神の子としての意識を磨き
自らを神の通路として、神の表現形として発散するために
この修行場を与えられたのです。


アモール:イエス・キリストとしてイスラエルの地に肉体をもち、愛の教えを説いたことで知られる。アトランティス時代には、アガシャーという名の指導者として愛を中心とする教えを説いた。天上界では白色光線(愛)を担当し、さまざまな指導方針を決定する役割を担っている。

(2005.7.30レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-06-22 09:03 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(6)

私、イエスの所属する光線の中では、愛というもの
その中で「慈しむ」というものをもって法の骨格としております。
それゆえ、病で苦しみ苦痛でのた打ち回る者たちを優しい眼差しの中で
その苦しみを軽くし、人びとを救わんとする、その医療行為をもって
人びとを幸せにし、慰めていくという
その使命があるのもホワイト霊団なのです。
だから私のもとに所属をし、私のもとに帰依しているということをもって
彼らが白衣をまとっていることも事実なのです。

そして、ここにもお医者さんがおられ
介護をしている女性がいるということも私は知って
今日は来ているのですけれども
あなた方に、ぜひぜひ、お願いしたいことがあるのです。

苦痛を和らげるために、地上の肉体的病というものを癒すために
たしかにあなた方の仕事はあることでしょう。
たしかに肉体の苦痛にのた打ち回っていては
やはり「愛ある許し」ということのできるようなゆとりはないはずなのです。

しかし、どうか、いちばんの不幸は、肉体的苦痛ではなく
魂を腐らせ、見失っていくことのほうが
どれだけ本来、不幸であるかということ。
その観点に立ちまして、病というものと、病を治療するということ
介護をするということを見守っていただきたいなと思うのです。

肉体だけをいたずらに延命させ、肉体だけをいたずらに治療し
薬漬けにすることをもつて
その人の苦しみを癒し、愛で包むということではないのだということ。
永遠に生きるのであるならば、永遠に修行したほうがよいのであるならば
神は肉体の寿命というものをもっと長くされたことでしょう。

しかし、やはり、どんなに生きても八十年、九十年
短い方では二十代、三十代で亡くなられる方もあるのです。
しかし、それは悲劇ではないということ。
どのように限られた天命の中で、寿命の中で、己の修行をし
どれだけ光を発信し自分自身の本来の仕事をなして
そして、その寿命の中で、無事に魂を輝かせて還ることができたか。
そのための修行のひとつの道具として
この肉体というものが与えられたのだという、深い感謝をもって
この地上を修行する、そのような大事な道具であるということ。
そう思って、肉体というものを見ていただきたいのです。

ですから、たとえば、野球の名ピッチャーと呼ばれている方であったとしても
自分の大事なボールやグローブ、バッターであるならば、大事なバット
そういうものを軽んじて粗末にしたら名選手にはなれませんよね。
やはり、卓球をしたり、テニスをしたりする名選手と呼ばれている方も
音楽家でもそうです。
大事なヴァイオリンを、大事なピアノを、どれだけ慎重に選び
そして手入れをし、慈しんでいることでしょう。
それと同じなのです。
肉体というものは、そういうものなのです。

二十代で還ることを良しとして
設計された人生を迎えられた方がいるのです。
そして、そういう肉体において、最後、ピリオドを打つには
やはり、病というものをもって、終止符を打つ場合が多いのです。
交通事故で亡くなる方もおられます。
沢山おられますけれども、最後にどうですか
人生計画を立てて、地上に降りて来る時に
最後、車にひかれるをもって、ジ・エンドというふうになさる
そのような計画を立てられるでしょうか。

やはり、その時期が来たら、生命体というのは、自然に
自分でセットされた爆弾が、自然に爆発するかのように
ある一定の状況というものを細胞変化の中で起こらせ
そして、その肉体に終焉をもたらすものなのです。
それは静かな、ある意味で自爆的な死というものを
自分に引き起こしているのです。
それが病の根源である場合もあるのです。
そのような、いろいろな意味をもって
人生計画というものを立てているのです。

ですから、どうかお医者様は、いたずらに長く苦しみを引き延ばしたりとか
延命だけのために、病気と不必要に戦わせるという態度を
どうか考え直していただきたいのです。
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何がいちばん大切なのか。
いちばん大切なのは魂であり、肉体ではないということ。
魂はまた、輪廻転生で生まれ変わればいくらでも別の肉体は与えられます。
しかし、それにより、不必要に魂が傷つけられた時
その魂を復活させるのはたいへんな年月を要し
傷ついた魂を修復するということは
本人にとってもたいへんな苦しみを伴うことなのです。

ですから、最後、看取る時に
マザー・テレサがなされたように、最後、彼女は延命はしませんでした。
最後、死に行く時に、死んでいく者たちの手を、彼女は両手で握り
そして、安らかに
人間としての尊厳の中で、魂を天上界に送り出して行かれたのです。
それが神のもとへ、確実に送り届けるという手段であるということを
彼女は信仰心の中で知っていたのです。

だから、肉体だけが人間であり、肉体の苦痛を救うことだけをもって
病める人びとの幸せがあり、それがホワイト霊団の目的であり
医療行為の全てであるというふうに思われぬこと。
魂を救い、最後、時間の流れの中で、この肉体の終わりをもって
死を迎えるのであるならば、どうか、「その生きてきた人生に幸あれ」と
そして「安らかに神の国に旅立たれよ」と
そのような思いをもって苦痛を和らげ
見送ってあげるという愛の思いで
その肉体生命の終焉を看取っていただきたい。
そのように介護していただきたい。
いたずらに戦わないでいただきたい。
戦ったり、いたずらな延命や、いたずらな身内の嘆きや執着というものは
その魂を迷わすことになるのです。

私たちから見れば、神の国に戻って来ることのほうが
この地上界、殺伐とした地上界に長らくいるよりも
よほどその魂にとっては救いになり
これ以上いたならば、どれだけ傷ついて
これ以上いたならば、どれだけ自分の魂を汚してしまうのかという
さまざまな状況がある中で
今いちばん、還るのがよいと本人も決め、守護霊も決めたからこそ
そのような病気が起きているのだということ。

そうでない病気もありますよ。
不摂生によって行われたこと
一時的な事故や、一時的な薬害、薬などにおいて起きてしまったような
そのような病気は、最善の治療策をもって治してあげていただきたいのです。
しかし、その魂において、その肉体において
セットされた時限爆弾が爆発するように、癌とか肝臓病とか
そういう致命的な病気が起きてきた時は
患者本人の苦しみの中で、最善の治療をする中で
「今は、そのホスピスというところで死を迎える」ということを
正面から受け入れさせ、その患者の魂の指導をするということが
医療の一部として出てきてはおりますが
もっともっとお医者様たちには
そのシステムというものを開発していただきたいのです。

医療系の方たちというのは、ひじょうに知的に優秀であり
理論的な方が、理数系の方が多いですから
やはり、目に見えぬ世界というもの、魂の実在というもの
本来は、自分たちが戦っている
「肉体物質というよりは、魂のほうが優先されるべきだ」という理論に
なかなか同意できない方々が多いのは事実なのです。

しかし、ここにおられる方々のように、法を学び、G会やK会というもので
我々の生の声を聞き、魂が永遠で、生き通しであり、幾転生をし
本来、何がいちばん価値があるか
ということを学んだあなた方であるのならば
多くの人びとを看取るという方法においても
もっと心のケアと申しますか、魂のケアにおいての方法というもの
見送るということ、マザー・テレサが行ったようなことを
もっと高度に、医療システムの中に取り入れていただけたらと思うのです。

肉体というのはひとつの道具であるのです。
どんなに愛して、どんなに手入れをしていても
使い込んで古びていって、折れてしまったバットでは球は打てないのです。
折れたバットは、「ありがとう」という感謝を込めて
処分するべき時期が来たというのも、また、事実なのです。

そのように、肉体というものをお考えいただきたいのです。
人間の肉体をもって、人間の尊厳があるわけではないのです。
魂の輝きをもって、神の子人間の尊厳があるのだということ。
それをどうか
医療の中に少しでもよいですから輝かせ、活かしていただけたならば
この私の気持ちも、多くの医療系団の方々の具体的なお仕事として
レムリアの仕事として、花咲いていただけるのではないかと、私は思います。

(2004.8.21レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-06-05 08:44 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(5)

私がそのような話をすると、たいへん驚かれるかもしれない。
しかし、そのようなことを語ることも、また、私の使命のひとつであるのです。
そのような惑星から来たということ。
この者が、そのような惑星から来た者であるということ。

そしてまた、その修行をこの地球において
この地球を芸術的に彩るという使命を終えたのならば
また別の要請される惑星に行って
「真実」と「美」と「愛」と「芸術」というもので貢献するという
そのような使命の発達段階において
また別の惑星に行くという人たちもいるのです。

そして、この地球における修行を卒業し、学んだことというものをもって
さらに高度な惑星に行って修行し
愛というものを、芸術というものを表現していかれるのです。
それは、それぞれの惑星からの人びとも、皆、同じなのです。
秩序と礼節というものを持って、この星に来られて移住し
使命を果たされる方もおられます。
そして智というもの、ゼウス的なものを持って来られた方
ベーエルダから来られた方、いろいろな方々がおられるのです。

皆が皆、移住されるわけではないのですが、どうでしょうか。
小学校卒業のレベルを持っているにも関わらず
小学校が大好きだからといって、いつまでも中学校、高校、大学に行かず
いつまでたっても小学校にしがみついていることが
その人のためになるでしょうか。

そうではないはずなのです。
ですから、地球での修行が終わっていくならば、次の別の惑星へと移って行く。
しかし、それは一人、二人では行けないのです。
やはり霊系団として、ある程度集まって
お互いに、その星の人口を受け入れるという
お互いの、宇宙界同士の協議と承認をもって他の惑星に移って行くのです。
受入先の許可も要るのです。

ですから、ある一定の周期の中で、卒業生というものを大量に送り出していく。
そのようなシステムがあるということ。
それは我々の世界の秘密であり、あなた方に明かされてはいなかったのです。
かつても、そのような卒業をしていった者たちが地球の中にもいたのです。
私たちは見送ってきたのです。

そしてまた新たな別の星から、地球的に言うのであるならば
アフリカとか、アンデス山中の未開地のような所に、他の惑星から
まず、人間としての修行形態の基本的なものを身につけるという意味において
受け入れている魂集団も、他惑星から来ているということも事実なのです。

そのようなことをあなた方は認識し
これから宇宙時代の幕間けが来るということ。
波動理論において、多くのあなた方が考えている
想像を絶するような生命体というものが他の惑星にもいるということ。
今、地球人が到達している科学レベルが全て万能であり
地球以外には、他の惑星には生き物など、生命体などいないなどという
思い上がった考え方から、人びとの無知蒙昧な
ある意味での物質中心主義的な、唯物的な
誤った信仰心から解き放たねばなりません。

そうでなければ、あまりにも幼い発想を持って宇宙に行ったら
笑い者にされてしまうのです。
それが地球系神理として示されるために、数々のスピリチュアリズム
そして、いろいろなUFOとか
宇宙人とのコンタクテイを通してのさまざまなことが
今日的に語られてきているのです。
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OR氏の降ろした法の中にも、宇宙の構造、次元構造、他の惑星のこと
そういうこともしっかり語られているはずなのです。
宇宙界の秘密と神秘というものを語れるのは、宇宙界の者たちなのです。
宇宙界に所属している、八次元上段階から九次元の者たちにのみ
それを言う権限というのが与えられているのです。

どうか理解していただき、このような時期が来たということ。
そういう時期がやっと来たからこそ、エル・ランティにおきましても
私におきましても、他の九次元の者たちにおきましても
この「ステップアップの時期」という言葉を使うのは、そこなのです。

このステップアップの時期を、みすみす無駄にしたくないと
かつての母星から来た者たちに、我々もこれだけ頑張って努力してきたのだと
これだけ地球人も素晴らしくなってきたのだということを評価していただいて
宇宙の一員として、この地球を認めてほしいと
そのような時期にきているのだということなのです。

しかし、第一、第二の計画が挫折し
そして、第三の計画の後がないということも、また、事実であるのです。
過去、いくつかの文明が、その中で滅びていきました。
今回こそ、滅ぼさせることはないと言って計画を立てたのに
やはり、このような結果になってきてしまった。
けれども、我々は三番手として、今回の計画を立ち上げることを決断し
そして、そのために全精力を、天上界の神々が一丸となって
あなた方のバックアップをするという大号令をかけております。

ですから、この、あなた方に霊言を降ろすという時
今日の、ひじょうに記念的なこの集会において、多くの神々が降臨し
多くのことをメッセージとして語り、告げようと来ているのです。
このような頻繁な密度で、このような次元の者たちがメッセージを送ったことは
かつてなかったはずなのです。
そして、私か語るような内容が、語られたはずはないのです。

それは、今回来た、五人の方々をもって
このレムリアの、私がかつて弟子と認めたように
十二人の弟子たちをもって、天上界が承認し
決意表明をしたということなのです。
ここがそろうまで、我々は、このことを語るのを控えていたのです。

ですから、今日、あなた方が来たということをもって
天上界の諸霊は次から次へと、こぞって
いろいろな激励の言葉を語りに来ているのです。

ですから、どうか迷うことなく、今まで私たちが語り伝えたことを血肉として
あなた方の言葉をもって、地球系神理の集大成を練り上げるということ。
正しい神への道筋を語り伝えるということ。
それをどうか、あなた方の最後の仕事として、卒業試験として
今生の修行の総結集として、あなた方がやっていただけることを
私はここに、切にお願いに来たのです。

私は今日、「宇宙の観点から見た地球」
そして「宇宙系神理における、今日の地球系神理の、今の時期」
というものを語り伝えたのでございます。
それを語るのが、私の属性でないとお思いかもしれませんけれども
もうそろそろ
そのようなことからは脱皮していきたいなと思っているのです。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-05-12 16:28 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(4)

我ら、救世主と呼ばれている九次元というものは、別名「宇宙界」と申します。
宇宙界というのは、他惑星、他の銀河とつながっているということなのです。
そういうことを明かされたと思うのですが
八次元の上段階から九次元においては宇宙界と申します。

他の惑星、他の太陽系、他の銀河にも我々には友人がおり
そのような星々の間で密に連絡をとりながら
次にこの星に来て修行したい者たちを受け入れたり
また、我々の星の中で修行が終わった者たちを
他の惑星のほうに送りこんで移住させ
さらなる魂の進化発展ということを常に計画しているのです。

それが宇宙界といわれる我々の仕事内容なのです。
あなた方が神と思い、神よ、神よ、救世主よと呼んでいる
私たちの仕事内容はそれなのです。

他の惑星に行きますと、私たちのような者
まあ、私たちのようではないにしても
ほとんどが菩薩界以上
ないしは如来という者ばかりが住んでいるというような
高度な星もあるのです。

さきほどから聞いていますと、それこそ、この地上におきまして
東大とか、そのように難しい学校の大学院のレベルに相当するような
ほんとうの意味で、神の子としての大学院にふさわしいような者たちが
住んでいる惑星もあるのです。

そこにはもう、戦争もなく、愛と調和があり、互いに生かし合い
神のために貢献し、真実なるものを語り、慈しみ合い
そして、神というものが偉大なる芸術家であるという意味において
高度な芸術的表現を行いながら、そして、深い愛と慈悲の思いの中に
自分たちの惑星だけを彩るのではなく、他の惑星に行って
他の惑星の進化発展のために貢献したいと思って
移住して行く者たちもいるのです。

言ってみるならば、この方が来たオリオンという星も、そういう星なのです。
ひじょうに科学文明が発達し、神理もひじょうに深く浸透し
そういう社会的も安定した、もう戦争、殺りくがないというところ
そこにおいてこそ、文化というものは爛熟し
芸術というものは発展していくのです。

だから戦争や殺りくというものがもうない、そういう惑星の中で
ひじょうに「真」「善」「美」というものを極めた
そして高度な科学文明というものも発達した
そのようなすばらしい調和された惑星が、この方の住んでいた星なのです。

我々が新たに授かった惑星地球において
一から「ユートピア地球」というものを
創りたいということにたいして招霊されて
その使命を帯びた者たちが、そこから大挙、来てくれたのです。
ベーエルダといわれている、エル・ランティという方がおられた星も
たいへん高度な星でした。
そしてオリオンといわれていたこの星も、たいへん文明が爛熟し
ひじょうに高度な生命体が、精神的にも豊かな者たちがいた惑星なのです。
私はそのような星に、いつか地球もなってほしいと
願わずにはおれないものなのです。

神とは、「宇宙を統べる根本的な愛の法則」のこと。
そこまで究極的に言いつめるならば
「人格など持たない、根本的な愛の摂理そのもの」が神であるのです。
それを認識するには、今までの人類では幼すぎ
それを聖書の中で語るには
あまりにも人びとの認識力が不足していたのです。

だから私たちは、その時代時代の方便の中で、モーゼは十戒というかたちで
私は山上の垂訓という中で、仏陀は八正道とかいろいろなものを通して
無学であった多くの人びと、迷いの多い人びとたちに
神への道筋の、初歩的なステップというものを伝えたのです。

しかし、そのようなものは終わっていって
これからは高度な「神との遭遇」というもの、「神との出会い」というものが
真実というもののベールがはがされていく時代が来るのです。
それが宇宙時代の夜明けというものであり
我々は、あなた方を無知蒙昧だと思って見下し
ほんとうの真実を明かさなかったという
意地悪をしていたわけではけっしてないのです。

愛というものがいちばん大切なものであると。
目に見えない神を信じる信仰心がいちばん大切であり
それを信じる者が本来の正義であるということ。
ひじょうに初歩的な神理ではあるかもしれませんが
小学校の子供に教えるかのように、それを噛んで含めるがごとく
何度も何度も学習させながら、練習問題を解くように
各文明を興しながら人びとに教化してきたのです。

しかし、これからはもう、そのような時代ではないのです。
愛と慈しみをもって、そして認識力と共に、科学文明と共に
宇宙時代の幕開けというものを切り開いていく。
そのような時代がこの地球的な流れの中で、地球文明の中で要請されている
私たちが宇宙界の者であるということがほんとうの意味で明かされていく
そのような時代であるということなのです。

あなた方は、我々が、そのようなことを言うと戸惑われるかもしれない。
私が出て来れば、手に穴があき、足に穴があき
白い着物を着た、やつれた、痩せた男が出て来ると
お思いになっているのかもしれない。

しかし、天上界で指導している、イエス・キリストと呼ばれている
インマヌエルというユダヤの時代にいた男は
もう天上界で指導はしていないのです。
そのようなものは、ひとつの経験として
パーニャパラミタのひとつではありますけれども
私は、本来のイエスの本体
アモールと呼ばれる生命体として活動しているのです。

あなた方の認識においては、私が最初、地上に来た時
私は地球の者から見たら宇宙人であったのです。
宇宙人が神であるとは言いません。
私も今は、地球の神のひとりです。
そして、地球人なのです。
愛する地球を授かり、そこで修行し
地球と苦楽を共にしてきた、そのような者なのです。

でも、地球にしか生命体がいないとし
地球以外には神の愛など届きはしないのだという
そのような、あまりにも幼い、無知蒙昧なところから
人びとを解き放たねばなりません。

他の惑星にも、他の宇宙にも素晴らしい人類はいて
さまざまな地球以上の文明が興っているのだということを
もう知らなくては遅いのです。
そういう段階に入ってきたということを、今、私たちは告げているのです。
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そして、これからいろいろなことが起きていくでしょう。
悲劇的なものがあるかもしれません。
世の中には天変地異というものもあり
そして貧困、戦争、殺戮ということが
数々の悲しみが、この地上界にはあるのです。

しかし、どうか皆さま方
このような苦しみをあまり抱きしめないでいただきたいのです。
これは流れ、通過していく。
次に希望ある時代が開ける
幕開けとしてこのようなものが出ているのだというふうに
思っていただきたいのです。
私たちは、やはり、愛と共に生き続けるうえにおいて
必ずや、地球を愛の星にして生まれ変わらせてみせるという
信念のもとに指導しているのです。

オリオンという惑星には、羽根の生えた者たちが住んでいたといわれて
あなた方も聞き及んでいることでしょう。
彼らが、なぜ羽根で飛ぶことができたか。
それは我々が考える以上に、科学的な論理
今、地球で常識とされているものが違うのです。

あなた方が原子と信じ、あなた方が物質と信じている
その重力、その物質構造において
あなた方から見たならば、三次元と思っているかもしれないけれども
彼らは精霊界、四次元ぐらいのエーテル体と呼ばれているような
肉体を持っていたのです。
だから、ひじょうに軽やかな肉体を持っていたのです。
霊界と呼ばれている見えないものでもないのです。

ただ、この三次元だけではなく
四次元、五次元というこの地球におきましても
霊天上界というものにおきましても、波長同通の法則において
光の粒子、そのエネルギー波動の質の違いにおいて
四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元という階層が
できているだけなのです。

それを惑星意識レベルに広げてみるならば他の惑星は
私たちが考えているような三次元波動の中で物質化しているのではなく
目に見えないと信じているかもしれないけれども
単に私たちから見たら波動が違うだけであって
実は別の波動で見たならば
生命体が生きていたということもあり得るのです。

だから、今の地球の科学者だけが目に見えないから
その惑星には人類はいないのだ、生命体はいないと思っていると
それは単に波長をキャッチできぬだけのことかもしれないのです。
それぞれの惑星には、それぞれの使命があって生み出されているのです。

根本的な宇宙の神のいたずらやきまぐれで
惑星や星々が誕生するわけではないのです。
しっかり、その意図があり、目的があり
宇宙の中に、それぞれの惑星や恒星、衛星というものが
生み出されているのです。
そして、その中で一定の基準において人類というものが
それぞれの、そこに住まう修行の場としての生命体というものが
必ず用意されて
その修行場としての使命を果たしているのです。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-04-29 14:19 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(3)

私たちにおきましても、今、エル・カンタラーが自分の責任を感じ
エル・ランティに、この第三の計画の最終的な責任、権限というものを譲られ
私と共に、今、この第三の計画というものを練りに練っております。

そして今、マヌという方も地上にいて霊的に、相当強力に補助をしてくれ
マイトレーヤー、ゾロアスター、クートフーミーという方々も
次々と表面に出てくることにより
今、九次元の法を地上に降ろそうとしているのです。

九次元の法が、地上に次々と明かされるということは
けっしてもの珍しく、奇をてらうために出したというのではなく
九次元がこれだけ総力を挙げて
あなた方人類を守っているのだということを
人類に明かそうと思って出て来ているのです。

ですが、やはり地球的な神理をつくるという意味においての骨格というものは
もうすでに、我々の世界で練られているのです。
そういう神々が降りられたからといって
別にバラバラのことが説かれるわけではないのです。
多分、今まで出て来られなかった九次元が出て来られたとしても
我々の世界の中では、個性に応じて
そのいろいろな表現形態はあるでしょうが
やはりひとつの統一理念の中で、我々は語っていくはずなのです。

もし、マヌという方、マイトレーヤーという方、クートフーミーという方
ゾロアスターという方、それぞれが、その文明の責任者として
その時代の法というものを自由に練られるのであるのなら
もっと別の説き方をされたであろうと思うのです。
しかし、彼らがパラパラなことを言ったのでは
地上の者はますます混乱するので
やはり、我々の世界で統一理念というものを九次元の中でもまとめあげまして
そのうえで九次元の、それぞれの個性を通して皆さま方にお伝えする
そのようなことを計画しているのです。

ですから、今回の計画から著しく外れたようなことにおきましては
やはり、答えは明かされない
まだ時ではない、というお答えの仕方をすることはあるかもしれません。
九次元十人がバラバラのことを言い出しては
あなた方は何を神理として信じていいのか
大混乱してしまうのではないかと思うのです。

その意味におきまして
近世、高橋信次という方、エル・ランティが肉体を持たれ
高橋信次という方がこの、今の日本人の心というものを
理解しておられますので、そのことを踏まえたうえで
やはり高橋信次という方が説かれたことをベースにして
新たな再編纂という、法の骨格というものを我々がもう一度練り直したのです。
そのうえで、今、九次元が現れてきているのです。
そのように法というものをお考えいただきたいのです。

それを信じて、あなた方は受けて、我々の言葉を伝えていただきたいのです。
さきほど天照大神という方のお話を伺っておりましたが
もう、日本神道というところから「日本」という名を取り外したいと
そのように、日本の神々ですらおっしゃっておられるのです。

もう日本が、ヨーロッパが、ナザレ、エルサレム、ユダヤが
そして中東のアラー、イスラム圏が、という言葉の垣根をすべて取り払い
国境という意識ではなく、統一された地球
ひとつなる地球としての統一意識として法が説かれる
やっと、そういうグローバルな意味での
法が説かれるという時代がやってきた。
そのように我々としてはとらえているのです。
その試みであるのです。
その実験でもあるのです。

科学文明がピークに達したとき
そのときに、本来の信仰心というものを天上界から降ろし
「愛」と「真実」と「正義」というものを通して
人びとの心に法を説いていくということ。
それを科学文明と合体させて、次のステップに上がるということ。
それが、地球という惑星の使命を卒業して
あなた方が卒業して次の段階に上がっていくということ。
それが、今の地球という修行場に課せられた使命なのです。
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前に、幼稚園、小学校、中学校、高校という修行揚があって
それぞれの惑星の中に、それぞれの星々の中に
修行場としての位置づけがあるということをおっしゃった方がいたと思いますが
地球としての、もう、そろそろ
修行場としてのステップアップということも考えているのです。

今までのような段階ではいけないということ。
ただ、科学というものが発達すると
エル・ランティといわれる方が来たその星においても
科学文明というものが信仰心となかなか共存し得ないということ。
そのような悩みというものが、どの星の中でもあったと思うのです。

でも、あえてそこを連結し、次の高度な修行場所というものを
この地球系神理として打ち立て
そのようなものが、共存し得るということを実験的証明の場として
この地球というものを通して
「地球教」として宇宙に発信したい。
宇宙の一員として、こういう姿もあるのであるということを
我々はかつての仲間たちに見せていきたいという思いがあるのです。

あなた方の文明において、モーゼはモーゼでありましょう。
私はナザレのイエスでありましょう。
仏陀はインドの釈迦でありましょう。
でも、かつての文明において、かつての大陸におきまして
私たちは、そのような名で呼ばれた者ではないのです。

今の文明におき、この者(アマーリエ)はどうでしょう。
ギリシャの女神と呼ばれているのかもしれません。
でも、かつてアトランティスの時は違う名で呼ばれていたのです。
そしてレムリアの時は、また別の役職を負っていたのです。

そのように思うのであるならば、ひとつの今回の文明におきまして
それぞれの名前で呼ばれるという、神々の姿というのはありますけれども
その過去の業績において
神格というもの、霊格というものが授けられてはおりますが
しかし、そのような今回の文明だけの
目の前だけの短絡的な位置づけと価値観だけで
あなた方は私たちをとらえて、私たちを神と呼んではいけないのです。

我々は指導者であるということ。
それを宇宙の一員である、高度な宇宙文明の宇宙人たちは知っているのです。
自分たちが、根本的な宇宙の法に生かされている一員であるということ。
そして自分の惑星も、大いなる指導者により、宇宙の根本法の中で生かされ
自分たちが他の惑星の進化のためにも貢献するのであるといって
円盤に乗り、多くの惑星をまわりながら
未開発である進歩・発展途上の星々に行き
様々な指導を行っている者もいるのです。

そのような宇宙的な観点を持つのであるのならば、国境という狭い認識力の中で
自分たちのローカルな神々ということだけで傷つけ合い、戦争をし
殺し合うというような愚かなことは、もうこういう宇宙人の中にはないのです。
そのような段階に、まだ地球があるということ。
そのような、まだまだ貧しい心であり、幼い心の段階であるということ。

幼いは幼いなりに愛おしさもあるのです。
わかってほしいと願う部分もあるのです。
しかし、そろそろ、いつまでも、そのような殺戮と愚かな幼い判断力により
自分たちの仲間である神の子たちが殺し合っていてはいけません。
そのようなことのために、我々は数々の文明を興し
幾多の指導をしてきたわけではないのです。
そのようなことが、もう、払拭され
我々は自分たちの出身を、出どころを明かしながら宇宙文明の一員として
この地球というもの、地球人としての自覚をうながしたいと思っているのです。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-04-11 12:58 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(2)

神というものをどのように切り分けたらよいのかと
さきほどおっしゃっていましたが
神というものは、本来、私たちのような人格神のことをいうのではないのです。

私たちは救世主、メシア界というところにおります。
宇宙界と呼ばれる者たちもおります。
如来とか菩薩とかいう
諸天善神といわれる方々が沢山いる世界ではございます。

しかし、私たちもやはり、永遠の修行を続けていく、そういう旅人であり
そのような人格霊であり、光の天使であり
一人ひとりが神の子であるということ。
その意味においては、あなた方と何ら変わりのないことなのです。

そして、私たちがほんとうに神と仰ぐのは「宇宙の根本的な法則」であり
「根本的な宇宙を内側から生かしめる
大いなるエネルギー体そのもの」を神といわれるのです。

地球意識、太陽系意識、銀河意識、宇宙、大宇宙の意識と
はるかに、上には上があるのはわかっているのです。
しかし、そのような上にいくような者たちですら
各修行の旅路についている者であるということ。
この宇宙を統べる根本的な、大いなる愛ある法則
それが神本来であるのです。
けっして人格的な立場があり、人格的な限界があるというもの
そういうものが神ではないのです。

人類はもうそろそろ、そのことを知る必要があるのです。
それを知らなければ、宇宙文明の仲間入りはできないのです。
一人格をとったナザレのイエスを、神よ、神よ、と崇め奉っているようでは
宇宙文明の者たちの一員として
この地球が認知されるということはないのです。

我々も、かつて宇宙船に乗り
さまざまな星から招霊されて来た者たちなのです。
ですから、それを打ち出さなかったということは
けっして我々が知らないのではなく
そのようなことはわかってはおりましたけれども
まだ、あなた方に伝えてもわからなかったであろうということをもって
我々が神という、神近き、神の代弁者という立場をもって救世主であると名乗り
高級神霊という名を持ち、神々や神社仏閣の神々として
菩薩や如来が降りて行ったということが事実なのです。
しかし、この、今までの地域的な宗教の発達段階が終わり
総合的な地球の宗教というものが
これから集大成を迎えようとしているのです。

ですから、この者に最初、私が通信を送った
イエス・キリストの霊示の中にあったと思うのです。
もう一宗派、一宗教という狭いものは何の用も足しません
ということを私は申し上げたはずなのです。
それが、そういう意味なのです。

キリスト教において、詳しく聖書を知っている、私の山上の垂訓を知っている
仏陀の般若心経を知って、パーニャパラミタを知っている
モーゼのユダヤ教を知り、マホメットのコーランを全部読破できる
言うことができるということが
これからの時代には、それは基盤ではあるかもしれないけれども
それが一度るつぼに投げ込まれ
統合されていく時代がこの時期であるということなのです。
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あなた方の世界にもあるでしょう。
一学期の試験があります。
中間、期末テストというものがあるのでしょう。
二学期で中間期末があるでしょう。
三学期もあるでしょう。
でも、最後に学年末試験というのがあるでしょう。
それと同じかもしれません。

そして中学校であるならば、中学校の卒業試験というものがあり
高校にも卒業試験があり、大学にも最後、卒業試験があり
どんなものでも卒業試験という、トータルなテストがあるのです。
そういう意味で、地球というものが大いなる永い時のスパンの中で、周期の中で
今、地球教としての、ひとつの統一的な神理というものが打ち立てられ
それが地球系神理としてひとつになり
それをもって、宇宙の一員としての仲間入りをしていくという
そういう時代というものが、今日、計画されているのです。

そこまで、仏陀が望んでいた、計画していたものは大きかったのです。
そのようにお考えになられれば
なぜ、高橋信次、エル・ランティ、我が父よと私が呼ぶような方が
露払いに地上に降りて行かれたのでしょうか。
そして仏陀自体、自らが下生し、法を説かれたのでしょうか。
二千六百年前のインドでの法を、また再現するだけであるのなら
わざわざ、またこの時代にやって来ると遺言を残し
このようなかたちで、また下生することはあり得なかったと思うのです。

どうか、皆さま方、わかっていただきたいのです。
このような時代に、いかに今回の法が説かれるということが
どれだけ価値があり、どれだけ我々が待っていた
大事な、大事な時期であったのかということ。
そうでなければ、九次元がこのように立て続けに出て
法をダイレクトに伝えるということ
そして天上界の諸々の神々というのが、次々と霊示を送って
このようなかたちで、前回のK会におきましても
いろいろな高級神霊が霊示を送るということはあり得なかったのです。

そして今回の、第三のレムリアの計画においては
かつて九次元におきましても、隠れていた
今回は補助という立場で影に隠れていた九次元の方々までが全員出て来られ
そして総力を挙げて、この地球の進化のために法を説こうと
多くの人びとに、直接的に、ダイレクトに法を説いていこうと決意をした
そのような背景があるわけなのです。

たいへんな時代であったということ。
たいへんな時期であったということ。
この地球の、地球意識が病み、地球自体が危機的な状況にあるという
ここまで放置し、ここまで来させてしまったという責任は
地球人類全てにおきましても
また、その責任をとるべき立場にある私どもにおきましても
ひじょうに深い責任感と申し訳なさというものを
地球意識に対しても私は感じているのです。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-03-29 07:17 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ

ひじょうに不幸な土壌の中で、仏陀という方は下生せられ
そして今回、法を説かれたのです。
やはり、幼きころよりの家庭環境、そしてこの地上における教育
そして身の回りにある方々の影響を受けながら
時代というものの影響を受けながら
彼は彼なりに頑張って法を説こうとされた。
そして、我々も精一杯、その彼を信じて呼びかけをしたのです。

そして、彼はそれなりにパーニャパラミタを開き
天上界からの仏智である法を降ろし、精力的に
今のあなた方のようにテープ起こしをひとりでし
そして、そのあと来た仲間と一緒に一生懸命
書籍を出そうとしてくれたのです。

私は彼の初期のころの覚悟を
彼の最初のころの情熱に満ちた、頑張ろうという
我々のために一生懸命報いようと思って頑張ってくれたあの姿が
けっして嘘だとは信じたくないのです。

一生懸命、私たちの言葉を聞いていた青年の
まだ若きORという者の眼差しを私は見ています。
そして、信じていました。
けっして、最初から間違っていたわけではないのです。
最初から間違って悪として生まれて来る者など、誰もいないのです。

しかし、そのような者であったとしても
心得違いをして魔に魂を売り渡したとき
いかなる私たちの世界の仲間であったとしても
このような哀れな姿になってしまうのだということ。
それを我々は学び、そして地上の者たちも、その姿を見ることにより
いかに法の世界で生きるということが厳しいかということ。
そして、一瞬の油断があれば
このような危険の中に堕ちていくのだということ。
それがたとえ九次元といわれる者であろうとも
その危険性の中にいるということをね、わかっていただきたい。
人類は学んでいただきたいのだと
その見本を、ある意味で例を見せてしまったのだと
私は、そのように思うのです。

だから学んでいただきたいのです。
私とて同じなのです。
いつ、そのような危険に遭うかもしれないのです。
かつて、エッセネ派という方々がおりました。
以前にも出られ、素晴らしいお話をしてくださった
私を育ててくれた女性の方々が来ておられました。

そしてエッセネ派の長老と呼ばれる方もおられ
私を初期の頃から様々な見聞に連れて行き
そして多くの聖書の知識に対する解説をしてくださり
そして私にいろんな秘儀を磨くようなチャンスを与えてくださったのも
エッセネ派の方々なのです。

そのような愛ある深い信仰心の団体の中で、私は育てられたからこそ
今日のイエス・キリストといわれる姿に
法を説く二千年前の私の姿があった。
法というものを、イエスが、イエス・キリストとしての
愛の法というものを説けたという実情があったのです。

それから見ると、私は大工のせがれではありましたが
今日のOR氏に比べると、まだまだ恵まれていたのであるなと思います。
彼は、そういう意味でひじょうに不幸な境遇でした。
しかし、それをものともせず頑張ってくると言って
出て行かれた人なのです。
どうか、そのあたりのことをご理解いただきたいのです。

彼を責めるのは簡単かもしれない。
でも、今の時代の中で、今のこの波動の中で
この難しい時代の中で法を降ろし、法を説き
そして一個人として悩み、人生の苦悩も修行も行いながら
人類救済という仕事をしなくてはいけなかったという彼の立場を
どうか、どうか、皆さまご理解いただきたいと思うのです。

彼一人を裁くことは簡単かもしれない。
でも、いつもそのような危険性の中で
大いなる使命を果たしていく我々にも
常にその緊張感と、責任と、己自身の能力に対する
ジレンマというものとの戦いがあるのです。
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なぜ、私がこのようなことを言うかというと
先ほどの方もおっしゃっていましたけれども
ミカエルも言っていたと思いますけれども
ここにおられる方々というのはね、指導者になっていく方々なのです。
そして指導者に、本来の指導者になるために
もう二度と心得違いをしてほしくないという
そのような天上界の祈りがあなた方に対してもあるのです。

私のことをイエス・キリストと呼ばれているだけの生命体であると
あなた方はお思いかもしれない。
イエス・キリストという生命体だけではなく
かつて幾転生しながら私の中にも、多くの過去世の知識があり
ひとつの、あなた方が認識しているナザレのイエスというだけの男ではない
男性霊としてのイエスという、キリストという、その生命体があるのです。
アガシャーと呼ばれる生命体だけではないのです。

最初に来たときは、アモールと呼ばれておりました。
その総合的な本体の名をとおして、アモールと呼ばれておりました。
アモールとは、意味として「愛」ということなのです。
私は愛というものを説くために、この地球に招霊された魂なのです。
魂の中において愛を語ることが私の本義であり
創造主が私に要請されたことであるからこそ、愛というものを表現し
愛というものを通して法を説きつづける
それが私に課せられた使命であり、私の仕事の内容であるのです。

そのように、私たち九次元の者たちを
そのような使命を預かった、一光の天使であるのだと
あなた方は、もうそろそろ、とらえてもよいのだと思います。

神よ、神よ、と手を合わせ、私たち人格神に対して
根源神であるかのようなあつかいをする時代は
もう少し経ったら終わっていくのです。
そのような錯覚があるからこそ
エル・カンタラーを「生き神信仰」の中で祭り上げてしまったのです。

違うのです。
人格を持って修行している私たちも
あなた方と同じ指導的な立場にはありますが
やはり、ひとりの修行をしている魂であるということ。
ただ、普通の方々以上に、この地球というものを管理し
地球というものを指導していくという責任において
あなた方より、少しばかりは責任の所在が大きいのかもしれません。
ただ、それだけのことなのです。

(2004.8.21レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-11-13 13:28 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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