地球を愛の星へ

カテゴリ:ゼウス( 11 )

ゼウスからのメッセージ(11)

自分以外の者のために、命がけになって努力をした者
命を張って、神のために仕事をした者
その者をほんとうの光の使者と言う。
その光の使者としての仕事を守っていくのが
我々高級霊という者たちの仕事でもある。

だから、そなたたちは、今、我々の絶大なる援護を受けて
今、この神理の道を歩んでいる、聖火ランナーであるということを心に刻み
この道を雄々しく歩んでいただきたいと思う。

今のレムリアは、十分、我々の眼から見て合格点をあげよう。
よくぞこの三次元に、このCDを発売し、小冊子をタイムリーに出しながら
このように努力していただけたと思う。

今、このような調和した波動
このような磁場というのは貴重な、貴重なものである。
ひじょうに高いバイブレーションを維持しながら、受け入れながら
かつ、おおらかで楽しく、そなたたちの中で、こうあらねばならぬという
妙な自己限定もなし、堅苦しさもない。
それでいて、お互いに楽しく信頼し合っているし
率直に意見をぶつけ合っている姿も見ていてよくわかる。

我々はみんな見ているから、すべてを、逆に見られているからこそ
自分たちの中で悔いなきよう
今のこの仕事に当たられることを私は願おう。
頑張っていただきたい。

これからも数々のことが
天上界から注文が降りるかも知れぬが、先は長いのだ。
そなたたちが考えてもいないような方向に天上界が計画をしていき
世界に発信していくという未来がある。

今、また宇宙人の方からもコンタクトが来ているようだが
これから先、どうだ。
この間、正月の段階でゴタゴタもめて、まだ五月の終わり
まだ六月、半年目であろう。
それで、こんなに状況が変わっている。
座っている者たちも違う。

最初に出て来た者たちから見ても
もう、二転、三転して変わってきているのが
私から見たらの姿である。

そなたたちは、ほとんど私から見たら初めての者たちが多いが
そのレムリアが、レムリアの精神を引き継ぐ限り
人が変われども、レムリアはレムリアたるものがある。
だから、いつまでもここにいられるように、頑張っていただきたい。

そして、順番に、順番に降ろしていくから、焦ることなく
やるべきことをしっかりやられ
そうすれば、歩んで来た道をふと振り返ったら、こんなとこまで来たと
今、この者はそう思っているみたいだが、かつてはこの方の自宅において
生まれたての赤ん坊とか、お腹の大きい状況の中で
メッセ―ジを手書きで受け取りながら、それを保存していて
みんなでああだこうだと
ひじょうに初歩的なことを話していた段階だったのである。

それが今や、このように事務所もあり
パソコンやインターネットを操るそなたたちがいて
CDも自分たちで焼き、もうネット販売などという高度な
あの当時の主婦から見たら、考えられぬような大展開をしている。

その上に、そなたたちはひじょうに優秀な者たちが集まってくれている。
そしてまた、新たな優秀な者たちが集おうとしている。
これを私は、今こうやって振り返ると感慨深いものを持っている。

であるならば、あと、2、3年経って、この今の時のことを振り返ってみよ。
こんな高いところまで来たのかと、驚くような梯子を登って行くであろう。
でも今から、先のことを言っても
そなたたちは、逆に、そのプレッシャーと
それに、そこまで行かなきゃという焦りの重みで耐えかねてしまうであろう。

だから、順番、順番に、階段を登って行くように、そなたたちの歩みを見ながら
我々は言葉を選んでいるのであるから
けっして、自分たちを自己卑下することもなく
こんなこともやれていないと焦ることもなく
良心的に、一生懸命、頑張ってくださればいい。

それでいつの間にか、高い階段まで登ってくると
高い境地にまでやってくると
仕事を順番にこなしていたのであったということが
認識できるときがくるから
どうかそなたたちも、この道を頑張って歩んでいただきたいと思う。

哲学に関しては、以前、ソクラテスからも言ってきたと思うのだか
彼は、言語中枢を扱うのがとても下手なので
だいたいソクラテスとか、あと、プラトンあたりから
本来はメッセ―ジが入っているはずなのである。

その中において、哲学の思想の流れというものが
今までの歩んできた近世、近代におけるものから
今、この神理の教えというものが
しっかりと根づいた段階において、また、爆発的な意味において
その思想の統合というものを含めて、新たな大転回をしていく。
そのようなことが計画されている。

だから、神の国というものを
今までが、あるかなしかわからぬというところの論議の中で
哲学というのが進められてきたところがあるが
絶対的に神というものがあると
我々は神の子であるというのであるならば
どのように我々がその存在を認めていくべきかという
その展開において、哲学というものが思想の流れの中の主流となっていく。

そのような、展開していく意味においてさっき言った
各論としての者たちが、次の時代に生まれてくる。
そのような流れを計画しています。

でも、まずあの時代においても
プラトンにしてもイデア界というものを通して
この地上だけではない世界があると
神の国があるということを言ったにもかかわらず
それがやはり、知性のフィルターを通すと
そのようなものを認めていくということはなかなか難しかったし
いくら知でね
目に見えぬ我々の世界のことを実証しようとしても無駄なのである。

でも、もうこのように、神の国があるのだということが
しっかり、人びとの心に認識していかれたのならば
その後に、では神の子としてどのように生きていくべきかということの
ほんとうの意味での論議になっていく。
そうでなければ、あまりにも無意味な論議の中に終始してきたのが
その後の近世、近代の哲学の流れであったようにも思う。

今、まず、難しい難解なものにするのではなく、易しい言葉において
我々の言葉を地上に降ろしていくということ。
そのことがしっかり根づかずして、難しい知の体系をつくってみたところで
少しも人びとを救っていく道にはないと思っている。

知性を司る哲学者の中にも
当然、光の天使と呼ばれている方がたはおられる。
そういう者たちは、我々が今、天上界の法の真髄というものを
地上に降ろしていった
もう少し経ったあとに、知の体系というものを
しっかりと哲学化し、学問化していく。

そのようなことの中で
不動のものとして位置づけていくという役割があるから
そのような知の体系というものは必要なことはあるけれども
でも、今の段階ではそのような難解なもの
逆に言うと、第二の計画で難解化しすぎて訳がわからなくなったものを
もう一度、振り出しに戻し、易しい言葉で語っていこうという段階なので
今まだ哲学者として
一流の者たちが転生してくるということはないようにも思う。

しかし、この者でわかる範囲のもので、哲学者の者たちで降りてきて
地上にメッセージをするのならば、かなう限りのことでは
彼らは喜んで降りてくると思うので、そなたが必要な人であるのならば
招命したらよろしいのではないかと思います。

まず、ここの部分がほんとの意味で、基盤として広まっていったのならば
もう手ぐすね引いて
次の発明、発見というものを伝えようとしている者たちが
お節介なまでに宇宙のほうから援助がきているので
科学においても飛躍的な大進歩を遂げる
爆発的な進歩を遂げるという、そういう時代が必ずきます。

それがもう、我々にはわかっている。
でも、そこに行くには、まずこのハードルを、易しい言葉であっても
まず自分たちがほんとうは神の子なんだと
当たり前の言葉なのに、それに気づくという、この基盤を持たねば
そちらの方向に向かって爆発的な進歩はしないのである。
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芸術においても同じである。
地下の者たちの波動を広げるためだけの芸術論を打ってみたとて
何になるであろう。
神の国。
色の、愛の光一色の芸術の波動を広げてこそ、芸術本来の使命は果たされる。

そのような愛のバイブレーションの塊であると、そのような地球であると
我々は愛の奔流である神の光を引いた、神の子である
愛の化身そのものが我々自身であるということを、しっかりと認識させる。

あとで気づいたら、「何だ、そんな簡単なことか」と言われるかも知れぬが
そこがわからぬために、人類は傷つけ合い、戦争をし、いがみ合い
不幸の種をつくっているのである。
宗教により、争いをするなどという、馬鹿げたことをしているのである。

ほんとうに宇宙の人びとから見たら、認識の高い星の人から見たら
「何をやっているのだ」と
「宇宙船地球号の中で、水爆や原爆や、様々なもので殺し合っていて
何をやっているのだ」と、「お前らみんな死んでしまうぞ」と
思うであろう?
そんな幼稚なレベルで、まだわからぬのがこの地球人であるということ。

難しいものに行きたいことはよくわかるが
まず、そこのとこを、噛んで含むように教えてやらねば
正しい方向に、爆発的な進歩はないのである。
そこの、ある意味で言うと根本的なとこを、それを、普遍の神理という。
逆に言うと、我々九次元は、そこを預かっているということだ。

そこが、今、降ろされるときというのは
天上界の扉が聞かれたとき以外に、降ろされぬということ。
瑣末的なことを、難解なことを
いろいろ人びとが言い立ててみたところとて
少しも人類は進歩してこないのである。

この根源的なものを、根源的なことでありながら
普遍的な神理の、易しい言葉を使って伝えることができたのが
イエス・キリストであり、衆生を救うことができた仏陀であり
モーゼであり
また、マホメットであったというそのようなことをもって
神理というものが易しい言葉で解き明かされ
本来人類が指導されるべき根本的な流れの中においていちばん要になる
肝心要のことを降ろしていくというこの時期であるということ。

その、今の時期の中にレムリアがあり
そのような使命を果たされてるという
TPOというものをしっかりわきまえよ。
それ以外のことを、もし望んだとしても
そなたたちは得られぬであろう。

今必要なものを、必要な状況の中で、必要な分だけ明かされる。
それは、我々が明かそうと思っていることだけが明かされる。
さっき言ったであろう。
そなたたちからの質問は受け付けるが
基本的には、我々からそなたたちに対する
一方通行のメッセージの限界というものはやはりある。

何でもかんでも、聞けば明かされるということでもない
ということも事実。
でも、同じ仕事をするにあたって
そなたたちが、質問があるのであるのならば
その範暗においては、いかようにも我々は答えようと
誠意をもって答えようというのが、我々の姿勢である。
それが天上界と地上界を貫いているルールであり
礼儀であるということを私はそなたたちに教えているのである。

わかったか?
けっして、そんなに怖がることはないから
いろいろ聞きたければ聞いていただきたい。
今は、次にまた、レムリア・ルネッサンスが大飛躍し
また、皮を脱いで脱皮していく時だ。

だからまた、大きな飛躍を遂げていけばいくほど
そなたたちは慎重であれと。
そして、自信を持ってこの道を歩んで行かれよと。
そのことを、私は今日、メッセージしたいと思う。

(2005.6.4 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-12-13 16:48 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(10)

まず、この計画の意義をしっかりと降ろし
かつての第一、第二の計画で
腹をくくった神理の使徒たちを呼び集めるということ。

そして、この計画に対するしっかりとした体制を
メッセージを中心として出していくということを
しっかりとそなたたちが心に刻んで
仲間を集めていった時に、その延長上に各専門家が出てくる。

必ず出てくるから、そしたら、その各論においての
哲学論、文学論、芸術論
そして医療関係とか、それぞれの専門家が出てきて、また話が出てくる。
一大文明圏になって、一大文明の、ひとつの図書館のような部分として
霊言が出てくる時がくるのである。

だから焦るな。
そんなに今から全部、先のことをもって焦らなくてよろしい。
今は、そのことを順番にやるということを腹に決めなさい。

そして今、これから集ってくる仲間たちを
ほんとうに優秀な、本来力のある
そしてこのままではとても、こちらの世界に帰って来られないと
無念であると思うぐらいの、魂に刻んだ光の使徒たちを
レムリアに入れていきなさい。
そして、ともに歩みなさい。

そして、一人ひとりがあまりに多くの負担を被るのではなくて
みんなで分かち合えば、少しずつ楽になるから
そうやってみんなで歩んでいきなさい。

経済的にも落ち着いてくるであろうし、そして、そのうちにこの日本から
世界に向けて発信する時代が必ずやくるから
外国の方もやってくるであろうから。

そのようなことを、とにかく先走って、焦ってはいかんぞ。
かつてのORも、焦りすぎたところもある。
最初のTにおいても、焦りすぎたところがあるから、あのようになっている。

「ああ、世界に広げなきゃ」と一時は思っていたにもかかわらず
焦りすぎたことで、足をすくわれるから
あのようにまた三法帰依とか、訳のわからないところに戻っていった。
それは、下の者につかまれてしまったから
また、牢屋のような中に閉じ込められてしまったということである。

その根本は何か。
あまりに自分に降ろされた使命が広いから、あまりに重大であったから
彼は焦ってしまったのである。

これを世界に広げていくには、地球すべてを救っていくには
どうしたらいいのかということを考えた時に、どうしても自分の中で焦り
もっともっと多くのことができるはずであるというふうに
思っていってしまった。
そこに増上慢な気持ちとか、様々な欲とかがからんで
引き落とされる時は、一瞬だということ。

よいか、今回、見て話ししてわかったであろう。
もう一瞬にして、落とされていった者は、神理の使徒として使ってあげたくても
もう、使ってあげられないということ。

「何でTKを使ってあげないんだ」
「何でもう一度、ORを呼んでやってくれないのか」
そのような問いかけが、そなたたちにもあったはずである。

一度このようになっていった者たちを、かわいそうだけれども
もう一度神理の使者として使ってあげることはできないのである。
ということは、同じようなことが
そなたたちにも起きる可能性があるということ。
そのことをもって自戒し
自分の気持ちを常に厳しく、統御していくということ。

もし、何かあっても、すべては自己責任であると、しっかり思って
人を恨み、神を恨むことをやめなさいということ。
まず、自分が悪かったのではなかろうかと思える人間に、堕落はないのである。

だいたい見ているとどうであろうか。
自分が悪かったと思えないであろう、その者たちは。
反省、反省と声高に言っても
自分だけは悪くはなかったと思っているはずである。
だから、いちばん罪をなすりつけやすい、この霊言者が悪いとか
果ては天上界が悪いとか、そのようなことに終始する。
それは、みんな同じである。
天上界が悪いとまで、最後は言う。
そのようなとこに持っていってはならぬ。

何かあったとき、不調和なことが起きたとき、まず冷静にものを見ながら
そしてまず、自分自ら、反省することはなかったであろうかと
そのように思いなさい。

そうすれば、絶対そなたたちが落ちていくことはないし
そのような謙虚な気持ちを持っている者には
我々の守護が必ずや届いていくのであるから
そなたたちは絶対に安全になるのである。
それが反省行の素晴らしさである。
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よいか。
神理の仕事をしておらぬ者が
反省、反省と言って、自分をいじめていては、何の意味もないのである。

日々毎日、一生懸命、生きながら、かつ、神理の仕事
ましてこのような神の大計画の中において、実際に考え、行動して
計画を推し進めていく中において、反省というのは自分を守っていく
大事な、大事な羅針盤となり、指針になるということ。
最高の安全を保障する保険のようなものが、反省行であるということ。
そうやって使ってこそ意味がある。

何にもしないのに保険に入っていて、家の中だけにいて
交通事故に遭わない保険に入っていたって、しょうがないであろう。
外に出て行って、自動車でプンプン仕事をして、大活躍するからこそ
自動車保険に入っていても意味があるのであろう。

そなたたちは外に出て行って、仕事をしなさい。
そのときの、身を守るための保険が、反省行であるとそう思えば
反省、反省とばかり、口の中で唱えながら、家から全然出ないで
たいした仕事もしない者が反省とわめいたって、何にも役に立たないという
そういう例を見ているであろう。

そんなことを言われるために
高橋信次、エル・ランティは反省行を言われたのでもないし
仏陀もおっしゃられたのではないのである。

常に人びとの幸せのために、神の手足となり、道具となるために
多くの人びとの使徒となるために、神の国の光の使徒となるために
そなたたちが体を張って、この地上で仕事をしていくとき
魔界の者たちが必ずや誘惑に来て、引き倒しに来たときに
そなたたちが学んだ反省行というもので、常に謙虚さをチェックしたのならば
そなたたちは必ずや安全に仕事をしていけるであろう。

そのような神の子としての、身を守るための保険が反省行であり
そのように、魂を落とさない道としての指針が反省行であり
八正道であるということを、そなたたちがしっかりと、心に刻みなさい。

反省、反省と声高に言って、反省、反省と言いながら
常に高橋信次や神の名を呼んだからといって
少しもその人が、魂が浄化されるわけでもなく
魂が向上するわけでもないのである。

(2005.6.4レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-12-03 17:52 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(9)

今の段階の中において、書籍も二冊出た。
そして、レムリア・ルネッサンスという意識の中で
これだけの高度な磁場ができてきて
CDも出たし、小冊子も出てきたし、次の本への企画も出てきた。
そして、この小冊子や、ミカエルや、エル・ランティの言葉を通して
仲間も徐々に集まろうとしている。

今はまだ歩みが遅いように、のろいように思うかもしれないけれども
何度もいうが、最初の歯車、最初の歯車を押すということは
たいへんなことである。

最初はのろのろとしか動かなくても
その歯車がどんどん噛み合っていったときに
今後、ものすごいスピードで、速度がついてくるものである。
だから、焦ることなかれ。
やるべきことを、しっかりやっていかれよ。

そうすれば、必ずや、この、そなたたちのところから落とされた
この水面に落とされた一点のような、このような投げかけというものは
次々と多くの反響を生み、多くの者たちが集って来て
多くの者たちが知っていくものとなるであろう。

だから、書籍を出していくこと。
小冊子を出し、CDを出していくということ。
そして、我々の言葉を伝えていくということ。
そして、それを通して、確実な仲間を集めていくということ。
しばらくはそこに徹されよ。
その中において順番に、様々な分野における叡智というものが
盛り込まれてくるであろう。

そなたたちの降ろされている内容、我々が降ろしている内容
結構、一流の者たちというものが、宗教書籍にもあるであろうが
我々は、そんなに内容的に浅いことを言っていると思わぬ。

易しい言葉では表現しているが、彼らが難しい言葉で言っているだけであって
それだけの深みのある内容というもの
すべて含まれた内容を、我々は話していると思っている。

逆に言うと、難しすぎるぐらいであって
普通の、一般大衆の者にはわからぬであろうというようなものも
多少あるぐらいの叡智の極みを含んでいると、私は思っているので
そのようなことを悩むことなく
今はわかる者たちのもとに発信していきなさい。

よいか。
多くの人びとは、その仕事に携わる者たちのひたむきな姿勢を見ることを
後姿を見ることをもって、その、神理の使者かどうかを確かめるのである。

立派な家に住もうと、どんなに高級な車に乗ろうと
もしこの霊言をとる者が贅沢な暮らしをし、人びとのことを思わず
贅沢三昧に耽っているのであったりしたのならば
必ずやそれは、人びとの見るところになるであろう。

だから、一生懸命つましく、このレムリアを運営しながら
一生懸命、一冊でも本を出したいと思って
そなたたちが、一生懸命、持ち寄ってくれながらやっているその姿を
多くの者たちに伝えていく中で
多くの人たちは、レムリアが本物であるということをわかると思う。
だから、神理の使徒として、どのように見られても、恥ずかしくないように
ひたむきに、ひたむきに生きて、行動していかれることを、わしは心から願う。
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さっきの質問にあったことに、いくつかお答えしようと思うが
芸術というのは、我の時代においても、また、レムリアの時代においても
私は感性を中心としたもので、芸術的な表現、視覚的な表現を通して
神というものを人びとに伝えていく、そのような役割を中心にしていた。
だから、芸術的な極みの究極には、神の神理に、十分、到達するような
まあ、哲学に通じていくようなものというのが内在されていく。

そこまで極めれば素晴らしいのであるが
それをまた、視覚、音楽、様々なことを通して
多くの者に、また伝えていけるというメリットもあるといことで
私はそのことを多く担当してきた。

まあ、私は、その神理の理念というものを、オリンピックという
この競技を通してとか、寺院を建てたりとか
それから芸術っていうものを通して神の素晴らしさというものを表現していく
そういう指導の仕方をしたから
まあ、ギリシャという、ああいう大らかさというものが出たし
まあ、それは、そこに出ていた者たちの大らかさというもの
そういうものを引き継いだ文明であったかも知れないし
そのようなひとつの個性が出たであろう。

だから、そこの部分において
さっきからも楽しいことも言ってやりたいと思いつつ
わしが見ている限り、たいへんな道のりが出てくるということがわかるから
今回は、そなたたちに、このようなこともあると
肝に銘じておくようにという話になるから多少、重い話ではあると思う。

しかし、やはり、今回の文明をつくるにあたっても
屈託なく、大らかな、そういう部分がなければ、神の子は苦しいぞと。
十字架にかかったイエス・キリストの姿を見ていても
毎回毎回、このように苦しまれるのであるのならば、人類も苦しいぞと。

やっぱり、どっかで、神の国の大らかさというもの
楽しさというものを表す文明というものも
地上に映し出しておく必要があるのではないかと
そのように思い、わしは、かつてギリシャという地にあのような
一大文明圏をつくったのである。

だからそれがまた最後、この、まあいちばん深刻といえばなんだが
いちばんたいへんな、土壇場の、そなたたちの計画の中において
まあ、このような部分を多少は入れないと
気持ちが暗くなって、つぶれてしまうのではないかと思って
私やマヌが出てきて、一生懸命、気を引き立てようとしている。

まあ、もともとそういう大らかさというか、楽天的な部分がある者たちなので
自然体でそれが出るのであるけれども。
やはり、そういう部分がないと、そなたたちも苦しいであろう。
だから、そういうものを通して、多くの者たちに伝えていく。
芸術とかいうのは、もう本来が基本的に楽しむということ。

ミューズというのは、人びとの中で喜びということ
それが五感を通して、感性を通して
そういう喜びを通して神を知るっていうことも
多くの者たちにとってみれば、喜びであり、救いになっていき
神というもの、信仰の世界というもの
神の究極を知るということは、心地よいものであると
素晴らしいものであると、うれしいものであるというふうに
メッセージを伝えていくことも必要であろう。

(2005.6.4レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-11-23 14:18 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(8)

そなたたちはわかっているであろうが
これからほんとうの戦いがやってくるのであるということ。
戦の前には静けさがある。
確かにそなたたちは、様々なトラブルを乗り越えて来たが
今までは、せいぜい仲間内のトラブルであろう。
でもこれからは違う。
外との戦いが待っている。
そしてその力を、勢力を使い
地下の大御所の連中たちが動き出そうとしている。

本気で腹に力を入れ、ひるむことなく、隙をつくることなく
雄々しく歩んで行け。
これからこそ、ほんとうの意味で、戦闘的な者たちが必要なのである。
そのためにいち早く、味方の軍勢を立て直し
力ある者たちを中に入れていきなさい。

もう過去さった、あのような者たちは何の力もなく、やれることもない。
かかずり合うな。
そして、これからもっと、もっと、そなたたちが戦わねばならぬものは
もっとスケールの大きい者たちと戦っていかねばならぬということ。

もう、一度は、神の軍勢に勝ったのだと思っている者たちがいる。
その者たちが、今ひとたび
これはたいへんなことになったと言って、動き出そうとしているのである。

ミカエルたちも、ポセイドンたちも
龍神たちも、荒神と呼ばれている者たちも
一斉に前面に出ては来ているが、戦いが本領を発揮していけばいく程
その戦いの行く手を塞ぐ力というのは大きくなってくるであろう。
その力を、そなたたちが授かっているのであるという自信をも持って
やっていけるのであるという自信を持って、この道を進んで行きなさい。

楽しいことばかりを言ってあげたいが、わしの目から見ていると
そなたたちが、これから戦っていかなければならぬ道というのがわかるから
あまり楽しい、甘いことばかり言ってやれぬのである。

でも、しっかりと、心の手綱を引き締め
隙さえつくらねば、何も怖いものがないのだということもまた
そなたたちに言っておこう。
そして、我らに対する信仰心を絶対に揺るがすな。

我々を信じよ。
天上界の力を信じよ。
そうすれば、いかなる者がそなたたちを痛めつけようと
我が雷が、その者を打ち砕くであろう。
我らが助力を、そなたたちは一身に、その背に背負って
雄々しく行進していけるであろう。

神理のたいまつとは我々の神理の言葉であり
この計画を携えた天上界のメッセージである。
それを携えて、雄々しく歩め。
隠れることなく、堂々と歩め。

これから、我々の世界に帰ってくるまでの数十年を
神の使徒として、あらゆるものに戦いを挑まれてもひるむことなく
引き倒されることなく、この道を歩んでいただきたい。

そのたいまつ、消えることなく、オリンピックの試合の前に
聖火が世界を回ってくる。
そして最後、オリンポスのギリシャの地にやってくる。
そして、毎年、毎年オリンピックが開催される地に
聖火というものが運ばれて行くであろう。

そのたいまつを消さないために沿道にいる人たちが
一生懸命守ろうとするではないか。
その火が消えないように、みんなランナーたちは必死に
その、雨に当たっても消えないように頑張るではないか。
その姿を見ていると、そなたたちの姿に重なって見える。

一度は消えた火である。
それに再びまた聖火に火がつけられた。
このたいまつを持って走りなさい。

このゴールがくるときまで、次の走者に渡すときがくるまで
命がけでこの聖火を守っていきなさい。
その光は地球を輝かし、この地球を愛の星へと、神のもとへ導く
唯一のたいまつであるのだということを信じなさい。
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かつて降ろされたものだけで十分であるのなら
高橋信次が降ろされた言葉だけで十分であるのなら
Oがもうすでに降ろされた言葉だけで十分であるのなら
このような計画のために我々は必死で出てこない。
降ろされた神理が、神理であっても、その大計画の中で機能しない限りは
その神理は、単なる神理として、書物の一冊として終わってしまうのである。

我々の生のメッセージを伝え、今、天上界と地上界がともに手を取り合い
何をなさんとするかということが、しっかり認識でき
その認識の中でしっかりと、肉体を持ったそなたたちが行動できた時に
ほんとうの意味で、その神理の言葉というのは意味をなす。
八正道も意味をなし
九次元が降ろした神理の言葉というのも、しっかり機能するのである。

残念だが、今の計画をそなたたちがしっかり伝えない限りは
高橋信次が降ろされた言葉も、O、仏陀本体が降ろされた言葉も
すべてが無駄になるのである。

よいか、その順番を間違ってはいけない。
そなたたちは、九次元たちが降ろした言葉の極みに到達できないと
思うかもしれぬが
降ろした神理は、所詮が神理なのである。
それをもって、地球を、大救済計画をしてこそ、仏陀の意味もあった。
エル・ランティが、露払いをされた意味もあったのである。

書物の中に書くだけの神理であり、叡智であるのならば
過去、数千年前から様々なことが言われてきたではないか。
でも、それが、単なる仏典や神理の書の中に埋もれていても
衆生は、人びとは救えない。
地球を愛の星にしていくことはかなわぬ。

そのために、我々九次元が、常に天上界で
地球救済の計画を幾度となく立てては
文明の実験を繰り返してきたのであるからー。

神の国の計画が発動され、我々の言葉が降ろされるということは
地上の者たちが、我々の言葉を聞きたいから
降ろしていただきたいと言われても
降りぬときは降りない。

神の国のメッセージというのは、基本的には一方通行である。
我々が降ろそうと思わなければ
どれだけそなたたちが請い願い、祈り、瞑想し
請い求めたとしても降りぬのである。

今、降ろすべき時がきたから
我々はこのように、要請があればいくらでも、矢継ぎ早に降ろすのである。
その順序を間違ってはならぬ。

我々は降ろすべき時だから
この者が嫌だと、わめこうが、泣こうが、逃げようが
とっ捕まえてでも降ろしてくるのである。
逆に、どれだけ準備ができましたから
「さあ、どうぞ降ろしていただきたい」と
「さあ、出て来てください」と言われても
こちらが、その計画もなく、降ろす意志もないのならば
メッセージなどというものは降りないのであるということ。
そのぐらいのことは、わかっていなさい。

であるということにおいて、天上界からこれだけたくさんのメッセージが
毎週、毎週、毎日、毎日、降りてくるということは
それだけ天上界の計画にかなっている
そなたたちの動きであるということ。

そして、それだけ天上界が必死であるということ。
そのことを、そなたたちは深く理解し
この計画を推進していただきたいと思う。

(2005.6.4 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-07-27 11:11 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(7)

今、これから唱えられている、多くの各論というべき、学問、哲学、芸術
それを一般大衆の中に広げていくためのものとして
各論として、降ろされていくべき時がくる。
それには、それの専門家たちがまた出てくるのである。

今、我々は総論を言っているのである。
総論、本質である。
この計画が何ゆえに発動され、どういう歴史的な意味があり
そなたたちが今、何をするべきであるかと。
そのことをもって、我々は、今そなたたちに伝えに来ている。

それが、全体がわかったときに、その各論をもって
大衆に、地球全体に広められていくということをもって
システムが変わり、学問が変わり、政治体制が変わり、憲法が変わり
連鎖的に地球自体のシステムが変わることをもって
最終的な愛の星へと変わっていく。

しかし、それには、やはり多少の時が必要であろう。
でも、いちばん大切なことは、我らが伝えている理念を降ろすということ。
理念をもって神の本意という
そのことをそなたたちが地上に降ろすということ。
それがいちばん大事であり
それでは物足りないか?
高橋信次、エル・ランティが何を説かれたということ。
そうたくさんの知識を、地上に降ろされたわけではないぞ。

いちばん大事なこと。
それは魂が永遠であったということ。
死しても肉体を離れても生き続けるということ。
神の子であったということ。

人間の魂の構造を解き明かし、反省というものを通して
神の子としての神性を、神の子としての本体を光らせるための
反省の大切さということを説かれたということ。

実際に、霊界のもの、死後の霊として
彷徨っている者たちが確かにいるんだということを
悪霊を出して、実証して見せたということ。

基本はそこであろう。
今言えるぐらいの内容であろう。
そのことをもって、今だに、人びとを救い得ているということ。
だから、基本になることは、そんなにたくさんのことではないのである。

そして、その基本である大事なことというのは
エル・ランティ、仏陀が言われたことによって
おおかたの神理の基盤というものは降りているのが実情なのである。

だから、それにおいて、レムリアが言わないということは
言っても、もう言われていることだから
それ以上に言うべきことはそれほどないということも事実である。

それから先、何を言うかというと
それを一般的に広めていく道と、それと、宇宙の法につなげていく。
そこのところがいちばん大事なことであるということ。

地球の使命というものを説き明かしながら、我々の計画を説き明かしながら
宇宙連盟の一員として地球が生まれ変わっていくために
その意識の中に、地球の教えというもの、地球人類の多くの者たちの意識を
宇宙の目から見た地球人という認識まで引き上げていくということ。
そこの部分において、レムリアは、多分これからも続々と
様々なメッセージが降りてくるであろう。

それは、第一、第二の九次元が説かれなかったところである。
そこの部分を補強しなくてはいけないということをもって
メッセージは降りる。

だから、そなたたちが、八正道が何たらかんたら
仏教の奥義が何たらかんたら言う必要はどこにもない。
それは、もうすでに降りられたものを
そなたたちのような、中興の祖と呼ばれている
法を集大成する使命の者たちが、今、仏陀光線から降りられているのだから
そなたたちがしっかりとまとめられていけばよろしいであろう。

同じことを繰り返すことはない。
でなければ、エル・ランティ、仏陀がやられた仕事が
無意味になってしまうからである。

その上で、これから何ゆえに、この魂というもの
この神の子としての本体というものが、多くの人びとに認識されるか。
そのために、様々なスピリチュアリズムというものが
この近代、近世を通して世界各地に
そのブームというのが起きているはずである。

それは、ちゃんと光の使者と呼ばれている者たちが降りて、その地に
このように日本から、このような思想が発信された時に
しっかりとその意味がわかるように、自分たちの地域を統合していけるように
各地域に光の天使が出ているのである。
c0171476_13201490.jpg

そして、今この時代、インターネットや書籍で
外国で出たものであってもすぐ読める時代がきている。
だから、そのような書籍の普及をもって
人びとはスピリチュアリズムが何であるかということを
興味のある者たちは、知れる時代がきている。

大いなるその地盤、種蒔きがされたところに、そなたたちがはっきりと
本来の計画がこれであるということを、宣言していくということ。
それは、時には嘲笑を買うこともあるであろう。
危険を伴うこともあるであろう。

しかし、そなたたちの中に、不退転の境地があるのならば
ぜひとも、これが天上界の計画であるのだと
最終的なこの文明の総決算であるのだということを
そなたたちは認識してほしい。
伝えていただきたい。
それをもって、レムリアの使命という。

本来であるならば、私がこのようなことを
レムリアの計画について明かすということも
役が違うかとも思うのであるが
たまたまここに、わしの娘が出ているということをもって
私が伝えに来ている。

そなたたちが、これからもこの地上を光輝かせながら
最終的な神の計画を実行していく
最前線の実行部隊であるという認識をしっかり持つのならば
単に先にいて、威張るがための先輩であるのではなく
あとから来る優秀な、覚悟を決めた者たちを
どうかその大いなる愛で包みながら指導をし
ともに自分たちだけではできぬものを仕事を分かち合いながら
共通の理念と高い認識力をともに共有しながら
この計画を推し進めていただきたいと思う。

このような認識が、しっかりと上がったのならば、地球人類の認識力
本来の神の神性に立ち戻っていったのならば
一人ひとりの波動というバイブレーションが高くなっていく。

本来、神の子としての高いバイブレーションを持っているのが、神の子である。
それが、低い、低い次元の中に終始している。
だから、この地球自体が、その地域自体が
低いバイブレーションで覆われてしまう。

よって、高い神の子としての認識に戻っていったのならば
みんながそのような共通基盤を持ったのならば
この地球自体の波動も、また、高い認識力のもとへ戻ってこられる。

そうすれば、地球意識を苦しめている、この低次元の、波動の低い
へばりついたような、ウイルスのような人類が
素晴らしい愛の光を発するようになれば、地球意識本体のお苦しみもなくなり
地球意識自体も救われていくということ。

そして、そのように地球意識とともに、その表面に住んでいる地球人類
神の子たちが光り輝いたのならば
この地球も愛の星として、神の星として光り輝き
宇宙から見ておられる方がたから見ても
素晴らしい愛の星、愛の地球人になったということをもって
宇宙連盟の一員としての資格というのも与えられ
地球自体のバイブレーションが上がっていくことであろう。

すべては人びとの心次第、認識次第。
認識したのならば、神の子の本来の姿に戻っていったのならば
神の子の本来の波動は、ひじょうに深い愛を含んでいる。

なぜなら、神は本来、愛の、愛と慈悲の塊。
精妙な、素晴らしい波動の、愛の奔流そのものが神であり
その愛の根源的なエネルギーが、すべての宇宙をつくり
すべての神の子たちをつくり、発信している。

そのようなことを、そなたたちはまず気づきなさい。
我々が伊達や酔狂で、遊び心で
このような計画を発信してはいないのだということ。
そのことを、そなたたちが深く心の底に刻むならば
いつか、必ずやこの地球は、素晴らしい喜びに満ちた、愛の星となるであろう。

(2002.11.20 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-07-22 12:48 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(6)

今回の者たちを見ていてわかるであろうが、心に油断をするな。
自分の能力にうぬぽれ、自分の心の中に迷い込んできた
その一筋のかどわかしに引き倒されていくような
そのようなことがなきよう
自らをしっかりと、反省により管理していきなさい。

そうでなければ、いくらこの者が脇に置いておいてあげたいと思っても
我々も、ともに連れて行きたいと思っても
もう、連れて行くことができないということ。
それがその本人にとっても、ためにならぬことであるということ。

それを、一緒に行きたい、一緒に行きたいという者たちが多いのは
諦めきれないのはわかるが
であるならば、なぜあの時に、無私な思いになれなかったかと
そなたたちは、まだ反省をしていないではないか。

それで、「この計画について行きたいのだ」と
「見捨てるな」と、駄々っ子のように言っても
もうこの計画に、このレムリア号に
乗船する資格はなくなってくるのであるということ。
それだけの、厳しさのあるところを生きているのであるということ。
そのことを、彼らの姿を見て、そなたたちも胆に銘じなさい。

何でもかんでも、なし崩し的に、臭いものに蓋をして
全員を連れて行ったからといって、いいものができるわけではない。
ましてや、この最終的な計画の中で何度もつぶされてきた
この、下の者たちが狙っているその中で
いかにこの純粋な理念を継続していけるかということは
命がけの仕事であるということ。
自らの厳しさに常に向き合いながら、この計画を進めていかなくては
とてもではないが、このような高度なレムリアの仕事はできないのである。

何ゆえに九次元が担当するか。
それは、それだけの実力を持った者でなければ
継承できぬものであるということ。
九次元の保護下、監視下のもとでなければ
継続される計画ではないということ。
そのことを、そなたたちは、もっともっと深く認識していきなさい。

我々の言葉を直に伝え、そしてそれを文章にし、CDにし
直に、ある意味で言うと
大衆伝道、布教をしていけることができるということ。
そのような時代に巡り合わせたということ。
そしてそれにより、今、仲間を呼び集めようとしていること。

何度も言ったが、生半可な者はもういらないのである。
中途半端な者はいらないのである。
そなたたちが、ほんとうに腹をくくってきたように
ともに腹をくくって頑張りたいと思う者たちを呼び集めよ。
その者たちと、また歩んでいけばよい。

レムリアは常に脱皮をしていく。
脱皮をしていくたびに
ついて来られぬ者たちは、後ろに残っていくしかない。

どこまでも、どこまでも飛躍していくフェニックスのように
そなたたちも、どんどん自分の意識を高みに
向上させていくところに切り替えていかなくては
この計画にはついて来られぬ。

ある意味でいうと、九次元が降ろしている計画であるということは
九次元と同じような認識に最後は立っていくぐらいの
すべてを捨てていく、自らを飾るものすべてを捨てていくという
神の使徒、愛のエネルギー、神への感謝のエネルギー
一途になっていくという光へ戻って行く道なのかも知れぬ。

多くの者たちを救い、この地球の歴史そのものに足跡を記し
愛の星に変えていく大事業であるということ。
そのために、孔子も出られておられる。
九次元がこのように立て続けに出られ
そして我々の言葉が
このように地上にシャワーのように降ってくるということ。
そのような時代に、今、巡り合わせているということ。
このような場にいるということ。

けっして慣れるでないぞ。
慢心するでないぞ。
今、ここにいて、この席にいて言葉を聴けるからといって
そなたたちが偉いとか、そなたたちでなければ聴くチャンスはないとか
自分たちこそが選ばれた者たちであると、思った瞬間落ちていく。

そのようなことを思ってはいかん。
そなたたちは全人類の代表者として
今、聴いて、ここの席に座らせていただいているのだと
そのように思いなさい。

それが、そなたたちの実力を侮ることではなく
その言葉、その思いが、そなたたち自身を守ることになるであろう。
だから、わしは今、そなたたちにそのように言っている。

よいか、自分の身を守るということは、自らに厳しくあるということ。
自らを厳しく戒めることによってのみしか
そなたたち自身を守ってやれない。

我々がいくら守ってあげたいと思っても
これからやる計画の高度さを考えると
未熟な思いの中で、欲というものがむくむく出てくると
あっという間に引き倒されていくのである。
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これからが本番である。
まだまだ本番にはなってはおらぬ。
まだ、この、CDが出たという段階がスタートである。
でも、ここまででも、そなたたちは数々のことを学んだであろう。
そして、これから、世界に向けてレムリアが出て行く。

そのときに、東洋の思想、西洋の思想すべてを、そこの中に内在させ
それを集大成した考えというものを
神の国の思想というものが現れてくる。

焦らなくてよい。
今の時期はそなたたちの認識と、覚悟と
今、地球上において何か必要かということを、焦点を絞りながら
我々は、順番に降ろしているのであるから
そなたたちの覚悟も、認識も、人材も集まってくれば
それに応じて我々からも、順番に神理というものを降ろしていくであろう。

そのことをもって、焦ることなかれ。
けっして焦ることなかれ。
焦ったことの中に、ろくなことはない。

もう、どうせここまで遅れたし、やり直している計画なのだから
よいか、そなたたちの中に不退転の境地だけをしっかりと刻み
無私なる思いで、この神の言葉を地上に伝えていくのであると
そのように思っていくならば
この地上は、必ずや素晴らしい神の光の導きの中で
愛の星へと変化する道へ、変わっていくであろう。

あのまま放っておいたのならば
もう二度と神のもとへ戻って来ることは、かなわなかったであろう。
しかれども、今再びこの地球が、この文明が
神の愛の懐のもとへ向かって歩みだした。
この地上を浄化させるためにも、愛の星にしていくためにも
いくつかの戦いが、これから行われるであろう。

でも、まず思え。
戦いの基本は、自らの心の内から始まるのであると。
心の内に、様々なトリックの中に、誘惑がくる。
そんなことをもってでしか
地下の者たちは、そなたたちに戦いを挑むことはできないのである。

肉体を持った人間なればこそ
様々な惑わしも、弱さも、苦しみもあるであろう。
でも、そのようなことを脇に置いておいてでも
まず神仏の使徒として、この第三の計画の使者として、ひたむきに生きよ。

ポセイドンも言っていたが
そのひたむきさの中に、神仏の使徒である姿を、多くの人びとは感じる。
たいした一流のランナーでなかったとしても
精一杯、その聖火を持ち、雨に打たれても、雷に打たれても
ぽろぼろになりながらでも走り続け
そのたいまつを次の世代に渡そうと走り続けるランナーの後姿を
いつしか街頭で野次を飛ばしながら見ている者たちの胸の中に
深い感動として、必ずやその姿が
本来の神の使者であったということを気づかすことになるであろう。
常にそうやって、神仏の使徒というものは仕事を果たしてきたのである。

いつの時代に預言者が地上に降りても、そんなに歓迎されたことはなく
常に、常に苦しみと、偏見と、人びとの罵言雑言の中に
人生を悲劇的に終えていっているものである。
だから、神の言葉を預かる者たちというのは、ひじょうに恐れ
そのような使命が降りるということを嫌がったものである。

されども今ここにおいて、再び神の言葉が降ろされている。
この言葉を、どうか嫌がらず、力強く誇りを持って
間からどのように悪く言われても
我々の言葉を、火を消さぬように守って、この地上に残していただきたい。

これこそが人類の遺産であると
今はわからなくとも、そのうちに、百年もたてば人びとは
あのように素晴らしい時代があったのだと
後世、生まれてくる者たちは、「ああ、あの時に、あの時代に、
あの日本に生まれていたら、どれだけ幸せであったであろうか」と
そなたたちの境涯をうらやましく思う時代がくるであろう。
そのことを思い、そなたたちの使命というものを、しっかりと腹にすえ
今やるべきことをしっかりやりなさい。

(2002.11.20レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-06-18 09:13 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(5)

我々は明かしたはずである。
神とは本来、宇宙を統べる根源的なエネルギーであり
そして、愛の奔流そのものであり、愛の法則そのものであるということを
私たちはそなたたちに伝えたはずである。

我々は神であると、ゼウス神であると、ポセイドン神であると、マヌ神であると
イエス・キリストであり、仏陀であり、マホメットであり、モーゼであると
いうふうに言ってきたかもしれないが、我々ですら根源神でもない。

我々は単なる人格神であり、神より与えられ、遣わされし
地球を守る、守り神、メッセンジャーである。
そなたたちと同じ神の使徒であるということを
今明らかに、明かしているのである。

神とは本来、宇宙の中に流れる大いなる、大いなる
高いバイブレーションの中にある愛そのものの奔流である。
愛そのもの、慈悲そのものである、神のエネルギー体。

そして、そのひとつひとつのエネルギーを引いてつくられたのが
そなたたち、一人ひとりの人間たちである。
神の子たちである。

それは人間たちでなくても、動物であっても、植物であっても
すべてが、大いなる神のエネルギー体から
すべてがそのエネルギーを、一筋ずつ、一筋ずつ、つなげられながらつくられて
三次元に物質化されて、降ろされていっているものなのである。

だから、すべてのものが神の子であるということ。
そして、神の子であるという神性に基づき、立ち戻ったときに
大いなる根源の、神の懐の中につながる道が、帰って行く道があるということ。
誰一人として、つながっていない者はいないからである。
神へ回帰して行く道。

神の子たちは、自らが神の子であるということに立ち返り
そして、自らの内側を深く見つめていくことにより、感謝することにより
愛の根源である自らの神性の中に
神へ立ち戻って行く道を、今明かされているのである。

それをもってこそ、人びとが神の子であるという認識を
ほんとうに実感できた時こそ、人びとは物質世界のものを貪り
ひとり占めにするようなことから解放されるのである。

本来ならば分け与え、分かち合うならば、十分に足りる富もあり、食物もあり
様々なエネルギー資源もあるであろう、この地球には。

それをひとり占めにするから、自分たちさえ良かれと思って、戦い合い
占領しようとするから、いざこざが起き、貧富の差が起き
様々な苦しみや、戦いの歴史が営まれてきたのではないであろうか。

ともに神の子であり、愛の奔流であるということがわかったのならば
日々の三度三度のご飯を食べ、身を繕うもの
ともに豊かに暮らす十分なものを与えられたのなら
それ以外のものは、同じ神の子たち、同胞に分け与えていく。
それをもって喜びとする。
それが本来の神の子の、神性なのである。

何でもかんでも貪り、何でもかんでもひとり占めにし
他の者たち以上に富み栄えようという
そのような思いがあるから貧富に差ができ
片や、片方の者たちばかりが富み、片方の者たちは、食べる物もなく
飢えて死んでいくという事態が起きるのである。

調和をしていき、みんなでともに喜び合って
分かち合って生きていこうという
自分たちが愛の根源である
宇宙の根源につながる誇り高き神の子であったという
自分たちの魂の内奥は、そこに通じているのだという誇りがあってこそ
神の子たちは神のもとへ回帰していくことができる。
高い思いの中で生きていくことができるのである。
そなたたちは、もっとそのように理解しなくてはいけない。

それを伝えるために
高橋信次、エル・ランティという方は、魂の永遠性というもの
転生輪廻ということを、まず、初歩の段階で説き明かされたのである。
神の子であるということを伝えられた。
神の子であるということは、人びとの認識の中にあまりなかった言葉である。

キリスト教においても、自ら罪の子であると思い
自分たちは修行しなければ
とても罪ばかりに、カルマばかりにまみれていると
仏教でも、キリスト教でも言ってきたではないか。

でも違う。
自らは、神によりつくられた、素晴らしい神性の中に
神の子としての、愛というものを分け与えられた
誇り高き神の子であるのであるということを
エル・ランティは、しっかりとそなたたちに伝えられたはずである。

そのことをもって、今回の文明の総決算が行われる。
神の子であるということ。
そのことをしっかり認識し、この東洋から様々な文明を通し
世界を一巡することをもって、数々のローカルな地域の中に、様々な教えを
モーゼも、マホメットも、仏陀も、イエス・キリストも
そして我がギリシャにおいても、様々な他の場所においても
神理というのは降ろされて、まあ、みんな人類は学んできたはずなのである。

それを最後、地球の教えとして統合するために、西洋と東洋がぶつかる
この日本という地において合流させることをもって
神理の集大成を行うということ。

そして、それは神理だけではなく
経済においても、科学においても、芸術においても
すべてにおいて、ここにおいて集大成とし
再度、発信していくという意味を持ち
この日本の地というものを、神の国日本という
大和の地というものが設定されていたのである。

そのことをもって、インドに出られたときの仏陀ですら
「私はまた、ジャブドーバーのケントマテイに再誕する」ということを
予言されていた。

ある意味でいうと、仏陀の仕事は、かつて二千五百年前に
インドの地において生まれてやった仕事以上に、本来の本体が出て
この日本の地において再誕し
仏陀の本体としての本来の仕事を行うということをもって
仏陀の、仏陀という魂の、最後、本髄というもの、ご本人がやりたかった
最後の仕事の集大成というものをしたかったのであると思う。

それこそが、これこそが、仏陀におかれても、エル・カンタラーにおかれても
本来のメインの仕事であったということ。
その、志半ばにして、地球自体を救うという、発信するという仕事半ばにして
仕事を諦められたご本人の無念は
それは、それは深いものがあるということを私は代わりに伝えておこう。

それを、そなたたちがすべて引き受けるのは難しいかもしれぬが
大事な九次元の法というものが降りているのだから
それに、我々が助力をするから
その後に、世界に向けて発信していくという仕事を
ぜひレムリアでやっていただきたいというのが
そなたたちのほんとうの使命である。

それには一人、二人ではできぬ。
そのために、この今の日本の地に、仏陀の周りに
イエス・キリスト時代に出た者たちということで
何度も言っているが、優秀な人材が
この日本の地に降りているということ。

その者たちは、しっかり魂に刻むものがあるから、その心のセンサーを通じて
そなたたちの呼びかけに応じて集まってくるであろう。
そなたたちのつまらぬ噂、つまらぬ中傷があればこそ
ほんとうに彼らが見分ける目というものを鍛え抜かれて
それでも集まって来た者たちは、「あっぱれ」と言ってやりたい。
そういう者たちを一人でも、そなたたちは仲間に入れていきなさい。

今を見ていると、テープ起こしや、その製本にしても
みんなでもう、てんてこ舞いになってやっているのがよくわかる。
それは、人数が足りないからである。

ほんとうに覚悟を決めた者たちが十人いればいいとはいうものの
やはり人手が足りないということは
やはり一人ひとり負担がかかってしまうことである。

一人より二人、二人より三人、十人、百人、千人集まれば
それだけの大いなる力が湧くのである。
それだけの仕事ができるのである。

心に迷いのない者を、なるたけ一人でも多く集めていき
みんなで協力し、手を携え合い
そして、みんなでこの神のメッセージを聴け。

この神の国の計画の仕事ができるという喜びを分かち合いながら
そなたたちで精一杯、この仕事をやっていただきたい。
乗り越えていただきたい。

それをやっていったときには
必ずや素晴らしい地球自体の未来が聞かれてくるということを
私はそなたたちに保証しよう。請け合おう。約束しよう。

その夢を見るために、素晴らしい未来の夢を見るために
我々天上界は今、一致団結して
みんなでこの計画のために努力しているのである。

だからそなたたちも、今のままでよいから
けっして劣っているわけでもなければ
けっして、計画がそんなにひどく遅れてるわけでもない。

レムリアとしてスタートした計画である。
それにおいては、十分なぐらいの質の高さというものを
もうすでに確保しているから
そなたたちは、どうかこの道を、まっしぐらに歩んでいただきたい。

(2002.11.20レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-03-18 18:04 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(4)

もうかれこれ何年になるであろうか。
またわしが、そなたたちのもとにこのように出て来て
再びメッセージを送れることを、心から喜び感謝しよう。

そなたたちも様々なことがあり、今座っている者たちを見ていても
あの当時の者たちではなく、また、新たに頑張ってくれている者たちがいるのを
私は感慨をもって、今見ていた。

先日、ポセイドンが出ていたように思うが
わしとて、そなたたちが頑張り続けてきた、この数年を見ていて
ほんとうに地上はたいへんであると、心からあなたたちをねぎらいたいと思う。

よいか、わしが以前そなたたちに、「この者のもとに集まり
けっして、分裂することなかれ」と、繰り返し言ったことがある。
それは、別れること自体が悪いというのではなく
別れていかざるを得ないような状況をつくらず
みんなで心を合わせて頑張り抜けという意味をもって言ったに過ぎぬ。

いつの間にか心おごり
あれだけ、「神の子たちよ、謙虚であれ」と、伝えたにもかかわらず
この者を守護し、この者の力になるより
足を引っ張り、己自身の増上慢な気持ちの中で、自己実現を願い
あれだけ伝えたにもかかわらず、この計画のために無私になれなかった。
そのような者たちは、波長同通の法則の中において、ともに歩んで行けなくて
別れていっても致し方なかろう。

別れていった結果をもって、そなたたちの運動が間違っているとか
そなたたちのやってきたことが
間違った方向に向いているということではなくて
できることならば、今ここにいる者たちにも、今、再び伝えたい。

どうかひとりでも脱落することなく、心を合わせ
いつまでもこのレムリアのテーブルのもとに座り
我らが言葉を聴いていくことができるように、そのように精進しなさい。
そのように自らの心を制御し、神の道に精進していただきたいと私は思う。

今、この計画が起きたということを、そなたたちは再三、聞きながら
この計画が、どういう位置づけにあるかということが
まだまだ腑に落ちていないから、いろいろな者たちが来て
同じような内容を、繰り返し、繰り返し伝えるのである。

難しい難解な理論を伝えることよりも、今、この計画の必然性というものを
何ゆえに、このように諸霊が、天上界の諸霊が一致し
みんなで語りかけているかという
本質的なところが理解できなくては、何の意味もなくなってしまうから
同じことを繰り返し、繰り返し、様々な個性によって、様々な言葉により
今、天上界よりそなたたちへの指導が降りているのである。

伝える内容がないから、同じことの繰り返しになっているのではない。
そなたたちがしっかりと認識していないから、赤子に伝えるかのように
我々は同じ言葉を、繰り返し噛んで含めるように
そなたたちに伝えているのじゃ。

よいか、この東洋から発する、この大計画というのは
ある意味で、この文明の最終的な総決算にあたる。
過去、ギリシャに、エジプトに、そしてギリシャからローマに
そして、中国、インドというところを通りながら、様々な世界を一巡し
各文明のスポットというものは、高みというものは移動を続けてきた。

そして最後、この日本の地において、西洋と東洋の文明というものが
最終的に合流する場所として、日本という地が、この文明が起こされるときに
終点の地として選ばれていたということ。

だから、この文明が起きるときから
日本神道の神々というのはこの地を聖地とし
最終的なこの文明の、最終的な光明化の聖地として輝かすために
この地を預かった者たち、それを日本神道の神々という。
我々のもとより、我々の計画を、意を汲んで、この日本の地に降りられ
この地を長年にわたり守ってこられた神々なのである。

東洋の源流、西洋の源流が、この今の日本において統合され
そしてこの地より、地球のへそとなり、この地球全体の光明化と
愛への大変身をさせるための、その聖地として、灯台の地として
この日本という小さな島国が選ばれていたということ。
今回の文明というものは、我々の世界では、そこまで考えた上で
様々な指導霊を送りながら、文明を展関してきたというのが事実なのである。
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科学と宗教、西洋と東洋、資本主義と共産主義
様々な、相対立する相対的なものの流れの中で
それが最終的にすべてが統合され
それを乗り越える新たな霊的な文明、スピリチュアリズムを基盤とした
大いなる宗教がこの日本の地より発信され
今まで隠されていた、大いなる天上界のアルカナ秘儀というものが
すべて明かされることをもって
この地球をひとつの教えの中に統合し
愛の星へ光明化させていくという大計画が盛られていたのである。

もう、物質的なもの、人びとのひとりよがりな自己保存と
自分たちの欲にまみれた闘争による歴史を終えるためにも
本来の神の子の価値観というものが、この地上に降ろされる必要があった。

そのために、谷口雅春という方を皮切りに、高橋信次、エル・ランティが
九次元の大事な、大事な神の子としての、魂の永遠の転生輪廻
そして、八正道を中心とした反省行による
人びとがすべて神の子であるという
原点に立てということを唱えられ、それに応じ、O、仏陀と呼ばれる方が
法の大真髄というものを、集大成として降ろされてきている。

その教えを、九次元の教えをもって、この日本の地より様々な宗教を
様々なイデオロギーを、宗教も、科学も、すべてをこの中に投げ込みながら
ひとつの教えのもとにまとめ上げていくという
そのような大事業が展開されるはずであったのだ。

今、それをするときがきている。
今、新たにこのパイプがつながり
我々のメッセージを、このアンテナのもとに降ろせる以上
最後の総仕上げをしなくてはならぬ。

仏陀がやり残された仕事をするのが、そなたたち、レムリアの仕事。
誰でもができるような霊文明の紹介をしたとて、レムリアの使命にはならぬ。
仏陀がやり残した、九次元の仕事を継いでこそ
そなたたちの使命があるということを思いなさい。

神仏の使徒であり、我々、神の言葉を伝える、唯一の出先機関であるという
そのような磁場であるということ。
そのことをもって、仏陀の仕事の続行を意味するということ。

もうこれからの宗教というものは、様々な神話に彩られた
そのような人格神が神であるというような
そのようなものに、小さなものの中に留まっているようなものではない。

(2002.11.20レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-01-31 11:11 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(3)

難しいことは、よいのである。
地球の成立、宇宙の成立、ベーエルダからどのような人びとが来て
マゼランからどのような人びとが来たかとかは
そんなことはどうでもよいことなのである。

そなたたちには、早すぎたのかも知れぬ。
そんなもので道を失うな。
もっと、己が神性に気づくという初歩的にしていちばん大切なこと
そこにあなた方は照準を合わせなさい。
まずそこをすることだ。

かつて、0がやったことは、彼のあの時の勢いにまかせ
人類の神理というものを降らす
ほんの僅かのチャンスだったのである。

その後、我々は降ろそうと思っても
その神理は受け付けられなくなってしまった。
あの時まとめて降ろしたこと
それを、これから噛み砕いて人類は学んでいくことであろう。
しかし、そなたたちは、そんなに難しいことを説かなくてもよい。
根本的な愛の教え、神の子であるという
神理の中で最も基本的なその波動を人びとに発信すればよいのである。

その光と波動を嗅ぎつけて、心ある者たちはやって来るであろう。
どうか多くの人びとが集まって来る中で
そなたたちの足を引っ張ろうとする者たちもやって来ることであろう。

その時に気を抜くことなかれ。
しかし、そのようにスパイに来た者たちですら、ノックアウトしてしまうほどに
大いなる愛の光を発信せよ。

理屈ではない。
頭でっかちで理屈ばかりになって
無明の中に消えて行った僧侶たち、元仏弟子たち
彼らは知性に頼りすぎたのである。

悟りは魂で開くもの。
心で己が神性に出会うもの。
それが悟りであったはずなのに
神理の知識に頼りすぎ、己が地上に知らしめたい名声欲
己を偉しとする優越感、そのような執着が彼らの転落の原因になっている。

それも、ある意味で言うと、この世に対する執着なのである。
そのような流れの中に、また入れてはならぬ。
知識や情熱は、とても大切なことではあるけれど、根本的なことを忘れて
愛や慈悲を忘れては、神の心を受け取れないのである。

先日、そなたたちも聞いたであろう。イエス・キリストから聞いたであろう。
「神とは、愛ある者にこそ宿るのである」
「愛深き者にこそ、神命は降るのである」
「謙虚に、謙虚に神の言葉を受ける者、その者でなければ
己を偉しとする者には神の心は届かないのである」と。

さすれば、このように我らの声を聴けるそなたたちは、神より選ばれし者。
今、我の声を、このように聴けるというそなたたちは
とても幸福な者たちであるということだ。

それを、そなたたちの宝とせず、そなたたちだけの喜びとせず
多くの者に発信していきなさい。
そして、分かち合いなさい。

神が、今、どのようなお心であり
どのような計画を持っておられるのかということを
それを、多くの人びとに伝えていきなさい。
それなくして、そなたたちの使命はないと思いなさい。

地上にの隅々まで光を照らし、闇を消し去るほどの光を発信しなさい。
そうすれば、それ以外のことはどんどん光の中で正しいものへと変化し始める。
光が届かないから、ますます難解な闇となっていくだけなのだ。

シンプルでよいのだ。
そなたたちがやろうとしていることはシンプルでよいのだ。
そして、圧倒的な愛の波動を、愛と慈しみの波動を、分かち合いの波動を
かつてK会に欠けていた慈しみと、愛と平和の波動を
それこそが本来の神の波動であると発信していきなさい。

今まで伝えられていなかった、知に偏りすぎた諸法を
それによって神の心が伝わらなかった
その埋め合わせをそなたたちがしなさい。
それがそなたたちの役割である。

難しいことを考えすぎるな。
けっしてOが降ろしたような理論書とか
そういうものをそなたたちが降ろせとは
そんな無理なことは神々は言ってないのである。

それがつかめぬので、そなたたちはとても苦しんだのかも知れぬ。
もっともっと、我々のほうへ心の針を合わせなさい。
そうすれば、我々はいくらでも説明するであろう。

苦しむことなかれ。
そなたたちの苦しみぐらい、私たちはよくわかっているのである。
苦しいこと、この計画に対してどれだけ無理がかかるかということ
それもよくわかっている。
それがわかった上で、そなたたちに依頼しているのである。

我々も、もうあとがないのである。
我々もこの時、最後の決着をつける計画を
絶対に負けないという最後の計画を
この地球を光の国に変えるという、光の星に変えるという最後の計画を
私たちは実現したいと思っているのである。

九次元、十次元の使命は、そなたたちに、なかなかわからないであろうが
ひじょうに微妙な時期に、この地球があるということ。
このような成長できるチャンスは、なかなか、またこないのであるということ。
このチャンスを最後まで生かしたいのである。
この地球自身のレペルアップに、ここまで頑張ったのであるから。

高橋信次、エル・ランティが出られ、仏陀が出られ
少なくとも、そこまでの神理知識、基盤が、この地上に降りているのである。
今なら、まだ間に合うのである。
それを、ゴミだめに捨てないようにするために、それを守ってほしいのである。

我らの世界からこの地上に、それを降ろすということは
それはたいへんな、たいへんな困難なことなのである。
やはり九次元レベルが立て続けに出なくては
このような神理知識を書物として残すことなどは
到底、不可能なことなのである。
そして、今一度、九次元が降りて行っている、不屈的な計画なのである。
それほどに、皆、この地球計画を、我々は成功させたいのである。

だから、そのつなぎとして
そして、単純でシンプルであるかも知れないけれど
何度も言うが、最もかけがえのない大切な愛と慈しみの波動を
この地上に発信してほしいのである。
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我ら、ギリシャの時代。
人びとの語り、ストーリー・テラーたちによる神話の語りにのせ
そして、ハープの音色にのせ、絵画にのせ
あのいまだに世紀の傑作といわれている、ギリシヤ彫刻や建築物にのせ
神の世界とは何であるのか
人間とはどれだけ神に愛された、素晴らしい神の分身であるかということ。
それを、あの彫刻や神殿の中に神とは何かを表現し
それが、今、三千年を越える今日まで伝えられているのである。

今一度、それを発信せよ。
そのために、芸術があるのだということ。
芸術のために神理があるのではない。
神理を広めるために、その方便として芸術があるのだということ。
そこはけっして今回も誤ってはならぬ。
そこをしっかりと言うのである。

そなたは、かつて、そこのところを人びとに言ってまわったはずである。
今度も、けっして人をたくさん入れることをせんがあまり
それを逆にすることなかれ。

単なる芸術家集団であるならば
我々の目から見たら何の役にも立たぬものである。
神の真意を伝えられてこそ、神理の人たちの芸術は花開くのだ。

神からインスピレーションを、たくさん受けられるような
そういう芸術家たちを集めよ。
そして、書物として発信できるような作家たちを集めよ。

芸術という単なる絵かきというだけではなく
音楽、小説、詩、さまざまなものにのせて
愛の波動を、神の波動をこの地上に発信せよ。

かつて、K会の一部として、遠慮しながらやっていた時代は終わった。
今度は、そなたたちが堂々とやるのである。
さすれば、何の遠慮もあるまい。
そして、今度こそは、ここを中心に神の光が降りる。

そなたたちの使命が成功することを、私たちは心から祈っている。
そのためには、いかなる援助も、いかなる励ましも
我はいつでもやって来て話そう。

先日、ポセイドンとも和解をし、海神としてこの地上を援護すること
エネルギーを送ること
そして、そなたたちの警備をすることを約束してくれた。

何千年ぶりで会っただろうか。
心を分かち合い、かつての弟と和解できたということを
私はほんとうに喜んでいる。

そなたのところに、日本神道から海神の娘が降りたことにより
我々も海神同士のつながりの中で、また歩み寄ることができたのである。
何をやっても、一生懸命進むのであるならば、何も無駄なことはない。

我らの言葉を信ぜよ。
光のほうに向かって進み出せ。
そなたたちの中で、もっともっと、大きな力を持ち
もっともっと、そなたたちを激励し
ともに歩む者たちが、もうすぐやって来るのである。

我らには見えているのである。
だから、しっかりと基盤を確立せよ。
この一年ちょっとの間に、しっかりと基盤を確立せよ。

どんなことが起きても、けっしてひるむことなく
けっして己れ自身を高ぶることなく
この計画を隅々まで理解し、命がけで頑張れる、そなたたちを早く確立せよ。

組織など、その後、動きだせば、多くの者たちが傾れ込んで来るであろう。
まず、核となる者を、しっかりとつくることである。
そうすれば、そなたたちは焦ることはないのだから。

では、今日はこのくらいにいたしましょう。
また必要とあらば、我を呼びなさい。
我はいつもそなたとともにあるのだが
そなたは私のことをあまり気づいてくれないようである。
呼んでくれれば、いつでも来よう。
一人で心細くして、泣いていることなど少しもないのである。

私は、そなたのことをいつでも応援しているのだから
けっして一人で悩まなくてよいのだ。
ともに、神とともに歩もう。
我々は常にあなた方の味方である。

(2002.11.20レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-01-26 08:36 | ゼウス | Trackback | Comments(0)

ゼウスからのメッセージ(2)

今、数少ない、そなたの援助者たち。
彼らは神より祝福されている。
よくぞ立ち上がり、よくぞ、そなたを支え
ともに歩んでくれているものだと、心から感謝をしている。

そなたたちがやったことは、あとで多くの神々の称賛の的となることであろう。
それを信ぜよ。
そのうちに、あなた方に基盤ができれば
傾れ込むように多くの方がたがやって来るであろう。

その時に、初心を忘れることなかれ。
けっして今の、この謙虚さと、この最初の頃の苦労を忘れることなかれ。
絶対に分裂することなかれ。
心を一致させ、神に向ける謙虚な、謙虚な心の思いを、姿勢を忘れるな。
それさえなければ、かつてのようなことは起こらぬ。
選ばれし者は能力があるがために自己過信に陥り、「我こそ神ぞ」と思い続け
天上界の神に対し反乱が起きてくるのである。

自らを偉しと思う気持ちにサタンが入る。
神になりたかった男、ルシファー。
彼の思いと同調したときに、地上の指導者は落ちるのである。

落ちた者たちを見てみよ。
どれだけ力のある者たちであったことか。
我々も、絶大なる信頼を寄せていたのだ。

ヘラにしてもしかり。
ならば、ヘラのできなかったことをそなたがやりなさい。
そなたはヘラとともに、いつもいた者ではないか。

ヘラが何をやりたかったか。
何がやれずに、今世、孤独の中にいるのか。
それがわかったならば、そなたが代わりにしなさい。
それが、唯一、彼女を救うことになる。

ヘラも、今世の命を終えて帰って来たとき
何か起きたのか、我々から説明をする時がくると思う。
その時のことを思うと、私はとても不惘なのだ。
しかし、神のほうを見なかった者たちは
いかなる援助を天上界から与えようとも
そこに、もう光のパイプが通じないのだということ。

謙虚であれ。
地上に降りた光の天使たちよ、謙虚であれ。
至高の存在、天上界の神に対し、謙虚に、謙虚にぬかずき祈れ。
そして、自らの使命と役割を知ったならば
命を捨て、命がけでその道を精進せよ。

あと数十年の命、この地上にのみへばりついて
どれだけの価値を見い出すやらわからぬが
我々から見たら、神理のために生きた功績以外
何の価値もないものだということ。
それを知ることが光の使者なのである。

我々、九次元からの霊指導を直接行うということ。
九次元のOであるならば、それは、たやすいことであったやも知れぬ。
しかし、このような形で我々と直接、話が聴けるということは
これから先、そう度々あるということではないのだ。

次の世代に、また、新たな計画を用意してある。
今は、急邁、降りて行った光の天使たち
その者たちに、その神意をしっかり伝えねばなるまい。

それほど、彼らは細かいことを決めぬうちに降りて行っているが
彼らを、また、迷わすことのないよう
できるだけ確かな足取りを、方向を、道しるべを残していってほしいのだ。
確かな神埋かどこにあるのか、そして天の意思がどこにあるのか
それを、人びとに伝えてほしい。

敵も多いであろう。
スパイも多いであろう。
そなたたちが、どのように戦えるのか。
これから一年ちょっとの間に、しっかりと準備しなさい。

動きだせば早いのだ。
動くまで、緻密な用意周到な計画を立てよう。
それが最後の戦いとなっていくのだ。
ここで決着をつけねば、次の世代が新たな法を説いたとき
また、その余波を引きずることになる。

そなたは戦いの女神。
そのような時にこそ、そなたの出番である。
モーゼもおっしやられたであろう、このような時もくると。
そなたにも、この地上に出て来るとき、申し渡したであろうと。

何がいちばん大切であるのか。
この地上を去るとき、そなたの人生悔いなしと
心から思える状態で帰って来なさい。

精一杯やれば、その結果については神々は何もおっしゃらぬ。
まだまだ、自信がないので、聖クザーヌスにしても、私にしても
そなたに自信を与えるために、今、出現しているのである。

もっと自信を持ちなさい。
いつまで自らを疑っているのだ。
疑っている間に、時はどんどん過ぎていく。

確かに、いきなりこのような計画を降ろされれば
混乱し、逃げたくもなり、泣きたくもなるであろう。
しかし、それほどに、今は時代の山場に至っているということ。
これをするがために
今、さまざまな災害、天変地異が引き止められているのだということ。
そのことがわかったならば、一刻も早く準備をせよ。

そなたが高らかに宣言をし
詩のように多くの人びとに呼びかけを始めたとき
その言葉にのせられ
かつて、そなたの言葉を聞いた者たちが集まって来るであろう。

そなたは女性であるがゆえに、今世も多くの批判や試練を受けてきた。
しかし、ほかの女性なら、それもまた難しいかも知れぬが
そなたはいつも女だてらに戦ってきた。
そう、批判に強い魂なのである。

今、男性が正面に出るよりも、女性が出たほうがよいのである。
次に孔子が控えている以上、下手に男性が中心に立てば
その者にバトンが渡らなくなるのである。

そなたが母なる思いで、今、この者たちを集め
そして、孔子にバトンタッチしていかねばならぬ。
この流れが、次に天上界の計画で、孔子が出られているのだということを
皆に伝えねばならぬ。

孔子も相当な覚悟で、今、急濾、降り立たれた。
彼の現在の環境も、たいへん難しいものであるけれど
孔子はしっかりと覚醒され、その使命を果たしてくださることだと思う。

その時になれば、我々もまた、天上界から彼に向けて
渾身の呼びかけを始めることであろう。
今はまだ幼すぎるがゆえ、そっと見守ってやってほしい。

孔子の幼き頃より、彼自体は守られているのである。
光の軍勢が彼を守っている。
だから心配するな。
彼のことを信ぜよ。
我々も、また彼のことを信じている。
だから、彼が立っていくその時まで
その歴史的な空白をそなたたちが埋めねばならぬ。

かつての霊言集を、人類の遺産と思ってくれている人びとがいるうちに
彼らを集め、彼らとともに歩め。
そのための方便として芸術を使え。

昨夜、お風呂の中にそなたがいるときに
さまざまな詩の文を降らせたのは私である。
あのようにすれば
一般大衆に向けてのメッセージが発信しやすいこともよくわかったであろう。

そして、この会の代表を別の人にすることによって
そなたもほっとして、逆に力を出せるのだと思う。
しかし、最後、中心に立つのはそなたであるということを
それをけっして忘れることなかれ。

今は方便で、彼が前面に立ってくれているのである。
我々の意思を代行するものはそなたなのであるということを。
そなたを敵の目から隠すために、矢面に立てないために
このようなシステムをつくるということ。
だから、今、多くの蓄えをせよ。
数多くの霊言をとり、そして、これからの組織について、しっかり準備せよ。
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先程、読んでいた書物を見ればわかるように、かつての仏法僧で
かつ、神の心をしっかりととらえている力のある者がいるのだ。
彼らはとても優秀であり、とてもストイックな真面目な者たちである。

そなたたちがふわふわしていたのでは、彼らに押し切られてしまうのだ。
熱意と情熱においては、誰にも負けぬ一途さを持っているのが彼らである。
彼らを、そなたの母性で包み
そして、母親のような気持ちで彼らをまとめていきなさい。

男性ではまとめられないのである。
「我こそは」と、また思ってしまうのである。
まとめて、人びとの心を調和させ、今、どういう時期にあり
天上界の計画は、どのように練り直されているのか
それを彼らに伝えていきなさい。

新たな人びともやって来るであろう。
多くの人びとに神理を伝えていかなくてはいけない。
それは芸術にのせて、新たな人に向けて発信しなさい。

そして、もうひとつは、かつての信者たち、その者たちを
もう一度、集めるということ。
これはK会に残っている者たちで、未だに残っていて
その真意がわからない者たちのことを指しているのではない。

心あるからこそ、あの時、離れていった、迷える元会員たちを
もう一度、集めなさい。
彼らは行き場をなくしている。
かつてのG会をやめていった者たちも同じである。

彼らは、それぞれの思い込みがあるし
それぞれの価値観も違うし、難しいものではあると思う。
しかし、変に理屈をこねないほうが、彼らは集まって来られるのである。

芸術の波にのせて光を発信せよ。
そして、純粋なる神の思いをこの地上に強めていけば
その後来る者たちが、その光の磁場で仕事ができるようになるのである。

そなたたちが立ち上がったことを、我々は心から祝福しよう。
やっと覚悟を決めてくれたのかと、心より喜ぼう。
天上界の神々は、そなたたちを祝福している。

このような難局の中で、もし、この使命を立派に全うしたのであるならば
そなたたちはたいへんな功績を残し
たいへんな力を得たのと同じことになるのである。

だから頑張れ。
だから命がけで進め。
それが今世、最後に、そなたたちに降ろされた神命である。

人びとの心を大切に、人びとの心を光のほうに向けよ。
闇に染まり、真っ暗闇の無明の色となろうとしているこの地上に
あかあかとした、大きな松明をかかげよ。
そなたたちたちがしようとしていることは、そういうことなのだ。

神という大きな松明、その光をいくつもかかげよ。
そして、真っ暗な中で右往左往していた人びとを、神の国へ導くように誘え。
皆、地獄に行きたい者など1人もいないのである。
ただ、神のもとへ行く道がわからなくなっているだけなのである。

この真っ暗闇の中で、神のもとへ、神のもとへ人びとを導きなさい。
闇など恐がることなどないのである。
闇とは光が消えた状態、それが単なる闇である。
今一度、光が輝けば闇はなくなる。

光の不在、それが闇である。
最初から、サタンたちがいるから闇があるのではない。
人びとが神の心を忘れたから、闇が広がっている。
それだけなのだ。

もともと、地上を埋める、この多くの者たちは
誰一人もれることなく神の子なのである。
その一人ひとりの中には
素晴らしい神の子としての神性が、その光が灯っているのである。
神の光が入っているのである。

それを、今一度、目覚めさせ神の光に点火させよ。
神のもとへ!
神のもとへ!
何をあなた方、一人ひとりが本来望んでいるのか、持っているのか。
気づけよ、気づけよと、光を発信しなさい。

聖クザーヌス:アトランティス文明で神は理性的なものであるとする
「理神論」を説いた方。
九次元霊マイトレーヤーの過去世の一部。

(2002.11.20 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-01-21 17:22 | ゼウス | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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