地球を愛の星へ

カテゴリ:高橋信次( 55 )

高橋信次からのメッセージ(38)

結果はいいんです。
生きているうちの評価などどうでもいい。
それは、時間の流れの中で、振り返って言われることでしょう。
人の評価など気にしなくていいのです。
己の良心、神の子としての神性に照らし合わせて悔いがないか。
自分自身に悔いのない一生であったか。
愛を生きることができたか。
そこをもって、神の子としての修行の集大成が行われるのです。

いいですか。
今回のテストは、今世の修行は、集大成なのです。
トータルな意味で、愛を学ぶ最終的試験であるということ。
試験っていうと、また帰りたくなくなっちゃうかも知れないけども
それは別な意味でね
あなた方自身が、自分に課してきた課題だということだよ。

この地上で流されて終わるか。
自分のカルマの癖で、理念だけで終わってしまうか。
それとも、地上に、三次元に降りたのだから
「努力して、人生光り輝かせていきます。
救世運動の中、大いなる活躍をします。」と
約束して出てきているー
誓った内容をなせるかということ。
そのことが問われている。

いいかい。
この今、語っているときから、今日から、一日も無駄にしないこと。
生きている限り、愛を表現する者であること。
愛すること。
愛というのは理屈ではない。
自分の愛する者を、トータルに
いいところも悪いところも含めて受け入れて、愛し抜く。
これが愛の基本です。

それがわかったのならね
他の人類、他の国の人、他の人種
身分が違おうと、宗教が違おうと、文化が違おうと
あらゆる人たちに対して
トータルにありのまま相手を受け入れ
愛するということを学ぶことができるでしょう。
それを学ぶのが愛なのです。
それが人類にできていなかった。
それを学ぶ段階にきたのです。

ありのままに受け入れて、ありのままに愛し返していくということ。
相手を生かすためにがんばる。
それを愛の摂理というのです。
そうやって、あなた方は大宇宙の神に生かされているのですよ。
そうやって、僕たち天上界の者たちに指導されてきたということ。

あなた方の中から、七次元、八次元と上り
九次元が出ることを期待しています。
この理念の中で無限の努力を積み重ねていくうちに
地球系の九次元が出てくるのもそう遠くないと思っている。
九次元がどんどん誕生してる星もあるんだよ。
でも地球系で九次元まで行った者はないからね。
九次元の者が出てほしいなあと、僕たちは思っている。

九次元になるのは、そんな難しいことじゃないんだ。
愛をちゃんと学んだなら、地上で実現することができて
無限の愛を持つ、無限の愛と赦しを持てること。
それが、究極の神に至る道であるということ。
ただ、それを知って、行える者であるという、それだけなんだよ。
専門的なことを何でもかんでも知っているかというと
そういうわけではない。

愛が無限の赦しであるということ。
そして、無限に生かす愛であるということ。
それを理念だけではなくて、実生活の中で行うことができ
生き様としてあらわすことができる
そうなったときに我々から見たら
ルシフェル、サタンを赦せないなんてことはない。
彼もほんとうに、いたずらな、いたずらっ子ないとしい息子でしかないんだよ。
私から見たら、いとしい、いとしい息子。
他の九次元から見てもそうかもしれない。
僕にとっては、特にそういうところがある。

いちばん出来が良くて
いちばんきかん気があって、美しい、優秀な息子だった。
その息子が、父親に刃向かっている。だからといって
刃向かって、姿を変えてるからといって、父親が息子を切り捨てるかい?

そんなことはないだろう。
神が永遠の命を与えてくれた以上、私は彼が来るのを待っている。
もう一度父親と呼んでくれて、手を取り合って
彼といっしょに歩んでいける日を待っている。

ミカエルも待っている。
みんな待っている。
誰も彼を裁かない。
彼がやっていることも人類にとって、私たちにとって
大いなる学びであると思っている。
そういうふうに、彼を見守っている。
エル・ランティの意識として、彼を見守っている。
そういうところがあります。
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誰も、彼を悪だと決めつけ、悪を赦さないとか、そういうふうには思わない。
彼が撹乱しているせいで、ひじょうな迷惑をかけているのはわかるけれども
でも、そこから学んでいくのも、人類の英知の、ひとつのあらわれかもしれぬ。
彼によって撹乱されてしまうということは
ほんとうの意味での神理、愛、法が根づいていないということだから。
そう、僕は思う。

「彼自体のことも、ある意味で、すばらしい教材である」と
マヌ様がおっしゃった。
私もそのように思う。
そのように、他の九次元の方がたから見てもらえることをとても喜んでいるし
もともと私か連れてきた者だから、責任も感じるけれど
彼のことを、このようなことになってしまったゆえに
深い愛の思いで彼を見守って、待って、受け入れていきたいという思い
それは、前以上に深いものとして
彼に対しての愛が強くなっているのだと思う。

だから彼を裁くことなく、裁くことはたやすい。
裁くことは何の意味もなさない。
逆に、彼がいてくれたおかげで
私も、愛が何であるかということを深く学ぶことができた。
今回の件で、仏陀も、愛が何であるかということを深く学ばれることでしょう。
だから、この失敗は、一見
あなた方の世界から見たら、不手際と思われることかもしれない。
でも、永遠から見たなら、それも、魂の修行の段階であったということ。

ほんとうに学んでいたのなら、たとえば、あなた方がほんとうの意味で
高校生になっていたなら
掛け算、九九を間違えろと言っても、間違えられないでしょう。
でも間違えちゃうということは、それは、まだ―、
掛け算は、―の段から言っても九の段から言っても、ひっくり返しても。
言えるように、みんなやるじゃない。
2年生に習うっていっても、
3年生、4年生だとまだときどき間違えちゃうかもしれないけれど
中学生、高校生、大学生になって「九九を間違えろ」って
言うほうが無理だよっていうぐらいに、こなれてくるでしょ。
それと同じだと思う。

ルシファーが、ルシフェルが、多少のことを言っても
そのトリックにかかって、人類が文明を失敗してしまうのならば
ほんとうの意味では習熟していなかったということでしょう。
だから、「失敗したら、復習しよう」と
何度でも復習してきたのが人類の文明なんです。
でも、やっぱりいつまでも小学校にいてもしょうがないよ
中学校に行こうというのが-、
次はもっと、ピタゴラスの定理や二次関数
そういう、もうちょっと学問らしいものにいこうよと
九九は卒業しようと、そういう状況かもしれない。

だから、サタンが悪いとか、地獄霊が悪いって
エネルギー的にも引っ張られちゃうところはあるけれど
彼らを責めるのではない。
彼らが、自分の足腰を鍛えてくれるのだと思いなさい。
自分自身が学習していなかったところを気づかせて、学ばせてくれてると
足腰を強くしてくれるんだと思って、彼らを愛の思いで赦してあげて
彼らが愛の中に、光の天使として戻ってきてくれるときを待とうじゃないか。
それが、一切裁かずに、無限に赦しの中で受け入れていくということ。
受容するという、本来の神の大愛、自分たちが光の子として輝く道なんだよ。

けっして人を裁いてはいけない。
裁いたら、さばいた物差しで自分が裁かれると、イエス様もおっしゃっている。
裁くのでなく、彼らの苦しみを、彼らの位置を
彼らの状況をほんとうに理解して、赦して待つということ。
彼らの姿が見えたなら
もう二度と、あなた方は彼らのトリックに引っかからないでしょう。
それがわかるくらい学びなさいということなんだ。
それができれば、ルシファーたちのやることは終わっていく。

彼らも、反抗に使えるのは
ほんの一部の者だけであるということを学んでいくだろう。
多くの人々が彼らのトリックに惑わされなくなれば
彼らもエネルギーを失って、本来の姿に戻れるようになる。
そのことを私は思っています。

(2005.8.6レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-10-08 14:00 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(37)

あなた方は、こちらの世界にいたときに
愛の原理というのは、たくさん学んでるんです。
あなた方くらいだったら、もう十分学んでるんです。
でも、「じゃあ地上に出たときに
その七次元で学んだ愛の原理をなせますか」ということが
あなた方の試験ですよ。
やってますか?

愛というのは、漠然とした人類に対する愛じゃないんですよ。
日常のささやかな一コマのなかに、生きた愛の姿をなしていくということ。
行いの中になしていくということ。
ミクロ的には夫婦や、家庭の愛から
マクロ的には、人類に対する愛として広がるんです。

身近な人、親を大切にしたりとか、愛する妻、愛する恋人をね
夫を愛せない者が、愛する娘たちを本気で愛せない者が
人類は愛せないんだよ。
そこを、あなた方は勘違いしちゃいけないよ。
神職にある者、神の使者にあった者たちは、どうしてもそういう抽象的な
漠然とした観念の中で愛を唱えたがる。

でも愛というのは違うよ。
マザー・テレサが言ったように、理屈ばかりを言って
排斥する他の宗派の者たちに対して、「私は忙しいんです。
あなた方、私を非難するなら、そこに座って私を見ててください」と。
それで、マザー・テレサは何も言わず
黙々と病に苦しむ患者たちの世話をした。
そのうちに、他の宗派の人たちは黙っていなくなった。
それくらい愛というのは、語るのではなく、行いの中で
日常の一コマ一コマで、全身全霊で捧げ尽くす、その姿、行為を通して
自然に人に語られ、人の心を動かしてくるものなんだよ。

だから、その愛を、単なる理念だけで言ってははいけない。
それはあなた方の人生をもって、その後ろ姿で、あなた方が示していくことで
救世の大運動というものが、ほんとうの意味で広がっていく。
マザー・テレサというあの小柄な女性ひとりが
ここまで世界を変えたじゃないか。
やり続けたじゃないか。
それは彼女が語った言葉かい?
彼女はけっして雄弁な人ではなかった。
「マザーの言うことは、言わなくてもだいたいわかります」というのが
みなさんの言葉でした。

彼女はそれほど説教のうまい人ではなかったからね。
でも、彼女は、全身全霊をもって自分の人生を
まあ、キリストといったけど、神そのものに捧げてた。
病に苦しむ患者、街で死にかけている子どもたち
食べるあてもなく子どもを抱えたご婦人たち、貧しい子どもたち
すべての中にキリストを見たと言った。
神の子として、神の姿を見たんだよ。

自分の使えるキリスト、神のお姿を、一人ひとりの弱き者たちのなかに見たとき
彼女は全身全霊で、自分の愛する神のために、彼らを助け続けた。
その行いを通して、あんな小さな女性のやった行為が
世界中の者たちの感動を誘い、世界中の人々を神のもとに立ち戻らせ
愛というものが何なのか。
神の使者というものは現実にいるのだと
この地上にいるのだという深い感動を与え
世界中の人々を動かしたんじゃないのかい?

行いがあってこその愛の使行、神の使者だということ。
理屈を言うだけなら、いくらでも言えます。
それは、僕自身が愛を、法を語ったのに、それを実際に具現化する
具体的なことを社会に広める時間がなかったから
教えだけでしか残らなかったー。
教えを具体化できる弟子たちに期待をしたけれど、それが具体化しなかったから
高橋信次なんて何を伝えたのかと-。
闇に葬られようとしている。
そういう状況になってしまった。

教えの内容は、はっきり言って恥ずかしいものではないと思ってるよ。
僕の残した教えは恥ずかしいものだとは思ってない。
十分、根本法として通用すると思ってる。
でも、それがほんとうの意味で、生き様の中で
人類にその後ろ姿をもって伝えられていかなかったら
どれだけ九次元の根本法が地上に降りたとしても
少しもそれは世の中に広まっていかないということだよ。

マザー・テレサは、九次元の根本法なんてなんにも知らなかった。
単なるカトリックの修道女、一修道者にすぎなかったけど
全身全霊をもって、愛の行いの中に人生を生き、捧げ尽くした。
その姿をもって、神の懐の中に戻っていけたし
神のお姿そのものをこの地上にあらわすことができた。
まさに愛の通路として、愛のチャネラーとして、神様の愛の道具として
地上に降り立った光の天使として、彼女は存在しえたということ。

「愛の通路となりなさい。愛の道具となりなさい」とアモールが言いました。
その姿を、あなた方一人ひとりがやったら
ここに、何人のマザー・テレサが誕生すると思う?
その、あなた方の神の子としての本来の神性に火をつけるために
我々はこうやって地上に降りてきて、あなた方に直に話をしている。
九次元の話を、直で毎回聴ける者はいないけれど
天上界においてもあまりいないけれども、それでも、僕たちは話をしている。

あなた方が肉体を持っているということは、それはある意味で
半分、目が見えないのと同じ状態であるけれど
そのうえであえて肉体を持ち、これだけの覚悟で
レムリアに集まっているということをもって
あなた方に第二第三のマザー・テレサになってほしいと
そう心から願うから、こうやって、毎回出てきてるんです。

いいですか。
愛というのは、自分の身近にいる者をほんとうに愛しえたときに
愛のほんとうの意味を知るんだ。
だから、愛を単なる空理空論のものとして
言葉だけ、便宜的に使ってはいけないよ。
まず、身近な者をほんとうに愛する。
そして、愛溢れる仕事をする。
愛溢れる使命を果たす。
その日常の行為、人生のさまざまな行為の連続の中に
最終的に、愛の通路として、愛のチャネラーとして
いいかい。
愛の道具として花開くときがくる。
そのときこそ、あなた方の小宇宙が、あなた方の神の子としてのー

みんな神の似姿につくられている、ひとつの宇宙だと思いなさい。
「あなた方の体こそが神殿である」ということをアモールはおっしゃった。
あなた方を、ひとつの小宇宙と呼ぼう。
神の姿の宇宙が、そのままにあなた方の肉体を通してあると。
そこに、神の子としてのすばらしい愛の光が宿っている。
その光をビッグバンのように発信しなさい。

あなた方が、この地上に確かに生きたのだという証を
愛の爆発の中で、光を作裂させていきなさい。
そうすれば、必ずや多くの人々が
神の子としての光に、爆発した愛の光の衝撃によって
自らの神性に気づいていくことでしょう。
その神性に気づかせていくということが
光の使者、神仏の使者の仕事なのです。
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この人(アマーリエ)が「私は、多少治せても、病人の治療とか
ほかのチャネラーみたいな仕事ですね
よくテレビとかで出ている、ああいうものに興味がない」って言う。
好きじゃないと-。
これが神仏の使者の証です。

神仏の使者は
この地上に神仏の教えを伝えることをもって、使者としての仕事をなすのです。
だから、病気治療や加持祈祷、悪霊はずし
そのようなものは、神の理念を伝える者とは、また違う立場にいるわけです。

この人も混同していて、意味がわからないようなので
はっきい言っておきます。
あなた方は病気治しや、悪霊取りをするためにきたんじやない。
我々の言葉を教えとして
神仏の愛の理念を伝えるためのメッセンジャーとして
この地上にきたのだと思いなさい。
そのためにレムリアの仕事はあるのです。

だから他の、ヒーリングは多少やることはあっても
ほかの、霊言を伝えている団体の中にも、ヒーリングなどをひどく嫌がって
神仏の言葉だけを、チャネリングだけを優先して
伝えているところもあるでしょう。
ですから、キリスト教系のシルバー・バーチとか、あるはずですよ。
レムリアは、天上界の計画を地上に降ろすため
神仏の、僕たちの言葉を、教えを降ろす出先機関であるということ。
その期待を担っている、神仏の使者の中で
最も尊い位置にあると思いなさい。

法を管理している場所だからね。
宇宙の法を降ろしている場所であるということです。
そのことは、病気治療や他の霊媒がやっているような
悪霊はずしなんていうのとはまったく次元が違うということ。
高級な理念を理解する、認識力のあるあなた方のところにしか
法は降りないということです。

認識力がなければ、「豚に真珠」になってしまう。
僕たちが語る愛の摂理、愛の教えが、あなた方の心に深く染み通っていく。
それだけの準備期間を、あなた方は、人生の中でつちかってきた。
だからわかるのです。

何も準備のない者に、この教えを言ったとしても響かないでしょう。
それは、あなた方の人生、一コマ、一コマを誠実に生きてきた、その証である。
ある意味で、この状態にいるというのはご褒美なんですよ。
そう思ってください。

いちばん大事なことは、神の基本理念を、法を
地上の者たちに伝えられること。
そして次は、地上に降りた法を、地上の人たちに
具体的な行動として、日常の中に表現して見せることです。
表現なしの愛など何の意味もない。
愛の言葉など意味がない。
愛とは、自分を滅して他者を愛し抜く、トータルな献身的な姿にあるのです。
その姿をもって愛というのです。
我が身かわいいと思っている気持ちがある以上は、まだまだ、だめなのです。

愛の姿がほんとうにわかったとき
その人は、ひとつの宇宙として、ひとつの神殿として
光り輝いた神の化身として地上に降り立つのです。
それを、マザー・テレサが見せてくれた。
マザー・テレサと同じことをやれとは言いません。
マザーはマザーのやりかたでおやりになったのです。
あなた方も、あなた方の姿を、あなた方の意志と心からの思いで
ご自分の個性を通して、光の使者として最大限に光り輝きなさい。

(2005.8.6レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-09-21 19:19 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(36)

愛というものは、トータルなものであるということ。
いいかい、自己限定することはない。
さっき、天上界での自由
それがどういうものかっていうことをお尋ねになっていたけど
あなた方、天上界行くと堅っ苦しいんじゃないかってー
いつも、以前の団体で学んだ名残が後遺症になっているんだよ。
試験、試験で、勉強で、上に行けば行くほど大変だから
上に行きたくないとか。
天上界に行くと、楽しいかわいいおねえさんもいないし
お酒も飲めなくなるし、とか。
そういうふうに思ってるから
天上界に行くと自由がないんじゃないかと思うんでしょ?

かわいいおねえさん欲しいしね。
おいしいものも、うまい酒も飲みたいっていうのが
気持ちの中にいつもあるからね。
天上界行くと自由がなくて、つまんないんじゃないかと思って
それなら、上よりちょっと下のほうがいいかな、なんて
裏のほうがいいかな、なんて思っちゃうんでしょ、すぐね。

そうじゃないんだよ。
上は楽しいよ。
自由ですよ。
それを証明するために、ゼウス様に出ていただいたり
マヌ様に登場してもらってるわけですよ。

どうも、人類の見方が、天上界に対しても偏ってしまった。
まじめなことはいいんだよ。
お坊さんたちが一生懸命、一途に法を学ぶ姿。
それは尊いし、人類における、精神文明のリードは
常に彼らの功績によって支えられてきた。
そのことばすばらしい、ありがたいことだけれど
それを追求せんがために、どうしても、一部分が絶対であるという
愛の偏り現象をつくってしまったかもしれないよ。

愛というものはもっとトータルなもの。
いろんな部分が神様の中にあって、一部分だけが極端に肥大化すると
どんな良いものであっても、偏りがあったら
愛と呼ばれなくなるときもあるんだよ。
母親の愛でも、子どもを愛するあまり、すべてを犠牲にして
その子どもを縛るような思いでやったときは
母の愛も、どれだけ世話をしたからといっても
それが子どもにとって悪になってしまうこともあるでしょ。
それと同じだよ。

だから、何でも行き過ぎればなんとやらってところがあって
偏ってしまうといけない。
お坊さんたちの思いも、行き過ぎていってしまったら
それを本来は法の道のためにね、一途に神の仕事を果たすために-
人類に、男性とか女性というものだけで、初歩的なところで
何もわからない者たちに
「女性と遊び暮らしたって、地獄に堕ちないんだよ」って言ったたら
むちゃくちゃなことも起きるような
そういう原始の、古代の時代というのがあったわけですよ。

その中で、ひとつの秩序の中で
神の愛の理念を伝える、メッセンジャーたちに限ってのみ
女犯の罪というか、女性とあまり触れないで、一途に信仰に生きる姿が
宗教のプロであるお坊さん、宗教者という者の中に義務づけられて
その中で一途に信仰の道というものに努力してもらった。
その姿が、仏陀サンガーにおける、坊さんたちの姿でもあるしね
神職とか、キリスト教の中でも、一部の神父さんとかもそういう姿でしょう。

それは、やはり混沌とした時代の中で、神の使者としての役割を果たすために
やはり多くの人々が欲を絶って
神仏に一生を捧げたという、美しい姿があるんだ。
その姿自体が間違ってたということではない。
それで人類はリードされてきた、精神史がリードされてきたという時代がある。
しかし、ある程度の爛熟期がきたとき、犠牲としてきた一部分が
まるで悪であるかのようにみなされてしまったということ。

神というのは、大きな意味で
トータルな、大いなるバランスの中にあるんだよ。
陰があり陽があり、すべてがあって、手を取り合い、陸み合っている。
それが、大字宙の調和の中で、愛という摂理、原理としてまわっている。
だいたい宗教者というのは、男性が多かったから
女性に対する罪悪感が、長い間に埋め込まれてしまった。
女性がまるで神の摂理から嫌われるもの、女性に触れたら
まるで、自分は神の使徒ではないかのような錯覚を植え込んでしまった。
だから、本来なら、陽の意識に対して、陰の意識という神の
神の子の一部として女性の意識は尊いものなんだけど
それがいつの間にか罪悪視されてしまった。

それが、今日ここまできたから、神の使者としても
今回はすべて在家の法でいきなさいという大号令が下っているわけ。
だから、みんな結婚しなさいねということをー
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巫女さんたちなんて「嫌だ、嫌だ」って言いますよ。
坊さんも「あんまり結婚したくないな」と言います。
芸術家の人たちなんかもう、結婚すること自体が怖いんですよ。
物質的なものにまみれるのがすごく怖いんです。
日常的な義務感を背負うことが芸術家にはすごく重荷だし
それで生きていけるのかという不安感があります。
恐怖心があります。
だから、生まれていくときも、「えぇーっ」ていう思いがあった。

「でも、今回出る以上は、在家の法ですよ、結婚しなさい」と
それは、女性原理と男性原理が手をつないだところで
ひとつの魂の集大成を見る、愛の完結を見るということもあって
あなたたちは結婚をしなさいよ」ということを
救世運動にかかわる光の天使たちは
その使命が義務づけられて出てきているんです。

だから、お坊さんも、尼さんも、巫女さんも、神父さんも
今回光の救世運動で出る人は、結婚するという義務があった。
だから、今の時期になって、男性原理と女性原理が
ほんとうの意味で手を取り合っていく。
そうしても、けっして自分の魂を汚すことにはならなくて
最終的に、愛の原理をトータルな原理として、受け入れて完成していく
愛を完成していく原理においても、必要な部分であるということ。
そのことをあなた方に教えるため、「在家の法」が打ち出されてる。

「在家の法」という原理があるということを、あなた方知ってるでしょ?
聞いてますよね。
でも、どうしてもお坊さんたちは、まあここ、ぱっと見ても
過去世、神職や、神様系の仕事やってきた人が多いから
結婚して家庭を持つということに違和感のある人たちが多かったですよね。
「結婚したくないなあ」って、しても、「しぶしぶしたなあ」みたいな
そういう人もいますよね。

でも、そこでこそ、ほんとうの意味で愛の基本原理を学べるんですよ。
子どもがいるとかいないとか、それはまた別です。
子どもはいずれ巣立っていくものですよ。
いいですか。

育むという愛の中では、もちろん大いなる愛を学びます。
でも、最後はこの間言われていたでしょ。
男性原理と女性原理とはまったく異質のものです。
それが出会って、手を取り合って、互いに何が愛であるかということ
それを学ぶのは、基本は夫婦という、男女というペアなのです。
そこに、ひじょうに大きな魂の学びがあるということなんです。

女性が女性になっていき、男性が男性となっていくということです。
男性がほんとうに男性となるには、愛する女性を守ってこそ
そこで、男性原理というのは花開くんだよ。
愛が、自分の中にあるほんとうの意味での男性としての愛に火がつくんだよ。

理屈だけで言っていても、愛というのは語れない。
愛は日常の行いの中で
人生の中で、自分の人生を切り刻んで捧げていくもの。
献身していく姿の中にある。

女性だけに愛の献身があるんじゃないよ。
男性だって、自分の人生をね―、ほんとうのこと言ったら
いつもお経ばっかり、経典ばっかり書いていたいけど
でも娘たちのためにがんばらなきや、とかね、いろいろありますね。
嫁に出さなきゃいけない二人も、と思って、一生懸命働かなきゃいけない。
ほんとうだったら、仏典の編集だけやっていたいけど
仕事もしなくちゃ出世もしなくちゃ、先生たいへんだっていうのが
あるんですよ。
でもこれが実際の愛なんです。

自己本位に、自分だけが自分のやりたいことだけをやっている姿
そこに愛はないんだ。
自分がやりたいけれど、自分が愛する者、守る者のために
男性ならば、愛する者のために、自分の人生を削ってでも
愛し、育んで、捧げていくという姿
そこあってこそ、男性が男性として光り輝いていく
男として頼もしくなっていく、それが基本なんです。

子どもがいなくったって、愛する妻を守り、妻が夫を支え
捧げ尽くしていく献身的な姿
それだけでも十分に学べる。
それをあなた方に学んでほしい。
理屈ではないということ。

(2005.8.6レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-09-08 05:33 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(35)

僕たちが今、人類に学んでもらいたいのは
愛というものの視点の大きさ、おおらかさ、懐の大きさ。
「自分を投げ打ってでも他を愛せ」とイエス様がおっしゃった。
それはなぜか。

自分を投げ打つことは、他を生かすとき少しも
恥ずかしいことでもなければ、損なことでもない。
損得で言うのは嫌だけどね。
自分自身を投げ込んで、全力投入して
自分の生涯そのものを投げ込んで、まわりを生かさんとする
愛に生き続ける。
そのときに絶対的な愛の爆発というもの
愛が、神の子としての神性が爆発する瞬間なんだよ。

「それが神仏の使徒というのだよ」ということを
ゼウス様があなた方に言ったよね。
「神仏の使徒というのは、自分の人生を省みることなく
ただただ人類のために捧げ尽くす者のことを
神仏の使徒というんだ」ということをおっしゃってる。
ゼウス様が話すと、そういう言葉になる。

それはね、「自分自身のことを考えるな」ではなくて
結果的にそれは、原因結果の法則で
自分が「いらない」と言っても、自分に戻ってきてしまう。
それを考えたら、肉体も、すべて自分以外のものとして
自分が執着する必要がないものだと思ったのなら
あなた方は、すべての人生を、全身全霊をもって
神の子たちの、友人たちのために、文明のために、神の愛に報いるために
自分の人生を捧げ尽くしたとき
あなた方が神の子としての本来の使命を果たした姿になるのだと
それこそが、大宇宙の神が祝福する
愛の子としての、神の子としての本来の姿なのだということです。
それをあなた方に伝えるのが、仏陀の仕事であったということ。

その愛の理念。
グローバルな、ね、地球を愛の星にするための
グローバルな愛の理念のみが
この地球に最終ユートピア建設をするために統一される
共通理念だったということだよ。
それを持たなければ、地球を愛の星にするために
これだけいがみ合っている人類をまとめあげるなんてことは、不可能だった。

でも、イエス様がたった三年半の間に説いた言葉が
時代の流れの中で、地球中の人々を救っていっただろう。
仏陀もやった、モーゼもやった、孔子もやった、いろんなことをやったけど
やっぱりイエス様の教え、キリスト教の教えが
ときの流れの中で多くの人々を救ったじゃないか。

だから、あなたたちから見たらありえない
そんなことはなしえないだろうと思うことが
ほんとうの意味で、神理を含んだ、力のある霊言なら、力のある教えならば
必ずや人類を動かし、最終的なユートピア建設のための
大きな、大きな理念として
推進力として、必ず行き届いて、人類を救っていく、そのような力になる。

それを我々は信じていた。
それを仏陀自らの力でやろうと
最後はそれで地球人類をまとめるのだというのが
我々の悲願だった。
それをあなた方に伝えたかった。
でも、あまりにも壮大なビジョンなので
やはり九次元を通して伝えられていく内容にしようと
そう決められたのです。

ですから、だめならば他の人が、ということにはなかなかできないけれども
霊言という形で、我々の言葉をあなた方にストレートに伝えてくれる
我々九次元の、まあ、この人(アマーリエ)っていうよりは
霊言を伝える巫女さんとして
僕らの言葉をあなた方に伝えてくれるというので
「では九次元の法を降ろしましょう」ということになったわけです。

だから、理念をほんとうの意味で-
「何だ、こんなこと知ってた」と思う人もいるかもしれない。
でも、ほんとうの意味で、これが法として降りて
社会を変革していく力になっていったなら
ほんとうにわかっている人たちが、地球にたくさんいたのなら
地球はもうとっくに変わっているよ。

それが、残念だけど
僕がさんざん転生輪廻のことを話したにもかかわらず
多くの日本人が、転生輪廻のなかで、過去世からの縁生で
現在の状況があるということ
過去世からの因果応報で現在があるということを思って
もっとみんなが手を取り合ってね
それで縁があることに感謝して生きていく-
そして、今回の人生にいたずらに執着することなく
自分自身の魂の縁生を考えた上で、現在を努力できるー
人を赦していく-。
人に対してもっと優しく生きていくことができるー
神の子としての使命をしっかりと魂に刻みながら
今回の人生を一歩一歩、歩むことができたはずなんだよ。

それだけのことを、僕は語っていたと思うんだけれども
実際はほんとうの意味で腑に落ちていないー
霊道現象とか、そういうことばかりが目の前によぎって
霊道現象の高橋信次になってしまった。
悪霊取りの高橋信次になってしまった。
教えた内容を、ほんとうの意味で
三次元の日常生活に生かしていくということ。
そのことをあなた方も、以前学んだ者たちも
ほんとうの意味で実現できていない。
それが今日の姿であると思う。
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だからいちばん大事なことは、現象をやることでもなくて
悪霊を取ることでもなくて、病気治しをすることでもなくてね-
大事な神の教え、神理、それを伝えるために、僕はこの地上に出たんだよ。
たまたま、悪霊取りとか、現象を通して
魂や、あの世があるということをみんなに伝えんがために
そういう現象をやったよ。
でも、いちばん大事なことは、魂が転生輪廻し、永遠であること。
それを伝えたかった。
過去世の証明をしたかった。
そういうことでしょ。

でも、それ自体が、教えとして、少しもみんなの生活に活きていない。
それが、今の日本の状態をつくっているのが事実なんだよ。
だから、いくら根本理念だけを言っても、地上で受け止めた者たちが
実際の生活のなかで具体的に何ができるかということを
行いをしてもらうことがなければ、神理をいくら聞いたとしても
「ああ神理はよかった」と言って、涙を流しただけで終わってしまう。
そんなものでは、地上の改革にもならないし、救世運動にもならないんです。

僕は生前、「この救世運動、救世というのは世を救っていく運動
地上をユートピアにしていく、愛の星にしていく運動だ」ということを
言ったよね。
言ったね。
それがどういう意味だったか。
それは、ユートピアにする
地上に仏国土を実現するためである、ということを言っているんだよ。
少しも、そこがほんとうの意味でわかってない。
上滑りだけの、霊道現象だけの高橋信次で終わってしまった。

だからそれが、今回の、まあ露払いといえば露払いであったから
役割的にはしょうがなかったんだけれども
露払いだけで終わらないためにも
具体的に、地上でどういうふうに愛の摂理
愛の教えというものを生かせばユートピアにしていけるか
それが叶うかと-。
そのためにも、ぜひ、みなさん方にも力を貸してほしい。

これは、仏陀がやり残したことでもありますが-
今、もう九次元総動員で出てきてますから。
地上に出ていった
あなた方のような、有能な光の天使たちが、力を貸してくださることで
この地上にね、最終的に仏国土を実現させたい、具現化させていきたい
そういう思いっていうのを持っています。

だから、あなた方、目新しい論理、目新しい神理だけを聞いて
それがおもしろいという、知的好奇心ではなくてー
摂理というものはそう難しいものではない。
法則にしても、原因結果の法則とかね、親和性の法則も聞いたでしょ。
自分たちの同類が集まってくるというね、そういうこととかー
法則っていうのは、そんなにたくさんあるわけじゃないので
それらを、ほんとうの意味でわかって
愛の中で生かしていくときに、神の御心に近づくということ。

今、気のエネルギーを使ってるけど
自分にこんなエネルギーがあるっていうことをみんな知らないわけでしょ。
はじめてでしょ、気っていうのー
でも、これを自然に使える人がいるわけだ。
こういうのを自然に使って、信じて
そういうエネルギーがあるから、こうやって霊言もとれてる。

これは、この人だけが霊言をとれるわけじゃあなくて
本来は、あなた方もみんな神の子である以上
自分の内在する力に気づけば、誰でもができることなんだよ。
そこのところが見失われている。

自分自身の無限の可能性に気づきなさい。
自分の無限の力に気づいていきなさい。
すべてをすばらしいものにするのは
ただ愛のエネルギーの中に生かすということ。
自分自身のエネルギーと個性を、最大限に活かすということ。
愛の花を咲かせるために
自分自身のエネルギーを全力投入して生きるということ。
そうしたら、何をやっても、そんなに間違ったことはないよ。

(2005.8.6レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-08-26 20:21 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(34)

僕たちが伝えたかった愛の理念。
いいですか。
宇宙の法につながっていく根本法として欠けていたのは、縦の法だけではなく
愛の法と呼ばれている、横の、人類全体を包み込むような愛の教えだよね。
それが、その愛の教えが、宇宙界まで、大宇宙まで貫いて
それを通して、宇宙の友と手を取り合う時代がきている。
そのことを僕たちは伝えたかった。

だからまあ、九次元全員が、均等に出す必要もなくて
山場になるところはこの間アモールが言ってくれた。
あの内容に尽きていることは事実なんだよね。
だから、他の九次元がこれから出るとしても、あれの応用編で
それぞれの専門の領域で、自分らしく伝える作業になると思う。

アモールの法を理解するには
段階を踏んだあなた方の認識を、指導していく必要があったということ。
あなた方が、よくぞあそこまで受けて、成長して
僕たちの法を聴いてくださったなと思ってます。

アガシャー系と、地球は言われてるでしょ。
愛がもっとも尊いということを理念に掲げた
それが地球人の本来あるべき姿ー
アガシャー系、愛の霊団であるということを唱うのが
我々の霊団の総称である以上
アモールが言っていた愛の教えというのは
いちばん大事な法の根本なんです。

あれがすべてなんだよ。
あれがすべてで、あとは現実的なものの中で応用していくといつこと。
それが、小さなものでは自分たちの家庭、家族から
地域社会から、組織から、一般社会から、組織の変革においてもね
大きいものでは大自然から、宇宙すべてに愛の原理が働いてるということ。
その摂理、法則、愛の循環そのものが、大宇宙の神の御心なのです。

人類はそれを知る必要があった。
あれを僕も話をしたかったし、僕も言いたかったけど
「やっぱりこの愛の教えは、アモールだろう、イエス様だろう」ということで
みんなしゃべりたくてしょうがなかったのを
アモールに譲ったというのが実情なんだけどね。

でも、じゃあ九次元がほかにいたら
他の教えが、別のものがあるかというと、根本はひとつです。
アモールが言ったことが根本なんだ。
その後に、僕たちは自分たちの立場でそれぞれの形で、九次元として語った。

だから、ひとつの文明の中に、九次元がたくさん出る必要はなかったんだよね。
だいたい、二、三人がチームを組んで出ていたということだからー
言いたいことは基本的には同じなんです。

文明の個性に応じて、やはりその文明ごとの個性はあったけど
基本的には人類が悟っていくうえで、以後に、愛を学んでいくという
どれだけトータルな視野で、広い視野で愛というものを学んでいけるか。
それが、人類が学んでいく、究極の教えであるということね。

いいかい。
悪というものは、本来はそんなにない。
悪は何かっていうと、善に対する、神に対する、部分的な一部のもの。
全体に挑戦している一部分の愛が、悪の正体かもしれないよ。
わかるかい。

一部分が全体だと言い張るとき、そこには寛容さもなにもなくなる。
一部分が言っていることも、ひとつの神の子のあらわれ方。
みんな、一部分の愛を与えられている。
それが、みんなで手を取り合って融合していくからこそ
全体としての愛の調和、愛の循環ができるのに
一部分だけが全体に勝ると主張し始めたときに
愛の循環は阻害されて、溜まりをつくり、影をつくっていく。
それが悪の姿。

でも、大きな宇宙の流れから見たら
まったくの絶対悪なんていうのはなくてね。
光のよどみ、愛の循環の滞っている部分-そういうものなの。
だから、悪だと言われているのは、大きな神の摂理、大宇宙の愛から見たら
ほんのちっぽけなものなんです。
彼らもともに神の子だということ。
いずれはひとつの流れのなかで大宇宙の響き、流れができてくるのです。
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大宇宙は音を発している。
そのようなひとつの響き
バイブレーションのシンフォニー、コラボレーションがあってね。
その中においていろんな-、ドレミファソラシドって音があるでしょ。
それ以上の、あなたたちがわかる以上の音がある。
そのなかでみんな、ハーモニーを奏でているんだよ。

ドがドであるからすばらしい。
レがレであるからすばらしいんだけれども、ドが絶対であると
絶対にドだけがすばらしいと言い張ったら
交響曲でも音楽でもぶち壊しだろう?
ドもすばらしいけど
レもミもフアもソもラもシも全部すばらしいんだっていう
その寛容さ。
受け入れていくおおらかさ。
それが愛なんだ。

その寛容さ、トータルな視野、ものの見方、受け入れていく大きさ
忍耐力、優しさ、寛容さ
それを全部、ひとつの言葉で言うなら愛というんだ。

万物を、生きとし生きるすべてのものを受け入れ、赦し、育み
そして、それ自身の神の子としての命を生かしめんとして
愛というものは常に送り出されていく。
それが大宇宙の摂理であり、宇宙の神のお心なんです。

その中にいると、自分も生かされている気持ちが
アモールじゃないけど、あるんだよね。
自分だって生かされている、自分がもしドだったら
レもミもフアもソもラもシも
すべての神の子たちを生かすために、自分が努力しなければいけないだろう。
自分だって生かされてるんだからという
それがアモールが言ってた感謝だよね。

感謝の思いは、また他のものを生かさんとする、愛他精神になっていって
また愛を送り込んでいくんだよ。
感謝ができない者は、他の者をけっして愛することができない。
それを、感謝と愛はコインの裏表と同じだよということをおっしゃった。
同じです。

だから、僕が言っても、アモールが言っても、かたやモーゼが言っても
ゾロアスターが言っても、誰が言ってもみんな
愛を唱えたら最後は同じなんだ。
その中で、愛の大家でおられる、アモール、イエス様が
愛を美しい言葉で語られるから
この間、あのような力のある霊言になったと思う。

(2005.8.6レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-08-13 06:54 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(33)

それは、我々九次元の者たちにとっても同じなんだ。
我々だって、毎回毎回、出てね、イエス様だって傑にあってね
毎回なぶり殺しにあってね、それは生き埋めにされちゃったこともあるしね
たいへんなこといっぱいやってるわけだ。
だからけっして、安易に行って、安易に上に還って
九次元に還って来られるだなんて、思ってもいないんだよ。

君たち、何か誤解してるんだよ、九次元のことを。
神様だって言われて、拝まれて、偉い顔をして
「何でも取り仕切れて、うらやましいな」とか、思ってるんじゃないの。
「威張ってて偉いな、いいな」、何か、この間、言ってたよね。
「九次元は俺たちの気持ちわからない」なんて言って(笑)
モーゼが出て来て、血相変えて、怒ってたけど。
あー、みんなにはなかなか九次元の苦労っていうのは
わかってもらえないかもしれないけど。

我々だって出ればね
「いつ滑り堕ちて、真下に堕ちるかもしれない」
それにイエス様ですらね、そう思って毎回出て行くんだよ。
そうやって、毎回、生き埋めにされたり
毎回、傑にあって還って来るわけだよ。
痛い思い、誰だってしたくないけどね。
それでもイエス様は自分の身を挺してでもね、
愛を説いて、多くの人びとを愛によって救いたいという
そういう自己犠牲的な魂の方なんだよ。
で、毎回出て来られるわけですよ、痛い思いをしてね。
その姿をね、君たち学んでほしいんだよ。

そのイエス様の中に、「自分が偉い」とか、「拝まれたい」とか
「自分が少しでも立派な洋服を着たり、宮殿に住んだり
そんなことしたい」なんて思いがあって、傑にあって出て来るかい。
違うだろう。
ほとんどすべての人生の喜びを、全人類のために捧げつくして
そして、その挙げ句に、痛―い思いをして、還って来るんじゃないのかい。
それでも、それがイエス様の愛ですよ。
それがアガシャーと言われている方の、偉大なる魂なんだ。

それをもって、我らの系団は、「アガシャー系」という誇りを持って
愛を説く系団であるということ。
その意味において、地球という星を、「アガシャー系」と名乗ることで
愛を中心に法をまとめてきている。
いろんな星々から来て、いろいろな神理を持ってみんなやって来ている。

でも、イエス様の説かれる愛をもって
地球的神理というひとつのものを僕たちはまとめあげてきて
それを我々が、九次元が責任を持って
法として毎回降ろしているということなのです。
だから法の根幹を決めて、地球的神理というものを決めて
今の地球の段階に応じて、法というものを決定している。
その決定権、そして降ろす責任というものは
九次元が担っているということなんだ。
わかるかい。

だからこの人には降ろせないということ。
この人には今、九次元のフォローが入っているけれど
でもやはり、アテナという属性においてね
アマーリエさんという人の属性においてね
やれることとやれないことがあるということ。
それ、さっき日蓮も言っていたけど
どうもこのあいだから本人も混乱してるし、周りから期待されると
どうしても応えてあげたいという気持ちもあるかもしれない。
c0171476_13181765.jpg

でも私はね、TK女史の二の舞をさせたくないから、この人にはね。
一生懸命、この年なのに、忙しいのに出て来てくれたからね。
この人にもうこれ以上つらい思いさせたくないから。
だから皆さんにお願いしたいわけだよ。

人にはね、固有の使命というものがあり
神様に与えられた役職というのがあるんだ。
その意味において、あなた方が今、護ろうとしている人
ついて行こうとしている人にだって限界があるのだということ。

でも、あなた方が持っていない遥かなる力を持っている人であって
今、この時代の中で、神に要請されるその個性、その力
この人が持っている力が、我々、神々がいちばん必要としている
この時代が必要としているから、この人を中心に計画を立ててきたということ。
それをどうか理解して、彼女を盛り立て、彼女にないものを
あなた方の優秀な頭脳でフォローしながら
助けてあげていただきたいと思うのです。

その上で、随時、順番に、我々は何でも降ろします。
一度に降ろしたら、混乱するでしょう。
そして我々も、どういう人が集まって来、どのような方向性がいちばん、今の
これからの時代にとってふさわしいかということ、そういうことをね
少しずつ我々も、まあ。
あなたたちよりも、二手、三手、四手先を読んでますけどね。

我々だって、一から百まで全部わかるわけじゃない。
そんなお仕着せのものはね、少しも生きた指導能力とは言わないんだよ。
我々だって、ちゃんと今の人類、想念の動き、そしてどんな人が集まって来て
どの程度の覚悟があるのか
「ああやっぱりだめだったか、今回もなしにするか」とか
そんなつらい覚悟を決めて、そのような決定をするのも
まあ我々の世界ではあるんだけれども
そういうことをやっぱり読み取っていく。
そういうのも我々の責任なのです。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-05-15 08:08 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(32)

あなた方にとっても、卒業試験が近いということなのですよ。
これだけの智慧を積んでる者たちはね、魂的には古いんです。
各星雲、星々からそれぞれの系統を引いてやって来てるんです。
だからその人たちにも、一定の周期により
他の星に生まれ変わっていくという方たちもいるのです。
その周期から考えたら、卒業試験、地球の卒業試験があなた方一人ひとりに
ま、全員とは言いませんけども
ある者たちには課せられているということなのです。

地球には地球の、学習の場としての段階があるのです。
わかりますね。
地球の段階での卒業をしないとですね。
たとえば、ここが小学校レベルたったとしますよ。
そしたら次の中学校には行けないし
その上の高等学校や大学には行けないわけです。

そうすると、他の進化した惑星に移住して行くとですね
そこではもう、今、地球で学んでいるような
「信仰とは、神と共に生きる」「愛深く生きること」とか
この方、言ってましたけど
そういうレベルのことは、もうとっくに卒業しているわけですよ。
その上で、その先が出て来るわけです。

そこの世界、そこすらもまだ基盤が確立していない方はね
その上の中学、高校には上がれないんです。
そして逆に、他の惑星からの移住の人たちを受け入れて
地球の中で、新たな環境の中で修行させるわけです。

それを我々は宇宙界といいまして、ほかの星々と連携をしながら
そういう修行の魂を受け入れたり
他の惑星へ卒業できる者たちを移住させたりとか
そういうことも我々はやっているんです。
それが九次元、宇宙界という者たちの仕事でもあるわけです。

十次元以上になると、惑星意識とかになりますからね。
そういう移住だとか
一人ひとりの人間のフォローと言いますか、ケアと言いますか
そんなものまでは、人格霊ではないですからね
そこまではなさらないですから。
そういう雑用は、一手に九次元が引き受けて、他の星まで出向いて行って
一生懸命、ごちゃごちゃ交渉しています。
そういう外交の営業マンみたいなこともやっているのが
まあ九次元の、まあ「総合的な雑用係」というのが九次元かなあ。
そんなこともやってるわけですよ。

そういう意味でのね、地球意識的な
卒業レベルの時期が、もうそろそろ近いという意味での、まあ卒業試験かな。
地球というものの卒業試験の時期に来ている者たちが、こういう文明国
まして法の中心のところに降りている者たちにはね、多いんですよ。
だから、あなた方も心して、この修行をやってください。
あと数十年です。
地球のことが、後で懐かしく思う時が来ますよ。

「あの時にああしときゃあよかった」なんて言っても
もう後では味わえない別の環境に行きます。
だから、地球の中でどれだけの光を発信して
どれだけの成果を出すことができたか。
そのことを考えて、日々のご自分たちの修行をなさるということです。

みんなで、集団で個性を滅却して、個性をなくしてですねえ
全体で何かをやるために、誰かひとりの言うことを聞けなんていうのは
どこも法ではないし、神が望んでいる方向ではないのです。
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いいですか。
最初に根本法を降ろす時は、まあある意味で、骨格はもう降りたのです。
仏陀や私が降ろしました。
その「法を降ろす」というのは九次元でなければ降ろせないのです。
その説明、補足、そして解釈
そういうことは、まあこの方でもできますけれどもね。
でも根本法を降ろすには、降ろす権限というのがありまして
そのことは我々が担当しているのです。

今はどっちを向いていいかわからない、混乱の時です。
その中で大きなたいまつをあげてね、「こっちか神様の道だよ」と
「たしかにレムリアの計画は、神様が立てた計画なんだよ」ということを
優秀なあなた方が言ってくれることがね、僕たちの力になるということ。
それをどうか心にとめて、私たちの力になっていただけたらと思っています。

そして、皆さん方が、余力があればですね
私の「新復活」、ORさんの時やったから
私は「再復活」ってテーマはどうかと思ってるんですけども
まあ、何でもあなたたちの好きに付けていただければいいんですけども
僕はやさしい言葉で、ちょっとページ数長くなるかもしれないけれど
「法を語れ」と言われたら、やさしい言葉の法がいくらでも出ますからね
いくらでも話せると思います。

ただね、第一の計画があり、第二の計画が挫折したということ。
ここから人類が学ぶことはとても大きいと思うのです。
私たち九次元にとっても、学ぶことは大きいですがね。
皆さま方にとっても、地上の仏弟子たちにとっても
光の使者たちにとってもね
しっかり学んでおくということ。
そこにおいて自分たちも考え
そして高級霊からの直接の霊示が降りているうちに
その意見を聞くということ。
それを書籍に残していくということ。
それは大きな、後で人類の財産になる、遺産になることであると
私は思うのです。

稀なことではあるけれども、どこに落ち度があったのか
どこに、まあ、あまりサタンや魔のせいにはしたくないけどねえ
でも魔の爪が引っかかり、引きずり降ろされていったのかということ。
そこをしっかり人類は学んで、反省する
いい判断材料をあなた方は残せると思いますよ。

これからなんか「家族論」とか、「愛の讃歌」とかやると
僕、ちょっとエッチなおじさんにされてしまったんでねえ(笑)
「ちょっと、ちょっと控えようかな、レムリアのためにも」と
思ってますけども
それはちょっとマヌ様に任せることにしてですね(笑)
私は高橋信次としてのちょっと、こう、威厳を復活させるために
ちょっと、もっと格調高い話をしていこうかなと
思っておりますけれども。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-05-02 16:04 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(31)

僕たちはね、自分たちの命を削り取ってでもね
僕たちの光をすべて分け与えてでもね、彼を救いたい。
そういう思いで、みんないるんですよ。

今までは九次元十人が、三人ないし四人というかたちで
ひとつの文明を担当してきた。
それは、もうあなたがた霊言で聞いて知っているね。
だけども今回は、そんなこと言ってられない状態になってきて
もう九次元十人がすべて出て来ると。
本来だったら通信をしたりしないゾロアスターまで出て来て
「私にも一言しゃべらせろ」と
「けっして私も無関係ではないのだ」と言って
何かしら一言でも言って力になりたいのだと。

それは九次元十人が出るという、歴史的に前代未聞のことをすることによって
このレムリアに、今、神の光が
たしかに降りているのだということを証明するために
私たちは全員出て来ています。
そうでなければ、九次元がわざわざ、こんなに十人も出て来るなんてことはね
あり得ないんです。
僕だけじゃないということ。
それは地球神がみんな一体になっているということ。
それを皆さん方に伝えたいということです。

そしていつも魔が使う手。
さっき日蓮も言っていたけれどね、我々の七色の光線の違いというものを
その個性の違いに乗じて、彼らはいつの間にか、下から
地の底から湧き上がって来るかのように
我々の、地上の者たちの考え方にすり込んで来て
そして神であるかのごとく霊言を送り、我々の言葉を、名を語り
私たちのこの言葉に混ぜて、いろいろなところで
天照大神が出た、ああまた、あそこで高橋信次
私なんか、あっちこっち出てますよねえ、驚いちゃうんですよね、僕は。

そういうふうに言ってるのではないですかねえ。
でもね、本流はここですよ、いいですか。
ほんとうにやりたくて、名をあげたくて、手柄をあげたくて
レムリアをやっている者たちだけが言うのならば話は別かもしれないけど
ここにいる者たちは呼び集められても
最初は渋っていた者たちばかりが集まって来てるんです。

その中で、己が使命に目覚めて、少しずつ腹を括りながら
信仰心のためだけにすべてを捨てて、投げ打って
私たちの手足となって、道具となって
頑張ろうと思ってくれる人たちだけがここに集まっているのです。
そういう無私な思い、そこには功名心はないのです。

他に霊言をとっている者たちを見てごらんなさい。
自らにこそ神は降りるのだと自惚れて、そこで大いなる霊言だと称しながら
地下の者たちの言葉を伝えて、手先になっている者たちが多いのです。
でも、我々はそれを放っておきます。
なぜ放っておくかわかるかい。
そこを見分けられないとしたら
君たちは(地上人生での)卒業試験を合格しないということなんだよ。
できないということなんだ。

だから、数々の巷にある諸霊言集を見てね
そしてレムリアの霊言を見て、僕たちの波動がわかるようであるならば
それはあなた方、それで合格だったよと。
合格だってことに気づいたのなら、どうか僕たちに力を貸して
多くの人びとにもっとこの光のたいまつを
伝えていく手伝いをしてくれないだろうかと呼びかけていく。

そこには会員の入会試験もないしね。
会員ナンバーもないしね。
会費もいらないしね。
神様は会費なんか、本来取らないんだよ。
こうやって僕たちは、九次元からはるばる降りて来て
出張してこうやって語るけどね
一度だって「講演会費をよこせ」なんて言ったことあるかい。
無償でみんな出て来るでしょう。
喜んで出て来るでしょう。
喜んで支援事をさせてもらうでしょう。
これが我々の仕事なんだよ。
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無念なことはたくさんあるのです。
でも、我々でも地上に降りてやってみないとわからないことというのは
たくさんあってね。
私もやり残したことはあります。
OR氏も同じであったと思います。
エル・カンタラーも、天上界でたいへん無念な思いをしている。
その彼のためにも、何とか、何とか、この計画を本来の道に戻し、修正し
そして次に出てった孔子が、その穴埋めをし
本来の計画通りに大成したのであるのならば
けっしてOR氏がやったこと、私がやり残したこと
そのことが、けっして歴史的な汚点になるということはないのです。

我々の世界ですらね、理屈ではどうにもならない。
この波動の荒い三次元に降りてみなければ、どうなるかはわからない。
さっきから皆さん
ノストラダムスの予言がああだこうだ言ってたみたいですけど
予言なんてね、当たるところもあるけど、当たらないとこもあるわけだ。
だから、僕もK会で予言すると
あまり余計なことは、日付まで言うなとか
ずいぶんごちゃごちや言われたけれどもね。
やっぱりあの時点で読んでいたことと、やっぱりその後のことも違うし。
まさかあのように
エネルギー磁場がいきなり変わっていくとも思わないし。
じゃあ、あのまんま、ノストラダムスが言うように
日本列島も全部、崩壊させて、埋めてしまえば
海底の底に、埋めてしまえばいいかって言ったら
そーんなことを我々がみすみす見逃すわけにもいかない。

じゃあ、どうするか。
九次元、さあ、どうするか。
そしたらしょうがない。
十次元(地球神霊)のところに行って
「お願いだ、もう少し時を稼ぐためにエネルギーを貸してください」と
「もう一回、我々にチャンスをほしい」と
「その代わり九次元十人、力を合わせ、何とか食い止めてみせます」
というふうにお願いをして、今回の第三の計画を立ち上げている。

我々も後がない戦いだというのは、そこなのです。
最初九次元、出て来て言ったでしょう。
僕も言ったし、エル・ランティとしても言ったし
イエス様も、モーゼも、みんな出て来て言った。
霊言に近いものをこのあいだ、ネットで流したでしょう。
あれですよ。
だから僕は、嘘は言ってない。
けっしてあきらめない。
けっしてあきらめずに、愛を与え続ける。
それが我々神のなすべき仕事であり、我々のなすべき道なのです。

簡単にあきらめてしまったならば、私たちを信じて地上に降りて行った天使
光の天使たちを見捨てることになる。
そんなことはけっしてできない。
この地球意識のためにも、この地球に住む、すべての森羅万象のためにもね
我々は最善を尽くし、最後の最後まで最善を尽くし
多くの者たちを救いたい。
多くの光を地上に降ろし、この光の星にして
いつかこの宇宙連盟の一員となるような、格のある地球にしていきたいと。
地球自体の寿命からみて
そろそろ、そういう時期にさしかかって来ているということなのです。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-04-14 06:48 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(30)

知性が極度に磨かれて、そして極端な修行をして
一部の悟りすました者たちだけが神のもとへ還っていけるような
そんなものが悟りであり、そんなものが修行であるのだとしたらね
そんなものを人類に悟れと言って課す、与える神様なんて
僕から見たら、愛のない姿だと思うけどねえ
君たちどう思うよ。

神様の世界は、とても楽しくて、気さくで、おおらかで
僕みたいにのんきな人間がたくさんいるところなんだよ。
あくせくして、高圧的で、支配的で
少しでも怠けたらムチが飛んでくるような
そんなのはサタンの世界そのものなんだよ。
そういうところにいるほうが、気持ちが落ち着くとしたらば
あなた方の気持ちの中に、どこかに、自分の知に慢心している心があり
それで自分の存在意義や、自分自身の知性というものを頼りにして
自惚れているものがあるんじゃないか。
そういうふうに、少し反省をしてみるのもいいかもしれないよ。

ただね、知というものはいろんな意味で、感情だけに流された時に
理論的に、人生の分岐点においてね、正確な判断をするという意味での
「知というものの重し」というもの、正確に見極める
そういうものとしてはとても尊いものだから
それをしっかりと過去世であなた方、学んでいらしてるわけだから
けっして「アホなら何でもいい」というわけじゃあないんだよ。

やっぱり知恵があり、知識があるということは素晴らしいことなんだ。
ただ、知識による増上慢はね
これはまた、知性のない者が、素直さを持っているのに比べると
もっともやっかいなものであると、我々の世界から見ると、思うんだねえ。
知性による増上慢はほとんど確実に堕ちてますね、このごろはね。
特にこういう文明のピーク時には多いんですよ。
アトランティスの末期にもそうだったでしょう。

その知による自惚れというもの
それがね、今回の、第二の計画の、挫折の引き金になっているわけです。
まあ、知を預かるのが、仏陀光線の者たちの使命ですから
やはり、そういうものに磨きをかけて来たということもあると思うけれども
やはり、何のもんでも自惚れはいけないということ。

だから今回はね、レムリアに「難しいことはあまり言わなくていいよ」と
「まず謙虚に、愛を込めて、愛を深く」ね
そして「おおらかで楽しい」ということ
そうでないとね、誰も天国に
天上界に還りたいと思わなくなっちゃうと思うんだよ。

君たち、還りたいかよ。
上に還って刻苦勉励。
勉強、勉強、神理の勉強だの、やれテストだの
それで悟ってなかったら、阿羅漢でなかったら、ああだのこうだの。
君たちの見てると。
僕なら「そんな天上界、還りたくないなあ」って思っちゃうよ。

そのイメージがどうもついてしまったのでね
今回は、おおらかに楽しく、そして芸術的なイメージを持って
だからゼウス様とかマヌ様とかにご登場願ってですね
天上界の誤解を解いていただくような
そのような計画をつくったわけですよ。

まあ言ってみれば、仏陀サンガー一色で、支配的になって
知で凝り固まってしまった第二の計画の、失敗の埋め合わせですかねえ。
反対側の極を持って来ることで、知性、理性に対して
今度は感性というもので、ちょっと中和させようじゃないかと
そういうところで全体のバランスを取って、正しい方向に持っていこうかと
そういう計画が、万が一のために、これがまた、用意されていたんですよ。
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そして、さっきあなた方いいこと言ってましたけど
そのシナリオということですね。
それはたいへん真実だと思います。
でも、最初から曲がったのではなくて
途中までは、ある程度法は降りていた。
もう少し降ろしたかった、本も。
もう少し霊言も、僕としては降ろしたかった。

でもまあ、それはある程度は降りていて
こっから一般大衆布教という意味でね
芸術とか、そういう、それぞれの
ま、ここはお医者様もいらっしゃるみたいだし
あのう、作家さんもいらっしゃるみたいだし
絵描きさんもいらっしゃるでしょう。
いろんなお仕事なさってるでしょう、みなさん。

そういう仕事を通してね
本来だったら、エル・カンタラーという方が説かれた法をですよ
僕が降ろした、その輪廻転生があるとか、魂が永遠なんだと
一回きりの人生ではなくて、生き通しの人生なんだということをね
それぞれの職業を通して、各家庭に、各社会に、各職場に
世界中に広げてってもらおうっていうのが、第二の計画にあったわけです。

それが、上から下への縦の、法を降ろすというものから
平面的な横への、今度は法の広がりということでの
その愛の光が、法というしっかりとした体系化したものに
愛というものを込めて
大衆布教の中で地球をすっぽりと愛でくるんでしまおう
神の光でくるんでしまおうというのが、我々の計画でした。

でも、そこにいく前に、三宝帰依とか、僕もよくわからないものの中で
下に操られてああいう結果になってしまったから、ね。
だから、そこが一般大衆に対する愛、隣人への愛というものから
「我こそは」という知天狗の中でね
そして、他人を蹴落としてでも
教祖ですらが自分の生活のためなら会員をどれだけ苦しめてもいいなんて
そんなところにまで、とうとう堕ちていってしまった。

そういうことを考えるとねえ、まあ「堕ちてしまえば、下まで堕ちる」と
昔、僕言ったと思うけど、上に行けば行くほど、山の尾根というんですか
トップのところを細いところを歩んで行くようなものなんだと。
だから「触らぬ神に崇りなし」で
「あまり上に行きたいと、危険があると思った者は、
あまり信心ごとはするな」と
「でも行くならば覚悟を決めて、山のてっぺんまで上がって行け」と
「ただ、上に行けば行くほど、転げ落ちた時は真下なんだぞ」ということを
僕は言ったと思うけれども、覚えているかなあ。
言いましたよねえ。

その真上に行こうとした者が真下に堕ちていっている。
そして共にいる者たち、彼についていっている者たちが
共に今、真下に堕ちていこうとしているんだよ。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2017-01-09 07:30 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(29)

あなた方は見てると、とても知的に優秀な人たちが多いよねえ
ほんとうに。
でも知的に優秀なだけで、心を忘れるとこのような結果
(愛なき宗教団体が起こした各種事件や顛末)になるということ
我々は学んだと思う。
知は大切だけれども、知で裏づけをしていかなければ
法というものは体系化されないけれどもね
でも、最後、人びとを救うのがほんとうの法であるということ。
人生の中で、生きざまの中で、行いにより、愛により、具体化されたもの。
それだけがほんとうに多くの人びとを救う根本法になっていくということ。
法というものは、けっして難しいものではないということ。
シンプルなものであるということ。

いいですか。
それが日常の些細な行いの中に生きていった時
その法というのは光を帯びて、血の通ったものとして
多くの人びとを変えていく力になるんだよ。
それが法なんだよ。
わかるかい、君たち。
絶対に優秀な人たちであっても、知だけで偏らないように。

僕は生前、それほど頭のいい人間じゃあないからねえ。
頭のいい人間じゃないから、頭では、知では、法は説けなかったけど
説かなかったけど、でもハートで、思いの中で精一杯
四十八年という人生の中で、多くの人びとにー。

間違いも多かったけどね。
後でいっぱいいろんなこと言われちゃったけど
でも、精一杯、僕なりに法を説いてきていたつもりなんです。
その時はどのような結果が出るか
間違いも多かったから、自分でも反省しきりだったけれども
あと僕のかわいがっていた弟子たちが、あのような結果
(霊道が開けたために、ほとんどの者が増上慢となり
真の光の天使となりきれなかった)になったので
悲しみに暮れて、悔やんでいたことも多いけれども

でも今思うと、高橋信次という人間が、個性を持って
そして多くの人びとがいまだに、「信次先生、信次先生」って。
僕はね、天上界にいて、こう下を見ていてもね
「信次先生、信次先生」って言ってくれる人たちがね
見えるんだよ、聞こえるんだよ。
その人たちを見てると、「ああ、今回、生まれてよかったな」と

いっぱい失敗もたくさんしたけれどもね。
僕だけじゃない。
仏陀もいろいろとしちゃったかもしれないけれども
でも、あの人たちの中に、僕が八正道を中心にした
永遠の命ということ、転生輪廻があるということ
神様というのはどういうことかということを説いたこと
反省をして、瞑想を中心にして、
曇りを取り除いたら、神の光が差し込んで来るんだということ。
ひじょうに簡単なことだったと思うけれども
でも、その基本というものをね、伝えることができた。
やってよかったなあって、今、思ってます。

そしてこの人生があったからこそ
今こうやって呼ばれて来ることができるんでしょう。
ヤハウェだの、エホバだの言われてたら
みんなまた怖がって、呼んでもらえっこないからねえ。
この人だって、そういうの、すごく嫌がるんだよねえ。
「エホバ」とか言うと、すぐ「いやっ」て言いますからねえ。
だから「アマーリエさん」って言って、高橋信次が出てくると
ニコニコッとして
「あら、信次先生」って言って、話を伝えてくれるんだよねえ。

だから、今回、高橋信次で生まれてよかったなと。
これでまた、この高橋信次という名を通して
僕は仕事ができるなって思ってますよ。
それを思うとね、私には救世の情熱というのが限りなくあるので
このチャンスを使って、また『高橋信次、再復活』というかたちで
ぜひ本を出していきたいと、私はまた強く思って
一年前から言ってるんだけど
なんかまた嫌がられて、「信次先生は後にしてください。
もう、じゅうぶんストックはあります」なんて言ってるけれども
「いやいや、僕はもっとたくさん本を出す」って
前(K会の時)にも言っていたのに
その約束守らずして、通信パイプが途切れちゃったんでねえ。
僕とすると、まだ仕事、未消化だなあと
まだ言いたいなあということ、たくさんあります。
だから、テープ起こしすると僕の文章長くなるかもしれないけども
嫌がらずに皆さん、聞いてくださいねえ。

やさしい言葉で、法というものは伝えられるものなんですよ。
やさしい言葉で語ったことだけが、人びとの心を潤して
人びとの人生の中に流れ出ていくものなんです。
そんなに難しい言葉や理論ばっかりわかる人が
この地球上、今、何億ですか、六十億ですか、そのぐらいになったのかな
そのぐらいの人たちの、いったい、どのぐらいの割合でいるというのでしょう。
私たちはねえ、ひとりでも多くの人たちを救いたいんです。

さっき皆さんの話を聞いていたけれど、僕の『人間釈迦』よかったでしょう。
聞いてわかるでしょう。
何も仏教、何も知らない人だって、あの本だったら、お釈迦様という人が
仏陀という方が、どんな考え方で、どんなふうに悟っていって、何が尊いのか。
人間の身体というのは、けっして楽器の絃にたとえれば巻き過ぎてもいけない
緩め過ぎてもいけないという、中道の思いというものを通すことで
あの仏陀ですら、悟りを得たのだということを聞くことがね
多くの修行者にとっても、多くの人びとにとっても、悟りの入り口として
何が大切かということを、僕は簡単な言葉で伝えたかったんだよ。

難しい理論で伝えたって、さっき言ってたけど
あの難しい理論書の中で、あれを読みこなせる人が
どれだけの数いるんだろうねえ。
あんなに難しいこと、僕だってわからないかもしれないよ。
あの難しい漢字の羅列の中で、あれをもって
一般大衆、衆生がどのくらい救えるっていうんだろうかねえ。
それが法かい。
我々はそんなこと、法だなんて言った覚えがないよ。

イエス様だって、どんな言葉で伝えた。
ほとんど学問のない人たち、もうそういう人たちが、ぞろぞろぞろぞろ
イエス様とその十二弟子たちの後について、浜辺だとか、荒野だとか
いろんなところで、何もないところでイエス様の話を聞きたくて、聞きたくて
何千人という人たちが後を、裸足で追って来て
イエス様の話をうっとり聞いていたんじゃないのかい。

その人たちが難しい言葉、知ってたかい。
知らなかったろう。
それこそ今のあなたたちよりも、今の一般の人たち以下の知識力、学力の中でね
イエス様の言葉に涙を流して、人びとが仕事を捨てて
イエス様の後をついて、愛の言葉を、語る言葉を聞きに
後をついて行ったんだよ。

わかるかい。
それが法なんだよ。
人びとの心を感動させ、涙にふるわせ、愛という思いでいっぱいにして
感謝の涙が思わず湧き出て
「ああ神様、生かしてくださってありがとうございます。
私たちもこんなに許され、愛されているのだから
私たちもできることをひとつでもして
多くの人びとを救って、愛していきます。
ありがとうございます」という、その思い。
それだけをイエス様は、一生懸命伝えてまわったんだよ。
それがね、法の基本なんだよ。

難しい言葉で身を飾ることは簡単なことだ。
でもやさしい言葉で、大衆を感動させ、涙を流させ、ふるわせる。
これがね、逆に言うと
六次元、七次元、八次元、九次元と上がっていった者たちの修行になるんだよ。
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この人(アマーリエ)に聞いてごらんなさい。
このあいだ「詩を書きなさい」ってゼウス様に言われて
あなたたち読んだでしょう。
あのアマーリエの詩。
「難しい言葉使ったら、落第」って言われたって、言ってたでしょう。
この人の修行も、難しい言葉は使っちゃいけないんだよ。
やさしい言葉に愛を込めて、人びとに伝えていく。
それがこの人の使命なんだよ。

難しい言葉でね、言って喜ぶのは、学者か専門家か
あとは自分の知恵に自惚れた者たちだけなんだよ。
ほんとうに人びとを救いたい、そういう思いがあるならね
まず相手の認識能力、相手が何を必要とするかという理解力
それをまず優先して
その人に合った言葉で語りかけることが、縦横無尽にできるという時に
ほんとうの実力ある者というふうに、私たちの世界では評価されるんだよ。
それをほんとうの対機説法っていうんだよ。
わかるかい。

君たちはどうも見てるとね、難しい言葉にね
ずいぶん振り回されてるようだよ。
たしかに、学問僧、仏典結集
そういうことの任を常に負って来ている優秀な君たちのことだからね
それに流れるのはよくわかるし
そうやって学問的な、高度な裏づけがあってこそ
法というのは後世に残されていく。
僕だってそのくらいよくわかっているよ。

でも今はね、源流がね、降りているんだよ。
源流が降りた後に、難しく、難解な法の体系化をするんだろう。
キリスト教だってそうだろう。
まずイエス様は、本は書いたかい。
書かなかったでしょう。
やさしい、やさしい、女、子供にわかる言葉で、愛の法を説かれたでしょう。
その後、十二弟子たちが福音書で、まとめたでしょう。
使徒行伝とかそういうのもあるけれども、新約聖書というものを作った。

その後に、中世に、キリスト教神学なんていうので
どんどん哲学とタイアップして、難しいものにしていったよねえ。
そうでしょう。
それで形骸化していって、マルチン・ルターを出して
「おいミカエル、ちょっと行って、改革して来い」って言って
キリスト教の改革を、僕たちがさせたんじゃない。

仏教でも同じように流れてきたと思うよ。
それをね、最初からメシアが、というか、法を説く者が
源流が降りている時にね、難解なものにしようとしちゃったわけですよ。
それはね、メシアがメシアとしての仕事を、もう失敗した証拠なんだよ。
やさしい言葉で法を語ってこそ、意味があるんだよ。
衆生、大衆を救うというのが仏陀の仕事ならね。

仏陀はね、少しも難しい言葉をね、語らなかったんだよ。
僕は生前にそれを、みんなに伝えたんじゃないのかなあ。
どうだった。
『人間釈迦』を読んでどう思った。
難しい言葉ではないよ。
般若心経とかだって、あんな難しいお経のように
意味もわからずにみんな唱えてるけど
あれは自分の弟子たちに語ったやさしい言葉、その教えの内容の口語体を
その後インドの言葉から中国の言葉、日本語の言葉とかいうふうに
どんどん、どんどん言葉だけが伝えられて来て
わけのわからない偉そうなものにしただけだよって
僕、そういう言葉で伝えなかったかなあ。

ほんとうはね、とってもやさしい言葉でね
お釈迦様は、仏陀は語られたんだよ。
けっして常軌を逸脱したね、ヨガの行者たちのような
荒行をやるような、極端な断食をする中で
一部の者たちだけが悟りすましたものが悟りではないのだと
中道の普通の生活の、本来の中で、中道で相和して
心の中で八正道に照らし合わせて
神の子として、おのが神性に目覚めて生きていくという
内在した光を出していくということ
それが全てのものに平等に分け与えられた、神の子の証明なんだよということ。
それをやさしい言葉で大衆にも、そして比丘、比丘尼たちにも
やさしい言葉で仏陀という方は説かれたんだよ。
ひとつも難しい言葉は語られなかったんだ。
難しい言葉で語ったということはね、我々の世界では、落第を意味するんだよ。
それだけ大衆に対する愛がないという証明になるんだ。
なら六次元神界の専門家の方が、よっぽど難しいこと知ってるよ
我々以上にね。

君たちは、法というものを少し誤解しているよ。
悟りというものが、どういうものかを誤解しているよ。
難しくなればなるほど、ありがたがっているんじゃないのかなあ。

私はそれを原点(『心の原点』高橋信次著)の中で、
やさしい言葉で、やさしくてもハー卜のある言葉で
「それが神の声だよ、それが神の子である人間たちの、神様へ還っていく、
回帰していく道だよ」というその道筋を示したんだよ。
けっして難しいものじゃないんだ。
六十億いたら六十億の人間、みんなが神様のもとへ還られる階段は
はしごは登れるんだよ、ということを言ったんだ。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-12-23 12:12 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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