地球を愛の星へ

カテゴリ:空海( 10 )

空海からのメッセージ(10)

最初に日本神道の神々が、この日本という土地を整えられ
天照大神、天之御中主と呼ばれる方がたが
この日本という国を神の国日本にするために
あの高い、誇り高すぎるほどまでに誇り高いあの気持ちの中で
この日本を整えられてきたという、あの誇り高さはわかるであろう。

それはもう、彼らがこの日本ということを、国を預かった段階で
次に仏陀が下生され、この日本、自分たちが預かったこの国から
最終的な今日の世界計画が行われる
光の発信源となるということを言い渡されて
中央から彼らが降りて行って
この土地というものを、日本という国を整えてこられたからこそ
彼らがあれはどの誇りの高さをもって
この神国、神の国日本という大和の地を愛して
誇りに思われているのである。

長い、長い時を、我々中央官庁のほうから、あの方がたは預かられて
この日本という国を育んでこられた。
そして、その中において、あまりに長かったがゆえに
この日本という国をひじょうに特別に
また愛してこられたということはあるけれども
なぜそのようになったかということ。
どれだけ他のローカル神と呼ばれている
地域神と呼ばれている方たちに比べると
はるかに霊格の高い方がたが、この日本神道には多いのである。

それはご存じでありましょう。
なぜこのようなことになったか。
長い、長い時を、中央から降りて行った方が
この日本という国を、誇りをもって預かってきたということ。
最終的にこの地球を大浄化していく計画の中の、発信元として
この日本という国が、最初から白羽の矢を当てられて用意されてきたから
こそ、彼らはそれはどの使命感の中で
必死にこの日本の国を素晴らしい国にするために
命をかけてこられたのである。
そのことを思うのならば、日本神道の神々に心から敬意を表したいと思う。
「よくぞこのような国土にするために用意していただいたものである」と。

ただ、日本の神々だけではなくて、やはりこのような地になるためには
中央のほうからさまざまな宗教を導入し
このように変えて、ということで、竜馬たちも中央から出てきた者ですし
そのような世界計画で一助として
日本の国の計画のために我々も出てきている。
聖徳太子と呼ばれているこの間出てきた方にしても
シュヴァンツェルという方ですけれども、あの方も来られているという
私たちと出所は同じであるということ。

あなたにおいても、この者においても同じなのです。
日本だけにしか出ていないという方もまれにはおられるけれども
でもほとんどが世界を股にかけて、こういう法が流布されてくる時には
その使命を果たすために、異国の地に降りて来るという
そのような立場にあるあなた方であるということ。

だから、まあ多くの者がそうなのです。
だからこそ、ひとつの国だけにとか、地域神と呼ばれている方においては
日本の国に在来することが長いけれども、他の魂においてはだいたいが
もういろんな国を転々としていくことによって
自分の魂の経験というものを積んで、魂の経験知というものを広げていこう
キャパシティというものを広げていこうという
そのようなことの修行というのが課題になっておりますから
どの者においてもいろんな国に生まれて
いろんな宗教のもとに生まれているということ。
そのことは、どの者に語り伝えたとしても
だいたい共通理念としてあるのであなた方は堂々とおっしゃればいいと思う。

だから、そのような日本の流れというもの
人びとの心の変遷ということを今回お話ししました。
大事なものというものはいくつもないのです。
そして、今の時だからこそこれが明かされるということ。
そして、自分たちが何者であるかということ。
神の実体は何であったかということを今明かされているでしょう。

そのようなことをほんとうにわかることによって
地球人類というものがほんとうにひとつの神の
地球神ともに一体となったとき、初めてそこをもって宇宙連盟という
その宇宙の外の方たちに対する自分の認識というもの
宇宙連盟の中における地球人というもの
そのような認識に上がっていくのです。

一度に言ってもわからないかもしれない。
このような段階にいる地球人においては
まず心の中において神の子であるということ。
そして、永遠の転生の中で、もう宗教によりいがみ合うのは
ひじょうに、「やめなさい」ではなく、「ナンセンス」なことである。
やる気もなくさせる。

愛する兄弟を、愛する自分の同胞たちを殺し合うことほど
愚かなことはないだろうという認識にもっていけてこそ
彼らの手から銃を捨てさせることができるのです。
そこにおいて、いかなる強制力も支配欲も、恐怖心があっても
彼らはますます怖くて、その銃を離すことはないでしょう。
でも、そのようなことからもう離れて、人びとの心に愛豊かに
そしてこの肉体生命だけがすべてではないので
この人生だけが、一回きりの人生だけがすべてではないのだということが
ほんとうにわかれば、あなたが専門としておられる医学の世界においても
大いなる革命が起きてくるはずなのです。

人にはそれぞれの寿命においての限界があるのです。
それは望む、望まないではなく
本人自らがそのように設定してきているということ。
最初から与えられた寿命の中において
後半病気でとか、そういうので亡くなるけれども
そのようなものがちゃんと
自分で自己設定してきた時限爆弾のようなものが
病気という形において自然に爆発して
その肉体生命を終わりにさせるということ。

人においては幸せな時に死にたいという者もいるのです。
「やるべきことをやり終わったなら
いつまでもこの不自由な三次元にいたくない。
早く向こうに帰っていきたい」と
逆に「前回よりまた長く生きていると魂を落とすから
いちばん子どもの時の、いちばんいいところだけをやって
それで一度こちらに帰って来て、その霊格を上げていきたい」とか
さまざまな計画があるのです。

だから、けっして肉体だけですべて関わり合って執着するのではない。
それはすべてのことに言えていくと思う。
そういうふうになるのならば、いたずらな肉体に対する執着がなくなれば
お金とか、このような身を飾るものに対するいたずらな執着というものも
なくなっていくことでしょう。
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価値観も大いに変わってくるはずだし
魂が永遠で、今回の人生における計画というものを
もっとみんながほんとうの意昧でのパーニャパラミタを
神性を開く時がくるのです。
同通できる時がくるのです。
まああなた方は閉じさせているかもしれない、危険だから。

だけども、もっともっとそれを開いていく。
それこそがほんとうの修行の段階にきた時に
人びとは肉体を持って生きながら
このわずかな、この人生の中で何を今回学ぶべきであるか、
それは個人的な問題として
人びとが教育システムの中で自分自身に問いかけるような
そのようなシステムが出てくるはずなのです。
それであってそ教育のほんとうの意味をなすのです。

自分が今世、何を学ぶために、習得するために
使命を果たすために出てきたのか。
そのために教育を受け、そのための手段として技術を学んでいきたい。
そうやって自分自らが選び取っていくような
そのような教育システムというのが現れてくることでしょう。
それをもってこそ、人びとが自分たちの個性を発現し
ユートピアの中で、一人ひとりが自分の命を輝かすことによって
貢献できるという道を開くのです。

同じである必要はないという、同じであることは全く無意味であるということ。
自分自らの命を輝かすということ。
お役に立つということ。
そのことを、喜びをもって、人びとが人生の中で生きるように
子どもの頃から教育されてきたのならば
今日のようなことは何もなくなるでしょう。

だから、今の教育の
ひじょうに間違ったところからくるあつれきのようなものが
あぶくのようなものが、いっぱい上がっていますが
そのひとつひとつにキーキー、キーキーすることよりも
もっと根源的なところ、根源的なところで出世していったのならば
そのような人生の中において
今のようなものはなくなっていくことでしょう。

金太郎飴のような一律な人間たちをつくり、ひとつのベクトルの中で
ひとつの方向性の中だけの価値観で人びとを、優劣を決めていく。
そのようなことがそのうち
もうナンセンスであったという時代がくることでしょう。

七色の個性、七色だけではなく、一人ひとりすべての者たちにおいて
かけがえのない個性と使命と、愛というものを
愛の表現媒体としての役割というものを神はお与えになっています。
そのものを本来が発現させていくための教育、それは人生論であり
それが子どもの頃から、子どもたちに語り伝えていける社会がつくられてこそ
教育システムにおいても、社会の安定、平和ということも
イデオロギーということも、文学においても
すべてにおいて人びとの心の中に
神の国というものが浸透してきたときに
ユートピアというものがこの地上に現れるのです。

すべて原点は心であり、神の教えであり、法であるということ。
そのことをあなた方が、今あなた方がやることが
未来の、将来の地球の子どもたち、人びとの幸せをつくっていく
その原点であり、種であるということ。
種まきであるということ。
そのことをあなた方はわかってほしい。
それがレムリアの使命であるということ。
あれもこれもやろうとしなくともよい。

イエス・キリストがおっしゃられたように
ケシの実の粒の種のたとえにあるように、「一粒の種、地上に落ちて」
救世主と呼ばれている方たち、法の担当者という方たちは
たくさんの種をまかれるけども、あるものは石畳の上に落ちて芽を吹かず
あるものは踏まれて枯れてしまった。

でも、いくつかの種が地面の中にいって
そこで芽を吹き、大きな木となって
また多くの種を実らせていくのならば
人びとの心の中に多くの種というものが落ちていくのならば
いつか必ずやあなた方が今まいた法の種というのは無駄がなく
人びとの心に時間の流れの中で、気づいたらどの者たちの心の中にも
その法の種というのが根づいていたというふうな時代が
必ずや時の流れの中でくるでしょう。

今やっていることをわずかな仕事だと思わず
最も偉大な仕事であるという誇りをかけて
あなた方は最後まで、命をかけて情熱的に
この使命を果たしていただきたいのであります。

この法の一粒の種、人びとの心に落つることを我は心より祈願し
これこそが神仏の使命であり、大いなる神の御心であり
神の計画を練っておられる、この天上界の神々の
本来の願いであるということを私は今日伝えたいと思います。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-29 11:40 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(9)

おのが野心、おのが欲、権勢欲、そのようなものがある者が
自然に波長同通の理論ではじかれても、当たり前のことであるということ。
なぜはじかれるかということ。
すべてこの者のせいにして、自分自らが反省ができないという
そのことに原因があるのだということ。

そして、あのような悪しき言葉を並べたてるということが
自分の過去世をどれだけ汚しているか
自分の魂の兄弟たちが
どれだけ天上界において恥ずかしい思いをしているかということを
彼らはもっと知らねばならない。

人の道を、この神の国の行進を、計画を阻害するのであるのならば
何もしないほうが良い。
「黙って身を引きなさい」と、私は言いたい。
そのような甘さがあるから、あのような形にもなり
そのような甘さの結果において
第二の計画までもつぶされてきたのが現状なのです。

これをつぶすことができないとあらばこそ、ミカエル大天使におかれても
モーリャ様におかれても、自ずと言葉が厳しくなられるのは
この空海たりとて同じなのであります。
この計画をつぶしたら、もうあとはない。
さっきから言っているように、真っ暗な暗闇の中に
荒れ狂う海の中に出て行っている、一筋の光を周囲に放ちながら
もみくちゃになりながら進もうとしている
そのような船にあなた方が見える、レムリア号に見える。
前にもそのような表現を使っているのを聞いたことがあります。
まさにその通りなのだ。

この船が沈没するかしないか、そして沈没させたら
よいか、
そこにいるメンバー全員も責任があるが
最終的に責任を取るのはその責任者であるということ。
その必死さが、やはりこの人にはあるということ。
それをあなた方はみなわからなくてはいけない。
だから言葉も厳しくなる。

私がもし船長であったら、このようなことにはならない。
もっと厳しい言葉があなた方に飛ぶでしょう。
「魔に侵されているんだ」とか、「狂ったんだ」とか言われようと
我が信念は変わることはない。
もっともっと厳しい言葉であなた方を叱咤激励し
もっともっと推し進めることであろう。
もっと彼らに対しても、厳しい言葉で臨むであろう。

言いたくても我慢をし
それはこの方の個性において、彼らを許そうとしているということ。
でも、もし私が今この船長であったのならば
こんなことでは済まさせないと、私は思っている。
それを許さないということ。
そのような境地に、今天上界の神々がみんないるということ。
その必死さを、あなた方はこの地上にいる仲間たちに伝えなくてはいけない。

さっきから何度も言うけれども
人びとの心に神の子としての誇りという、光を灯せ。
そして、魂は永遠であるということ。
輪廻転生して、あらゆる場所を生きて
そしてひとつの神、ひとつの愛により見守られている地球人として
みな兄弟である、仲間たちであるということを認識させよ。
それだけがわかっただけでも、この地球は変わる。
難しいことを語らなくても、それだけわかればよいのではないだろうか。

それだけがあれば、人びとの価値観は、大いにガラガラと変わり
社会システムも、さまざまな教育制度も
その後に出た者たちの、優秀な者たちによって
部分的なものが連鎖反応的にどんどん変わって
地球全体のシステムが変わっていくのである。
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まず心である。
神の子であるという心が、ほんとうに人びとの中に認識されなければ
この心から、すべての偉大なる力は出るのである。

人びとが覚悟を決めた時、死ぬ気になった時
人びとは明治維新においても無血革命を起こせた。
彼ら竜馬たちの、心からの不退転な気持ちで
日本の将来を素晴らしいものにさせてみせるという
あの不屈な気持ちがなくては、覚悟がなくては
あの明治維新はなかったであろう。

ゴルバチョフたちがソ連というものを改革するために出て行った。
おおいなる光の天使である。
戦争をもってひとつのイデオロギーの対立を終焉させるのか
無血革命、やはり明治維新と同じである
あれはもっとイデオロギーの、世界規模においての無血革命をしたわけだから
あれにおいてゴルバチョフは命がけで出て行った。
その意味において彼は、彼の使命においては成功している。
おかげでどれだけの人びとの命が助かったであろう。
どれだけの魂が解放されたであろう。
それはあの時のロシア、ソビエト連邦というところに生まれた光の天使たちの
不退転なまでのその覚悟にあったのである。

すべてはその決意と、使命感と
その心の中における覚悟、使命を果たすということ。
あなた方光の天使たちが使命を果たすということ。
それが一人ひとりの、日本国民一人ひとりに広がっていってほしい。
そしたら、この日本だけではなく、この日本から世界に向けて
世界の、人類の覚悟が変わっていったのならば
この地球という星の価値観というものも、あり方も変わってくるのである。

それを神は望んでおられる。
それが最終的な、神の世界計画の、いちばん望んでいる姿
それが神々のお心の中にあったために
このような計画が連綿と行われてきたということ。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-19 17:51 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(8)

何度も言うが、ほんとうの意味で自らが神の子であるということ。
魂が永遠であるということ。
そして転生輪廻をしているから、どの地域においても
かつての自らの愛する母国であったかもしれないということ。

もっと広げるならば
地球すべてが自分の所属団体であるというふうに思ったのならば
そのようなことはあり得ないであろう。

境界線であるとか、隣国との
ここから先は領土問題がどうのこうのであるとか
そのようなことは誰が言った。
神が引いたラインではないであろう。
あなた方の欲にまみれた、その支配的な、権勢欲的なものの中で
縄張り意識の中で行われているものではないだろうか。

神のもとに、この地球というのが
たったひとつの太陽によって育まれ、愛され、熱を与えられることによって
森羅万象が、自然界においても転生輪廻をしながら
この地球という環境つくっていただいている。

神の姿は太陽によくなぞらえられるけれども
この地球を照らしているのは、いくつもの太陽ではない。
ひとつの太陽であるということ。

神のお姿がそのようなものであるということをもって
神のご意思というものが、太陽そのものであると思って
人類はもう地球人として、ひとつの認識の中でまとまらねばならない。
同じ兄弟なのであるということを、もっと学ばねばならない。

そのようなことを、ほんとうに学んだのならば
みんなが兄弟であるというふうにわかったのならば
あなたたちにも兄弟がおろう。
子どもたちがおろう。
子どもたち、三人、五人という子どもたちの中で
殺し合いをしたら親は悲しいであろう。
そして自分にも兄弟がいたのならば
その者たちと殺し合うようなことはあり得ないであろう。
やはり子どもたちは争ったとしても
お互いがお互いをかばい合うのではないだろうか。

そのような気持ちを
「地球人類がみな家族でありみな兄弟である」とよく言われているけれども
ほんとうの意味において兄弟であり、神の子たちであるということを
あなた方はもっともっと認識しなくてはいけない。

そうであるのならば、同じ神の子のために、同じ兄弟のために
もし自分の身を投げ出してでも、彼らの命を救うことができるのならば
命を投げ出してもいいと、そのような境地まで人びとがいったときに
自然にこの地球からは、地上からは、悪と呼ばれているものが
波が引くようになくなっていくのである。

その境地を獲得しなければ、いかなる憲法を、いかなる政治体制を
イデオロギーを、思想を、社会システムを持ってきたところで
そんなものは役に立たぬ。
そういうものは、根源的な
人びとを幸せにしようとするひとつの理念があってこそ発現していく
この地上を具体的に光明化していくためのシステムの一環として
今言った憲法とか、そういう行政的なものがあるのであって
学問においても、思想においてもあるのであって
いちばん大事なものは、神の法、神の理念であり
いかにしたらこのユートピアとなっていく、この人びとの神の心
神の子としていかように生きることが
神の法に照らしていちばんふさわしいことであるかということを
しっかりこの地上に明かす必要がある。
それを「法」という。

それを地上に降ろすには、その法の権限をもたれた方がたが地上に下生する。
その方がたをもって救世主と呼び、神と呼ぶ。
そういう神格を持っている方がたが地上に出ることにおいて
法を語ることが許されていく。
それが我々の世界の法に関する常識でもあり、システムなのです。
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今大事な、大事な、根源的な法を降ろす時期がきている。
そして最終的な大修正が行われて、ほんとうの純粋なものを
今この地上に残そうとしている。
あと何十年生きられるかわからないけれども
全身全霊を込めて生き抜いてみよ。
この空海が、あの一生の中で最後まで生き抜いたように
日蓮が最後まで、佐渡に何度流されても
彼が神の国を叫びながら生き抜いたように
我らが、我が仏弟子であるのならば
そのような激しさをもって生き抜いてみよ。

それに十分、今回のあなたの人生の置かれた場所というのは
不足ない環境ではないであろうか。
このような場所に、またもう一度生まれられるかどうかは
誰も保証はできぬ。
できることならば生まれて行きたかったという者たちは
血気はやる者は、天上界においているのである。

この間、道元を聞いたであろう。
あのような者たちもいる。
でも世界計画の一助であるからこそ、勝手に出ることが許されないのである。
みんなそれぞれに使命がある。
こちらの世界ならこちらの世界において
道元なら道元で、しなければいけない使命があるのである。
だからこそ安易に出ていくことができぬ。

でも肉体がない以上、我々はあなた方よりはるかに
あなた方の認識を超えるはるかな認識力を持っているけれども
でも地上の肉体がないということにおいて
地上を改革するすべは、あなた方に頼むしかないのである。

そして、あなた方も天上界に帰って来れば、今よりはるかに高度な認識力と
パーニャパラミタというものが出てくるけれども
でもその時に戻ってきたとしても、もう肉体はなくなっている。
だから、今あなたが肉体を持って
あなた方がみな認識力が劣っているからといって
ひじょうに苦しんでいるかもしれない。

何が本来の神の計画であるかということが理解できないと
苦しんでいるかもしれないけれども
それは地上に行けば誰でもそのようなことになるのだということ。
だからこそ我々のような指導霊団がいるのであるということ。
そして、それを伝えられる人が今いるということ。
そのことがいちばん大事なのです。

みんな役割なのです。
「自分か自分が、自分が」という
自己実現に凝り固まっている者は、レムリアにはいられない。

我らが神仏の世界は何であるか。
己自身を捨て、神の計画の一助となるために、一筋の光となるためだけに
全身全霊で、情熱の限りを尽くして、その使命を果たしている者たち
その者たちをもって、「仏弟子」と言っている
「神の使徒」と言っている、「光の天使」と言っている
そのような者たちであるのです。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-05 16:55 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(7)

あなた方が生まれたときに
ソビエト連邦というものが、ロシアからソビエト連邦というものになり
ひじょうな脅威を生み出した。
アメリカと世界を二分するかのようなイデオロギーの中で
脅威を与えたものであろう。

絶対に、ソビエト連邦が崩壊するなどと誰も思っていなかった。
ドイツですら東と西に分かれ、人びとは愛する家族を引き裂かれ
何とか会いたいと思いながら
数々の者たちが銃弾の中で撃ち殺されていったではないか。

それが今はどうであろうか。
ベルリンの壁と呼ばれているものも取り払われ
今ドイツの人たちは、ともに幸せに暮らしている。
ソビエト連邦というものがなくなり、今ロシアという形で
多少の弊害はあるにしても
一生懸命彼らは復興しようとしている。

アメリカも、だから逆に言うと
ソビエト連邦との二大対立という構図がなくなったので
キリスト教対イスラムというそのような対立の中で
自分たちの権力というものを出していこうとしているのかもしれない。

でも、あなた方が生きてきた、まだたった四十数年しか生きていない中で
このような劇的な変化があったではないか。
だったら今イスラムの中で、このような凄惨な事件で
このような貿易センタービルとか、いま日本の者たちも捕えられて
多くの者たちが惨殺されている状態があるけれども
このような状況というのも私から見たら
胸がともに張り裂けそうではあるけれども
でもこれがいつか、宗教がひとつのるつぼに投げ込まれ
練り合わされていった時に
ひとつの神のもとに、アラーであり、エホバであり、ヤハウェであり
エル・ランティであるという、大指導霊のもとにみんなが一丸となって
人びとが神の子であるということを
神というものを賛美する時代がくるのであるということを
私は信じて少しも疑っていない。

この計画を実行している天上の者たちは、みなその希望を捨てていない。
なぜなら、私たちはみんな神の子であるから。
この地球に生まれたひとつの、地球人としての
みんな同じ神により育まれてきた神の子たちであるから
ひとつのイデオロギーやひとつの宗教という狭いものの枠を取り外して
ひとつの「宗教」という名もなくなった、大いなる愛のもとに
愛の化身として、分け御霊として生まれてきて
この地上に生命を持っている。

そのような神の子である、我々であるということを
ほんとうに認識していった時に
ひとつの神のもとにまとまり、そして人びとの心の垣根が取り払われ
そして物質中心主義の、物欲の、権勢欲の
戦争の、殺し合うような恐怖心や
そういうものからすべてが
人びとが連鎖的に開放される時がくるのである。

そのために法がある。
愛の法がある。
神の御心こそが愛の法であるということ。
真実を伝えるということ。

霊天上界が今一丸となって、ひとつになっているという中で
自分たちの信ずる神々がみな手を取り合っているのに
自分の愛するアラーが、ヤハウェが、みんな一緒に手を取り合って
この地上を指導しているのに
なぜその子どもたちがいがみ合うことができるであろうか。

それがほんとうにわかった時に、彼らは人から強制されることなく
人から罰せられるからということではなく
自らの手から、あのライフル銃を捨てるであろう。
その時を待っているのである。
そのためにこの間もマホメットが涙を流して語られたのである。
そしてアラー自らが今出てきて、彼らに対するメッセージがあるのである。
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そのようなことは今まであり得なかった。
でも、こうやって宗教が最後統合していったときに
愛の星というものになっていく。
その最終的な仕上げが、イデオロギーでも何でもない
科学と宗教とかそんなことでもない
人びとの心を本来神の子に戻すということは、宗教において
信仰の世界において統一されて、信仰の世界において
人びとが神の子であるということをほんとうに認識していく
そのことを待たなければ、次のステップには進めないのであるということ。

そんなことがないから、お互いの恐怖心と恐怖心の中で
力と力のせめぎ合いの中で
最終核戦争みたいなことを起こそうとしているのである。
その内的な境地において、恐怖心において
「過去を捨てよ」と言っても人は捨てぬであろう。
なぜなら、怖いから。

日本には幸い銃というものがないけれども、他の国ではある。
なぜ彼らが常にベッドの枕元に銃を忍ばすのか。
怖いのである。
恐怖心があるから。
「そんな恐怖心なんかいらないんだよ」と。
「人びとがもっと互いに信じ合って
もしそこで、もし万が一、肉体生命がなくなったとしてもだよ
そのあとにまた生まれ変わって、肉体があるのだから
人を殺して、殺してまで生き延びてあなたは何とする」と
問いかけがあったときに、ほんとうにわかったときに
人は銃を持つのをやめるはずなのである。

恐怖心が恐怖心を生み、力が力でますます暴力化し
愚かな神の子同士の殺し合いという戦争をつくる。
そのような連鎖の中に
けっして人びとの心は平安な気持ちで幸せはこないし
最終的なユートピアなどというのはつくれないのである。

そのような恐怖心を持つのは何なのか。
それは無知であるということ。
神の国の真実を、ほんとうにあなた方が知らないから、無知であるから
そのような、人を殺してでも生き延びたいなどという
愚かな肉体生命にしがみつくという
そのようなことをもって人びとは殺し合うのである。

おのが肉体生命を生きながらえるために人を殺して
自らが殺人者として何となる。
殺人者になってまでなぜ生きたい。
生き延びたいと思うかと、我ならそう思う。

でも、人びとは恐怖心で
この八十年あたりの人生がすべてであると思うからこそ
戦争に行った現地の者たちが
けっして悪くないということをわかりながらも
そのお互いの兵士同士の後ろには
その兵士を愛する家族や母親たちや
愛する人たちの姿があると知りながらも
お互いに殺し合うのではないか。
そのような、愚をもう止めなくてはいけない。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-06-20 07:24 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(6)

神の国への教えを、今この地上に広めていくことが
神の計画の、大計画の、世界計画の最後の一助として
この神国、神の国日本から発信することをもってこそ
神の計画の最終段階がなされるのだということ。
そのために九次元が続々とこの地上に降りられているのだということ。
そうでなければ、このような奇蹟はありえない。

我が空海が起こしたる奇蹟は数多かれど、今ここにレムリアにおいて
我らが言葉を、九次元の言葉を直でこの地上に降ろしていくという
このようなこと、このような奇蹟をもって他の奇蹟は何もないであろう。

空中からパンを出したり、空中から水を出したり
法力で人びとを張り飛ばしたり
そのようなことがいったい何になるであろうか。
そのようなことをもって奇蹟とは言わぬ。
そのようなことをもって霊能力とは言わぬ。

本来の霊能力は、神の国の意思というものを、この地上において
このようにダイレクトに直接的に人びとに伝えることを
この肉体を、三次元の肉体をもって
この地上においてしっかりと使命を果たせること。
それをこの地上の肉体の生活を、破綻をきたすことなく
神の意思も正確に伝えられるということ。
そしてそれを実行できるということ。
そのあなた方の今やっていること。
そのことをもって本来の霊能力という。

この地上においてあなた方が、もしこの地上的な野心や
平和な安逸としたものだけに流れるのであるのならば
あなた方だって、これほどレムリアのために命がけにはならぬであろう。

それはやはりあなた自身の、本来の神の子としての、霊性というものが
天上界の意思というものに呼応し、共鳴し、ともに頑張りたい
神の子として頑張りたいという
その神の子本来の意志というものをしっかりと発現し
そのレーダーによって、しっかりとその使命を実行しているからである。
そのセンサーが、その反応がないのであるならば
霊能力があっても意味がない。

そうであろう。
つまらぬ霊能信仰で空中浮遊したとて何になる。
人びとの病気癒しを多少したからといって何になる。
今神の国の言葉が降りているということを、ほんとうにわからない
そのような判断力もなくして
地下の者たちに操られていたのであるのならば
「何のための霊能力の開発であったのか」と言いたい。

イエス・キリストにおかれても
やはり霊能力というものは、ひじょうに、奇蹟現象として行われていたと思う。
でもあのようなものは、ほんとうに霊能力というのは
悟りが高くあれば
刺し身のつまのように自然についてくるべきものであるということ。

そのメシアと呼ばれている方がたが、なぜ偉大であるかということは
その本来の法の神髄というものをしっかりとおさえた上で
その上で霊能力というものをその流布のために、人びとに神というものが
どれだけ偉大なものであるかということを指し示すための
単なる一手段として、それにとらわれることなく
表現して見せることができてこそ、使いこなすことができてこそ
メシアの方がたの実力なのである。

そんなものだけがすべてであり、空中浮遊したり
サイババと呼ばれているような仙人たちがやっているようなものが
すべてがそのようなものが悟りの境地であるというような
そのようなことは愚かなことである。

私は、我が霊能力のすべてをもっても
私自身の使命が、法の神髄というものを管轄するということを
もっとわかっていただきたいのである。

法を担当する者、それは我が霊能力をもってしても
法の神髄こそ単なる霊能力より上にあるものである
本来価値があるものであるということを
私はしっかりとその生前の教えの中に伝えているはずなのである。

しかし、いつの間にか、霊能力信仰だけのように買いかぶられ
そのようなものだけが表面に出て
我が後継者たちはそのようなものを磨くために
必死になっているかもしれない。

しかし、それは単に神の国の、現象というものを表すことによって
神の畏れというものを
この地上に、人びとに目に見える形において示すことに意味があっても
法の流布において役立てることにおいて意味があったとしても
それ以外は単なる物珍しい
人びとを驚かせるような興味本位のものに流れてしまうのである。
c0171476_13374612.jpg

大事なことは法を学ぶこと、法の神髄を生きること。
仏弟子であるのならば法を流布すること。
それ以外にはない。
そのことを思いなさい。

法というものはけっして難しいものではないということ。
たくさんの本を書いても、難しい言葉だけでうずめるのであるのならば
どうやって一般大衆、衆生は救われようか。
易しい言葉において、わかりやすい言葉において
あらゆる神の子が救われていく。
神仏の子たちが救われていく道というものを
あなたはもっともっと易しい言葉において表現していきなさい。

それが今この我々の言葉を、直で毎回聞ける者の
逆に言うと責任であり使命である。
それを他の者たちは聞けない立場にいながら
あなたは毎回このように聞くことができる。
それは、それを過去、そのようなことをやってきた実績において
あなたが今選ばれて座っているのであるということ。
我が教えの直系にあるあなたであるから、私は法の編纂ということを
そのことをあなたにお願いしたいと思う。

できない者には言わない。
できるからお願いをしている。
そして、もうあとがないことである。
あとのない計画であるということ。わかるであろう。
あなたは自分自身をもっともっと認識しなさい。
そうすればもっと多くの実力が出てくる。
わかるか。

ORにおいても、TKにおいても、今回のこのアテナ(アマーリエ)においても
あなたは同い年であろう。
この計画の責任者で、必ず要となる者たちというのは
この年代に降ろしてあるということを、かつての霊言により言われていないか。
あなたにその使命があったから、同時代
昭和三十一年という時代に出て来ているのである。

そこにおいて、一列に並ぶことによって
それぞれが、どれが上とか下ということではなく
それぞれに重要な使命があるということ。
そのことをもって、あなたはこのレムリアに招かれているのである。

そして、今十分なまでにあなたはその使命を果たしてくれようとしている。
ひじょうに高い学識、実力を持ちながら、その心は謙遜に満ち
神の法を編纂しようとする情熱に満ちていると
私は深くあなたに対して感謝をし、かつ誇らしく思っている。
であるからこそ、あなたの過去世を明かされているのである。

それは単なるその名前において、あなたが有頂天になるのではなくて
今これからあなたが何をしていかなくてはいけないかという使命を
しっかりと明確に打ち出すために、あなたの過去世を明かしているのである。
書籍にして残せば、あとでさまざまなことがあったとしても
今回レムリアの分裂を見ていてもそうであろう、ああ言えばこう言うで
ひとつの真実がとんでもない事実に塗り替えられて
人びとに伝えられてしまうという
口からの出まかせというのがたくさんあるのである。

エル・カンタラーの法においても同じである。
あれだけ正確なものを降ろしていながら
かつ、あれを書き換えてしまっている。
でも、しっかりとした書籍が残っているから、いくら絶版になったとしても
その法の原典が出てくれば、初期の霊言集というのはまた出てくるのである。
でも、今レムリアで降ろしているもの
よいか
このものをしっかりと真実の先に照らし合わせて
文書として残していきなさい。

それが必ずや後世の人びとによって
天上界の意思というものがどのようなものであったのかということを
どのような気持ちで我々がこの世界計画
神の国の計画があったかということを今はわからなかったとしても
必ずや人びとは、時の流れの中で理解する時がくるであろう。
その時が、多少のずれがあるけれど
でも我々の世界から見ていたのならば
そんなのはいっときのことかもしれない。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-30 09:09 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(5)

人びとがみな排斥されたりとか、人びとがやめたりとか
何かゴタゴタがこのレムリアももめていたようであるけれども
やめていった者たちの覚悟が足りていない。
あれだけさまざまな高級神霊が降りて、直に言葉を聞いていながら
天上界がどれだけ必死であるかという、その厳しさの認識が足りていないから
あのようなくだらぬことが言えるのである。

もしほんとうに我々の必死さが、悲願がわかるのであったのならば
あのような
「安易に自分たちが切り捨てられたということが愛の心がない」と
「みんなが手を携えられないようなレムリアであるのならば
そのようなことは間違っている」などと
そのようなたわけたことを言うのである。

法の神髄を降ろすということは常に命がけのこと。
人びとの心の中において少しでも迷いが生じたのならば
地下の者たちによってこの計画は簡単につぶされてしまうのである。
そして、そうやってつぶされてきたのであるということ。
そのようなことはもう二度となしてはならぬのであるということ。
そのことがなぜわからぬか。
その厳しさがないから、安易な友好的な関係だけの仲間であるのならば
そんなものは外に行って、他のところに行っておやりなさい。

法の神髄を降ろすということ。
神の国を、計画を、この地上において単なる計画だけではなく
実行に移しているということが
どれだけの厳しさを要求されていくかということ。
常に魔界の者たちと、いや、魔界の者たちというよりも
自分たちの心の中にある弱さとの戦いであるということ。
その厳しさを彼らがわかってないから
安易な友好論、安易な手を携えるような
その愛の低次元のものの中で人びとが
「レムリアは間違っている」などということを言うのである。

あなた方はもっと我々の無念さをわかってほしい。
この時にこの地上に、この日本に
どうしてこのような法の神髄が降ろされる栄光の賜ったところであるのか。

そしてその場所に、どれだけの確率の中で、あなた方がこの地上に下生ていく
神の使徒となっていくためのチャンスをつかみ
この地上に肉をもったのであるかという厳しさがわかるのならば
自己実現であったり、自己保存であったり、己自身の悟りや名声や
そのような権力欲や、安易な愛の表し方というものは
はねつけられてもおかしくない。
そのような妥協ある姿というのが、心の隙間の中にじわじわと攻め込んできて
それによって引き倒され、この計画を頓挫させようとする者たちの力によって
この計画も危うくつぶされそうになっているのである。

もう立ち上げたときから、何度つぶされようとしてきたか、この計画が。
このような、今ネット販売というものにこぎつけるまで
あなた方がどれだけ苦労をなさってきたか、私も見ていて思う。
それは常に、いた仲間の者たちの心の中にあるさまざまなものを使い
何とか何とか地下の者たちがこの計画を引き倒し、つぶそうという
ありとあらゆる魂胆の中で
レムリアというものが荒波の中にもまれるような
一隻の船であるかのような
そのような動きをしながら今日まで来たのではないだろうか。

その中で、「ああ、溺れていく人がいるからかわいそうだから」と言って
その者のために命を投げ出して、船長が救うとしたならば
そのようなことをするのがほんとうの愛であるというふうに
もし言うのであるのならば
「自分たちで上がって来い」とほんとうに自分たちが法の神髄を今聴きながら
多くの人びとを救いたいと思うのならば
そんな甘えた、たわけたことは言わずに
「自分たちで、自力で船にもう一度上がって来い」と。
この船長は、今この最後の一隻となった船を、荒海の中に出しながら
この神の計画を実行するために命をかけているのである。
その厳しさをよく知っているからこそ、知っているからこそ
戦闘系の者が出て来たのであるということを、なぜ認識しないのか。

最初の者たちは、やはりそのような認識がなくても
やはりエル・ランティの教えや、仏陀の教えのもとに
一緒に法を編纂しようという者たちが集まっている。
この第三の計画に集うということは
これはよくよくのことであるということを
モーゼ様あたりや、イエス・キリスト様あたりによって
あなた方は何度も何度も聞かされているはずなのである。

この計画を、この一隻の、波間に漂ってもみくちゃにされようとしている
このレムリアという船を沈めるわけにはいかないのである。
地下から、うようよ、うようよ手がいっぱい出て
隙あらばこの船を転覆させようと
沈没させようと、あれだけの手が伸びているではないか。
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その中において神の光を、光を発しながら
「ここに神の光があるよ、あるよ」と
その船から真っ赤な明るいライトを四方八方に光らせながら
この船は必死に前に進もうとしている。
その時に
「私たちを救ってくれないから、あなたたちの教えは間違っている」などという
そのような次元の低いことを言っている彼らであるから
その船から滑り落ちていってしまうのである。

そして、そのような者たちにおいて、今までの計画もつぶされてきたのである。
船長自らがそのような誘惑に駆られて
大きな、大きな神の大愛、大いなる愛というものが
この船がひたすら闇の中をもまれ続けながらも
前進していくことが自分の使命であると
そのようにほんとうに思って、その船を沈没させなかったのならば
今のようなことにはならなかったのである。

そして、最後の一隻が船出しようとしている。今波間に進もうとしている。
その時に、「自分たちのことを考えてくれないから愛が足りない」とか
「法ではない」とか、「間違った法を言っている」などということを
今までともに霊言を聴いてきた仲間たちが言う。
そのようなことが、どのような浅はかなことであるかということ。
愛が何たるかを何もわかっていない者たちが
「盲が盲を指導できない」ということは
イエス・キリストもおっしやられているではないか。

もっと自己確立をし、自分に厳しくありなさい。
今自分たちが、レムリアというこの船の中に、船出をして
どのような段階にあるのか。
自分たちの自己確立はほんとうにできているのか。
不退転の境地はできているのか。

全人類のこの地球の幸せを
神々の大いなる計画の最終的な総仕上げの実行者として
実行部隊として、最後の一隻、残された一隻に
すべての期待と、夢と希望を背負って
この最後の一隻が船出をして来たのである。
その船に乗って、乗組員たちであるということを
あなた方は一人ひとりもっともっと考えなくてはいけない。
そのようなことが、覚悟がないから、あのような安易な者たちが
安易なことの手段の中で降ろされていっている。

優しく、女性の母性の中に包んでくれているように思うかもしれないけども
戦いがどういうものであるかということ
魔との戦いがどういうものであるかということを体で知っている人が
今船長でいるから
汚れたもの、間違ったもの、安易な優しさというものをはねつけて
しっかりと本筋の、神の国の計画というものを見極めようとする
そのまなざしがある限り、我々は信頼して
今レムリアというところに霊言を送れるのである。

あなた方も学んできたであろう。
魔によって引き倒されてくる神理の団体というのが
どれだけ苦難を伴ってくるのか。
どれだけ一人ひとりの修行というものが問われてくるのかということも
もう学んだはずであろう。

どれだけ情けない思いをしてきたかということを
もう体に刻んできたであろう。
それなのに、最後まだそのようなものにしがみつくのかと
私はほんとうに怒りを感じている。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-18 11:54 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(4)

明治維新の方がたも出られて
さまざまな方がたも出られていたようであるけれども
我々においても、単なる一仏教の流布ということだけをもって
仏陀の教えだけが素晴らしいと思って私も説いたのではないのです。

やはり仏教というもの、あの時代にかいつまんで言うのならば
やはり仏教が伝来し、学問化していく中で、学問的に教えというもの
法というものをしっかりと残すということは大事ではあったけれども
やはり法だけではなく、学問ではないという側面において
信仰が信仰の世界であるということは
やはり、神の国とつながっていくというー。

私自身が多少、霊能力者だったということも含めて
霊界の不思議さ、その目に見えない、やはりそれを超越した世界が
神の国にはあるのだということを人びとに指し示す
そこにおいて畏れをもって神を受け入れていくという
そのような方向性を指し示すために、私の教えというものもあったのです。

ですから、それがすべての人に継承できるわけでもないし
逆に言うと、そのようなお大師信仰の中で
人びとにひとつの超能力者としての部分だけで
「ありがたい、ありがたい」と
地元のおじいちゃん、おばあちゃんたちに手を合わされて
まあそれも人びとを救う道ではあったかもしれないけどー。

我が本意というものは、本来が神の国の計画、神のあり姿、教えというものを
地上に降ろすことにあったので、ありのままに降ろすことにあったので
私は法の教えということだけはなくて、神の国の世界の奇蹟というもの
超常現象というものもひとつ表すことによって
このような霊能力というものがあることは、これは我々が神の国の表れであり
神の国の畏れというのがこういうのであるという
神とは本来こういうものであると
単なる思想や学問ではないのだということを
人びとに一番目にわかる形で示していく
それが信仰の世界の強さなのであるということを、知らしめたいがために
私はあのような教え方をしたのです。

でも、やはりそれも、時代の中における限定された教えでありました。
今、私はもうそのようなことを語るつもりはないし
今それを継承している者たちに対して、けっして非難も何もしないし
頑張ってくれていることも、それはそれでわかるのですけれども
私は霊天上界において何を考えて、何を指導したかったか。

それはもう最大の関心事は、今回の仏陀下生における
この法の流布ということを、この日本を中心にして
しっかりと根づいた法をどこまで降ろせるか。
それにかかっているというのが私の役柄上も含めまして
やはり必死な思いがあったのです。

ましてや降ろされた法に手が加えられ
間違った法として後世につなげて語り伝えられていく
誤って語り伝えていくなどということは、私にとってはとても耐えられない
とても許すことはできぬことであるということ。
そのことをぜひわかっていただきたい。

法というのは、本来純粋な法を降ろすことに意味があります。
今、源流が降りている時に、このような誤った形で
手垢にまみれた法を後世に残してはならないのです。

それを降ろすがために、あなた方、あなたのような仏典をしっかりと書き
本来始祖と呼ばれている人たちが、どのような思いで
どのような神のお心を伝えんがために下生し
その教えを説いたかということを万巻の書により語り伝えたのです。

書籍に降ろせば、そのあとの人びとの語り口調による誤謬というか
誤りのようなものが入る余地はなくなるので
そのような本にして伝えることがあなたの
ある意味で役目であったということです。

そして、それがまたレムリアの使命でもあるということ。
新たな、また霊言がこのように降りながら
本来の神の計画がどこにあったのか
何をするべきであったのか、どこが間違ってしまったのか。

偉大なる九次元霊がお二人降りられたこと。
その教え、そして谷口雅春と呼ばれているような方にしても
如来と呼ばれる方が立て続けで降りられているということ。

その中において、いちばん大事な、本来語り伝えなくてはいけない。
純粋な、手垢にまみれていない、法の神髄というものを選り分けて
今霊言を編集しながら
あなた方はその中で
本筋のものというものを語り伝えていかなくてはいけない。
書籍において残していっていただきたい。
それがやはりレムリアに対して期待されていたものなのです。
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今やめられた方がたにおかれましても
そのような意味において書籍を降ろすことに意味があったのであって
それ以外のものには、他のものの使命はないのです。

レムリアに集うということは、神の計画のもとに、無私なる思いにおいて
神の世界計画の一員として、命をかけて頑張られるということにおいて
ここに座る席が許されているのであるということ。
その認識力がないから、あのような愚かなことを平気で
世迷い言のようなことを言うのです。

あなた方はくれぐれも注意しなくてはいけない。
この計画が頓挫したのであるのならば
これを次の時代、次の世代につなぐ者たちはいないのであるということ。
そして、法自体の原点を今修正し、固めようとしている。
しっかりと継承できる原点をつくろうとしている。
そのために今このように次々と霊言が降りているのであるということ。

そのことを深く認識して、あなた方が書籍によって残すということが
大事な、大事な後世の人びとの羅針盤のように光を指し示す
神の国の方向を示す、大事なバイブルのような
聖書のようなものになっていくのだということ。

イエス・キリストが聖書を書いたのではない。
イエス・キリストの弟子たちが、イエス・キリストがどのように語られ
どのような愛の教えを伝えたかということを一生懸命思い出しながら
それを文章にし、書いて集めたものが聖書であろう。

であるのならば、あなた方も同じです。
今このような我が言葉を、我らが言葉を聴けるあなた方は
いったい何を我々が一番望んでいるのか
天上界の神々がこの世界計画のためにどれだけ必死であるかということ。
そのことを、肌をもって今聴いているのです。
知ることができるのです。

であるのならば、それをいずれあなたの知識の中に、記憶の中にとどめ
それを書籍として残していっていただきたい。
そうすれば、上が何を考え、どのような長い長いスパンの中
長い期間の中における今の計画というもの、この位置のあり方
そして何か起きたのかということ、そして今何をなさんがために
霊天上界においても、地上においても必死であるかということ。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-28 08:41 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(3)

今イデオロギーの対決が、民主主義であるとか、共産主義であるとか
そういうものがひとつの終幕を終えて
人びとがひとつの方向に流れてきていると思う。

共産主義であるとか、社会主義とか
そういうものがひとつの実験段階を終わり
多くの人びとが神の子であるという意味において
自由意志というもの、自由というものを求めるときに
本来、活き活きとして生きられるものであるということを
人びとが学ぶ段階にきている。

そして、ソビエト連邦というところが崩壊していくことにより
人心を民主化していくことにより、人びとがそのような自由の中で
魂を発現していくということを喜び合うということが
人びとの心の中にイデオロギーの一致というものが
ひとつずつなされようとしている段階にあると思う。

そして、今表面化しているのが、宗教対立であると思う。
イスラムという圏と、キリスト教いう圏が今正面によりぶつかっている。
これは、でも表面的に見たら、ひじょうに不幸なことではあるけれども
逆に言うと、最終段階にきているということなのである。

人びとは学ぶ。
神の名のもとに、なぜ殺し合いをするのか。
命がけになって信じている者によって
どうして人びとが、神の子同士である互いの国民の者たちを殺し合うのか。
ほんとうにそれが神の意思なのであろうか。
凄惨な事件が続き、続く中において人びとは学ぶであろう。

大いなる人びとの中に必ずや
「いや、神の心はそんなところにはない」と
「神のお心は、けっして神の名のもとに人を殺し合うことではないのだ」と
「侵略し合うことではないのだ」ということが
必ずやその問いかけとして出てくるはずなのである。

共産主義、社会主義と呼ばれているところもそうだった。
結果主義における平等論というものが、人びとを幸せにするのであるという
そのイデオロギーの中で、では人びとから自由というものを奪い
すべてを一律化し、すべてを配給制度にすることで
人びとがほんとうに幸せになれたか。

物質的なものにおける均等というものが
ほんとうに人びとに生きる覇気というものを
幸せ感、幸福感というものを与えることになったのか。
それは、やってみたことにおいて人類が学んだことなのである。

最初から結論、答えというものだけを言ってしまったのならば
人びとは答えだけ押しつけられて
不服のままにおいて学ぶことはできなかったであろう。
数々の悲しい歴史が、そのイデオロギーの対決の中においても恐怖心となり
核戦争の勃発という、ぎりぎりの限界の中において
人びとは深く心に刻んだはずである。

「ああ、自由こそ素晴らしい」と。
結果主義における平等論ではなく
人間というのは、本来が高まりたいという自由意志の発現の中において
努力というもの、情熱というもの、それをかけて人生を生きていき
その結果として、富や名声や、今の地位を築き上げてきたということ。
そのことにおいて、人というのは幸福感というものを得るものであると。

そのようなことが能力におき、努力において、人びとに差があったとしても
それは人生に対して挑戦することが平等に許されているということにおいて
人びとは幸せであるというふうなことを感じることができるということが
ひとつの文明実験の結果として
二十世紀の末あたりに理解されたのであると思う。

そして、今もう一度問われているのが、三大宗教と言われている
世界の三大宗教と言われている大きな宗教の中で
今まではローカルな意味において、その地域その地域の中において
それぞれの各メシアたちが説かれた法において
人びとは神のもとに導かれてきた。

しかし、それがこの地球規模の大きさの中にきたときに
自分たちの神こそがすべてであるというふうに人びとが思い
それが、地球が狭く、人びとの情報や人びとの活動範囲が広がったからこそ
今このような衝突も出てきているのである。

そして今、文明実験のような中で、宗教というのが統合されていくという
そのような計画段階にきている。
その神の御意志というものが、本来は地球が丸くひとつであり
太陽がひとつであるように
この地球を包んでおられる愛の神々というのは
地球霊天上界においてはひとつであり
地球を指導する指導霊団というのはひとつであるということ。
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だから、イスラムにおけるアラーも、イエス・キリストの指導であった
モーゼの指導であったヤハウェ、エホバと言われる神においても
仏教の中におけるその根源的な神というもの
仏というものにおいても、孔子においても
すべての大思想、大宗教と呼ばれている者たちを指導してきた霊天上界は
ひとつであることが、ぶつかり合うことによって人びとの中で認識され
最後そこの中で、くたくたに人びとが傷つけ合った最後に
「我々はみんな神の子であった」
「我々は神によって、霊天上界において
ひとつのところから出てきた者たちなのであった」と。

そして、転生輪廻というものをほんとうに理解することによって
「自分は過去世、イスラム教徒であった」、「キリスト教徒であった」
「はたまたギリシャに生まれ、日本に生まれ
そしてインドの地により、仏陀の言葉を聞いたことがあった。
そのようなことをほんとうに悟ってきた時に、人びとはその手から銃を捨て
人びとが和解の場所に立てるのである。

その段階にきた。
最終的な世界宗教というものを起こす過程においても
やはり神の世界計画というものがあった。
それにおいて、メシアと呼ばれる方がたも
その時代その時代に、その地域に降りられたのです。

そして、私などもそのあとに続いて
その場所において我が使命を果たすために
その地盤を整えたりするために出てきた。
あなたもそういうところがある。
そのような役割、すべてが神の計画の中の一員として、TPOと申しますが
今何をこの場所のこの時代において
何が要請され、何をするべきなのかということを常に考えて
そのお役に立つために、我が生涯をかけていく。
全生涯をかけて使命を果たしていく。
それが私のような、中央省庁から
まあ中央官庁から派遣された者たちの考え方なのです。

で、それがもう中央官庁とか、地方官庁という言栗ではなくて
地球自体がひとつにまとまり上げていく中で
すべてが中央の指令のもとに動いていく。
中央の神々の計画の一員として
最後、このローカル神と呼ばれている人たちも
みんなが手を携えることによってひとつになっていく。
そのような時期がきたということ。

そのための神の世界計画であり
今日まとめ上げられるための偉大なる計画が行われてきたのです。
そして、その発信源がこの日本であったということ。
そのことを思うのならば、この日本が、いかに霊的な意味においても
信仰の地盤としても、この日本という国が
どれだけ準備を重ねられて今日まできたかということを
もっとあなた方は知らなくてはいけない。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-14 08:31 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(2)

もうあとがない。
あとがないということは
これにて今回の計画が終了するかどうかの瀬戸際にあるということ。

今、数々の法が、仏陀により降ろされた法もあります。
そして高橋信次、エル・ランティという方が降ろされた
大事な大事な法もあるのです。
その法をまとめ上げ、書籍にし、地上に残しなさい。
あなたは残しなさい。
間違ったものはあなたの認識力であるならわかるはずなのです。
何が正しくて、何が間違って
何が魔界の者たちによる惑わしによって汚されてしまった法であるか
それとも美しいままの法であるか、
そのことがわかる者がいるうちに
書籍によって残しなさい。

それだけの力をあなたは持っているはずであるし
今この地上で、最高の栄誉の中にいるかもしれぬが
それは我々の世界に帰って来た時は、そうたいした栄誉ではないということ。
それは、あなたは一番魂の中で知っているはずなのです。
それをやるがために
あなたはこの仏陀再誕の地に下生されてきた魂であるということ。
それが本来の使命であるということ。
そのことを深く心に刻んでいただきたい。

法というのは
神のお心を人びとにわかりやすい言葉で伝えることにあるのです。
けっして、学問で頭でっかちになり
自分の中に入った野狐禅(やこぜん)のような境地の中で
自分たちだけが悟られればいいというような
自惚れの中において法が説かれるのであるのならば
それはもうすでに法ではない。

本来の法というのは愛の光である。
愛の教え、神のお心が愛そのものであるからこそ
神仏の心も、我々がすべて神の心に、子どもたちとして
大いなる神の本源の力により分かれてきた愛の一派である
一筋の光であるということ。
そのことを本来認識するのならば、愛以外の何ものでもないということ。
それが神の子であるということ。
それが原点なのです。

我々は、けっして最初から間違った悪魔の子ではない。
神の子であるということ。
それが仏教でもキリスト教でも、イスラム教でも、日本神道においても
そこの根源において神の子であるという大いなる誇りを
人類にもう一度原点としてよみがえらせなくてはなりません。

自分がひょっとしたらば、ムカデやゴカイや
はたまた過去世が牛だったというような間違った転生輪廻の教えがあったり
それから、自分はひょっとしたら
地獄界から生まれてきた者であるかもしれないとか
そのようなさげすんだ気持ちであるから
神の子であるという誇りがないから
人びとはそのような世迷い言の中で自分自身を見失っていくのです。

本来が、愛の光から分かれた、愛の光そのままの化身が、我々一人ひとりが
神の子としてつくられた本来の意味であるということを
しっかりと私たちが心の底から認識するのならば
「神の子として、さあ、あなたはどう生きるか。神の子としての誇りをかけて
一度のこの地上の肉体の人生をどうしたいのか。
神の子であるのならば、神の国の実現、神の計画の実現に命がけになって
人生をかけて生きることが、本来の神の子の生き方ではないのであろうか」
ということが自然にわかってくるはずなのです。

人を殺したり、人の物を盗んだり
はたまた人をトリックにかけてののしり合ったり、お金を求めることが
地位や名誉や、丈配欲を求めることが
イデオロギーにおいて他の者を支配したり、勝ち負けにき憂することが
そのようなことが人生の目的であるわけがないのです。

それは、人ひとりの価値観の中により
己自身が神の光から分けられた神の子であるという
しっかりとした原点の認識がないから
そのような誤ったものに価値観というものを
自分自身を見失っていくことになっていくのだと私は思うのです。
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神の子であるということ。
その我々の心の中にあるのは、神仏一体の境地にして
大いなる根源の愛深き神の
その光を分けていただいた、分け御霊であるという
そのような考え方がほんとうに根づいたのであるのならば
自らの誇りにより人生を気高く生きることができるはずである。
そのような認識をしっかりと持ち、そこが原点であるということ。

そして、次が転生輪廻ということ。
転生輪廻ということが、エジプトであるとか、インドであるとか
一部のところではそのようなことを言われてはきているけれども
正しい認識における転生輪廻というものが語られていなくて-。

そして永遠の生命の一部、一環として転生輪廻があるということ。
人びとはこの地上での五十年、八十年、百年足らずということが
一回きりで終わりであるとまだ思っているから
人びとはそのようなつまらぬものに固執するのである。

そのようなことを思ってはいけない。
魂というのは永遠である。
だから、何度でもやり直していけるのであるからこそ、今の場所もある。
そのように思っていったのならば
いたずらに肉体生命に執着することもないであろう。

この地上において稼いだお金についても、いたずらに、これを肉体とか
この地上における生活を潤すために
このお金というものがあるのであるのならば
おのずと自分たちがお金に対してどのような向き合い方をするべきか。
名声や、支配欲も、ほんとうの意味で、それが神の子として、誇らしい
永遠の普遍的な価値観からくる名声であり
自分自身の中にある誇りとなるようなものになっているのか。
それを人びとはもっと原点から考えねばならぬ。

それを考えるには、やはり永遠の生命ということを受け入れて
そしていろんな地域において転生輪廻をしている
自由自在にいろんな国を、いろんな宗教を渡り歩いている
生まれ変わりながら、その寛容さというものを身につけていく柔軟性というもの
器の幅を広げていくということ。
そのために転生輪廻が行われているのだということを
人びとはもっと深く知る必要がある。

それを、高橋信次、エル・ランティがおっしゃられていたにも関わらず
少しもそれがほんとうの意味で人びとの心には根づかなかった。
その転生輪廻の過程の中で、人びとは寛容さというものを学ぶのである。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-02 11:37 | 空海 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ

この度は、このレムリアの計画における招命をいただきまして
心より光栄に感じ、感謝いたします。
我が言葉を、再びこの地上に伝えることになると思うだけで
感無量の境地にございます。

このような、前回の計画か頓挫したことを、我々この計画に携わった者として
心より責任を感じ、また、取り戻し、復活させ
この大いなる神の計画を続行させるために
ありとあらゆる手だてを考えてまいりました。

私は、日本に生まれし一仏教の、一宗派の教祖となるような
そのような役割にだけ満足しているつもりはございません。
私が前回、この日本に命を持ち、生涯を全ういたしましたのも
すべて神の国の計画の一部にてございました。

この大和の国日本というところは
古来より日本神道と呼ばれる神々により治められていた神域にございます。
そこが新たな仏陀再誕の地と選ばれたときに
我々は中央官庁より、この日本という土壌において
世界計画の光の発信地となるために赴き
この日本に、日本神道以外の仏教というものを導入し
その精神的磁場を整えるために、数々の仏弟子たちが
この日本に仏教という宗教を持ち込んだのでございます。

私が生まれたその時代においては
まだ仏教というものがしっかりと根づいておらず
中国からの受け売りのような仏教というものが
人びとの間にやっと広まり出したような時だったのです。
その時に、やはり聖徳太子と呼ばれるような方が陣頭指揮をとられ
数々の仏教伝来というものを通しながら
この日本の地に、仏教の考え方というものを導入しました。

そして平安時代に、そのような仏教を根づかせながら
奈良・平安というふうに根づかせながら、鎌倉というところに
やはり鎌倉仏教ということで中興の祖たちを数々送り込み
仏教というものが広く人びとの心に知れ渡り
神の国というもの、仏の心というものを通して
人びとが悟りに、神の国に至るという、そのような地盤を整えたのです。

その役割の中に我が使命もあったということ。
そのことを思うならば、大いなる計画の中により自分の居場所があり
我が思想もあったという
その限界を超えてはいなかったということなのです。

今、私はそのような足かせを離れ
やっとこの二十一世紀という日本の国において
新たなる神の計画が
そして本来、我々が待ちに待ち望んでいた仏陀再誕ということを通して
本来の法を説かんがために、法を地上に伝えんがために
この救世の大計画があったのでございます。

仏教というもの、一仏教ということだけではなく
この日本の地にはキリスト教というものも導入され
そして、キリスト教という、キリシタンの迫害の歴史を通しながら
大いなるイエス・キリストの愛の教えも含めまして
この日本というところに精神的な地盤
ひじょうに多くの宗教が混在する中において
人びとが神を多角的な面からアプローチしていけるような
そのような柔軟な磁場をつくったつもりでございました。

しかれども、今回の計画の頓挫を見るにいたって
やはり人びとの心というのは偏狭になり
物質中心主義の流れの中で、神のお心からは遠く
人びとの心の中には常に物質に流れ、名誉に流れ
神の子としての本来を忘れてしまうという
その傾向性があるのだということを思い知らされたのです。

しかれども、我々はけっしてあきらめてはおりません。
この最後の計画の立て直しということを思い、私は命をかけて
このレムリアにおいて
あなた方にこの神の国の計画を続行していただきながら
本来の道筋に戻す所存にございます。

今、目の前にいる平原さんにおかれましても
我が教えの、我が魂のグループの
魂のグループと申しますか、同じ使命の範躊の中にある者であります。
けっして偶然で今、ここ空海の前に座しておられるのではないということを
深く理解していただきたいのです。

今回の計画におきましては
過去世というものは一切出さぬということが決められております。
それは上より、上の神より決められているものなのです。
どうしても人は過去世というものを明かされますと、その言葉に慢心し
今世の自分の覚悟が、自分の悟りが、自分の使命がいかなるものかを
しっかりわきまえてもいないのに、過去世の名に寄りかかり
増上慢になっていくということが多々起きたからにございます。

しかし、あなたに具体的な名前は言わなくても、わかるように申し上げたのは
あなたの使命というものがそこにあるということを
私と同じ法を司るグループの
仏教の、仏弟子の法を司る光線の中にいるから、明かされているのです。

私も天上界において、法の流布ということ
法がいかに今の神の大いなる計画の中において
地上の中で、どのように今の段階において
地上に降ろしていくかということを常日頃考えているものなのです。

そういう意昧におかれましても、あなたもいつもそのような法というものを
私が出たことを、教えということも
数々の書籍において地上に広めてくださったという功績がございます。
その意味において、あなたが今ここで旗を振ること
指導するということを期待されているのだということを
わかっていただきたいのです。
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前回私が地上に出たとき、ORという者を通して
K会のY顧問とあなた方が呼ばれている方の前で、私は語ったはずなのです。
私の使命は法を地上に伝えることにある。
あなた方が法を地上に降ろす時に
天上界より指導することに私の使命はあるということを
再三申し上げているはずなのです。

その意味においての覚悟が足らない。
その意味においての厳しさが足らぬがゆえに
あのようなことになったのだと思う。
数々の、地上におければ、あなた方のように肉体を持っている
この世においての地位や、名誉や、成功や、出世欲や
そしてはたまた多くの支配関係における
男性の権力欲というものがあったと思う。

しかし、そのようなものに振り回されて、本来この今の日本において
この仏陀が降りられた時に、法を地上に降ろすということが
どれだけそのようなくだらぬ、がらくたのようなものに比べて
勝る天の宝であるかということを
しっかり心に認識して、銘記していないから
あのような間違いが起きたのだと私は思うのです。

いかにどれだけ立派な殿堂を建てようと、どのような精舎を建てようと
どのようにお金を稼ぎ、どのように書籍が売れ、信者が多くなろうと
そんなものはどうでもよいことのはずです。

仏陀が仏陀として下生するということは
この地上に、仏陀でなくては降ろせぬ法がこの地上に降りる
稀有なる稀有なるチャンスであったということ。
そのために我々がどれだけ長い間準備をし、多くの神々と手を携えて
この日本という国を光の磁場に合わせてきたか
努力をしてきたかということがしっかりと認識されていないから
このような情けない計画になったのだということ。
そのことをあなた方は深く心に銘記され
この使命を果たしていただきたいのです。

(2005.5.26 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-12-17 14:44 | 空海 | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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