地球を愛の星へ

カテゴリ:平塚らいちょう( 6 )

平塚らいちょうからのメッセージ(6)

わたくしは常に社会改革者として出ますので
まず高邁な理念というものを
しっかりと自分の中で構築することから始めます。

それが時代の中でほんとうに必然性があるのか
これがほんとうに多くの人びとに提示されたときに
意識変革、社会を変革していくことの中で
多くの人びとのお役に立つのであるだろうかということを
しっかり自分の中で煮詰めて、その上で理念をしっかりと凝縮し
その理念を抱きかかえるようにして地上に生まれてゆくのです。

でもこれは、神々の世界から降りてきた理念というものを
あなた方は今、降ろそうとしている。
それをどのように一般の方がたにかみ砕いて理解させ
そしてそのような理念というものを書物に残して
後世の者たちに残すことができるか。

それを読んだことによって次の後世の者たちが
それを具体的な活動原理として行動していくということ。
そのような時代がくるということ。

そのときに今降ろしているような、法を編纂し、書物にするようなことは
とてもしている暇がないのです。
動乱の時期がきたときはそうなのです。
フランス革命をやっている渦中の時に
その本を、なんていうことはやってられないでしょう。
それよりもっと大きな社会変革がくる。
多くの者が犠牲になるでしょう。

でも、これは新たな地球に生まれ変わるための
そのための大いなる改革であり
地球の再生のための犠牲であるということを考えたならば
命を張って出て来る、それこそあなた方の好きな戦闘系と呼ばれている
それこそ社会改革
わたくしたちのような女性のオピニオンリーダーではなくて
まあそのような者も出ますが、実際、今度は修羅場に強い
言ってみれば坂本竜馬様みたいな明治の勤王の志士とか
三国志に出てきたようなああいう荒くれ連中と呼ばれている
社会の根本組織からぶった斬りながら変えていくような
ああいう方たちが出てくるのです。
ああいう方たちが、社会の土台づくりの時には出てこられるのです。

そのような方たちに、このような精妙な霊言を降ろし、書籍化し
文書化しろなどということはできないのです。
あなたも見ておわかりのように、あなたもお坊様でいらっしゃいますので
やはりいつも法というもの、それを編纂されるという
ひじょうに高度な知性というものをお持ちの方なのです。

こういう方たちが今、仏陀様の光線、日蓮様の光線のもとに
今、法の編纂係として呼び集められ、このような霊言を直に聴きながら
あなた方のお仕事があるということなのです。

あなた方が聴いておられる方がたというのは、わたくしたち霊界におりましても
とてもとてもそのようなお話を直々に聴くことが叶わないような
もしあのような方がたが、日蓮様におかれましても
お話があるというのであるならば
大きな巨大な会場すべてが霊人で埋まるような、ものすごい中におきまして
私たちもお話を拝謁させていただくのです。

そのような方たち、また、ないしはそれ以上の救世主界
この間エル・ランティと呼ばれている
わたくしたちもまだまだほんとうにお名前でしか存じ上げなかったような方が
この三次元に降りてこられ、直々で霊言を降ろされておられるという
そのようなひじょうに霊界におけます以上に
こちらの今三次元において奇蹟が起きているという
この現場に立ち会っておられるということを考えるならば
どうか残された人生の中におきまして
この法の編纂というものを伝えていただきたい。
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ほんとうにあなたにおかれましても、よくテープ起こしなどをやられて
頑張っておられます。
人数も少なくてたいへんなのはよくわかるのですけれども
わたくしがやっていたときでも
けっして人数がたくさんいればよかったというものではないのですのよ。

たくさんいたからこそ、逆に混乱することも多くて
逆に自分たちが何をやるべきなのかを見極めたのならば
ほんとうに気の合う最少の者たちでやっていったほうが
この一連の流れを見ていて
ほんとうに何もわかっていない人たちがいるんだと思うと
わたくしなぞは怒りがこみあげてくるのですけれども。

そのような内輪けんかをしている暇があるのならば
とっととひとつでもふたつでも
こういうわたくしたちのような霊言を降ろしていただいたほうが
より社会のために、世のためになっていくのではないかと思うのです。
わたくしたちのように、無名な者たちという者もたくさん控えております。
でも意見を要請されれば、いくらでも言える者がいるのです。

ですから、そのような意見
逆に言うと、霊人として神々の世界におられる方たちよりも
わたくしたちのような
ある意味で現代に生きておられる普通の方たちの目線で話ができる
わたくしのような者が話を、説明することのほうが
皆さま方によりわかりやすく神々のご計画というものを
理解していただけるのではないかと、逆にわたくしなぞは思うのですね。

ですから、どうかわたくしなぞでお役に立つことがございましたら
どうかなんなりといつでもお呼びください。
過去わたくしが生きた時代にどうであった、こうであったというような
過去世の詮索なぞではなく、今これから先の未来の地球のために
今神々がどのような計画を起こされて何をするべきであるのかという
この日本の位置、そしてこのレムリア・ルネッサンスというものが
いつか時代の中で、大きな、大きな希望の光として
語り継がれる時代がくるはずなのです。
そのことを思ってどうか、今のこの方のお力になってあげてください。

そして守って、一緒にこの法灯というものを
次の世代に語り伝えることができるように
お力をお貸しいただけたらと、わたくしは思います。
そのためにできることは何なりとお申しつけください。
いくらでもご質問にお答えして協力したいと思っております。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-03-05 08:52 | 平塚らいちょう | Trackback | Comments(0)

平塚らいちょうからのメッセージ(5)

地球の流れの中、歴史の流れの中は
トータルなエネルギーの流れというのがあるのです。
ですから、アメリカを別に弁護しているわけではないのですよ。
だけれどもイスラム圏を通しまして
やはりあのようなエネルギーがあのエリアには溜まっているということ。

そして、アメリカはアメリカとしての行き過ぎた結果をもって
自分たちの罪という結果を、墓穴を掘っていってしまうのですけれども
それだって、最初からアメリカが滅びると神々が決定されて
あの文化を興されたわけではないのです。

ただ、行き過ぎた自由というのが、他者に対する干渉や
そして守ってあげるという名のもとにおいて
大きな干渉というものをしていく。
それが他民族であっても、本来のお互いの自治権
文化の違いというものを認め合っていかなくてはいけないのだけれども
アメリカ自体が守ってあげるとか言いながら
実は自分たちの国の、自国の利益の中で
あのような自由という名のもとに戦争を
自由を保護するという名のもとに、戦争を起こしていますよね。

だから、これはやはり両者のカルマのぶつかり合いであって
この地球の文明の最後のときに、この自由権と
それと、ひじょうに弾圧されているけれども
宗教的なストレスがかかっている。

この間マホメット様がお出になられておられましたけれども
やはりあそこにおいて宗教と宗教がぶつかり合っていた
その最後のだから貿易センタービルの、見ておりましても
実にこの時代の最後のエネルギーのぶつかり合いであると
わたくしなぞは思うのです。

行き過ぎた自由を唱える暴君となった、ローマのようになったアメリカに対して
今度はイスラム圏の中でイスラムと
基本的にはキリスト教徒とイスラム教徒の戦いですよね。

それが結果的にイスラムの、キリスト教圏への怒りというものが
アメリカというものに対して、そのちょうど対象が、照準が合ってしまって
その貿易センタービルというものを爆破することで
ちょうどキリスト教圏とイスラム教圏とのカルマの
エネルギーのぶつかり合い、解消
そして、それが現代のローマというところに実はあそこの中東のところに
今はもうキリスト者としてのエネルギー磁場はないのですね。
ほとんどがイスラムなのです。
キリスト者としての、キリスト教のエネルギーの代表としてどこがあるか。
今はそれを象徴するのがアメリカなのです。

聖書の、バイブルの上でアメリカの大統領というのは宣誓をします。
今ヨーロッパはもうすでに死すべき形にして
キリスト教の文化の流れとしての大きなものはないのです。

自由というものを通して、自由と解放というものを通して
キリスト教圏の代表として
今行き過ぎた形でありますけれども、キリスト教圏の代表
そしてマホメットの説かれたイスラムの教え、一途ではあるけれども
ひじょうに間違ってしまった教えとの、間違ったものと間違ったもの同士との
最後のエネルギーの
地球規模でのカルマの総清算が行われているということなのです。

ために溜めたエネルギーがぶつかり合うことにより、それが解消され
やはりエネルギーというのはお互いの恨みというものが溜まったときには
それがやはりぶつかり合う。

出てこなければ、そうでしょう?
膿が溜まったら傷口を出して
膿を出さなければ傷口は治らないではないですか。
その膿が時代の流れの中で溜まっているのです。

最後の、別の意味で
浄化の時がきているというふうなことを伺っておられると思いますけれども
浄化の時の流れの中で、気候、この天変地異、今見ても数々の大津波や
インドで雪が降って死亡者が出たりとか、大雨、すごいでしょう。

このようなことはやはり、今まで地球全体としての
ひじょうに地球自体がバランスを失って
悪想念の集積が今最後、身震いすることによって
その膿というか、汚い想念を今洗い流そうとする
その最後の試みであるのです。

新たな時代に、美しい地球に戻るためには
やはり膿出しをしなくてはだめであるということ。
そういう意味においては
部分的に見たらアメリカの態度は行き過ぎであるとか
イスラムだって、みんながみんな
あんな過激なことをやるのではないというけれども
でもやはりトータルで見たならば、そのような傾向性の中で
そのようなエネルギーが溜まりに溜まってきた
そのるつぼにあるのがちょうどアメリカのアメリカに今エネルギーが強くて
そしてイスラムというところにそのような民族問題とか
それから宗教における積年の恨みつらみという悪想念が
ひじょうに暴力的な形において溜まってしまったということ。

だから今、イスラムの者たちが堪えに堪えた
そして信仰と剣というものを、武器というものを両立してしまっている。
彼らが今その暴力を
武器を使うと歯止めが効かなくなってしまっているという。

でも、歯止めが効かないというのは
それはある意味でひじょうに厳しい戒律の中で
自分というものを殺してきた、自由意志というものを殺してきたということ。
一人ひとりが自分らしく生きようとしても
やはり生活のあらゆるところまでイスラムの
コーランの教えというものはあって
一人ひとりの自由意志というのを束縛してきたのです。

自分自身をアピールできなかったその怒りというのが、やはりあるのですね。
それがある意味ですべてであるけど
行き過ぎた形にあるのがアメリカなのです。

自由意志の塊で行き過ぎて、他者に対して干渉しようとしているアメリカと
生活の中で、戒律の中で治められ、自由意志を失って
ひじょうに窮屈な中で自分らしさを発現できない
ただただ巡礼と、ただただ朝な夕なの礼拝というものだけにこだわり
人生というものを縛られて、ひじょうに、女性たちにおきましても
あそこにおいては真の男女の愛というものを考えられるような
地盤にはないのです。

かつて、その時代には良かったのです。
それは時代の中におきまして、ひとつの地域の中において
モーゼ様が説かれましたようなユダヤ教の時代も
あれはあれで、「十戒」を通して意味があったのです。

イエス様の時代もあれで良かったのです。
無学文盲な者たちが、愛というものを通して
信仰というもの、神というものにつながっていくという
そういう意味においてはよかったのです。
イスラム、マホメット様におかれましても、あの時代はよかったのです。

しかし、これからの時代のことを考えますと
あのような原始的な形の信仰形態ではもうだめだということ。
イスラムの者たちも、周りがどんどん高度に科学進歩して
グローバルな社会になってきているのに
イスラムの女性たちは依然と、取り残されているのです。

そして男性たちにおいても、やはりひじょうに不自由な
ユダヤ教徒もそうですけれども
ひじょうに古い慣習の中に縛られて、神の子は本来自由に
一人ひとりがかけがえなく人生をチャレンジして
大きく自分自身を探求することを
もっと自分のメインテーマにして、人生の中、挑戦して生きていく
チャレンジしていくっていうことがまったくない、彼らの中には。

一部のひじょうに恵まれた階級の者たちしか、それができない。
そのようなところから、もう抜け出さなくてはいけないということなのです。
逆に、その信仰という自分かちがすべて押し殺して
イスラムの教えの中にきたからこそ
だから自分たちを否定する者たちに対して
唯一残された剣というもので、凶暴に凶悪になって切り込んでいっている。
それは自由っていうものを謳歌しているアメリカ人という者たちに対する
一種のジェラシーでもあるのかもしれない。
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大きく見たならば、自由という人間の自由意志というものを大きく謳いあげて
それゆえに暴君化しているかもしれないアメリカと
自由意志というのをとことん犠牲にしながら、神につながることによって
でも剣という唯一の噴き出し口をもらってしまった者たち。
両方ともバランスが悪いのです。
両方ともいいところもあるけれども、間違ってきているところもある。
それが今ぶつかり合うことにより、お互いをせめぎ合うことによって
カルマを解消しながら、人類は気づいていくのかもしれないのです。

ほんとうの意味での自由意志とは
ほんとうの意味で神とつながっていくということは
ほんとうの意味で信仰者としてはどういうことなのか。
朝な夕なにカーペットを敷いて、聖地に向かって
メッカの方向に向かって礼拝するばかりがけっして信仰ではないのです。
もう寺院なぞなくても、私たちはみんな
一人ひとりが神の子だということを学んでいるのです。

輪廻転生しているということ。
そしていろんな国に生まれながら
イスラム、キリスト、仏教、いろんなところを経験しながら
経験を積んでいる一人ひとりが、かけがえのない魂であるということ。

そのようなことを学ぶ時期がもうきているのに、いつまでもあのような足かせは
モーリャ様がおっしやられていたように
一度すべての宗教をるつぼに入れて煮溶かして
そしてその中から「地球教」というのをつくらなくてはならない。

なぜなら、そのような足かせの
原始ローカル宗教であるようなそのような形態から
グローバルな地球教というひとつの宗教にまとめあげられ
そしてそれが大きな、巨大なひとつの政府というものをつくることによって
教えというものが法の秩序、法の秩序というのは
宇宙を統べる神様の愛の秩序によって
この地上的なシステムにおいても統御されていくような
そのような政府というものをつくっていく。
そこまで神様のご計画があるということをわたくしも聞いております。

そのような改革というものを、これからある意味で革命的なものが起きる。
そういう意味での、やはりあなた方が今降ろされているということは
理念的なものにおけるひじょうに根本的なものなのです。
これがなくては、そのあとの社会改革というのはできないのです。

わたくしたちは常に、出たときに、女性として、何か強い
まあ行動力というものはないわけではないのです。
わたくしにおきましても
この方にしてもひじょうに行動力はあるのですけれども
何をもって女性のリーダーというものを
オピニオンリーダーというものをしたかと申しますと
やはりひじょうに高い意昧での理念というもの
それをもってこそのオピニオンリーダーなのです。

だから、今わたくしたちの個人的な理念ということを越えた
神々の世界から降ろされた、救世主界から降ろされた
もっと言うのならば宇宙の根源的な法に通ずるその神々の法というもの
そういうオピニオン、そういう理念というものが今降りられている。
それをあなた方が今編纂なさっているということなのです。

これがあってこその社会改革であるということ。
それがあってこその改革者であるということ。
このあとに来る方たちは、あなた方が降ろされたこの理念というもの
グローバルに、この大きな長い時の流れの中で
これから神々が何をなされようとしているかということ。
それは、小さな、小さな一人ずつの一個人の人間ではわからないのです。

この大きな世界の歴史、私たちが見るならば
あの世に帰ればあなた方もわかるのです。
たかが今回の文明だけではない。
まあ、この人においてもレムリアとかあるでしょう。
アトランティスに出ているときもあるのです。
あなたにおかれましても
いろんなかつての文明の中に数々の転生をなさっている。

その大きな自分の魂の歴史の中でアトランティスがあり、レムリアがあり
ムーがあり、ゴンダアナがあり、そして今回の文明があるというその転生の中で
この今回の文明の今の時期というのは
大きな地球のターニングポイントになっているという
それくらいシフトアップする、たいへんな時期に今あなた方はいて
その理念を預かっている方たちであるということを考えたならば
たいへんなお仕事をしておられるということ。
そのように、わたくしのような者は思うのです。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-27 08:26 | 平塚らいちょう | Trackback | Comments(0)

平塚らいちょうからのメッセージ(4)

そのためにひとつの時代のうねりの中においてわたくしたちが出るのは
大体女性の意識の向上と発展というのがテーマでございますけれども
そのようなときには、やはり大挙して出てくる。

だから明治とか大正、それからそうですね
二十世紀初頭におきましても、女性の政治家とか
そういうふうな社会活動家として、昔だったら考えられないような
女性たちの活躍というのが出ていると思うのです。

そういう方たちは過去、この文明におきまして、かつての古代の時代
中世の時代におきましては
女性が活躍して名前が残るということがございませんから
転生しておりましても名前がないのです。

日本におきましてもそうでしょう。
菅原孝標の女とか
本人がどういう名前であったかということは残らないのです。
必ず夫であるとか、子どもであるとか
それの「女」、「娘」、そういう形でしか名前が残らないのです。

ですから過去世を言われても、大体残ってないのですけれども
やはり逆に言うと、古代とか中世とか
ひじょうに初歩的な段階におきましては
わたくしたちのような女性のオピニオンリーダーというのは
出る機会がなかったということですね。

ですから逆に言うと、これからは腕の奮い時かなというふうに思うので
これから次々と生まれていく予定というのがございます。
実際に、現にもう仲間ではずいぶん生まれていっている者がおりますので。
これから「女性の法」というものが集大成されていく。
そして、女性の法とともに男性の意識におきましても
変革されていただきたいというのが、わたくしたちの希望でもございます。

かつて、わたくしが出た時代におきましては
このようなことを言う女性というのは
ひじょうに小生意気で
とても嫁にはしたくないというふうに嫌われたけれども
今は逆に女性であっても四年制大学を出て
しっかりとした意見を学べる聡明な女性というのが、ひじょう
に好まれる時代という、土壌はずいぶん変わっているわけですね。
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ですから、これがまた新たな「宇宙時代」という
統一された時代になりましたら
やはり男性たちの中におきましても
女性がひじょうに知的に優れているという方たち、女性たちに対しても
やはり同等な権利というか、そのような。
一目も二目もおいてくれるような対等な関係というのが持てるような
そのような時代というのがくると、わたくしも期待し、望んでおります。
そのような時代が現にくるのです。

やはり精一杯努力とともに人生の中で生かしながら
その上でやはり女性としても幸せになってほしいって思われるのが
普通のお父さま方の姿ではないかなと、わたくしなんかは思うのです。

そこなのですよ。
その姿に、父親であるのならば女性に対して寛容になれるのに
男と女の関係になると、どうしても男性方は女性に対して厳しくなるのです。
そこのところを、どうか父親のような思いで
これからの女性たちに対して接していただきたい。

女性のほうから言うと、やはり女性が自分の中で
悪あがきの中で騒いでいるようにしか見えなくなっても
男性方のほうから、そういうあなたのように社会的にも
ステータスのある優秀な男性の立場から
女性を応援していただけるのであるならば
わたくしたちも女性の精神的な進歩向上と
そして解放というものに対しての、大きな推進力を得られるような
頼もしさというものを感じさせていただけると思います。
だから、ぜひとも応援していただきたいのです。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-19 12:54 | 平塚らいちょう | Trackback | Comments(0)

平塚らいちょうからのメッセージ(3)

どうも、あの今回のOさんですか、その方の本を読みましても
まあ、現代のローマよ、という言い方でアメリカというのが言われて
実際に滅びゆく運命であるということも事実
時代の徒花であったということも事実だと思うのですけれども。

しかし実際に霊的な中心が、かつてギリシャのほうから
中世にピークを迎えたヨーロッパ文明の高さというのがありますよね。
それが、ヨーロッパが衰退していって
国を、海を越えてアメリカにいっている。
そこにおいて、じゃあアメリカにおけるひとつの徒花のように
現代のローマのように開いたのが
全部それがまちがいであったかというと
それはそういうことはないということです。

それは、神がご計画なさった中にひとつあったということですね。
自由というものが行き過ぎであったと思われるかもしれないけれども。
ひとつのね、大きな地球を眺めてほしい。

ひとつの時間のベルトの大きな流れの中で
この世界の歴史というのを見たときに
やはりひじょうに自由というものが抑圧されて
自由というものを「暗黒の中世」と呼ばれたところでは
人びとは神の、神理に結びつくことによって
自分たちの本来の信仰心という名のもとの中でね
一人ひとりが考える自由を、すべてを奪われていたという
ひじょうに中世の閉鎖的な
人間の自由意志というものを剥奪されたような時代というのが
あったわけです。

自由というのは、自由意志というのは、神が根源的に人間に
神の子たちに埋めてつくられたものですね。
ですからそれがひじょうに抑圧された
ひじょうに多くの方たちが
ひとつの時代の中で何百年という時代にあったときには
そのエネルギーを解消するために
やはり大いなる自由の発散する場所というのをつくることによって
エネルギーを解放し、霊的なバランスというものをとるという
そのような流れというのが起きてくるのです。

だから、暗黒の中世から近代的な部分になってきて
資本主義的になってきたときに
アメリカというところにおいて、自由というものが爆発的に開いていった。
で、そこにおいて人びとは、人類はある意味で
バランス感覚を身につけていったということがあるのです。

だからそこにおいて、自由というものを人びとに
魂の解放をするということ。
ひじょうに中世なんかで
ヨーロッパなどで魂を閉鎖的にしてしまった者たちが
今度はピューリタンとして渡っていきながら、アメリカというところで
自由の解放の精神というところで自分たちの魂の
今度は傷とかいろんな意味においてのバランスをとった
修行をしたということ。

ひじょうに抑圧する側にいた者、抑圧された側にいた者たちが
アメリカで今度は自由の名のもとに、自分自身が自由を剥奪されたり
あと自由というものを享受したときに、いかに閉鎖的な
神の名のもとに支配される自由意志を奪われるということが
どれだけ人間らしさというものを奪っていたのかということを体験するには
大らかな自由な風どというものの中に生まれてみなければ
やはり自分の過去の中の魂の清算がつかないという場合もあるのです。

表面が悪いのではなく、そのような文明
そのような社会が出現するというのは、常にその文明、大陸
それはすべてが修行のために提供された場所であるということ。

そのために必然性があり、神はご計画なさられて
そこにおいて私たちが生まれ変わっていってそこで修行し
新たな課題を見つけ
そして魂が傷ついたり、弊害がおきたものを埋め合わせて
トータルな人格として成長していくような
そのような修行の場というものを神々は常にお考えになられて
新たなる文明というものをおつくりになられる。
文化というものをおつくりになられる。
そのために、霊的なスポットというのは移動しているはずなのです。
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常に霊的な場所、移動していますでしょう。
宗教におきましても、文明においても、フランスやドイツがすごく
あとイギリスがひじょうに
スベインとかが素晴らしい発展を遂げたと思ったら
今はそれはもう歴史の中で全然、ヨーロッパは過去の文明ですね。
それがアメリカに行き、今アメリカにスポットが当たっている。

でもアメリカの文明というのも、文化というのもそのうち終焉を迎える。
で、ロシアというのも一時、そういう意味でレーニンとかマルクスとかの
ひとつの思想的な実験場所、ああいうものをやっぱり通って
あのようなものでしか、結果平等の社会の中でしか
人びとが幸せになれないのであるということを
やっぱり言う者たちに対して、じゃあ実践してみなさいと。

そこでほんとうに結果平等の社会において
人びとが幸せになれるのであるのかということを
レーニンやマルクスたちの発想を実際に社会の中で実現させてみて
それは失敗であったという歴史的な結果を、自ら人類が導き出すことにおいて
人類に学ばせた。
そのような修行の場所を、神は常に提供されているということ。

今の北朝鮮の姿もそうなのです。
そのようなものの中でしか発想ができない者たちがいるのです。
その者たちがあのように食べるものもなくて、弾圧された社会の閉鎖的な中で
独善的な中で、いや、これを骨身にしみてみて
自由というものがどれだけありがたいものなのか
社会のほかの者たちと胸を広げ
手を携え合いながらともに共存して生きていくのが
やっぱり神の子の姿であるのだと。

自由意志というものがどんなにありがたいものであるか。
そういう閉鎖的なところにいくならば食べ物すらなくなっていく。
自然界ですら、その恩恵を本人たちに恵みとしてたまわらなくなる。
そのようなことすべてを、彼らは今経験しているのです。
そこでなければ修行できない魂がいるということ。

だから、この文化が悪いとか、この大陸とか
この霊的なことがなぜこのようなことが起きたかっていうのは
やはりその時代その時代で修行した者たちが、どのような課題を持ち
どのような場所を提供されることにより、多くのカルマを返し
多くの学習の学びの場として役に立つかということを神々はお考えの上で
わたくしから言う「神々」というのは高級神霊
いわゆる指導者層と呼ばれている
わたくしなどではわからないような
ここにお出ましになられる救世主界の方がたですけれども
ああいう方がたが数々のアイディアを持ち
多くの人びとの想念を読みながら
次の霊的なスポットと修行できる文化体系というものの中に
いろんな文化というものを興されていく。

そういう、地球というものをトータルに見ながら
指導されている方がたがおられるということですね。
だから小さなものではないのです。
ひじょうに大きな、大きな時代を越えて
そして地球にいるわたくしたちの、あくまで地球神霊と呼ばれている方
そして今回わたくしも初めてちゃんとわかりましたけども

九次元とか八次元とか言われている
私たちから見たらはるかに高級霊界の方がたが
常にわたくしたち神の子たちが、どのような場所において
どのような順番で修行をしていったのならば
トータルな意味で「地球人」と呼ばれている神の子たちが
修行段階としてより
いちばん効果的に進歩発展できるかということをお考えになられて
数々の文明、数々の文化というもの、それを興されてるということ。
興されておられるかということ。
そのことをわたくしは学ばさせていただいたのです。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-13 13:09 | 平塚らいちょう | Trackback | Comments(0)

平塚らいちょうからのメッセージ(2)

わたくしたちがこれからこの方を通して
次の時代における新たな女性像というもの
それはけっして戦後すべてが悪くなったのではなく
逆に言うと、やはり江戸時代までに女性たちが
自分の人生を選び取れなかったという
その窮屈なあきらめに満ちたところから、一人ひとりを解放していく。
女性たちの本来のエネルギーを解放していく。

そのような流れの中の延長上に
これからこられる「愛の法」というのが説かれながら
「宇宙の法」へといくのであって
宇宙の法の中にわたくしは聞いた話でございます。

実際に行ってみたわけではないのですけど
わたくしたちのグループには
私たちのグループなりの先生という方がおられまして
上の世界から来られる女神様の方たちから
いろんなお話を伺うのですけれども。

やはり宇宙の、宇宙文明と呼ばれている他の星、高度な星になりますと
女性たちにおかれましても、ひじょうに優秀なパイロットであるとか
さっきも申しましたけれども
社会の政治的な指導者として女性たちでもなっていかれる方がいる。
実際、現在、サッチャー元首相とか、ああいう方たちがなぜ、
まあ、あの方は元々男性霊ではあるんですけれども
なぜ男性霊が女性の形態として出られるか。

そして多くの、今もそうですね、パウエル国務長官の後の
なんですかあの方、女性の方にして
そう、ライスさん。
まあ賛否両論はあるでしょうけれども、女性の方におきましてもね
こういう世界を動かすポイントに今女性たちが出てきてる。
それがけっして悪いことではなく、本来優秀であるのならば
彼女ら自体がその時代の流れをつくるためのひとつの力として
光として発信していく。

それが、神様がありとあらゆる方がたに
それぞれの個性と才能というものを埋め込まれて創造なさられた
そのすべての皆さんの、神の子たちみんなの素晴らしさを発現していく。
それをもってこそ次の時代、地球全体が、宇宙全体が光輝いていくという
トータルな進歩発展という神がお望みの方向に
この地球というのが行くのです。

女性が不当に抑圧され、本来の素晴らしさというものを内側に秘めたままで
少しもその力を発揮しないままに
この地球が進歩発展することはあり得ないのです。
地球の人びとの半分は女性なのですから
本来の立場に戻らせなくてはいけません。

しかし、自分たちの中に埋め込まれた素晴らしさを出すということが
けっして母性の否定でもないし
女性としての物柔らかな発想というものの否定ではないということ。
そのことを我々女性たちがもっとゆとりをもって
自分の才能というものを磨きながら自信を持っていかなくてはいけない。
男性を受け入れる優しさというものを否定したところに
女性の才能なぞはほんとうの意味で、花は咲かないのです。

女性がひとりで生きることはとても寂しいのです。
女性でも、自分の素晴らしい才能をアピールしながらも、発揮しながらも
やはり男性に愛され、男性とともに手を取り合って素晴らしい家庭を築き
ともに手を携え合うことで社会に大いなる貢献をしていくという
そのような過程というのが
もうそろそろ認識されなくてはいけないということ。
わたくしが生まれた時代よりは
そのような段階に少し近づいてきたかな、というふうに思っているのです。
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ですから話がちょっとそれましたけれども
戦闘系と申されましても、わたくしたちのような
いわゆる思想的なりダーシップを執るような、そういう社会改革
女性改革家というような者たちもいるということなのですね。

私たちもある意味では、この方のように
このように霊言をとるということはできないんですけれども
やはり何かしらのインスピレーションというものを受けながら
考えて、自分たちが何をやるべきかというその使命というものを
自分たちで選び取って、築いて活動してきたということがございます。

それと、やはり霊的な意味で、地獄まで降りていかれて魔を切りながら
モーゼ様やミカエル様の右腕、左腕になられるような方は
やはり女性霊の中でもひじょうに特殊です。

このようなのは、もともと持って生まれたというか
もともと本来、生来持ち合わせている方がたが多いので
やはりこれはジャンヌ様とか
やっぱりこの方とかのお得意とされるところだと思います。

ただ、わたくしたちは大体同じようなところにおりますので
みんなでいつも仲良くやっているのです。
大体わたくしたちのような者が出ますとね
社会における風当たりが強いんです。
普通の女性の生き方をするよりは、ものすごく打たれますので
やはり打たれ強いっていう個性というものですか
そういう意昧でのタフさというのが、わたくしたち共通ですね。

あとそれから、あまり暗い個性の人はいません。
みんな明るいです。
とっても明るい。
いちいちクヨクヨしてたら、やれないんです。
だから、とてもみんな明るいですねえ。
屈託なくって。
失敗したら失敗したでいいや、みたいな
どこかそういうところを持ってる人たちが多いですね。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-09 07:45 | 平塚らいちょう | Trackback | Comments(0)

平塚らいちょうからのメッセージ

わたくしが出た時代も、少し時代が早すぎました。
わたくしが言ったことが、やはりそれが一般論として
世間の中に受け入れられていくには、やはり少し早すぎました。

だけれども、それを提示したことにより、女性たちが、やはり大学教育とか
新たな精神高揚の中において高度な教育を受けることによって
自分たちが自分の頭で考えて、世間の慣習や親から押し付けられたもの
男性たちによって支配されて、自分たちが考える意志も
自由意志すらも放棄するような、そういう隷属的な社会というものの中で
自分をすべて押し殺して生きていくという
そのようなものがずっと続いたのであるのならば
女性の魂における最終的な成長というものはあり得ないわけです。

だから、それはいつの文明におきましても
ある程度の爛熟期がやってきたときに
わたくしたちはそのような思想的な部分において
最終的に女性が自立していく
精神的に自立していて、自分たち自身の、神様からつくられた尊い命の
個性の主張というものを始めていく
そのような時期というものがいつも決まっているのです。

そういう意味での私たちは、まあ戦闘系という言葉では語弊がありますけれども
「オピニオンリーダーのグループ」とでも
思っていただければよろしいのではないかと思います。

だから、そのようなオピニオンリーダー的な部分というのは
この方もお持ちであって、智慧の女神と言われ、数多くの者たちを指導なさられ
智慧というものを通して人びとを啓蒙し、芸術を保護し
多くの女性たちに対しても指導して
いろいろな智慧を与えられたということも事実です。
英雄を守り、国を守り、というそのようなこともされていきました。

そして、ジヤンヌ・ダルクという方が今出られて、ここにいますけれども
彼女が出たときに、実際天上界で一緒に指導していたのは
この方であったということ。
だから、自由の女神と言われているそのお姿の中には、フランスにおいて
フランスからアメリカのほうに自由の女神像というものが行かれたけれども
原型はギリシャのアテナ像であるというのも
この方がジヤンヌ・ダルク様のことをご指導なさりながら
その自由の精神、解放の精神というものが、ギリシャからフランスに行き
それが海を越えて、アメリカというところで自由の精神というものが
花開いていったという、そういう流れがあるのです。

だから自由の女神という言い方で
この方のことを我々がお呼びするのもそういうことなのです。
つくられた人間は、みな自由意志が神様により保障されています。
だけれども、人間として保障されていると言いながら
女性たちには自由意志がなかったのです。

自分自身の素晴らしさに目覚め、自分自身の人生の中で
己の素晴らしさというものをアピールし、そして生きがいを感じていくという
そのようなことが、けっしてそれが社会に対する冒涜でも
母性の否定でもなかったのに、そのすべてが「女らしくない」とか
社会に出て男勝りになるということで、すべてが女性の中に我慢させること
あきらめさせた人生を強制していくという流れがあったので
この方はやはりそれを、本来が自由な方であるので、圧倒的な強さの中で
女性たちに対しても、人問たちに対しても、自由というものを得させるために
ひじょうに強固な援護をしながら
人びとを自由解放の道に導いてこられたという意味があるのです。

ですから、あなたがおっしゃっていたように
ドラクロアにおける自由の女神の像というものがありますけれども
やはりいくつもの戦い、いくつもの困難なことが重なりながら
その中でも自由というものは、自由意志というものは、神がわたくしたち神の子
人間たちに対して保障してくださった最大の恩恵であるということ。

それは人間たちに対する最大の恩恵であるとともに
女性たち自体がひとつのこの自由意志というものに
本来の自由意志というものに目覚めなければいけない時期が
やってきているということ。
それがけっして、女性が男性化し、そして子どもを産まず
そして男性と同等のことをしながら、男性に対して女性としての優しさも
受容性というものを一切否定して男性化することを
わたくしたちは女性の自由意志の発現とは申しておりません。

しっかりとした女性の、女性たちにおける自由意志というものをアピールして
社会の中で自分のかけがえのないスタンスというものを打ち出すということは
それは男性と共存し得るし、それは神が、一人ひとりの女性たちに対して
期待なさっていることでもあるのです。

それからいったならば
女性でも宇宙のパイロットとして適性のある方もおられるでしょうし
科学者として素晴らしい才能をお持ちの方がいると思うのです。

ただ、それが男性化し、優秀な女性たちが男性と同じように
それこそおしゃれも何もしない、母性的なものもない
ひじょうにこう、優しさのかけらもないような
そういう一部の男性化した女性たちをもって
優秀な女性たちであるというふうに誤った概念が今はある。

それは、あまりにも社会という中から、一部の家庭の中に閉鎖的に考えることも
自分の意志決定を常にまわりに委ねられながら
その中で忍耐という言葉の中で
自分たちが人生を選択していかなくてはいけなかった
その女性たちの歴史を、ひとつの高度な教育を受けることによって
ひとつの殻を破ってきたという、まあ、ひとつの弾圧事件があるならば
それを破るときは極端から極端にいく
極論から極論にいったあとに、最後に中庸というものがあるのですけれども
女性においてはある意味で極論から極論に走った時代
そして今またそれが、振り子がおさまるように中庸のところに
統合されてきているという流れがあるのではないかと思うのです。
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だから、天照様がおっしやられますように
嘆かわしい日本女性の姿というのはありますが
しかしこれは時間の流れを見るならば
女性たちも少しずつ賢くなってきているということがあると思うのです。

この方に今期待されているのは、「女性の法」を説かれるということです。
この女性の法というのが、わたくしたちが言っているように
その一部の極論から極論にいくことではない。

そして、母性というものをひじょうに大切にする。
それが本来、私たちが根源である神により創造されたときの
わたくしたちの生来の役割のひとつであるということを
しっかりと受け止めながら
受け止めつつ、自分たち自身の、神様により七色の個性と
役割と才能というものを埋め込まれたときに、その才能に対して臆することなく
自由に堂々と選び取っていける人生というものを設計する。
それがけっして男性たちの、自信のない男性たちによって不当に歪められ
くじかれてはならないことであると、わたくしなぞは思うのです。

堂々と女性が、女性の自分の本来の個性というもの、才能というもの
素晴らしさというものを謳いあげ
その上で女性としての優しさも、おおらかさも受容性も、母性も兼ね備えつつ
女性もこれから成長しなくてはなりません。

しかし、そのような女性の姿を受け入れて愛せるかというのは
やはり男性方におきましても
そういう女性の姿を好んで愛していくことができるかという
男性方の成長ということもまた、わたくしたちは期待をしていく。

だから、女性の法を説くということが
男性の法の部分の新たな提言にもなっていくでしょうし
それが、マヌ様がおっしゃっているような宇宙の根源的な
「男女の法」というものの、やっぱり今回表わされようとしている
一大法の集大成であるということも事実なのです。

ひじょうに根源的な
人間においては人間のすべてが男性か女性でありますので
基本的にはそこにありますので、女性が本来どうあるべきなのか
そして男性はどう女性を愛して、男性はどうしていくべきなのか。
男性たちに、今自信のない者が多いのです。
自信のある男性は、才能豊かな女性を受け止めることができるのです。

しかし、自分に自信のない男性は結果的に
才能のある女性たちに対してひじょうに卑屈な思いを持つので
ひじょうに不当な攻撃というものを与えて
それが最終的に、「女らしくない」とか、「かわいらしくない」とか
「あんな女は駄目だ」というような
そういう男性優位の社会構造というのが長いことありましたので
その中で一緒くたにしてまた女性たちが頑張ろうとしても
大きな失望の中であきらめていく。

基本的にはどれだけ頑張ろうとしても
やはり好きな男性に愛されない自分というものを見ていて
やっぱりあきらめて、精神的な進歩ができずにまた後退して
ひとつの時代の流れの中、習慣の中で、あきらめの中で
絶望の中でまた押し戻されてしまうという
そのような歴史が随分あったのです。

でも、やはりわたくしたちのような者が明治以降
大正浪漫といわれる明治、大正以降、昭和
まして今はひじょうに多くの女性たちが
このように四年制大学と呼ばれているところに行ってますよねえ。

津田梅子さんなんかでも、津田塾大学とか
素晴らしい女子教育というものの提言をなさられた
あの方もわたくしたちのグループにおられる方なのです。

そういうひとつの、女性というものが新たな教育を受ける中で
自分自身の己の素晴らしさに気づきながら
自分自身の人生を自分自身の判断で選び取っていく。

そのような段階に、もう女性たちがきてもいいのではないかという
そういう神様のお考えのもとに、わたくしたちがその時代を
ひとつの時代の流れの中で出てきたということがあるのです。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-04 09:33 | 平塚らいちょう | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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