地球を愛の星へ

カテゴリ:ヘレン・ケラー( 4 )

ヘレン・ケラーからのメッセージ(4)

幸せというのは、けっして多くのものを所有したり
多くの支配的な地位に立つことをもって幸せとするのではないのです。

自分自身の魂の中にある、神がおつくりになった神の子としての内的な霊性
スピリチュアルなものの部分が、その魂の部分が
ほんとうの意味で愛を解き放ち
愛に輝いた人生であったかどうか、そこの一点に尽きているのです。

女性であるのならば
家庭にいて子どもを産む仕事がそんなに卑しい仕事でしょうか。

子どものために自分を捨てて家庭の中に入り、自分を捨てて夫に尽くしていく。
そして、姑や舅に尽くしながら、そして空いた時間において神理を学び
世の中において少しでもボランティアとか
それこそハンディキャップのある方たちの生活の中に
少しでもお手伝いをして
地域の中の光となって輝く人生だってあるはずでしょう。
女性であるならば、そこに誇りを持たねばなりません。

男性は、仕事をしながら、金銭的にも稼いでこなくてはいけないのです。
その中で、女性が女性であるという中において
愛をたたえて生きるということ。
愛を輝かせて生きるというその姿を見せていただきたいと思うのです。

そして、男性方も、ただ目先のことで出世街道を歩いて
知的な部分で、ただただ自分の満足いくことだけにおいて
自分の人生をがむしゃらに生き切るのではなくて
自分が社会に対する愛の表現体として、社会を変革していく愛のもとに
価値ある仕事を生き抜かれたのであるかということを
今一度考えていただきたいのです。

あらゆる職業においても、そう、必要な仕事であります。
どんな仕事においても
愛をもって生きるか否かで、同じ職業の中身も変わってくるのです。

たとえば、あなたのようにお医者様でいたときに
世の中には、ただただ社会的ステータスを求めたり、お金を儲けたかったり
そういうことの中で、権力欲もあるでしょう。

そのようなものの中で医者になっていこうとして
一生懸命、出世を望む方たちもいるのです。
そうかと思えば、同じ仕事で同じ職場にいながらも
そこの中において、ホワイト霊団として恥ずかしくないような接し方で
患者さんに対して一生懸命関わり
医者としての本職、使命というものを果たしていかれるという
そういう携わり方もあるはずなのです。

それは、大根一本つくるお百姓さんの姿であり
そして家一軒つくる大工さんの姿であり、子どもを育てる保母さんや
学校の先生たちの姿であり、どんな職業においても、愛をもって世の光となり
地の塩となるために、その職業という天分を通して
この神の国であるこの地上三次元において
少しでも愛のある社会に変えていこうとするために
生涯を、職業を通して貢献なさられたのならば、死んでいかれるときは
それなりの魂の充足感というのがあるはずなのです。

ただただ目先の出世闘争、ただただ人より多くの地位や支配や
支配的関係や、金銭の多寡、マネーですね
お金をたくさん稼ぐ、お金持ちになるかどうかということ。
そのようなことの中だけで、人生を駆け抜けていってはいけないのです。

そのようなことにいったなら、必ずや家庭などが崩壊し
愛なき家庭がこの地上にできてしまい、自分が死んでいくとき
不幸な、不幸な思いで死んでいかなくてはいけないのです。

ですから、多くの方がたよ。
女性であっても男性であったとしても
どんな生き方においても、地上における自分たち人間の真の幸せとは
その表面的な外側にあるのではなく、内面的な自分自らの幸福感というものを
愛により、神の子としての神性を光らすということの原点に戻って
人生というものを考えていかれたのならば、それを広げていくのであるのなら
生まれつきの病に臥せっている者たち
そして生まれつきハンディキャップを持ち
ニ十年以上生きていけないと言われている身障者の方がたもおられるのです。
難病のもとに生まれて来られる方もおられるのです。
そのような方がたの人生を、単に不幸であると
そのように定義づけるようなことはできなくなると思うのです。

真に不幸であるとは、愛を知らぬことであります。
真に不幸な人生とは、愛なき人生であります。
愛とは神です。
神とは愛の光です。

神とは愛を、愛をたたえた
この宇宙の生きとし生けるすべてを育まれておられる法則であり
愛のエネルギーなのです。

わたくしたち霊天上界にいる者は、霊界の太陽というところから
愛のエネルギーを無限にいただきながら生きております。
エマニョエル・スウェーデンボルグと言われている方の中に
「霊界の太陽」ということが出てくると思うのですが
それは神の愛そのものなのです。
霊界の太陽は愛そのものであり、エネルギーそのものであり
神そのもののお姿を表しているのです。

わたくしたちも同じ、地上におかれるあなた方も同じなのです。
愛なくして、神の愛なくして、わたくしたちは生きていくことはできません。
であるならば、地上に生まれし時より
神の愛によって生かされていない者はただ一人としていないのです。
なぜなら、私たちはすべてが神の子であるから。
愛の光を分光されて、つくられし者たちだから。
わたくしたちは神の愛を受けて生きているのであるのなら
神の愛の表現体として生きなくてはなりません。

神の子として、神の愛そのものであるのならば
わたくしたちが幸せを感じるのは
愛されるか愛されていないかということにおいて
不幸であったり、幸せであったりするのです。
自らの幸せを、ただ自分が愛されると思うことだけではなく
他者を愛してこそ、自分以外の者たちのために愛に生きることをもって
私たちは真に幸せであり、愛そのものの中に組み込まれるのです。

自分本位な、自我我欲の欲に駆られた愛などという、自己愛などというものは
本来の愛ではないのです。
自分以外の方がたの幸せを祈り、自分を投げ捨てて、多くの地上の人びとの
神の子たちの幸せのために生涯をかけて生き続ける。
それをもって、わたくしたちは神の子としての内在された神性の中において
愛というものに感動し、愛というものに共鳴して
ほんとうに幸せであるということを感じ、実感するのです。
神の子であるとは、そういうことなのです。
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愛に生きるということ。
愛に生きるということが、けっして自己保存ではないということ。
他者の幸せを祈り、この地上をほんとうに広げていくなら
神の国にしていくということ。
あなた方の言葉で言うのなら、愛の星にしていくということ。
愛の星とは、愛は神でありますから、神の星にしていくということ。
それをもって、神の子である地上に住まう
生きとし生ける者すべてが幸せになるのです。

神の子であるという原点に、この神の星は今戻ろうとしております。
その大事な、大事な転換期に、あなた方は人事な素晴らしい使命を持たれて
今このキーパーソンとして、この今、使命に当たっておられるのです。

同時代に生きておられる地上の方がたよ。
あなた方も、もし気づかれるのならば
この地球という星を神の星に、愛の星に変えていく
大事な大事なこの今、分岐点
ターニングポイントという時期が今きております。
その時の中で、あなたは、あなたの一生、わずか数十年をもって、いかように
この地上をほかの方がたを愛して生きることができますか?

そのためには、言い訳はいらないのです。
わたくしにおいても言い訳がなかったように
わたくしよりもっと恵まれた、喜びの中で命を授かったあなた方なのです。
死ぬ気になったら、いかようなチャンスもあるのです。
その人生をもって、この地上を愛の星にするために
できることひとつでよいから残して、地上を去って来ていただきたいのです。

あなた方は死ぬ寸前まで
自分の命は永遠であるかのように生きておられるかもしれない。
死というものを、なるべく考えないようにして生きて来られるのかもしれない。
でも、あなた方が避けようとしている死というものは
わたくしたちが、神の子の、実在の世界に帰ることであり、本来の肉体という
あなた方が完璧だと思っているような肉体から解放される瞬間であり
あらゆる感覚が戻り、すべてが光の、神の光の中にさらされ
愛の化身として、神の子としての実在の姿だけで戻っていける
魂の牢獄から解放される瞬間なのです。

死というものを暗く悲しいものとして考えてはなりません。
わたくしたちの世界から見たのならば
あなた方、地上におられる方がたのほうが、よっぽど重い鎖を両手両足に縛られ
目にはアイマスクのようなものをつけられて
本来の世界が見えない、悲しい、悲しい姿に見えるのです。

でも、そのアイマスクをどけてください。
手に持っているその鎖を捨ててごらんなさい。
あなたの目に何か映りますか。

美しい太陽の姿が
美しい星々が
美しい大自然の山が
緑の風のざわめきが
小鳥たちのさえずりが
子どもたちが無心に遊ぶかわいらしい声が
犬たちが、猫たちが、ともにじゃれ合う姿が
まだまだ聞こえてくるのがこの地上ではないでしょうか。

それを見ることができ、聞くことができ、触ることができ、その感動の中で
今、命を与えられたということをどうか感謝し
今のときというもの、たった数十年の時なのです。
その一日一日のこの大事なときというものを
両手の間からすべて無駄にすることのないように
人生を生きていただきたいと思うのです。

物に振り回され、人の評判や、世情に流れる多くの情報の中において
自分自身の価値を見失うのではなくて
世界中で自分にしかない素晴らしい尊き神性と個性を
神が与え給うた素晴らしい神の予てある自分自身であるのだと
かけがえのない自分自身の生涯であるのだと思って
その人生と肉体を、感謝をもって、周りの方がたに愛と感謝を返して
素晴らしい人生を歩んでいかれて、帰って来てほしいと思うのです。

今この地上において肉体を持ち、ましてこの日本に
この地上において肉体を持たれたあなた方が
このような神様の大計画の中において、この神の大事な言葉
メッセージや法というものを聞くチャンスを与えられているという
あなた方を我々は、限りなく幸せな方がたであると思うのです。

でも、地上に今生きておられるあなた方が
それをほんとうに素晴らしい幸せであると感じないのであるのならば
それは、あなた方は少しも幸せな人にはならないということです。

ですから、今どのような状況の中に、この地球が、この日本が
そして今あなた方がおかれている環境が、そのような大きなスケールのものから
今この五体満足な肉体を持っているという
そこまでいって、どれだけの幸せ者であるかということを
しっかりと認識するところからしか
あなた方が幸せの原点に帰れることはないのかもしれない。

現代の幸せの中で、あなた方が今おかれているところが
ほんとうの価値がわかったのならば
どうかその気づかれた方、一人でも二人でもよろしいですから
その方の人生を神様のために、愛の星にするために
今回の救世計画のためにできるささやかなことをもって
精一杯の人生をもってお返しになり、努力されることをもって
わたくしたちの世界に帰っていただきたいと思います。

あなた方の中において、多くの方がたが光の天使として
その魂の神性の輝きを放ち、この地上を光り輝かせたユートピア神の国にならん
一筋の光として輝かされることを心から祈り
今日はこれにて失礼させていただきます。

(2005.7.7 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-10-16 13:12 | ヘレン・ケラー | Trackback | Comments(0)

ヘレン・ケラーからのメッセージ(3)

世の中に先天性疾患とか、今はさまざまな筋疾患のような方がたのように
一生寝たきりであったりとか、知覚できない
そして、ほかの方がたと同じような
健常者と同じような生活ができない方がたがたくさんおられます。
その方たちでも、その閉じ込められた魂は、あなた方と同じことを感じ
同じことを考えているのです。
ただそれを表現できないだけなのです。

でも魂の牢獄のような
そのようなハンディキャップのある肉体に閉じ込められながらも
健常者であるあなた方よりも、より多くのことを感じ
考えているかもしれません。

自分が動けない、体がねじれて苦しい中で
一生懸命、お母さんが体を拭いてくれて世話をしてくれる。
自分に一生懸命関わり合って愛してくれる。
そのふれあいの中で、どうでしょう。
今社会に出て、自己実現をしたい母親たちがたくさんいます。
幼い子どもたちであるのに、保護が必要であるのに
子どもを抱いて頬ずりすることすら忘れている母親たちがいます。
その子どもたちは、体は五体満足であったとしても、愛される喜びも知らず
自分が母親の人生にとってどれだけ必要であるのかという
その愛されている実感を持たずに成長していく子どもたちが多いのです。

でも、一生寝たきりで不幸かもしれないけれども
その子どもたちは、お母さんが脇にずっといて、その献身的な愛の中で
少なくとも自分は愛されているのだと
この母親によって自分は必要な存在なのであると
少なくとも全身で感じて生きていられる人生があるのです。

あなた方はどちらの子どもたちが幸せで、どちらが不幸だと思われますか?

わたくしは今、現代の中で多くの子どもたちが、体ではなくて心を患って
不幸な状況で生きておられるのを見て、心が、心がひじょうに苦しいです。
子どもは肉体だけを与えて、食べ物だけ与えて、物質的なものだけを与えて
それで親の役割が終わりなのではないのです。

物質は少なくても、最小限のものであっても、たとえみすぼらしくても
もっと言ってしまうなら、腕が一本なくても、脚が片方欠けていても
それでも全身の愛をもって、子どもは両親によって愛されて育つのならば
幸せな育ち方をします。
魂は、その肉体の中にある魂は、健全に健康に育っていくのです。

でも、肉体だけは健常であったとしても
幼い頃から愛をたっぷり注がれずに育った子どもたちは
まっすぐに伸びることができず、心が病気となって育ってしまうのです。

それが今、ニートとか、さまざまな社会問題の中で
社会とのコミュニケーションができない
自分をどういうふうに表現していいかわからない
愛し方がわからない、女性に対する愛情の出し方もわからずに
一方的な愛を押し売りして女性を拉致監禁してしまったり
果ては自分の愛を受け入れないからといって殺してしまったり
愛し方も愛され方もわからぬ若者たちが
増えているのが現状ではないでしょうか。

肉体がすべてと思うのではなくて
人間というものは神の子であるということにおいては
肉体は大事でありますけれども
その中にある魂としての霊性というもの、精神的な霊的な意味においての
魂がまず幸せにならなくては、人間は幸せになれぬということ。

そのためには何がいちばん大事であるか。
表面的な、不具である、ハンディキャップであるということよりも
心の不具者にしないように、心をノーマルに子どもたちを育て上げていくこと。
それには人間が、人間として幸せがどこに根づいているのか
基盤としてあるのかということ、それを、人びとはもう気づかねばなりません。

人間というものは、本来神の子であり
その肉体の中に、魂という霊体というものが入っている。
そちらのほうが本来の感覚であるということ。
そして、その魂が修行をするために、この数十年間そのような肉体というもの
条件というものを背負って生まれて来るということ。

だから、幸せにおける価値というものは、肉体的なものの所有ではなくて
魂において真に愛されること。
愛すること。
感謝すること。

神に生かされている神の子としての喜びを、感謝を
全身全霊をもって人生の中で表現し
生き抜いて見せること。
それこそがほんとうに神の子としての、我々地上に生まれたときの
人間たちの最も大事な姿であるということを
わたくしはここで申しあげておきたいのです。

それがわかれば、そういう子どもたちを引き受けておかれるご両親
周りの環境、ひいては自治体、国というものが
どのように受け入れていくかということを考える
よすがになるのではないかと思うのです。

けっして、ハンディキャップのある子どもを産んだからといって
昔で言うならばほとんどが、母親が悪いと、うちの嫁が不具の子を産んだと
言われたのかもしれません。

そんなことはない。
逆に言うと、ハンディキャップのあるお子さんを、どうぞ来てくださいと
お引き受けしましょうといって引き受けられた
実に徳高きご両親様であったということ。

それだけの、ほかの方以上の並はずれた愛というものを
お持ちの方であるからこそ
そういうお子様を受け入れ、お産みになってくださったのだという
そういう敬意が、そういうご両親様方に対してあってもよいはずなのです。
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それと同時に、生まれて来た子どもたちに対しても
ようこそ生まれて来たねと、ほかの方たちに対して
あなたがまさに肉体ではない、魂こそが神の子であると
それを証しするために、あなたは生まれて来てくれたんだねと。

世の中に、この世界の中において
生まれて来なくてよかった子など、ただの一人もいないのです。
すべてに意味があり
すべてが神が祝福してこの地上に生まれさせていかれるのです。

であるならば、神がそのようにおつかわしになった大事な神の子であると
地上の者たちも、周りの環境の者たちも、地域の自治体の国の者たちも
みんなでそういう子どもたちをともに
ご両親だけに押しつけるのではなくて
みんなでこの地球の大事な宝として、みんなで育てていこうよと。

当然それは、ハンディキャップのある子どもたちだけではありません。
普通の子どもたちに、次の世代を担う大事な子どもたちのためにも
私たちは大事な光の天使の卵を預かっているのだから
みんなで愛豊かに、素晴らしい霊性を育てていけるように
愛豊かにみんなで包んで育てていこうよと。
みんなで育てていこうよと言って、助け合う姿があったのならば
育児ノイローゼになって
やっとできた我が子を殺すなんていうことはなくなっていくはずでしょう。

みんなで育てていく。
地上の宝であると、子どもたちを、そう言って迎えていくような
そのような姿勢がなくてはいけません。

多くの人びとは、この地上でのさまざまな権力とか、政治機構とか
何を所有するとか、何か出世するかとか
そのようなことにあまりにもとらわれすぎているのです。
とらわれすぎているがゆえに
あなた方はいちばん大事なことが見えていないのです。

この地上で、男性の方がたにも、うかがいたいのです。
どこまで出世したら、あなた方はいったい気が済むのですか。
出世したからといって、そのあとに、退職なさっていって死ぬときに
あなた方はどういうふうに自分の人生を振り返られるのですか?

真に価値があるのは、そんなに会社の中で自分の位置というもの
そういう出世したりとか、そういうことばかりを
仕事、仕事で追われていくことがほんとうにあなたの人生の中で
今死ぬ前に振り返って、ほんとうに価値があったことですか?

あなたが、たとえ結果として出世して、素晴らしい役職についたからといって
ハイレペルの地位に就いたからといって
じゃあ死んでいったときにそれで幸せであったと
ほんとうに魂の底から思えますか?

そのときにもし、その忙しさゆえに家族が崩壊し、子どもたちも妻も去られ
そして自分の体もぽろぼろになり
そして地域の中で周りの人びと、友人もなくし
その自分に対するほんとうの意味での親身になってくれる者たちがいなくなり
一人で孤独死していく老人の方がたが多いでしょう。
そういう方たちの心の中を見ていると、寒々としているのです。

最後の瞬間まで神の子として生きて、たとえお金とかがなかったとしても
たいして出世しなかったとしても
ほんとうに嬉々として、人生の喜びを生きておられる方がいたとき
魂の中においての充足感というのはあるのです。

(2005.7.7 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-10-10 08:42 | ヘレン・ケラー | Trackback | Comments(0)

ヘレン・ケラーからのメッセージ(2)

わたくしは常々思うのです。
現在の、昨今のこの日本、世界の状況を見て
何ゆえに、わたくしの頃より
このように信仰心が薄れてきてしまっているのかと。

わたくしの時には
やはりキリスト教のクリスチャンでございましたけれども
キリスト教徒としてのみんなの信仰心というものが
やはりたしなみとして、美徳として
信仰あつき者というのが、ひじょうに尊ばれた時代でも、またございました。

でも今、どうでしょう。
日本だけではございません。
アメリカにおきましても、ヨーロッパ各地を見回しましても
信仰心とか、教会とか、神に対する献身とか
信仰心というものを言っただけでばかにしてしまうような風潮というのが
全世界的に広がっているのであると思います。

わたくしは熱心なクリスチャンとして
イエス・キリストの言葉を一生懸命指先で
点字の中で、聖書の言葉を学んで
神の言葉を我が人生の道しるべとしたものでございます。

でもあなた方は、あり余るような情報の中で
目が見え、耳が聞こえ、口でしゃべれ
それができすぎるがゆえに
自分の内側にある大事な大事な神の子としての霊性
神性というものに、内側に少しも向かうことなく、外へ外へと
情報過多の社会の中で
大事な神との出会いというもの、自らの信仰心というもの
いえ、もっと言うのなら、神の子としての自らの霊性の中にある
神の子としての自分自身に出会う旅というもの
そういうもののチャンスをすべて失っておられるのではないかと
思うのです。

わたくしの時代にもさまざまな誘惑があったと思います。
でも、わたくしの指先は聖書の言葉を読み
スウェーデンボルグ様の思想というものを書籍で必死に読みました。
そして、さまざまな学問を読みました。
ですから、ある意味で、わたくしを惑わすような不純なものに
逆に言うと、みなさまたちよりも守られていたかもしれないと思うのです。

目が見えぬ、耳が聞こえぬ
口がちゃんとしゃべれぬわたくしを哀れまれますか?
わたくしは、今のあなた方の姿を見ているほうが
よっぽど哀れむ気持ちが深いのです。

そのような健常者としての立派な視力を持ちながら、立派な聴力を持ちながら
口は何をしゃべることに不足のない
教育も受けた立派な言葉をしゃべれる口を持ちながら
あなた方は今何をしているのでしょう。

あなた方は、ほんとうに神の子として
自分自身の魂の輝きを放って生きておられますか。

今の時代の中で、科学文明が発達し、生活も便利になった中で
そのように健康な肉体を持ち合わせていながら
この今、地上で多くの方がたにうかがいたいのは
こんなに恵まれた現代の中で
そんなにわたくしに比べたら素晴らしい肉体を持ちながら
どれだけの方がたが自分の人生を、胸を張って
我が人生を誇りによって輝かせて生きておりますと
胸を張って言える方がたがどれぐらいおられるかと
わたくしはうかがってみたいと思うのです。

さまざまな物欲に流され、さまざまな情報過多の中で己自身を見失い
何をいちばん大事にしなくてはいけないかを忘れ
波間に漂う小船のように、さまざまな情報の中で揺られ、揺られ
幸せとは何であるか。
自分自身とは何であるかということすら探求できずに振り回されて
幸せが何であるかがわからずに、不幸な気持ちを抱えて生きておられるのが
現代の方がたの大半ではないでしょうか。

物質に振り回されるだけ
いや、学歴、学問によって、社会的なステータスによって
そして女性であるのならば、より高いハンドバッグを買ったとか
より素敵なブラッドのお洋服を買ったとか
子どもたちを育てるのが嫌であるとか
さまざまな、いや、社会に出て女性であっても自己実現をしたいとか
そのような自分たちの欲望を振りまきながら
いちばん大事な自分自身の人生の時の中で
自らが何を学ばなくてはいけないのか
何のため地上に出て来たのか。
何のために自らの個性や魂の尊厳さがあるのかということを
少しでも振り返り、考えようとしている時を持たれておられるのでしょうか。
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現代人の方がたよ。
そのようなものの中に
あなた方はほんとうに幸せを感じておられるのでしょうか。
幸せというのは
一時、何かを得たいという所有欲、支配欲のようなものの中で
もしそれをつかまえたとしても
それは夢かげろうをつかまえるようなものなのです。

つかまえた瞬間はうれしいかもしれないけれども
そのようなものは長続きはせず
すぐまたほかのものが欲しくなっていく。
魂は満たされません。

あなた方は本来、地上に生まれた数十年のときの中で
大事なこの三次元における修行をしながら
魂と肉体というものを兼ね備えた地上の改革者として
そして地上を生きながら、自らの内的な霊性、スピリチュアル
霊的な部分においての成長をし
そして自らの尊厳により、自らの個性により
この地上を輝かせていく光の天使となるために、この地上に生まれて
この数十年のときを持っておられるのだということに
気づかねばなりません。

身障者の者たちを哀れむ前に
自らの人生がほんとうに幸せであるかということを
ほんとうにそれだけのノーマルな完全な肉体を持っておられるならば
それだけの人生の価値をもって、真剣さをもって
今のときを大事に生きておられるかということを
もう一度、考えていただきたいのです。

でなければ、今なぜこんなに多くの方がたが自殺をなさられるのでしょうか。
多くの若者たちが、いえ、中高年におかれましても
多くの方がたがこの現代の中の物質がいっぱいあり
そして素晴らしい肉体を持っておられる方たちが
安易に自殺をして、この地上を去られます。

それはなぜかと言うと、今、自分自身が与えられている環境に対する
感謝というものが少しも感じられず
幸せの原点というものをしっかりとらえておられないから
あなた方は不幸であると、いつも自分に思ってしまい
世界中で自分こそがいちばんの不幸者であるというふうに思いつめ
自ら命を絶つのです。

でも、わかりますか?
一生真っ暗な闇の中で閉ざされ、光を見たことのない者が
光り輝ける素晴らしい、美しい自然界の姿を見たときの感動。

耳も聞こえぬ、ほかの方がたの声も聞こえぬ
音のないサイレントな世界の無音な世界の中で
何の声も聞こえない孤独の中に閉じ込められていたときに
一筋の小鳥のさえずりを、波の、さざ波の音を
木々の風の吹き抜ける音を聞いたときの感動を
あなた方は味わったことがありますか?

あなた方はあまりにもそういう幸せに慣れすぎていて
感動することを、感謝することを忘れている。
幸せというのは何かをつかまえたり
物質的なものをつかまえたからといって幸せがあるのではないのです。

自分がおかれている環境のささやかなことでも感謝し
それを感動をもって、人生の中で愛を人びとに振りまいて
神に感謝して、自らの神の子としての生きざまを
人生をかけて精一杯生き抜いていった者には
たとえどんなにみすぼらしく見えた生涯があったとしても
本人の心の中は、幸せと感動で、震えているのです。

(2005.7.7 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-10-06 06:28 | ヘレン・ケラー | Trackback | Comments(0)

ヘレン・ケラーからのメッセージ

あのときのわたくしの人生は、さまざまな制約を受ける体の中において
いかに人間は、内在する神性、神の子の部分こそが重大であって
体がどんなに故障していようとも、神の子としての輝きというのは
十分に輝くことができるのであると、それだけの価値があるのが
神の子人間たちなのであるのだということを、精一杯、証しして生き続けた
それがわたくしの人生であったと思います。

あの時代は、今の時代以上に
身体的な、身体障害者と呼ばれている者たちへの
世間の見る目は厳しかったのです。
もし、一族の中にハンディキャップのある子どもが生まれたりすると
それを隠したり、お金持ちの人であるのならば
一生涯、屋敷の中に閉じ込めたり
そのように彼らは本来は生まれて来るべきではなかったのだと
一族の恥であるというふうに、ヨーロッパなどではとらえられていたのです。

日本でもそのような風習があったと思います。
屋敷に閉じ込めることはなかったとしても、もっとひどい場合は
身障者であった場合は、その子を「間引き」といって
小さい頃に産婆さんの手によって葬むってしまったということも
聞いております。
そのような子どもを受け止めて、ともに生きるということが
その土壌として用意されてない時代であったのです。

身障者として生まれて来る子どもたちの中には
そのようなハンディキャップを持っているがゆえに
カルマの刈り取りということをもって、今回の人生の中で
大きく過去世のカルマを返してしまおうということのために
そのような迫害される人生というものを選んで来る場合もあるのです。

そうすれば、一回において転生、二転生、三転生以上のカルマを
いちどきに返せるということがあるのも、また事実であります。
そのようなことを通して
神は私たち日常の三次元の修行場というのをお与えいただいているのです。
個人個人におきまして、その人生の今世の肉体を持つ
用意するときの条件というのは違うのです。
ですから
一概にすべての人がカルマであるというふうに言い切ってしまうのは
乱暴なことかもしれません。

過去世において何かしらの失敗をしてしまった
ないしは、ひじょうに自分以外の人を傷つけてしまったときに
ひじょうに、いちどきにカルマの刈り取りをするということのために
ハンディキャップを持って来る場合も確かにあるのです。

それと同時に、わたくしのように、地上において特別な使命を持って
人間は本来霊的なもの、霊性こそが神の子としての人間の神性であって
肉体は、そのまとう衣類にすぎないのであるということを証しするために
そして、ひとつの時代を切り開くために、身障者にも人権を持たすために
その時代に出て来る場合もあるのです。

それと、もうひとつあるのが、やはり自然界ですので
ある程度の事故のようなこともあるのです。

やはり自然界の中においては、たまたま不運なための事故という場合において
お母様のおなかの中においてのトラブルというのがあったときに
すでに魂が入ってしまったあとの、事故
出産の事故とかさまざまなことがあります。

偶然のことは何もないのが大体の原則なのですが
やはり自然界に生まれていく過程においては
ハンディキャップというのをトラブルのように
事故のように背負ってしまう場合もあるということも
申し上げておきたいと思います。

大体、おおまかに考えまして、身障者の方の場合は
その三つのパターンのどれかにあてはまると思うのです。
だから多くの場合は、ハンディキャップをもった場合の方におきましては
その人生はすでに用意されているもの。
ご本人が納得して、今回の肉体設計を用意されて来た。
そしてそれにおいて、受け止めていただけるご両親、環境というものに対しても
用意なさっておられるはずなのです。

ですから、身体障がいを持った
ハンディキャップを持ったお子さんを育てられるお母様
お父様はたいへんなご苦労があるということは
わたくしもよくよく知っておりますが
やはりそれは親子において、そのような了解済みのもとで
ともに頑張ることによって
ともに互いのカルマを返し合ったり、互いにそのような姿をもって
「世の光となろう」と言って出て来る場合もあるということを
そのハンディキャップを持ったというご本人だけではなく
それを受け止められるお母様お父様方、周りの環境の方がたに対しても
どうか自覚していただきたいと思うのです。

けっして、そのような場合において偶然なことはなくて
病においてもそうです。
すべて原因というものは
大体が生まれて来る前に設定して来ていることが多いのです。
そして、生老病死と申しますが
人びとの、人間の苦しみというものが病にあると
それが苦であると、そのように思いがちであるかもしれませんけれども
病を持って、そしてハンディキャップを持って、一生生きることをもって
自らの人生の中における大いなる魂の飛躍を得ようと思って
わざわざ計画して来た場合に、本人がそれを乗り越えることによって
今回の人生の本来の意味があったのにもかかわらず
もし、そのようなハンディキャップや病というものが
本人の努力なしにすべてが治されて、すべての者たちが幸せになるために
すべてそういう障害のあるものが除かれてしまうということが
けっして本人にとって幸せになるということではないということ。

それは厳しいかもしれないけど、地上における数十年の時の中で
自分自らがそのような状態で生きることを計画し、用意し
自らハンディキャップのある肉体を用意して出て来たということを
どうか皆さま方
そういう人生を選ばれて来られている方がおられるということも
考えておいていただきたいと思うのです。

あなた方の目で見たのならば、わたくしなどは不幸の中の不幸な人間であり
人生であったというふうに思われるかもしれませんが
わたくしが地上に生まれていくときには
地上における肉体というものが普通であることよりも
逆にそのような、ヨブのような苦しみを得た、そのがんじがらめの中から
その悲劇的な状況の中においてこそ
その悲劇の底を打ち割った中から神の光を発信していくということ。
そのことをもって、神の子というものの実在というものを
この三次元の方がたに証しをしなさいと
そのように神に使命を預かって出て来たのです。
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神のお言葉の中には、常に人びとに幸せであれ
というふうに言われる言葉があります。
人びとは幸せになりたくて、「神よ、神よ、我が病を取り除きたまえ。
我がハンディキャップを取り除きたまえ」というふうに
言われるかもしれないけれども
神は地上にいる子どもたちを愛するがゆえに
人びとにそのような病やハンディキャップをお与えになるということ。
そのことを忘れてはいけないと思うのです。

祈りの中において、人びとは常にそのような祈りを神に捧げてきました。
しかし、わたくしが前回申し上げたように、病をなくすということ
ハンディキャップをなくすということ
それがすべて、ほんとうに神の子を愛するための神の愛ではないということ。
そのことを証しするために、神は沈黙をもって答えられるのだと。
沈黙をもって答えるということは
常に神が、神の使命を与えた者たちに対しての答えでありました。

わたくしにおいても、何も聞こえぬ、何も見えぬ、何もしゃべれぬ。
最初、子どもの頃に、真っ暗な闇の誰も語りかけない世界の中に
わたくしは一時いたのです。
何も下界のこともわからないそのつらさに
わたくしは負けそうになったこともあったのです。

でも、ある時、あなた方もよく知っておいでのサリバン先生がいらして
わたくしを光ある世界に導いてくださったのです。
外の世界に対して、私の手を引っ張って連れ出してくれたのです。
魂の牢獄の中から、肉体という魂の牢獄の中から
外の世界に引っ張り出してくださったのです。
あの方の生涯、あの方の献身的な生涯をもって
わたくしの生涯は価値を持ちます。
光を放つことができたのです。

当然、わたくしとサリバン先生の間には約束がございまして
わたくしの両親とも約束がございましたけれども、光の天使として出るときに
必ずパートナーとして脇に出て補助してくださるという
そのような約束があったのです。

あの方も目が悪くいらっしゃいましたので
その苦しさ、悲しさ、よくご存じでおられました。
わたくしを光の中に
そしてさまざまなこの地上の学問に触れさせる手伝いをしてくださる中で
わたくしはさまざまな素晴らしい思想に出会っていきました。

エマニュエル・スウェーデンボルグと言われる方が
わたくしの霊的な意味でも指導霊でもあられましたけれども
わたくしの中におきます、内在的な使命というもの
それは、スウェーデンボルグ様により、やはり指導していただきながら
地上においてはスウェーデンボルグ様の本を点字にして読み
ひじょうに宗教的な影響を受けながら
かつ霊的にはスウェーデンボルグ様に指導を受けていたというのが
現状でございました。

わたくしは、十五、六の頃でございましたけれども
幽体離脱というのを実は経験しているのです。
何も聞こえない中において、ある日突然、自分の肉体が図書館にありながら
遠く離れたヨーロッパの国々を巡っているのを見たのです。

わたくしはそのときに理解したのです。
肉体というのは単に、この地上に出てくるときの動かすための道具にすぎぬ
衣にすぎぬのであると。
内在する魂、霊性こそが、神の子としての本来の姿であるのであると。

わたくしはそのときにまざまざと、一瞬にしてさまざまな場所を
ヨーロッパの各地ですがまわって
瞬間的にまたアメリカに帰って来ていたのです。

ですから、そのような形をもちまして、わたくしは魂の自由というもの
魂になればすべてが見え、聞こえ、何でも話すことができ
いえ、それ以上のコミュニケーションというのができるのです。

そしてそのときに、脇にどなたか知りませんでしたけれども
スウェーデンボルグ様により、あちこちのさまざまな思想というもの
歴史というものを、幽体離脱の経験を通しながら
わたくしはさまざまな教えを受けていたのです。

ですから、ある意味でひじょうに霊的な感覚の中で
宗教というものを見つめていたということ。
だからエマニュエル・スウェーデンボルグという方の
神秘思想家と呼ばれてる方の書物を読んだときにも
ひじょうに納得して素直にわかったのです。

(2005.7.7 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-10-02 12:35 | ヘレン・ケラー | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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