地球を愛の星へ

カテゴリ:アウグスティヌス( 5 )

アウグスティヌスからのメッセージ(5)

あなた方のところに来ている、坂本竜馬とか
明治維新の方がたの話をわたしも聞かせていただきました。
学ばせていただきました。

彼らはわたくしから見ると、わたくしの修道会、わたしのホワイト霊団で
命がけで殉教していった者たちの姿にたいへんよく似ているのです。
神の計画の中で、神のために、神の愛を伝えるために
自らの命を犠牲にし、命がけで命を張って
多くの未来の人びとの、人類の幸せの、未来の人類の
日本国民の、未来の日本の人びとの幸せのために
命を投げ出した方がたではなかったでしょうか。

彼らが見据えた、見抜いた
その希望という未来に対するビジョンというものの素晴らしさと同時に
彼らの命を張ったその真剣な生きざま
その姿をもって後世の者たちは彼らを称え
彼らの夢を素晴らしかったものであると
見習おうとするのではないでしょうか。

命がけになった生きざま、真剣な生きざまを抜きにして
いかなる美辞麗句を並べ立てたとしても
どれだけ素晴らしい書物を、バイブルを人びとに渡したとしても
それを受け取った人びとの人生は変わらないのです。

レムリアというものが、このホームページを今、窓口として出ているのです。
ホームページをもっともっと豊かな、もっともっと魅力的な
多くの人びとの熱意が伝わるものとしてつくっていっていただきたいです。

そうしたらば、そこから出されたエッセンスの書物であるごちそうが
どれだけ体の愛というものに役に立つか、身になるかということは
やはりその窓口であるあなた方の意気込みを見て
生きざまを見て、その姿を見て
「あっ、ひょっとしたらここにはほんとうに神の言葉が
降りているかもしれない」と思わすのです。

ですから、我々殉教者というものを
キリスト教はどうも殉教が好きであるというふうに
思われているかもしれない。
ひじょうにマゾヒスティック的なものがあると
思われているかもしれないけれども
逆に言うとどうでしょう。
レムリアだってあれだけの迫害があればこそ、今一躍有名になって
その価値を認められたのではないでしょうか。

迫害をされ、あれだけのことを言われ続けて
それにカッとし、同じ目線で言い合いをしたら
「ああどこも同じであった」と言われたことでしょう。
でもあなた方に対する迫害があったのを見事に乗り切ったからこそ
あなた方に対する評価も賛同もあるという今日をつくったのです。

ですから、「迫害する者のために祈れ」という言葉が聖書にあります。
迫害してくれる者たちにありがとうと感謝をし
「わたしたちが真に神の子として生きる姿を表す、
チャンスをあなた方は与えてくださったのです。ありがとうございます」
というふうに
人びとに、多くの方がたに思う境地になったのならば
あなた方に怖いものは何もないはずなのです。

そして、この計画の中で我が人生を投げ出し
神の使者として、道具として命がけで生きようと
ほんとうに不退転の境地になったのならば
「たとえこの身切り刻まれようとも、すべて財産取られようとも、
わたしは神のために頑張るのです」と言える
人生に誇りを持てるのであるのならば
何もあなた方に怖いものはないではありませんか。
それがホワイト霊団のキリスト者たちの心がけなのです。

その気持ちの中にサタンなどというものは何の力もない。
その中において彼らすら、殉教させてくれる
自らを神の子として証してくれるチャンスを与えてくれた者であると
彼らに祝福を与えながら死んでいくことができたということです。
そのような境地の者は、けっして地下の世界には行かないのです。
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ですからあなた方も
我々ホワイト霊団の者たちのことは全部とは言いませんけれども
もし思われるのならば、目に見えない不安
恐れというものはけっして受け付けないようにしてください。
不安や恐れを持つと、それは内の中で現象化され
さっきの良き言葉が現象化されるのと同じで
やはり現象化されてきてしまうのです。

そんなものに目をとらわれることなく、何が来ても、我が身切り刻まれても
自分は、自ら神の使者として生きることに誇りと喜びを持つと思えたのならば
何もこの地上生命の中で怖いものはないということです。
心揺るがすことはないということです。
そこにおいて、何もサタンにつけ込まれる余地などはないのです。
あとは喜びだけがあるのです。
神に祝福された人生だけがあるのです。
そして、真に強くされていく人生があるのです。

ですからあなた方も、どうかその気持ちの中において自らを強くせられ
信仰により強くし、愛に清められ、神の祝福と栄光の中で生きられる
そのような生きざまをもって
今回の価値ある人生を全うされていかれることを
わたくしは希望いたします。

では、今日はこれにて失礼させていただきます。
神の名によりて、あなた方に祝福を与えます。
神と子と父の名によりて。
アーメン。

(2005.11.5 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-09-28 07:31 | アウグスティヌス | Trackback | Comments(0)

アウグスティヌスからのメッセージ(4)

素晴らしい未来を、ビジョンの中で
みんなで、祈りの中でイメージしましょう。
それが本来の祈りの意味なのです。

難しい型通りの言葉でおごそかなミサをあげても
人一人救えないときもあります。
形通りの中で、言葉だけで神への信仰を語っても
ほんとうの意味で誰も救えないときもあるのです。

よろしいですか。
本来の祈りというのは神の光の方向へ、愛の実現のために
我が愛する神の子たちの幸せを願うために、心から神に向かって問いかける
愛の叫びそのものを祈りというのです。
祈りとは本来そういうものなのです。

マイナスのエネルギーの方向に想うことが祈りではないのです。
そして、自分一人の我欲のためだけに欲望を並べることをもって
祈りとは言わないのです。

自分も含め、多くの神の子たち、仲間たちの幸せのために、神の国実現のために
愛を実現していくために、思いを尽くし、心を尽くし
どうか我々の素晴らしい神の計画こそが実現されますようにという思いを込めて
素晴らしい七色に輝く地球の未来をみんながイメージしたとき
それをもって本来の祈りというのです。

そのとき宇宙の本源からこられる愛のエネルギーが力を貸し
あなた方の思いというのは具現化されていくのです。
そのような形をもって、神は宇宙を創造されたのです。

わたしたちは地球を任されている地球人であります。
ならば、わたしたちの愛の思いで、神が宇宙を創造されたように
美しい光と希望に満ちた神の星としての地球をみんなでイメージし
そういう地球を創造しましょう。
実現していきましょう。
マイナスの思いは出さずに。
わたしたちだけでも、光に満ちあふれた七色の地球をイメージしましょう。

そのためにも、次に芸術家の人たちが出てくるのです。
彼らはそういう意味で多くの人びとに、視覚的に、聴覚的に
神の愛というものが、地球の未来というものが
どのような形で実現されていくのが理想であるかということを
表現してみせることができるのです。

難しい理論がわからなくても、そのようなものから多くの地球人が憧れ
こういう地球をつくり出したいと真に願うのならば
地球からは不幸な出来事というのは消え去っていき
マイナスの想念というのはなくなっていき
光に満ちあふれた愛の思い
素晴らしい、輝くような未来というのが現れてくることでしょう。
そうやって地球を浄化せしめ
地球の明るい未来を、地上天国をつくり出すことも可能であるということ。
そのすべてをもってわたしたちは、この第三の計画にあたりたいと思うのです。

祈りというと、今まででいうのなら、仏教でいうと般若心経とか
我々でいうなら主の祈りであるとか、ロザリオの祈りとか
そういう型にはまった祈りをもって祈りといったかもしれない。
そうでなかったら、普通の方がたでいうのならば、自己の欲望というもの
それを並べ立てることをもって祈りであったり
祈願であるといったかもしれない。
本来の祈りとはそんなものではないのです。

宗派、宗教、そして型にはまったものをもって祈りではない。
真の神に対する呼びかけであり、それは神という言葉ではなくても
自らの中にある神性
自らの中にある神の愛の思いに対する呼びかけでもあるのです。

誰でも可能なのです。
何々教の何々様の、教組様に語りかけなければだめということではないのです。
いちばん大事なのは自分の胸に問うてみることです。
自分が本来望んでいる神の子神性に対して恥ずることなく
自らが理想とすることは何であるかということを真に問いかけ
そして、その実現を願うことです。

そうすれば、遠くに行ったり、多くのお礼や神社の中や
カテドラルの中にあるような神に語らなければ祈りはできないと思う
その錯覚からは開放されていくのです。

これからはそのような宗教、宗派が、すべてが取り払われ
そして宗教という既成概念を超えて、神という言葉も超えて
神というのが愛の法則である
宇宙を生かしめる愛のエネルギーそのものであるという前提に応じた
そういう新たな価値尺度の時代がくるのです。
それを統合していくためにあなた方の使命があるということです。

なかなか具体的につかめないかもしれないけれども
一つひとつ階段は上りなさい。
今あなた方に究極的なことを言ってもわからないから
我々はステップバイステップであなた方に話をしています。
一歩ずつ理解を深め、上がっていらっしゃい。

愛というのは忍耐を伴います。
寛容さを伴います。
そして情熱を伴い、必要とし、努力を必要とするものです。

そのすべての過程の中でこの第三の計画を
愛の事業を果たしていこうとする過程の中で
あなた方にトータルな、愛は何であるかということの実力というもの
学習というものが身につくのです。
だから、この救世の大事業が出たときに、多くの光の天使たちが参画したがって
たいへんな高倍率でみんな出て来たがるというのはそういうことなのです。

自分だけが学んでいても、自分だけの世界で自分だけでやろうとしても
それだけトータルな実力はつかないのです。
それは学習、学問においてもすべてそうだと思います。
だからこのような計画が出たときに、どうか全身全霊をもって
頑張っていただきたいと思います。
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今は編纂という中に、法というものの編纂という中に
新しき書籍の編集、出版ということがあります。
そしてホームページの管理ということがあります。
ホームページというものを、もっと多く一般の方に開いていけるような
そのようなもっともっと霊言をアップしてください。
どんどんアップしてください。
全部でなくていいのです。
でも大事なところをどうかアップしていただきたい。

本を一冊買えない方たちに対しても
そして本を買ってみようかという気持ちにさせるためにも
霊言を惜しみなく出すということを、どうかその担当者を決めてもいいですから
どんどんアップをしてください。

そして、日本中に散らばる光の天使たちに協力を求め
どんどんあなた方たちでやろうとしなくていいですから
多くの方がたにテープ起こしなんかを頼み
編集の仕事もどうか頼んでいただきたい。
そうすると、呼ばれた者たちはとても喜んで参加しようとします。
そしてその中でますます使命と自覚というものを深めていくのです。
そのために彼らは出てきたのですから。

呼びかけて来ない者は構わないのです。
来る者たちを連れていきなさい。
そしてあなた方も、最後までついていけるように頑張りなさい。
ここはついて来る者だけがついて来るのです。
ついていけない者は静かに去っていけばよいことなのです。
ですから、最後までここに頑張れるあなた方であることを心から祈ります。

わたしの仕事というものは、学問というものを通して、学問体系を通して
神の言葉、叡智というものを人びとに
世に知らしめることが役割でもありました。
でもそれの弊害というものが世にはびこり
今、知性万能、知識偏重の時代がきたときにこそ
わたくしはもう一度、再び愛の原点に戻りたいと思うのです。

けっして人類が学んできた
学問体系化した道が無駄であったとは思わないのです。
そこの中にもまた神理はあるけれども
そういうものだけでは逆に世界は何も変わらなかったと
破滅への道を防ぐことはできなかったということを学んだのも
また人類のひとつの学びであったと、わたくしは思うのです。

かつての難解なものに固執することよりも、新たな希望の時代を開くために
愛の原点に戻った真実の愛を、愛の光を放つ、そういう言葉を発して書物を出し
多くの人びとを救っていきましょう。
そして言葉だけではなく、その言葉を語り伝える方たちの死ぬ気の
命をかけたその生きざまをもって
多くの人びとはあなた方の後ろ姿の中を通して
この差し出された一冊の書物が
真実の書物であったということに気づくということを
わたくしは今日、申し上げたいのです。

(2005.11.5 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-09-16 07:14 | アウグスティヌス | Trackback | Comments(0)

アウグスティヌスからのメッセージ(3)

光は光に集まります。
闇は闇に集うのです。
光の行いを、たとえ何も語らなくても
あなた方が光の使者としてのモラルをしっかりと守った行動を
言葉使いをなさってこられた
一貫してその姿勢を貫いたということを評価する方がたが
今こうやって新たに集まって来られたのではないでしょうか。
それをこれからのレムリアにも期待するのです。

さまざまな反対者が出て来られるでしょう。
「理解できない」と言って去って行かれる方もおられるでしょう。
でもそれでも、それでもレムリアとして
光の使者としてどのように対応していくかということを
どうか勇気を持って貫いていただきたいのです。

その生きざま、言葉、その後ろ姿
それをもってほんとうの光の使者たちといいます。
それがあってこそのレムリアでもあるのです。
霊言だけを収録し、霊言の言葉だけをやみくもに並べ立てても
いろいろな試練があったときにレムリアがどう動いたかということを見て
人びとはレムリアを評価していくのです。

優れたものを出していったのなら
人と変わっていったものを出していったのならば
叩かれ、迫害されるのが世の常でもありました。
キリスト者と呼ばれている者たちは
今日世界的に広がったキリスト教というものの結果だけで
良くやったというのではなく
そのためにどれだけ多くの者たちが殉教して死んでいったことでしょう。
でもその一途な、殉教されても
それでもイエス・キリスト、神を信じ続けた
その彼らの死に至るまでぎりぎりのその壮絶な生きざまを、信仰心を見て
殺していった者たちが改悛し、改心し
キリスト教を広めていくエネルギーとなって
今日まで広がってきたのがキリスト教の歴史でもあるのです。
だからけっして最後の瞬間まで
死んでいった者たちの姿というのは無駄ではなかったいうことなのです。

本気になることです。
神の愛を表現する者として生き抜く。
神の愛を生きる者として、神の愛を考えたり
神の愛を語るだけでは不十分なのです。
命がけで神の愛を生きるのです。
その姿を通してでしか
人びとはレムリアに降りる言葉が
ほんとうに真実であるということを確信するには至らないと思うのです。

霊言は素晴らしいかもしれない。
霊言も素晴らしいけれども
似たような霊言を出しているところがいくつもある。
その時に、あそこはどれだけ嫌なことを言われても
普通ならば怒って喧嘩をふっかけるところが、あくまで最後まで
神の子と、使者としての誇りを貫き通し、神の目で真実を見ようとする。

言われてもけっして刃向かうことなく
そのような者を相手にしない毅然とした態度を最後まで貫き通す。
その姿をもって、その後ろ姿を見て
今回新たに懇親会に来られた方がたも感動を持っておられるからこそ
集まって来られたのだと思うのです。

だから、愛というものは語るだけでは、思いだけではだめなのです。
思ったのなら行動の中に出してください。
その行動というのは、今このレムリアの中で
どれだけ本気になってこの神の計画のために力を貸せるかということ
努力できるかということもあるのです。

ご自分たちお一人おひとりの人生の課題もおありでしょう。
お仕事もおありでしょう。
それを通して個人個人が、個人の修行をなさっていることも真実なのです。
でも大きな目で見るのならば
それはレムリアの中における役割を通して自らの使命を発揮していくことを
ある意昧でいちばんの天命と考えられて
あなた方は用意してきた魂なのかもしれないということなのです。

両輪であるということ。
大いなる使命と個人的な使命との、修行ということの両輪を
どうか、あなた方は全うしていただきたい。
どちらに偏ることもなく、両輪を頑張っていただきたい。

そしてその中で、あなた方にお願いしたいのは
どうも皆さま方の中にある共通理念の一致というのが
欠けているように思うのです。
人の思いというものは、聖書の中にあったように、初めに言葉ありき。
ひとつの思いがあり、それが言葉として発せられたとき
それはひとつのエネルギーを持っていくのです。

あなた方がレムリアに、第三の計画として必要な者である。
そして自分たち自らが関わり合いたいと切に思い
集われた方たちであるのならば、みんなでひとつの共通理念を持つということ。
それが、その思いが現実を引き寄せていく力を持つということ。
それが、神がこの天地を創造されたときと同じ、宇宙をつくられたのと同じ
創造的なエネルギーを、わたしたち神の子たち一人ひとりにも
そのようなクリエイティブな力というものを与えられているのです。

今、この地球がどん詰まりのときだから
この計画なくばとんでもない事態になる
追い詰められた時期だからこそ
明るい希望ある未来をみんなで同時にイメージしましょう。

第三の計画が成功する。
そして世界の隅々までレムリアがいう神の子で、人びとがみんな神の子である
愛のメッセンジャーそのものである。
そして、永遠の転生の中で、人びとは愛の中で赦し合い
励まし合い、生かし合い、そして互いに称え合い
神を賛美し、自ら仲間たちを愛し合い、称え合う。
そのような世の中になっていく。

そして、科学も発達し、他の天体から来られた神の子たちと共に力を合わせ
また地球としての使命をますます果たし
多くの神の子たちの新たなる修行のチャンスの場を提供していく
地球となっていく。
より多くの貢献のできる地球という惑星になっていくということ。

そんな魔界の者たちの力など
大いなる神のお力からみたらほんとうにわずかなものなのです。
そんなものが大きいと、恐怖心をいたずらに思うから
彼らに振り回されるのです。
彼らの力は侮れないけれども、でも彼らの力に力を貸してしまう
自らの欲というもの、そういうものをしっかりと
心を統御することによって乗り越えていく。
その思いの中でわたしたちが新たな地球のビジョンをー
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第三の計画が成功し
そして次のあとにあなた方のいう竜馬のような方がたがたくさん出てきて
地球規模で社会改革をしていく。
そしてほんとうの意味で
今もっと進んだ惑星にあるような統一政府の中にあり
神の愛そのものを表現する、喜び合い、称え合う、そういう者たちが住む
そういう地球の未来をイメージするのです。
そして、それをイメージしたのなら、本気で信じましょう。

それが起きるのであると。
それはほんとうにわたしたちの手の中にあるのだと。
それを神が望まれているのだからこそ
わたしたちはその地球を、この地上に再現するのであると。
そのために命がけになるのであると。
それが神の愛を実践する、神の子たちの生きざまそのものであるのだと。
心からみんなで自分たちに言い聞かせましょう。
そして、それを信じましょう。

暗い、壊滅的な、悲惨な未来をイメ-ジしていれば
そのような未来を呼び込んでしまうものなのです。
明るい神の光に照らされた、まばゆいばかりの愛にあふれた地球を
みんなで願い続けるならば、その未来はまた、実現は近くなるのです。

思いとはそういうものです。
言葉とはそういうものです。
そしてそれこそが、愛そのものの表れていく本来の方向であるのです。

地上がこのようになぜ、最後のテストのときに悲惨な状態をもっているか
神の愛を実現できずに失敗しかかっているかというと
サタンたちが惑わしたというよりは
サタンたちが提示するものを地上の者たちが
神が提示しているもの以上に喜んで
要求しているということかもしれないのです。
そのような間違った方向に欲望が働いてしまっているという
その結果が今という現在をつくっているのかもしれない。

第三の計画:高橋信次による第一の計画を土台としてエル・カンタラーが宇宙規模の法を説き、地球を愛でひとつにまとめあげることを目的とした救世計画が魔の妨害により途中で頓挫してしまった。この第二の計画が万が一失敗した時のために用意されていたもので、魔に強い戦闘系巫女アマーリエを中心に立てられた最後の救世計画。

(2005.11.5 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-09-08 12:42 | アウグスティヌス | Trackback | Comments(0)

アウグスティヌスからのメッセージ(2)

時代を越え、価値観を超えてですよ、さまざまな状況は変化している。
わたくしが生きていた時代
それから今の時代ではまた、さまざまな文化尺度も違うでしょう。
そして問題も、複雑な問題が次々と起きてくる。
でも、あらゆる問題が起きたとき、そこの中で何を判断にするかというと
やはりほんとうの意味で相手にとって何が幸せであるかということ。

それは優しい言葉をかけなければいけないときもあるでしょう。
愛は励ましであることもあります。
そして愛は優しさをあらわすときもあります。
愛は寛容さを現わすときもあるのです。
でも、いつも、いつも優しい言葉ばかりを言っていてよいのでしょうか。

時には相手を叱りつけるような厳しさでもって
殴りつけるような思いで親が子どもを叱るときもあります。
愛の中には厳しさという部分もあるでしょう。
それがほんとうの意味で、相手にとって何か良き言葉であり
何が相手を真に生かすことであるかということ。
そのために心を砕き、思いを増し
そしてそこで智恵を、知識を使うというときにはじめて
知識の、智の神髄というものが出てくるのです。

知性を、理性を使って愛を表現していく、他者を愛していく。
愛のために知は使われるべきもの。
知のために愛がないがしろになってはいけないということなのです。

そして、それを一つひとつの状況の中において学んでいく
実行していくことができてこそ、その人は愛の使者となることができる。
それがインマヌエルがおっしゃりたかったことであり
そして我々が、我々の隣人の小さき神の子たちに対して
ささやかな行為の積み重ねの中において何ができるかということのその積み重ね
それがその方の実力になっていくのです。

そうでなければ、すべて誰か一人だけが神の子であり
インマヌエル、イエス・キリストだけが神の子であり
他の者たちは神の子でないというのならば
神の叡智というものはインマヌエルしかわからなかったでしょう。

でも違うのです。
インマヌエル、イエス・キリストが説かれた時
あそこにいた何千という群衆たち、学問も教育も食べ物も何もなかった
でも、ついてきた彼ら
であっても、彼らもすべて漏れなく神の子たちであったということ。

であるならば、彼らの心の中に、ハートの中にあるその愛の思いは
インマヌエルが語られたその言葉が
まさに神の愛を表すメッセージだったということを認めたからこそ
群集がイエス・キリストの
インマヌエルのあとをついていったのではないでしょうか。

そうでなければ、何も持たぬやせた男が語ったからといって
みんな仕事を忘れ、家を忘れ、裸足で
みんな食べ物も持たずについていったではないですか。

それは神の子であるインマヌエル、イエス・キリストの愛の言葉が
本物であるということを、あんなに学問も何もない者たちですら
ハートで感じることができたということ。
真実とはそういうものなのです。
愛の倫理というのはそういうものなのです。

あなた方はあまりにもひとつのノウハウやマニュアルを
求めすぎるのかもしれない。
こうあれば愛の人であるであろうと考えすぎるのかもしれない。
でも人は多く、あなた方が真実の人であるか、愛の人であるかを見破るときは
あなた方の全存在を、全行動を、語る言葉を
行いすべてトータルにその方の魂に触れながら
総合的に判断するものなのです。
だから、全存在を神の方向に開きなさい。
神の方向に開くということは、愛に向かって開きなさいということです。

愛に向かって開くのは何であるかというと、神の子であるあなた方一人漏れなく
すべてが神の子であるという真実を明かされたのですから
あなた方の中にある神の子としての愛を全開して
人びとにさらけ出して生きてごらんなさいということです。

そうすれば、あなた方の中に素晴らしい
神より与えられた愛の光の奔流が作裂したように飛び出てくることでしょう。
それをもってあなた方は、周りの人びとを変えていくのです。
小ざかしい知識や言葉で、多くの人びとを感動せしめ、変えていけると思ったら
それは思い上がりなのです。

神近き人と呼ばれる人が何であるか。
その方が寄って来られるだけで
人びとは思わず畏れを、荘厳さの中にひざまずくではありませんか。
肉体を持っているからそれは難しいかもしれないけれども
少し話せばその方がどれだけの過去を持っている方か
今の方がただってわかるはずなのです。

あなた方一人ひとりを神の使者として、誰かだけが偉いというのではなく
あなた方一人ひとりが神の使者として、神より与えられたメッセンジャーとして
自らの中に神の子として埋め込まれた神性を全開にし
世の光となって生きられることをわたくしはあなた方に希望いたします。
それをもってしかこの地上は救えないのです。

あなた方は今、法を編纂し
神より降ろされた言葉を一生懸命書籍に残しておられます。
その中には大いなる光が込められ、神の愛が込められているのです。
地上の者たちに対するメッセージがあるのです。

でもそれを聞いた者たちが知識の中において、すべてを理解できるかといったら
今レムリアで語られている言葉をどれだけ易しく言えるかが勝負なのですけども
それを聞いてもどれだけの方たちが
神が真実愛そのものであることを認識できるか。

それは書籍だけではまたすべて地球、六十億ですか
六十数億の人びとを変えていくには難しいかもしれない。
文字だけでは難しいかもしれない。
その時に、ここでも何度も言われたことでしょう。
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マザー・テレサという方が何をしたか。
彼女は本を書いたでしょうか。
たくさんの難しい法を語ったでしょうか。
でも違ったのです。

マザー・テレサのしたことは全存在を神の愛の法灯として、愛の光の奔流として
この世界中を照らしたのです。
彼女の愛で、彼女が神より与えられた神の子としての愛の大きなるたいまつを
彼女はあの小柄な体を通して輝かして見せたのです。

彼女のやった業績はたくさんあるでしょう。
ハンセン病患者の施設をつくった。
孤児院をつくった。
いろいろなことを、たくさんたくさんやられたことでしょう。
でもそれは他の方でもできたかもしれない。
では、何ゆえ彼女が聖女と呼ばれたか。

彼女のその生きる姿勢、その生きざま、語る言葉
その全存在をもって宗教宗派の違う者たちに対してですら
「ああ神は確かにおられるのだ」と
「この地上に、確かに神の使者は生きておられるのだ」ということを
彼女の全存在をもって、彼女の行動そのものを、人生そのものを通して
人びとは言葉を越えて神というものを感じることができたのです。
そのことに意味があるのです。

難しい言葉、確かにその知よりの探求によって
あなた方でいう神理の山の頂上に辿り着くということもあるのです。
その道もある。
あらゆる感性、知性、理性
すべてを通して山のトップに上がるということはできる。
でも多くの者たちは、わたくしの説いたような
あのような哲学的なもので山の頂上に上がることはできないのです。
上がるのは神の使者たちのその生きざま、その後ろ姿をもって
あなた方についていくのです。

神の子として、光の子として生きるとはどういうことかという
その模範を示すことをもって
あなた方のその生涯の価値もあるということをわたくしは言いたいのです。

知性が悪いとか申していません。
書籍も出していただきたいし、小冊子も出していただきたいし
我々がやったようなバイブルの口語訳
そして他の国の言語への翻訳をしていくということ
法の編纂をしていくということなども確かに大切な、期待されていることです。
これをぜひとも頑張っていただきたいと思います。

でも、それを通して救う時代
確かに知的な方がたが多くなった現代でありますから、それを通して伝えていく
それもひじょうに大切なこと。そしてそれをもっと易しい形で
一般の方がたの触れる言葉として、それを小冊子のように出していく。
そのようなこと、インターネットなど、あと芸術の方面を通して
多く一般大衆に伝道していくということも大切なことです。

しかし、それを読んだ方がたにその次に言っていただきたいのは
単なるベストセラーのようなものとしてだけではなく
それを読んだ方がたの生きざまが変わっていくような
そこまでをもってほんとうに真に理解したと言えるような
神の子として、光の子としての生き方とは、どうやって輝いたらいいのか。

みんな神の子なのです。
みんな輝けるのです。
でも光の子として、神の子としての輝き方を忘れてしまっているのです。
それをもう一度人びとに提示していく。
教えてあげる。

それをするにはどうするか。
あなた方一人ひとりが神のメッセンジャーとして
真にその人生をかけてトータルな言葉、トータルな生きざま、行動
それを通して真に神の子とはどうやって生きるべきかを
あなた方が表さなくてはいけません。

(2005.11.5 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-22 08:19 | アウグスティヌス | Trackback | Comments(0)

アウグスティヌスからのメッセージ

アウグスティヌスでございます。
本日はこのような場にお招きをいただき
皆さま方にわたくしの声をお伝えする機会を与えられましたことを
天の神に感謝をし、心から光栄に思います。

今、地上は最終的な時期を迎え
あなた方、神の使徒たちにとっても最終的な修行と申しますか
使命が発動される、それを請け負われたあなた方であるということ。
そのような大事な、大事なときを今
あなた方は迎えられておられるということ。
それをわたくしは天上界より、イエス・キリスト
我が主の属しますホワイト霊団として
皆さま方の指導を、そしてともに戦うべく
仲間として見守り、仕事をさせていただいている者でございます。

今、この場に我がホワイト霊団
インマヌエル、イエス・キリストと呼ばれている方を中心とした
我が霊団でございますが
その出身の者たちが数名おります。
そのご縁がありまして、わたくしも今回
皆さま方に発言させていただくという機会をいただきました。

先程ありましたが、神というものを、それを別に何と言ったらよいか。
それは別に言うならば、愛というものを別に何て呼んだらよいか
それと同じ問いかけであります。
今、新たなこの時代の中で、神埋か究極的に明かされるこの時代の中において
神とは愛であり、愛の法則であり
愛のエネルギーそのものであるということを
アモール様より教えていただきました。

愛というものが我々を生かしむる宇宙の根源的なエネルギーであり
我らが「神よ」と崇めるその方、その存在そのものであります。
その答えにたどり着くまで、人類は長き長き時を必要とし
数々の問いかけの中で
いちばんシンプルで簡単な答えであったのにもかかわらず
たどり着けずに
難解な、難解な知の遊戯の中で人びとは苦しんできたのです。

それを学問と言い、それを哲学と呼び
さも知恵者の集団がもっともすべてを見通したかのような
神の叡智にも近づいたかのような
言葉でもてあそぶ知の遊戯の中で神というものを問いかけ続けた。
それが人類の歴史であったのかもしれません。
でも答えは意外なところにあるのです。

それは、インマヌエル、イエス・キリストが説かれた愛というものの普遍性
そして神と呼ぶ、我が父と呼ぶお方に対する幼子が慕い行くような
すり寄るような
そのような思い、その中にすべての真実は隠されているのです。

難しい言葉であなた方が問いかけることよりも
あなた方が神の子であるということを明かされた
神の子であるということを明かされたということは
宇宙の根源的なる大いなる愛の神の光を引く
その子どもたちであるということ。
その答えはあなた方の胸の中にしまわれている
無尽蔵にある愛というものの、愛の泉を掘り当てた時に
本来の叡智というものが湧き上がってくるということ。
神の子としての神性というものは
脳みその中に、頭蓋骨の中にはないのです。

愛というもの、ハートの中にある魂の中にある愛というものを証していく。
その裏付けとして知性というものが使われてこそ知性は意味があるのです。
でも本来いちばん大切なのは、我々が神の子であるという
愛というものをぎっしりと詰め込んだ、このハートの中に、魂の中に
普遍的な叡智というもの、神理というものが
もうすでに平等にわたしたちに分け与えられているのです。
答えはここにあるのです。

人類はこんな簡単な事を気づくために時間をかけてきた。
でもこれ以外に人類に、すべての人類に改心をさせ
神のもとへといざなう道はないということなのです。
わたくしが説いたこと、そのあとに説いていった者たちも
知の遊戯の中におぼれ
一部の識者と呼ばれている者たちだけの難解な知の遊戯に堕ちていき
一部の学者たちだけに神理というものが
智恵というものが独占されてしまったかのように思われて
一般大衆は神の救済という枠からは外されてしまったかのような
智恵や叡智とは無関係であるかのように
人類はそのように履き違えてしまったかもしれない。

でも本来の叡智というものは、智恵というものは、すべてに平等に
すべての者たちの中に分け与えられた、尽くしきれぬ、くみきれぬ
あふれんばかりの愛の思いというものが
人びとの心の中に脈々とあるのだということを
それを伝えることが今回の救世の大事業の神髄でもあるのです。
それを二千年前、インマヌエル、イエス・キリストは易しい言葉で
民衆に大衆に語りかけられたのです。

それで終わってしまってはいけないけれども
でも原点はそこにあるということ。
そこを繰り返し伝えていくということ。
その上でキリスト教の中に欠けていた
魂が永遠であり、転生輪廻があるということ
そのことをしっかりと新たな法の集大成の中において
人びとに伝えていくということ。
それだけで人びとは生きる価値観、人生観、幸福感
そのすべてが変わっていくのです。
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今回の先ほど言っていた少年たちの不幸な事故、事件にしましても
我々の世界から見たならば、もう世界中にあふれきっていることなのです。
その時に魂の永遠性を信じることができるか。
肉体なきあと、地上を超えた神の世界を信じることができるか。
それによって地上での生き方も違うし
地上での生き方が違えば、死んでこちらに帰って来たあとの生き方も
また違ってくるということなのです。

その根本的なこと、その地上界と天上界と霊的な世界との
そのサイクルの中で魂というものは常に輪廻をし
その中で永遠の時の流れの中で進歩発展していく過程を
ひとつの学びの場として
この地上を、天上界を、神より我々は与えられているのです。
その中で永遠に進歩していく道のり、その過程こそが
我らが魂の境涯、生きざまそのものでもあるということなのです。

人生というと一回きりの
今世生まれた数十年だけがすべてであると思ってしまう。
それゆえに、大きな長い、長い流れの中からみた判断というものを
誤ってしまう。
長い、長い流れの中でみたのなら
今世あなた方がやっているのもひとつの劇場の芝居のようであり
今の役割であるということ。

そして、今世ここにいる者の過去世も、何世か出してみましたけれども
結果的にその人の使命に応じてその時代の中で、その方の使命が
その方の個性がどのように生きんとしたか
それがいちばん問われるということ。
それをもって、今世また新たな肉体を
新たな環境の中であなたは何をしますかと
それを問われているのがまた人生の課題でもあるということなのです。

何をすればよいかではなく
この環境の中であなた方は何をしたいと思うか。
それは自分だけを愛することではなく
それは自分以外の者たちをいかに幸せにすることができたか。
そのことをもって我が人生の価値とできる、価値の存在理由とできる。
そのことをあなた方はもうすでに
学ばなければいけない時にきているのです。

あなた方も原因結果の、因果応報というものを学んだであられましょう。
それは他者のために、他の方がたの幸せのために
他の神の子たちの幸せのために、と思って心を尽くし
思いを尽くして生きることは
結果的に「自分のためにならないでくれ」と思っても
宇宙を貫く因果律の法則の中で
それはすべてが自分に戻ってくるということ。

それは、他者のために他者を愛するために生きたと思ったことが
実は巡り回って自分を愛し
自分の人生を大切に生きたという証しになるということ。
自分が良い思いをしたいから他者を愛するのではなく
無私な思いで他者の幸せを願って生きようとすること。

その中においては、他者においていかに愛の言葉を
法というものをわかってもらえるかという
相手の目線に合わせた思いの中で
相手の理解と相手を幸せにしたいというほんとうの近寄っていくような
魂に近寄っていくような、その思いの中で語りかけていったとき
そしてそれが相手の方の人生に一筋でも光となり、希望になったとき
その喜びを通して我が喜びとし
自分の人生がまた光り輝く瞬間でもあるのです。

その場合においてあなた方は、じゃあこの場合はどうしたらよいのかとか
どのようなルールをつくったら次もまた同じことができるのか
常にそういうことを言うけれども、そんなルールはないということです。

人ひとり皆が違って、皆、素晴らしくて
皆抱えている課題やカルマが違うように
その局面、局面で抱える課題はまた異なるものなのです。
でもたとえば、その事故の子ども、少年たちにしても
あなた方が今月抱えていた仲間の方のことでも、ありましたね
今回お辞めになった、そういう方の問題でも
ひとつのマニュアルなんていうものはないということです。

でも、その中で彼らにとって、問題はすべて、解決も
ある意味で言うとシンプルにひとつかもしれない。
彼らにとっていちばん良きことは
そしてこの全体の流れの中で
いちばん良きことは何であるかということを精一杯考えること。
常にそうであるとわたくしは思うのです。

(2005.11.5 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-16 14:49 | アウグスティヌス | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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