地球を愛の星へ

カテゴリ:アテナ( 5 )

アテナからのメッセージ(5)

そのような動きが出てきたということは、当然、レムリアが動き出せば
魔界の者たちが、死に物狂いで押さえ込もうといているのです。
特に動くまでというのは、ひじょうに彼らも画策するのです。

動き出してしまえば、こちらにも力があります。
動くまでは、「なるべくあやふやな覚悟のうちに、叩きつぶしておこう。
光の天使たちも生まれてきて、まだ何にもわからぬ、幼くて力のないうちに
なるべく早いうちに処分しておこう」と言って
危険が迫るのも、もっともなのです。

ですから、あなた方がやることは、まだまだ、レムリアというひよっ子が
卵からかえったばかりの状況でしょう。
まだまだひな鳥なのです。
いくらでもつぶされよう、殺されようと思えば簡単なことなのです。
餌食になるのです。

その時に、あなた方がやっているひよ子というのはね
鶏ぐらいではないのです。
大きな、大きな鷹のような、素晴らしい大きな鷲のような、
大きな鳥として、大空を羽はたいて行くようなものなのです。
でも、今はまだひな鳥なのです。
ですから、それをつぶされないように、必死に守っていただきたい。

ひな鳥を守るためには、まわりに、お父さん鳥たちが戦うじゃないですか。
そのような意味をもちまして、私たちは母親や父親になって
このレムリアというひな鳥を守り育てていかなくてはいけないという
そういう立場にあるのだと思います。

そのうち、レムリアが世界に出て行くような
立派な、立派な成長した姿になっていったのならば
それはそれで、おのずから力が出てくるのです。
でも、今の段階では、まだまだ力がなくて、つぶされようとしたならば
簡単につぶれるようなものかもしれません。

でも今、十二人のお力ある方が
他にも協力者もどんどん増えてきたことでしょう。
書籍を出すことにより、インターネットで小冊子を出すことにより
人の口から口へ、正しい光のたいまつは
神の子たちの心の光の中に順次に点火していくのです。
悪の言葉では、神の子の光というのは点火しないのです。
でも、神理の言葉を、神の国の言葉をもって、神の子たちに内在された
神の子の先に点火されていくのです。

その心から心への、神の子としての光が点火され
人びとの口の中にどんどん、どんどん広がっていったとき
それをほんとうの伝道というのです。
無理やり、何が何でも折伏して、人びとを何とかの会に入れようとすること
そのことが伝道ではありません。

人びとの心の中に、本来の神の子としての意識が芽生えたとき
愛の炎が、その神の子としての体の中にぼぅーっと灯るのです。
その愛の光を、一つひとつ、地上の肉体を持った人間たちの心の中に
愛の炎を点火させていきながら、神の子としての聖火ランナーのように
次々と愛の光を、たいまつを、人びとの心の中に広げていきましょう。

その光を順次に、順次に灯していく以外に
この地上をユートピア化する道はないのです。
そのために、芸術や文化をこれから使っていくということも
次の段階としては考えられておりますけれども
まだ、今ひな鳥がやれることはそこであるということ、文書であるということ。
そのことをもちまして今、初期、日蓮様がお集められました高徳のお坊様方が
文書編纂ということをおやりになっておられますので
ぜひとも、このことを進めていただきたいのです。

これからレムリアが世界に出て行くにおきましても
まず、この霊言というものが基本となるということ。
霊言というものが、これがいつでもとれるものではないのだということを
どうか、お心に留めていただきたいのです。

今降ろせるうちに、しっかり降ろして、その言葉を後世に残していく。
数々の霊人が、数々の個性をもって神の言葉を語ります。
その言葉をもって、神の叡智といい、知恵というのです。
それを離れて、神の知恵というものはないのです。

それを地上の者たちが生きる指針として、そのために命を投げ出して
この国を、この地上を神の国にするために
人びとがその叡智というものを利用して、使って
この地上の体制をつくりあげ
ひとつの教育、文化、芸術というもの
そういう医療から、すべての価値観に至るものまで
具体的に行動、実践していったときに、この国というものは
この星というものは、神の星へとなっていくのです。

法が生きた形として、この三次元に現れてくるのです。
それをもって、神の叡智の発現を、愛の魂とともに実践に移したときに
この星というのは、神の星へと変身を遂げるのだということ。

智慧というものは、神からの天上のアルカナです。
秘儀です。
智慧です。
それが今、シャワーのように降ってくる
このような時代はかつてなかったのです。

神託においても、私たちが降ろした、神降ろしにしましても
このように多様な霊人からの霊言を、次から次へと降ろすことはありません。
大体が降ろしてくる方は数名の方で、指導霊の方がたが、神と称されまして
神降ろしの時にお答えいただけるのです。
その言葉だけをもって、人びとは判断していったのです。
デルフォイの神託におかれましても同じなのです。

でも今は、これだけいろんな方がたが縦横無尽に出て
神の大計画を語られております。
このようなことが、次元を超えて、情報が与えられて
私たちが聴くことができるということ
これは、今のこの数十年の間に限ったことなのです。
あとで聴こうと思っても、もう聴けぬ時代がくるのです。

ですから、どうか皆さま方
今この時代に引き合わせているということを感謝し
この今の人生、今のときというものを無駄になさらず
己ご自身方でできることを、精一杯探されて
最善をもって、最大の努力をもって、おやりになっていただけたらと思います。
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私は、けっして、知恵の女神と呼ばれているから
他の者よりもはるかに賢いというわけでもなく
ただ、天上界の智慧を、アルカナを地上に降ろすことをもって
そして、それを自分の実践行動の中において
びとに指し示すことができたからこそ、知恵の女神と呼ばれたのです。

そして、私が戦いの女神と呼ばれたのは、けっして、私が誰よりも争いごとを
戦を好きであったからではなくて、人びとを愛するがあまりに
人びとの体制としての、社会の平和を維持するために
戦わねばならぬ者を最小限に食い止めるために
そして、最前線で戦う男性方を、英雄たちを、力ある方がたを
鼓舞し、励まし、やる気にさせて
そして、ひとつの方向を指し示して、間違った方向に行かないようにするために
最前線に出て、馬に乗って人びとに行き先を指し示しただけなのです。
それをもって、戦いの女神と言われただけなのです。

私自身は、それほど戦いが好きではない。
でも、魔との戦い方、組織の中における
やはり、男性たちのもめる姿というものを
やはり、経験してきておりますので、その中においての知恵というもの
多少の知識というのは、経験というものは踏んでおりますので
今回のレムリアにおいても使わせていただけたらと
役に立たせていただけたらというふうに思っております。

ですから、今回は結構、女性の法という部分というものを引き継ぎましたので
これからも一生懸命、学ばせていただきながらも、最後の時が終わるまで
何とか自分なりに、しっかりと女性の法が何であるかを学びながら
それを人びとに語り伝えていくことができたらというふうに思っております。

ですから、今申し上げましたように、私の知恵、私の正義感というものは
この程度のものでございますけれども
精一杯、私も今、神命によりお役をいただきましたので
精一杯、頑張らせていただきたいと思っておりますので
どうか、皆さま方のお力添えをいただきながら
この計画を進めていっていきたいと思います。

仲間あってこその計画です。
神の子たちみんなが、心と心の手を取り合うことによって
神の計画というのは成就していくのです。
そうでなければ何の意味もないのです。
ただひとりの英雄が、ただひとりの独裁者のために
この地上が平定されたとしたって何になりましょう。

これからは、一人ひとりが神の子である自覚を認識することにより
仲間たちの手を取り合って
地球人類すべて、植物においても、動物においても、鉱物においても
宇宙の生きとし生けるすべてのものが、手を取り合う神の子たち
仲間たちであるという認識をしっかりと根づかせて
お互いに愛を分かち合いながら、調和しながら
新たな世紀を、新たな時代をつくっていくという
そのような役割の中において、人びとは学ぶ時代がきたのであると
それが使命であるのだということを
私は世界中の方がたに告げながら、この使命を果たしていきたいと思うのです。

ですから、どうか、皆さま方におかれましても
ともに歩んでいただけますことを
お力を貸していただけますこと、心からお願いしたいと思います。

(2005.6.23 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-09-26 18:08 | アテナ | Trackback | Comments(0)

アテナからのメッセージ(4)

今あなた方に伝えていきたいことは、これからの時代をつくっていく
大きな、大きな山場がこれからくるということです。
戦いで、私たちのときのように、槍や、刀や、大砲が飛んでくる時代ならば
戦に出ているという意識があります。
みんな鎧をつけ、兜をつけ、盾を持っているのです。
ですから、戦に出ているんだと、自分たちで覚悟する必要があるのです。

でも、レムリアの方がた、他の方がたを見ていてよく思うのは
あなた方が、今戦闘の真最中にいるという認識がないということです。
霊的に見たならば
たいへんな渦中の中に自分たちが日々戦っているということが
どうしても認識の中にないから、そのような隙が出てくるし
そのような甘えが出てくるということ。

神の部隊というものは、神の戦闘体制に入るということが
戦闘系と呼ばれている言葉にも
アレルギーがある方がおられるかもしれませんけれども
先はどから話しておりますように、古来より、神の国を打ち立てるために
常に戦に継ぐ戦の中におき、国というものが平定されて
そこに神の国が打ち出されてくる基盤をつくってきたのです。

最後の総仕上げなのです。
最後の総仕上げのときに
今まで何度も、何度も魔により引き倒されてきたではありませぬか。
そのようなときにどうするか。
魔に負けてはならぬのです。
魔と戦わねばならぬときもあります。
魔と戦いながら、人びとに神の国を、最低限の基盤を打ち出しながら
そして人びとに教え、導いていくという
そのような体制をつくるときがあるのです。
今がその時なのです。

その、仏陀におかれましても、そのような体制づくりを
教団づくりをされましても
それが見事に、魔のトリックにより引き倒されてしまいました。
ヘラ様のところにおかれましても
今、神の光が降りている状態ではないのです。
そういう、悲しい状態がございます。

その中におきまして、今、レムリアを最後の光の砦として
人びとの中に神とのパイプをつなぐことにより
最前線として、私たちは戦いながら
私たちのあとに来る者たちは、もっと、もっと激しい戦いをもちながら
この最終的な神の星、愛の星への大転換のための総仕上げの戦いを
総力戦で天上界も打ち出そうとしているのです。

その時に戦うのは、天上界の光の軍勢と、魔界からくる者たちも
それはもう死に物狂いでくるのです。
彼らのことを侮ってはなりません。
侮るほど私たちには力はないのです。

地上の者たちは、彼らとの戦いを知りません。
逆に、多くの物質が氾濫することにより
人びとの欲望というものは最大限に膨らんでいて
地上の物や、地位や、楽な生活、そういうもので欲の塊になって
彼らに簡単に憑依されやすいような状況になっております。

人びとの倫理観も薄れてきた中において
子どもたちにおいても、無差別憑依まで
あろうことか子どもたちにおきましても無差別憑依が起きて
とんでもない事件が起きているのです。
戦争も起きているのです。

そのようなところに、マイナスのエネルギーが
たくさん、たくさん溜まっている社会の中におきまして
私たち、光の軍勢が力を発揮する場所を探すよりも
魔の車勢が拠点として巣食うことのほうが
ある意味で簡単な、今の現代社会であると思うのです。

そのようなマイナスのエネルギーの拠点となるようなところと
やっぱり、レムリアが動いていこうとしますと
光の拠点をつぶすために寄ってくるのです。

自分たちが今、レムリアの最前線の兵士であるということ。
「ならば、あなた方はどうしますか。
やはり、兜を身につけ、鎧を身につけ、手に剣を持つでしょう。
盾を持つでしょう」とあなた方に言いたいのです。
そうでなければ流れ矢に、流れ弾に当たって、簡単に死んでしまうのです。

その盾というのは、人びとに対する信頼を持たない
頑なな心を持てというのではありません。
魔よりの不本意な攻撃に対して、隙をつくらない
きちっとした心を持つというのが鎧を着るということなのです。
戦闘のときの鎧を着るということなのです。

兜をつけるということはどういうことでしょう。
大事な頭を守るということです。
守るということはどういうことでしょうか。
それは、人が人と戦う時に、知恵を使って戦いなさいということなのです。
知恵を使って、頭を守って、頭の、大事な神の子としての叡智を守って
それを利用して戦いなさいということなのです。

そこを守るために、神から与えられた兜というものがあります。
鎧というものがあります。
それは、けっして、人をいたずらに傷つけるためにあるのではないのです。
自らの大事なものを守りながら
戦に臨んでいきなさいということがあるのです。
その覚悟がないのならば、最前線には立てないということ。
あなた方はそれをもっと学ばねばなりません。

安易な気持ちで、浮かれた気持ちで、最前線に立ったなら
簡単に流れ矢に当たって、自ら負傷し死んでしまうのです。
それだけではありません。
そのことにより、大きく部隊の中においての
やはり、マイナスというものを引き起こし
あとで取り返しのつかない犠牲者というのを生んでいくのも事実なのです。

ですから、責任を持つ立場にいる者としては、そこに穴が開きそうになれば
即、厳しいことを言ったり、そして、攻撃されそうになる前に
先制攻撃を打って出て行くという手法を取る場合もあるのです。

そのようなことが、神の使徒に
神の使者においてあるまじきことと思われるかもしれない。
でも、やはり神の国を自立していくには、まだまだ、戦いの時というものが
最後の戦いの時というのが
今の時としてまだ必要な段階なのかもしれないというふうに思います。
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私も戦は嫌いです。
早く世界中から、戦争なんかなくなってほしいと思っております。
早く人類は、戦争、戦などという低次元のものを卒業しなくてはなりません。

そのような殺し合いをすることが
人びとが神の子として生きていくことではないし
人びとの中において、神の子として自覚し
愛というものを、神に辿り着いていく道という
そのような究極の神が希望されている、望まれている
そういう地球の愛の星づくりに、少しもそんな道はかなわないのであると
大きく、大きく離れていく、間違った道であるのだとでも
間違っているというより
あまりに未熟で、あまりに幼くて、そのような愚かさの中で
人びとは、まだまだ殺し合いを続けているのです。

過渡期的なもの、建設していく途中のものとして
不十分な精神、未熟なものとして
今、このような立場があるかもしれないけれども、私は、早くこのような戦が
争いごとがなくなる、神の子たちであり、地球になってほしいと思うために
今日も、日夜戦っているのです。

「誰かが最前線に立たねばならぬのなら、私が参りましょう」ということで
私が出ているというだけでありまして
けっして、私が、戦が好きであるという訳でもないのです。

そして、人びとの中に、単なる戦というものが
いかに無意味なものであったかということを
かつてのイデオロギーの対立のように、人類が学んだときに
人びとの世界の中から戦というもの
戦争というものが消えていく時代がくるでしょう。

その時代がくるためにも、あなた方が、霊言として
今こうやって降ろしていることを、この神の叡智というものを
人びとに伝える必要があります。
事実がわからぬから、事実が理解できぬから
人びとは自分かちの己の自我、我欲、権力
そのようなもののためだけに殺し合いをしているのです。

最後は愚かにも、原爆や水爆のような、ああいう核爆弾のようなもので
お互いに威嚇し合っておりますけども、あれを打ち合ったのならば
この地球にいるもの、生きとし生けるものすべてがー

あるい地球です。
回転しているのです。
自転しているのです。
その中において、その核の影響が、すべて出て、打った本人たちも
必ずや、早かれ遅かれ自滅してしまうというということが
そんな簡単なことを
もう今、子どもでも理解できる時代になっているにもかかわらず
人びとは核というものを捨てられないのです。
そんなものを通して威嚇し合っているのです。

すべてのものが死に絶えてしまって
そのあとに核爆弾だけが飛び交う時代がくることでしょう。
そのような時代をこさせないためにも人びとに
「怖くないんだよ」と、「信頼していくんだよ」と
「神の子であるから、あなたたちは愛の化身なのだよ」と
それを今、天上界は総力をあげて、地上にメッセージを送り出したのです。

そのために、九次元の方がたが大挙してお出になられ
地上におきましても、マヌ様のお力を借りて
九次元の方がたの霊言をとることが、今は可能になっております。
私たちも、これからは天上界の者たち、地上の者たち、一丸になって
このレムリアを、レムリアに光の拠点ができましたので
ここをもって、最前線の基地として、戦わしていただきたいと思います。

ですから、どうか皆さま方におかれましても
仏教関係の方がたにおかれましては
戦いなどというものにアレルギーを持たれる方がおられると思います。
私もやっていながら、なんでこのような仕事をしているのかと
ときどき思うのですけれども
やはり、人一倍間違ったことが許せないのかもしれません。

そのような立場の中で、今回このような重い使命を受けまして
どこまでやれるかわかりませんが
できる限りの努力をしてまいりたいと思っております。

私が頑張ると申しますより、私が伝える言葉
天上界よりお預かりし、地上の方がたにお伝えする言葉を
地上の優秀なあなた方が、それを書籍にし
そして、それをもうすぐいらっしゃる方がたが文化の中において
音楽の流れの中において、教育の中において、政治体制の中において
これから数々の花として咲かせていっていただく時がくると思うのです。

そのような流れの中において、人びとが、レムリアが語る天上界の意思
天上界の計画というものを、漠然としながらもつかみながら
ひとつの精神革命、精神運動というのが行われてくる。
そのようなことを、今の段階では私たちは預かって
使命を全うしているのでございます。

その後の者たちは、私たちがレムリアでやっていることの
先のことの使命を預かって出てくるのです。
ですから、その先のことは、先のことで大体わかっていればよいのです。
詳しくわかる必要は、今の段階ではないということです。

今は、私たちが最前線の戦闘部隊の中におきまして
天上界の霊言というものを預かりながら
今書籍に残し、数々の光の天使の方がた
そして、その呼びかけが終わったのならば
一般の方がたに対する呼びかけというものをしていかねばなりません。

そして、あなた方が伝えていった言葉というものを
受け入れぬ者は、かまわぬのです。
それはそれで、「伝えたよ」というふうに言って
それを最後、拒否するのであるならば
それはその方の自由意志であります。
それこそ自由が認められているのですから
あなた方は、少しも気にすることはないのです。

ただ、これだけの煩雑な頻度で、今霊言をとっているという事実
そのことをもちまして、世界の大計画が
今、神の大計画が行われんとしているということを
その銅鑼の音を鳴らすということを
あなた方がその使命として預かっている
そのような位置にあるということです。

(2005.6.23 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-09-20 21:13 | アテナ | Trackback | Comments(0)

アテナからのメッセージ(3)

ギリシャが西洋の源流になったときに、ギリシャにデルフォイの神託が降りて
世界の文化の最高峰から、その地位を他の文明圏に渡す時代がくるのです。
その後、文化はヨーロッパの、フランスとかイギリスとか
そのような中世の時代は他の諸国に移っていくのです。

もうギリシャには神託も降りず、かつての古代文明となっていく。
ギリシャからローマに移っていきながら
やはり、フランスとか、ギリシャ、ドイツとか
そのような諸国のほうに、イギリスとかそういうところに文明の
文化の最高峰が常に移っていったのです。

その時に、フランスにジャンヌ・ダルクという方がお出になりました。
やはり、その時にも、彼女は神の使命をもって
中世の人びとの宗教改革の中で
人びとがひじょうに不自由なところからの
人びとの魂をもう一度、神のもとに連れ戻すために
神の代弁者として人びとを指し示し、神様の方向性というものを
神の存在というものを、そのインスピレーションの中で
人びとに指し示していくという役割をもって彼女は出られました。

私も、彼女を今度は天上界より、彼女のことを指導する立場におりました。
フランスの革命というものが起きて、自由というもの
人びとに自由と権利を主張しながら、人びとがその呪縛から逃れて
ひとつの産業革命や何かを通して
人びとがやっと人権というものを確立していく
そういう途中のプロセスの中において
人びとに自由というものを喚起していくということが
やはり、時代の中で大事なことだったのです。

そして、その中世の呪縛の中から
今度は近世、近代の列強の争い、様々な流れがありながら
そして、その自由の精神はどこに引き継がれていったかと申しますと
アメリカの方に引き継がれていったのです。

自由の女神像というのがあります。
あの自由の女神像は、私、アテナや、ジャンヌ・ダルクと呼ばれている
彼女の、私たちの使命の象徴でもあります。

現代の中で、アメリカは行き過ぎた、自分たちだけが正義と考えて
自由を履き違え過ぎたようなものを感じているかもしれない。
確かに、行き過ぎたところもあるし
今の大統領にしても行き過ぎていると私も思いますけれども
やはり、一時、共産圏と自由圏と
諸国との二元対立というものがあった中において
人びとは共産主義、社会主義というものを通しながら
自由というものが自由意志の中において
機会均等の中における自由というものの中に
人びとが生きていくことが、どれだけ魂において必要なものであり
本来、私たちにとっての喜びであるかということを学んだはずなのです。

イデオロギーの対立の中において、人びとの自由意志というもの
そういうものがどれだけ、どんな物質的なお金や何かの環境における
均一化による平等よりも、どれだけ、自由意志のチャンスの平等というものが
人びとにとって、いちばん大事なものであるかということを
そのことを人びとは学んだはずなのです。

その時にもやはり、それを打ち破っていく
かつて、中世の呪縛から打ち破っていったときもそうでした。
今回もそうでした。
やっぱり、イデオロギーから打ち破って
人びとが共産圏、社会主義圏の中から
本来の人間としての尊厳を持って自由の中に飛び出てくる
うち破って来て、人類が学んでいったという歴史があるのです。

その中において、二元対立の中において
やはり、アメリカ合衆国というところに自由の精神
そこに自由の女神像というものを
高々と聖火を持って立たすことによって
やっぱり、自由というものを学ばすための国づくりの
アメリカがあったということも事実なのです。

そして、アメリカも、もうこれから、凋落の一途を辿っていくことでしょう。
それを学び終えたならば、その国の使命は終わります。
アメリカが悪かっかわけではない。
ヨーロッパが悪かったわけではない。
滅びていくからといって、その国が悪かったわけではない。
その時代において、その国が担った使命を終えたからこそ
その国が滅びていく、終わっていくのです。

美しい花が爛漫と咲き誇って、咲き終えて、美しさを表現したからこそ
その花は枯れていって、土に返っていくではありませんか。
ですから、いい悪いではなく
人類が学ぶための、ひとつの実験場として、教材として
私たちは、マルクスやレーニンたちが説いたような共産主義や社会主義
そして、今回の二元対立における民主主義というもの
それの行き過ぎた現状というものも、私たちは学んでいく中において
様々な教材を学びながら、私たちは何を神の子として
次の時代に選択していくかということを
順番にステップを上がっていく形の中で
私たちは今、学んでいる状況なのです。

そして、それが終わったときにどうするかと申しますと
その後に、あなた方がおっしゃられているような、この神の国日本からー、
神の国、日本におきまして、高橋信次、エル・ランティと呼ばれるような方
仏陀意識と呼ばれている尊いお方たちが、この地上にお出になられまして
この神仏の法というもの、神の法というものの本来のあり方というものを
お示しになられることによって
この最終的な人びとの学習の集大成が行われてくる。

それを、まあ、数々の霊人が説かれていったと思うのですけれども
私たちは、これからはイデオロギーとかではなく
真実の神の姿というものが打ち出されたことを
それをほんとうに受け入れていくために
私たちは、今、このようなレムリアの運動というもの
今回の救世の大計画というものが地上に降ろされて
私たちが、今、学ぼうとしているのです。
そのために、この日本という国づくりが
大事に、大事に守られてきたということがあるのです。

しかし、今、それが半ばでついえようと、終わりに近づこうとしたときに
私にはたいへん身に余ることを
このようなことになるということは
最悪の場合であるというふうに私は思っておりました。

このようなことになるわけもないし
なってはならぬことであるというふうに思っていたのです。
でも、状況を見るにつけ
このような方向に流れて来てしまったということが事実なのです。

私はけっして、自分から先頭に立ちたいわけではない。
それはこの者におきましても、私におきましても同じ気持ちなのです。
アポロンの時も、ギリシャの時代においても
アポロンがあとを取っていたのならば
アポロンが戦っていたのなら、私はけっして、前面に出なかったです。
でも、常に、そのときに前面に出なかったとき、やれなかったときに
脇で補佐をしながら戦っていくという
そのような役割があるように思います。

今回も全く同じなのです。
卑弥呼様のときもまったく同じなのです。
男性方があとを取り、国をまとめられるのなら
別に私が出なくてもよかったのです。

でも、国がまとまらなかった。
男性たち同士でもめてばかりいたのです。あの時は。
権力争いです。

そのときに、やはり神からの神託というものをとりながら
やはり神降ろしをしながら、そして武力でも私は戦いました。
戦いをもって
あの大和の国という邪馬台国の国というもののあとをまとめていくために
私はまた、立ち上がるという使命があったのです。
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今回も、まさか、まさかの計画でございましたけれども
やはり、このような魔によって引き倒されてきたこの計画
この計画をどうしても、私も、天上界の神々ならずとも
私もこの計画を終わりにしたくはないです。

やはり、この計画がどれだけ長い間、人びとの幸せのために、一大計画として
神々が練ってこられたか、私はよく知っておりますので
私は、やはり、この途中で諦めることはしたくなかったです。
でも、やはり、数々の戦いを通しまして
この地上にいる者も心に傷を負いました。
この歳になるまで、様々なことをー、

何も戦ってこなかったわけではないので
やはり、その中において、悲観的になっていったり、臆病になっていったり
あと、それから、他の方たちよりも、たぶん、魔の戦い方というものが
どれだけし烈を極めるかということを知っているがゆえに
たぶん、素直にはお受けできなかった最初の状態があったのだと思います。

たいへん申し訳ないことだというふうに、私も見ていて思いましたけれども
この者の気持ちもわかるのです。
「もう、今さら、自分が出てったからと言って、
これで逆転できるのだろうか」と
「そんな計画はあるのだろうか」と
「これだけの力ある方たちが頑張られてもだめだったものを、
自分なんかが出て、一体何かできるのだろう」と
「この無力な手で」と自分は思った、というふうに
この者の気持ちの中で、繰り返し、繰り返し湧き上がってきていたのです。

でも
「お引き受けして、最後、自分たちでできることをやって帰って行こう」と
「その結果、自分がその責任を取って、下に堕ちていこうと何であろうと、
そんなことは覚悟の上である」と
そのように覚悟を決めたのを見ておりました。

ミカエル大天使は、もう必死です。
あの方は誰が思わなくても、いちばん責任を感じられる方なのです。
あの方がひとりで責任を感じるような計画の失敗ではないんだけれども
あの方の気性上、ひとりですべて、あの方も背負おうとします。

私もその傾向があるのです。
どうしても戦闘系にいる者は
そのために、自分の部隊の者たちを犠牲にしたりすることがありますので
その責任をすべて背負うという、そのような癖がついているのです。

私におきましても、そのような思いがあります。
これを立ち上げてより、もう幾多の仲間たちと辛い思いをしてきたということ
その前にもありました。
その前にもありました。
生まれてきてから、ずうっと何らかのこういう宗教の
G会とかも含めまして関わってきて、数々の喜びもありましたけど
数々の悲しみ、挫折があった。

そして、この年齢を迎えているという事実がある中で
やはり、若い時ほど無謀にもなれないし
若い時ほど、それほど強気にもなれないし
守らなければいけない幼子たちも、まだたくさん抱えていることを考えると
どうしても強くはなれなかったという事実があったのだと思います。
でも、お引き受けすると決めた以上、今生、残された最後の一日に至るまで
私はこの者と、この計画のために
精一杯、最善を尽くしていきたい所存でございます。

今まで蓄えた、パーニャパラミタ、数々の戦闘系の者としても、魔との戦い方
そして、数々の人びとを幸せにしていくための愛の法、そのようなもの
今回は女性の法というものも、結婚し、学ばせていただいておりますので
どうやらそのことも、ヘラ様からお引き受けしたものを
私も担わなければならないのかなというふうにも思っております。

それと同時に、私の中には、男性方、英雄と呼ばれている方たちですけれども
その時代のキーパーソンとなられていく、リードしていかれる
力強い男性たちを励まし、神様の方向を、ひとつの方向を示しながら
まとめ上げていって、彼らの仕事を、天命を果たさせていくという
そのような役割にございます。

励ましているのです。
彼らに方向を指し示しているのです。
そうやりながら、時代の方向というもの
流れというものをつくっていくという役割があるのです。
その意味においては、ギリシャの時代と全く同じであります。
ですから、今世の役割におきましても
そのような役回りをさせていただきたいと思います。

私はけっして、自らが争いごとを好む人間ではないのです。
そのような魂ではないのです。
「戦の神」と言われますと
ひじょうに荒々しく、戦闘好きのように思われますが
確かに曲がったことは嫌いなのです。
筋の通らないことが嫌いなのです。

ですから、そうなりますと、自分の身がどうであれ、何と言われようと
自分の意志、自分の正義感というのを貫こうとしすぎるがあまり
女としてはちょっと生意気だの、勝気だの
言われるところがあるのかも知れませんけれども
そのような評価が、たぶん天上界であるのかもしれませんけれども
私は精一杯、神様に与えられたその使命の中で
自分なりに、正義感を持って果たそうと思っているだけなのですけれども
まあ、そのように人様から見ると、思われるのかもしれません。

(2005.6.23 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-09-16 15:47 | アテナ | Trackback | Comments(0)

アテナからのメッセージ(2)

アテナイというところはひじょうに自由という気風が強かったので
他の諸国のスパルタとか、そういうところにおけますよりも
アテナイはひじょうに自由というものを重んじたところです。
ですから、芸術というのがひじょうに発展したのだと思います。

芸術というのは、まず自由という、その自由な雰囲気というものがなければ
そして、それを保護する者たちがいなければ
そこにおいて、文化というのは
まあ、学問というものもそうなんですけれども
爛熟していく過程というのは起きないのだと思います。

皆さま方の中に、ギリシャの叡智というものが
どこからきているのかということを
この間もおっしゃられておりましたけれども
やはり、ギリシャの叡智というもの、知恵というものは、神託とか
やはり神様と通じていくという、そういうことをもって、叡智ということ
学問というのは本来、神の叡智をもって学問の基本とするという
それがギリシャの文化の基本にございます。

そのもっと源流で言うならば、神と普通の国民たちとの間を取りもつ神人
神の人と呼ばれている者たち、それをもって
私たちギリシャの多神教と呼ばれている
なんとか神、なんとか神と呼ばれている
ヘラ神とかゼウス神というふうな
「神」という
神というものを自らが名乗っていったということがあるのです。

ですから、自分たちが
けっして、神の、根源の神であるとは思わないけれども
少なくとも天上界の神と、天上界のお心と地上の者たちとの間をつなぐ
少なくとも、その霊的なパイプを持っている
ひじょうに霊的な力の強い者たちが
その時代に出て行って、それを人びとに伝えながら
天上界の意思を地上に具現化していくという形をもって
ギリシャの文化というものを、文明というものを表現し、爛熟化させて
一大文明をつくったのであるというのが事実だったのです。

である以上、やはり戦というものも否めないのであるのならば
私たちはなるたけ天上界のご意向に沿うようにというふうに
思ったのが私なのです。
ですから、戦いのためによる戦いというものを
ひじょうに私は忌み嫌いました。
でも、避けて通れぬものならば、なるべく被害が少なく
なるべく人びとを苦しめない形で、どうやったらいいのかということを
私は常日頃から、常に、常に悩んで
苦しみながら指導してきたという結果があるのです。

人びとを幸せにしていくには、どのようにしたら、どのような体制の中で
最小限で人びとの犠牲を済ませて、国というものをつくっていったら良いのか。
どういう時代が次に広がる、展開されることを神はお望みになっておられて
今があるのか。
そのようなことを常に私は考えておりました。

常に悩みながら天に界とのパイプというものがあると
皆さま方、お思いかもしれないけれども
神々はけっして、そのままの答えは与えられないのです。
そう、今のレムリアのあなた方のようにね。

だから、いろいろな様々なヒントは与えられます。
語られることもあります。
でも、そこにおいて、じゃあ、具体的にどのような人員体制を敷き
どのように自分たちが出て行ったらいいのか。
そのようなことを、やはり考えるのが
やはり地上の者たちの努力であったということです。

それにおいては、私は自分で、その部隊に対する責任を持たねばならなかった。
そのような立場にいた者であります。
あの時代はひじょうに人びとの気持ちの中に、戦というものが
常日頃から溶け込んでいて、人びとの気持ちに余裕がなかったのです。

ですから、ゼウス神がこの間おっしゃられておりましたように
やはり、人びとに芸術、特に、演劇、オリンピア、運動競技ですか
運動競技とかそのようなものを通して
人びとの心に、娯楽を通して余裕を持たせ
人びとの気持ちの中に余裕を持たせて、調和をさせて、喜びを持たせて
人びとの中に、新たな神の国づくりのための原動力となるものを
バランスを取らせていくような
そして生まれてきたことを喜んで感謝できるような
明るい地盤というものを、魂の境遇というものを
人生の喜びというものを打ち出されたということ。

そのことをもって、ギリシャの文化の特色というものを
おおらかさをもって打ち出されたということが事実なのだと思います。
それぐらい、戦乱に継ぐ戦乱の時代であったのです。

日本の中におきましても、卑弥呼様の時代の、遥か昔におきまして
国づくりの時代、やはり戦に継ぐ、戦の時代がありましたでしょう。
やはり、ヤマトタケル様とか、あのあたりの方がたが
必死に日本全国を統一しながら
この日本の国というのを
おつくりになられた時代というのがあると思うのです。

やはり、そのような時代におきまして
人びとに戦というものは防げないものであったし
必然のものであったしでも、なればこそ
天上界とのパイプというものをつなぎながら
人びとに、国民を幸せに指導していけるような、体制づくりをつくるために
その間に出た日本神道の神々と呼ばれている方がたが
やはり、同じように卑弥呼様とか、天照様とおっしゃられるように
天上界からの霊言をとりながら、神降ろしをしながら
国づくりの基本というものを固めていかれたのだと思います。

ちょうど、こちらが、日本、東洋の重要なメインポイントであるのならば
私たちギリシャというのは、その後の西洋文化の発祥の地でございます。
ですから、その部分においての
日本においての国づくりの基礎を日本神道の方がたが行ったのと同じに
私たちが西洋文明の、西洋社会のスタートをきる、その基盤を
あの時代に国づくりという、荒々しい戦というものと
知恵、文化の爛熟というその方向性、学問の方向性というものを
天上界の神意を、地上に降ろしながら、我々が頑張って東洋と西洋の源流の
ひとつの拠点をつくったという、そのような意味においては
ギリシャとギリシャの多神教におきます我々と
それと、日本神道の神々と天照様たちにおかれます
日本神道の神々の役割というのにひじょうに似ていると
そのように思います。
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まあ、そのように、私たちよりもっと上の神々が
そのような地球計画をつくられたとき
今回の文明の計画をつくられたとき、そのような計画をもって
私たちがそれぞれに配属されているということがございます。

私も、ご存知のように、ギリシャの時代にアテナとして出ましたけれども
やはり、日本神道の古代の時代にも出ております。
そして、やはり神降ろしをし、戦い、武術をもって国をまとめるという
そして、巫女としても霊言を降ろすという
そのような、同じような立場にいたのです。

あの時もやはり、薙刀のような、槍のようなものを持って
攻めて来る敵と戦っていたのが事実なのです。
私は、今回もそうですが、ギリシャの時も
過去の日本神道の卑弥呼様の時代のときも
今回も、常にヘラ様のおそばに出てくるのです。

私とヘラ様はたいへん仲が良くて
天上界でもいつも、いつも一緒におしゃべりをしているような仲なのです。
ですから、あの方が先にお出になられて
あの方がメインでおやりになるときは
私はあの方をお助けするために常に脇に出てって補佐をすると
あとを取っていくという、そのような役割を
常に立場的に取ってきた者なのです。

ですから、今回のことはたいへん苦しくて
本来であるならば、あの方がおやりになったことを
私が脇で補佐させていただければ嬉しいというふうに
思っていたにもかかわらず、あの方を差しおきまして
私のような者が前に出て来なくてはいけないということ
そのようなことを、たいへん心苦しく思っております。
できることならば、早く気づいていただいて
あの方とともにこのレムリアの計画を
仕事をやっていけたらというふうに
まだ私の中には願いとして残っております。

いつも、ギリシャの時でも、卑弥呼様の時代におきましても
おそばにおいてかわいがっていただきながら
私は私なりの役割として、あの時代を
そう、すべての時代におきまして、その使命を預かってきた者なのです。
私の場合はやはり、他の女性方と変わっておりますところが
多少、このように巫女的な部分は持っているのですけれども
戦闘系に本来、所属しているというところかもしれません。

私は過去、いろいろ、やはりございまして
ミカエル様のところにおきまして
修行させていただくという経緯がございます。
ですから、ミカエル様のご指導のもとに
やはり女性にしてはひじょうに珍しい戦闘系という立場をもちまして
人びとに、神のご意思を伝えていくときに
戦いというもの、挫けそうになったとき
特にサタン、ルシフェル、サタンが下に堕ちましてより
魔界の力と戦わなくては、どうしても神の子たちを守れないということ-。

そのような状況がどんどんくるにつけて、やはりひとつの、人びとを励まし
人びとを魔より守り、そして、ひとつの自由の精神として
人びとを鼓舞していくという、激励していくという
そういう精神的なりードをしていきながら人びとを守っていく
英雄を、かつて守ったように
その時代をつくっていかれる方がたをお守り指導していくということ。
そのような立場というものを
私は役割として、使命として預かっている者なのです。

かつて、ギリシャの時代にアテナとして出たとき
皆さま方ご存知のようにアテナイ市というところを守り
オリーブの木というもので、戦いよりもオリーブの木をもって
人びとが潤い、産業文化を発展させていくこと
文化を奨励していくということ
そのようなことをもって私は理想としたのです。

ひじょうに文芸というもの、それから織物とか
そのような産業というものをひじょうに推進しました。
だから、あれほど豊かになったのです。

人びとに「頑張りなさい」と
「さまざまな可能性が、
文化を爛熟させていくには様々な道があるのですよ」と
自由な気風の中で、人びとにその道を指し示したのです。
それをするために、外敵から守るために、私は前線で戦ったのです。
ですから、けっして、戦いたいために戦闘系にいるわけではないのです。

(2005.6.23 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-09-10 08:27 | アテナ | Trackback | Comments(0)

アテナからのメッセージ

私は皆さまがご存知のように、ギリシャの神話の中におき
アテナと呼ばれた戦いの女神
知恵の女神と呼ばれている役職にいる者なのです。
私が、けっして、それほど戦が好きであるとか
けっして、私がそれほど聡明であるということもございませんが
やはりその時代、その時代の中におきまして
地上の人たちを指導する役割というものを
ギリシャにおきましては、それぞれの光の天使たちが役割を分担して
出て来たという事実がございます。

私はゼウス様といわれる霊人に、たいへんご縁が深く
また、ひじょうに天上界おいても
かわいがっていただきましたご縁をもちまして
ギリシャのときに、私は娘としてご縁を持たせていただいたのです。

戦というものは、人びとが寄り集まり
男性たちがその時代を切り開いていく流れの中において
好む好まざるとに関わらず、社会を変革し
この地上にひとつの時代をつくり上げていくときには
致し方ないものとして
戦というものがあったのが、連続してきたのが人類の歴史かと思われます。

しかし、私はけっして、好んで戦をするとか
戦いのための戦いをしたいということを
けっして、望まぬ者であったと思います。
しかし、戦をしなければ社会が確立できず、そして人の寄り集まるところ
やはり戦がどうしてもついて回るのであるのであるのならば
それを私のような女性霊という立場において
人びとを和ませつつ、知恵をもって指導しつつ
なるべく悲惨な結果にならないようにと
国をまとめ上げていく助力をできるような
立場にいたらというふうに思いまして
私自らが、戦闘系のほうに出向きまして
そのような修行をさせていただきながら
神様より与えられた、戦いの女神的な形の使命というものを
行わせていただいているのが実情なのです。

けっして、人と人がぶつかり合うときに、戦というものがあったときに
人びとがそれを好んで起こした戦ばかりではないと思うのです。
人は、やはり自分の力により、自分たちの目的により
己の正義のために、大義のために、精一杯頑張るのであるのですけれども
やはりそれぞれの思いというのが違ったときに
方向が違ったときに、人びとはぶつかっていく。

でも、そのときになるべく大衆を巻き込まないように
社会の基本の根幹を、基盤を打ち込んでいく、そのようなときに
私はなるべく人民の心を大事にしながら
社会体制をつくっていくということ-。
その意味におきまして、私たちの時代には
英雄と呼ばれるのがひじょうに男性的なものとして
尊ばれていた時代がございますけれども
そのような者たちに知恵と勇気を与え、励ましを与えて
男性の英雄と呼ばれている方たちに素晴らしい仕事をしていただきながら
時代というものをつくっていく、そのような原動力となっていく
そのような守護をしていくという立場にございました。

ですから、私自らが、槍を持ってとか
まあ、私も戦場には出ましたけれども
私自体が戦ってという
そのような力がそれほど男性方に比べてあったというわけでもないのです。
ただ、私はその後に、ジャンヌ・ダルクという
ひじょうに私の仲のよい霊人がおられるのですけれども
彼女も同じだったと思います。

馬に乗り、先頭に立ち、指令を下しながら、男性方を鼓舞し、励ましながら
ひとつの神の目的である戦いの先頭に立つという
そのような意味におきまして
やはり男性方に対する、やはりひとつの方向性というもの、何が正義として
今時代の流れの中で神が望まれているのかということ
そういうことを人びとにお伝えしながら、励まして、頑張って戦うのですよと
女性の立場から男性方を励ましていった。
それが、ある意味で戦いの女神と最終的に言われたことかもしれません。

ですから、私が、何が何でも槍や刀を振るってやっていたというのが
それはひとつの時代の中における誤解でもあります。
さっきおっしゃられましたように、私は父のもとで育ちまして
小さいときから、やはり槍や剣術などというものを
元々がおてんばな魂でございましたから
小さい頃から、日常、父の相手をして育ちました。
他にも武術に優れた者が多々おりましたので
その者たちと一緒に、剣の稽古などをよくいたしておりました。

私自身は、弟のアポロンが、もっとしっかりしてくれて、父のあとを取って
しっかりと戦に出て指揮を取ってくれるのであったのなら
自分自らが出てこようとはしなかったと思うのです。
ですが、私の弟は、どちらかというと武術を嫌がりましたし
戦で血生臭いことがありますと
まあ、私に言わすと多少、現実逃避みたいなところがありまして
王家のあと取りであるにもかかわらず、そういうものを嫌がり
竪琴や詩やそういうものに、どちらかというと自分の世界に引きこもって
その世界の中で、自分自らが逃避するような形の中で
神との対話というのを続けるような、そういうタイプの物静かな
でも、優しい気持ちな、そういう弟でした。

ですから、あのままでゼウス神が、父が倒れてしまった後に
もし、私が出て行かなければ
あの時代はあっという間に他の国に占領されてしまうという
マケドニアという国が追っていて、いつもギリシャの平和というものは
戦の中における
お互いの微妙な均衡のバランスの中においての繁栄発展でしたから
ちょっとでも弱い後ろ姿を見せますと
あっという間に植民地化されて、属国になって
私の愛する国民たちが奴隷として連れていかれて行ってしまうというような
そういう時代だったのです。

ですから、私は、父が負傷し、弟が立たないということを見たときに
私が自ら出ていって、「これから全軍、私が取り仕切ります」と
「だから、みんな私を助けて、ぜひ命がけで戦っていただきたい」
ということを申し上げて全軍を取りまとめて馬に乗ったのです。
そのような実情があります。
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そして、今で言う、アテナイ市と呼ばれている
その私の名前が付いたという、その地域ですね、ギリシャの地方都市です。
その周辺の地域なのですけれども、その地域を守り
私の保護のもとにその国は安定した、学問においても、文化においても
ひじょうに最高度の文化圏というものを
その時代につくったという事実があるのだと思います。

ギリシャの文化については
ヘラ様がこの間、申し上げていらっしゃいましたし
アポロン様もおっしゃられておられましたので
私があまり重なるようなことは申し上げませんが
やはり、デルフォイの神託などにおかれますように
そして、ゼウス神やヘラ神が、あの当時、神様からの
天上界からの通信というものを受けながら
ヘルメス神やオフェリアス神に対してのご指導を受けながら
やはり、地上の新たな文化をつくるための
そういう体制づくりのために頑張っておられたという
ちゃんと天上界との通信というものを前提とした文化圏でございました。

ですから、人びとはみんな神の子であるということを
神に創造された、素晴らしい自由意志を持った存在であるということを
みんなが喜び、謳歌し
それを表現していたのがギリシャの時代だったのです。
ですから、明るく屈託なく
そして色とりどりに芸術も咲き誇ったのだと思います。

(2005.6.23 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-09-05 07:05 | アテナ | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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