地球を愛の星へ

カテゴリ:アポロン( 6 )

アポロンからのメッセージ(6)

あなた方が、もし悟りということを極めていきたいのならば
難しい学問をすることも大切かもしれないけれども
今これからレムリアで説かれていくことを通して
ひじょうに簡単に到達していくのならば
愛が何であるか愛を難しい理論で語る時代は終わり
それを今度は感性の中により、自分の自らの感性を通して
自らの内側にある愛一元の、神の子の思いの
光の天使と呼ばれている光そのものの、神の子の部分を通して愛を学び

神の子になっていくという、その道を通して悟っていくという
これからはそのような悟り方、そのような修行の仕方を通していくほうが
もしレムリアを手本とし
レムリアを通して学びながら自分を進歩させたいと思うのならば
そのような手段のほうが
私は少しでも高みに行けるのではないかと思います。

けっして、高く登ることだけがすべてではないけれども
やはり向上心というものも大事ではあります。
自らを少しでも、昨日の自分よりも一歩でも、今日があり
明日の自分が一歩でも、今日の自分より進歩し、多く人びとの幸せのために
貢献できる自分として成長したいと思うことは、素晴らしいことであります。

ですから、悟りということを通さずとも、自らの進歩を通し
他者への愛のために貢献し、奉仕してくという
その愛の姿、原理そのものを通して
この感性というものを通したレムリアの教えの中で
あなた方は学び、神の子に戻っていき
愛の神そのものの懐に抱かれ包まれていくという
そのような道も、今回のレムリアの霊言を学んでいく
過程の延長にあるのだということを申し上げておきましょう。

ですから、たいへん易しい言葉で、一般的な語り口調で
この方の口調を通して語られるのがレムリアの教えであるかもしれません。
でも、一人ひとりが、その学んだことを自らの魂の中に照らし合わせ
自分自身の神の子としての神性をどれだけ解放できたかが
逆にいうと今世の最終決算の修行の課題でもあります。

そして、それを光り輝かせた光の量、愛の量を通して、社会をどれだけ改革し
どれだけ愛の光を発信することによって、多くの人びとの心を通し
社会を変えていくことがまた可能になったかということをもって
愛の実践がどれだけあなた方の人生の中でできたかということを
また問われる行動の原理にもなるのです。

ですから、思いにおいて、魂において、どれだけ口先で言い訳をしても
その方の魂を見て真っ黒であるのならば
どれだけ口先で、一生懸命、言い訳をしたとしても
その言い訳は天上界に帰って来て通用しないのです。

一生懸命言い訳をする方たちのことを見ていても
そのように反省できぬ思いの中で、自分を守るために
一生懸命塗り固めたとて
その真っ黒な心では我々の世界へは帰って来られないよとー

ほんとうに神が愛深き平等であるのなら、私たちはなぜ如来界に
なぜ私たちを九次元のところに入れてくれないのか。
それは神に愛がないからではないか。
そのようにごねているのと同じように思うのです。

段階があって、上にいるから偉いのではなく
ただ学んでいないから、学ぶ必要があるから
今あなたは、あなたの位置において学んでいらっしゃいと
言っているだけなのです。

すべての苦しみも、悲しみも孤独も、すべてが愛を学んでいき
自らの愛の神性に気づくために、すべての時はあります。
学びはあります。

それを、今学べる、ありがたい素晴らしい時代を、素晴らしい時代精神の中に
あなた方は、今肉を持ち、地上で修行されておられるこの時ということを
感謝し、無駄にせずに、この数十年の地上での修行を終えられ
帰って来ていただきたいと思います。

私はこれからもレムリアを指導し
これからもレムリアにおける、ルネッサンスの時代精神として
次の時代にかけてもあなた方を善導していきたいと
指導していきたいというふうに望んでおります。

ですから、これからもあなた方の要請があれば喜んでこのように参ります。
ですから、どうか、私もひじょうに近い縁があるものでございますから
いつでもお呼びいただけたらと思います。

愛深き神の子たちよ。
神の本源に戻るために
さあ、愛の旋律を奏でましょう。
難しき言葉は何も生まず
難しき言葉により人びとが救われるのではない。
ただただ深い愛と、分かち合いと
調和の精神により地球は救われ
愛の星として輝かん。

人びとよ。
もう一度、神の懐の中に
愛深き神の愛の慈悲の中に
今一度
手を携え、手を取り合い、戻りましょう。

私は次の時代にかけ、あなた方にこの教えを、感性を通し
語り伝えていきたいと思います。
では、今日は、これにて失礼させていただきます。
ありがとうございました。

(2005.6.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-12-29 15:48 | アポロン | Trackback | Comments(0)

アポロンからのメッセージ(5)

どうか皆さま方におかれましても
愛の共鳴、愛のバイブレーションというものは
あなた方が語る以上に深い、深い共鳴性というものを持っております。
共鳴というのは、離れていても
人びとがほんとうに愛の本源、愛のエネルギー
神の天上界からのバイブレーションというものに感動し
語り伝えていくのならば
必ずや内に入っている神の子としてのみんなが共通のバイブレーションが
愛の波動と同じものを、このレムリアの指導霊たちは
天上界からのメッセンジャーたちは、同じ波動を地上に送っているのです。

それを、CDを通して、私たちの言葉を、そして文章を読んでいくうちに
読まれる方がたの中に、すべての方がたにある愛のバイブレーション
根源の神につながる神の子としての愛の波動に共鳴するのです。
共鳴したものは共鳴したものを生み、振勤し
愛の波動が駆け巡っていくのです。
そうやって、人びとの神の子としての愛の波動に点火されていき
人びとの心の中に神の子としての自覚が次々と芽生え、光り輝き
愛のたいまつが点々と、ろうそくの炎のように、次々と点火されていく。

まるでクリスマスのキャンドルサービスのときの、キャンドルたちのように
小さな、小さな光であっても
すべての光が順番に順番に点火されていく中におき
だんだんそれがその熱により、みんなの心の奥にある神の光に
神の心に次々と、国を越え、時代を超え
人びとの心に神の子としての光が灯されていき
いつの間にか大きな、大きな神の愛の熱、炎というものが
光というものがこの地球を通して輝きわたるような
地球すべてから愛の光を発信する、愛の星へと共鳴することによって
地球中を覆うような、そのような愛のバイブレーションの輝きの中に包まれる
そのようなことを私たちは希望し、夢見ております。
それが天上界の夢です。
何もないところに、無理やり火をつけようというのではないのです。

もう、私たちが創造の最初から
神によりつくられた愛一元の魂たちであるという
その魂の内奥にある、そのフレイム、炎、炎ですね、炎のきらめきの中に
私たちの愛という灯火に点火していく
そのような光の行進というもの、それを点火していく。

そう、まるでオリンピアの
オリンピックと呼ばれている聖火のリレーであるかのように
レムリアは天上界のその神の光というものを
レムリアの霊言という愛のバイブレーションという
たいまつをもって行進するのです。

そのたいまつを持っていけば、必ずやそのたいまつを愛のバイブレーションに
天上界から降りてくるメッセージの愛のバイブレーションに
それを聴き、感銘した者たちが自分たちの心の奥にある
神の愛のバイブレーションに火を灯します。

ひとつひとつ小さな神の子たちのキャンドルに火が灯り
それを灯しながら、灯しながら、あなた方は行進して行くのです。
それを発信し続けていくのです。

光一元の、愛一元の教えこそが神の根源であります。
悪などはその迷っている、学習がまだ至らない、愛を学ぶ途中の者たちに
その結果として
今、一時の因果として結んでいるだけの影にすぎないということ。

そのような考え方をもちまして、あなた方は絶対的なる宇宙の根源の、愛の法則
愛の神というものを認め、愛の法則のもとにつくられし、愛の神の子たちの
その心の中に光を灯し、そのために、今、霊言があるのだということ。

そして、灯された一人ひとりのキャンドルである神の子たちは
みんな力を携え合いながら、次の愛の時代がくる、愛の精神を基盤とした
愛の星の実現へ、それこそが神の国の実現であるということ。
そのことをもってあなた方の使命とし、地球人類として次の時代に
愛の輝ける地球として、愛の地球、愛の星として、地球を輝かすことをもって
次の宇宙時代の幕開けとさせていくのです。

その神の子である、神の意識の
愛のエネルギーの分けみたまの自分たちであるという
最低限の共通認識を持たねば、次の時代において
宇宙の仲間たちと共通理念において
彼らと同じ段階での話し合いというステージには登れないのです。
他者を傷つけ合ったり、侵略したり
自分の我欲のために他者を踏みつけにしたり
支配していこうなどという愚かな考え方があるうちは、愛の分かち合い
共鳴の波動の中から弾かれてしまうのです。

さっきから何度も申しますけれども、波長同通なのです。
愛の波動理論から見まして
愛を持たぬ者は、そうでないものが混じっていったときには
愛という磁場からははねつけられ同調できぬという
彼らとは意思をコンタクトしたいと思っても、彼らとはコンタクトできない。
彼らはすぐ近くに来ていてコンタクトしたいと思っていても
一部の霊能者以外、そういう感性を持った者たち以外とは同通できないのです。

それはなぜか。
心の中に愛を思う比重が少ないということなのです。
霊能力だけではありません。
あなた方の中に霊能者と呼ばれている方たちが
いろいろ巷にはいるでしょうけれども
愛をもって神を語ることができてこそ真の霊能者なのです。

それは霊能者という言葉を使わなくても
みんなが愛というものを深く自分の中に蓄え
愛という波動の中で、その精妙なバイブレーションの中で、魂を磨き上げ
日常生活を行っていくことができたのならば、どんなものでも
愛というバイブレーションの、共通の波動の中において
天上界の我々とコンタクトできるのです。
宇宙における仲間たちの声を、本来は聞くことができるのです。
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我々の世界は愛一元、愛の波動そのものであります。
宇宙の、宇宙から来られておられる、兄弟たちにおかれましても
地球をたいへん心配し、愛の思いで見守られております。
波長同通の原理においてのみ、我々の言語というものは理解できるのです。

それができぬということは、その愛の思いから、神の子としての愛の思いから
自分自身の魂が放つバイブレーションが、いかに愛の次元から見て
ひじょうに共鳴できぬレベルのものであるかということを
反省していただければよいかと思います。

たとえ、現象としての霊道現象というものがなかったとしても
人びとの奥に深く眠る愛の思い、神の子としての愛の深い波動に共鳴し
自分が掘り下げていくのならば、必ずやインスピレーションとか
様々な文章を書く、言葉を、語る言葉の中に
神の意思というものは常に入ってくるものなのです。

そして愛の深さがそのまま人徳となり
人びとを惹きつける魅力となっていくものなのです。
それが神の子としての光り輝く道なのです。
修行していく過程なのです。

いたずらに霊言を欲しがり、いたずらに霊道現象を求めるのが
そこから阿羅漢になろう、如来になりたいなどと思うこと
そのもの自体が基本的に間違っているのです。
そんなものではなく、愛深く、愛深く、他者を自分のように思い
愛して世の中のために、少しでも人びとの愛を受け入れて
神のご意思を地上に広めて、愛の中で生きていきたいと
切に、切に願っていく。
そのような知恵と深い精妙な愛のバイブレーションが
自らの魂の中に蓄えられたとき
人びとはいやでも神の声を聞くことができるということ。

それが宇宙の本源につながっていく智慧になり
いつでも神のもとからの叡智というものを、自分のパーニャパラミタを通して
人びとが引き出すことができる。
それをもって、たとえば九次元の救世主界におられるような方がたの
あの叡智は存在するのです。

その時代の中で知識を、少々、ゴタゴタと学んだからといって
あのような方がたのようになれるでしょうか。
時代は変わり、そのような価値観も、学問や学識のレベルも変わるのです。
であるなら、なぜ、あのように叡智、知恵深き素晴らしい
万能の天才のような方がたがおられるかと申しますと
あの方がたは自分の中において愛深き思い、神に同通する道というものを
深く、深く学ばれたことにより、本源である神のエネルギー体に直接同通し
その中から神の叡智というものを自由に引き出せ
ご自分たちの智慧として活用できるという
そこまで悟られた方がたであるからこそ
あのような指導、大指導霊、大救世主と呼ばれている世界におられて
人びとを善導することができるのです。
地球を任されていることができるのです。

ですからひとつの時代の中において
どれだけ優秀であり、知識を蓄えたといっても
それは時代を貫き、星々の価値観を超えて
それでも、なおかつ不変の真理、叡智となるには
神の叡智というところまで到達せねば、真の智慧者とは言えないのです。

その真の智慧者というのは何であるか。
最後はどれだけ責任を取り、どれだけ多くの方がたを愛し
どれだけの多くの方がたを幸せにしていくことができるか。
そのような決意の中に生きておられるか。
そのような思いの深さ、愛の深さにより
その方の叡智というものは愛の根源により任され降りてくるのです。

(2005.6.16  レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-12-13 18:04 | アポロン | Trackback | Comments(0)

アポロンからのメッセージ(4)

ならば、なぜ神はそのような状態を放っておくか。
地下の者たち、魔王と呼ばれている者たちに関しても、説得には行きつつも
なぜ彼らを強く罰しないのかと申しますと
それはこの地球という修行場の中において
人びとは愛が何であるかということを学ぶために
存在しているということなのです。

愛が何であるかということを学ぶということは、愛一元である自ら自身
神の子が何者であるかということを学ぶことにもなります。
そして、宇宙を統べる愛の法則である、愛の本源である神を理解していく
神の愛というものにたどり着いていく、愛を学んでいく
神を学んでいくための悟りの道
それが、その途上にある者たちが今、集って修行しているのが
この地球というもののレベルなのかもしれません。

だから、調和され、そのような段階を越え
宇宙を越えていく愛のエネルギーというものをもう学び
一人ひとりが愛の化身、神の愛によりつくられた
自らが愛一元の神の子であるという認識に至った
宇宙の他の惑星の者たちにしてみましたのならば
自分を愛するように他者の愛を、他者を生かしていくということ
それが自分たちの共通の親である
宇宙の根源の愛の神に対するほんとうの親孝行であり
神の愛に報いる道であるということを、おのずとみんな知っているのです。

深い、深い所におきまして、私たちは愛によってつくられた
愛の親である神の子どもたちであります。
その意味におきまして、地上における仲間たち、生きとし生けるすべての者は
私たちは、奥にある神性におきましてひとつであります。
愛の子どもたち、愛である親の、根源の神に創造されました愛の子どもたち
それが私たちの姿そのものであります。

でありますから、誰一人として根本的に悪の方はいらっしゃらないし
愛というものを理解するための、途上の
まだ修行中の、学ぶ途中にある者たちであるということ。
その愛を学ぶために、神の愛というものを学ぶために
様々な戦争や傷つけ合いをして、他者だけを傷つけるのではない
他者を傷つけたと思ったのがほんとうは自らも傷ついていたという
苦しみを生んでいたという、その連鎖の中で、人びとは愛というものを
他者を傷つけ合うということがいかに愚かなことであるかということを
そのことを皆、学んでいくのです。
それを神はお許しになっておられるのです。

なぜなら、時は永遠なのです。
魂は永遠の時を与えられております。
その中で、次々と起こることを通しながら
神は忍耐強く私たちがひとつずつステップアップして
学んでいくことを待たれておられます。
「愛一元として、愛の化身そのものとしてつくられし、光り輝く神の子たちよ。
そなたたちが神の子たちであるということを
愛の魂そのものであるということに気づき
我のもとに帰って来なさい」と、神は常に呼びかけておられます。

愛のバイブレーション、愛の旋律を奏で合う者たちは、愛の共鳴を生み出し
愛の波長同通の中で、この地上は清められていきます。
愛ばかり語るレムリアと言われるかもしれませんが
我々が今、レムリアに出て伝えていくこと、その時の共通テーマは愛なのです。
愛が何であるかということがわからぬから
地上には様々な戦乱と苦楽の歴史が起きているのです。

人びとがもう一度、原点に戻るために
愛の神の本源の、神の子としての原点に戻るために
私たちは今
そのひじょうにシンプルな愛というものを様々な角度から語り伝える
そのようなことをもって、統一認識として今、レムリアに出て来ているのです。

バラバラのことを言ったのなら、レムリアは混乱するでしょう。
ですから、今人類が学ばなければいけないことを一点に絞り
我々はそのことをメインにして様々な個性を通して
役割を通して私たちはあなた方に話をしているのです。

ですから、愛しか語れないのではなく、愛をメインに語っているのです。
そして、その愛とは何であるか。
愛こそが神そのものであり、私たち、一人ひとりである人格を持つ神の子たちの
その本体そのものが愛であるということ。
簡単なようでいて、愛が何であるかがわからぬから
人びとは何も学んで成長していないのだということ。

何をなせばいいのか、愛が文字だけで書かれ、文書だけで書かれたとて
そんなものは実践を通さなくては、愛というものが何であるかわかりません。
実践を通し、愛の言霊を本来、人生の中で奏でることができた者は
それだけで神の使者と呼ばれます。

マザー・テレサと呼ばれていた方がいかがでありましょうか。
言葉だけで語られたでしょうか。
マザー・テレサと呼ばれている方の言葉も美しかったけど
彼女の言葉、行動、人生、活動そのものが、愛の表現でありました。
その両方が伴ったとき、人びとは神の使者というのです。
神を感じるのです。

愛を極めたときに、人びとはそこに、愛を極めた姿の中に
根源である神のお姿そのものに同通し、感じ取ることができ
自分の中にある愛のバイブレーションに感応し、感動をもってその方を通して
親である宇宙の根源の愛の神という姿を見させていただくことができるのです。

ですから、愛深き者になりなさい。
許して、許して、自らも許し、生かし、感謝し
人びとの中に愛というものを奏で合うような、そのような社会にしていく。
そのような時代をつくっていくということ。
それが、次の世代に課せられたあなた方の使命でもあります。

愛というものをほんとうにわからなくては
キリスト教と呼ばれているものだけにおける
その神というものの、イエス・キリストが説かれた
神の愛というものを説かれました。
そして、イスラム教の中におかれましても、仏陀の慈悲の中におかれましても
愛というものは様々な形を通して語られてきたのです。

でも、今、それらすべて学んだ上で、その集大成
そしていちばんわかりやすい言葉で愛が何なのかというものを
総合的な学習を通しながら、実践を通してー
実践というのはそのまま時代を変えていく行動原理そのものを言うのです。

愛というものが語られた宗教が
政治体制や社会の基盤とかけ離れていたときではなく
愛というものを語っていく言葉が、そのまま社会に影響し
人びとの心を変えて、人びとの心の連結を生み
その感動と同調していくバイブレーションの中で
社会の基盤そのものが変化をとげていく。
そのような行動、実践を通して
愛というものがこの社会の中に具現されていく。

それをもって、神の国、仏国土を実現させるという
高橋信次、エル・ランティという方が、最初、悲願のように申されていた
神の国、仏国土の実現を目指して頑張ろうとおっしゃられた
その言葉の意味合いが生きてくるのです。
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高橋信次、エル・ランティと呼ばれる方は
地上に今回お出になられ、その個性を獲得され
今もエネルギッシュに天上界においても地上に来ても頑張られておられます。
我々が「父よ」と呼び、愛し、尊敬し、敬う方でもあられます。
あの方の熱意は、かつてのG会と呼ばれているものを通して
八正道というものを説いた
それだけにおいても、今や「高橋信次教」と呼ばれるような
熱烈な方がたがおられるのも事実でありましょう。

生前、お会いしていた方においても、お会いしていなく
その後にその教えを知られた方におかれましても
熱烈な方がたがおられると思います。
であるならば、それほどに偉大な魅力のある方であったのならば
かつての八正道を説いた、その魂の悪霊のこととかを説いた
それだけでほんとうに終わってしまうような、そのようなことだけで
高橋信次と呼ばれている霊が終わりを告げているかといったら
とても、とてもそのようなものではないのです。

あの方がそこで説かれた法というものは、ほんの切り口でした。
そして地上におかれて個性体を獲得されたということをもって
天上界より自分の肉体というもののかせをはずした意昧での通信を送り
地上の者たちを善導していく、指導し
まさにエル・ランティこそが夢に描かれた地上仏国土
地球を愛の星に変えていくという
その最後の総決算の大計画の陣頭指揮をとられておられるのが
エル・ランティそのものであられるのです。

それほどに、高橋信次と呼ばれる方が
行われようとしていた使命というのは大きく
熱意というものは破格的なスケールの中にあるのです。
ですから、慕って、あの方を慕って
G会とか高橋信次だけを祭り上げる会があちこちにありますけれども
あの方を師と思われるのであるのならば、あの方はそんなちっちゃな
ちっちゃな日本の一新興宗教の教祖だけで終わっていたような
そんな小さな方ではないということ。

もっともっと、破格的な大きな、この地球人類の命運をかけていくような
そのような陣頭指揮に当たられるような、偉大な生命体であるということを
師に対して敬意をもって認め、この地球人計画の、大改革の運動の中に
高橋信次によって指導された方がたよ、集結し
高橋信次がこれからやられようとしておられる計画に対して
力を貸していただけるのが真の弟子の筋ではないかと
私などは思うのであります。

(2005.6.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-11-30 15:58 | アポロン | Trackback | Comments(0)

アポロンからのメッセージ(3)

今あなた方が聞いている法の内容が、どのような内容であるかということが
そのレムリアの、今語られていることの内容が
あまりレベルが高くないのではないかとか
内容的に物足りないのではないのかというふうな議論が
多少、あるのかもしれませんけれども
私がかつてのギリシャのとき、それ以降の中世とか
近世代の時代にかけて法を数々説いてきた者としまして
今はこのようなハイレベルなものという、法を説くことができる
ありがたい時代であるというふうに私などは感じているのです。

神がほんとうは人格神ではなく
宇宙を統べる愛のエネルギー、愛の旋律、愛の波動、創造エネルギー
そのものこそが神であるという、それはある意味で
天上界の、ある水準以上の者たちにおきましては
当たり前のことであったのです。

地上に降りて、この地球に最初、参りましたときから
それは、ごくごく当たり前のことではありました。
でもそれを地上の者たちに語るのには、長い、長い年月をかけ
時間をかけて人びとの意識が上り、理解してくれるときを待つまで
私たちはその言葉を語ることはできず
いろいろな偶像に似たような物を使ったり
人格神という形を通したりしながら、人びとに神というものを実感させ
そして、ギリシャにおきましても、人格神の姿を通して
天上における神という、神の荘厳さというものを
やはり神人と呼ばれますけれども、神の人と言いますね
そういう者たちの存在を通して、人びとに伝えてきたという
ひじょうに難しい、対機説法のように
難しい段階的なものというものを通して私たちは法を説いてきたのです。

ですから今、あなた方がこれだけの科学文明が発達し
そして人間的な意味においても、法においても
数々の地球上のありとあらゆる宗教においても、天上界はひとつであり
そしてそれぞれの降りていった人格神たちが説いた法は
根源においては、天上界においてはひとつであるということ。

そして、人びとが愛の原理の中において
愛の神から降ろされているひとつの分霊、分けみたまと言うんですか
あなた方は分霊としての神の子であるということ
転生輪廻というものを通して永遠の命の中、永遠のときの流れの中を生きる
神の子としての愛の生命体、愛の光そのものであるということを
それを今、あなた方は知ることになったのです。

それは簡単なことのように思われますけど
たいへんに高度なことなのであります。
そのことがわからぬから
人びとは今まで数々の戦いや殺し合いの歴史をつくってきたのです。

永遠の流れの中を、自分は愛の神の、愛と呼ばれる
愛の旋律の中のひとつの分けみたまとしての、神の子である
自分は本来は愛そのものの旋律であるという、波動であるということ。
そのような一筋の光であるということ。
そのことを理解したのなら、人びとは本来の自分自身に
神の子としての自分自身の本来の姿に戻っていけるはずなのです。

自分自身が何者であるかを知らされていなかった。
自分がほんとうに性善説に対する性悪説のような
自分が、元々、罪の子であるのではないかというような
ひじょうに深い、自分に対する烙印を押しかのような思いがあったから
その中で人びとは、自分自身が、ほんとうはみんながすべて神の子であり
愛の化身そのものであるという観点をどうしても見極め切れなかったから
人びとは善意でものを考え、他者を助け合い、愛を分かち合い
本来の愛の神である、宇宙の根源の、愛の神の懐に戻っていくような
そのような愛そのものになって、神に奉仕していこう、愛の神のもとに
そうやりながら戻って行こうという、そのような方向性というものを
思いというものを持てないでいたのです。
信仰心というのは、今、語ったこのことに尽きるのです。

宇宙を創造されておられる神は、愛の法則、愛のエネルギー
慈愛の塊、愛の旋律そのものであります。
それ以外の何者でもないのです。
そこから別れ、ビッグバンにより創造されてきた中において
私たちはその神が愛一元の中におきまして
その愛一元の中から、一筋の愛として
それぞれの個性体を、役割をつくられて
様々な個性体をつくられて創造されたのです。

でありますから、愛一元から出たものの中に悪はないのです。
私たちの根源は、すべてみんな同じ神の子という本質におきまして
愛一元なのです。
愛そのものなのです。

その愛一元の思いの中において、自らが愛に生きるとき
人びとは神の懐の中に、宇宙の根源の本質の中に
同化し戻って行くことができる。
人びとを傷つけ、人びとの、他者の悪口を言い、他者を低めようとする心は
愛のバイブレーションとは異なってくるのです。
そのような中において、人びとは苦というものをつくっていくのです。
愛そのもの、愛一元の魂に愛と異なるものをつくるから
病や苦しみや艱難苦難というものができてくるのです。
でこぼこができてくるのです。

ですから、自分自身のことも、他者のことも
愛をもって、愛の許しの中において
互いが生かし合い、認め合って生きていく社会の中において
人びとは愛一元の、神の子の本質に戻って行くことができるのです。
そのような世界の中でしか
人びとは本来の神の子としての本領は発揮できないようにできているのです。
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他者を陥れ、他者を傷つけ、他者の悪口を言う
その他者の個性の発現を妨げるようなことをしていったとき
それは傷つけられた相手もいっときは苦しむかもしれないけれども
愛の教えに、愛の法則に反したことをした者は
必ずやその者に、やったことは本人に戻ってくるという
それは宇宙を貫く法則によって
本人に何倍もの苦しみとして戻ってくるのです。
それを高橋信次、エル・ランティと呼ばれる方は
しっかりとお教えになられたはずなのです。

それと同時に波長同通という法則がございます。
波長同通とは、愛を持つ者には、愛深き者たちが集うということ。
他者の悪口ばかりを言うような、批判的な、攻撃的な悪意を持つ者たちには
やはりそのような者たちが集ってしまうということ。
そのことをもって、人びとはしっかりとその結果を自分で刈り取っていく
仏教では、因果応報と申しますけれども。
そのような因を自分でつくったのならば
その果というもの、結果というものは
自らがそれを結んで、それを喜んだり、悲しんだり
結果を自分自身が享受するということをもって、自分の自己責任として
神の子の自由意志というものが与えられているのが
この宇宙の法則なのであります。

ですから、誰か、神が罰するのでもなく、愛一元の教えの中において
愛一元の存在の中において、もし、他者を傷つけるようなことをしたのならば
神が裁いたり、仏教では閻魔大王というのですか
そのような者たちが地獄に行きなさいといって裁くのではなくて
自らの内にある愛の本源と同通する愛一元の、神の子としての自らの気持ちが
自らの神の子の神性が、自らのやってきた生涯を
自分自身で、自己責任において裁いていくのです。

それが地獄に行くとか、天国に行くとか、煉獄に行くとかいう
言葉になるのです。
けっして神が裁いたり、神は脅しや裁きというもので
人びとを威嚇する存在ではないのです。

誰に聞かずとも、人びとが悟っていける、愛のもとに導かれていくのならば
人びとは自分自身の内なる神により
悟りというものは聞かれていき、たどり着けるものなのです。

悟りは外に求めるものではないのです。
ただし、自らが愛一元の愛の魂である
愛と慈悲の本源であるということをしっかりと知らなくては
自らの神性に導かれるということもないでありましょう。

悪というものに加担し、自らの神性をけがすような
悪しざまに他者の道を妨げるようなことを貫いていくならば
そこにできた悪想念により、悪想念に同通する地下の者たちの助力を得て
そして、その時は、いったんは勢力を誇ったように思うかもしれないけれども
その結果は、死後、必ずや
本人が償わなくてはならない結果として本人に返ってくるのです。
そのようなことをもって、人びとは自分の中で
自分のやったことの責任というものを償わなくてはならなくなるのです。

(2005.6.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-04-05 11:32 | アポロン | Trackback | Comments(0)

アポロンからのメッセージ(2)

私においても同じなのです。
深く、深くつながるとこにおきましては、全く同じ生命体でございますので
私の個性をもって、多少、穏やかであるからといって
情熱がミカエルより劣るということはないと思います。
私は私の役割をもって
その使命を果たしていくということをいつも心掛けております。

ミカエルという生命体は、ひじょうに激しいエネルギー体であり
ときにはひじょうにきつい口調になり
攻撃的なものの考え方をするかもしれません。
光一元の方たちから見たならば
この二元論的な害悪の戦いのように見えるミカエルの発想というものは
違和感というものがあったかもしれません。
多少、そのように魔を討伐するという役割の場所に
部署に長くいたがゆえに
そのような傾向性というのが強いし、この強い攻撃性というか
魔を封印するような強さのエネルギーというものを
神より与えられ、つくられた、そういう個性体であるという
そういう役割もまた、地球を治めていく中において
必要な個性体であるということをもって
神はご創造なさったのだと思うのです。

ただ大きな意識体としますと
ひじょうに強い陽性の攻撃的なエネルギーがあるときに
やはりその中の、全体の魂としての調和というものをとらなくてはなりません。
そのときに、私のように、ひじょうにどちらかと申しますと
穏やかな、一見、消極的に見えるような、そのような雰囲気を持った者がいて
全体のエネルギーのバランスを取るということがあるのです。

ですから、ひじょうに冷静に、ある意味で消極的に
人の裏に回ったように見えるような発想をしながら
かつ、本来のミカエルと同じような使命というものを果たしていく。
そのような、調和というもの、和というもの、優雅さというもの
そういうものもこの生命体の中に入っているということをもって
全体のエネルギー体を、バランスを取っているということがあるのです。

ですから、それぞれの魂が出て行くときには
それぞれの個性の部分というのが順番に出るのです。
本体、分身と申しましても、我々のような場合には
別にどれが本体とか分身とかというよりは、その部分
その大きな生命体の中にある様々な個性の部分が
たまたま、少量のエネルギー体として出て行って地上で活躍し
また戻ってくるという形なのです。
ひとつだけの強いエネルギーの個性だけで全体の個性を表すほど
安易な、容易な形では、天上界の指導霊クラスになりますと
表現というのは難しいかなというふうに思われます。

ですから、意外に思われるかもしれませんが
私はひじょうに物事に対しては、あまり戦闘的な発想は好みません。
この方はかつてのとき、一緒に出て行ったときも
やはり正義感の強い女性でありましたので
父、ゼウスが出られたときにおかれましても
やはり戦乱に継ぐ戦乱の中で、人びとがゼウス神を慕い
ギリシャという国をまとめていく中で、人びとを集めていく求心力としての
あとを取らなくてはならないという使命感がゆえに
女性でありながらもその指揮を取って
その責任を果たしていかれたということがあるのです。

私もやればよかったのかも知れないのですが
私自身の中には、やはりゼウス神が説かれた教えというものを
今度は文芸、芸術を通して
人びとの心に、戦いをもって国を統一するのではなく
人びとの心をまとめ上げていくことにより
人びとの心の中に神というものをお伝えしていき
その過程の中において、人びとをひとつにしていくという-。

地上において、領土においてひとつにするのではなく
人びとの心を、信仰心というものを
芸術に通じる神の奏でる美しい旋律の中において
人びとというものの心をひとつにまとめ上げていくという
そのようなことをもって私の使命としていたのです。
ですから、私は戦いには臨まなかったし
元々、臨むべきものではなかったのです。

この地上における戦乱というもの、戦というもの
いかに正義の戦いであるとはいえ、お互いに傷つき合い
殺し合わなくていい者たちが殺し合いをし、悲しみをつくります。
その大事な息子を、大事な夫を、父親を殺されたその家で待つ者たちの
また深い悲しみを誘うのです。

ですから、いかなる目的があろうとも
それが神のご意思の一環であったとしても
私はそのとき、戦いというものを、戦を通して
人びとの心をまとめるということに関しては、ひじょうに同意できなかった。
納得できなかった。

神のお心というものがハープの流れに、竪琴の流れの中に、旋律の中に
神の愛というものを感じていくのならば
愛の旋律というものを奏でていくのが信仰心であるのならば
私はその愛の旋律をもって、人びとに神の思いを伝えていきたい。

しかし、それはゼウス神やポセイドン神などが出られていた
初期の混乱した時代の中で
やはり、社会を体制的に立て直すという意味においては
あの方がたのご使命というものは確かにありましたので
そういう荒々しい方がたが社会の基礎というものを
国の基礎というものをしっかり立て直されていった後に
私は、今度は内面の教えをもって、人びとに深き信仰心というものを
国という領土というものを
支配体制とか為政者ということの領分を越えたところにおいて
人びとに信仰心というものを、法というものを
人びとに伝えていきたいというふうに
そのように思って地上に出て行ったのです。

ですから、ゼウス神が亡くなられた後から、私の使命は始まりました。
だから、そのゼウス神が、国というもの
国王という形において、国をまとめてこられた
あれだけの領上があったわけですから
それを社会的な体制において誰かが引き継ぎ
それをしてくれるからこそ、私がそのような内面的なことを
一見、やわに思われるようなことの中で
精神論を説くことができるチャンスを持っていけたというのもあるのです。

それゆえ、この方にはたいへんお世話になり
女性でありながらたいへんな前線のところで
格闘しながら戦ってくださったということがあるのです。
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ですから、私はとても信頼し、尊敬し、お慕い申し上げている方でもありますし
私にとりましても、今回のレムリア・ルネッサンスという
ルネッサンスという言葉をもちまして、芸術の文芸復興という意味が
ルネッサンスという教えの中にはありますので
それを次に復興していくときに、私の力もまた出て行くということ。
体制を、新たな体制をハタハタとつくり、倒しながら
別な意味で文芸復興という使命を持った者たちが必ず出てくるのです。

その者たちをもって、新たな愛の価値観による
社会の体制のつくり直しをするときに
必ずやその体制の中に魂を入れる、愛の教えというものを説いていく
それを芸術というものを通しながら、愛の旋律を奏でていくというような
そのような役割をする者たちが出てくるのです。

あなた方におかれましても、まず全体論という
教えと全体の計画の骨格というもの
そして、これからこちらの方向に行くという、風向きに関するご指示というのが
あなた方の霊言集というものの発行を通しながら
なされていくのでありますけれども。
しかし、次の世代にくる中において、体制とともに
その精神的な、ルネッサンスの精神論というものが
ひとつの芸術の雰囲気として、時代を席巻していくことになると思うのです。

あと、まあ、ギリシャのとき
私が説きましたことを申しましてもいいのですけれども
私もあのときに、五大弟子という
大きな私を支えてくれた弟子たちがおりました。
そのうちの数名が今、地上に出ております。
そのうちの一人、エリオンという者が
この方にはひじょうに、本人たちは全く知らず
長いことお互いに惹かれ合う中で、親交を結んでいたはずなのですけれども
やはり彼におきましても
このレムリアに来てほしかったなという気持ちはございます。

彼ならば、いろいろなことがわかったでしょうけれども
いかんせん老齢であるということも含めまして
この第三の計画には合流できない様子なので
たいへん私としても残念な気持ちでおります。

ひじょうに優秀な、心優しい、何が正しいかということを
ちゃんと感性の部分においても
知性の部分においてもわかっている方であります。
エリオンと呼ばれる方は素晴らしい方でもありますので
いつか、いつかまたお目にかかり
こちらに来られることがあればよいかなというふうに私も思っております。
ただ、これも地上の者たちの自由意志でもございますので
私どもは無理なことは申し上げません。

(2005.6.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-02-24 15:47 | アポロン | Trackback | Comments(0)

アポロンからのメッセージ

アポロンです。
このたびは、レムリア・ルネッサンスとして
あなた方が、新たな時代精神を、打ち立てていかれるという
そのような、大きなお仕事をなされるということ。
神の計画の中に織り込まれた最後のチャンスを
この地上に広げていくための新たな試みを
あなた方が請け負っていただけたということを心から感謝し
今日、招霊されたことを光栄に思います。

あなた方も少しずつ
この天上界の計画というものが理解できてきたように思われるが
この計画は遥か昔より
今日の地球の命運をかけた大計画であったということを
そのために様々な大如来と呼ばれている
エル・ランティや仏陀と呼ばれる方がた
そういういろいろな如来の方がたがお出になり、この日本という国を通して
地球の大転換の時というものをつくるためにご用意いただいたのです。

私の役割と申しますと、私の本体エネルギー
それはあなた方がよくご存知のミカエルというものでございます。
ミカエルというエネルギー体の中に
私のような個性が、先ほどお話なされていたジュピター
それからマルティン・ルーテルと呼ばれているような方がた
そういういろいろな方がいるというのも
個性体の一部としてあるということなのです。

今回、私は今を遡ること十年近く前
初めてこの方にコンタクトいたしました。
それまでは、全くこのような運動を立ち上げるということを
この方は何も知らず、かつてのK会というものを辞めた直後で
ひじょうに傷心な思いでおられたのを私は見ております。

ひじょうに絶望もして
もうこのような計画をやるというのは
もう二度と嫌だというふうな強い気持ちで
傷ついて辞められているこの方の気持ちというのは
その時、見ておりました。
でも、もうこの方が辞めるというのが決まっていたそのちょっと前に
もうすでに、この今回の第三の計画というものは
この方をもって発動されるということが天上界により決まっていたのです。

それゆえ、この方に対する呼びかけをしなくてはなりませんでした。
でも、呼びかけをするにはこの方は余りにも傷ついており
本人も、とてもうんざりした気持ちの中で
我々の言葉を聞けるような状態ではなかったのです。

それゆえ、まず私がこの地上に出ていき
数々の光の天使たちが下生していくという計画から
まず始めなくては間に合わなかったものですから
他のところにも出て行きましたけれども
私が、まず最初にこの方に出た時に
もしミカエルを産んでくれと言ったのなら
100パーセントこの方に断られていたはずなのです。

だからミカエルは出ませんでした。
ミカエルからの問いかけではなかったのです。
私からこの方の縁を通じて
この方にお願いに行ったというのがその時の事実であります。

ですから今回、出ているエネルギー体がアポロンであるかと申しますと
ミカエル本体エネルギーが出ていることになります。
アポロンという名前を通しますと
この方はひじょうに優しい思いで私を見ていただけ
「姉さん」と一言うと
ひじょうに優しい気持ちで、心を和らげて私の言葉を聴いてくれたのです。

それですから、私はかつてのギリシャの時代の姿をして、この方に
「また一度、この地上に出て行きたいから、産んでもらえないだろうか」
ということをお願いに行ったのです。
そのような経緯があります。
そして悩みに悩まれましたけれども受け入れていただけ
そしていろいろございましたけど
地上に誕生していったという経緯があります。

ミカエルとか、私のような者が
どのような役割を持ってこの地上に出るかと申しますと
ミカエルの場合は、もうちょっと魔を統治すると申しますか
征伐するというような強い意味合いがございますが
私におきましても、ミカエルというエネルギー体
私たちのエネルギー体と申しますのは、九次元の方がお出になられたとき
その脇にいて補助にあたるというのが私の使命と心得ております。

私が、というのではなく、私が中心に出るときは
だいたい中興の祖として出る場合が多いのです。
そうでなければ、九次元の方の
法の補助という意味をもちまして私の役割とさせていただくのです。

ですから今回におきましても、ミカエルのエネルギー体の降りた者が
その者が法を中心に説くということではなく
必ずそのときには、この方にも知らせてはおりませんでしたが
その数年後になり、孔子というエネルギー体が降りられているということを
この方は知る訳ですけれども。
孔子という、九次元の方がお出になられ、法を継承されるというときに
必ず、今あなた方も遭われておられると思いますが
このような神理の運動を立ち上げるときには、必ずや魔の標的となり
神理の使徒たちはありとあらゆる撹乱をもって
その神理の道を塞がれるのです。

このように私たちの霊言を本として出しても
またそれを、本を差し止めさせられてしまう。
出版権を取られてしまう。
そのようなことが、一体、天上の神々に対して
どのような神理の道を塞ぐ愚行であるかということを
あの者たちは何も理解していないのです。

でも、必ずや神理の運動が立ち上がるとき
かつてのジャンヌ・ダルクにおきましても
神の言葉を伝える者たちの前には、必ず魔に操られた者たちが立ち塞がり
その神理の道を命がけでせき止めよう
引き止めようとするのがいつもの道なのです。
常道なのです。
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ですから、私は、ミカエルのような者は、どのようになるかと申し上げますと
九次元の方が法を伝えられるとき、特にミカエルは脇に立ち
その法を伝える方を側面において補助しながら魔から守るということ
その神理の団体を魔の標的から守って護衛するという意味
その意味合いを持ち、ミカエルは出るのです。

そしてミカエルが地上に下生するということは
かつて、サタン、ルシフェルが地上に出たときもそうでしたけれども
最終的な魔との決戦という、戦いという意味合いをもちまして
その役割を担って地上に出るということなのです。
ですから、本人が中心になって法を説くとか
法の継承をするということは考えてはいないのです。

ただ、今回もありますように、第一の計画、第二の計画がだめになり頓挫し
第三の計画が発動するというように
やはり天上界は様々な非常手段というものをかねて計画しております。
その意味合いにおいて、万が一、万が一のことがあったときには
その者が法を預かることができる者であるという意味合い
ミカエルという特性は、天上におき魔の討伐というものも含めまして
あと、法の管理ということ
法というものを預かっているという立場もございます。

法をつくるのではなく、法を地球神
九次元の方がたが編纂された法というものを
ひとつの大きな書物の中にまとめまして
その法の管理ということを預かっているのが
またミカエルの仕事でもあるのです。
その意味をもちまして
もし、法が曲がったとき、法がいたずらな方向に行ったときに
脇において魔より守りし九次元の法を別な形で直していくという
守っていくという
そのような第二段階の形での使命というものも織り込まれているのも
事実なのでございます。

これはやってみなくてはわかりません。
これから先のことを考えると、どのようになるかはわかりませんが
でも孔子におかれましても、他の出て行った様々な力のある者たちにおいても
最後、レムリアの方がたが、一生懸命、今ここでつないでくださるのを
けっして無駄にはすまいと感謝をしながら、命がけでまた新たな使命を持ち
地上に、次々と下生して行っているのです。

ですから彼らも精一杯、頑張ってくれることでしょう。
その中で、孔子がどのように法をおまとめになり、世界計画の方向へと発信し
そのあとに続いた世の建て直し部隊と呼ばれている者たちが、体制を、法律を
文芸復興を、あらゆる方面において、各論と呼ばれているものにおいて
様々な文明文化の新たなルネッサンスを起こしていくことにより
地上を変えていくという、そのような流れがある中で
法というものをしっかりと継承した九次元の方が
孔子と呼ばれる方がお出になり
そして、そのときは必ずや、稀に見るような大迫害も起きるかもしれません。
たいへんな、たいへんな反撃に遭うかもしれません。

そのときにミカエルと呼ばれているその者が脇に立ち、護衛をし
法を守るための
人びとを守るための求心力の一部として立てていくのならば
役割を果たしていけるのならというふうにミカエルは思い
今回、出て行ったのです。
死に物狂いで、命がけで、彼は今、この使命を果たそうと
天上界においても、地上に降りた者の意識もまだ幼いですが
その者も通して、今必死でミカエルがやろうとしております。

(2005.6.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-02-16 08:47 | アポロン | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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