地球を愛の星へ

カテゴリ:ピカソ( 5 )

ピカソからのメッセージ(5)

わたしはマヌ様の直属の者にあり、そして、この者におきましても
あなた方の過去世のいくばくかに関わっている者でもあります。
あなた方がこれから、神理芸術の台頭というものを通して世界に広げていく
そのときには、もっと頻繁に出て来て
あなた方のお力になれることをしていきたいと思います。

でも今はまだ、その前に法というものを出さなくてはいけない。
とにかく、Yにも言ったことでもあります。
レムリアは、百冊の本をまず目指してください。
で、これは霊言だけではなく
一人ひとりが書いた本も出してほしいということなのです。

レムリアという中において
あなた方一人ひとり、本を書ける力は十分あるではないですか。
この者においてもそうです。
本を、レムリアとして弾丸のごとく百冊並べてごらんなさい。
世間は必ずや目を引くはずなのです。

その意味において、失敗するのではないかとか
わたしの文章なんか、なんて思わなくていいのです。
今回来たその彼においても、いろいろ問題はあるかもしれないし
好き嫌いもあるかもしれない。
確かに裏系統の力を持っているから、嫌う者もいるかもしれない。

でもね、「百冊の本を出してやろう」と言う人がいたのならば
今までどれだけ一冊の本を出すために
たいへんなリスクとお金で苦しんできたかということを思ったのならば
百冊出してもらえばいい。
逆に、裏界というものの、下ではなくてですよ、裏界の者であるならば
彼らも今参画して
自分たちの本来の力を出すことで協力したいと思っているのも事実なのです。

裏だからといって嫌うのではなく、裏のエネルギーも
ある意味で神のエネルギーの一部であると
そのぐらいの器量を大きくして受け止めて
彼らすらもその懐に抱いていくぐらいのダイナミックさが
レムリアになくてどうしますか。

裏の者であったとしても、けっして間違ったものでないのならば
それを出していけば
その者を通して惹かれてきて、神理に導かれる者もいる。
数々の扉をいっぱいつくっていくということ。
その意味において臆病になったり、しゃくし定規にならぬこと。
お金を出してくれる。
誰が百冊出すお金を、資金を援助してくれるというのです。
出してくれるというのならば、出していただきなさい。

そしてその中で、霊言だけで百冊できないのなら、みんなが自分たちの
あなた方の素晴らしい才能を今こそレムリアの中に開花して
自分のハンドルネームでも名前でもいいです。
出して、本を出していけばいいじゃないですか。
『レムリア劇場』もよし、『レムリア物語』でもよし
もうそれぞれが、自分たちで書きためているものがあるんだから
それをどんどん臆せず評価して出していきなさい。

前、言ったのです。
十数年前言ったのです。
わたしの絵だって素晴らしい作品もあれば駄作だってある。
でも、弾丸のごとく作品数を出し続けたことによって
今日のピカソの評価が決まったのです。

いろんなものがあっていいではないですか。
多様な多彩なものを出していくことによって、多くの人たちが
いろんな入り口からレムリアに入って来て
神のもとにいざなわれるのですよ。
そのときに、「あの者はおかしい」とか、「裏だ」とか「下だ」とか
なんだとかって言うのではなくて
それすらも神の愛の光の中で浄化して、すくい上げていく。

神の子の多様な表れであると、愛するだけの懐の大きさがあなた方にあれば
けっして間違ったものとしては表現されないのです。
それぐらいのダイナミックさがほしいのです。
型から外れたもの、そういうものを常に裁こうとする思いが出てくるから
あなた方の仕事の幅を狭めてしまうのではないでしょうか。

いいじゃないですか。
いつまでもお坊さんのような発想をせず
いつまでも修道士のような発想をせず
そして、そうでない方もこの地上において
かくあるべしという枠に自分をはめているように思うのです。

そうではなくて、そんなものを取り払って
今できることを、魂の叫びのもとに自由に表現していく。
そういう大らかなもの、そういう情熱的なものが
地球を熱い、熱い熱風のような思いで吹き抜けていったときに
地球維新はかなうのです。
成功するのです。

世界中の者たちを包んでいくには
それだけキャパシティの大きい間口の広いものを提示していかなくては
一日本神道、一仏教
一キリスト教だけの発想の中で凝り固まっているようなものであったのならば
世界中の人びとが入って来ることはできないということ。
そのキャパシティの狭さを取り払いなさい。

そのためにおいしい酒やおいしい料理や、そして愛人や恋人が欲しいのなら
バシバシあなた方はそれを受け入れながらでも
這ってでもいい仕事をしなさい。
それ以外、神に奉仕し、感謝していく仕事はどこにもないのだということ。
けっして「自堕落な生活をしろ」と言ってるのではないですよ。
「そのぐらいのパワーを引いてきて、
その思いを転化させていきなさい」ということをわたしは言っているのです。

「皆がみな、私のような生き方をしろ」とは言っていません。
でも、そうやってエネルギーというのは引いていく。
そして仕事をしていくエネルギーに転化していくのです。

小さな、小さなまとまった、つまらない善人にならないでほしい。
小さな善人で大した仕事もしない者は、この際お呼びではないということ。
大きなスケールの中で、多少リスクがあっても
ダイナミックな仕事をしなかったら
地球規模の仕事はできないということ。
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坂本竜馬たちがやった明治維新は、一日本国の中だけで行われた改革でした。
あなた方がやってるのは
世界中の人びとの意識を変えようとするだけの大きな仕事なのですよ。
それをするには、もっと魂のたがを外し
もっと魂のダイナミックさを爆発させていく。
それが、でもかなう時期にきたから、今回のこの救世の計画が出てきてるという
魂の成熟度に合わせた時期であるということを
あなた方は理解していただきたいと思います。

今、世界を股にかけておられる
Mご夫妻のような方がいらっしゃられたということ
エル・ランテイを含め、天上界の者たちはたいへん喜んでおります。
あなた方が来てくださったことを、わたしたちはたいへん感謝しています。
どうか、今このようなご縁があったということ
レムリアが世界に羽ばたいていくための道しるべに
どうかあなた方は、なっていただきたいのです。

世界に出て行く方法、手段に対する経験知を持たぬこの者たちです。
あなた方はそれをご存じです。
ですからその意味において、この者たちを導き、先に先導する者として
どうかお力を与えていただけたらと、そのように天上界は期待をしております。

そしてまた、わたしとの関係とか
また天上界であなた方に対しての直接話したい者たちもいるのですけれども
今回、短い日本におられる中において
エル・ランティとわたくしのほうから代表して
メッセージを送らせていただきました。

これは一レムリアだけではなく
お国に帰られてあなたが素晴らしいお仕事をなさるということ。
そのことの心構えとして
たたれる前にどうしてもお伝えしたかったということもございます。

どうか素晴らしい魂を持った神の子が
神の使者がここにも生き延びておられたということを
わたしは神に心から感謝いたします。
どうかレムリアの仲間たちは、自分の心に正直に
そして自己限定することなく、小さな、小さな自分で凝り固まることなく
自分自身の評価など捨てて
多くの人びとを助けていくことにまい進していかれること。
そこでしか、あなた方の魂の活力を
エネルギーを復活させて輝かしていく道はないのだということ。

でも、一神の子が本気で自分の自覚に気づき、エネルギーを発したとき
ものすごく大きな、大きなエネルギーを爆発させていくのが
神の子のエネルギーでもあるのです。
それにもっと気づいて、自分自身を信頼して
自分白身の使命というものを大切にして
今回のこれからの展開に向けて頑張っていただきたい。
それはほかの、今回来られなかった方がたにおかれましても
お伝えいただきたいと思うことでもあります。

これからレムリアは新たな展開のために、また新たな方がたが来られるのです。
彼らを受け入れていくだけのキャパシティが
あなた方にあるかということもまた問題になるのです。
狭い思いの中で、彼らを裁くだけではなく、彼らも受け止め、愛の中で浄化し
彼ら自体の本来の個性と命、使命というものを気づかせていくぐらい
圧倒的なエネルギーで、あなた方が彼らを清め
洗礼してあげていってほしいのです。
神の子としての使命に目覚めさせていってあげてほしいのです。

どうかあなた方に対して、それをするよき先輩としての使命があります。
これが、レムリアがこれから展開していく道です。
どうか、あなた方の心がこの第三の計画のために命がけになって
自らの自由な魂に忠実に生きていかれんことを、わたしは心からお祈りし
今日は失礼させていただきます。

(2006.8.12 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-03-18 12:11 | ピカソ | Trackback | Comments(0)

ピカソからのメッセージ(4)

自分たち自らが縛っているもの、そのようなもの
それが今あなた方の後ろ髪を引っ張っているということ。
そして次に確実に、次の流れがきて
今その世界伝道開始宣言が出てるということ。
それをほんとうの意味でレムリアの人たちが覚悟しているかということ
それを聞きたいのです。

エル・ランティ自ら出て来られ、あのような宣言をなされたということ。
それが天上界においても、地上においても
どれだけ大きな意味を持つことであったか。
あなた方はわかっておられるだろうか。

いつも霊言を聴くと泣きながら感動に震えても
終わるとまたすぐ、また別のものを欲しがっていく。
ちゃんと一つひとつの霊言を魂に落とし、腹に落として
自らの人生に役立てていかなくては
我々のメッセージはなかったのも同然になってしまうのですよ。

そして、ただただとるだけにおいて
この者の体力と生命力を奪っていくだけならば
そんなものはなくていいのです。

一人ひとりが心の中に腹の底に落として
自分の魂を立ち上げて、情熱をかき立てられて
自分のできる最大の仕事をこの世界に向かってひるまず
人から中傷を受けることもいとわず
やっていこうというエネルギーに変えられてこそ
この人の霊言は意味を持つのです。

そうでなかったら、意味はないということです。
どうかそのダイナミックさ、それをもっと学んでほしいと思う。
そして、あなた方の魂においても、今回はたいへんいい経験をすると思う。

いいですか。
寄り道をした人生は、けっして優等生的な者から見たらば
最良のものではないと評価されるかもしれないけれども
最後評価されるのは、わたしたちの世界に帰って来てから
我々がするのでもない、神がするのでもない
あなた方の、あなた方の魂自身の本性が、自らを評価するんですよ。

そのときに受けた使命のことをやれずに
ほかのことだけをやって帰って来たらば
いちばん苦しいのは本人であるということ。
それをわたしは言いたいのです。

地上に生きているときに、地方の田舎の口やかましいところがあるでしょう。
そんなところのおじちゃんやおばちゃんたちに、評価がいい嫁であったとか
いいだんなさんであったとかいうことよりも
ほんとうに自分の、真実の自分の気持ちにのっとって
最大限にいい仕事をしたと思えたのならば
わたしたちの世界に帰って来たとき
いちばん幸せに喜びに満ちるのは、本人自身であるということ。
裁くのは神でもなんでもないということ。
我々でもないということです。

Yにしても、こちらに帰って来てひじょうに苦しんでおります。
それは、我々が何ひとつ彼を責めたこともないし
天上界の神が彼を責めたことでもない。
彼自体が、自分が今回やらなければいけなかった
仕事をやりきれなかったという
その無念さゆえに彼自身が、自分自身を裁いて苦しんでいるのです。

そして、本来のわたしたちの世界に戻って来られないでいるのです。
それは誰でもない、自分で自分を裁いて、自分でみじめになり
自分で苦しみあがいているということ。
それを、その二の舞をこの者にさせたくないのです。
いちばんやらなくてはいけないこと。
それはその本人がいちばん知っているのです。

そのエネルギーが強い人ほど、そのエネルギーを削いでしまうと
ほかのこともなんにもできなくなってしまう。
魂の休止状態になってしまう。
そんなことをやっている暇はないということです。

あなた方もっともっと、一皮も二皮もむけてほしいと思う。
正しいことのみを間違わないことのみを望むのではなく
間違うこと、人と違うこと
そしてときには挫折して失敗することも、自分の成長の経験には
大切な大切な必要な学びであるというそのぐらいの大胆不敵な覚悟で
人生を、ターニングポイントにおける自由選択というのを
していただきたいのです。
そうすれば怖いものは何もない。
失うことも怖くなくなれば
もっともっとダイナミックないい仕事ができるのです。

わたしがキュービズムをやったときも
これを描けば世間はどう言うであろうか。
写実主義に戻れば高い評価を受けていたわたしでありましたけれども
キュービズムをやることによって案の定やはり批判がきた。
でも、それでも負けなかった。
それをやることが、これを出していくことが
わたしの本来のいちばん、仕事の、最高の目的であるということを
わたしは知っていたから引かなかったのです。

そのときにもし、世間的な名誉もお金もすべてを失おうとも
そんなものはなんにも怖くはなかったのです。
ほんとうに必要なものは、ほんとうに価値のあるものは
そこにはないということをわたしはもうすでに知っていたからです。

あなた方はそれを再三魂の中で
正法というものを通して学んでいるはずではないですか。
でも、ほんとうの意味で肺に落ちていないから
すぐ世間体的に自分を守ろうとする。
そこが弱さとなって、自分の本来の仕事のダイナミックさを奪っていると
情熱を奪っているんだと、わたしは思うのです。
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さっきから、坂本竜馬という日本に出てきて明治維新をやった方と
随分話をしています。
彼もお酒が好きで、うまいものが好きで
わたしとひじょうに気が合っているんですけれども、彼もあの明治維新という
ダイナミックな改革というものを成功させた男として
やはりそれだけの器の男であるなあと、いっしょにお酒を飲みながら
彼といろいろ話をしていました。

いいですか。
坂本竜馬がいいだんなであったから
いつもご主人が優しい、結婚したその奥さんに対して
いつもゴミ出しをしてあげるとか
お皿をいつも洗ってあげるということだけで
彼が自分の人生を終えていたら、今日の日本はなかったし
今日の坂本竜馬はなかったではないですか。

彼自身は、自分の人生なんかは人類にくれてやったのです。
日本国民にくれてやったのです。
どんな評価があろうと、自分がどんな後ろ指を差されようと
そして愛する女性をそのあと置いていくことになろうとー。

彼はたいへんその妻になった人を愛していましたから
やはり守りたかっただろうし、いっしょにいて子どもも持って
いい結婚生活をしたかったかもしれない。
でも、彼はそれ以上に大きな仕事をしなければいけないという
自らの使命の重大さを知っていたから、彼はそこをあえて捨てて
命を散らして仕事をしていったのではないか。

「あの情熱、明治維新と同じ世界維新をする者たちは、あの情熱がなければ、
あの志士たちの情熱がなければ、ダイナミックさがなければ、
時代の先を読んでいく力がなかったのならば、
彼らとおんなじことはできないよ」とわたしは言いたいのです。

それは神の使者として使命を与えられた者の、最も大事なことであると思う。
一小市民として
一優等生的な人生として歩むことだけできゅうきゅうとしている者は
このような時代の立て直しには向かないのです。

その枠を越えて、たとえ後ろ指を差されようと
世間中から鼻つまみ者になろうと
天上界の意思がここにあるとわかったのならば
それを遂行することに自分の人生を投げ出し、捧げ尽くすということ。
その評価もどうでもいいと思うこと。
それこそが神の使者としての最大の名誉であるということ。
それをもってしか
神のメッセンジャーとしての仕事は果たし得ないということ。

そこのところをどうか、あなた方は認識していただきたいのです。
大事な、大事なターニングポイントですよ。
これから、あなた方がK会のORの二の舞にならないと、誰が保障できますか。

あのような悪夢が二度三度とまた繰り返されるというのならば
今ここで、今希望の光である者を、すり替えを起こさせてはいけない。
自分たちの中で、できることを精一杯やりながら
そして命がけで世界に向かって広げていく。
どうかそのための勇気というもの、情熱というもの
それを忘れないでいただきたいと思うのです。

(2006.8.12 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-02-11 13:23 | ピカソ | Trackback | Comments(0)

ピカソからのメッセージ(3)

ORが出てたときに
「緑色の光線のトップは老荘思想である」というようなことを
言っていたと思います。
でも本来のトップは、緑のトップはマヌ様と言われる方です。
それをなぜ隠していたか。
それをわたしは今明かしたいと思うのです。

それは、マヌ様と上の方との取り決めにあって
万が一、第二の計画であったORのK会がだめになったとき
そのときに、仏陀であっても明かされてなかった真実を明かすことによって
第三の計画の正当性というものを、信ぴょう性というものを明かすために
この者をいちばん指導するはずであったマヌ神という者が
一切姿を彼の前に現さなかったというのが事実であるのです。

そして、緑の光線のトップである
マヌ様とゼウス様という方がたが中心になって
今回の第三の計画を指導し、応援してくださっておられます。
そしてご存じかもしれませんが、芸術家の村というのは
すべてが緑色の光線、バリエーションはありますが
緑色の光線の中に生きているのです。

あなた方はこの方の霊言をどう思われるか。
日本神道や、デルフォイの神託を受ける
ただの普通の霊媒的な巫女さんと同じであると思うか。
わたしは彼女の霊言を聴いてるといつも思うのだけども
彼女の霊言は、この方の霊言は、芸術なんですよ。

我々も絵を描くとき、音楽をとるとき
ひじょうに霊能者が多いのは芸術家でもあります。
神のもとにコンセントを差し込んで、エネルギーを受けながら
インスピレーションを受けながら
我々は自分たちのそれぞれの表現手段を通して
神の思いというのを表現していくのです。

そういう意味において、彼女はある意味で女優のように
神から受けた我々のさまざまな個性と息づかいというものを
その身体を通して、その言葉を通して忠実に表現して見せてくれている。

だからこそ、ORがひとりでなくてはとれなかったこと
多くの人びとに対して一切見せなかった霊言収録というものを
この者は人がどれだけいてもその前でやれる。
それは、この者にとって霊言をとるところが劇場であり
あなた方が観客であり
そのあなた方に神の思いというものを自分の身体を使って表現していく。
見せて、神の息吹というもの、神のエネルギーがこんなに素晴らしいんだと
そういうことをあなた方に直に表現して見せる。
そのような、ある意味で言うと、神の国の女優であるのですよ。

だから、とってもアーティスティックなものが、この人の中にあるということ。
だから、単に普通の白装束を着た日本神道の巫女さんたちとはひじょうに違う。
それはどういうことかというと、芸術家としてのハートにおいては
我々とひじょうに同じものを持っているということ。

それはどういうことかというと
ゴッホやベートーベンやほかの人たちを見てもわかるでしょう。
ある程度の霊域以上から引いてくる芸術家というのは
みんなとことん型にはまるのを嫌がるし
自由というものがバックグラウンドにないと
自由に自分自身の身体を使って、技術を通して表現することができない
作品を出すことができない。
そういうことがあるのです。

だから、ほかの人以上に自由を望みたがる。
でも、一生懸命本人は世間の普通のお母さんになろうとする。
妻になろうとする。
嫁になろうとする。
そこにはめているところの中で、本人がひじょうに苦しくなってきてる。
そういうところがあるでしょう。
わたしが言いたいのはそういうことなのです。

霊言をとるときにお酒を飲んでたらとれないとか
うまいものを食べていたら、仏教者、修行者としては失格だとか
女に触っただけで地獄に堕ちるとか
あまりにも無知蒙昧な神の国の神理というものが
まことしやかに語られてきた。
それは神の子としての、まだまだ認識レベルが低かった。
この地球時代の、そういう遺物であるとわたしは思うのです。

本来はみなとても自由な、神はとても大らかな
そしてどんな生き方をしようと、どんな挫折と思えるような人生であっても
自由意志の中においてあなた方が選び取った人生は
どんなことがあったにしてもその本人にとっては
最大の学びであるということ。

遠回りをすることが逆に、人の喜び悲しみを肌身でわかり
そして遠回りをしてきたからこそ
自分の人間としての器を広げてくれるということがあるではないか。
優等生として
いつもいちばんの近道で自分自身だけが素晴らしくなるような道を
近道で歩んで来た者は、やはり人間として魅力がない。
人の間違いを許せない。
そして、人のおだてに弱い。
悪い女といい女の見分けもつかない。
そんなことで結果的に足をすくわれて
ほかの者たちと同じところに堕ちて行くのです。
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ですから、あなた方の中で優秀であるとか
そういうことがけっして人生の勝利の原因ではないということ。
いちばん大事なのは、魂の胆力をつけるということ。
どれだけ多くの人を愛していけるか。
どれだけ自分の気持ちに、自分の、神よりつくられた神の子としての
自分自身の本性に正直であるか、忠実であるか。
そして、それを表現するときに
どんな批判があっても負けないだけの不屈の勇気を持てるか。

そして、自分の個性を表し
自分がこれぞと思った仕事に対して、命がけの情熱を持って
その仕事をもってこの地球を、世界を変えていく。
それが、自分が創造された神に対する最大の恩義で
返ししていく感謝の表れであると信じて仕事ができるか。
「あなた方本気でそう思って仕事をしたことがあるか」と
わたしは言いたい。

その情熱だけが、あなた方の霊格、あなた方の評価に、自己評価
そして神の国の評価にかなうのであるということ。
そのとき、ひょっとしたら枠から外れて
世間から見たら後ろ指を差されることがあるかもしれない。
でも、そんなことはなんだというのだ。

わたしたちの世界になれば、人から後ろ指を差されることよりも
神の子として、神の使者として
最大のいい仕事をすることのほうが、優先していくのです。
それを、仕事をすることが、自分以外の多くの人びとを愛していく
その道になっていく。
それこそが自分が生まれてきた、創造された本来の使命であり
喜びであるということを知っているから。

家族というのは地上でいっとき縁を結び
ともに成長し、修行するために与えられた者たちなのです。
でもいつかはまた別れていき、それぞれの修行がある。
でも、自分自身に不正直に生きた者は
自分自身の人生に対して償わなくてはいけないのです。

自分自身からは永久に逃げられないから
自分自身の個性の中で、自分自身に忠実に生きるということ
いい仕事をするということをもって
あなた方はたぶん、魂の安らぎというのを得られると思うのです。

ましてや、この今の第三の救世の計画、地球霊団
地球の存亡をかけた計画ではないか。
そのときにあなた方は、何をそんな日和見的な
一個人主義的な愛着に応じたことだけで自分の魂を
そして仲間のことも考えようとするか。
そのような小さな、小さな思いが
レムリアを爆発的に世界に広げていく
エネルギーを奪っているものであるということ。
わたしはあなた方に言いたいのです。

あと生きてたかだか数十年ではないですか。
どれだけ生きたとしても、この数十年をどれだけ命がけで我が身の幸せを捨てて
他者からたとえ「魔女」と言われようと、「悪魔」と言われようと
火あぶりにされようと
命をかけてこのレムリアの動きを、計画を遂行するのだと、広げていくのだと
「捨て身の命がけの行為が、
みな一人ひとりの中に芽生えないのであるのならば、
このような状況から地球を救っていくような、この救世の計画の成功はない」と
わたしは申し上げたい。

地上に残っている数々の数少ない者たちを見ていても
最後、数が少ないからこそ、形勢逆転をして最後、勝利に導くのであるのならば
あなた方の勝利の女神の後ろ髪を引っ張るのではなくて
背中を押してあげてほしい。
そして、あなた方もともに、神の子として自由を取り戻す
神の子としての人権をも取り戻していく道をつくるために
今たいまつを高く掲げて進むべきではないのだろうか。
わたしはそう思うのです。

もう、つまらない既成概念にとらわれることなく、自らの魂を封印することなく
もっとみんな自由に-。
このピカソが、パブロ・ピカソが下に堕ちてないんだと
こんな自堕落な生活をした
人から見たら気違いであるかのように思われたわたしでも
ゴッホにおいても、下に堕ちてないんだという
ただひとつ自らの神性に忠実に、自らの神の子としての仕事に
少なくともゴッホにおいても、ベートーベンにおいても
みな命をかけて仕事をしたという、その一点において
私生活はすべて帳消しになっていくという
それぐらいの神は大きな、大きな思いで
わたしたちを愛して見守ってくださっている存在であるということ。
そんなケチくさい神ではないのだということを
わたしはあなた方に伝えたいのです。

(2006.8.12 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-09-25 17:04 | ピカソ | Trackback | Comments(0)

ピカソからのメッセージ(2)

Yに言いました。そして、若きORにも言いました。
「あなたはまだ経験が足りないから、もっともっと遊んで、
もっともっと人生に幅を広げ、潤いをつけて、
そしてもっと人間的な魅力においても、
人を包んでいく人生を経験しなければいけないよ」と
あのときは言ったのです。

結果的に、彼自体が何ゆえにああいうふうに落ちていったかということは
やはり彼自身の中に、若いうちにもっと遊んでおけばよかったと
わたしなんぞは思う。
もっと遠回りをする人生を楽しんでおけばよかったと思う。

いつも、いつも彼は本ばかり読んでいた。
実際に本を読んでいたからこそ、あれだけの霊言を出せたということはあるし
あれだけの理論を出せたということはあるけれども
彼にもっと言いたかったのは、人間としての魅力、幅
そして挫折をした者たちの気持ち、それをもっと真剣に魂を添わせて
ともに涙を流し合いながら共感できるような
そういう優しさをもっと挫折の中で身につけていたのなら
あのように有頂天になって
落ちていくようなことはなかったように思うのです。

だから、それから見ると今のレムリアは
とても、あの状態よりは進化してるというか進んでいるし
とてもヒエラルキーのない、とても仲のよい平等感あふれるレムリアというのを
わたしは、自由でとても愛していますけれども。
でも、今ひとつ指示を受けなければ、あなた方は自分の力で動こうとしない。
この人は霊言をとるだけでせりきりいっぱい
そして日常もせりきりいっぱい
見ててほんとうに気の毒でたまらないというのが
わたしの素直な感想なのです。

天上界でもいろいろあったのですよ。
この人に五人子どもを産ませるかどうかというので、反対する者もいたし
ミカエル大天使などは絶対反対だというのもありました。
でも、あれもこれも、そして日本神道から頼まれた女性の法も降ろして
そして霊媒としての巫女としての霊言も降ろし、魔も封じ
そして自由を愛する軍神としての、女神としての
この世界に広げていくための第三の計画の実行統率係
それを全部この者に依頼し、そして日常生活は五人の子どもたちと家業のことで
ごったごたに忙しい生活の中で
この者は追い詰められていってしまっているという現状があるのです。

そして、霊言をとることにより体も壊れて
自分の中でどのような出口を見つけていいかわからない。
追い詰められていく中で体も動かなくなり
そして自分の、本来とても自由な魂の人ですから
もともとが家事労働をするようにはできていないし
「やってみたい」と言うからやってはみたでしょうけど
でもそのプロになるというような
一流の素質を持っているとはわたしも思えませんし
でも一生懸命頑張って努力していたと思う。

でも、このあいだのエル・ランティを聴いて
さあ、これで世界中に進軍していかなくてはいけないとなったとき
この者が結果的に子どもたちの母であるということ
その女性の法を説かなくてはいけないから、子どもたちに対して良き母であり
妻であるということをずっと背負っていかなくてはいけないということ。
それをしてたら、もう自分の人生は終わってしまう。
でも、このエル・ランティの命は、この者がいちばんわかっているのですよ。
この命を受けたとき何をしなくてはいけないかは
この者がいちばん魂の中で覚えていること、しなくてはいけないことなのです。

それを、その重荷の狭間になりながら、すべてを良きことにしようとして
自分自身を言い聞かせて、自分自身を縛ったあげく
身動きとれない魂の状態に今自分自身が落ち込んでしまっているということ。
そこから助け出すには、我々の世界からアドバイスをするしかないと
そのように思って今日は来たのです。
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いいですか。
この者が一流の主婦になり
一流のお皿洗いや掃除や洗濯が上手にできたとしても
我々の世界に帰って来て、この者が合格点をもらえると思うか。
そこをよく考えてほしいと思うのです。

さっきから何度も言ったように
わたしの私生活は、あなた方から見たら自堕落なものに見えたかもしれない。
でも、パブロ・ピカソがピカソとして今日名前を残したのはどこにあるか。
いかなる批判があろうとも、自分が信じた神の子として
神の世界をこの地上に表していくという仕事にのみ
忠実に頑張り続けたということをもって
わたしは評価をされているのではないのか。

ほかの芸術家においても同じであると思う。
そこのところを、第三の計画の実行責任者として、この計画を推進し
この計画を成功させなかったことにおいて
もし家で良き妻であり、良き母として
お皿洗いや掃除や洗濯がどれだけ上手であったとしても
天上界はあなたを一流のメイドや家政婦と並ぶぐらい
上手な立派な主婦だったからといっても
この者に与えた使命において、この者に合格点を与えないでしょう。

ひとりの人生の中には、やれることとやれないことがあるし
限界があると思う。
そして、この者がいちばん何をやらなくちゃいけないのか、やりたいのか
その気持ちに、わたしは忠実に生きてほしいと思うのです。

もし、自分自身の気持ちの中で正直に、ほんとうに最後、生きてる限り十数年
神よりの代弁者として、使命を与えられた者として、仕事をしていくのならば
突き進んでいきたいと思うのなら、もしこれをやらなかったら
彼女はこちらの世界に来て、たいへん後悔をすることになると
わたしは思うのです。

子どもたちにしても家族にしても、それはもう全部織り込み済み、納得済みで
今回家族になっているということなのです。
普通の者たちが良き家庭生活を営むということ。

その使命があるということと
「いったいどこの普通の主婦の者たちに、このような霊言をとれるか」と
逆にわたしは聞きたいし
「実際にこの中で誰が、この何もなかった、
批判の多かったこの残務処理の中で、
何もないところからこのようなレムリアを立ち上げてこられたか。
男性たちがこれだけいても、
やったのは結果的にこの者であったのではないか」と
わたしは逆にあなた方に言いたいのです。

であるのならば、こういう人材を今
この人類が預かったということを応援することをもって
この第三の計画を実行しなくては
わたしは何のために第三の計画を立ち上げたのか
何もわけがわからないことになると思う。

先ほどいいお話をしておられましたけれども
迷ったときは原点に戻ることです。
何をするためにこのレムリアがあったのか。
何のためにこの第三の計画、レムリアがこんな思いをして立ち上げて
数々の裏切りと苦難と、魔の攻撃をかわしながらここまでやってきたのか。
わからなくなったら、原点に戻ることだ。

第三の計画を実行し、天上界の光を、法を地球の裏側まで届けて
新しい神の子としての時代をつくっていく。
新たな地球時代の、愛の星としての夜明けを築くために
仏陀の仕事の残りをやるために
あなた方は仕事をしているのではないのか。

その本筋を忘れて、こまごまなさまつ的なことに気を取られて
ほかのことを一生懸命誠実にやろうとして、自分の自由を奪い
分自身を魂の牢獄の中に閉じ込めて
正しく正しく間違わないように生きることだけにおいて
なにが大きな改革者としての仕事がなせようか。
そのダイナミックさ、自由さ、パワフルさ
それが今欠けてしまったということなのです。

それなくして
エル・ランティが発せられた本来の進軍は果たし得ないということ。
そのような奇蹟が、どこにでもかしこでも
大した腹のくくらない連中ができるぐらいなら
とっくにこの地球はユートピアになっているであろう。
できないではないか。

数々の魔の攻撃の中で、どうしてこの奇跡的なこのグループが残っているか。
それが最後の地球意識の、地球系霊団の頼みの綱であるという
天上界の必死な願いがわかっているのならば、命がけになって
このレムリアの救世計画を実行するために
頑張るべきではないかとわたしは思う。

そのときに、どうかもうこれ以上この人を
ひとつの常識的なものの中で縛りつけることはやめてほしい。
この者は本来、わたくしたちの所属する芸術系霊団の中における
緑の光線の出身の者であるのです。
そして半分は、赤色光線というひとつの、まあ軍神といいますか
政治・経済、そういう世界の
本来はリーダーシップというものを学ぶための光線であります。
人の上において社会を動かしていく、世界を動かしていく
人を統率していくという
そういう修行を積んでいるのが赤色光線の者たちでもあるのです。

であるならば、赤色光線の実績のあるこの者として見るならば
今この世界を動かすために何をしなくてはいけないか
常にそういう大所高所に立って、大きく社会を見渡すという
そういう責任者的な思考判断で常に動くのです。
そういう者は、細かいところの才能は弱いかもしれない。

でも、大まかかもしれないけれども
直感的に何をいちばん優先しなくてはいけないかということを瞬時に見抜き
人の心をまとめ引っ張っていく、そういう力を持っている。
状況判断をしていく力を持っている。
その意味においては、自分自身の個人の幸せなどというものは
つい二の次、三の次になるのです。

だから、この者が死ぬまで
最期まで幸せな主婦として生き続けるということであるのならば
今回の第三の計画の指導者としての
責任者としての仕事は与えられてなかったし
それを途中で、こういう第三の計画を発動するときは、自らの幸せは脱ぎ捨て
神のために、その神の子たちを神のもとに連れて行くために命をかけ
わたしの人生を捧げますという、その彼女の誓いのもとにおいて
彼女は今回の使命を授かっているということ。
それが実行できなくて、本人がとても魂的に苦しんでいるということ。
そこのことをわかってあげてほしいと思うのです。

(2006.8.12 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-09-19 12:29 | ピカソ | Trackback | Comments(0)

ピカソからのメッセージ

わたくしが、なぜ今日どうしても参加したかったかと申しますと
この方(アマーリエ)と長いこと魂の縁が深いところにおります。
もっと言うのであるならば
かの昔、同じ惑星(オリオン)よりともに来た仲間であるということ。
それゆえ、今日の状況
今回のエル・ランティの海外伝道におけます宣言を通して
どうか皆さま方にもっと目覚めていただきたい
気を引き締めていただきたい。
そのように思い、皆さま方にひと言お伝えしたくて参りました。

少し前になりますが
わたくしはやはり天上界での昔からの仲間であるYという者に対して
ORを通してメッセージを送ったことがございます。
そのときにも申したのですが
「あなた方の個性を自由に光輝かし、
あなた方の使命を、あなた方らしくやり続けよ」と
「頑張れ」というメッセージを送ったように思っております。

しかし、あのような結果になり、彼も地上での生命を終え
こちらのほうに、世界に戻っては来ましたけれども
今同じ世界にはいない状況であります。
今回のORの計画におきましての挫折というもの、失敗というものを
やはり我々は天上界でも相当反省をして
みんなで、次の第三の計画だけは成功させたいと
そのように思っていたのです。

わたくしは今日、絵画論を申すために来たのではないのです。
皆さま方に言いたいこと
そして、もう二度とそのような落とし穴に落ちてほしくないと思う
その気持ちを皆さま方に伝えに来たのです。

わたしはYという魂をこよなく愛し、ほんとうに仲のいい友人であるのです。
でも、ORにおいても、なぜ彼らがこのようになってしまったか
わたしは生前、彼らに対しても
前回出た時においても、再三忠告していたのです。

「ゆとりを持ち、人生に潤いを持ち、経験を積み、自己の魂を縛ることなく、
已に正直に人生を生きなさいよ」と。
「何百巻というお経を背中に背負って
山道をいつも、いつも刻苦勉励して行くような、
そのようなものであっては、自分も行き詰まるし、
周りの人たちもついて来られなくなるんだよ」と。

「人間としての魅力は、けっしてそんな、間違わないことを望み
優等生になって生きることではないんだよ」と。
「逆に失敗をしても、その失敗から多くを学び、
多くの人びとの傷ついた気持ち、間違っていってしまう気持ちに
ともに共感でき、涙を流し合えるそういう人こそ、
多くの人びとの支持を受け、
そして多くの人びとを導くことができるんだよ」と。
わたしは繰り返し、繰り返し、彼にも言ったのです。

皆さま方ご存じのように、わたしの人生は画家として見ても
たいへん恵まれたものでもありましたし、何度も結婚もしましたし
恋人も愛人もいたし、あなた方ご存じのように、おいしいものも
お城にも住んで、好きなことをして暮らしたということもあります。

それが、じゃあ果たして間違っていて
そのあと、下の、地獄の世界に堕ちたかというと
そんなことはないんです。
それはやはり、絵画というものを通して
一大芸術を通して、神の国の世界を表現したいと
そういう思いに満ちて、毅然と、批判にも負けず
自らの使命を、自らのやるべきことを
仕事を通して貫き通したからこそ、そのような私生活などは
何もわたくし自身を地獄に落としたりということはなかったのです。

でも、お坊さんたちというのは、ちょっと生活が外れると
すぐ反省だのなんだの言って、自分をいじめてしまう。
自分をいじめすぎていくと、魂の自由な伸びやかな
自らの中にある良さというものを
自分らしく表現し、出すことに臆病になるのです。
人の人生を脅かすようなことが
自分の自由意志の発動によって他者を傷つけるのであるのなら
それは明らかに間違っていると思う。

でも、我々は神より、一人ひとりの魂を個性的につくられ
そして自由意志というものを与えられ、そして創造の自由というものを
その神の属性としての神の子の能力として与えられたのではないのか。
であるならば、わたくしのような芸術家でなくても
あなた方一人ひとりにおいても
あなた方自身でなくては人生の中に
世の中のなかにクリエイティブに表していく創造能力というものが
あなた方に与えられているはずなのです。

それは芸術家だけではないと思う。
でも、それは誰ひとりとして同じものではなく、あなた方であるからこそ
唯一のあなた方であるからこそ
できる仕事は皆、千差万別違うのであるとわたしは思うのです。

そのときに、他者と比べて間違えないことを、そして人と違うということを
世間の常識から外れないという型の中にはめて、自分自身の魂の
個性の可能性を表現することを限定してしまうということは
たいへん、わたしから見ると
魂にとって不自由な束縛を与え、自由を失わせ
自分自らの力を封印することになってしまうと思うのです。
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神は、「己自身に正直に、そしてあなた方自身を輝かせよ。
そして大きな神の子としての光を輝かしたら、高々と掲げよ」と
そのように望まれていると、わたしは思うのです。
わたしがキュービズムを出したときにおいても、わたしの私生活においても
そして画家がああいう生活をするということに対しても
ひじょうに批判的なもの、世間の評判はたくさんあったのです。

画家というのは貧乏で、芸術家の中においては
とってもアーティスティックに生きるほうが、美学的にもいいというふうに
やっぱりその時代のヨーロッパでもあったということから考えると
わたしのような生き方は、怠惰な、豪奢な生活であるということで
やはり、非難も受けましたし
やはり幾度となく型破りの恋愛をしていくということも
ひじょうに眉をひそめられていくことでもあったのです。

でも、わたしは負けなかった。
それはわたしが、わたし自身の魂に正直にならなくては
わたし自身の中から出てくるクリエイティブなパワーというのは
表現できなかったからです。
それをなぜわたしが言うかというと、あなた方お一人おひとりの力を
これから先出していかなくては、エル・ランティが言われたようなことは
実現不可能であるということを言いたいのです。

わたしはかつてYにも言いました。
「百冊の本を出せ」と
「百冊以上の本をあなたは書きなさい。
五百回以上の講演会をやりなさい」と。
「数をやり続けることが、いつかその中に、
いいものも悪いものもあるかもしれないけれども
打ち続けていく中に、多くの人びとに知られていき
その語っている言葉が真実であるという評価を世間に広げていく。
そして、その世間の評価で一流になることがあなた方を守り
あなた方の神理の伝道を守っていくことになるんだ」と。
「けっして有名になること、豊かになること、
それを、仕事を高く評価されることを怖れることはないんだよ」と。
そういうふうに励ましたのを覚えているのです。

レムリアが、今ひとつ本が売れない
そしてレムリアというところが今ひとつ飛躍できないところの中に
やはり今回、今までは資金的なこともあったかもしれない。
でも一人ひとりが、百冊以上の本を出すんだと
世界中の地球の裏側にまで、レムリアのメッセージが伝わっていくんだと
そのようにもう受け入れて、そのような現実を皆が固く信じて
そして迷うことなく行動していくという、そういう少々のことにへこたれない
弾丸のごとく出し続けていくんだと。
どんなことがあろうとも
たとえ、うまいものを食べ、酒を飲み、愛人を囲おうとも
そんなことかまわないと、それでもわたしは倒れても仕事をし続けるんだと
そのようなハングリー的な情熱
そのようなものが今ひとつこの頃欠けているように思うのです。
それがなければ、道なき道を開いていくということはできない。

どうもあなた方は、前回のK会においても、お坊さんばかり多いから
道から外れないように、道から外れないようにばかり思うから
型破りなパワーというのが出てこないように思うのです。

いいじゃないですか、人と違ったって。
わたしや、自殺をしたゴッホにしても
みんな下の世界に帰っているかといったら、帰ってやしないんです。
地上に生きている間に、どれだけ神の思いというものを表現することに
短い地上の命であろうと、長い地上の命であろうと
自分の信じた仕事をやり続けたか。
それだけが、こちらの世界に帰ったときに評価されるので
そのときの乗り物がたまたま数十年
あなた方の肉体を持っていたというだけであって
その終わり方などはそれぞれが決めればいいことで
それを神がいちいち裁くわけがない。

もっと自由になっていいということを
それをわたしはあなた方に伝えたくて、今日来ているのです。
そのパワーがない限り、道なき道をつくっていく
革命を起こしていくなどという
そのような大それた歴史的事業は、果たし得ないのだということ。

わたしは少なくとも、わたしの人生を愛しました。
そして、わたしの仕事を情熱を持ってやり続けていった。
ナチからいろいろ言われた時においても
わたしはけっして自分の方針は曲げなかったし
わたしは自分の作品をもって、我が人生の主張を押し通したし
キュービズムでおかしな絵を描いてると散々批判があっても
わたしから見ると、霊的に見た世界を表現することに
たとえ、後半それで批判され、収入がなくなってきたとしても
「それは確固としたわたし自身の芸術的表現である」と言って
引かず仕事をやり続けたということがあります。
あなた方もその覚悟を持ってほしいのです。

(2006.8.12 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-27 12:34 | ピカソ | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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