地球を愛の星へ

カテゴリ:ポセイドン( 6 )

ポセイドンからのメッセージ(6)

(天上界の役目は何か?今何をしているのかという質問に答えて)
ほとんど兄上と一緒にいる。
この計画のために一度、以前にも出て来たけれども
やはり、兄上の計画の補助者として、今一緒に頑張っている。
そして、今、龍神という者たちが、今回も龍神が来たと思うけれども
結界をつくり、そなたたちを守護するという力を
護衛という意味において、我々が預かっているので
それは、日本神道の龍神だけではなく
我々も脇にいて、そなたたちを守っているということ。
そのように認識してもらえればいいと思う。

だからゼウス神が、理念という部分でそなたたちに知恵を授けるのならば
わしはその脇にいながら、その与えられる、降ろされる知恵というものを
側面から守護し、守るという-

先ほどから言ってるように
そのような、ものすごい念というのが飛んで来ている。
この者にとってみたらたいへんな、念という負担がかかっているのだけれども
そういうものを、結界を張り、守っていく。
そのような役割を、今、している。

日本神道の龍神たちとも仲良くなったぞ。
なかなか、彼らも話をすればわかるいい連中じゃ。
とても、ウマが合うというか
彼らとも、ぜひこれからも力を合わせてそなたたちの計画を守り
この日本というところを通して
世界中を龍神たちの力で守っていこうと思っている。
というのは、それほどに今、地下の者たちのエネルギーが強くなっていて
彼らも馬鹿な者たちではないので
もう、そろそろ本気になって計画を錬ってきている。
まあ、次々と、今回を見ていてもわかるけれども
次々と、いろんな者を送り込んできては撹乱している現状がある。

でも、まだ本気で、いちばん力のある邪悪な者が動いているわけではないので
その者が動かぬよう、その者が出て来た時に
どのように守っていったらよいかということを
わしは他の龍神、日本神道の龍神たちと、荒神と呼ばれている者たちと一緒に
ともにこの日本の、このレムリアのところに結界を張りながら
この大事な、大事な計画を、卵をつぶさないように
一生懸命、光のバリアで包んでそなたたちを守っているつもりである。
そのように、日々、裏方として頑張っているということじゃ。
だから、頑張っていただきたい。

わしたちには、もう一人弟がいる。
ハデスという者がいる。
その者を、できたら救いたいと、わしと兄上は思っている。

彼はまだ、気づいてはおらん。
ルシフェルの二の腕というか、左腕というか
そのような形で、今、一緒にやろうとしている。
それを、わしも兄上も、ひじょうに心を痛めて、何とか彼を説得して
今回、彼のことも引き上げていきたいと思っているのが
私たち兄弟の、かつて兄弟であった者たちの心情である。

あんな事をいつまでもしていてはいけない。
元は優秀な、素晴らしい弟だったのである。
彼は素晴らしい力を持っていたし、知恵も深いし。
でも、ほんのちょっと、ささいな霊的な力が強かったから
ほんのちょっと、間違ったところから悪に加担するルートをつくってしまい
その中で、地下の闇深くに落ちて行ってしまっている。

今はそこで、大いなる勢力を発揮しているが
本来はそんな事をするためにいた者ではない。
ほんとうに素晴らしい光の使者としての
絶大なる実力と叡智というのを兼ね備えた素晴らしい魂であったのだ。

できることなら、このレムリアの計画を出していくことにより
この最後、愛の星にしていくというユートピア化の計画の中で
かつて光の天使たちであって、今地下の世界で猛り狂って
その異形なまでの姿の中で、自らを見失っている者たちに
何とか、何とか気づいて、もう一度光の天使の姿に戻ってもらえるよう
我々も悲願を込めて彼らを救いたいのである。

この三次元を、この地上を光明化し、愛の星にし
宇宙連盟の一員として通用するような
高いバイブレーションの星にしていくということも
もちろんユートピア化としての大いなる目的である。
でも、わしたちのように、仲の良かった大事な兄弟が
いまだ地下の帝王として悪行を果たし続けているという-。

本来の彼の魂は苦しんでいるのだ。
ほんとうの自分の力がこんなものではないのだと。
でも、それすらも訳がわからなくなって、悪に加担している。
その姿をとても悲しいと思うし
そんな事をすることが彼の本来の使命でもないし
彼自身の救いにもなっていないということ。

それをどうか、我々は光の天使たちをもう一度、地下に堕ちた光の天使たちを
もう一度本来の光の天使たちに
ルシフェルにおいても、もう一度、光の天使たちに戻していくという
最後のチャンス、大浄化の過程の中の大いなる計画に
今レムリアがあるということ。
地上だけを救済するのではないのだ。

今、地下の世界に堕ちている、大量の者たちも、地上が変わって行けばこそ
光も地下の世界に届き、彼らも少しずつ事態が認識できて
神の懐に戻って来られるということ。
本来、みんな神の子であったのだと
自らの神性というものを認識するチャンスに遭えるということ。

今はあまりに真っ暗で、あまりにも邪悪な波動の中に満ち満ち過ぎているから
自らの神性を、神の子としての、己の素晴らしさなどというもの
光というものなんぞ、気づきたくても気づけない状況にある。
そのような中で、がんじがらめの中で、真っ暗な中で、精一杯、吠え
猛り狂っているのが現状なのである。

彼らも救っていきたい。
彼らも救っていきたいというのが我々の気持ちにあるから
このレムリアの計画に対して我々が必死になるのである。
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まず、この三次元を浄化し
三次元に神の法というものをしっかりと根づかして
この地上の悪想念というものを払ってしまわなくては
地下に神の光は届かない。
神の光届かないところに、神の子として生まれ変わっていく
本来の姿に戻るというチャンスは
あのような地下深くにいるような者たちには届かないし
認識できるチャンスは永遠にこないのである。

彼らの持っている力なぞというものは
本来の大宇宙を統べる神の力から見たら
ほんとうにわずかな、わずかなものであるのにもかかわらず
あのような狭い閉鎖的な社会の中で、世界の中で
自分たちがどれだけ力があるかということを誇示していく中で
彼らは自分自身を思い上がり、見誤っているだけのことなのだ。

だから、自分たちがほんとうにわずかな小さな世界の中での
ほんのわずかな権力志向であったということに気づく時がくるまで
我々は忍耐強くこの計画を、神の計画を押し進め
そして、この地上の悪想念が、ある程度、払えてきたときに
かつての弟に必死に語り、「もう一度我々の世界に戻って来い」と。
「我々のもとにもう一度来て、兄上と私が仲直りしたように、
そなたとも、もう一度、かつてのように幸せに暮らそう」と
「一緒に生きていこう」と。
そのような語りかけをしたいのである。
そのチャンスを我々は望んでいるし、待っている。
そのために、今そなたたちレムリアの計画が
この地上に行われているのだと思って
どうか精一杯、頑張っていただきたいと思う。

そなたたちが救っていくのは、この地上の者たちだけではない。
あの世に堕ちて、地下の世界において出てくることかなわず
もがき苦しんでいる魂たちも、もう一度、煉獄から解き放ち
神の国に戻していくために、回帰させていくために
そなたたちの計画も、仕事もあるのだと。
そこまで思い、誇りを持って、精一杯、頑張っていただきたいのである。

今日は急に参上したので
あまりたいしたことを言えなかったかもしれないけれど
精一杯の私の気持ちです。
もし、そなたたちが
我々ギリシャの者たちの言葉を聞きたいというのであるならば
どうであろうか。
ギリシャ神話シリーズというのをやって
ギリシャの神々というのはいろいろいろおるし、女神たちもたくさんいるので
そういう者たちを呼んで、特集を組んでもいいのではないかとどうもその話が
少しも出てこないので、いつになったら出るのかと
みんな実は、そう思っているのだ。

みんな自分たちの霊系団の特集を組んでほしいと思っている。
だから、これをチャンスにわしからも言っておこう。
ギリシャ神話シリーズ、オリンポスシリーズなんぞ、どうであろうか。
なかなか楽しいし、結構、売れるかもしれぬぞ。
そのような事を思い、どうかこれからも
ことあれば呼んでいただきたいと思う。

もう、今やギリシャ神話というか、ギリシャの海神などという
けちくさいものではなくて
今、ギリシャの海神、日本神道の海神たちとの
一緒の対談なんぞというのも楽しいかもしれないし
なかなか、酒を酌み交わしながら話をするにも楽しい方がたであるので
そのようなコラボレーションがあってもいいかもしれん。
どうか、そのような新しい見地で、企画をパンパン組んでいただきたいと思う。

(2005.6.2 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-10-27 08:25 | ポセイドン | Trackback | Comments(0)

ポセイドンからのメッセージ(5)

そなたも、そのように、今涙を流しているが
そなたの魂の中においても、このような稀なるチャンスに
今仕事をしているということを誇りに思うがよい。

そなたはたいへん優秀な者ではあるが、優秀なその知というものを
その知でもって、我々の、天上界の叡智というものを地上に降ろし
それを愛をもって地上の者たちに分け与えよ。
それがそなたの使命じや。

そんな簡単に、天上界の叡智というものを地上に降ろすということは
誰でも彼でもができることではない。
やはり、そこにはある程度の知的なフィルターというか
そのような力がなくては、その叡智というものを言葉に訳しながら
地上に実績として、業績として、文献として残すことはかなわないのである。
それができる力を持ち
そして、それを愛をもって、地上の者たちに分け与えていきなさい。

難しい言葉を、難解な言葉だけで終始するのではなく
我々の言葉を、今こう話しているような
このような易しい言葉で人びとに伝えていきなさい。
天上界の者たちが、難解なおかしな言葉ばかりを
哲学のような言葉ばかりで日常会話をしているのではないということを
ぜひ地上の者たちに伝えてほしい。

まあ、アルカナという、ひとつの神の神秘というものが表象的に出るから
ひじょうに地上の者たちから見ると
シンボリックなものとしてとらえられてきたというのがあるから
わかりづらいということはあったと思う。

聖書の中においてもそうだし、スウェーデンボルグが言った言葉においても
ひじょうに難しかったかもしれない。
表象的に出てたかもしれない。
だけども、ほんとうは
地上の者たちとのコミュニケーションの手段に違いがあっただけであって
天上界の者たちは、それが日常の、当たり前の易しい言語なのだ。
コミュニケーションの手段なのだということ。

今、我々が地上の、この肉体の、この言語機能を使って
我々の真意を伝えられるから、我々はけっして
そんな難解な言葉で考えたり話したりしているのではないということを
地上に改めて降ろすことができるのである。
今まではこういう機能を
やはり天上界のルールでしかものを見られないのである。

我々の世界は念だから、すべてがシンボルで
言葉を超えた、念ですべてが認知され、理解されていく。
霊界には霊界のルールがある。
でも、我々が霊界から降りて来て、地上のルールで、地上の言語で
我々の言葉を語っている。
だから、地上の者たちには、とてもわかりやすいはずなのである。

よいか、それが、今までの霊界通信との違いなのである。
幽体離脱をしてあの世に行って、天上界に来たり、地獄界に行って
念の世界でのことを、一生懸命、肉体の
まだ肉体を持つ霊人たちがキャッチしようとしても
やはり、天上界のルールというものが、ひじょうに不思議に見えたり
ひじょうに難解なもので、理解不能なものに見えたかもしれぬが
これは我々にとってみたら、当り前の、それこそ空気を吸って
そなたたちが三度のご飯を食べていくのと同じくらい
当たり前の営みなのである。

しかし、そなたたちから見たら、ひじょうに不思議で、不思議でかなわない。
天上界はそのように不思議な、難解な言葉を
そのような認識でやっているのが神の国の言葉であると
認識であるというふうに
そのようにとらえられてきたかもしれないけれども
そんなことは全くないということ。

それは、我々はこの現代の、この日本という、日本語の、この普通の
この女性の言語中枢を使うことによって、語ることによって
我々も普通の言葉でしゃべって、普通の認識の中で
当たり前のように神というものを認識して
生きているのだということを伝えることができる。

それが、ひじょうにレムリアにおいては、画期的なことであるということ。
それは、前にあった、ORという者がやっていたことも同じである。
肉体人間を通して、認識能力のある、そういう霊言者の言語中枢を使って
我々が直接わかりやすく神理を解き明かすということ。
そのようなことは、なかなかなかったし
そのようなことができる人材っていうのは、なかなかなかったのである。

でも、仏陀においての計画において
我々天上界が総力を結集して、次から次へと霊人が出て来て
地上にメッセージを送るという、そのような計画を上が立てた。
その意味において、ひじょうに稀なる計画が降りたので
それを、そのあとをとれる者というのは、なかなかいなかったのである。

しかし、このように、また、再びアンテナが復旧したということ。
多少、難しい言葉とかは嫌がるということはあるにしても
我々の意志を易しい言葉で語り伝えるチャンスが
また再び復活したということを天上界はたいへん喜んでいる。
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逆に、このアテナのように難しい言葉をあまり語らない。
語らない、まあ、よいではないか。
語れないわけではないと本人は言っているけれども
まあ、どちらかというと
普通の一般的な日本の女性の言葉で伝えていくことができる。
それでこそ、多くの大衆は理解するのだから。
そのような言葉で、我々も言葉を選んで
そういう者たちでも認識できるような言葉に翻訳して降ろしてくるから
そのまま文章にしていけば
多くの者たちにも伝わる言葉になっていくのではないだろうか。

これがまた、高度な認識の者のところに出て来たのならば
難しい言葉と、高度な認識の霊言を、バーンととったら
また、それを聞いた者たちが、ますますわからなくなってしまうかもしれない。
そうすると、また天上界は、たぶん上に行けば行くほど難しい認識の中で
我々はやっぱり神様のもとに
言葉なんぞは理解できないのだというふうに決めつけてしまうであろう。

でも、ひじょうにわかりやすい言葉で、ひじょうに
まあ、聡明な人ではあるけれども、難解な言葉を使うことを嫌がるからー。
霊言をとるという意味においては、とても大衆向けであるというか
普遍的な神理を易しい言葉で
我々もこうやって言葉を選びながらしゃべっている。
それが、たぶん後の世において語り伝えられた時に
とても意味が出てくると思う。
私はそう思う。

哲学化し、学問化していく、一部の学問僧と呼ばれている
そのようなものだけが神の言葉であるというふうに思うのではなく
易しい言葉を地上の神の子たちに向けて、その一人ひとりを心から愛し
その一人ひとりに対して、ほんとうに愛の星に生まれ変わっていく
神の子としての役割というものを伝えていきながら
彼らの本来の使命に目覚めさせていく。

易しい言葉で、愛をこめて、天上界より地上に降ろされる言霊の中には
誰が聞いても胸を打つ、シンプルだけど
普遍の神理というものが込められているはずなのである。
その言葉を伝えてこそ、多くの者たちが後の世に伝承していきながら
多くの者たちが救われていくのである。

だから、レムリアの本来の使命が、易しい言葉で伝えていくということを
霊言者の能力の限界であるというふうに
とらえられているかもしれないけれども
私は、レムリアが本来、果たさねばならぬ使命を考えると
この者のこの程度の認識力で話すからこそ
永遠の神理というものが易しく世に広められる
絶大なるチャンスを与えられたのだと
そのように、とても感謝をして受け入れている。

前回の、ORを見ていると、あまりに賢く
あまりに多様な書籍を読んでいたから
ひじょうに一部分的において
彼自身の知識による認識力というのが入っているし
そのような言葉が自然に出てくるので
逆に難しくて普通の者ではわからぬというところもあったかもしれん。

そして、どんどん、それが本人の意識の中で難しく学問化し
体系化されていってしまったという傾向を生んだかもしれぬけれども
この者においてはそのように体系化する能力もないし-

アマーリエ:失礼だなあ。ちょっと言い過ぎよ。ちょっと言い過ぎ。

ポセイドン:でも、そのような、そのような方向に体系化したいという意志も
この人は持っていないから、逆にいうと安全かもしれないと
わしは思って見ている。
まあ、怒るな、そのようなことを。
わしはさっきから褒めてるつもりなのだから。

そなたの認識力が、けっして劣っていると言っているわけではなくて
そのような難しい言葉が理解できないからといって
何も悩むなと励ましているのではないか。

だから、自分の能力に自信を持って
易しい言葉でよいから、我々の言葉を地上に伝えよ。
そして、そのような易しい言葉で、我々が語った神理というものを
どうか、そなたのような博識で知性豊かな者たちが
しっかりと文献として、文章として
後の者たちに語り伝える資料として、残していただきたいと私は思っている。

(2005.6.2 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-10-11 13:56 | ポセイドン | Trackback | Comments(0)

ポセイドンからのメッセージ(4)

自分たち自らの、九次元の言葉を、理念を
そのような高い理念というものを降ろせないからといって
自分たちをいたずらに自己限定したり、卑下するのはやめなさい。
そのようなものは
けっして多くの人びとの心の中に待ち焦がれているというよりは
人類の遺産として降りるべきものなのである。

今、ある意味で、菩薩級のそなたたちが、わかりやすい言葉で
そして、天上界の波動というもの、天上界の意思、計画というものを
地上に、人びとにわかる言葉で伝えていく。
そのことのほうが、一般大衆の者たちにとっては役に立ち
まさに神仏の使者ここにありというふうに
共感を持って受け入れられるかもしれないのである。

あまりにも九次元の方たちが多く出られ、如来界の方も出られ
そしてまた、次に孔子と呼ばれる方が出られているから
九次元の方の理念を聞くのが当たり前あると

だから、今のレムリアが降ろしているものが
それはどの高みがないのではないかというふうに言われているところも
多少はあるかもしれないし、自分たちもそのように思っているかもしれないが
でも、私はそうは思わない。

これだけのものが降りているっていうのは
今までの時代の中でも、それほど、そんなにないのである。
このように多様に、このようにいくらでも呼べばどんな霊人でも出てくるような
そんな事は前代未聞である。

先ほど話していたが、地獄霊の者、煉獄の者
様々な霊界巡りの者たちの書籍というのは、確かにあったかもしれぬ。
でも、そんなものではない。
ただ、天上界にのみ焦点を合わし
神々の言葉を縦横無尽に伝えてくるという
これはあとで考えたら素晴らしい業績になるし
画期的なことであったというふうにレムリアの位置づけというのは残ると
私は思っている。

救世主たちが救世主の理念をもって
時代の指針というものを伝えて、救っていく。
それはそれで、よくあることなのだ。
逆に言うとそなたたちのような役割というのは
今まで少なくとも、わしは見たことはない。
このような緊急事態に、このような計画を実際に発動され
このような霊言を降ろしながらつないでいくということ。

いやあー、これは、素晴らしいチャンスを、そなたたちはもらったのであると
そして、アテナよ。
そなたがこのような霊言というパイプをつなげる
そのような力を、もう一度、復活したということ
このような使命の中に
今自分の力を発揮できるということを神々に感謝しなさい。

いやだ、いやだとばかり、いつまでも言っているのではなくて
そのような自分の能力を与えたもうた神に感謝をして
精一杯、この役割の中で自らの力を発揮し
神仏の現れの中には、このような在り方もあるということを
時代の中に発信しなさい。

女性というものはどうしても軽んじられ、その役割というものが限定されて
自分たち自身も限定し、多くの者たちにおいても
女性の本来の力というのが期待されないし、発見されないできたと思う。

ギリシャの時代の女神たちは、ひじょうに自信に満ちていた。
自らの力というものをよく知っていたし、誇り高く
なかなか鼻っ柱の強い連中が多かったので、わしなんかも難儀したけれども。
でも、今の時代においても、そのような女神たちの
あの誇りの高さ、気性の強さを通して
本来、女性霊が何ができるかということを
この地上に表していく恰好の機会を
そなたが女性であってこの使命を引き受けたという
降ろされたということをもって
もう一度、世の中に発信していくべきであろう。

女性本来の力というものが、男性たちでは、なかなか真似できないような
このような霊言能力を自由自在に出していけるということ。
そのことを、私は、わしはひじょうに感動をもって見ている。
たぶん天上界の諸霊たちも、みんな感動をもって見ていると思うよ。
こんな事ができるんだと、逆に思っている。

男性ひとりで出て来た如来界の者が
ひとりで出て来ただけでは、このようなことはできぬ。
このように神がおつくりになっているのだなと
改めて我々も学ばしていただいている状況である。
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以前、マヌが、マヌ神が言っておられたが
このようなことが起きたから、逆に面白いことになってきたと。
まあ、あの方らしい表現ではあるが。
わしもどちらかというと、そのように思っている。
兄上もそのように思っているようだ。
我々もそう思う。

まあ、あのまんま仏陀が出て、大成功を収めておしまいというのでは
あまりに我々から見ても面白くなかったかもしれぬ。
このような状況になって、いろいろな者たちが、本来もう一度初心に戻って
神々も互いに手をつなぎ合って
みんなが総力を結集して、命がけで天上界も出て来ている。
みんな必死な思いで、この地上を救わんがために
神々も一致団結してきている。

わしはそのようなチャンスを
我々、天上界の者たちにおいてすら
与えたもうた大宇宙の神に感謝している。
このような、そなたたちの三次元での計画の頓挫というのがなかったなら
ここまで本気になって、天上界の神々も本気になって、胸元を分かち合って
みんなで手を取り合うようなことはなかったかもしれん。
だから、そなたたちも
「このような素晴らしい神々たちに対しても、
成長の機会を与えてくれたのだ。この三次元は」と
そのぐらいの気持ちになれ。

起きてしまったことを、くよくよいつまでも悔やんでいても仕方がない。
このようなことがあったから
我々のように、本来は出てくることもかなわないような神々が
地上にメッセージを送る可能性を与えられて
そして、ゾロアスター神とか、マヌ神とか、マイトレイヤー神とか
本来だったら出てくるわけもない神々が、命がけで出て来られている。
教えを地上に伝えられておられる。

このような素晴らしい、感動的な、歴史的な瞬間に
そなたたちが今、肉体を地上に持ち、その使命を与えられたという
今世の、この使命のあり方というもの、これを長い転生の中で
さぞや素晴らしい栄光に満ちた業績として、魂の思い出として
そなたたちの魂の中に、刻まれることであろう。

(2005.6.2 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-09-26 19:36 | ポセイドン | Trackback | Comments(0)

ポセイドンからのメッセージ(3)

そなたたちが、神仏の、我々の次元の言葉を地上に降ろせる
唯一の団体であるということ。
その磁場であるということ。
その認識を忘れてはいけない。

人の世の中というのは個性の数の分だけ、自分たちの信義というものがある。
だから、その自分たちの、己の正直な本性に従い
精一杯頑張れば、頑張るほど、あつれきというものも生んでくるのも
この地上のまた醍醐味であると言ってもいいだろう。

だから、そういうものに引き倒されるのではなく
そういうものを相手にしながら、そういうものを乗り越えながら
ますます魅力あるレムリア・ルネッサンスになっていけば良いのじゃ。

最初から間違うことを恐れて
最初から人を傷つけることを恐れて、きれいな言葉しかしゃべらない。
人を傷つけたり、乗り越えたりすることが嫌だから、戦うことが嫌だから
きれい事の中だけで終始しているような者たちに
ほんとうの生きているひたむきさ
ひたむきに生きる人間たちの美しさなんていうものは伝わらない。

神の使徒たちが、なぜあのように一途で、あのようにストイックで、美しく
あとで、後世の者たちに伝えられるかと言うと
それは、彼らが命がけで信じたこと
さまざまな艱難苦難に遭いながらも、ひとつひとつ乗り越えて
悩みながら、苦しみながら、涙を流しながら
それを乗り越えて来た、その姿を見て、彼らは、周りの者たちは
「ああ、あの方こそ、
あの方がたこそ間違いなく神仏の、神の使者であった」という
心からの感銘をもって
その言った者たちの言動というものを受け入れていく
神の言葉というものを受け入れていく。
そういうものなのだ。

だから、さまざまなトラブルが出たのならば
それを通して、そういうものを出されたからこそ
「このように対応したから素晴らしかった、レムリアは」と言われるような
そのような自らを光らすような
そのようなものとしてそなたたちは利用していきなさい。
乗り越えていきなさい。

人というのは、内在するものというものは
なかなか表面には出ないものである。
目先だけきれいなことを言うことはいくらでもできる。
神を唱えることもできる。
だけども、いざという時に
どのようにその人間が言葉を吐き、行動をしたかということ
そのことをもって、どんなにきれい事で包み隠していても
表面に出てしまうということ。

どれだけきれいな言葉で、神仏で、美辞麗句で飾ったとしても
自分が傷つかないように平和というものを語り伝えたとしても
その人の行動を見てしまったら、一発で人は見破ってしまうものである。
そんなものだ。

その時に、ひたむきに、ひたむきに生き続け
ひたむきに、そなたたちのように神理の言葉を、一生懸命に
こうやって一冊、一冊つくり、CDを焼き、梱包し
人びとのもとに伝えてほしいと、届いてほしいという願いをもって
そなたたちは命がけでやっている。

そのひたむきさが、人びとの心に伝わった時に
ああ、これこそレムリアであったと
レムリアこそ神仏の使徒であったということが
周りの者たちにわかってくるのである。
その姿をもって、人びとたちは、生きるそのひたむきさとその後ろ姿をもって
人びとは、真に神仏の使徒であったかということを見破るのである。

だから、様々なトラブルがあろうと、様々な挑戦を受けようと
それを受けたからこそ
まさに、この人たちこそ神の使者であったというような
そのような高い見地による、勇気のある高潔な生き方をもって世に示せ。
それができるそなたたちであるから、今ここにいる。

イエス・キリストにおいても、命ごいをすることは簡単であったはずであろう。
そして、ソクラテスにおいてだって
逃がしてもらうことだって可能であったであろう。
でも、彼らはどうであったであろうか。
ゲッセマネの園で祈っていた時のイエス・キリストにしたって
追っ手が来るのをもう知っていたのである。
逃げようと思えば逃げられた。

でも、神によって
それを逃げるのは彼にとっての本分ではないと言われた時に
彼は自らの運命を受け入れることを選択したのである。
十字架の上から、「降ろしてくれ」と、わめくことよりは
神のもとに帰っていくこと、天に帰っていくことをもって
自らの生涯を神仏の、神の使者であったということを
彼は証ししたということ。

ソクラテスにおいても、自分が語り伝えてきたこと
一生懸命伝えてきたこと、それを命ごいなんかする以上に
素晴らしいエリュシオンという天国の世界に帰って行くことのほうが
私にとっては本来価値があるということ。
こんな肉体よりもっと素晴らしい世界があるのだということ。
彼はその魂の高潔さをもって証すために
脱獄することもなく、自ら毒を飲んだのである。
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だから、いかなる艱難苦難がこようとも
その時こそ、本来の神仏の使者であることを証しする絶好のチャンスであると
そのぐらいのことを思え。
神仏の使者に対して、道を塞ぎ、その行く手を邪魔だてするということは
した者にとっては致命的な魂の恥辱となって、その後残るであろう。

そのことを思うのであるのならば、いかなることがあっても
それにより、自らの神性を証しする絶大なるチャンスをもらったのだと思って
そのような場所を与えてくれたことによって
自らの魂を光らすことができるのだと
その者たちに感謝してやればよい。

それくらいのゆとりを持って、そなたたちはこの運動に対して
人びとの手本となるべく生き方を世に示しなさい。
これぞ神仏の人であったという生き様をもって、人びとに伝えていきなさい。
それがレムリア・ルネッサンスの使命です。
そのような生き方をもってでしか、人びとは納得はしない。

目先だけで、神が、神仏の使者が、ユートピアがと言っても
もう言い尽くされた言葉ばかりでしょう。
言葉自体では、もう、言い尽くされているのだ。
だから、高橋信次が転生輪廻という言葉、そして、様々な八正道とか
そういう言葉も、もう言い尽くされてきたかもしれない。

目新しい言葉がない中で
そなたたちが間違いなく天上界の使者であるということを証しするのは
そなたたちの言動、そなたたちの振る舞い
そなたたちのホームページの在り方。
そして、ひたむきに何をしていくか、自分自身を一切弁解せず、弁護せず
言われても、相手に愛と感謝と祝福を送り続けるのであるのならば
それこそ誠に神の使者であるという証しなのである。

もっとも卑怯なのは、神の使者に対して徒党を組んで
でたらめな言葉を言いながら中傷し、その道を、神の道を塞ごうとする者。
それ以上の卑怯な、罪な悪行はないであろう。
それをやっている者たちを不欄に思え。

そなたたちは、少しも不欄ではないと、私は思う。
だから、常に神の子としての、自らの神性に照らし合わせながら
今自分たちが何をするべきなのかということを慎重に、慎重に考えながら
でも、時には情熱を持って、この運動というものを推し進めていきなさい。

まず、天上界の波動を、我々の言葉を、この地上に語り伝えるということ。
それはもう、数々の霊人から言われているから
そなたたちもよくわかっていることであろうが
やはりこの言葉をもって伝えられてこそ
レムリアの本来の使命が果たされるということ。

(2005.6.2 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-09-13 11:43 | ポセイドン | Trackback | Comments(0)

ポセイドンからのメッセージ(2)

ポセイドンじゃ。
今日は、急といえば急じゃが
私のことをご指名あずかって、とても光栄に思う。
今日、兄と一緒に出ようと、割り込んでやろうと思って
今日、脇に来ていたのだが、来てはみるものだ。
まさか、私の声をこうやってとってもらえるとは思わなかった。

地上は色々とたいへんだなあ。
上で見ていても、次から次へといろんなことがあって。
あの時から随分時がたったが、やっとレムリアの方針というものが決まって
このように、小冊子やCD販売というものを通して
レムリアの理念というもの、あり方というものを広く世に知らしめる
そのような時がきた。

ひじょうに素晴らしい成果が上がっているとわしは思ってる。
だから、様々なトラブルもあるし
昔だって、私たちの間では戦があった。
神を、それぞれ擁護する者、信じる者
みんな自分の信じる神、己の良心に従って
己の信じる神のままに、精一杯、自分たちが頑張っているつもりなれども
その理念の違い、食い違いにより、戦が起き
我々も、数々のもめ事というのを経験してきた。

だから、人が集うところ、いかに高き、高潔な理念があろうとも
世の中を良くしていこうという気持ちがあろうとも
人が集まるところ、やはり問題は発生する。
仕方ないことだと思うよ。

だから、そなたたちも、そんなに自分たちが
問題が起きたということが至らなかったとか
もっともっと平和にみんなで愛し合って
何の問題もなく解決できたほうが良かったのではないかとか
あまり自分たちをいじめすぎないことだ。

地上に降りていれば、そんなきれい事ばかりではいかない。
それを、我々がいちばん骨身にしみてよく知っている。
だから、少なくともいろいろな、仲間を失ったり、問題を乗り越えてきて
今ここに少なくても、前に大きく飛躍して出てきたということ。
今の、そなたたちのレムリアの磁場というものを見ると
ひじょうに安定した高潔なものを感じている。
それだけでも大いなる進歩がある。

以前、私が出たときより進歩しているということを
私は今、言っておきたいと思う。
ねぎらいたいと思う。
だから、自信を持て。
そんなに自分ばっかりいじめたってだめだ。
起きるべきものは起きて、そして、去るべきものは去っていって
そして、新たな素晴らしいものを、また、血液を流れ込ますことで
前以上に素晴らしいものを打ち出していけば、それで良いではないか。
喧嘩したってまた仲直りすればいい。

でも、その時、正直にぶつかり合うお互いの気持ちがあればこそ
その後に仲直りもできるということ。
自分たちで精一杯やったということがある
なら、確実に一歩ずつ前に進んでるということ。

だから、もめ事を起こさないことばかりに腐心するのではなくて
自分たちで精一杯頑張って
自分たちなりのやり方で、このレムリアをレムリアという
ルネッサンスというこの精神を、今のそなたたちのいる時代の中で
その日本という場所で、どう表現していくかということを
精一杯努力すれば良いのだと思う。
けっして、計画が遅れているとか
けっして、そなたたちのやり方が劣っているとか
能力不足だとかいうような評価は何もないから
堂々と自信を持ってやっていけばよい。

今回、CDを出したということ
我々の生の言葉をこの地上に発信しているということ。
これは今の時代なればこそできることだ。
我々の時代には、そのような霊言を預かる者がいたとしても
それを広く民衆に、大衆に
聞かすようなことというのはかなわない時代であったから。
今、広く地上に、天上界の言葉というもの
波動というものを発信することができるということは
ひじょうにめでたいことであると、私は思っている。

だから、地下の者たちが地団駄を踏んで悔しがっているのであろうが
そなたたちが大きく一歩前進した、リードしたというふうに思っておればよい。
わしも兄も、どちらかというと楽天的だから
いいところばかりを拾って、「ようやった」と
自分にも、周りにも言い聞かせて
また次の「ようやった」ということを重ねて生きていきたい。
そういうタイプの者たちなので
そなたたちを見ている限りでは、十分、合格点をやれていると思っている。

だから、これから我々の言葉を聴いたり、書籍を見たり
ましてCDの波動に引き寄せられて集まってくる者たちが出てくるであろう。
その者たちを、今、そなたたちのもとに呼び集める。
彼らの使命を果たさせていく。
それがレムリアの根本的な存在意義だということを忘れてはならん。

他の、さっきから聞いているけど
他の者たちに対するメッセージというよりは
この第一、第二の計画のために命がけになって出て来た優秀な者たち
その者たちがこの日本にまだたくさん生きている。
その彼らをもって、もう一度、この神の国の計画の軌道修正をする
その天上界の一種のメッセージを伝えていく。
第三の計画というものを、地上にきちっとわかるように伝えていく。
それがレムリアの、本来のするべきことなんだ。

いろいろとやることが多いから、訳わからなくなってくるかもしれないけれども
まあ、我々、天上界の神々の世界からの出先機関とでもいおうか
天上界を地上に現すとどうなるかという
その神々のメッセンジャーとしての、伝達者としての役割
それがそなたたちの、レムリア・ルネッサンスであると思えば
間違いないであろう。

だから、まず神の国の計画というのを、この地上に正確に伝えるということ。
そして、今まだ迷っている、今も連絡があったようだが
元G会とか、K会と呼ばれているところの者たち
そこに命がけで出て行った光の天使が多々いる。
その者たちに我々の言葉を伝えよと。

そなたたちが魂に刻んで出て来た、神の国の救済計画というもの
地上天国のユートピア化の大悲願である、大計画の、それをもう一度
最後、死ぬ前に果たして帰ってこいと、それを伝えるためにレムリアがある。
まず、そこをその者たちに伝え、その者たちを救わなくては。
それから、一般大衆に対する布教である。
順序はそこ。
レムリアがやるべきところは、まずそこだ。
その急所を押さえなさい。
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なぜそう言うかというと、この第一、第二の計画
まあ、谷口雅春といわれている方もそうだが
そういう方たちの周りに出て来た者たちというのは
たぐいまれなる優秀な者たちが多い。
今の日本に、今のこの時代に照準を合わせて、選び抜かれてきた精鋭たちが
その大計画の周りに集って来ている。
その者たちがこれだけの密度で、この日本に、今、命を持っている。
肉体を持っているということ自体
そのこと自体を無駄にしてはならないということ。

よいか、そのために我々の、今メッセージがあるということ。
それを伝える相手、ターゲットは、まずその者たちであるということ。
ターゲットという言葉は悪いな。
わしはすぐ戦をするので、そういう言い方になるが、相手だ。
メッセージを伝える相手は、まずその神仏の使者と呼ばれていた
光の天使と呼ばれている
大計画に携わり、命を張って出て来た、彼らにまず伝えよ。

我々の天上界の意向、そして彼らが動き出したならば
そうでない者たちがたくさん動くより以上の力を発揮するはずなのだ。
彼らは、ほんとうにそれが肺に落ち、これこそ間違いなく
高橋信次、そしてミカエルが言った言葉と同じだということ
仏陀という方が、再誕した時に、自分が何をしなければいけないかということを
もう魂に刻んでいるから-。

彼らがほんとうに肺に落ちて、心から頑張ろうと思ったときには
たぶん、そなたたちの運動に対して命を張って
ともに助力してくれる者たちが出てくるはずである。
その者たち、高い認識力を持って
かつ、この時代のために、この大計画のために
自ら進んで命を張って出てきた者たちを
ひとりでも多くここに集めていきたい。
彼らの認識力をもって、この時代を変えていくエネルギーとしていきたい。
その人材というのが、まず大事であるということ。
ひじょうに高度な人材が、まだ日本には眠っているということ。
下に堕ちた者もいるけれども、堕ちていない者もいる。

そして迷いながら、迷いながら、自分の使命というものを
人生の終盤になって問いかけている者たちもいる。
その者たちに、こういう計画があって、天上界は見放していないのだと
必ず、我々が、天上界は地球というものを
この宇宙連合の一員にしていくための
この大計画の神の計画というのは
あきらめていないのだということを伝えてやってほしい。

そうすれば、最後の瞬間まで
人は一年、長く生きたとしても、多くの事をやれる。
イエス・キリストに至っては
三年あれば今まで世界中を救い続けているではないか。
だから、最後の一年でもいい、最後の五年でもいい、彼らに伝えていきなさい。
そうすれば、力ある彼らが、最後の残された日々に何をしなければいけないかを
本気で力を、本領を発揮したのならば
世界を変えていく絶大なるエネルギーとして
彼らは使命を果たして、我々の世界に帰ってくることができるであろう。

そのための、レムリアの計画であるということ。
そのことを、そなたたちは認識しなさい。

(2005.6.2 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-02-25 08:54 | ポセイドン | Trackback | Comments(0)

ポセイドンからのメッセージ

我はポセイドンなり。
人は「海神ポセイドン」と言っている。
今日、ここに参上できた喜びは無常のものである。

アテナよ、そなたは今世、大きな使命を持ち、今、歴史の重要なポイントの中で
その力を尽くすことを神々に乞(こ)われているのである。
私も長い間、海神としてほかの神々と相容れぬ時を過ごしてきた。
兄であるゼウス神とも、互いに歩み寄ることなく
この数千年の時を別々の世界で過ごしてきたのだ。

今、この時、日本神道の神々の、特に海神の援護を受け
我々、地球世界の海神が手をつなぐことにより、表の神々とも力を合わせ
今、ひとたび地球救済の計画に参加する要請を受け
表、裏ともに相力を集わせ、この計画に参加しようとしている。

今、地上を見るに、これほどまでに汚れきった、この地上のけがれを
かつての私であるならば、大洪水を起こし、地上粛正という形で
地上の汚れきった民人を洗い流す、そのように、考えたかも知れぬ。
しかし、天の神々の心は愛深く
今ひとたびの猶予の時を、忍耐を持ち、待とうとしている。
神の深い、深いお心を知るにつけ
我々も、今ひとたび、洪水により地上を洗い流すことを待とう。

かつて我々は地上を、この地球という神の体をけがす
悪い想念で汚す人間たちをいましめるために、いくつかの大洪水を起こし
また一から立て直す、そのようなことをしてきた。
聖書にもあり、そして、ギリシャの神話の中にもある大洪水がそれである。
それは、世界各地に起こっているもののはずである。

それがまた、今一度、巨大な津波となり、大きな洪水となり
地上の人びとを消し去ってしまう。
それほどまでに地上が汚れているのだということ。
神々の怒りは、もう限界にきているのだということ。
そのことをお前たち、人間たちは心から反省せねばならない。

そなたたち人間が、どこまで、このけがれ切った波動から愛の波動へと移すこと
変わっていくことができるのか、私たちはまだわからぬが
しかし、その可能性を少しは信じてみたいと思う。
その要にいるのがそなた、そして、そなたの仲間たちである。

このような巨大な計画の中で、今地上におき、法輪を手にしているそなたは
ほかの神もおっしゃられていたが、たいへんな幸せ者であると
慎んでこの命を受けなくてはいけない。

かつて、私とアテネの町を相争い、また地上においてゼウスとも戦ったとき
そなたは常に先頭になり、私を屈服させてきた。
今思えば、あのような戦いは小さな、小さなもの。
今は、地球規模で、この戦いが行われようとしている。
戦うべきは人間、お前たちの心に巣くう汚れとも、迷いともつかぬ
誤ったその物質界に執着した、その心根なのである。

サタンが降り、ハデスが降り
さまざまな悪霊たちが人びとの心を引っぱり、計画を挫折させようとするが
そなたたちのけがれた、曇った神性に彼らは巣くうのであって
光輝く神の子の神性には何もできないのであるから
しかし、よくよく注意せよ。
よくよく油断するな。

今回の事故などを見ていても
それはそなたたちの、皆、不手際、あせり
そのようなものが戒めとなって降りた形である。
このようなものが、もっとひどい単位で起きるぞという計画でもある。
我々もそなたたちを護ってはいるか
自らの心の曇りにより引き寄せてしまう魔の誘いは
我々でも防ぐことはできない。
なぜなら、そなたたち自身が魔を呼び込んでいくことになるのだから。

ORしかり、TKしかり。
わたしはきついことを言うかも知れないが
厳しすぎることを言うかも知れないが
サタンが彼らをはめたのではない。
己が神性の、神になりたい、神にも勝りたいという
その思いが彼らを招き入れたのであると、私はそう思う。

肉体を持ちし者は、所詮人間なのである。
至高の存在である神に対し、心から謙虚に仕える姿勢を持たなければ
あのような姿になってしまうのである。
だから、そなたたちも、くれぐれも注意をしなさい。
我々が護ろうにも、そなたたち自身が神の手を振りほどき
サタンたちと手をつなごうと手を差し伸べてしまうのなら
我々はそれを止めることはかなわぬのである。

よいか、すべてはそなたたちの心の中にあるのである。
だから、神の使途として、もっともっと、光ある存在として
迷いのない愛の思いを発しなさい。
圧倒的な愛と、圧倒的な光の中で周りを照らしなさい。
それが今、何より今の時代の中におき、求められているのだ。

そなたたちは巨大なかがり火である。
神のかがり火である。
高く、かがり火を頭上に掲げよ。
迷いのない、確信に満ちたかがり火であるならば
真にわかる者たちは、そこに寄って来るであろう。

スパイを行う者。
そなたたちを中傷するために寄って来る者。
そのような者も確かに寄って来るから、気をつけなくてはいけない。
しかし、彼らも救われたいのだ。
彼らも神の子としての神性で、救われたくて、救われたくて
傷口が苦しければ苦しいほど、救ってもらいたいという願いは
傷のない者たちより、もっと強くなるのだ。
だから、寄って来るのだ。

そういう彼らも、その胸もとに包み込むように
あなた方の圧倒的な愛の中で癒してあげなさい。
それが女性である。
あなた方ならできるのだ。

男性は、なかなかそれができぬ。
どうしても、己が意志と意見が食い違う者に対しては、対立し
戦ってしまうのである。
そういう者たちの身も包んで、けっして攬乱されることなく、毅然としながら
しかし、その愛の中で癒してあげなさい。
愛とは何であるか、けっして裏切らないものであるということを
そのやさしい微笑みの中で、傷ついた者たちを癒してあげなさい。

私も本来であるならば、海神をする前に
それなりの光の天使であったことは間違いないのである。
かつて、神話の時代、神と呼ばれた者たちが数多く出た。
そして、人類の芸術と思想の流れの基盤をつくろうとしたのだ。

その時、ギリシャは霊的に見ても
知性の分においても、芸術においても、文明の極みの中にあった。
今だに、その燦然と輝くギリシャの、その叡智の光は
今日まで人びとを導き続けているはずである。

そなたたちの中で、オリンピックというものがあるであろう。
あれも、三千年を超える時の流れの中で、今だにあれを超えるものを
そなたたちの社会の中でつくれぬではないか。
ギリシャの中でつくられた芸術
そして、オペラ、さまざまな演劇
そのようなものの原形は、その時代に確立されたものである。

ギリシャ神話の中にある、美しい牧歌的な
しかし、神と人間たちとの関わりについて、人間的であればあるほど
神々は人びとの心の中に受け入れられていったのである。
地上に降りし神々も、肉を持てば人間と同じであったのだ。
ただ、その時代の指導者としての身を持ったという
その時代背景があったのである。

今、思うと、とても懐かしい。
相争ったこと、すべてがいとおしい。
そのように思える今の状態を、私はとても喜びに満ち、感動している。
そして、また、新たな時代がやってくる。
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そなたが、このような地球規模の計画の中で、白羽の矢が当たったということ。
そなたの生い立ちから
そして、高橋信次という、エル・ランティと呼ばれる方が出られたときから
ずっと流れを見守ってきた。
そして、その人生の中に、その学んだ神理知識を刻んでいるという
ほんとうにわずかの可能性の中で、確実に導かれ
九次元神霊の言葉を胸に刻んで、今日を迎えている。

なかなか、この確率は少ないのだ。
地球、何十億の人数がおれども
あの時に、あの時の高橋信次のG会という団体を通し
ORという方の初期の頃からの講演を聞き
そして、どのように曲がり、どのように転落していったかを
すべてを見守り続けてきて、かつ、サタンの攻撃がどこにあり
今、組織がどのようになっているか、正確に理性的に
間違いなくとらえている者たちはほんとうに少ないのである。

いないことはない。
しかし、私たちがその者たちの心を見ていると
ほんとうの意味で神に仕えるというよりは
だからこそ、我こそはという思いの中で、皆が力を合わすことよりも
自己主張し、分裂してきていることのほうを悲しく思う。

もっともっと、そなたたちの助力者がいてもよいのだ。
何のために、あのように法を学び続けてきたのか
神理知識を頭に詰め込んできたのか、我々、神々は悲しく思う。

先日、兄、ゼウスがおっしやられたように
難しい神理知識など頭に詰め込みすぎなくてよいのだ。
人間として、神の子として、本来の最も大切なところを
今一度、確かめよ。
確認せよ。
その光を広げよ。
もう一度、原点に戻れ。

愛とは慈しみであり、優しさであり、許しであり、助け合いであり
そして、謙虚さを伴うものである。
そんな簡単なことがわからぬほどにおごり高ぶり
人びとの心は
物質的な物の豊かさを求めることだけが人生の最大の興味であり
目的であるかのようにひた走りに走っている、愚か者の軍団である。

崖っぷちに向かって豚の群が突っ込み
崖の上からみんなまとめて落ちて死んでいくように
我々はそのように、人類の行き先を見ていて思う。
何と愚かな者であろう。

物質文明などというものは
物質文明自体が時代の中で要請されている役割が終われば
それほど価値のあるものではないのだ。
ただ、宇宙文明に行く前に今、急濾、近代科学というものが進歩
発展するということが要請されている時代だからこそ
科学文明が一挙に進歩してきたのである。

それ以外は、人間の真の幸せということを考えたならば
三千年昔のギリシャの地で、我々が布切れ一枚、体に巻き
そして、音楽を奏で、酒を飲み、神殿の中で
そして、人びとも和やかに演劇などを興じながら、神の話をしている。
そして、日常の生活を親子、家族楽しく、仲良く暮らしていく。
オリンピックを見
みんなで日夜、スポーツに、文学に、演劇にといそしんでいる。
その姿のほうが、よっぽど幸福であるということ。

人間が幸福であるということは、そんなにも変わらないのである。
今日のほうが、三千年経ったギリシャの時代よりも幸せだと
そなたたち、ほんとうに言えるか。
ただただ、ちょっとばかり便利になっただけであり
ほんとうの幸せは、夫婦、仲睦まじく
親子、皆、仲良く、健康で助け合って生きていける。
それが幸せの原点であるということを
今、そなたたちは学んでいるのではないのか。

その幸せを維持するために、社会を幸せにするために、発展させるために
男たちは外に行き、仕事をし
女たちは愛のために家族を守り、世話をし、生きていく。
その間に、余分な物質などはそういらないのに、女性たちの姿はどうだ。
つまらぬブランドだの、つまらぬ華美な贅沢さを求めるがままに
最後は女性としてもっと大事な貞操というものを軽んじ
自らが幸せであるかどうかをわからなくしている。
そんなものは、進歩したのではない。
明らかに、かつて三千年昔より後退したのである。

人間たちよ、目覚めなさい。
そなたたちが抱えている大きな心の病を
今、しっかりと見極め、今一度、神の子として神のもとへ戻ってくるのだ。
そなたたちの未熟さが、今日の文明社会の病を引き起こしているのだ。

どれだけ高度な神理知識を学べども、どれだけ難しい学問を修めようとも
どんなに素晴らしい科学技術が高度に進化しようとも
そなたたちの心が病に冒されているのであるならば
幸せなどどこにもないのだということ。
そのことに、もっと気づかねばならぬ。
そして、目を地球全体のことに向けて考えなさい。

今回の文明の中で、モーゼ、イエス、ブッタ、ゼウス
そのような神々が中心になって、この文明を支えてこられた
指導してこられたのだ。
しかし、まだまだ、多くの神々が天上界におられ
その方がたもまた別の文明を指導してこられたということ。

地球という歴史が、そなたたちが考えている二千年や三千年なものではなく
何万年という時の流れの中で、さまざまな指導を受けながら
そなたたちが、その大事なものを、神の子としての神性を学ぶために
長い、長い時、学習してきたのである。
そのために多くの神々の指導を受けてきたのである。

それにもかかわらず、そなたたちはまだ
そのような初歩的なことがわからぬのか。
原点がわからねば
その上の積み重ねは、何を乗っけたとしても砂上の楼閣なのである。
崩れ去ってしまうのである。

(2002.11.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-02-17 07:28 | ポセイドン | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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