地球を愛の星へ

カテゴリ:木戸孝允( 5 )

木戸孝允からのメッセージ(5)

前回の不幸なる失敗というものを見ておりますと
自己保身の固まりなのです。
法を説く仏であろうという者が、自己の欲にかられ
自己保身に走った結果なのです。

人の心にはみんなそれぞれ欲というものはあるのです。
それが悪いとは申しません。
しかし、そのようなもの、自分を捨ててほんとうに世界を救おうとしたか。
自分自身をほんとうに捨ててでも、この地上を仏国土、ユートピアにしようと
命を竜馬たちのようにかけたかというと、わたくしは彼らの意気込みの中に
その意気込みが欠けていたように思うのです。

やはり、ほんとうに自分たちが置かれている位置の意味というものを
ほんとうの意味で認識していなかった。
その甘さに、人間としての、肉体としての弱さ
欲というものが人間にはあります。
それはいいのです。
そこに鎌引っ掛けられ、落とされたというのが現状ではないかと思うのです。

竜馬たちのように酒を飲み、女を抱き、好き勝手なこと
言いたい放題言っていても、堕ちない者は堕ちないのです。
なぜ違うか。
自分を捨てて、天下国家のために、日本の将来のために、神の計画のために
命を張ったからでございます。
その意気込みがあったからなのです。

そこにおいて少しも
自分の口では言いたい放題言っていたかもしれないけれども
やはり自分を捨てた意味において、神の国を建設したいという意味において
純粋なる思いがあったから、魔などが寄ってきたとしても
そんなものは跳ね返してしまったのです。
そんなものは寄せつけることもできなかったのです。

その意気込みがなかった。
わたくしはそう思います。
だから、ここにおいてなぜ明治維新シリーズをやったかということを
あなた方学んでいただきたい。
彼らがどういうふうに命を張ったかということ。
その意気込みが何の意味があったかということ。

彼らは深い、深い、そのような魂の兄弟とか
永遠の転生輪廻の詳しい過去のどうのこうの-
逆に霊視できたり、神の国、天上界からの霊言など、何も知らなかった。
信仰心ということすら、このあいだ福沢諭吉さんも言ってましたけれども
「神なんか嫌いであった」というような人たちであっても
おのれ自身を捨てて、人びとの幸せのために、天下国家のために生きるという
その思いは、イコール神の子としての生き方そのものであったということ。
そのことをもって人びとは神の懐へ帰っていけるのです。

どれだけ目先で偉そうなお経を唱えていても、立派な袈裟を着ていても
どれだけ立派なペンダントを下げていても
そんなものが少しも神の国に帰る時の
その人の仏智や、その人の悟りの高さの証明にはならないのです。
その人がやってきた、生き抜いてきた人生の仕事の総決算をもって
それをもって、愛の深さと
その時代、人びとに対していかようなことができたかということをもってのみ
人びとは悟りというものを、愛というものを評価されていくものなのです。
そのことを忘れてはいけません。

お坊さんたちは、表面だけで法を説くことに慣れ過ぎていると
わたくしは思います。
神という言葉を語れば神の子であると
神を語れば神の代弁者であるかのように思っておられるかもしれないけれども
きついことを言うように思われるかもしれないけれども
神などという言葉を語らなくたって
神の子としての生きざまを見せていくことは可能なのです。
生きざまをもって語っていくことは簡単なのです。

無私なる思いで、神の子としての命を燃やし続けていくならば
そこに人びとは神を見るのです。
神という言葉を語らなくても、生ききって見せた時に、そこに神を見るのです。
それをどうか
明治維新の、この面々の生きざまの中において、学んでいただきたい。

そこが欠けていたから、莫大な量の神理知識があったとしても
あなた方は迷っていかれたのではないかと思うのです。
その決意が足りなかったのではないかと思うのです。
その決意の深さ。

今回のような場所に、今回のような位置に、この時代に生きるということは
ほんとに千載一遇のチャンスにして
あなた方は今ここに集っておられるということ。
このような場所に生まれてきたいと計画したって
生まれてこられるものではないということを考えていただきたい。

でもそれは、あなた方の過去からやられて頑張ってこられたその業績
心がけの素晴らしさ、生きてこられた徳の深さにおいて
今、ここに座っておられるのだということなのです。
しかし、ここにおいて座れるのであるのならば
このように我々の言葉を再び聴くことができたのであるのならば
どうかあなた方においてこの
今生の人生をけっして無駄にしていただきたくないと、わたくしは思うのです。

このようなことはもう二度とないでしょう。
次にある時は、地球がだめになったか、地球がシフトアップしたかです。
このような大転換期に、地球の大転換期に今ここの場に
この日本のこのレムリアに座っていられるということ。
我々のメッセージをこのように聴けるということ。
このような時もしばらくたてばまたなくなっていくのです。

今のこの時を大切にし、今この時の中で、人に頼るのではなく
あなた方一人ひとりが何ができるかということを、その胸に問いかけ、問いかけ
この時代の中で、自分の個性を使って、何を生き抜くことができるか
竜馬たちのように生き抜くことができるかということを
常に心の中に語りかけ、生き抜いていただきたい。
この今地上生命の一時いっときを惜しむかのように生きていただきたい。
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あと何十年生きてる、あと数十年ということを話しておられるようですけど
我々のこちらの世界に帰って来た時の長さから見たらば、地上での数十年など
あっという間のことなのです。
あっという間に過ぎ去っていく時なのです。

そのことを考えて、どうかあなた方は今の一瞬一瞬を大事にしていかれ
そしてあなた方でしかできない
この今の法の編纂という仕事に、命をかけていただきたい。

前回除名されていった者たちを見ていると
わたくしが見ていても、これではやっていけぬと
十分甘かったくらい甘かったと、わたくしは思うのです。
しかし、あの方たちでは法の編纂はできないのです。

今ここに残っていくということは
今座っているあなた方にも申し渡しておきましょう。
心の中に迷いが出てきて
神の計画のために一心に命を張ろうという気持ちがなくなったならば
次はあなた方もここの席に座ることはできなくなるかもしれない。

前に去っていった人たちを見てください。
いつの間にか霊言を聴くことに慣れ
いつの間にか霊言をとることが当たり前になっていった中において
そこから学ぼうという、今という時の必死さというものがなくなって
自分のための自己実現の道具や、自分の自己正当化するためだけに
レムリアの霊言を使おうとしていく
ひじょうに間違ったものに変わっていっているんだと思うのです。

そんな者の中に神々のメッセージが降りるわけはなく
我々は通信を送っているのではないのです。
地球を救うために、全人類を救うために
この地球を宇宙の愛の星にしていくために
悲願のような思いで我々が命を捨て、未来に託した夢を今あなた方が行い
具現化しようとしてくれている。
その今、要にいるのであるということをもって
あなた方に命を張っていただきたい。

もし迷ったならば、もしわからなくなったならば、自分が、竜馬のようなら
どのようにしたらこの一回きりの人生を生き抜くことができるか。
そのように問いかけていただきたい。

まだ若干三十代初め、松陰さんは二十代後半
三十そこそこでみんな死んでおります。
そのことからみたら、あなた方は十分もう今回の人生
生きているはずなのです。
一度捨てた、もう終わった人生。
彼らと同じ長さであるのなら、一度もう終わった人生として
もう一度もらった人生として生き直す気持ちで
これからの一時いっときを生きてみたらいかがでしょうか。

そうしたならば、深い感謝の中で
もう一度転生、転生二回分をもらっているのだという感謝の中で
あなた方はこれからの時を刻むことができるでしょう。

明治維新の者たちは、その段階で斬られておしまいなのです。
死んでおしまいだったのです。
自決しておしまいだったのです。
そんなことではなく、そこからその知識を持ったまま生き抜くことができる。
今回人生継続できるという幸せをもって
それも神の最大の計画の中に使っていただけるという喜びと感謝をもって
これからの一時いっときを生きていかれたらいかがでしょうか。

そのような決意をもっていかれたのならば
このような膨大な素晴らしい霊言と神理というもの、神理知識というもの
法というものが降りているのです。
それを狂わすことはないでしょう。

わたくしはこれが、いつかテープに出ることを望みます。
そしてCDで、多くの地球上の方がたに語りかけたい。
レムリアの今ここに座っている方がただけではない。
これからレムリアの霊言集、さまざまなことにより集って来られる方がたよ。
世界中の方がたよ。

たとえ肌の色、目の色、髪の色が違っていようとも、歳が若かろうとも
歳が老成していようとも、そんなものは関係ない。
言葉が違っていようと、どんな国の言葉で違っていようと
どのような階級に所属していようと、富があろうとなかろうと
知識があろうとなかろうと
あなた方はみな平等、神の子であるということ。
命ある永遠の転生を生きている、生き通しの
神の愛される神の子であるということ。

あなた方は認識なされ、多くの人びとに、互いに神の子としての認識を持たれ
愛し合って、この地球というものをひとつにして
まとまっていかれるという時代がきているのだということ
無益な民族間、無益な国境間でのさまざまの争いをもう捨てなさい。
そんなものではない。

肌の色が変わっていようとも
みんなあなた方のかつての同胞であったかもしれない。
いろいろな国ぐにに幾転生していきながら
あなた方はいろんな国ぐにに生まれている。
今あなたが戦争している、しかけている国にかつていて
そのあなたのかつての子孫たちがそこで苦しんでいるかもしれないのです。
そんな無益な戦争はやめなさい。
愛し合いなさい。

それぞれが握ってしまっている宗教的な理念、民族的な理念
政治的なイデオロギー、価値観、そういうものをいちど白紙に戻し
地球という、この神がおつくりになった愛の星に住む、同じ地球人として
同じ神の子としての認識の中で、みんなが手をつなぎなさい。

そのような差別意識ではなくて、みんな神の子であるという思いの中で
心の手と手を取り合って感謝し合った時
この地上は危機的な破壊から救われるのです。
そうでなければ、あなた方が同胞を、仲間を、兄弟を
憎しみ合う想念がこの地球の上空にうず高く、どす黒く取り巻き
今地球意識が苦しみ
地球自体の存亡に関わるほどのたいへんな状況にきているのです。

これから多くのことが、天変地異も起きるかもしれない。
でも、それを最小限に食い止め、愛の波動により、光の波動により
このマイナスのエネルギーの総決算を終え、無事に嵐が過ぎ去ったあとの
美しい虹のかかった青空として眺め渡ることができるような
そのような心境をあなた方は今これから築かねばなりません。

台風のあとの、台風が去ったあとにあるでしょう。
台風のあとの、美しい、美しい青空が見えるでしょう。
そこには大きな、大きな七色の虹がかかっているのです。
人類に希望はあるのです。

その希望につなげるために、わたくしたちは明治時代の時にも命を張り
今日の計画のために、命を散らしていったのだということを
どうか、どうかあなた方、わかって、現代の日本人
今現代の世界中の人びとよ、気づいていただきたいと
わたくしは切にお願い申し上げたいのです。

この神々の起こされた最大級の計画は
このレムリアをもって最終計画となっております。
このレムリアが最終的に、上手に次の九次元へのパイプが渡され
この計画が無事遂行できるかどうかにより、わたくしの見た
嵐のあとの美しい虹がかかった青空を見られるかどうかが
決まってくるのです。

でも虹をかけましょう。
命を張り、我々が本来の夢を、神の
神とともに同じ夢を見るのであるのならば
わたくしたちは必ずや美しい虹を見ることができるでしょう。
そのためにこのレムリアは存在します。

今天上界のパイプが通り、このようにわたくしたちのメッセージが
地上の方がたに今ひとたび、あなた方に伝えられることを
心より神に感謝します。
今日はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました。

(2005.4.9レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-23 12:59 | 木戸孝允 | Trackback | Comments(0)

木戸孝允からのメッセージ(4)

あなた方が今生きていらっしゃるこの時代
この日本というところがいかに希有な
まれなる素晴らしい時代にあなた方がめぐり合わせ
今転生し、肉体を持たれているかということを
たぶん亡くなられて、この我々の世界に帰って来たときに
「今わかっている」とおっしゃられるかもしれないけれども
もっともっと認識されるでしょう。

多くの者たちが出たかったのです。
今の日本に生まれたかったのです。
しかし、あなた方は
選ばれに選ばれ抜いて、この地上に出ていかれた。
そして出ていかれる時は、数多くの決意書というものを書き
数々の誓いというものを立ててこの日本に出て来られているということです。

そのことを思ったのなら
あなた方はもっと今世の人生を大切にしていただきたいのです。
おのおのの個性を開花させるとともに
一瞬一瞬をもって神の子であると、神の計画の具現者であるという
そのような認識において、その命を燃焼させ
それを光り輝かせていただきたい。

神の計画というものは、計画という組織の中において
一人ひとりの個性を押し潰し、ロポットのように、命令系統の中で
おのれ個人の個性を抹殺せよなどということはけっしてないのです。
前回そのような傾向性があったかもしれない。
そんなことはないのです。

神の計画というのは本来、計画の中で精一杯命を燃やすのならば
一人ひとりの命が、個性が輝き渡る。
明治維新の時もそうであったでしょう。
一人ひとりが命を捨てて、命を張って
大いなる志、大義のために、志のために命を燃やして
竜馬たちも生きていったのです。
勝さんも西郷さんも、みんな生きていったのです。
松陰さんもみんな生きて死んでいったのです。

その中においてどうでしょうか。
彼らは壮絶なる個性の光を放ったではありませんか。
誰から見ても吉田松蔭であると、どこから見ても勝海舟であると
どこから見ても坂本竜馬であると
みんなそのような神からつくられたオリジナルの
その本人でしかない個性というものを、きらめきを輝かせて
最後散っていったのではないでしょうか。
それこそが神が望まれていることなのです。

個性を捨てて、ロボットのようにイエスマンになって生きろなどと
そんなのは本来の神の計画のもとに生きるということではない。
本来の神の計画というのは、一個人、個人をいかにしたら活かし
その本来の、原初の神がつくられた
その個性というものを輝き渡すことができるか。
そのために立てられるのが神の計画なのです。
間違ってはいけないです。
それだから少しも恐れることはないのです。

その中でいかにしたら、竜馬たちのような
あのような光を解き放つことができるか。
おのれ自身を捨てよということです。
おのれ自身の一回の幸せを、欲をつかんでいる限りは
あの壮絶な光は出ないのです。
おのれを捨てて
日本の将来のために彼らは気づいていなかったかもしれないけれど
将来の日本というのは、本来の神の計画の具現されるユートピアの日本
輝く日本というもの、そこに彼らは夢を見て
その夢の中に死んでいったのです。
生き抜いていったのです。

そこあってこその無私な思い、そこあってこそ神の光が作裂して
一人ひとりの個性がきらめく瞬間であるということ。
その思いをもってわたくしは、あなた方にも言いたい。

みな坂本竜馬になれるのです。
みな勝海舟になれるのです。
みな吉田松陰になれるのです。

あなた方一人ひとりの個性をもってきらめき
一人ひとりの個性と努力をもって、咋裂した
神につくられた大いなる神の子としての誇り高き人生を生き抜きなさい。
それをもってあなた方の名は必ずや
歴史の中に名を留めることはできるでしょう。

名前を残したくて死んだ者はひとりもいません。
しかし、結果として残るのです。
なぜならば、それこそが神が本来希望された
本来神の子として生きるべくして、期待された道であるからなのです。
彼らはその模範を示してくれたということなのです。
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生き抜くとは、人間として生き抜くとはどういうことであるか。
組織やひとつの体制や、憲法で、彼らが生きたでしょうか。
彼らのような生き方ができたであろうか。

西郷隆盛という人を見てごらんなさい。
彼が組織というもの、体制というものにこだわったであろうか。
彼は情の人でした。誠の人でした。
彼が信じたのは常に、常に常に深い情愛の中で、人びとを愛して、自分を捨てて
この国家を考え、若い人たちを愛し抜いて生きたのです。

そこにおいて、情をもって
多くの人びとを活かすということに彼は、樫の樹のような
大いなる素晴らしい大木のような思いで
人びとの前に立ちはだかって見せたのです。
その頑として大いなる彼の不動心の中に、多くの若者たちが慕い寄って来た。
その大きな腕を広げ、その張った大いなる枝の葉の陰に
多くの者たちが、安らぎを求めて集って来たのです。
それを彼はしっかりと抱きしめて、その時代の象徴として立っていったのです。

彼はけっして自分の名を残そうとも思わなかった。
彼自体が天国に入ろうとか、神に認められたいとすらも思わなかった。
しかし、ひとつの時代を生き抜いた者として、彼のような情深き
愛ある人がいてくれたからこそ、あの殺伐とした時代も潤いというものをもって
人の情を大切にし、愛に生きることがどれだけ大事であるかと
けっして明治の偉人と呼ばれた、三傑と呼ばれた人の中においても
愛というものは不在ではなかったのだということを
彼は実証してみせてくれたのではないかと
わたくしは彼に感謝をしているのです。

どうしても切った、張ったとか、誠とか、正義とか
そういうものばかりが横行した時代でありました。
油断をすれば叩き斬られた時代でもございました。
人が人を裏切っていった時代でもありました。
その中において、彼のようにたとえ小さき者であったとしても
弱い者で、若い者たちであったとしても
彼は大いなる愛で、情と申しますけど、愛であります。
彼の愛であります。
愛でもってその時代をくるみ、両手で包んでくれた。
その愛をもって、彼はその明治維新のひとつの象徴となったのであります。
だから彼がいまだもって、人びとに愛される理由ではないかと
わたくしは思います。

我々は仏弟子ではありません。
明治維新をやった者たちはだいたい革命家、改革家が多いのです。
だからあなた方のように
法を直接に預かっている仏弟子と呼ばれているお坊さん軍団ではないので
わたくしたちは直接法を説く権限というのはございません。
わたくしには少しございますけれども
ほかの方がたはそういうのはないのです。
神がとか、仏がとか
宗教がとかいうことを語るような立場にない者たちなのです。

でも、彼らの行いを通してしっかりと
神のまことというもの、神の真義というもの
我々は真義とか、まこととか、情とか
いろいろな立場で、いろんな言葉を使っておりますが
それは究極でいくならば、神への信仰心におかれる
法の一部としての真義であり、愛であります。
そのようなものを彼らは行動、実践の中において
命を捨てきる愛の炸裂というものを-。

時代を愛し、未来の日本を愛するということ。
具体的に行動原理として、どのようにして見せたならば
神の子として生ききることができたということか。
そしてその結果において一人ひとりの個性というものを作裂して
本来神に期待された命を生ききるとはどういうことであるかということを
行いの中で見せてくれたのであると、わたくしは思うのです。

そういう彼らをわたくしはたいへん誇りとしております。
この計画で招集し、彼らがこの計画のために参画し
そして地上に生きてあの時代をつくってくれてきた
そのような者たちとして、それを見守ってきた者としても
わたくしは彼らに深い、深い感謝をしているのです。
そしてその姿をもって、あなた方は彼らを見習わねばなりません。

(2005.4.9 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-10 05:50 | 木戸孝允 | Trackback | Comments(0)

木戸孝允からのメッセージ(3)

ちっぽけなおのれ自身の幸せに関わるのでなく、大いなる神の計画の中において
自分の命を最大限に燃焼し尽くすということ。
いちばん大切なことは神の神理であるということ。
この神理を今人びとに明かさねばなりません。
明かさねば人びとはいつまでもこの無知なる、迷路のような暗闇の中で
いつまでたっても苦しみから解放されることはないのです。

肉体を離しても、死を迎え
肉体から離れて我々の実在界というところに帰って来ても
人びとは少しも不幸ではないのです。
神の子としての自覚さえあるならば
この実在界こそが本来の幸せであるということを
人びとが知らないから、いらぬ地上への執着というもの
この地上限りの人生だと思うからこそ
権力、名声、富というものに翻弄された
人と傷つけ合ってでも、お互い神の子であるのにかかわらず
人の足を引っぱり、陥れ、政治的な策略の中で、人は生きていくのです。

そのような欲に負けた人生というもの
そのようなものがいかに不毛であるかということをもって
あなた方は世に知らさねばなりません。
その根本がわからなければ、どれだけ美しい美辞麗句で憲法を唱ったとしても
人びとを根本的に幸せにする法などとはなり得ないのです。

生き通しの命であるということ。
永遠の命であるということ。
人間がみんな神の子であるということ。
内在した素晴らしい叡智がその中に
永遠の生命とともに封じ込まれて、中にあるのだということ。
誰ひとりとして生まれてくる必要のない者はない。
すべてが素晴らしい命であるということ。
それに気づき、人びとが肉体という観点ではなく
生き通しの命という観点で見たのならば
人びとの幸せの価値観も自ずと変わってくるのです。

そのようなことをもって、人びとが幸せだとか、不幸だとか、戦争だとか
そのようなことの中で悩むこともなくなっていくのです。
そのような大ルネッサンス
精神的な価値の大転換というものを行っていかなくては
どれだけ憲法の上っ面だけを変えてみたとしても
それは根本的に人類を平和にすること
幸せにしていくことにはならないのです。

人びとが本来の神理の知識の上に立った
真の幸福論というものをわきまえない限り、認識しない限り
いかような方法論をもっても、組織構造図を出したとしても
体制をつくってみたとしても
イデオロギーをだしてみたとしても、そんなものはー

人はみな神の子であるということをもってしたのならば
神の子として、人間としてどうしたら幸せであるかということは
ある意味でひとつであるということ。
その原点に帰りついていかなくて
人びとはほんとうの意味で幸せにはなれない。
組織や体制や政治機構では、人は幸せにはなれません。

幸せというのはどんなに虐げられた中にあっても
幸せを感じる者たちにおいては幸せなのです。
どれだけ富と権力と財力と
異性をどんなに自由にしたというような立場にいた者たちであっても
国家元首、総理大臣と呼ばれた者たちであったとしても
天上界に行っている者たちは少ないはずなのです。

首相と呼ばれていた数多くの者たちが、地獄に堕ちているのです。
そのことを思ったのならば、あなた方はもっともっと
本来の幸せはどこにあるのかということをわきまえなくてはいけません。

その精神復興という、根本的なところを説かれるには
九次元と呼ばれる権威ある方によってこそ
神理の法というものがこの地上に説かれるという
そのような決まりと申しますか、権威というものが持たれているのです。
そのためにも九次元と呼ばれる方がたが
下生なされるという意味がとても大事なことであったのです。
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高橋信次、エル・ランティと呼ばれる方が説かれた
魂の兄弟、潜在意識と顕在意識との関係
こういう根本法に関わるひじょうに深いこと
これはやはり高橋信次と呼ばれている方が九次元であられるからこそ
語ることを許されたことなのです。
我々も知ってはおりましたけれども、それを地上において語るという
その意味、その権限というものは、やはり九次元の救世主であられるからこそ
語られたということなのです。

そして三部作におけます、根本法におけるもの、それはOR、仏陀として
九次元であられるからこそ、降ろされた内容であるということなのです。
誰でも彼でもがこのような根本法というものを降ろせるわけではないのです。
それをもって、九次元が出られたということ。

あなた方は確かに中継ぎかもしれない。
中継ぎとして間違ったものを、我々の霊言を受けながら
本来の正しい法に軌道修正し
そしてもう一度、正しい九次元の法に直すために
今一度九次元が降り立たれているのです。
そのためをもって孔子、セラビムと呼ばれている方が
わざわざ下生なさっていただいたということなのです。

すべてが我々レベルで話ができるのであるのならば
わたくしたちが話をしてもよいのでしょうけれども-。
やはりそれを、根本法を
九次元をもって降ろすということが決まっておりますので
そのような意味でわざわざ孔子が降りていかれたのだということを
あなた方はわかっていただきたい。

しかし、もうすでにあなた方が中継ぎだとおっしゃられても
高橋信次、エル・ランティ
OR、仏陀と呼ばれている方がたが説かれた法の基本が
相当打ってございますので、それを継承し、その部分的な過ちというもの
それをベースにした、土台にした意味において
今この方がその霊言を伝えていくということは、それは可能なことなのです。
しかし、本来の九次元レベルの初めて神理が降ろされていくこと
それはやはり九次元が九次元の権威をもって降ろされていかれるということ。

(2005.4.9レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-21 06:33 | 木戸孝允 | Trackback | Comments(0)

木戸孝允からのメッセージ(2)

今までの憲法、日本国憲法にしても、大日本帝国憲法と呼ばれていたもの
大日本帝国憲法はもうひじょうに古くなったでしょう。
だから日本国憲法に代わってきた。
そしてでも、それも過渡期的なものであって、その今の憲法ですら
今の近代国日本には合わなくなってきている。
それは常に塗り替えられていくでしょう。

日本国憲法自体が次に塗り替えられていく時、それは何になるか。
それは精神復興運動、精神革命といわれている、本来の神のもとへ戻っていく
大ルネッサンスという革命運動が起きる
それのもとに憲法の条文自体が変わっていくということを
わたくしは前回申し上げているはずなのです。

そのルネッサンスということが、精神復興運動ですね。
それが本来が、人間が神の子である、永遠の転生をしていく中の
永遠の命を持った中における、それの今回の修行であるという
そのために神の子であるなら、あなた方は何をせねばならぬか。

七色の個性を持ち、七色の素晴らしさを持ち
神より創造されたものであるのなら
あなた方はこの与えられたわずかな人生のこの地上の時に
何をもって神に献身していきたいのか。
それを人びとに問う。
それあってこその地上の生命の本来の意義であるということを
憲法に唱わねばならぬのです。
そういうような、精神的な復興運動
大ルネッサンスというのが起きるのが本来の計画であったのです。

ギリシャの時にあり、中世の時に
ルネッサンスという復興運動というのが起きました。
ルネッサンスというのは再生という意味です。
再生、精神を再生させていく。
わたしは再生するというよりは本来、回帰していく
神の子であった者たちが
本来自分たちが神の子であるというところに気づいていく
回帰していく、認識していく。
そして本来の自分に気づき、再生し、生まれ変わっていく。
そのような素晴らしさを、憲法に唱わねばなりません。

そのまず精神的なところが、しっかりとできたのであるのならば
その精神的な高みができたという、認識があるのならば
それ以外の制度というものはどんどん順番に変わっていくのです。
そのことは誰かほかの方もおっしゃっておられたと思います。
ドミノ倒し的にどんどん
そんな組織体制というものは変わっていくのであるということを
どなたかおっしゃっておられたと思うのですけれども
それは我々明治の時、出た者たちも同じような認識を持っているのです。

その露払いとして明治維新というもの、明治のあの時期を無血革命と呼ばれる
江戸開城というものを通して、政治支配体制を変えていき
そして人びとに血を流させることなく
人びとに近代国家日本という道を歩ませることに
我々なりに精一杯努力をし、そしてそれなりに成功したのではないかと
わたくしたちは思っているのです。

その計画の中において、みんな一丸となり、頑張った者たちであるのです。
それは何のために一丸となったか。
それは今日の、上位霊界における大計画、神の大計画における前段階として
この日本という国土を
その神の国の法の種をまくにふさわしい土壌とせんがために
わたくしたちは命を張ったのです。
それをもってあなた方が今、法の布教活動、法を地上に降ろすという
地上ユートピア運動のための最先端として
あなた方が出ていかれたということなのです。

ですからあなた方が命ある限り、精一杯頑張っていただかねば
我々が命をかけ、血を流し、この近代日本にしたという
その意義そのものが無意味になってしまうのかもしれない。
そのくらいの気持ちをぜひ持っていただきたいという気持ちが
我々の中にはあるのです。

ですから今回のレムリアの中で、あなた方は単に明治維新というものが出てきて
我々が続々と出てきたように思っているかもしれない。
単に明治維新の時代の者たちは興味があると
人気があると思っているだけかもしれないけれども、これは我々の意志であり
意志があるものによって
あなた方に霊言をとっていただきたいという意味を込めまして
今回明治維新の者たちが出てきている。
そうでなければ明治維新というものが
今回の計画の前段階としてちゃんと意味があって行われたという認識が
あなた方一人ひとりの中になかったのではないかというふうに思うのです。

そしてその、これから起こるべき縮小図と申しますか
ミニチュアと申しますか-
その前段階の意味をもちまして
わたくしたちは今このレムリアの方がたに対して
もうあとがない計画であるということを、あなた方が認識しているとともに
このOたちがやった、本来であるならば彼らが達成するべき
悲願ともいうべき計画というものを
あなた方にぜひともその志を継いでいただきたい。

彼らができなかった志
高橋信次と呼ばれている方が遂げられなかった思いというもの
それのすべてをあなた方に引き継いでいただきたいと
無理なお願いかもしれないですけれども、それは明治維新における
わたくしたち一人ひとりの者たちが達成したかった夢を
それを未来の日本の計画において
あなた方に、ORさんたちがやるような計画に対して
我々が引き継いでほしかった夢
そのものを今あなた方レムリアの方がたが引き継ごうとしているのです。

高橋信次さん、ORさんの志を引き継ぐのがあなた方であるならば
もっと返すならば、明治の、我々が出た、志士と呼ばれている
志士でなくてもわたくしたちのような
明治時代を、一時代をつくった者たちの
その悲願、その夢、我々が志として夢見たもの
命を張って未来の日本に託したもの
それをレムリアのあなた方がしょっているということを
どうか認識していただきたい。
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そこまでの認識はないのではないかと、わたくしには見受けられていたのです。
しかし、あなた方が継いでいただかなくては
わたくしたちが命を張った意味はどこにもなくなってしまうのです。
ただ国が近代国家になるだけであるならば
どの国も時代の連鎖反応の中で、近代化したのです。

しかし、この我々が命を張り、この近代国家にしてきた日本のこの流れの中で
日本こそ神代の国と呼ばれ、次の法灯のともる国として
数千年前よりもこの日本に白羽の矢が立ったという意味を込めて
我々は命をかけ、この日本に生まれてきたのです。
それが明治維新の本来の意味であったのです。

であるならば、明治維新に出た者たちすべての前回
部屋いっぱいに多くの方がたが来ていたはずなのです。
勝さんが連れてきたはずなのです。
その中にわたくしもおりました。

我々は向こうに帰っては、いがみ合ってはいないのです。
我々が夢を託した、未来の日本に夢を見た、それは大いなる神の計画の中に
この日本という国土がいつか花咲くのだというふうに
我々の気持ちの中に共通の思いがあったから、夢があったから
それを志として、自らの命を捨てて、人生を生き抜き
火花のように散っていった我々の人生であったと思うのです。

その中において、無惨な死に方をした者たちもおります。
名を残した者たちもいれば、名を残さなかった者たちもいるのです。
西郷さんのように、多くの若者たちの盾となって、罪を償われた人もいます。

我々の気持ちを、我々がいかような気持ちになって
今回のこの計画の中におき、命を散らしたかということ
その無念さをあなた方が引き継いでいただきたい。
けっして彼らを犬死ににさせていただきたくないと
わたくしはこの明治維新の計画を立てた者として
あなた方にお願いをしたくて参上致しました。

もし、ORたちがしたものが頓挫したのであるなら
明治維新の時、命を張った者たちの、その人生も無駄になったのです。
単に一日本ということだけではありません。
あなた方がこの日本を通して、世界に発信する神の叡智は
神の大ルネッサンス運動は、地球人類すべてを救っていくのです。
地球意識も救っていく。

そのことを思い、至らぬわたくしたちであったけれども
精一杯生き抜いたということをもって、あなた方も
そしてこれからレムリアに集って来られる方がたをもって
命がけで我々と同じように、この時代を生き抜いていただきたいのです。

(2005.4.9レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-08 16:26 | 木戸孝允 | Trackback | Comments(0)

木戸孝允からのメッセージ

今、皆さま方の質問を伺っておりまして
レムリア・ルネッサンスというこの計画におきまして
わたくしも胸に詰まる思いがございますので
今回皆さま方に、ひと言お話をさせていただくことができ
たいへん喜んでおります。

皆さま方、ご存じであられるかどうかわかりませんが
わたくしはかつて、YSと呼ばれていた
ORとして生まれた方の父親をなさった方と
たいへん縁の深いものでございました。

天上界におきましては、日蓮様、わたくし、まあ天台智顗
それからYSと呼ばれる本体の者とたいへん深い親交がございまして
今回の計画というものも、それはもう明治維新の以前から
今回の計画をこの日本の地に降ろすにはいかようにしたらよいものかと
いかようにしたらこのような神の、神々の大いなる計画を
この日本という国土において、花を咲かすことができるかということを
ひじょうに熱心に話し合っていたものなのです。

ですから、高橋信次さんという方がこのあいだ、お出になられまして
そのあとにORさん、そしてYSという者が次に出てくるということを
わたくしは側面からたいへん期待して
彼に対しても激励を送っていた立場にいた者なのです。

そのような立場にありながら、このような結果を生んでしまい
そしてその中において、あなた方が第三の計画として
レムリアという運動が立ち興ってきたということ。
そのことをわたくしは胸に詰まる思いで、見ていたものなのです。

逆に申しますと、YS、ORと同じような罪の呵責に胸を詰まらせ
神々に、人びとに対して申し訳ないという思いで
この計画を途中で断念せざるを得ないものであるかという
無念さを胸にかみしめながら、今日まできたものなのです。

しかし、あなた方がそれを引き継ぎ
今数々の困難、歎難にも負けることなく
あなた方はそれを乗り越えられて、今こうしてこの霊言を受け
この第三の計画を実行しようとしてくださっておられるということ。
そのことを思って、いかにあなた方に対してわたくしは感謝をしているか
どのようにお礼を申し上げたらよいか
ORに代わって、わたくしからあなた方に礼を言いたいと思うのです。
そして申し訳なかったと、改めて謝罪したい思いでいっぱいなのです。

本来であるならば、ORが説いた精神復興運動というものが
今頃は世界の隅々までにとどろき渡っていてもおかしくない。
それがあってこその天変地異であり
人びとに法と神々の、本来の計画と本来の意思というものが伝えられ
それから大いなるこの地球浄化のための天変地異があって
その中において人びとが神の懐に戻って行くという計画があったのです。

しかしそれが、先に天変地異がきて
人びとがわからぬままに死んでいくだけであったならば
少しも地球上において
神に対する認識力の精神的な革命というものは
行われなかったということです。

ですから急速第三の計画におき、本来ORが説かれるはずであった
その精神革命、神理を明かしていくということを
その続きをあなた方がやっていただくことにより
人びとの心に本来の法というものを、神のみ心を伝えていくことによって
それから天変地異というものを先延ばしにするという
そのような計画が急速、計画変更という形で行われたということなのです。

もうすでにその予兆というものが起きております。
しかし、我々もそれ以上は言ってはならぬということが
上位霊界より申し渡されておりますので
そのことはいらぬ恐怖心をあおることになります。

しかし、そのためにも少しでも早く、人びとに正しい法の知識というもの
霊界の知識というものを、そして神々のご計画
本来の地球を浄化するための計画というものを
地球上の隅々の人びとに伝えねばなりません。

それが明かされるのが今この至福の、恵みの時である
この地球計画の大いなる時であるということ。
その意味をもって、地球上の人びとに
人類に霊界の智慧の扉が開く、解放される
そのような時というのはー

天変地異の繰り返しというのはいくらでもあったのです。
しかし、そのような人類に、神の叡智というものが下る時というのは
そんなにたびたびはなかったのです。
そのように今、大事な、大事な時にあるということ。
そのために我々明治維新の時に、その下準備があったということ。

それを上位霊界のほうで計画なされ
そのために我々は命を張って明治維新を興し
日本という磁場を、国土というものを近代国家にし
そしてあなた方のような方がたが、こういう霊的なことを自由に説かれる
そのような場所というものを用意するために
政治体制、そのような近代国家へのステップという意味において
明治時代の志士と呼ばれている者たちは出ました。

そして前回聞いておりますと
ノストラダムスという方がおっしやっておられましたけれども
十九世紀、十八世紀後半より
ひじょうにスピリチュアリズムという霊的なものが
徐々に徐々に人びとの心に違和感ないような形において
世界各国において降霊会というものを通して
人びとの心の中に免疫をつけさせるようにし、受け入れ
霊天上界からのメッセージというものがあるんだということ
エドガー・ケイシー、スウェーデンーボルグ、いろいろな方
シルバー・バーチ、いろいろな方がたにより、精神的な意味においても
人びとに免疫をつけさせてきた。
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そして王制体質の、専制主義的なところから近代国家
科学というものを発達させる中で、人びとをそういう中世的な
中世の専制主義の中で自由のない、教育のないところから解放しつつ
精神的にも、物理的な意味においても、科学と経済的なもの、自由というもの
精神の自由というもの、そしてこの物質界だけではない
霊的な、精神世界というものがあるということを
徐々に、徐々に、人類に免疫をつけて指導してきた。
そのような流れというのが世界の歴史の中にあるのです。

その結論の先に何が待っていたかというと
大いなる、大いなる救世主が降りられ
そこにおいて天上界における科学と霊的なもの、宗教的なものの合一における
この地球系神理の最高峰が明かされるという大計画があってならではの
その方向に向けての計画であったということなのです。
それを我々は計画をいっしょに立てる者として
天上界より見守ってきたのです。
そしてその一番の任に当たられたのが仏陀という方でおられました。

仏陀と呼ばれる方がこの地上に下生なされることによって
この方があらゆる、この最後の法体系の総論というものをお説きになられる。
そしてそれを地球人たちが皆知ることにより、世界がひとつにまとまり
神の国へと旅立っていく。
そのような計画が本来はあったのです。

そのための前段階として、エル・ランティという方がお出になられて
精神世界の復興というものをこの日本にまた説かれてきた。
それは神の忍耐強い、神々の忍耐強い
人びとに対する、絶対に間違ってはならぬという、細心の注意を払った
何段階にもおける計画があってのことであったのです。

このあいだ、ノストラダムスが申しておられました。
「神の計画の中においてこそ、
個人個人の修行というものは最大限の光を放つのである」と。
自分自らが計画を立て、自分自らが法を説こうと思ったとしても
一人ひとりの人間の知識、知恵などというのはちっぽけなものなのです。

大いなる、大いなる神の愛のもとに、神に奉仕しようと
自分を捨てた無我の境地の中において、無私なる境地において
大いなる神に献身しようという、その思いの中で
我々が一心にその命を投げ出し、使命に励む時
一人ひとりの命というものは、生命というものは最大限に輝くということ。
その観点を、皆さま方、けっして忘れてはならないのです。

それがすべてに優るのです。
それが、あなた方が聞きたがっている政治家としてでも
憲法としての本来の根本的なあり方であるということ。
そういう時代に次に、塗り替えられていく時代がくるということなのです。

(2005.4.9レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-06-23 07:59 | 木戸孝允 | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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