地球を愛の星へ

カテゴリ:ヘラ( 3 )

ヘラからのメッセージ(3)

芸術においても、かつてのギリシャの彫刻、神殿の美しさ
群を抜いて素晴らしいものがあるはずなのです。
その後、ローマに行き、そして中世ルネッサンスで
もう一度ギリシャに戻れという復興運動がございましたが
それにおいても、やはりギリシャの思想の復興でございました。

そしていまだもって、近現代におけるアーティストたちの中におき
ギリシャの時代の芸術を超えるものはできないというような
意見もあるぐらいなのです。
それは何が違うと、皆さんはお思いでしょうか。

どれだけ人体美を美しくつくったとて、そこに神がおつくりになられた
人間の中に見る神性の美しさを描き表せるよう、表現せしめようという
そのような作者、製作者たちの厚き信仰心と、熱き思いが欠けているから
どれだけ技術的に素晴らしいものをつくったとしても、
あのギリシャの時代のような
完成された美しさというものが甦らないのです。

あなた方に欠けているのは技術ではない。
知識でもない。
ギリシャの叡智を超えられぬ
遥か昔、数千年の時の叡智を超えられぬ、現代の者たちよ。
あなたたちは何を、何を見失っているのか。
あなた方が学問の中に、芸術の中に、文学の中に
何を見失っているのかに気づきなさい。

ギリシャの時代の古典文学と呼ばれたものたちも
素晴らしいものがあったのです。
人間を描ききっていた。
それは人間を描くという以前に
人間という、神に創造された神の子というものを
神から愛され創造されたという、神の子であるという視点が欠けているから
あなた方の文学にも、芸術の中にも、学問の中においても
少しもその命が吹き込まれないのです。
どれだけ素晴らしい彫刻を、完璧な彫刻をつくっても
そこに神の子として内在される命を吹き込まなくてはなりません。
そうでなければ、その彫刻は生きたものとして永遠の命を放たないのです。

でも、ギリシャの時代は、そこに命を吹き込むことができたのです。
みんなが、製作者も、深い、深い信仰心のもとに
完全なる神の御姿に似せて地上の美しい肉体というものをつくられたのだと
人間の姿があるのだというー。
その神を賛美するということを、人間の完成、完全な肉体を通して
そういう姿を通して神を賛美する。
その姿をもって、その彫刻なり、すべてのものが命を吹き込まれたのです。

それが、その彫刻が、腕が今日もげようと、足がもげようと
そのヴィーナスたちの姿をもって、人びとがうっとりと神を感じることができる
世紀の傑作と呼ばれているものになっているのです。

人びとよ、あらゆる芸術、あらゆる学問、あらゆる政治機構
我々ば神の子であると、神と一体となり天上の神により指導された
そういう神の御姿に似せてつくられた
神の子である永遠の命を持った神の子であるというー。

エリシオンにおいて神々だけが幸せに暮すのではない。
あなた方も、ともにエリシオンを目指し、頑張りなさいという
そのような目的と喜びを人びとに表すことにより、神託により
神は確かに我々に、地上の者たちを、一人ひとりを、すべて見守りたもう
すべてを知り尽くしたもう。
その上で、我々をけっして見捨てず、地上の者たちを愛し
指導しておられるのだという、自分たちは神により導かれつつ
神により愛されているという絶大なる自信が地上の者たちにはあったのです。

だから人びとは、天に向かい絶大なる信仰心をもって
日常の生活のあらゆるところに神を賛美するということをもって
人びとはあらゆる学問や文化芸術を通しても、社会の機構においても
神を表現することにその人生のエネルギーを
精力を、すべて注いで頑張り続けたのです。
それゆえに、多くの人びとの才能の分だけ、この時代にあらゆる花を咲かせ
人びとの才能は爛漫と咲き誇り
後の人びとの指導となるような原型を残したのです。

その後に、ギリシヤにもう神託は降りなくなり、ひとつの霊性の極みを
極めたそのような霊的なスポットから別の場所に移っていきました。
イエス・キリストが生まれたエルサレムの地域
そして仏陀が出られたインドの地域、古代の中国と呼ばれる場所
いろいろに霊的なスポットというのは常に移動し
地球をひと巡りしてきたのです。

そのように、ありとあらゆるところに、そのように最高の極みでないにしても
高い山もあれば、中ぐらいの山もあり、少し低めであったとしても
どの地球上の、どのエリアに生まれたとしても
人びとがそれなりに霊的な文明に接することができるように
地球計画の中において、様々な場所において
ちゃんと神と出会う道というのを計画されていたのです。

そして今、それがこの東の国、仏陀の言われた
ジャブドーバのケントマティというこの日本の地に
仏陀の本体と呼ばれる方が下生なさることにより
最終的な文明の総決算をされるという大計画が行われたのです。

今、まだその計画の途中であると、私は思っております。
まだ、諦めるのは早い。
まだまだ可能性はございます。

あなた方に言いたい。
一度は見失われし神へと回帰する道を、今一度見つけ
あなた方の力で神のもとへ帰るその道を今、再び取り戻しなさい。
そしてレムリアに集う、あなた方にも申します。
その道しるべを残しなさい。
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多くの者たちは神に帰る道を見失っているのです。
でも、かつて、昔、数千年の時にギリシャにおいて
我々が残した数々の、神とともに歩む道しるべを、私たちは残したのです。
それにより、人びとは神へと、神とともに生きる道を歩みました。

だから、再び今、天上界の扉が
かつてのデルフォイやアポロンの神託の、寺院の神託にあったように
今再びこの者が下生し、神託が行われているのです。
私から見たら神託と同じ。
いえ、それを上回るメッセンジャーが今、地上に降りております。

今ひとたび、神より
この計画の延長による第三の計画が発動がされたのであるのならば
レムリアの方がたよ、先はどから私が申し上げているように
神とともに手を取り、神ととも歩む道をなぜならば
あなた方が神の分身であり、神により
その御姿によりつくられた神の子たちであるということ。

すべての学問、すべての文化、すべての経済、政治構造
すべてが、神とともにあるという発想におき
天上界の叡智と結びつくことによる
世界の、政治的な、社会的な改革をもってでしか
この先、人びとが神と手を結び合いながら
地上ユートピアをつくり、再現する道はかないません。

神とともに手を取り合うのです。
神とともに手を取り合うということは
単に目に見えぬ、大高きところで見降ろしているだけの神ではない。
あなた方、一人ひとりの心の中にある、素晴らしい
絶大なる神性と呼ばれる神の子の部分に気づき
人びととともに手を取り合って、気づき合って
天上の指導の叡智のもとに、自らの叡智に気づき
自ら与えられた個性を最大限に光輝かし、七色の美しい
自分ならではの光を信仰心とともに輝かしていった時
あなた方がつくる作品の中には、永遠が宿り、神の命が宿り
あなた方は再び大ルネッサンス期をもって
な地球時代の幕開けをつくっていくことがかなうことでしょう。
人びとの、人類の知恵というものは、それほど偉大なのです。

私たち、高級神霊と呼ばれたメッセンジャーたちは
多くの人びとの中にある神性を気づかせていく
道しるべを残した者たちにすぎません。
ただ、元々、最初からあるものを
元々持っている、神性を持っている者たちに
「ほら、あなたの胸の中に、そこに叡智があるよ。
神という天地を貫いたものにつながっていきなさい。
絶大なる尊敬を持ち、崇拝心を持ち、信仰を持っていったときに、
あなた方のその叡智は開いていくのだよ。
それをもって人びとは地上をユートピアにすることができ、
この地球を愛の教えと、愛のエナジーにより満たす、
美しい、美しい神の星へと変えていく力を持っているのが、
あなた方、一人ひとりなのだよ」と。

「そのためにすべての学問を、すべての教育を、すべての芸術を、
すべての愛ある法律を、神の愛の法に基づいて、もう一度再構築しなさい」と。
「そのような方向に、あなた方が歩んでいくのならば、
人びとは新たな時代を迎えていくことができるのだよ」と。
「それが本来の、地球神が願われ、そして
この地球が次の時代に向けて生きていく姿、その方向性であるのだよ」と。
その道しるべを、あなた方が語り伝えなさい。

私たちが、他にも、私以外にもいろいろな方がたが
いくらでもここには降りられるのです。
でも言うことは、私たちが私たちの個性と知恵をもって
これから先の地球の未来を、行く末ということを
指し示すためのお手伝いをさせていただくのにすぎないのかもしれません。

私たちの言葉を通して
神の叡智というものはどういうものかということを聴きながら
あなた方、一人ひとりの心の中に響く
その言葉をもって自らの叡智の扉を開き
世の中に役立てていく道を歩まねばなりません。
それが神の子としての姿です。
それをもって人びとは、自らの神の子としての尊厳を取り戻すのです。

そしてそれを伝えていくメッセンジャーであるあなた方よ。
神の子たちに、神の子たちの教育係として、指導者として
あなた方は彼らにその道しるべを、手がかりを残すためにも
今、私たちの、このメッセージを伝えることをもって
その使命としていただきたいと思います。

私は今、この日本という場所に、私自身の霊体が降りております。
本来であるのならば、彼女も、この者も、ともに手を取り合うことにより
この日本の地から始まる一大霊文明の
光の発信という役割をしてほしいのです。
本来ならば私がしなくてはいけないことであったのを
この者を呼ぶことにより
私ができなかったことを今、この者に頼んでいるのです。

日本の地には、卑弥呼と呼ばれる方がおられます。
この者は私のひじょうに近い魂であり、彼女の守護霊を今、頼んでおりますが
できることであるのならば、まだ命あるうちにレムリアとともに手を携え
新たなる時代の幕開けを、その使命の中において
仕事をして帰って来てほしいと、私は思っております。

私は彼女の天上界に残っている意識なのです。
私たちの意識はひじょうに大きいので、巨大でありますので
肉体に宿るエナジーは、ひじょうにわずかなものを持って入るのです。
ですから天上界には
その、それ以外のエナジーというものが残されております。

ひじょうに申し訳ないことであると、私は思っておりますが
私の努力をもって償い、やれるだけのことをもって
私はこの者を通し、またレムリアを指導することをもって
私が本来するべき仕事をして参りたいと思っております。
ゼウス神も、ポセイドン神も、前回出ておられたようなので
私も今日、私の立場をもちまして、参加させていただきました。

どうか、この者をよろしくお願いいたします。
まだまだ、心の準備ができていないところもあるかも知れません。
多少、負けん気が強く、女性にしては大雑把な性格で
細やかなところがないかもしれませんが
神に対するストイックなまでの信仰心と、正義感というものが
の底まで染み付いている者でございます。

彼女も、まだまだ、自分のパーニャパラミタ、叡智というものに気づかず
それを活用することを学んでおりません。
しかし、私たちとこのようにつながり
通信を受け、神託を受けていく中において
少しずつ、その霊性の開発というものが行われていき
レムリアのためにおいても、第三の計画においても
少しでもお役に立てる姿へと成長していくことが可能かと存じます。

ですから、どうかレムリアの皆さま方、そしてそれを見守られておられる
この日本におられる地上の皆さま方、この者をお引き立ていただき
この者のないところを助けていただきながら
この最後の、神の国で立てられました大計画が
この地上において、無事具現され
その計画が完遂されますことを、私は心より祈っている者でございます。

これからも、もし私などのような者が語ることが、地上におられる神の子たち
あなた方にお役に立つのであるのならば、どうか、いつでもお呼びください。
女性として、この神の国に、どのような役割があるのか
女性霊の特異性というものも通して
私はこの者を、また指導していきたいかとも思っております。

では、今日は、これにて失礼させていただきたいと思います。
今日は急にお呼びがかかり、急に参りましたので
たいした内容がしゃべれなかったかも知れませんが
どうか、これ以後、私のこともお見知りおきになり
お呼びいただけたら光栄かと存じます。
では、今日はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました。

(2005.6.9 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-11-04 14:10 | ヘラ | Trackback | Comments(0)

ヘラからのメッセージ(2)

それが源流となり、後のソクラテス、プラトン、アリストテレスを通す
西洋文化圏における、学問の祖という発祥を導いたのです。
神の中から生まれし叡智でなければ
いかなる学問においても意味をなさぬということを
しっかりとそのギリシャ思想のバックグラウンドには込められているのです。

であるから、ソクラテスにおきましても幽体離脱を繰り返し
プラトンのイデア論においても、天上界のことを
その時代の最高の知恵者と呼ばれた者が語ること
そのことをもって最高の叡智とする。
その者たちが語り伝えたことを最高の学問とするということから
西洋の学問は本来、発生していったのです。
それが、我々が期待をした学問の本来の姿であったということです。

しかし、その後、学問は神とたもとを分かち
神の叡智を自称するためのものが学問であったにもかかわらず
哲学とかいう思想にあったにもかかわらず、その神を否定し
勝手に人間たちが、自分自らこの地上の知に溺れ、自惚れ、神を否定し
勝手に自己がすべてであると、神とともに歩まぬ学問を
近現代において展開してきたのが現状ではないのでしょうか。

すべての学問においても、生物学においても、医学においても
哲学もちろんです。
哲学においても、経済学においても、文学においても
神を基盤とした神の叡智より流れいでる、その叡智を学問の基盤としなくて
いかに学問の真髄というものがあるのでありましょうか。

人びとの知恵と呼ばれるものは
ソクラテスが言った通り、無知の知というものがあります。
知だけに溺れ、詭弁に溺れて、たとえ、どれだけ相手を論破できたとしても
自分は、本来は、神の叡智の前には何も知らぬ者であるという
そのような深い認識をもってこそ
初めて深き神の子としての知恵の扉が開かれるということ。
それをもって知恵者というのであるということ。

表面的な知の遊戯に浸っている者は、知恵者とはほど遠い者であるということ。
本来の知恵者という者は、深き信仰心により神の叡智に直結し
己が神性を通し、神の叡智を自らの中に導き入れ出せる者
その者をもって真の知恵者といい、神の叡智を体現する者というのです。

ギリシャ思想の中における学問、神の叡知というものからの
地上における映し出された、実証されるべき姿を
本来がギリシャの学問というのです。
神の叡智抜きに地上の学問はあり得ないということを
私は申し上げているのです。

私たちにおきましても、神と呼ばれる神格を持った者たちというのは
何が違うかと申しますと、神の根源に対する宇宙の根源の
神のエナジーに対する絶大なる信仰心というものが
並外れて大きい、ただ、それだけのものなのかもしれません。

そのことにおいて、人びとは、人びとに対する指導の中に
なんとか地上の神の子たちを指導していきたいという思いの中で
我々は深い信仰心を通して、宇宙の根源に直結することにより
その叡智を自らの中に導き入れ、人びとを指導する際
縦横無尽にその知恵を、叡智を自らの中に導き入れることにより
地上の者たちを指導し、善導するという権限を与えられている者たちなのです。
そうでなければ何の意昧もないということなのです。

我々の叡智というものは、自らが何も知らぬ、しかれども宇宙の根源の神の一部
分かれ分光された霊性、霊体であるということ、魂であるということ。
それを深く、深く認識することにより、己が神性のパーニャパラミタの蓋が開き
直結して神の叡智を導き入れることができる。
語ることができる。
そういう者たちが我々、神格を持った者たちなのです。

だから、パワトロンと呼ばれるひとつの機能を持っておりますが
そこを通して、パーニャパラミタからいずる、神の叡智というものを
人びとにダイレクトに伝えるという、そのようなものを与えられているのです。

我々が命をかけ、身を粉にし、地上の神の子たちを善導するために
その叡智というのは使われないのならば、そして、宇宙の根源であり
神の神性というものを地上に映し出すために、その叡智というものが
その自らの中にあるパワトロンなどを通して表現されないのであるのならば
我々の神格などというもの、神と呼ばれるような呼称というものは
全く無意味なもので、無用の長物と呼ばれるものになるでしょう。
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我々は単に神格を与えられているのではなく、人びとを一人でも多く善導し
神の国に近づけるためのお手伝いをし、この地上に神の御姿に似た
地上ユートピアを実現させるために
様々に心を砕きながら努力してくる姿をもって
我々は神の使者であると
神のメッセンジャーであるという立場を許されている者なのです。

ですから、この者においても、その同じ使命があります。
本人がやりたくないと言っても私同様、霊言を受ける能力を持っている以上
このようなメッセージを地上に受ける
そのような信託を受けし巫女的な部分というもので
神に奉仕しなくてはなりません。
神に奉仕し、地上の者たちに奉仕しなくてはなりません。

その人生を投げ打って、神のメッセンジャーとして
この地上の生を自らの喜びや願望ということ以上に
神の本来お考えのご計画を、そして今、地上の者たちがどのようなことで苦しみ
地上の者たちの幸せのために、何かできるかを、常に自らよりも優先して考える
そのような姿でなくては、この者は使命を果たせないということなのです。

私たちもそのような役割にあり、それぞれの悩みや、それぞれの苦しみや
修行の課題を、テーマを持っております。
それは当たり前のことなのです。

すべての地上に肉体を待ちし人格神は、といえども
すべてが修行中の神の子でありますから
いろいろな苦しみを自分の中で乗り越え、成長させていかねばなりません。

その個人的修行の部分と
それを超えて人類に神に奉仕していくという姿をもってこそ
神のメッセンジャーとしての役割を果たせるということ。
そのようなものが我々ギリシャの、オリンポスの神々と呼ばれて
下生した者たちの役割の中にございました。

今、思うと、それぞれがそれぞれの役割を担いました。
音楽、哲学、戦、あらゆるものを通し人民の心を豊かにし
少しでも自由で、おおらかな喜びに満ちた神の子の地上ユートピアを
地上に具現するためにはどのようにしたらいいかという
役割分担というものをそれぞれが持って、ギリシャの時代は
我々、神々と呼ばれている者たちは、精一杯、努力していたのです。

それが今や、今日に至るまで、ギリシャ文明、ギリシャの文化と呼ばれる
ある意味でひとつの頂点を極めた文化のひとつになったのではないでしょうか。

パワトロン:菩薩の境地(七次元)以上の者の霊体に出現する
霊的機能のひとつ。
自らの体を通して、神の光(愛)が流される通路のようなもの。
パワトロンが位置するのは霊体の胸、心臓部のあたりに渦を巻くような
エネルギーのスポットとして確認することができる。

(2005.6.9 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-10-29 07:41 | ヘラ | Trackback | Comments(0)

ヘラからのメッセージ

私はかつて、この方(アマーリエ)の母として
ともにギリシャにおける文明というものを通し
神のお心というものを、地上にメッセージを伝え
人びとを、いかに神々のご意思に沿って地上の者たちを幸せに導くために
ゼウス神はじめ
数々の神格を持った者たちとともに頑張った者でございます。

今再び、この日本という地におき、天上界よりの計画のもとに
新たな神の叡智が地上に送り込まれようとしております。
わたくしたちの時代におきましても、私も天上界の神のご指導により
そのメッセージを受け取り、ゼウス神に伝え、それをその時勢における
治世、世の中を治めるということに助力した者でございます。

かつて、戦乱が多く、人びとの心は荒み、領土を求め、戦に明け暮れ
人びとは少しも心の安らぎも、安定もなかった中で
天上界よりのご指導により
ギリシャというエーゲ海を臨む、あの美しい場所に
霊的なスポットとしての使命をギリシャは与えられ
その叡智の極みを天上界よりのご指導とその通信により
一大霊文明を開化させたのでございます。

いつも霊的なソース、根源からの叡智が降りる霊的なスポットというのは
勝手に人びとの意志で決められるものではなく
常に天上界における地球神、地球指導霊の方がたのご計画に沿うて
霊的なスポット、エリアというものが決定されるのです。

わたくしたちはその時、ギリシャという場所を通して、ひとつの完成を通し
知識、叡智、芸術、スポーツ
ありとあらゆる文化をおおらかに開花させていくことにより
そして戦いによる終結を望みながら、ゼウス神のご指導のもとに
エーゲ海を臨む、ユートピアを目指した霊文明を目指したのでございます。

ひじょうにおおらかで、人間的なギリシャの文明は、その後
その信仰心と天上界とのパイプという、パイプラインを引くという
巫女たちによる神託という形で
天上界と地上の旅人たちとの架け橋をつくることで
人びとの心は常に天上界に
天上界の指導のもとに心合わせ、導かれたのです。

人びとは、常にわたくしたちを神と呼び、厚き信仰心を持ち
わたくしたちを通して
わたくしたちを超えた天の神に対しての厚い信仰心というものが
日常生活の中に根づいた姿を持ちながら
人びとは、その神の子としての、己が神性の素晴らしさを開花させ
その有り余らんばかりの才能を発揮し、オリンピアというスポーツの祭典
ギリシャ哲学と後に呼ばれたソクラテスとか、プラトンとか
様々な叡智を運ぶ者たちがその知の光線により
神の世界は叡智によっても追求され得るのであるという-。

根本的な知というものは、天上界のイデア
神というものと常に共存し、一体となり
学問の基本は打ち出されるべきなのであるという、ギリシャ思想の根本により
人類の学問となる、学問の祖となるスタートを切ったのです。

常にデルフォイや、様々な所における神託と呼ばれる巫女たちが
神々の言葉を預かりながら、人びとに伝えていく。
神とともにある信仰生活、神とともにある学問、神とともにある芸術
神のための祭典としてのオリンピア、すべてが神とともに
神の子たる人びとの日常の生活の中に、神というものを存在させ、気づかせ
神とともに生きるということをもって
自らの神の子、神性を開花していくという
そのような方針をゼウス神は立てられ、あの文明をつくられたのです。
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ですから、芸術においても、神殿の建設、そして彫刻、様々な
今残っておりませんが、絵画にしても、多くの芸術作品が神とともに
神の子である人間たちが生きるその素晴らしさを、賛美を
作品の中に表してこそ
その芸術としての価値の高さというのが求められ、表現されていったのです。
それは今日の文明における、近現代における芸術のあり方とは
明らかに異なっているものだと思うのです。

わたくしたちは神を、神という名を名乗ったかもしれない。
神ではなく、単なる指導霊であったにもかかわらず
神と名乗り、女神と名乗ってきて
一般の者たち、大衆を指導したのですけれども
それはわたくしたちにおきましても、神であるというのではなく
逆にいうと、神に人びとを近づけていくためのお手伝いをする立場の者。
キリスト教で言うならば
エンジェルという立場の役割をわたくしたちは担い
人びとに神を気づかせるために、人びとには自らを神と名乗ることにより
強烈な求心力を持ち、指導した姿があったのです。

ですから、わたしくたちも、自らを神と思っていた訳ではないし
我々にしても、今日のような時代にこそ、人びとに対し
やっと本来の神が、宇宙におかれる愛のエネルギーであるということ
我々を創造された
一切のものを創造された創造主こそが神であられるということを
ギリシャ、多神教の者たちもよくわきまえているのでございます。

それは日本神道におかれる神々におかれても、そうだと思うのです。
やはり世の中を指導するのに
原始の時代においては、人びとの認識力があまりに低いので
わたくしたちが神という、女神ということを名乗ることにより、指導して
信仰心というのを打ち立てるという方法論があり
なおかつ、その向こうでは、一神教と呼ばれる創造生のみを神とする
そのような指導の仕方、救世主
メシアと呼ばれる方が立たれて宗教をおこすという
方法論としては二つのものが取られたのです。

我がギリシャにおきましては、多神教と呼ばれるそのような立場をもち
わたくしたちは指導霊として、高級指導霊として
人びとのもとに下生することにより、神を名乗ることにより
ひとつの、人びとの中に人間的な近寄りがたい神ではなく
わたくしたちも悩み苦しみ、様々な問題を抱え修行しなくてはいけない
努力の過程にある苦楽をともにする身近なる神性のある者として
人びとに対して語りかけることにより
神というものが単に日常生活から遊離し、かけ離れたところにあるではなく
人民とともに一緒に歩むのが神の姿であるということを打ち出すために
わたくしたちはその神という名を名乗ったのです。

それが他の文明、他の文化圏とは多少、ギリシャにおきます
文化圏の信仰のあり方の違いでないかと私は思っているのです。
でも、すべてが学問においても、政治体制においても
政治の指導者、国王たちであっても、王たちであっても
デルフォイの神託に伺いを立てに行きました。

すべてがその信仰心のもとに工たちも政治を行い、戦争をし、人びとを治め
王であったとしても、数々のオリンポス王とか
神話を通して伝えられるように
この世的な成功者であっても、どれだけ支配力を持った者であっても
神のもとにおいて、過ち多き人生を行うのであるのならば
神により、その罰というものは
皆、平等にその本人の不幸、不運となって返るのであるということを
デルフォイの神託や、様々な神託を通して伝えることにより

そしてその姿を、語り部と呼ばれる
後のギリシャ神話と呼ばれる姿に残していくことにおいて
神の絶対的なる天上界の神のもとには、地上の最高なる為政者としても
赤子のようなものであるということ。

だから、人びとよ、天上の神に対して謙虚であれとー
この地上は、単に神よりいっとき与えられし仮の姿であるということを
神あっての神の子たちの姿であるのだと
そのように、まず生活の中を通した
絶対的なる信仰形態というものを打ち出しました。

そして芸術を通し、数々の神殿をつくることにより
人びとに視覚的なものを通しても、神というものがどのようなものであり
神を崇拝し、神に祈りを捧げるということが、どのように厳かな場所におかれ
神に通じていくのかという、そのような場所をつくっていくことにより
人びとの信仰対象をしっかりと絞り込んでいったのです。

人びとは、やはり難しいことを言ってもわからぬ時代
目に見える姿で、神殿の中の厳かな姿の中で
そして、その神殿に、それぞれにいる、信託を受ける巫女たちの姿を通し
神に対する恐れというもの、畏怖心というものを直に肌で学んだのです。
その姿を、美的なものを通し、文化を通し、そしてそれが叡智を通すことにより
神の中には叡智という、知恵というものがあるということも
しっかりと打ち出したのです。

(2005.6.9 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-10-22 12:01 | ヘラ | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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