地球を愛の星へ

カテゴリ:スペースエンジェルAS( 7 )

スペースエンジェルAS(7)

芸術というものは、ひとつの局部的な表現方法だけを言ったんです。
ある意味で進化してった惑星においては
その全存在がアートそのものになるんです。

アートというのは精神を安らがせ、波動を高いところに戻すため
それは社会がひじょうにレベルが低くて
人びとの心が疲れきったところにおいては
そのような慰めのような意味はあるんです、芸術というのは。

名画と呼ばれているものの波動がひじょうに素晴らしい安らぎの満ちたもので
ある意味においてはそういう効果があるんです。
でも、社会自体が調和されて、人びとの精神レベルというものが
バイブレーションが上がってきた時には
その一人ひとりの生きてる姿そのものが芸術そのものになるんです。

だから芸術の星と呼ばれてるところの方がたは
生きてる姿そのものが名画の中に出てくるようなリズムと
ひとつの高い調和度の美しい肉体というもの
バイブレーションというもの
言葉においてもすべてが歌うような状態で表現されてくるんです。

存在そのものが芸術になってくる、アートになってくる。
それはなぜか。
宇宙の神そのものが素晴らしい芸術家であるからです。

であるならば、神のエネルギーの一端である
神の子である私たち人類は宇宙人においてもすべての神の子たちは
そのものがアートそのものになってくるということなんです。
全存在がアートなのです。
そこを理解していただきたいと思うのです。

あなた方の中においてはアートというのが神のエネルギーを引いてくる
地上に移してくる絵とか、そういう二次元的な空間、あとは立体物
建築物を通しての三次元的な建造物の中に込められた
エネルギーを誘導してくる
表現する場所としての制約があるかもしれないけれど
本来はそこここに神のエネルギーというのは表現を求めて
あちこちに本来は存在しているものなのです。

それをそのままに表現していったのならば
神の芸術というのはみだれ咲いているものなんです。
人間が手を入れておかしくしてしまうから
神の芸術というのに歪みがくるんです。

星々を見てください。
惑星を見てください。
あなた方が手が届かないから
オリオンの星雲でもなんでも変えることができないでしょ。
だからあんなに美しいんです。

人びとの手が届かない深海の海底を見てください。
美しい魚たちがゆったりゆったりと
色とりどりの色で泳いでいるではないですか。
そういうところは、人間の手が届かなければ
神の存在は神の愛は、イコール芸術であると
芸術家であるという神の表現というものが
あっちこっちに実を結んでいるんです。

だから本来、私たちは神の子であるのですから
その真我なままに自分自身の光を表現していったのならば
私たち自体はまさに神のアートそのものの姿である。
そういうことが言えるのではないでしょうか。
それをギリシャの時代にはゼウスという方がそれを言ったのです。

人間神の子であるのなら
この神の子である肉体は完璧でないわけがないはずであろうと。
人体はそれゆえに美しいと、完璧であるといって
裸に近いような形でありながら
自ら人間の姿形をひとつの芸術として、高みにもっていこうとした。
その価値を見い出そうとした。
そういう表現形を持とうとした。
そういうのがひとつのギリシャ時代の表れでもあったのです。

だから肉体がいやらしいものであるとか、出すものがおかしいとか
そんな恥ずかしいものであるとか、そういうふうに必要以上に思うことは
逆にいうと、神がおつくりになった神の芸術作品をとがめだてし
卑しめて侮辱してるのと同じことになるのです。

私もね、そんなにお金があるほうじゃありませんでした。
学歴があったわけでもなんでもないんです。
学校も出てたわけでもないし、デッサンカもあったわけでもないし
何もあったわけではない。
でも、だからといってそれで自分が卑しい、自分自身は価値がないと思って
自分自身を信じて自分の素晴らしさを表現することを忘れるのならば
それは神自身がおつくりになった自分自身を
神そのものを侮辱するのと同じになるんです。
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ありのままでいいんです。
ありのままに、思いのままに、心に素直に、それが美しい生き方であり
愛に満ちた神の子としての本来の生き方であると、私はそう思うんです。
そのために虚飾は捨てなくてはいけません。
欲も捨てなくてはいけません。

欲というものが肉体の体を維持するもの
最低限維持するものは大切なものではあるけれども
でも、私か言っているのはエゴにより自分中心による
この世的な欲に振り同されて
自らの心の本来の魂の命の美しさを見失うのなら
命の存在の尊さを忘れるのであるのならば
そんなものは代償に出してしまったらば
取り返しのつかないことになりますよと。

本来の自らの心に忠実に、命の素晴らしさに
神の子としての誇りに満ちて生ききっていくこと。
それをまた表現すること。
命がけで表現すること。

芸術家は、絵描きは絵を描くことで命がけで表現します。
あなた方は言葉をもって本を出したり、神様の仕事を
この人の場合でしたら霊言をとって
講演会などでも、これから講演をしていくでしょうけど
言葉をもってこの人は伝えています。
あなた方も様々な書籍やCDや、いろいろな技術が
たくさん高度な技術がおありなんです。
そういうものを通して、そしてご自分の仕事を通して
命がけで自らの素晴らしさを、神の愛を表現していくんです。

そういう意味においては、私たちはみんな同じアーティストなんです。
芸術家というところにくくられた人だけが表現するんじゃないんです。
みんな表現するんです。
表現するということは、イコール行動することなんです。
行動する時には勇気がいるんです。
理屈だけで逃げてる人間には真の行動力はないんです。

勇気を持って命がけになって、人生真摯に自らの素晴らしさを神に感謝して
そして自分の素晴らしさを、美しさを信じて
その命の光を輝かしてください。
それを輝かしきっていった時に
その神の高い愛の調和した波動というものが
地上に多くの光としてこの地上に流れ込んできて
それに目覚めた人が多くなればなるほど、宇宙の根源からの高い波動が
地上にたくさんの幾筋もの光として降りていった時に
地球は浄化し、高い、高い波動の星へと、愛の星へとシフトアップし
レベルアップしていくことでしょう。
それがまた逆にいうと、外から見た宇宙のエネルギーから見た地球を
愛の星にしていくという
シフトアップしていく道でもあると私は思うんです。

それにはまず、キーワードは心の中の、心の持ち方において
真我なるあなた方の素直な
あなた方の言葉でいうならば神の神性というんですか
神の子としての魂に忠実に生きるということ。
私でいうならば、真我なる己自身に素直にあるがままに生きるという
その言葉で生きるということ。
そこから逃げないということ。
命の限りに生き続けるということ。
表現すること。
その一途さをもってしか人生に価値はないということ。

肉体なんて壊れたら、脱ぎ捨ててくりゃいいんです。
それ以外のしがらみなんかどうでもいいと私は思う。
そこさえ間違わなければ
そこを間違ったら他に何持ってたって何にもならないということ。
むなしいということ。

そこにおいてあなた方がほんとうの認識を持って
地球人類がみんなその愛の認識に目覚めて
高い宇宙のエネルギーと波動と調和し
地球に愛のシャワーのように高いバイブレーションの波動を
地球に引っぱってくることができたのならば
それだけで地球は癒され、愛の星へと変化していくことでしょう。

私から今日伝えたいのはそれだけです。
私の個人的なことにおいては、人それぞれの修行があるし、思惑もあるから
私からは言いたくないのです。
私は無名の、かつて日本に肉体を待ったスペース・エンジェル
宇宙から来てるあなた方の友のひとりであると
そのように言っていただければよいかと思います。

名前などいらないんです。
その成果も業績も私には興味がないんです。
心から思うこと、あなた方にメッセージをしたい。
地上に生きた時があるからこそ
なおさら切にあなた方に伝えたいことが私の中には
はっきりと見い出すことができたんです。
それを今日このような形で
あなた方の前で話す機会を与えてくださったことを
心から感謝いたします。

(2005.8.6 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-05-01 07:23 | スペースエンジェルAS | Trackback | Comments(0)

スペースエンジェルAS(6)

あなた方が地球規模でやることは、地球人同士が殺し合ったり
価値観の違いでいがみ合っている、波動の低い荒いものをまき散らかしている。
そして欲に凝り固まって、今、世の中で事件が起きているようですけど
金だけがすべてだとか、立身出世するためだけに
頭の中に知識をたくさんため込んだ、学歴至上主義のようなことの中で
若者たちが、子どもたちが人生を誤ろうとしている。

そんなものの中で欲にまみれて、そして頭でっかちになった中で
自らの神性が神と直結するなんて道は永遠に見つからないということ。
それは間違った道だということ。
その視点を変えていくんだっていうことを、地球規模的に提示するのが
あなた方の運動の真髄でもあるんです。

自らの内側にある神性、真我というものは、神の子というものは
惑星を越えて星を越えるということ、星を越えるということは
当然日本人やアメリカ人や、ね、パレスチナやいろんな人たちいます。
そして宗教の違う人たちいます。
今いろんな人たちが争って、殺し合いをしているのが地球の現状でしょ?
いがみ合っているんでしょ?

でも本来はね、地球も越えて、惑星も越えて、銀河を超えて
みんな転生しているんだということ。
それを越えて全部がひとつになって
全部が、それが神の細胞であり、愛の一部であって
私たちはそういうところで一体になって大きな、大きな神の愛に包まれている。

そのエネルギーが私たちの真我と呼ばれている心の中に
大事に、大事にしまわれている宝石であるということ。
愛の宝石であるということ。
この愛の宝石をもう一度見つけ出して、ね。

そして宇宙の神のもとにもう一度帰っていく。
精神的にも高みに戻っていく。
愛の調和度の高い段階に戻っていく。
そこにほんとうの幸せがあるんだよ。
それがほんとうの幸せなんだよ。
愛ってのは絵に描いた餅じゃないんだよ。
ほんとうの幸せは愛を感じることの中にあるんだよ。
それを、自分を偽って人生を求めても何もないよ。

あなた方が欲にまみれて、金だ、名声だ、名声欲や支配欲や学歴や
そんないろんなものを所有することが人生の幸せだなんて思っているのならば
欲にまみれたとこで自分を見失うのならば
永遠に幸せなんてほんとはこないんだよ。
それを今回の、今世間を賑わしている出来事の中において
実証して見せてるんではないでしょうか。

今は波動が上がっていって、原因があって結果が出るのが速い時代なんです。
ひじょうに速いんです。
昔だったらば、結果が出るのに相当時間がかかったんです。
今は間違った方向に強いエネルギーを出すと
あっという間にどんどん結果が出てくる。
それぐらい結論がすぐ導き出せる
そういうひじょうにバイブレーションの上がった時代であるんです。
それだけ学ぶ速度が速くなっているということなんです。
「その道は間違っているよ」と
それを子どもたちにも多くの社会の人にも教えるために
結果がすぐ出るんです。

金がすべてじゃないんだよ。
学歴がすべてじゃないんだよ。
権力を持って、ひとりで会社を立ち上げて
まるで現代のバペルの塔に登ったように思ってるけど
そんなものはどっこも成功でも幸せでもないんだよ。
真上から真下に落ちるんだよ。

あなた方は幸せはどういうふうに思っているのか?
そんなものは自分たちがひとつの時代の中でつくった
小さな、小さな価値観の中で。
でも、今それが間違っているということを
時代の中で学ぶ時代がきているんです。
で、否定されたのならば、何がほんとうの答えか
それを言うのがあなた方レムリアだと私は思うんです。

それはレムリアだけではない。
天上界の計画そのものであって
そして宇宙から見守っている私たちからの答えでもあるんです。

「もういい加減そういう段階は終わりにしなさい。
そんな欲にまみれて生きるのはやめちゃいなさい。
そんなしがらみやつまらない情にほだされて
間違ったところを、グルグルグルグル回る生活はもうやめなさい。
それを捨てて、そんなに素晴らしい愛の宝石を持っているんだから
自らの真我に目覚めて、宇宙の友の、宇宙のふところの中に
愛のふところの中に戻っておいでよ。
さあ、みんなあなたの友人たちが出迎えに来てるよ」

それを私たちスペース・エンジェルと呼ばれてる者たちは
惑星が違おうと銀河が違おうと
みんなしてあなた方地球人を胸に抱きしめるために
地球の外に迎えに来てるんです。
その精神的な価値観の大変革というのがこれから地球規模で行われるために
私たちはそのメッセージを伝えに来てるんです。
その中のたまたま表現手段のひとつとして芸術があるというだけなんです。
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芸術はたまたま絵とか音楽とかで出すのは
感性を出すにはいちばん誤解がないし、効果も高いやり方であると思うんです。
でもそれは芸術という一部門ではなくて、政治においても、教育においても
すべての社会機構の中においても人間同士の関係においても
人間が本来は神の子としての真我な思いに
ありのまま素直に自ら表現して生きることが
宇宙と一体となって幸せになる道であるということをわかれば
その大事なことが一点わかれば
すべての不調和なところからくる病というものも消えていくし
社会悪というものも消えていくし
間違った波動を出す芸術もなくなっていくし
子どもたちを子どもの頃から洗脳するような
間違った教育方法の中で子どもたちに苦しみを与えて
今日のような若者たちの犯罪や病というものを防ぐこともできるんです。

だから、ひとつひとつの対処方法というよりは
根本的なところを気づかせていく
そこがいちばん大事なことであるということ。
その意味での精神的な精神革命というもの
霊的な意味での精神復興運動っていうんですか。
あなた方の言う
そういうものが行われることのほんとの意味というのがあるということ。
その意味においては地球人も宇宙人もないということ。

「私たちもあなた方も同じだよ」っていうことをメッセージで残すために
私は今回地球の肉体を持って生まれたんです。
あなた方だって私たちの星に来て生まれられるんです。
みんな同じなんです。

だったら、「同じ地球人で同じ形をしていながら
肌の色が少々違うぐらいでいがみ合っているあなた方は、なんなんですか」
ということなんです。

「もう卒業しなさい。その中で殺し合いするのをやめなさい。」
ということ。
それはこの間来たアミも言ってたと思います。
それはみんな私たち共通の認識なんです。
私はそのために出たということ。

(2005.8.6 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-04-23 11:11 | スペースエンジェルAS | Trackback | Comments(0)

スペースエンジェルAS(5)

(宇宙から)おかしな者がやって来て侵略されてしまうんではないかという
そのようなものから出られないでいるということも事実なのです。
そのような、まあ、誤った警戒心、誤った認識を解くために
私たちのように本来は地球人の魂でない者が、一回限りということで
地球に肉体を持って、出てっているということも事実なのです。

そういう者たちがいて
ちゃんと、やはり地球の中にどっぷり浸かっていては
わからない感覚というもの、宇宙の視点から見た感覚というものが
地球人の肉体を持って生まれてたとしても
やはりそういうものが染み付いているので、私のように出てくる。
そういう方たちが、そういう使命を持った者たちというのが
やはり出ています。

そういう者はだいたいコンタクティになっていく。
自分の星からこの間あなた方が
「アミ」というのをとっておられたようですけども
ああいう人が通信する場合
やはり自分の星の者が出てったほうが、精神的に同調できるのです。
感応できるのです。
やはりまったく違う者が出てったところに
彼らの感性で語りかけても難しいというのがあるのです。

でも肉体を持っていないけど、地球に出てって地球の肉体を持って
地球の方がたに伝えるコミュニケーション手段が確保できるならば
その星その星の人たちが自分の星の者を送り込むことによって
メッセンジャーとして、地球に彼らなりの愛というものを
伝えたいものを
伝え広げていくということができるということをやるために
ああいう形態をとっている人たちがいるということです。

私も私の母星から派遣されて来た者なのです。
それはこういう時代がくるから、さまざまな星の者たちがいろいろな角度で
「この地球に新たな時代が、宇宙の時代がくるんだよ」ということを
伝えるために
「内側にばかりいて、お互いに傷つけ合っているのではなくて
外に目を向けて、外に向けて意識を開き
自らが大宇宙の細胞のひとつであるのだという認識に基づいて
私たちも一緒に手を取り合って、宇宙の仲間になっていこう。
宇宙の家族にもなっていこう」と。
そして「自分たちの中にある神性というもの、真我というものに目覚めて
本来の神のふところの根源というものに帰っていく、戻っていく。

そして、その中において自分のやれることを精一杯
あるがまま光輝かしていく。
そんな素晴らしい人生をともに歩もうよ」と
そういうことをメッセージとして伝えたくて
私たちは来ているのです。

どの人もみな役割があるのです。
それはずっと私も言ってきたはずなのです。
役割があって、みなが素晴らしくて、みんなどの星に生まれようとも
どの銀河に生まれようとも、みんな一人ひとりが素晴らしい存在であって
自らでなければやれない仕事というのがあるのです。
それを果たすために私たちは今、命を持っているのです。

私は肉体は脱ぎ捨ててきました。
でもだからといって、私という存在が消えたわけではないんです。
たまたまもう壊れかけてた肉体
それを置いて本来の自分として戻ってきているだけなんです。
ですから、今のほうがはるかにいろいろなことがわかるし
いろいろな認識も戻ってきましたし、逆にこの形でのほうが
あなた方にお力になる仕事ができるのではないかと思うのです。

あの時肉体を持っていたままでは
やはり何も詳しいことわからなかったですからね。
だからその中でも肉体を待ったことによって
あなた方と私がそんなに変わらない
この地上の現代の日本というものを生きた者として
私は言葉も知っているし、あなた方に伝える手段というものを持っているし
生前の私の名前や作品を知っていただけるから
あなた方もこうやって私にコンタクトしてくれるわけだから
前はまったく宇宙人としての形で
この地上にいるこの人をコンタクティとしてメッセージしましたけど
今はかつて地球にいたひとりの女性として
あなた方にコンタクトしてるという
そういう形のほうがずっとスムーズで楽に
メッセージが伝えられるということです。

私も地球の人たちの、まして現代の日本の人たちがどう考えるかということを
多少違和感はあったんですけども、でも理解できるようなことを学びましたし
認識力として今持っています。

レムリアの時はまったく自分の母星の、自分たちの考え方
価値観でそのままぶつかっているものですから
やはりひじょうに地上にいる人はたいへんな思いをして
コンタクトしてくれたのを覚えています。

こちらも「地球人ってへえ、こんなことを考えて、こんなふうに動くんだ」
ということを学びながら、遠慮がちにコンタクトしてたので
なかなか先に進まないということがあったんですけど
今はだいたいあなたたちがどんな考え方をするか
どのようなレベルにいるかということは、私はもうわかっていますから。

まあ、個人個人では違いますよ。
違いますけども、現代の日本人がどんな発想の
思考の中にいるかということはだいたいわかるから
だからそれを踏まえてあなた方にメッセージすることができるということ。

話は横にそれましたけど、芸術ということはね
一人ひとりの感性というフィルターを通して
自分の内側の中にある神性という
真我というものを通して大宇宙の根源のエネルギーにどこまで調和できるか
そのひとつの賭けのような挑戦のようなものが
それを表現でき得た手段を持った時に
それが芸術であり、アートであると私は思うんです。

その表現手段が、ひじょうにデッサンカがあったりとか
遠近法が優れていたりとか
まず技術を学ばなければ表現できないというものも
確かにあるかもしれないけれども
そういう技術ばかりにはやって、いちばん大事な心の魂の中で自らの真我
あなた方でいう神の子としての神性っていうんですか、言葉が出てきますね
神の子としての神性というものに忠実に宇宙の愛のエネルギー
愛の高い波動に同調するという
それをその精進というか、その挑戦というか
その探求というものを抜きにして真の芸術は存在しないということなのです。
どこまで出せるか。
それはその人の悟りがそのままその作品に出るということなんです。

難しい表現手段を知らなくたって表現できるんだよ
ということを私は示して生きて見せたんです。
「表現がだめだから、私は実は高い
ひじょうに高い高度なバイブレーションを感じているんだけども
表現手段が拙いから、できないから、誰もわかってくれない」
なーんてことを言わせないわっていう気持ちで、私は描きました。
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実際、私は学校もどこも出てないんです。
美大も出てないし
何もデッサンカ持ってないことは私の絵を見ればおわかりでしょ。
でもほんとうに自分自らが宇宙の根源に直結できる
そういう愛の調和度というものを獲得しているのだったら
自らの心に素直な思いで神の前に向かった時に
自然に自らの体が神の愛の通路として生かされて表現されて
素直に、素直に体が神の愛を描きたくて、描きたくて
自分で勝手に動いてくるものなんです。
そうやって表現するんです。
理屈じゃないんです。

あなた方を見ていても思うし、私のまわりを見ていても思うけど
理屈ばっかり、知識ばっかり頭に入れた、根性も勇気もない
そんな行動に移すこともできないで、理屈ばっかりごたくを並べてる
そんな人が世の中多いんです。
多すぎるんです。
理屈じゃないんです。

理屈あってもいいんです、あってもいいけど、心の中で神を感じる。
神と宇宙の調和を、愛の調和というものを、ちゃんと感性で感じる。
心で感じる。
それがあって、知識があればいいんです。

でも知識ばっかり。
そんな人ばかりがこの地球には多すぎるんですよ。
少しでも学んだならば、少しでも感じたならば
勇気を持って行動することです。
私は感じてるけど、知ってるけど
まして神様なんかを難しい言葉で知ってるけど
何ひとつ行動で、人生の中で勝負できないような
そんな腰くだけた人間は大嫌いなんです。

そんな人はほんとうの意味で何もわかっちゃいないんです。
何もわかっちゃいない。
ほんとうにわかっているのならば、ほんのわずかな知識でいい。
でも逆に知識を詰め込み過ぎたから、あなた自体の中にある真我な思い
宇宙と同調できる真我な思いを表現する道をふさいでるかもしれない。
そのようなことがあまりに多いんだと、私はまわりを見ていて思いました。

知識が悪いわけじゃない。
知ることは確かに判断力においても
目を開いていく意味においても意味のあることだというのはわかるんです。
でも、その前に神とは、愛とは、調和とは
人の思いの中に幸せを注ぎ込んでいく道というのは
やはり素直な自分の心に感じるところから
始まっていくんだと私は思うんです。

その感じるということを
まるで知性が劣った馬鹿者であるかのように軽視する
そのような傾向があるじゃないですか、今のこの地球の中に。
現代の日本の中にもありました。
自分がさも賢いかのように思う。
でもいちばん大事なことは、なーんにもわかってない。

頭でっかちの、実は心の中にはどろどろとした欲だけが渦巻いていたり
自己弁護があったり、弁解があったり
人のせいにしたり、なんでも人のせいにしていく。
人生というものは、さっき言ったけれども
命がけで自分の行動の中において挑戦していく道の中で
様々な試練とぶつかり合っても、がむしゃらに精一杯生き続ける中に
ひとつひとつ命の光を見い出していくものなんです。

そうやってひとつひとつ人生を一生懸命に生きていった時に
ほんとうの神の愛の尊さ、自らの内側の中にある神性の命の凄さ、凄まじさ
そういうものに出会っていくんです。

それには命がけになって真剣に人生を生きようと
そして行動を通して自分の愛を表現していこうと思わない者には
永久にわからないものなんです。

頭ばっかりでわかろうとする。
知識ばっかりでわかろうとする。
言葉ばかり並べ立ててすべてがわかったような気になる。
でも心の中にあるのは欲ばかり。
私はそういう人たちに利用され続けてきたんです。

私は知識もないし、そして欲もなかったから
だからそこのところを彼らが利用するにはちょうどよかったかもしれない。
私は無防備だったかもしれない。
でもそんなものを欲望として身にまとってしまった者は
永久に神に直結することはできないし
神の愛の高い調和、波動に調和は永遠にできないんです。

(2005.8.6 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-03-28 06:43 | スペースエンジェルAS | Trackback | Comments(0)

スペースエンジェルA.S(2)

私が生前に言ったことの中に
「治すということと、戻るということは違う」ということを
語ったことがあるんです。
それを皆さん方が読んで知っておられるようなので
少しお話ししたいと思うんです。
「治す」というのは治療して治すということ。
これは治療の部分なので、炎症がおきている所をひとつの薬のような
その場しのぎの対症療法によって治療するという意味なんです。
それはある意味で簡単だっていうことを言ったと思うんです。
私は「体を戻すんだ」と、「本来の姿に戻すんだ」ということを言いました。
この人においてもそうなんです。

霊体の意味において、今この人がやろうとしていることは
個人の修行においては
本来の姿に戻すための苦しみを味わっているということなんです。
けがをしたから治療で治すということではなくて
本来の霊体のものを、本来の存在として復活させるために、復元させるために
もとに戻すために、一度ぐじゃぐじゃになった体を
苦しみの中で追体験をしていくことの中でもう一度蘇生させていく
復活させていくというのが、私が言った「戻す」ということなのです。

「戻す」ということは命がけの修行であり、行であり、その過程の中で
自分の根源的な魂にいちばん苦しいとこと向き合うことを通して
魂を浄化させて統合していくことなのです。
それを、まあ、そのように砕いてしまったのは本人の罪ではありますけれども
それをもう一度復元させて「戻す」ということが
どれだけ霊的に見ても肉体的に見ても
とても考えられないような負荷というものを
この人に与えているということをもう少しわかった上で
霊言機能というものを使うために
この人に霊言をとらせなければいけません。

今、地球人の精神状態を見ていると、相当レベルが上がってきて
調和度というのが高くなってきて、かつての戦争を経験した直後から見ると
地球の磁場というものがひじょうに上がってきているのです。
ひじょうに高い部分になってきてはいるのです。
でもね、これからは、「戻る」ということをしなきゃいけないんです。
戦争とかで傷ついてきたことを治療するという世の中であってはいけない。
あなた方が言っている神の子という
本来のものに「戻る」ということを言ってる。

自らの中にある神性というものを復活させるということを
あなた方はうたっているそうですけれども、私たちから言ったならば
どの宇宙人であれ、どの生命体であれ、すべてが神の子であって
自分自身のなすがままに
あるがままに自らの神の子の根源的なエネルギーに素直になり
そして、宇宙に満ち満ちる神の高い波動を
高いバイブレーションというものに同調し、調和していく。
どこまでも、どこまでも高みへと同調していく。
そこに上がっていくということが、自らの神性への復帰であり
本来神の子として、神のふところの胸元の中に戻っていくという
戻していくという作業でもあるということなのです。

その意味においては命がけであるということなのです。
私はそういう意味もこめて
「治す」と「戻す」ということは違うということを使っていたのです。

地球はこれから戻しの時代にくるのです。
治療の時代はもう終わりました。
今までは様々な弊害の中において、様々な弊害を癒して治療していく時代
対症療法というのが行われてきたのでしょう。
でもその次元を今度は、それまでの視点ではない見方を通して
あなた方は、本来は宇宙から見た地球人においても皆すべてが同じ
宇宙人も地球人も
すべてが神の子としての生命体としては同一であるという。

そして、宇宙にいる友たちに向かっても大きく心を開き
そして神というものが小さな寺院や仏閣の中に納まっているのではなくて
大字宙の中にある高度な愛の高い波動のエネルギーそのものであるという
そこに同調していく。
そこに調和していく。
その調和していく過程において
自ら一人ひとりが神のふところのもとの中に戻っていく作業
それはひじょうに個人的なものなのです。
パーソナルなものなのです。

みんなと一緒に手をつないで、情でお互いに傷をなめ合いながら
「さあ、みんなで行こうね、いちにのさんで上がるよ」と言って
手をつないでいっても、その人ひとりの心境がついてこられないのならば
そこには戻っていけないのです。

神のふところに戻っていくということは、一人ひとりの問題であるということ。
なぜならば一人ひとりの心の王国というものは
誰にも汚すことができないから。
その自由意志の中において、あなた方が学んでおられるように
自らの心の中の悟りというのは
一人ひとりが宇宙の根源的なエネルギーに向かって接続され
そしてそれは一人ひとりが自分で追い求めなくてはいけない
過程だからなのです。

そこにおいては限りなく計り知れない厳しい道でもあるのです。
でもそうやって私たちは
根源的な自らの神性という自分の内側にある神に至っていくのです。
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内にあるものが無限の遠くにある神に直結しているということ。
自分自らが愛のエネルギーの
調和のエネルギーの一部であるというふうに気づいていくという過程。
気づくということは、どれだけ強制しても叱りつけても怒っても叩いても
その人その人が気づかなかったら、気づけないではありませんか。
私はそれを言ったんです。ずっと。

「どれだけ説教しても、どれだけ言っても
聞く耳を持たない者にいくら宇宙の神理を伝えていっても
続けて言ってもわからないではないか」と-。
だったら、「あなたたちには伝えない」と。
時を待ちましょうという意味において
「私はあなたたちには語る言葉はない」という言い方をすると
「ひじょうに冷たい女だ」と言われたかもしれないけれども
でも私はそういうふうに思っているのです。

命がけなんです。
神のもとに戻る道というのは、命がけなんです。
その厳しさがない者には、神のもとに戻っていく道はないということ。
それだけ痛みを伴うものなのです。

魂を通して自らの全存在を神の前において懺悔し
そして自分自らがやれることを探し、そして自らの神性というもの
自分自身がほんとうに心の中から素直に願い
神のために、この地上のために
この宇宙のために役に立てる何かを探していきたい。
それを通して自らの光を発して多くの人々を輝かせていく。

そのような愛と調和と、光のエネルギーとして神のもとに戻っていきたいと
切に切に願う者には必ずや、その道というのは開かれて
示されるものなのです。
そのようなことを求めない者に、そのような答えは与えられないということ。
それを求め、解答を得るために今の時代があるということなのです。

これだけの高いスタンスをもつ時代というのは
今まで地球の中でもそういくつもなかったのです。
その中において自省的な意味においても、今社会の文化度においても
精神的な目覚めをするのにひじょうにいい時期が
この地球に訪れているのです。

経済的なもの、科学的なものがある程度進歩発展してきて
そこで霊的な目覚めの時代がくるということ。
それがスピリチュアルと呼ばれている、あなた方の地球というものの
ひとつの霊的な流れになっているのだと思うのです。

(2005.8.6 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-03-28 06:40 | スペースエンジェルAS | Trackback | Comments(0)

スペースエンジェルAS(4)

レムリアを指導する芸術の責任者と呼ばれている方は
他にもおられるようなので
私ばかりがあんまりしゃしゃり出るのは失礼かと存じます。
ただ私の立場で、もしあなた方に言えることがあるのならば
いつでも喜んで参りたいと思います。

私の中にある独特の波動を通して
宇宙の根源のエネルギーを引き寄せていく。
そのためには無我になって、素のままに自らのエゴを抜いて
神と直結していくという、波動と直結していくということは
私がずっと生前言ってきたことでもあると思うのです。

そのやり方というものは
今私から言っていいのかわからないのですけども
これはレムリアの時にあなた方
地球人がやっていたやり方でもあるのです。
私が言ったことは、レムリアでは当たり前のことだったんですよ。

巨大建造物っていいますけど
ひとつの宇宙の中におけるエネルギーを引っぱってくる空間というものを
家というものを通してつくっていく。
そこにどれだけ高い次元のエネルギーというものを
その家という建造物の中に引き寄せていくことができるか。

ピラミッドなんかよりも、もっともっと高い波動のもの
エジプトのピラミッドに宇宙パワーっていうのが入るの
知ってますよね、皆さん。

「ピラミッドパワー」って言っている
あれの中に遺体とか置いておくと腐らないっていうじゃないですか。
それは宇宙のエネルギーというのを引き寄せてくるだけの
計算学上においてもそういうエネルギーを持ってくる
構造建築になっているということですよね。
あのピラミッドよりも、もっともっと精妙なもの
それを宇宙の中からエネルギーとして波動として引っぱってくる。
そのような媒体としての建造物の存在というのがあるのです。

それをレムリアは実現していたんです。
それを伝えるために
私たちがいろいろな知恵を与えていたということも事実なのです。

それは直線というもののピラミッドの中で構成されたものよりも
曲線、円というものを通して波動を
宇宙の根源からこの地上に引っぱってくる。
そのように、らせんエネルギーとして地上に導入してくる
そのような比率、そのような構造というのがあるのです。

それをひとつの建築家たち、そしてそれをひとつの芸術として
そして宗教家といわれている人たちも
今あなた方の地球にいる現代の方がたよりも
ずっと感性的な意味においては霊的な方が多かったので
その波動というもの、根源的なエネルギーというものを引いてくる
その感性にひじょうに優れてた宗教家、宗教家であり建築家であり
そして芸術家でもあるという方たちが、レムリアには多数おられたのです。
だから政治も行うこともできたということも事実なのです。

今考えるとひじょうに高度な文明だったのがレムリアでもあったのです。
宇宙のエネルギーを引いてくる、その一番の媒体は構造計算にもあります。
ありますけども、どこの次元からのエネルギーを引っぱってくるか。
どこまで高いとこから引っぱってくるか。
そしてそれをこの地上に照射することができるか。
それはその降ろす人の心境
どこまで高い波動をキャッチすることができるかというその心の状態
そしてそれを地上に照射してくる時の技術力、計算力
それはもの凄い素晴らしい高度な技術力というのを要したのです。

そしてそれを実現していくために
その職人さんみたいな芸術家たちがたくさんいて
それを可能にしていくだけの表現技術もまた持っていたということです。
それがレムリアの中にあったということ。
それを競わされていたということ。
それの意味においては、過去の地球の文明の中においては
格段と破格的な高さを持っていた。

そしてこの地上にひじょうに高い霊文明という
地上に宇宙からの、私からいうとひじょうに調和度の高い
バイブレーションの高いエネルギーというのを
地上に降ろすことが可能であった時代であった
ということもいえるのです。

そしてその時の指導霊はあなた方のいうマヌ様ですか
私の知っている名前は違うんですけど
マヌとあなた方が認識している方と、ゼウスと呼ばれている方ですね
今現代ではあの方たちです。
あの方たちがひじょうに芸術的な要素を持っておられた。
それでいながらひじょうに知性的な
論理的な部分もひじょうにお持ちの方がたであったという
そのすべてにおいて
レムリアにおいて可能にするだけの素地があったということなのです。

だから建物においても曲線が多かった。
レムリアの寺院と申しますか、人びとが住んでいたものも
尖塔のようなものの中で
尖ったものの中でひじょうに曲線を中心にした建物が多かったのです。
それを通して宇宙からのひとつのエネルギーを吸い上げてきて
人びとの中に反映していくということ。
そういう宇宙のエネルギーと結びつくという意味においての
祭政一致であったということ。
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だからそれだけの権限が巫女たちにもあったし
神の言葉が直接降りていったということも事実なのです。
そして、地球神の指導霊と呼ばれていた者たちからの
霊言というものを通しながら
かつ宇宙人という異形な形をとりながらも、でも宇宙から来る友たちが
同じ霊的な根源においては同一であるということを
認識の中にわきまえていた文明であるから
宇宙人が来たからといって宇宙人の襲撃だなんていう幼い発想ではなくて
友として迎え入れ
そしてその中において学ぶべき英知は分けてもらおうという
そして地球は地球なりのもてなしをしようという
そういう友好的な関係があったということです。
それにおいてひじょうに高く伸びていったということも事実なのです。

ですから、宇宙の私たちのような者たちから見ると
レムリアという時代がひじょうに宇宙史の中においても残るだけの
水準があったというふうに言われているのもそういう意味であるのです。

それはほかの方においてもレムリアというものは宇宙の歴史を書いてある
この間書物をお見せしたと思うんですけれども
地球にはアガシャーの記録というのがあります。
宇宙には宇宙の記録を
すべての惑星におけるすべての歴史を記憶したものがちゃんとあるのです。
その中にちゃんと地球というものの中に入っているのです。

それは宇宙の観点から見て
宇宙の友たちに通用するだけのとこにひょこっと出た
ひとつの頂上のような高みであったかもしれません。
それ以外は残念ですけども、あまりそこまで至らないのです。
インカとかそういうところにおいても、この文明においても
宇宙から来た友人たちはアドバイザーとして来てはいても
やはりあの時ほど友好的な関係というものは
結んでいないということなのです。

(2005.8.6 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-03-15 18:08 | スペースエンジェルAS | Trackback | Comments(0)

スペースエンジェルAS(3)

私たちのように異星人として、いつもアドバイスを与えてきた者たちが
「このような視点もあるんだよ」と
私が描いてみせた絵など、地球のどの画家も描けないではありませんか。
まったく価値尺度が違うんです。

でも、これを見たら一見子どもの落書きのように思うでしょう。
ピカソよりもっともっと落書きのように思うでしょう。
こんなものは何の役にも立たないと、一笑に付してしまうのだったらば
それも可能能なことなのです。

でもなぜでしょう。
まるで子どもの落書きのように思っている絵が、あなた方もそうですし
また根強い私の絵のファンというのがいてくださるのです。

なぜだかわからないけど、この絵を見ていると涙が出る。
この絵を見ているといい気持ちになる。
素直な心になれる。
ありのままに生きてみようと思える。
そのように思ってくださる。

宇宙からの調和したエネルギーを地上に降ろす
そのひとつのシンボルマークのような絵でもあるのです。
そのような絵をわかって求めてくださる方がたがいる。

そのような新たな視点というもの、地球人にはないような視点で
ひとつのショック療法のような形で、私は表現してみたかった。
そのために今回地球人としての肉体をお借りして
いっとき出たということがあるんです。

ただ、私はこの方のように地球に根づいて
この地球自身の精神的な運動においての
指導者としてのひとりになっているわけではないのです。

ですから、ここまでボロボロになっても、命を張ってでも
地球人とともに歩んでいきたいという、そういうふうな視点ではないから
あくまでやはり外から見守ってて、外国から来た仲の良いお客さんみたいな
そう友人みたいな、そのような態度で精一杯やってたと思うのです。

それは私が、また逆に言うと
地球の内部の精神的な指導者たちの中に入って一緒にやれるかといったら
それはまた立場が違うということなのです。

それには長いこと
やはりその責任を負われてこられた方がたがおられるということ。
その方がたと一緒に手を取り合って
やはり今回の地球規模の精神的なレベルを上げていく運動というものが
計画されていたということなのです。

私も肉体を持っていた時は、そこまでは何もわからなかったですし
あまり複雑なことというのは
私はあまり聞きたくもなかったので、聞かなかったです。

ただただ感覚のままに感性のままにエネルギーを、波動を、自分の中で感じ
心の命ずるままに素直に生きていこうと、そのように思い
その思ったことだけを口にしたはずなのです。

けっして難しい言葉や法則を多くの人びと伝えるために
難解な言葉を使った覚えもありません。
私は普通の言葉で話しをし、普通のわかりやすい
私自体がそんなに難しいことを言ってもわかる人間ではありませんから
ひじょうに私が理解できる範囲の言葉で説明をし
そして、それ以上言葉で伝えられない時には
私が絵という芸術作品を通して表現をして、皆さん方にー

逆に芸術というのはいいのです。
絵はいいのです。
理屈がいらないから。
見る人の心の状態、レベルに応じて
その人の中に答えが返ってくるということ。

わかる人はその絵を通して、万物の創造の根源まで理解することでしょう。
でもわからない人は、これを見て
「なに、なんだかわからない落書きみたいだなあ」
ある人が見たら「なんか気持ちがいいなあ」
ある人が見たら涙が出てくる。
そんなもんでも何かしらの感動があり
その人たちにメッセージが送れるのなら、それは押しつけではなく
その人たちの心の鏡として、ひとつの私の絵があるということ。
芸術があるということ。

逆にいうと、芸術というのは本来がそういうものであると思うのです。
言葉で説教して、「わかれ、わかれ」と言ってみたって
そんなものは本人自体に受け入れ態勢がなかったら
何度も言うようですが、わかりはしないんです。
いっくら言ったってわかりはしないんです。

その人に自分の短い人生の時間とエネルギーをさいて
説教がましくガミガミ言って説得しようなんていうのは
おおよそ私の趣味ではないんです。
そういう人は勝手にすりゃあいいんです。

だったらば、わかる人と、わかる人にいつかなってもらうためにも
私はその思いをこめた作品を描いたんです。
そして、その人たちが見る人たちの心の段階に応じて理解できる絵を
そういうものを描いたんです。
それが私の人生でもありました。
今回の人生でもありました。

今、私がこうやって見ていますと、
レムリアという時代に来ていたんですけれども
レムリアの時は、私は地球人ではありませんでした。
レムリア自体がひじょうに宇宙人に開かれた文明でありましたので
私はこの方を通して、でも随分メッセージを送って
友人のようなコミュニケーションをしていたのです。
だからこの人のことはとても懐かしく思い、この人の望みでもあったので
今回こうやって来させていただいたんです。

私はあの時もずっとこの人に
アドバイザーとして指導してきたつもりなんです。
ですから今回も、この、レムリア・ルネッサンスっていうんですか
この計画をやっていくということを聞きまして、ほんと最近聞いたんです。
この名前。
「こんなことをまたやるんだなあ」というふうに思って
「また面倒臭いこと、随分首をつっこんでいるなあ」と思いながら
「またこの人の性格で断われなかったんだろうなあ」という思いを
見ながら、ため息をつきながら聞いていました。

でも、この計画自体には、事情を聞けば聞くほどわかる地球神と
私たちからいうと地球神ですね
と呼ばれている地球の指導霊の方がたのお気持ちも
ひじょうによくわかりますので
私でできることは協力させていただこうというふうに思っているのです。

新たな宇宙の目から見た今日の教えというもの
それは神様という言葉でひとつの信仰臭い宗教臭いものに祭り上げなくても
じゅうぶん私たちの心の中にある自らの素直な思いに正直に
なすがまま、あるがまま生き続けることが
みんな神の子としての神性に調和し
大宇宙の波動に調和していく道であって
それこそが宗教でいう悟りであると私は思うのです。
そんなに難しいものじゃないんです。

難しいものではない。
とてもシンプルなものであるということを
私は別な角度で言いたいのです。
あまり宗教用語を知らないので、なんか入ってるんですけど
よくわからないので使わないんですけれども-
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私は仏教とかそういうものも、詳しい専門的なことは知らないので
そういう言葉も嫌いなので使わないですけども
でも自分の心の中にあるもの、神とは私たちの心の中にあるんです。
その中には神の子であるという真我というものに対して
エゴという欲というもので凝り固まった
表面意識みたいなものもあるんです。

そのエゴと欲に振り回されて今日の文明というのが動いてきたんです。
「自らの素晴らしい潜在意識の中にある、
美しい神の子という真我というもの
それに素直に、それにあるがまま素直に生きよ」ということを
私は言ったんです。

それを、その真我というものに
あるがまま素直に自分に嘘をつかないで生きていくには
やはり表面的な欲とかエゴ、自己中心的なエゴというものを
自らの厳しさの試練の中において
削ぎ落としていかなくてはいけないんです。
そういうものを抜きにして、自らの根源的な内側にある素直な思い
それを拡大させて大宇宙の中にある波動をー、

それも波動といっても地球を中心として下の者の波動というのもあるんです。
下の者たちが出している波動というものも確かにあるんです。
それと同時に人間界において、この地上において人びとの欲
過去昔からの歴史の人たちが出した
そういう想念すらまだこの地上の中には波動として回ってるんです。

そして今この地上にいる戦争してる人たち
苦しみ合って、いがみ合っている人たちの波動というもの
悪想念というものも
悪い真っ黒な想念として、グルグル波動として回ってるんです。
この波動というのは共鳴するんです。

下の者、暗い者、暗黒的な者、そういう者に自らの心が向いていたのなら
そっちにつながってしまうんです。
そっちに波動が共感してしまうんです。
そうするとそっちの者ばかりが入ってくるようになるんです。情報として。

でも、自らの欲とか自分の中にある
自己中心的なエゴの部分というものを削ぎ落とし
真に自らの神性というもの、真我というもの
それを通して多くの人びとに神が
宇宙の根源の神がすべてのものを生かして愛していく
愛の調和の高い、高い波動というものを、自らが得て望んで
それを理想として生きていくような価値観を持って
それを目指して生きていくのならば、そういう高い波動に調和し
そういう世界からの情報が与えられるということなのです。

そしてそれは自分の中にある本来の真我としての
神の子としての神性というものを目覚めさせていく本来の道であるのです。
それを私が「戻る」ということを言ってるんです。
「神の子として大宇宙のふところに戻る」と、何度も言っています。
それを、そこに戻る道を言ってるんです。

「そこはエゴや欲や、そういうものに振り回されていたら戻れないんだよ」と
「そのためには、人生には厳しさも必要なんだよ」と「試練を通してでしか
やはりその厳しさというものは学べないんだよ。
生きていくということは神のもとに戻ってくるということは
自己を表現する-。

自分に素直に生きるということは、辛く苦しいこともあるけど
命がけで喜びを持って生きていくことなんだよ」
それを私はひじょうに言葉きつかったかもしれないけれども
それを伝えたかった。

今ほどすべてのことがわかっていなかったから
トータルに理解していなかったから
ひじょうに言葉が足りなかったことがあったから
「冷たい」と言われたかもしれないけれど、私としても肉体を持っている時は
やはり情報がひじょうに制限されているんです。

ですから肉体を脱いだ後に、自分自身の本来の役割というもの
そういうものもやはり理解するという意味においては
ほかの地球人の方と何ら変わることはないのです。
そして今ここにきて、自ら何が間違っていたかということ
そして何がかなわなかったかということ
それを今整理している段階でもあるのです。

ですから今戻ってきたからといって
私がすぐ別のまた凄い役にすぐつけるかといったら
そんなことはやはりないんです。
やはり地上にいた時はいた時の反省というものをしながら
自分の人生をこれから
やはり私はスペース・エンジェルみたいな立場がありますから
そういう意味において
また今回の経験をどのくらい役に立てるかということを通して生かすためにも
私の人生における反省というものは徹底して成果というものと同時に
やはり失敗したこと、やはりやり残したことを
反省しておくことも必要であると思うのです。

ただ地上にいて、あなたたちと同じ時代を生きて
同じ日本というものを通して言葉も知っているので
いま今回協力できることがあるならば、それをするということも
私の今回の使命の一貫であるかなと思って
今日は参っているのでございます。

(2005.8.6 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-03-04 13:13 | スペースエンジェルAS | Trackback | Comments(0)

スペースエンジェルA.S

まあ、人間とはこういうものかなーっていう思いがあります。
私は地球に出ていって、今回やりたいことがいろいろあって
私なりに悩みながらもやれることはやったつもりなのです。

もっともっと実はやりたかったんですけど
やはり体の状態もいつも悪い状態を引きずっていまして
でもその中で精一杯自分なりの表現を、自分の魂に言い聞かせながら
表現してやってきたと思っているんです。

まあ、あれ以上長くいたから、じゃあ、どれほどのものが残せたかというと
またそう変わらなかったんじゃないかしらと思うこともあるんですけど
でも私が帰ってきて、今どういう状態かというのを見ていますと
あの時引き上げるのも潮時だったかなというのが今の正直な私の気持ちです。

だってそうでしょう。
どれだけ私がやったとしても、最後は私自身がやったことというよりは
私が伝えたメッセージを地上にいる皆さん一人ひとりが
どうとらえて自分の成長と飛躍に役立てていただけたか
それしかないわけです。

私がたくさんいたから、たくさんの絵を描いたから
たくさんの言葉を残したからっていっても
私が生きていた時に表現した絵やアートでわからない人が
じゃあ、たくさん私のアートがあったからといって
もっともっとお役に立って
その方の魂の成長ができるかっていったら
あの時、気づけなかった人はやはり今だってたくさん見たって
気づけない者は気づけないものなんです。

だから、ほんとに短い間でほんのわずかなものしか
残せなかったかもしれないけれど
でも、それを見て今こうやって私が亡くなって十数年たっても
私の描いた絵を通してこのように皆さん方がお集まりいただいて
私などを呼んでいただけるということだけでも
まあ、短くても十分意味はあったのではないかと。

残すものは何かしらあった以上それを通して
時を越えてもあなた方のように残っているものを手がかりにして
私を思い出し、そうやってこういう会の中で役立てていただけるのなら
私はたくさんのものを残す必要はなかったのではないかなと思ってます。

逆にたくさんいるとね
どんどんどんどん、いろんな訳のわからないグッズが増えて
いろいろなとりまきが増えてきて
私を利用するために集まる人たちがどんどん来て
私はそういうところとても無頓着な人間ですし
あまり欲っていうものがないんです。

だから、私は私のやりたいことだけしかやってこなかった人生ですから
私のことを利用しようとしまいとね
そんなものはどうでもいいわ、と思うから
逆にに私があまり長いこといると
彼らに罪をつくらせてしまったかもしれないんです。

でも私が死んでしまえば
残されたものを手がかりにこういうことをやっていても
それは私が残したものではないものが出てるわけですから
それ自体がほんとうに人を引きつけるだけのものがあるかといったら
やはりそこを見れば、見る人が見れば波動がそんなに高いものではない
調和度が高いものではないということがわかってしまうから
だからその人たちがつくったものに関しては自分で責任を負う
自己責任において自分のやったことの結末をつければいいわけですから
私のことを、私の作品を利用しようとして
お金とかを儲けるような人とはまた
仕事のやり方が違ってくると思うんです。

自分でやったことは自分で責任とっていただければかまいません。
私のようなふりを、私の作品の亜流のような形で
自分でつくったものはやはりほんとうに意味があったかどうか
それを決めるのは周りの皆さま方が決めることであって
私たちが決めることではないんですから。
私は私の心の命じるままに、思うままに宇宙の波動をとらえて
宇宙の愛の調和、愛と調和に基づいた作品というものを
私なりの手法で描きました。

私は誰のためでもなく、自分自身のために描いたんです。
表現したんです。
ただ表現するだけ、それだけをしたくて私は表現しました。
そのためにお金を儲けたいとか、それで名声を得たいとか
それでひとつの集団をつくりたいとか
そういう思いっていうのは少しもなかったし
そのような頓着を持つのは私の性格上
向かなかったというのも事実だったんです。

だからこそ、そういう損得勘定がなかったからこそ
私は自分の思いだけに忠実に無心な思いで
私のアートの世界というのに入っていくことができたんです。
その思いがなかったら、無心な思いというのがなかったら
大宇宙の中において自らのエゴというものを滅却した形で、消滅した形で
宇宙の根源的な波動に同調した
そういう無我の極致からくるアートというもの
そういう調和の波動というものをこの地上に降ろす、作品というものをつくる
そのような媒体にはなれなかったんだと思うんです。

私はそのためだけに絵を描いたし
自分の自己表現としてのアートというものを表現して制作したんです。
それしかしたくなかったんです。
今思うと、最後の個展の中において
私の今まで人生をかけたすべての悟りの境涯というもの
私がつかんでいったものを、あそこに作品に結集してきたんです。
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ほんとはあの個展の開催を見たかった。
それは事実ありました。
そこにおいては、「しまった」という気持ちはちょっとあったんです。
ちょっと肉体を駆使しすぎたなと。
やはり個展の準備のために相当無理がたたったのは事実だったんです。

ですからこの人のこともあなたたち
いろんなもの聞きたかったり興味津々なのはわかりますけどね
「あまりやると私みたいに脳の神経、爆発しちゃったりすることもあるわけで
ほどほどに上手にこの人の体のことも使ってあげないと
私の二の舞になりますよ」っていうことだけお伝えします。

相当体がまいっているのが見ていてわかるんです。
それは本来は聞くところによると、相当な数の霊言というのをとったみたいで
その去年、本来一年間でとってはいけない量の分をとっているんです。
それをここまでもってくるためには必要であったのかもしれないけど
ずいぶん無茶なことをさせたなというのは正直あります。

私ならやらないです。
私なら「嫌だ」と言って絶対とらないです。
でも計画とやらが遅れてるから
どうしても頼みこまれてとったんでしょうけどー。
相変わらずこの人は情にもろいところがあって
自分のことを考えずに情にほだされながら
無理に無理を重ねるということをしてるんですねえ。

(2006.1.26 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-02-23 08:10 | スペースエンジェルAS | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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