地球を愛の星へ

カテゴリ:福沢諭吉( 3 )

福沢諭吉からのメッセージ(3)

このあいだ勝海舟といわれている方が
「各論はいい」と、「これから出てくる」とおっしゃられておりましたが
わたくしも全く同じように思います。

まずあなた方は総論をつくりなさい。
そして今、共通認識としての、高次元からの
ひじょうに理念的に高いものが今降りているのです。
それをしっかりと地上に文献として残し
それをもとに人間教育の原点とするような書物
そのような方法論というものを大方でもいいからつくっておいていただければ
あと細かな体制、学校のシステム、男女共学、男女別学、そのようなものとか
どのような内容を通したら世界がいっしょになっていけるかということは
各論としては時間の流れの中で、多くの者たちがやっていく作業であるのです。

でも根源的な、根本的な総論
その総論としてのあなた方はすべてをまとめていくという
そのような作業というのは
これは、明治維新の時を超える多くの優秀な方がたと
天上界の神々の、高級神霊と呼ばれている方がたのご計画抜きにしては
とてもではないけど人類には与えられるチャンスではないのです。

まれに見る素晴らしい大改革の時を
あなた方は生きておられるのだという誇りをお持ちになって
ぜひ頑張られていただきたいと思うのです。

このような高次元の言葉を、地上に生きているうちに聴けるということは
我々の時代においてもあり得なかった。
それどころか自分が神の子であるとか
神の計画の一員として今回地上に降りて
自分が教育者としての役割をしているなどということすら
わたくしは生きているうちに考えたこともなかったし
その、でも与えられた魂のうずきの中で精一杯
おのれの役割を果たしたつもりではいるのです。
一生懸命、がむしゃらに生きたつもりなのです。

でもそれにおいてもやはり悲しいかな
人間として精一杯生きたのではあるけれども
やっぱり神意、神のみ心ということにおきましては
ほんとの意味での神意は理解できていなかった。
そのように悔やまれること、反省する点
多々、こちらの世界に帰りましても、あるのでございます。

でもまあ、人間のやったことです。
そして明治維新は明治維新として
そのような者たちが精一杯力を合わせたという中におきまして
まあそれなりの成功を遂げたのであろうというふうに
みんなで評価しているのであります。

でもあなた方がやろうとすることは
竜馬が言っていたように、世界維新ということ
地球維新ということを旗印におやりになるということ。
その意味においては、理念的なものが何よりも基盤になるということ。
そして、このような高次元の言葉が降りているというチャンスを
ほんとうに人類は感謝しなくてはいけないということ。

どんなに一流の教育家が、一流の啓蒙思想家が
一流の指導者が降りたといっても、政治家が降りたといっても
やはりこのように直接に神の言葉を聴きながら
神の計画に参りできるということはなかなかなく
やはり地上に降りたわずかばかりの知識を使った人間知の
知識を使った判断力となります。
そのような時にはやはり、完璧なことはできず
やはり多くのブレが生じるのが常なのです。

今回このように、八次元、九次元と呼ばれている
あなた方の世界で呼ばれている根源神といいますか
そのような我々から見たら
神の神と呼ばれている方がたの世界の言葉というものを
今地上に降ろされることをもちまして
わたくしたちもこちらの世界で聴くことができるという
そのようなシステムになっております。

我々の世界では我々の世界で集められて話を聴く場合も、確かにあるのです。
指導も受けているのですが、やはり今地上に降ろされた計画をもって
我々が今どのような立場にいるかということを新たに認識し
勉強させていただいている次第なのであります。

あなた方は、今自分のおかれている立場をほんとうに理解しなくてはいけない。
そしてこのような霊言者という者が今地上に与えられ
天上界の神意というものを、直接に聴くことができ
それを即社会に反映していく
そのような今社会状況であるということ。
そのことを思うのであるならば、どうか精一杯
わたくしたちの分までも頑張っていただきたいと思うのであります。

今この日本において、日本から発信するという意味をもって
わたくしは心から、自分がかつて日本にいて
日本の基盤づくりをしたひとりであるということを
自らの仕事を、改めて誇りを持ち、神に感謝するものであります。

教育というのは人間を活かすことであります。
若者のエネルギーを、夢をすくいあげ
それを彼ら一人ひとりの人生の中で、いかに燃焼させて
一人ひとりの人生を活かしていくということ。
そのことを社会に集約的に集めてこそ、社会は変わり、社会はよくなり
時代はひとつの時代をつくっていくのです。
活気ある時代をつくっていくのです。

若者が死んだような価値観の中にいる時に、社会は活きてはいかないのです。
いかに若者たちに夢を持たせるか。
新たな価値観の中で、一人ひとりの一回きりのかけがえのない人生の中で
最大限燃焼する努力をするように
彼らの気持ちを向けさせ、指導していくかという
そのような一流の教育家、宗教家、教育者というものが
これから現れる必要があるのだと思います。

しかれども、新たな教育者が現れたとしても、あなた方が残してくださる
このような新たなものさしというものを、しっかりと残していただかなければ
このように難しい神理の奥義というものは
やはり宗教系の方たちでなければ打ち立てられぬものでありますから
やはりその根本法というものをしっかりと今回、地上に残していただきたい。

この宝さえあれば、のちに時間をかけて、優秀な者たちを各論として
実現者として、具現者として、政治家、教育者、文学者、科学者
いろんなものを通して社会を各論でつくり上げていくことはできるのです。
その意味においては時間の流れは必要かもしれない。
でも大事なものは、まず種まきをするということ。
種まきというのは神理の、この神の言葉を今降ろすということ。
それを編纂するということ。
これはとてもとても大事なことであります。

そしてできますれば
あなた方が編纂した中から第二の『学問のすゝめ』と呼ばれるようなものを
人間学に近いようなものを、そんなに厚いものでなくていいのです。
わたしの書いたものはそんなに分厚いものではありませんでした。
誰でもが手に取って学べるような
そのようなものをできますれば書いていただけますと
それが多くの者たちにとって救いになりましょう。

おのれの人生の羅針盤となり、判断の材料となり
新たな時代を築いてくれる若者もその中から出て来るでありましょう。
そのような期待を込めて
わたくしの『学問のすゝめ』を超える第二の『学問のすゝめ』である書物を
あなた方の中から出していただけることを、切に願うものでございます。
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先ほどのご質問の内容にございましたが、今の教師というものが劣っていると
お嬢さんがひじょうに苦しんでおられたということも、先日聞いておりましたが
確かにそのような不平等な扱いということはあると思います。
でも教育者自身がわかっていないのです。

教育というのは何であるか。
さっきから申しますが、人間学なのです。
人間がどのように生きるべきか。
それを教師たち自身がわかっていない。
本来の教育のプロとして、子どもたちを活かし、子どもたちの人生をかけて
自分が関わることによって、彼らもともに、自分もともに成長していこうという
そのような高まいな思想を持っていない者たちが多いのです。

「教師にでもなろうか」と言って
妥協してほかに仕事をするところがないから
教育実習を通して教職というものにあわよくばなったら
そのポストを離さないでいようという、その程度の者たちが多いのです。
だからひじょうに官僚的、役人的
そういう意味においてはひじょうに自己保身型の人間が多いのが
事実かもしれません。

だから自分がペナルティをもつようなことはなるべく避ける。
そして自分が気分がいいようなところで点数をちらつかせて
その限られた夢のない社会の中で、自分の最小限の欲得と言いますか
自分の中における居心地の良さというものを
身につけようということでのえこひいき
昔から教師の中にえこひいきというのがよくありますが
えこひいきというものが起きてくるのだと思います。

でもそんなものはいずれ消えていくものです。
そういう時代を生き抜いてこられたのならば
そういうことだけはしてはいけないというように、魂に刻まれて
新たな教育者、新たな未来に子どもたちに対して
いかようにしたら新たな時代をつくっていくことができるか
いかようにしたら新たな次の時代をつくっていく人材を
育成していくことができるか
その高まいな理念における真の指導者
真の教育家というものを生み出していくような土壌というものを
つくっていくためにも
あなた方の今の仕事があるのであると、わたくしなどはそう思います。

一度にそのような、今の時代から見て
実力のある教育者というものが送り込まれるわけではないのです。
まず理念というものが送り込まれ、それを読んで育った世代の中から
克己心というものを持ち、大いなる、社会を変えてやろうという
竜馬たちみたいな者たちがまた現れてくるのです。

ですから、あなた方がやったものを、種をまいてくださったものを通して
社会に出ていった時に、それを幼い頃から読みながら
社会革命家のような者たちが、新たな時代をつくる者たちが
続々と今生まれていっているのです。
ですからその者たちに委ねることとして
あなた方はあなた方がやられるべきことを、精一杯おやりになられることを
わたくしは心からお願いしたいと思うのです。

種あってこそ、芽が吹き、幹が育ち、葉を繁らせ、枝を張るのです。
種なくして、そのような大木は育たないのです。
種さえ落ちて地面に根づいてくれれば、そこから芽を吹き
時間の流れの中で大きなる悠々とした大木が育っていくことでしょう。

今大事なことは、今この土壌の中に新たな価値観という、神理の基準という
大事な、大事な一粒の種を落とすことにあるのです。
その種を落とすことをもってあなた方の天職とし、使命となさられる
そのことを誇りに思われ
しっかり仕事をしてこられることを心よりお願い申し上げます。

あなた方がそれをしてくだされば
その後の社会は、社会構造の変革は、わたくしたちが引き受けましょう。
わたくしたちの仲間が引き受けましょう。
各論におきまして
それぞれの分野において命を張って彼らはやってくれることでしょう。
しかしその種、一粒の種、地上にまからずんば、落ちなければ
その後の社会構造改革というものはあり得ない。
教育改革というものもあり得ないのです。

時間の流れというのは多少必要でしょう。
でも、今あなた方がおやりになっていることが
とても大事なことなのであるということ。
その後の日本を変えていき、世界を変えていかれるのであるという
尊い、尊いお仕事であるのだということを
今日わたくしはお話しさせていただきました。
ではこれにて失礼致します。
ありがとうございました。

(2005.3.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-06-07 11:15 | 福沢諭吉 | Trackback | Comments(0)

福沢諭吉からのメッセージ(2)

わたくしは生前、教育の中に信仰というものを入れないものでした。
逆に宗教ごとというのを言うと、合理的な科学的判断をふまえた
先進諸国に並ぶような、文明国の一員としての判断力を阻害すると
わたくしは判断したので、もともと信仰ごとは好きではなかったし
教育の理念の中においても、宗教というもの
信仰の大事さということは、いっさい盛り込まなかったのです。

逆に嫌っていた節もあったはずなのです。
教養人として、立派な判断ができる人間になることを
教育の理想においたのです。

しかし、わたくしが考えますに、信仰というもの、神の価値尺度というものが
こちらの世界に帰って来れば
いかに大事なものであるかということを考えますに
もし次に私が出るのであるのならば
教育改革の原点には、やはり信仰心というものをおきたいと思うのです。

逆に言うと、信仰心という価値尺度がしっかりしていない者が
これからどれだけ英語や、科学や、難しい高等数学を学んで
政治体系を学んだとしても
これから先多くの人びとを指導していくような人徳、力量として
人びとを説得していくような、人間としての魅力にはなっていかない
器づくりにはなっていかないのであると
私はそのように今、考えている次第なのでございます。

でありますから、まず神理の価値基準というものを
まず教育の根本において、最低限のことを学ばせる。
そして目に見えない神というものを
やはり信じていけるような教育環境、幼い頃から
そしていちばん多感である、青少年の思春期という時に
やはり信仰というものに出会っていった者と、出会わなかった者とでは
その後目に見えぬ神というものを受け入れられるかどうかという
大きな分かれ目がくると思うのです。

今回の、ORさんという方の顛末を見ておりましても
やはり教育体制の中に信仰心というのが根づいていない
日本社会というものをやはり、常々反省の目で思い
あの時代にわたくしも教育者として、教育理念を打ち立てた者として
わたくしも私なりに精一杯
合理的な啓蒙思想の教養人としての学校づくりというものを
目指したつもりではありますが
そこにひと言、信仰の大切さということを盛り込んでおいたなら
もう少し変わったのかもしれないと思うのです。

今のわたくしが創った大学を見ますと
ひじょうに優秀な者たちが集まってきており
そして歴史もあるので、経済界におきましても、たいへん就職におきましても
すべてのもので有利であるということのために
刻苦勉励する者たちが入ってくるのはとても喜ばしいことではありますが
やはりそこにおいて、では経済的に豊かになるためだけに勉強してきたのかと
問いかけたくなる者たちが多い姿に、わたしは内心少々失望感を感じるのです。
そうではない。
もっと高まいな理想があったであろうと

明治の者たちにはあったのです。
新たな価値観、尺度をつくり上げて
新たな日本を世界の列強のひとつにしていくのだと
植民地化されないためにも何とか先進諸国に追いついて
この日本を盛り立てていくのであると
明日の日本を、未来を我々若者がつくっていくのだという
学問をしながら、英語を学びながら
この経済というもの、社会構造をつくりながら
この日本の明日をつくるのであるという、夢があったのです。

その夢に応じてみんな努力した、一流の人材が集まってきたのが
慶応義塾大学であったのかもしれない。
でも今経済は爛熟し、先進諸国の仲間入りを、もうすでにした日本としては
そこに集う若者たちにもう夢はないのです。

その中でもうつくられてしまった体制、つくられてしまった経済大国の中で
いかに安穏と、自分自身の身を処するためだけに努力をしていくか。
そのような思い、そのような発想だけで受験勉強にいそしみ
得点を取り、偏差値を取って
間違いのない就職ができるための手段として大学を選んでくる。
そのような者たちを見ていると
わたくしが最初つくりあげた時の理念はないなというふうに思うのです。
であるならば、新たな価値観の、精神革命がこれから行われるわけなのです。

その時に、教育者たちがこれから大改革を行っていく時
政治構造も変わると伺っております。
政府の構造、経済倫理、すべての価値観が変わるのです。
その中において当然、教育体制も変わっていくのです。
逆に言うと、経済、政治体制、国家体制が変わる以前に
まず個人、個人の人間、人材ということを考えますと
教育理念の中にいちばん最初に神理知識というもの
神理の価値観というものが入る必要があるのではないかと思うのです。

神理の新たなる価値観のもとに、新たな人生観を構築し
新たな教育体制の中で
新たな未来をつくっていく若者たちをつくっていかなくては
明日の地球はないということ。
新たな神の星となる地球というものがあり得ないのだと
わたくしは思うのであります。

ですから、あなた方におかれましては
今、高級諸神霊からの言葉を収録しておられるようでありますが
その今あなた方が降ろされている神理知識というもの
根源神と呼ばれている神々からのお言葉というものを
ぜひとり集め、収録し
そして、易しい言葉でもわかるような状況で、人びとに伝えていける
わたくしの第二の『学問のすゝめ』に見合うような
一般の方がたに対する啓蒙の書となるような神理の書物を出していただきたい。
それがわたくしと同じような大ベストセラーになれば、社会は変わるのです。
人間は変わるのです。

わたくしの時も、それはどの出版技術がなかったにもかかわらず
多くの人びとがみな『学問のすゝめ』を持ち
そしてその書物を読みながら、新たな時代の中に、適合していったのです。
であるならば、あなた方も今書かれておられるこのレムリアの霊言を
難しいばかりのものではなく、根源的なエキスのところを
簡単な、子どもでもわかるような言葉として
第二の『学問のすゝめ』を、書いていただきたい。
それを大ベストセラーにしていただきたい。

社会は、一人ひとりの人間、人材によって構築されております。
一人ひとりの人材が真に目覚め
ましてインテリ層と呼ばれている教養人層がほんとうに目覚めていくのならば
その影響力というのは莫大なのです。

わたくしの時ですら、インテリ層はみな手に取って読んでいました。
今の時代は、わたしの時代に比べればですよ
ほとんどの人がインテリに近いような教育レベルを持ち合わせているのです。
文字も読めるのです。
であるならば、あれと同じような書物がもし
多くの人びとの、魂のニーズに合って
読まれていったのならば、社会は変わることでしょう。

人間が人間学として変わっていくのです。
目に見えぬ信仰心として、人びとが拒絶反応をするのではなくて
ひとつの啓蒙の書として、人間の書としてわかるような次元で話をしていく。
それがまた人びとの人間づくりを変え
そしてそれを基盤にして若者たちが、教育理念というものを学んでいき
多くの学校制度の、教育のあり方というものが、変化していくのです。
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今、「ゆとりの教育」とかいわれながら
コロコロコロコロ指導体制が変わっております。
価値観がわからないのです。
教育者の指導者層が
何を中心に若者を教育していったらいいのかわからないのです。

ゆとりをもって、精神的な豊かさをもったほうがいいといったら
いきなり学問をすることを緩め
知識を吸収しないと、結果的に子どもたちは怠け、退廃的なところへいく。
そして冷静な判断力もつかないような
愚かしい知識力でしかなくなってしまう。
それはゆとりとは言わない。

真のゆとりとはどういうことか。
一人ひとりの個性、一人ひとりの能力の許容量に応じて
最低限の教養人としての一般的なことを学びつつ
個性に応じた特殊な分野にまで、その能力を増大し、開花していくような
刺激を新たに与えられていく。
それにおいて、個が個であるという素晴らしさに真に目覚め
子どもたちに今生きていることの充実感と
人生に対するやりがいというものと自信というものを与えていけるような
そのような社会というものを、教育体制というものを、若者に提示しなくては。

今の若者たちは定職に就くことも、結果的に時間の中で縛られ
そんなお金の中で安定だけを求める将来に飽き飽きとし
少しも将来に対する夢を感じないのです。
だからフリーターなどという者たちがいて、人生を惰性の中に過ごし
若い貴重な時とエネルギーというものを無駄にして生きているのです。

新たな理想が必要です。
そして自分なればこそ
神がおつくりになった自分の個というものの偉大性というもの
尊厳というものに目覚めていくような
そのような価値観の提示というものがなければ
今の若者たちを真に目覚めさせ、その人生の中で燃焼して
新たな爆発的なエネルギーというものを得て
新たな時代の幕開けをするような
エネルギーを集めていくことはできないでしょう。

若者たちにそのような爆発的なエネルギーを打ち出させた時
そのエネルギーがひとつの一点に
共通認識として集まった時、社会は変わるのです。
革命が起きるのです。
それぐらいのエネルギーを増幅しなければ
あなた方がこれから見ようとしている未来、地球的なステップアップという
精神的な向上、価値観の大転換
そして地球教としての認識における地球、万人博愛の平等思想という
神の子思想というところには至らないであろうと
わたくしは思うのであります。

ですから、今だいじなことは
今教養人というインテリ層の認識力を変えていくこと。
それとあと、若者屑に対する夢と、新たな価値観の提示ということ。
信仰、信仰というと、目に見えない狐やコックリさんや
わけのわからない霊媒師のように考えてしまう人が多いのが現状なのです。
日本においては、美しい信仰心というのがなかなか根づいていないのです
理念において。
どうしてもおかしなものに関わりあっているという、今偏見が満ち満ちている。

そのようにわたくしは現代社会を見て思いますから
そんなものではなく、それをわかりやすい文章の中で、啓蒙思想として
ひとつの啓蒙の書として、人間学として
人間がどう生きるべきであるかということを打ち出していく。
そこの切り口から入っていく。
そういうふうにしていけば、抵抗なく、今の現代の日本人であっても
人間学として、人間を見ていく
そこの延長上に信仰心というものが当然に出てくる。

それは、信仰心は本来日本人は、ないわけではないのです。
それが理念的な意味で根づかなかった。
そこの部分に問題があったのであって、過去においては
日本はひじょうに美しい信仰心を持っていた民族でもありますし
世界を見回して、逆に言うと
信仰心を持っていない民族のほうが少ないのです。

ですから日本だけではなく、世界の共通認識として
人間学イコール神の子理論であるということが構築できるのは
そんなに無理のない設定であるのです。
ただ、今の日本を見ていると、人間神の子で
宗教の信仰心から入っていこうと思うと
ひじょうにアレルギーのほうが強いと思うので
人間学的な啓蒙の書という切り口から入って
宗教論という、神の子論というところに至っていけば
入り口さえ入れば、奥においてはみんな神の子でありますから
自らの神性というものに気づいていって
神につながる道というのは早いと思うのです。

逆に言うとあなた方の理論は
外国においてのほうが受け入れ易いのかもしれないのです。
キリスト教におきましても、イスラム教におきましても、仏教におきましても
自分たちが神のもとから出てきているということは
唯物思想がまかり通っている現代ではありますが
やはり宗教というものが根づいてる地域というのは
ひじょうに多くあるのです。
文明国においてもそうなのです。

でありますから、まず合理的な、この啓蒙思想というところに
江戸から明治以来
学問とともに、教養人の育成とともに、認識してきたのであるのならば
その合理的な教養、合理的な判断力っていうものを土台にして、入り口にして
これから今度神の子理論にいくように
上手に誘導してあげればよいのではないかと、わたしは思うのです。

それと若者、小さな子どもにおきましては
なるべく幼い頃より信仰ある環境にやるということ。
それはとても大事なことであるなと思います。
わたくしが今度出る時は
ぜひ信仰というものを裏づけにした
教育体制のある学校というものをつくりたいなと、思っているのです。

真っ白で、すごく素直に神の前にぬかずくことに対してためらいを持たぬ
そのような無垢な若者たちに対して、それを素直に受け入れていけるような
そして神の前に手を合わすことに抵抗を感じないような
そういう思春期ないしは幼少年期を送った者は、やはり心の糧の中に
信仰論というものは、神の理論というものは、自然に根づいているのです。

おとなになって一からやろうとすると、どうしても頭だけの論理になります。
そういう意味においては教育の一環の中に信仰というものを入れるということ
それはわたくしが生前ではことごとく拒否していたものではありますが
こちらに来てやはりそれは大事であると、まして時代の先を見ていくのならば
そういうふうに生きていくしかもうないであろうと
それにおいて地球の共通理念が統合されていくのならば
そういう意昧での総論としてのこれからの万教帰一、教育、政治、文化
すべてにおいてがそこに集約されていくのであるということ。

(2005.3.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-21 13:01 | 福沢諭吉 | Trackback | Comments(0)

福沢諭吉からのメッセージ

わたくしは生前、宗教者とは違う、一啓蒙思想家、教育者として
その生涯を送った者であります。
それゆえあなた方が望まれるような、神理知識というものに対してはうとく
参考になるようなことを申し上げられますか
わたくしも心もとないことでございますが
わたくしにとってできる限りのことを、現代の日本の状況
特に教育界を通しながらお話を申し上げようかと思います。

今、あなたがおっしゃられたことにお答えする前に
ひと言わたくしのほうから申し上げておきたいことがございます。
わたくしもかつて、ORと呼ばれる方に詔霊されて
一度語ったことがございます。
その時には、明治維新篇ということで
わたくしが教育家として、啓蒙家として
あの時代を彩る計画のひとりとして
協力者として出たのだということを申し上げたはずなのです。

ですから、その時点での話というのは、そのORさんの本をお読みいただければ
わかることであるかと存じます。
それを超えて、また時を超え、再度お呼びいただいたということに関しまして
今のわたくしの心境における、この計画の重大性、そしてこの計画が行われる
その思想的背景における価値観の転換に伴う社会構造
そして教育問題についての、おそらく訪れるであろう大改革時期というものが
これから先のことを思うと、多くのものが起こって
変化していくであろうということが今想像できるのです。

明治維新の時におきましてもわたくしのように
下級氏族の出の者におきましては
将来どんなに学問をしようと、どんなに頑張っていこうと
生まれ落ちたところで、すでに将来は決まっていたという
あがいても、あがいても、人生における挑戦も、努力というものも
なんら人生を切り開いていくという希望も活力も生まなかったという
そのあきらめに満ちた身分制度の中で、人びとは生きていたのです。

その封建社会の中から脱却していくには、新たなものさしが必要であった。
その意味において、政治的な大改革者、指導者、そのような者たちが
いろいろ明治の時には出たのですけれど
わたくしは教育、啓蒙思想ということを通して
新たな学問という尺度を人びとの中に呼び入れることにより
新たな、生まれ落ちた身分社会の構造を打ち砕くために
わたくしは学問というものを多くの人びとに広めていく
そのような新たな価値尺度というものを取り入れていく
それが封建制度を打破し
幕藩体制というものから新たな文明国への転換点として
新たな思想的なものさしの樹立ということを目指すために
わたくしは生まれていったのです。

そして、確かに学歴万能主義ではありませんでしたが
学歴ではなく、学問というものを人びとが、身分に関係なく
どんな家庭に生まれようと、向上心と克己心を持とうとする者にとっては
いかなる学問であれ、一生懸命やり、その業績を残していったのなら
新たな職業へ進んで行くチャンスを与えられていくという
そういう理念構造があった。
それが明治の新政府というものの中に取り入れられていった時に
多くの人びとを、身分制度から解放したあとの
新たな価値尺度づくりというものを人びとに提示したのです。

幕藩体制、士農工商という
そういう制度を崩壊させるだけではだめだったのです。
それを竜馬たちがひっくり返したあとに
新たな価値尺度というものを提示する者たちがいなければ
人びとは、今度は何を中心に生きていったらいいのかという
その意味において迷ってしまうからなのです。

そのためにわたしは
明治の志士といわれている者たちが大社会改革を行ったあとに、動乱のあとに
新たな文明諸国を手本としていきながら
かつ新たな価値尺度づくりというものにおいて
学問というものを中心にして、努力をし、向上心を持ったのであるならば
そして学問を通して、深い認識力、判断力
克己心というものを身につけていく中で
多くの青年たちが、新たな人生の
若者たちが自分の将来に対する夢と希望というものを
打ち立てることができたのです。
そのエネルギーが新たな明治新政府を通して
明治の時代、明治から大正にかけてのエネルギーというものを
つくっていったのです。

生まれ落ちたところの環境ではない、身分ではない、自分さえ努力したならば
石にかじりついてでも勉強していったならば
百姓のせがれでも、下級武士の子どもたちでも、商人であったとしても
明治政府の役人になっていくことができるのだと
新たな人生が開かれるのであるということは
ひじょうに多くの者たちに希望と功名心というものを与えたのです。
光を与えていったのです。
それをわたしはやったのです。

「天は人の上に人をつくらず。天は人の下に人をつくらず」と申します。
それはたとえどんなりっぱな家に生まれていても
怠け者であってはいけないということ。
新たな理想のもとに自分を切磋琢磨し、向上しようとして
学問にいそしむのならば
それは必ずやその人自身の財産として戻ってくるということ。
そのことをもって新たな社会の価値基準にしたかった。
わたしはそのつもりをもって、『学問のすゝめ』というものを書いたのです。

それがやはり、その時代のニーズというものに合っていたから
大ベストセラーとなり、多くの者たちの新たなる
新時代を切り開く指針となっていったのだと思います。

そして、その学歴が、学歴というのではない
学問の大切さというものをわたくしは言ったのです。
そして新たなチャンスというものが平等に開かれる
努力に応じて開かれるということをわたしは言ったのです。
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それからまた時代がたちました。
時がたち、その明治・大正・昭和というのが終わってきて
新たな時代がきた時に
今度はその行き過ぎてしまった学歴信仰、崇拝主義というのが
今の若者たちの首をしめる結果になっているのかもしれないと
わたしはうれいているのです。

けっして学問だけが、学歴だけが、同じ方向のベクトルの中において
みな同じ方向に向かって歩まねばならぬことなど
わたしはひと言も言ったことはなかった。
だけれども、行く学校、行く学校の、その偏差値が
たまたまその偏差値ということが
逆に言うとあの時代の、その生まれ落ちた身分制度と
幕藩のどの藩、強力な藩主の家系の者のところに生まれたかというだけで
その人生の価値が決まってしまうような
逆に言うとその、どの藩がというのが
たまたま入った学校がということで一生が彩られてしまうような
そのような体制をまた今は弊害として
生むような社会になってしまったのだと思います。

そんなことは、わたしは言っていなかった。
しかし、なんのものでも過渡期というものがあり
新たな価値観、理念というものが打ち立てられ
そしてその中でそれがしばらくたつと熟成し、それが腐敗した状況がきて
その初期の頃の良さというものが失われ
そしてまた逆に言うと、あの江戸末期から明治にかけて
説かれたからこそ意味のあった教えであっても
今この平成の時代、今度は新たな大改革期にきた、今この時代においては
わたしの教えたものは多少、もう古くなってきたのかもしれません。

学歴万能、崇拝主義というのは
もう新たな個人の価値というものを認める尺度ではないということ。
ただ生まれ落ちた環境、親が金持ちであるとか、名門であるとか
そのようなものだけで決めてしまうよりははるかに優れた手段
価値基準であるとわたしは今でも思っております。

しかし、そのようなことよりも人びとがおのれ自体の素晴らしい個性ある
個人の価値の希少性、おのれ自身にしかないものを打ち出して
人生挑戦していくのだという
そしてそれを受け入れていく、多様な価値観の社会の受容性というものも
社会はそろそろ成長していかなければいけないと思うのです。
そういうものを受け入れていくように
成長していかなければいけないと思うのです。

一方向だけではなく、わたしの時は最初蘭学でした。
蘭学を学ぶことが、そのひとつの知識水準の
最初のインテリ屑と言われている者たちの基準でした。
それから英語になっていって
そして新たなアメリカとか、そういう諸外国
ヨーロッパとかを知っていくということが
やはり大事なその時代の指導者層
リーダーシップを握る者たちの
ひとつの保険となっていったものですけれども

今度は新たなことにおいては竜馬たちだったらどうかと言うと、剣でしょう。
あの時代は道場破りをするような優れた剣があった。
そして英語ができる、オランダ語ができるということが
逆にその時代にとって指導者層の最低限の資質の基準であった。
そして、多くの者たちが学問をするようになった。
読み書きそろばんと呼ばれていたものを最低限みんな身につけて
最低限教養を持とうと、そのようなことをわたしは言ったはずなのです。

そしてその延長上に、みんなが教育を受ける権利というものが提唱されていき
多くの今日本国民は高度な
高等教育というものを受けられる環境というものをすでに
つくり上げてきたのです。

これから起きることは、ここを原点として
多様な価値観づくりということがとても大事なことなんですけれども
今度わたくしが霊天上界のほうにおきまして、さまざまな指導
そしてこの第三の計画における重要性というもの
意識レベルの向上というもの、ステップアップしていく
宇宙文明にいく意味での地球意識レベルでの向上ということを考えました時に
明治維新の時に勝るとも劣らない、いやそれ以上の価値観の大飛躍というもの
革命と呼ぶようなものが、これから行われるべきであろうと
わたしは思うのであります。

(2005.3.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-12 13:03 | 福沢諭吉 | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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