地球を愛の星へ

カテゴリ:西郷隆盛( 3 )

西郷隆盛からのメッセージ(3)

おいは大した人間ではありまっせん。
何度でも言います。
人気があるとかないとか、そんなことどうでもいいことです。
精一杯人の心の痛みとやさしさというものを、情というものを大切にして
流されたとこはあるかもしれんけど、その維新の時に散っていった
無名な若者たちがたくさんいます。
ほかにもたくさんおったとです。

でもみんな、立場的には
明治維新から明治政府のほうに流れていった者たちだけが
すべてが正しかったかのように思われて
ほかの者たちが間違っていたかのように思うかもしれないけど
彼らだって、今日の日本を夢見て精一杯
あの時代をどうにかしようと思いたくて
命を張り、命がけになっていった若者たちだったとです。
そこでどっちが正しいとか、どっちが間違っていたとか
そんなことはどうでもいいと、おいは思うちょります。

それは時代の流れの中で、流れていったほうが正しかったかと思うちょるけど
名前が残らなくても、命がけで、精一杯、日本の未来のために考えて、考えて
頑張った若者たち、たくさんおったとですよ。
その者たちの味方をしてやる人間がひとりぐらいおってもよかとです。
それになりたかったという、それだけのことです。

だからおいは大ばか者です。
誰が歴史に名前を残したいとか、人気が出たいと思って
そんなことするでしょうか。
そんなこと思った時、もうその者は、名前は残らないのかもしれない。
そんなものじゃないと思うとります。

あなた方がやることは、今は正道かもしれないけれども
でも今まわりいるG会とか、前のK会とか
今あなた方に敵対している者たちだって
見ていただきたいと思うのです。
彼らは間違っていったかもしれない。
間違っていったかもしれないけれども、どうでしょう。

この救世の計画のために、命がけになって頑張りたいと思った
そのうずきだけはジタバタしながら、空回りしているかもしれないけれども
彼らの魂の中には深く刻まれている者たちじゃなかとでしょうか。
あんたたちは正しい。
それはりっぱなことです。
それは間違っちゃいけないことです。
それは神さんたちおっしゃる通りなんです。

でも、あの者たちは、判断できなかった
間違っちゃったとこもあるかもしれないけど
でも全く無関心な普通の者たちに比べたらはるかに
必死にこの時代をつくろうと
救世の計画のために命を張ろうと思っとられる方がたではないかと
おいなんかは思うちょるんです。
でなかったらここまで必死にあんた方に反論しないと思うとるんです。
無視すりゃあいいじゃないですか。
でも、無視できない。
それはうずきがあるからなんです。

彼らは今、悪役になってるかもしれない。
でも、もうこの席に
座ることを許されない者たちである悲しさがわかるからこそ
精一杯、あんた方に歯向かってくるとです。
誰かひとりぐらい、味方してやってもいいんじゃないかと
おいはあの時代思ったとですよお。
だからわかってたけど、彼らとともに戦ったとです。
それがおいの真情です。

その結果どう評価されようと
そんなことはおいの頭の中にはなんにもなかとです。
今もそうです。
でも精一杯人を信じて、その者たちの無念さがわかるからこそ
その者たちとともに、心を添わせ、生きようとした。
それだけしかない男です。
けっしてあんた方の指針になるようなことは言えんと思います。
あんた方がそれやったら、この計画は潰れます。
だからこれをやるのはばかな男でいいんです。

でも、ある程度のルートは勝さんや竜馬たちといっしょに引いてきたから
だから安心しておいは最後、ああいうことができたとです。
あんたたちも、だいじな計画は見失ってはいけません。
やるべきこと、正しいこと、あんたたちしか、おられないと思うちょります。
ここを精一杯守ってください。
深情けで彼らに入れあげて、この計画ば潰したら
おいはもう、申し訳なくてたまんなくなると思います。
余計なこと言ったと後悔すると思います。
でも、人の幸せばちゅうもん、そんなもんだというだけは伝えておきたいと
皆さま方に思って今日参りました。
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どんな時代も
一人ひとり息づく神の子たちの幸せあってこその天下国家だということ。
人間たちだけじゃない。
動物も植物も、すべて、この大自然も含めて
みんな、神さんのつくられた子どもたちです。
みんなで幸せになろうって、おいは思うちょりました。
この大自然の中で、みんなで幸せに生きたいと、願うちょりました。
それがおいの真情です。

その幸せを守るために、明治維新頑張ったということだけです。
勝さんと話したっちゅうことです。
精一杯、迷いながら、迷いながらおいも考えて
右往左往しながら生きたっていうだけの男とです。

だから皆さん方も、今最初から最後までの答え、出ないと思ちょります。
そんなこと出るわけないとですよお。
さまざまな状況が変化し
さまざまないろんなことが起こってくるとです。
それに適応しながら、精一杯、ない知恵振り絞って、行動して
いろいろなことで迷いながら、仲間と力ば合わせて一つひとつ乗り切ってくる。
それしかないと思とります。

これさえやってたら間違いない道だなんてこと
ひとつもないと思うちょりますORさんにも、その前の女性の方にも
たいへんお気の毒な、苦しかったろうっちゅう
ご苦労さんだったっていう思いば思ちょります。

それは今思っちゃいけないことだってのはわかっちょりますけど
ひとりぐらいいいでしょう、そういうふうに思ってあげる人がいても
おいの立場はそういうことばっちゅうことです。

あんた方はそれしちゃいけません。
おてんとうさまのもと、堂々と正しいことを実行していただく人いてこそ
おいのような者がいる立場もあるとです。
弱者の味方になって、その心情さ、分かち合って
いっしょに涙流しながら、いたわり合いながら
生きる人間もいてもいいっちゅうことになると思うとです。

でも、本筋の、本道の道が閉ざされたなら
おいのやったことは単なる足の引っぱりにしかならなくなると思うとです。
だから、皆さん方は、おてんとうさまのもと、神さんの愛のもと
正しい道を歩まれておられる方だから
せりきりいっぱい頑張っていただきたいと、思うとです。

どうか、どうか、大きな、大きな時代の流れの中で
この今あるべき立場を通して精一杯、皆さん方の使命と天命を全うされ
この日本の、この地球のためば、精一杯頑張っていただき
このレムリア・ルネッサンスの運動が
この地球を愛の星に変えていく道となられんことを
おいは隅っこより、心より、切なる思いで、願い続けちょります。

たいしたこと言えませんでしたが
おいの真情というもの、おいの思いというもの
皆さん方にお伝えすることができれば、よかったっちゅう思うとります。

では、今日このような場にお呼びいただいたことを、心から感謝申し上げます。
もし、また何か、ほかの方いっぱい待っちょられますが
また何かありましたら
いつでもお呼びいただけたら、おいのようなもんでよければ
皆さん方、励ましたり、慰めたりするぐらいのことしかできんと思いますが
いつでもお呼びいただけたら、おいはすぐ、来ます。
どうか、その時はまたお呼びください。

今日は、お呼びいただき、まことにかたじけなく、光栄に思うちょります。
ありがとうございました。


(2005.4.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-27 14:11 | 西郷隆盛 | Trackback | Comments(0)

西郷隆盛からのメッセージ(2)

あんた方も同じだと思うちょります。
一人ひとり見たらそれぞれ素晴らしい方がたです。
でも、今のこの日本で、今のこの現状の中で、精一杯生きようとされて
努力されてるお方がただと思うちょります。

どれだけ、一人ひとりで生きたら別のことできたとしても
今のこの状況の中で、できること、やはり限りがあるとでしょう。
その中で、枠の中で、自分自身が精一杯考えて
精一杯生ききるちゅうことが
いちばんだいじなことなんではないかと思ちょります。

その結果、時代に名前が残ろうと、おいのように汚点残そうと
そんなことはいいとです。
その与えられた時代の中で、自分が何をしようと、必死に生き抜いたか。
何ができたか。
それは、自分が必死に努力したという気持ちだけ
何を信じたかということだけをもってよしとしようと
おいは思うちょります。

だからそのあと死んで、天国の、極楽の高い世界に行こうと
下に行こうと、おいはどうでもよかったとです。
おいを慕ってくれる若者たちば、見捨てられんかったとです。
あの者たちの気持ちもわかったとです。

いつの時代にも、いろんな思いを抱えた人たちがおります。
ひとつの流れがひとつの時代をつくっていくからといって
そうではなかった者たちの思いがまことではなかったかというと
それは言い切れないものがあるのではなかとでしょうか。

彼らなりに、古い体制は引きずってはいたけど
その中で精一杯、まことに生きようと
いちずに思った者たちだったのかもしれない。
その者たちも命を捨てて
自分たちの信ずるもののために頑張ろうと思った時に
その気持ちをみすみす無下にはできなかったという
その気持ちがあったとです。

なら、彼らといっしょに
こんなおいの命ぐらいいっしょに死んでやろうと、おいは思いました。
そのために歴史的にどう評価されるとか、そのあとどう思われるとか
そんなことはおいはどうでもよかったとです。
竜馬もそうだったと違いますでしょうか。
ほんとうに後世名を残したいとか、神様にいい評価を受けたいとか思うなら
もっと別の生き方があったと思います。

何度も言いますけど
明治維新の時に生きた連中は、そんな器用な連中ではなかったとです。
死に物狂いで、自分の信じた思いを生き抜いた者たちだったと
おいは思います。

だから、偉い神さま方さし置いて
おいのような者が今日呼ばれるような場ではないと、思っちょりましたけど
もし、おいのような者が語ることが
今レムリアで、数々の攻撃を受け、敵に言いたい放題言われてるあなた方の
少しでも勇気となって、活力となって、役に立っていただけるのならと思い
今日は恥ずかしながら、参りました。

おいはそんな能弁な者ではありません。
真心だけで接してきた、信じ続けた者だけのために
おのれ自身がどう評価されるかということなんか考えずに行動してきた
無骨な男です。

もしあんた方が、おいの生き方から、何か学べるとしたのなら
おいがいちばん信じたものは、あの百姓の、薩摩の大地を、貧しか土地
シラス台地のあの土地を、耕す農民の者たちの
おてんとうさまのもとで幸せに生きたいと願う、生かせてあげたいという
その願いそのものであったということ。
それをひと言伝えたいとです。

明治維新というとあまりにも大きな時代確かにあったんです。
それはわかっちよりました。
近代への警鐘を鳴らすという意味において
古い江戸の、徳川幕府というものが
変わっていかなければいけない時代にあったということです。
そのためにおいたちは、力を、知恵を出し合って
新しい体制、近代国家にするために頑張って
みんなで降りて来た魂であったとです。

でもいちばんだいじなことは
その国民たちの一人ひとりの幸せにこそ、その原点があるということ。
そのこと、原点ば忘れちゃいけないと思うちょります。
そこにほんとうのまことがあり、まことの人情があり
人びとの幸せがあると思うちょります。

一人ひとりの人びとが、国民が、人民が
幸せになれない天下国家なんて何の意味がありますでしょう。
一人ひとりが幸せに暮らせない憲法なんて、何の意味があるでしょう。
そこに幸せがあることを夢見て
おいは頑張って、薩摩の国から江戸に出て来ました。

その気持ち
それがまだ今の日本では伝えられていないかもしれないけれども
おいの心の中に流れていたのは、その薩摩の風景でした。
みんなふるさとを愛しちょります。
いろんなことがあっても、自分のふるさとを守るには日本を
日本を守るには世界を、この地球を守らなければ
身の回りにいる人びと、一人ひとりの幸せばないと、おいは思うちょります。

あんた方は世界を変え、この地球を変えていかれる方がたです。
でも忘れないでほしい。
そこに住む一人ひとりの幸せが地球全体に拡大されていくという
そこの原点は見失われんことを、おいは願うちょります。

偉か神様いっぱい出ちょります。
おいのような普通の人間が、出るような
偉いようなこと言える立場じゃなかと思います。
でも、おいは神様じゃないから、普通の百姓たちと同じ立場にいるもんだから
だから言わしてもらいます。

おいたちのような、神さんから見たら普通の
端のような人間であったとしても
おいたちもみんな神の子です。
おいたちが幸せになれる天下国家をめざしていく
おいたちが幸せになって感じていける、この地球を早く実現させ
戦争とか争い事を抜きにして、神さんの愛の光のもとに幸せに生きる
この地球というものをつくるために
おいたち明治維新の者たちは命ば張ったということだけは
今日伝えていきたいと、思ちょります。

原点を忘れないでいただきたいと思とります。
計画は大きくなればなるほど
原点が一人ひとりの人間の幸せであるということ
そこが見失われがちなのです。
おいはそこにこだわり続けたばかな男です。

でも、あんた方がおっしゃられる人間神の子
転生輪廻をくり返した永遠の魂を持っちょるということを
もう明かされるときがきた時に
一人ひとりの命は大切にすることは
一人ひとりの命は、幸せを大切にされるっちゅうことだと思うちょります。
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ですから、どうか政治体制、憲法、歴史ということはだいじです。
でも、おいはそういうことの専門家ではなかとです。
おいは真情で生き、誠でぶつかって、情に流されて、散った男です。
そんなおいがもし
今の日本で、近代の日本で名を残していただいているのであるなら
そこに答えはあると思うちょります。

おいは別に人気なくってもよかとです。
別に歴史に名前残ってなくてよかとです。
でも、人びとば愛しちょります。
一人ひとり、じいちゃん、ばあちゃん、若い者たち、子どもたち
犬っころまで、みんな、愛しちょります。
みんないっしょに幸せばなりたいとです。
そのために、おいはこれからも生まれ変わって
この地球のために、神さんのために、頑張りたいと思う。
そんな男です。

たまたま日本に出ました。
たまたまこの薩摩の地に出ました。
この巫女さんが、この方の半分の血ん中に薩摩の血が入ってるちゅうことば
おいはとても嬉しく、誇らしく思います。
薩摩の人間は思い込むと命がけです。
薩摩の女子は特に勝ち気です。
思うと強いこと言います。

ほんとは薩摩隼人がけっしてりっぱじゃあないのに
薩摩のおごじょがみんなりっぱなのに
気が強くてりっぱだから、薩摩隼人をりっぱにするのに
薩摩おごじょたちはその陰に隠れて憎まれ役ば引き受けちょります。

この人見ても、そういうところあるなと思うちょります。
どうか皆さん方、お願いしたいとです。
この人もそう器用な人でないから、おいのように、思うと命がけになって
自分がどう思われるかなんて、自分がどう思われたいかなんて
考えて動ける人ではなかとです。

だから守ってやっていただきたいと思います。
おいと違って、あんた方見てると、とても賢か、賢か人たちです。
だから、どうかお願いしちょります。
この最後の計画を無事に務め上げて
一人ひとりの心を、幸せを、大切にした
素晴らしいこの地球にするために
命ば張って、頑張っていただきたいと思います。

(2005.4.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-06-12 06:50 | 西郷隆盛 | Trackback | Comments(0)

西郷隆盛からのメッセージ

西郷で、ごわす。
このたびは、おいのような者を、この場に呼んでいただき、心から感謝です。

あんたらはわしのことを、とても買いかぶっておられるようですが
おいはそんなたいしたこと、できる人間ではありません。
その後に、今あなた方がおっしゃられたように
「人間的な魅力がある」とか「人気がある」とか
そのようなことを申されるのを聞くと、とても恥ずかしいかです。

でも、もしおいが少しでも日本のために、あの時代のためにと思って
頑張ったことが、これから未来の日本をつくられる、いや
世界をつくられるあんたらのために少しでもなるなら
わたしは少しでも話してみようと思います。

もう、言うべきことは今までの、偉い方がた、たくさん出ちょりますから
おいが話すことはないと思うんだけど、でもひとつ伝えたいことは
どんな政治でも、どんな素晴らしい社会にしたいと思っても
その一人ひとり、つくってる、構成してるメンバーは
みんなあったたか、ハートを持った人間たちだっちゅうことです。

どんなに世の中を新しくしても、どんなに政治機構を立派にしても
憲法を立派にしても、そこに暮らすのは
人情あふれた、人としての幸せを、不幸というものを
いつもかかえちょる人間たちばいるということです。

そこの視点を忘れて、社会だけを改革すればとか
政治倫理だけで、イデオロギーだけで、社会を変えていこうと思っても
肝心な、一人ひとりの人間たちが取り残されてしまうなら
それは少しも一人ひとりの人間たち
人民を幸せにするということにはならんと
おいは思ちょります。
だから、常に周りにいる普通の、当たり前の人たちの幸せばちゅうことを
おいは考えちょりました。

「この人たちがどうしたら幸せになれるか」
「どうしたらこの人たちを、世界の流れの中で、一人前の国の中で
一人前に生きていける、ほかの国に支配されることなく
当たり前の、おてんとさまのもとで暮らせる幸せを、
この人たちに与えることができるか」
そういうことばかり考えちょりました。

おいはあまり頭よくないから、そりゃあいろんなことをやりました。
明治維新の政府や、いろんな方たちとの交渉もしたけれども
でもいちばん、おいが考えていたことは、そこです。

薩摩の国は、知っちょりますでしょうか。
あそこは暑い国です。
なんにもなかとです。
さつまいもくらいしかなくて、いっつもシラス台地の中で
人びとは、わずかな魚と、さつまいもと
ひっからびた土地に生えるまずい米ば、食っちょります。
でも、陽気で、芯のある人たちでした。
人情厚か人たちでした。
誇り高き人たちでした。

その彼らを見て
おいは「なんとかこの薩摩で、人びとが幸せに暮らせる道はないか」と
考えちょりました。

でも、もしほかの藩からの島津、薩摩というところは
やはり、徳川の、江戸の幕府から見たら、遠かったから
ひじょうに自由な気風ありましたけど
でもやはり干渉が強くて、数々の悲劇もあったとです。

ですから、ほんとうの意味で人びとが自由に、素朴に
人間として幸せに生きられる暮らしはないかっちゅうことを
実はおいはずーっと、思っとりました。
それにはまず、国の体制を整えなかいかんと、思ったとです。
そのために、おいは中央に出てったとです。
そうでなければ、おいは出ませんでした。

国を愛しとりました。
でも、薩摩の国を愛するということは日本の国を愛するっちゅうことでした。
そして日本を愛するちゅうことは、この地球を愛するっちゅうことに
つながるんではないかと、今おいは考えちょります。
どうかそこのとこを、あんた方にお願いしたいと、思うちょります。

みんなもう、言われたと思うけど
明治維新というのは、今日のこの計画のためにあったとです。
あんたたちがやってくださることを夢見て
おいたちはいろんな国に散らばり、それぞれの夢を抱えて
今日の日本につながるために、この国を整えた連中なんです。
そのことを思うと、おいは失敗してしまったことたくさんあるけど
でも本来の天上界での仲間たちと、精一杯のことやれたと思うちょります。

おいの名前なんか、どうでもよかとです。
残らなくてもよかったとです。
そんなことじゃなかったとです。
おいは周りにいる人たちを
とにかく幸せに、生きる道をつけたかったとです。

歴史の中でいろいろなことあったというのはわかるけども
あの時は、今あなたたちが思っている以上に
もっともっと、おいたちは重大なことのように思って
必死に頑張ったとです。
でも今、時が流れ、ほんとうに必要だったことだけが残っちょります。
あなた方のことも同じだっちゅうことを、おいは言いたいとです。
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今、いろいろご苦労されてること、見ちょります。
あなた方がいわれのないこと言われて
いろいろな法敵と呼ばれている方たちに
あげ足とられとることも見ちょります。
でも、みんな、おいたちは見ちょりますから
おいたちが、あんたたちが悔しか分まで、涙流して怒っちょりますから
だから頑張っていただきたいと、思うちょります。

今、あんたたちが頑張ってくれなければ、おいたちなんか、どうでもいい。
この世界の、この地球の未来にまで
そこに生きるいろんな国々に住んでる人たちの幸せがなくなります。
どの国にも、どんな時代にも、生きる人間というものは同じなんです。
幸せなんて、不幸せなんていうものは
そんなに贅沢なもんじゃなかと、おいは思うちょります。

平和な、安定したところで、ほんとうの意味での誠ある生き方を
おてんとうさまのもとで、精一杯誠実に生きるっちゅうことが
わたしたち人間の、神の子の幸せばっちゅう思うちょります。

その一人ひとりの喜び、悲しみ、苦しみ、そういうもの抜きにして
この地球の政治も、体制も、ましてや憲法だの
そういうものもなかと、おいは思ちょります。
憲法なんぞというものは、ひとつの法律ですから
そこに住む者たちの認識が変われば
いくらでも変わっていくものと思ちょります。

今、革命的な大転換が起きようという時になっちょります。
でも、いつも大事にしなければいけないのは、どんなに偉い人であろうと
どんなに民百姓であろうと、おてんとうさまのもとで
おいしい飯ばいっぱい食べて、互いに信頼し合って、愛し合って
真義のもとに手を組み合って、酒酌み交わして
「よかったなあー」と、肩を叩き合って生きる。
そこに幸せば尽きちょると、おいは思うとです。

どんなに科学文明が発達しようと、どんなに素晴らしい政治体制や
どんなに近代的なビルが並ぼうと
それについていかなくて、ほかの国の属国になるようなことになっては
それはさっきのような平和は保たれないけども
最後は神様のおつくりになったこの地球の中で
この大自然とともに、共存して生きていく中において
一人ひとりの心の中におかれる安らぎと、信頼と、愛し合う気持ち
その気持ちば大事にしながら
一人ひとりが幸せばかみしめて生きるっちゅうことが
それが憲法に唱われてこそ、その自由意志ちゅうばものを
一人ひとりの心の中で、国が、組織が、体制が、保証できた時に
一人ひとりは幸せばなると思うちょります。

どんなに経済的なもの、どんなに権力志向的なものを均等配分したところで
人びとの心が幸せになることはないと思うちょります。
そしてもし、そのようなものが欲しいのならば
神さん、保証しておられる自由意志ばちゅうものに応じて
一人ひとりが必死に努力して、手に入れればいいとです。
欲しいもんだけがそんなもん、一生懸命努力すればいいとです。

でも、多くの者たちは、なにも末は大臣さまにならなくたって
博士さまにならなくったって、かまわないで
幸せに生きたいと思う者のほうが大半なんではないかと
おいは思うちょります。

おてんとうさまのもとで、のびのびと
「今年の米ば、豊作だったなあー」と言い合って
お茶飲んで、おはぎ食って
幸せに肩叩き合って、娘の嫁入り喜んで
孫のかわいさ喜んで生きる者たちの
そのような天国的な世界がこの地上に広がることは
おいはいちばんの地上天国だっちゅう思うちょります。

その、一人ひとりの情というか、その思いというか
そういうものを天下国家のためといって押し潰し、国家大義のためといって
一人ひとりの幸福感を潰していくような
そういうもんはおいの幸福感の中にはないとです。

だから最後、ああいう結末になったかもしれん。
「西郷は情に流されてばかな男だった」と言われてるかもしれないけど
でも、おいはかまわんとです。
人にどうこう言われるためにおいは生きたんじゃなかとです。
今どう言われているか、おいは知りません。
知りたくもなかとです。

もしそういうふうに生きるために
どうしたらいいのかっちゅう質問が今あったようですが
竜馬もそうだったと思う、勝さんもそうだったと思う
福沢さんもそうだったと思う
みんな自分自身が周りにどう思われるかなんて
計算して生きるほど器用な連中ではなかったとです。
精一杯生きたとです。

人間というものは、器というものがあるとです。
器もあるけど、やはり人間である以上、その時代を生きるという
枠とかせの中を生きとるものです。

(2005.4.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-06-01 12:43 | 西郷隆盛 | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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