地球を愛の星へ

<   2014年 11月 ( 20 )   > この月の画像一覧

イエス・キリスト/アモールからのメッセージ

かつて今まで学んだ、私が伝えた愛の法を
この地上に生きている間に、自らの言葉として語り伝えなさい。

愛を語るのは、私だけが語るのではない。
私たちの弟子の言葉をもって、生き様をもって愛を語った時
私の思いも、私の教えも、この地上に流れいでていくのです。

我らがホワイト霊団の中で、愛というものを深く学んできた光の使徒たちは
たくさんおられるのです。

地上に散らばりし光の天使たちよ。
自らが蓄えてきた愛の思い、愛の教え、それをこの地上に発散し
自らを愛の化身として輝きなさい。

今、その時がきた。
あなた方が愛を、口先だけで語るのではなく、愛をもって、教えの中で
生き様の中で光り輝いてこそ、この地球からいたる所に愛が発信され
この地球が愛の星になっていくのです。

愛でこの地球を包むには、一人ひとりが灯台となり
一人ひとりが愛の発信源とならなくてはならない。

一人だけ、この者だけに
愛の発信者として、光のたいまつだけを出すのではなく
あなた方自らが愛の化身として、愛のたいまつとして光り輝きなさい。
もうすでに教えはたくさん学んでいるはずなのです。

それを生き様の中に、行動実践の中で
愛とは何であるかを語ることに臆することなく
勇気をもって語り続けなさい。

今それこそが、この時代の中で必要とされること。
今、この地球の中に、我が弟子たちは、地球の各地に埋め込まれている。
そして、それぞれにメッセージを受けて、それなりの仕方で愛というものを
神というものを表現しようとして、その使命を着々と果たしているのです。

ですから、いつかその愛の光が、地球のあちこちで発信されていった時
その手と手を取り合うことにより
一斉にこの地球が愛という光のたいまつで包まれる時がくることでしょう。

そのためには、キーワードは愛なのです。
それを語ることが、この運動の、この救世運動の要になります。

いかなる反省行を説いたとて、八正道を説いたとて
神の天上界の理念を明かしてみたところで
真なる愛がいかようなものであるかということを、人類が学ばなくては
最終的な光の革命、第三の計画の中にある、価値観の大転換による
愛の星へ変えていく大転換運動はできないのです。

自分のように他者を愛し、他者の痛みを我が痛みとし
そして動物をはじめ、植物、鉱物、この生命一切が神の愛の懐により創造され
愛の血液の、神の愛の流れの一部であるということ。

それが、動物、鉱物、人間、すべての、地球意識だけではなく
他天体におけるまで
すべてが愛の奔流の一部であるということを認識する。
宇宙の生命活動そのものが
神の愛の思いの倫理の中に動かされているということ。

そのことを、あなた方、一人ひとりが認識していったのならば
国同士で争ったり、民族同士で争ったり
差別が行われたりということがなくなっていって
最後の光の転換という、価値観の大転換の中での
この地球意識の変革、変換、統一ということがなされうるのです。
c0171476_16124177.jpg

キーワードは愛なのです。
愛というものの中の、深い、深い学びを
どれだけ人類が学べ、どれだけ実際に行うことができるか。

そこにより、最終的な地球の革命的な
地球維新とあなた方が呼んでいるような大転換が起きるということ。

その愛の思いの、愛の学びの深さなくして
最終的なそのようなことはありえないのだということ。
そのことを、あなた方は深く心にとめていただきたい。

ならば、あなた方の中で
かつて一度もキリスト教を学んでいない者などはいない。
それぐらい、あなた方の魂はもう最終的な仕上げに入っている。

だから、自分は仏教だけである、キリスト教ではないとか
キリスト教だけであり、何はやっていないというような
そのような観点ではなく
もうすでに、すべてを学びつくしてきたと。

自らの力に応じて、自らの段階に応じてではあるけれども
ありとあらゆる宗教と、民族と、宗教の間を、信仰の価値観の中を
学んできたればこそ、最終仕上げの、今のこの計画に臨む
その総合的な判断力が試される、今があるのだと。

そのような立場にいるのだということを、もっと、もっと深く心にとめ
あなた方は使命を果たしていかれなさい。

それが我が思いであり、最終的に愛の教えの中で
この地球を愛の霊団として包み込んでいく
それあってこその「アガシャー系」と呼ばれる地球人類なのです。

あなた方の中に、愛というものがどれだけ深く認識されたか。
どれだけ我が言葉を、あなた方のものとして、人生の中に生かしてこられたか。
それがあってこそ、認識されてこその、今回の計画でもあります。

このレムリアの中心に、今座ることが許されているあなた方は
愛というものに対する認識力、実践力において
ひじょうに高度なものがある方がただと見受けております。

であるならば、どうか力を貸してほしい。
我が手足となり、我が力として、我が道具として
私に力を貸していただきたい。
あなた方の人生をもって、私を助けていただきたい。

我がこの手の中に、今いっぱいにある、この人類に対する愛の思いを
一人ひとりの心に届け、配っていく、その担い手として、その援助者として
あなた方の人生を私に貸してほしい。
その愛の担い手として、私とともに、この計画を歩んでいただけないものかと
お願いに参りました。

(2005.5.14 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-30 14:15 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

モーゼ/モーリャからのメッセージ

レムリアは、けっして無理やり会員を増やしたり
売り上げや収益を上げるために
数々の物を売ったりとか、そういうことではなく
純粋に天上界からのメッセージというものを
地球の人びとに伝えていくということをもって
レムリアの使命としていただきたいのである。

もう地球が今、最終的な土壇場の時にきているということ。
そのことを再三、我々は伝えてきた。
そして今、時を稼ぎながら、この第三の計画を発動し
そして、地球の神の子たちに対するメッセージというものを
そなたたちに編集していただきました。

一冊でも多く書籍を出し
そしてそれをもって日本の、世界の人びとに向かって発信していく。
そういう時がやってきたということを認識していただきたいのです。

この土壇場の時、人類はどちらの道を選択し
どのような計画、結果を生み出していくのか。
それがこれから問われる時代なのです。

我々のメッセージをただ一方的に受け入れて
地上の者たちが天上界のなすがままになる。
そのようなことが地上の、学びの場であるわけがなく
我々が伝えたメッセ―ジを
今度は地球の神の子たちがどのように受け入れて
どのように推し進めていくか。
それでこれからの、この地球の命運が変わってくるということ。
その時期がきたということなのです。

我々は精一杯、この者を使って、天上界からのメッセージを伝えてきました。
それをもって、あなた方がどのように多くの者たちに伝えてくださるか。
そしてそれを、書籍でも、すでに本屋さんに並んでいるのに
それをもって無視し続けるのか。

それとも、それを本来の学びの糧として
人類の宝として受け入れていく人類の姿があるのか。
そこが我々にとっても手出しのできぬ。
地上の者たちの、ひとつの試練の場所であると思うのです。

かつて、他の惑星においても
このような時期というのは平等にきているのです。
戦争という試練の前に
このような天上界からのメッセージというのが起きて
同じようなことを、我々のような救世主界というところから計画し
降ろしていく。

その時に、この最後、土壇場になったときに、どのような指導者が出るか。
そして、どのような指導者に地球人類がついていくかをもって
大体その星の命運というのが決まっている。
c0171476_1254418.jpg

そのひとつは、軍事的英雄が出るタイプ。
軍事力をもってひとつの神の正義、ジャスティスというものが
多くの人びとに受け入れられて
そして、自分たちこそが神を代表するものであると
軍事力をもって人びとを支配していこうと思うタイプに
人びとがついていこうとするか。

もうひとつは、神の子として、神の愛というものを説き続けることをもって
人類に、その星の人びとに
神の子であるという霊的な目覚めというものを通して
地球の人びとに、心の精神的な意昧での愛の革命を起こさせることによって
その惑星というものを神の星にシフトアップしていこうとする指導者が出るか。
だいたいその二つのタイプが出てくるのです。

まがい物は、たくさんいつの時代でも出るけれども
大体その大きな二つの流れがあるのです。
そして、それはどちらもが天上界より降ろされている流れでもあるのです。

それに対して、その惑星の
地球なら地球の人類がどちらについていこうとするか
それを選び取るか、それによって結果が変わってくるということです。

どれだけ兵器を持ち、核を待ち、力でもって人の心を支配しようとしても
力でもって神の正義というものを代弁しようとしても、人の心はついてこないし
そういうもので地球が統一され、統合され、次の段階に行けるような
愛豊かな、調和と慈悲に満ちた愛の星にすることは不可能であるということ。

ひじょうに遠回りのように思うかもしれないけれども
神の子であるという共通理念に訴えかけて、神の子である愛の思いという
すべての者たちの心の中に眠っている、愛の思いというもの。

そこにしっかりと目覚めるように訴えかけ、その惑星の者たちを
神の子という共通認識、共通価値観のもとでまとめ上げていく。
そういう道を示せるのが本来の救世主といわれる者たちなのである。

そして今、立ち消えかけたこの計画が
第三の計画によって引き継がれたということから
あなた方が世界人類を救っていかなくてはいかないかということは
おのずとわかるであろう。

そなたたちが精一杯頑張られたのであるのならば、それを受け入れる
受け入れられないということは、世界の人びとがどのような精神状態で
何をもって最大の価値観として、最終的に選び取ったかということによって
地球の今後の命運というのは決まるということなのです。

(2006.4.22  レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-29 12:54 | モーゼ/モーリャ | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(48)

本来は、みんなが素晴らしい神の子であるということ。
みんなが、素晴らしい可能性と個性を与えられて込められた
素晴らしい命であるということ。
その命を、その人生をもって、光り輝かして
最大限素晴らしいものにするために
一生懸命前向きに生きるということ。

そして神に感謝し、仲間同士助け合っていくということ。
魂が永遠の転生であるということ。
だから、長い目で見て、自分の魂にとって一番成長することというものを
互いに助け合うことというものを通しながら、実践していくということ。
僕の言っていること
つたないぐらい簡単なことのように思われるかもしれないけど
それが今の時代にはね、この地球には大切なことなんだよ。

いいかい。
今世界でたとえば、パキスタンとかでも、大きな地震ありましたよね。
これもひとつの、地球意識の中での
もう、こらえている限界点に近いところのエネルギーを
分散させるために出しているんだけれども
それがひじょうに、まあ業想念を払うという意味において
多くの人びとの命を奪ったということにおいては
とても残念な悲しい出来事かもしれない。
でも、どうだろう。

パキスタンが、この間もニュースでやってたのを見てたけど
たとえば、あれだけの多くの人が亡くなって
今ねえ、生き埋め状態になってる。
そうすると、世界各地からどうだい、救援隊が行くだろう。
日本の自衛隊だって、今までは何のため自衛隊がいるのかなあと
軍事訓練するためだけの自衛隊かなあと思ってたけど
今じゃもう、あっちからもこっちからも引っ張りだこ、お忙しい。

で、日本としての、日本の意志を表明するために
人道援助のために出て行くだろう。
そして、パキスタンでも今回行く。
そして、パキスタッとにらみ合ってたインドからも、今回は救援が来ている。
助けようとして、支援の手が差し伸べられている。
それを通してね、多くの国々が、ひじょうに人類がひとつになってくることに
命のためにみんなで助け合おうという
そういう歩み寄りが前よりは出ているように思う。

だから、地震がいいとは言わないよ。
人が死んでいくことがいいとは言わないけれども。
ひとつのこの流れの中でね、どんなことを通してでも
やはり人が苦しんでる、子どもたちが生き埋めになってるという状態を
やはりどんなに政治的にいがみ合ってたとしても、その相手の国でもね
その敵、敵対してた国の子どもたちの命のためだったらっていうので
やはり人道援助のために、一人の人間として
神の子たち、仲間としてね、手を差し伸べ合う。
そういうチャンスというものが出てくる。
そして、そこから一人でも二人でも救い出されたら
拍手をもってみんなで喜び合う。
その姿が原点であるということ。

それをある意味で、どんな地震やなんかを通しながらでもね
僕は、人類は学んでるんだと思うよ。
だから、今は過渡期的なものの中で、政治的なもの、民族的なものも
いろんな最終的に出るべきものが全部噴き出してきてる。
全部出していきながらね、その中で人は、命の尊さとか
今自分たちがいがみ合っていることがどれだけくだらないことなのか
ということを学ぼうとしてるのかもしれない。
そして最後、彼らにとっていちばんなこと。
人の命は尊いということ。

地球の上に住んでる神の子たちに国境はない。
みんな命においては仲間であり、家族であるということ。
互いに助け合う、愛し合う、生かし合うということが
どれだけ尊いかということ。
言い尽くされ、古いようなことに思うかもしれないけど
それが何よりも大事であるということ、尊いということ。
そのことを正面からあなた方が伝えていく。
それが天上界の意思であるということ。

自分たちは、天上界の神に見守られて愛されている。
そういう地球人たち、神の子たちであるということに
もうそろそろ地球の人類は気づかなくてはいけないということ。

それをある意味で、悲しいこと、つらいこと
目の前で子どもたちがつぶされたり
もうほんとうに、大事な愛する家族や仲間たちが死んでいく姿を見たら
つらいよ、悲しいよ。
でも、その原因は誰がつくったんだとー。

それをほんとうに人類が学んでいったのなら、戦争を通して、核兵器を通して
他の国の人たちが死んでいく姿、テロリストによって死んでいく姿
他の国の人たちの姿であってもみても、みんなとても心が痛むと思う。
胸が痛むと思う。
なんでテロリストなんかいるんだ。
なんてこんな状態、戦争に行くんだ。
人類はその悲しさを、毎日テレビの画像を通しながら
やはり少しずつだけども、やはり学んでいるんだと思う。

悲しさを通してしか、学べないのかもしれないけれどね。
でも学んでいる。
その最後、ピークに、やはり神からのメッセージとして
天上界から本来、どう人類があるべきなのか
生きるべきなのかという根本的なこと
易しいことかもしれないけど根本的なことのメッセージを
レムリアの言葉を通して、僕たちの言葉を伝えてあげてほしい。

それを伝えていくことでしか、たとえどんなにテロリストで
たとえばビン・ラディンみたいな男が死んだからとか
殺したからとか言ったって
それで解決される問題ではないということ。
人びとの心の中にある、敵対意識、垣根というものを根本的になくしていく。
価値観の大転換というものをしていくということ。

それは、坂本竜馬たちが言っていたようにね
土佐藩だ、薩摩藩だ、長州藩だ、自分たちの藩だ、それから士族だ、何だという
そういうものの、人というのは、どうしてもそういうものの中で
狭い枠の中で自分を囲い込んで、その価値観の中だけで判断しようとするから
敵対関係というものが生まれてくる。

でも、本来はそんなものは関係ないということ。
そんなものを超えて、人類はみんなひとつであるということを思ったのなら
自分の愛する家族を、殺しに行くばかはいないんだよ、ね。
どんな地球の裏側にいたって、みんな愛する自分の家族であり
自分の愛する仲間であったとしたら
その国に向かって核兵器を打ち込むバカはいないんだよ。

そういう、まず意識の改革をしっかりとしていかなければ
原因をしっかりと断っていかなかったのなら
まず心の中から変えていかなかったら
どれだけ表面制度だけを変えて、核撤廃運動とかどうのこうのやったって
しょせんがトカゲの尻尾切りになってしまうということ。

その根本から変えていくということを僕たちは目指しているから
最終的に、悪の限り、苦しさの限りが全部出切った時に、逆に救世主が出て来て
そこで本来の神の子としての人の道というものを
本来の法というものを、愛の法というものを語ることによって
人類をまとめあげようという、そういう計画が天上界であったということ。
c0171476_16405872.jpg

だから、まず最初に法というものが降ろされたけれども
やはりその法をもって、いかに世界中の人びとにそれを伝えて
それでもって多くの人びとを、世界中の人びとを、魂の意味において
神の子として目覚めさせて、喚起させ、奮い立たせ、生まれ変わらすか。
それをもってこそ、新しい神の時代というもの
愛の時代というものが表出してくるということ。
それを、我々がいちばん願ってるの。

だから、いちばん大事なことは、九次元の法を学んで
「あぁ素晴らしい、九次元の最高法の知恵を英知を、学んでよかった、
よかった」で僕は終わってほしくないということなんだ。

それは、最高法を出すことをもって、我々九次元界があるということ
神の根本法というのがある、という権威を地上に降ろすということ
そのことは、とても大事なこと。
でも、ある意味で、多くの世界中の人類を救うのは、いつも言っているけど
ほんとうに易しい言葉で八割、九割の人が幸せになるということ。

その幸せになるという、その根本的な愛の教えというものを
世界中の人びとに向けて発信して、分かち合って伝えていくということ。
それをもって、多くの人びとの価値観を変えて、生まれ変わらせ
幸福感というものを増幅させて、その新たな幸福感によって、価値観によって
世界中の体制というものを建て直す時代が後に、未来にくるということ。
まあ、未来といっても近い未来にくるということ。

それをもって、今回の天上界の、この時代この世紀の
最後の救世の大計画と呼ばれてる、最終決戦と呼ばれてる、この大事業という
この救世の運動の神髄というのが現れるということね。
これは、ある意味でいうと、実践あるのみに次はなってくるということ。
そのことを思ってほしい。

だからまず、これが伝えられる、展開をするためには
やはり最初に確実に
高度な法というのを降ろすということが必要であったから
法というものをしっかりと、僕もそうだったし
仏陀にしても一生懸命降ろしてきたというのはある。
でも、そのことに酔いしれるがあまり
それをもって本来は多くの人びとを救っていくのが
この救世の事業の神髄であったということを
忘れてもらっちゃあ困るということ。

これをね、長きに渡りやろうと思ったから
仏陀はね、「五十年法を説く」と言って出て行かれたんだよ。
五十年というのは長いよ。
三十から立ち、八十までというのが本来の計画だったけど。
それはやはり、法を降ろされて、それを多くの、日本国内に光を発し
そして日本という磁場を通して世界に発信していく中で
世界の価値観の転換までもっていこうと、そこまで仏陀は思っておられた。
それまで我々は思って、頑張ろうとしていたというのが
まあ今回の救世の事業の、まあほんとうの本音であるんだけどね。

だから、それをあなた方が引き継ぐということは
やはり、降ろし切れなかった法を降ろしていって
ある程度九次元の法を継ぎ足してもらうことによって
まあ、高度なものっていうのを降ろそうと思ったら
いくらでもできるけれども。

でも、あまり各論でマニアックになるよりも
もっと今死んでいこうとしている人たち
苦しんで、戦争のぎりぎりのところの瀬戸際で
生きるか死ぬかの運命の狭間にいる人たちが世界中にいる中で
少しでもこの法を、易しい形でもいい、ネットでもいいから
世界中の人びとに向かって発信してもらうことによって
少しでも多くの人びとに立ち返ってもらって
この地球が新たな愛の時代に生まれ変わる可能性というものの
パーセンテージを上げていく。
可能性を上げていくということ。
そのことのために、ぜひあなた方が実践していただきたい。

そのために、実践部員になるには、ある程度人数が必要であるということ。
そのことをもって、今回懇親会でいちばん力のありそうな人たちをお呼びして
まず核をつくって
最初からいた者たちが次から来た方たちをまた引き入れていきながら
そしてともに団結していきながら、次の展開っていうものを考えていく。
そういうことをぜひやっていただきたいと思っています。

(2005.10.15 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-28 08:52 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

日向(ひむか)からのメッセージ(2)

丸ごとのわたしたちの言葉をあまり聴きすぎるということは
神というものを身近に聴けるということ、身近に感じるという意味においては
たいへん意味があると私は思うのですけれども
逆にいうと、地上の修行をおろそかにする、自分自身の個性
自分自身の自助努力というものを
ひじょうにないがしろにするのではないかと
そのように判断してしまうから
あなた方にあまり霊言というものを直接に聞かせることというのは
今日の現代の人びとにおいては
あまり良くないことではないかと私などは判断してしまったのです。

心を愛に澄ませ、人のために、神のために
何か良いこと、素晴らしきことをしていきたいと願う心には
当然神の心に相通じ、黙っていてもインスピレーションというものは
その者に指導という形で降りていたのです。

そのような心がけこそが尊いのであって、直接神の言葉を聞いたり
具体的なインスピレーションが降りるというそのこと自体には
それほど価値がないのだと私は思っております。

自らが巫女であるという立場でありながら
このようなことを言うのはひじょうにおかしいと
思われるかもしれませんけれども
どうも霊言にだんだん慣れてきて
霊言ということのありがたみということがわからなくなり
依存していく姿を見ると
やはりあふれるような霊言の中において、あなた方がいつまでも
その霊言による今の時代の認識というもの
霊言が降りる必然性というものをしっかり原点において
抑えておいていただかなければ
私たちの努力も無駄になってしまうというふうに、そのように思うのです。

いくら我が子がかわいいからといって、喜ぶからといって
飴玉をたくさんたくさん与えたら、虫歯だらけの子どもにしてしまうでしょう。
それと同じなのです。

ですから、その飴を食べることによってエネルギーを得て
一生懸命外に行って頑張って、その子が成長してくれるのであったのならば
喜んでおいしいものを与えてあげようという気にはなるのですけれども
それが不消化になり、いつの間にかつまらぬ言葉のもて遊びの中で
神を斟酌するような、そのようなことに使われるのであるのならば
霊言というものはあまりないほうがいいのかというふうにも
私は思ってしまうのであります。

あなた方の、今レムリアがおやりになっていること
そのことをとがめているのではありません。

あなた方が今してくださること。
今このように小冊子をはじめ、書籍をはじめ
このように収録というものを頑張って
法の編纂、さまざまな書籍に向けてのCDなどの販売を
頑張ってくださるということ
そのことは、天上界を挙げて感謝をし、たいへん喜んでいるのです。

ただ、私は霊言に依存しすぎたときに、かつての方たちにおかれましても
だんだんその霊言を、実は最初から信じていなかったとか
そのようなことを見るにあたり、本来であるならば神の聖域にいて
神の言葉を、神託を聴くという者は
ほんの一部の方たちのことだけであったのに
多くの者たちに、一般に開放したというのに
それに対する畏れというもの、感謝というもの
神の言葉を直接に聴けるということが、肉を持ちて聴けるということが
どれだけ奇蹟に近くありがたいことであるかという、神に対する畏れ
霊言に対する礼節というものを失っていく姿を見たときに
私は、こういうものにあまり慣れてほしくないというふうに
思ってしまうのです。

今日、天上界の、この叡智の扉、アルカナと呼ばれているものが今開かれ
あなた方に古今東西を問わず、多くの賢人たち
そして、高級霊の方がたの言葉が今、矢継ぎ早に降りております。

今この天上界の扉が開いているうちに
天上界は多くの理念というものを地上に降ろそうとしております。
c0171476_8304812.jpg

これが後々、地上の人びとの、また新たなるバイブルとなって
人びとの心に知恵の扉として
そして、それがこれからの社会、世界を変えていく運動の
行動原理の基本理念として、語り伝えていかれることになるでありましょう。
そのためにも、天上界は今こぞって霊言を降ろしているのです。

かつて、このように霊言が降りたことがございました。
私も通信をしたことがございました。
でも、これが新たにまた開かれたということ、この通信塔が通じたということ
そのことをもって最後のチャンスとして、私たちは計画の続行ということを
神々もご判断なされ、私たちも希望をつないでおります。

この霊言パイプが切れたのなら、次の世代へのバトンは渡らなくなるのです。
今あなた方の仕事があって
この基本理念と神の青写真というものがしっかりと地上に降りて
その上で次の世代の子どもたちは
その社会改革、行動原理の中に地球というものを改革していくという
未来をつくっていくということができるのです。

ですから、あなた方が今やっていることは
たいへん地味なことのように思うかもしれないし
実際に無名の名前で、私たちが通信を送ることはいくらでも可能であるし
そのように送って来た霊言が、今までにおいてもたいへん多かったのです。

でも今回においては、たいへんお気の毒なことだと思いますけれども
第一の計画、第二の計画を引き継いでいるということをもちまして
すべての諸霊人の方がご自分の本名を名乗って出て来られます。

それを語ることは、今のこの現代の日本において、どれだけ風当たりが強く
たいへんな立場に立たれるかというあなた方のことを思いますと
たいへん申し訳ないというふうに
どれだけ霊言をとる者としてつらいであろうかというふうに
私は理解するのであります。

でも、それをあえて耐えていただきたいのです。
そして、この仕事はほかのいかなる仕事よりも尊い仕事であると
あなた方にも、人生の中、過去世
今までいろいろな素靖らしい職業をおやりになって来られた方がたでしょう。

でも、いかなる仕事に就かれましたときよりも
のちの地球の歴史から振り返って
このレムリアの、この理念の原点を降ろした、それに関わったということが
どれだけ魂の中において素晴らしい記憶となって
あなた方の魂の中に寄与されるかということを思いますと
どうかどうか、この仕事というものに全身全霊を打ち込んで
頑張っていただけたらというふうに私は思うのであります。

やはり霊言というものは、とっただけではだめです。
それを書籍にし、あなた方のように、このテープ起こしをし
さまざまな文章を書き、文書化していくというお力のある方がた
そして、それをするには
それだけの法というものがわかっている方たちがいなければ
とても無理なのです。

そのような力が、過去世、法というものをしっかり学んで来られたあなた方が
その法というフィルターを通して
しっかりと間違いのない理念として判断しながら
私たちの言葉を後世に伝えていくということができてこそ
それこそが法の編纂ということになるのです。

(2005.7.14 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-27 08:31 | 日向(ひむか) | Trackback | Comments(0)

マリア・テレジアからのメッセージ(3)

一人とてお腹にできた子を堕ろしていいということはありません。
大事な、大事な、お約束した、かわいい、かわいいわが子です。
その子どもたちは、その親との約束を信じて宿って来るのです。
その子どもを殺していい理由がどこにありましょうか。
そのことをあなた方は、もっと現代の女性たちは
わかっていただきたいのです。

約束があって、自分を信じて
信頼して出て来る者の命をあなた方は絶つことができるのかと。
物質ではない、単に物体としてあるのではなく、命の宿った神の子ですよと。

それも、あなたと特に縁生か強く
あなたに子どもとして受け止め合いましょうと
ともに生きましょうと、ともに修行しましょうと言い合って
約束を交わして出て来た我が子ですよ。
それをあなた方は殺せるのですかと。
わたくしは現代、中絶をする女性たちには問いかけたいのです。

あまりにも自己の幸せをエゴイスティックに求めるがゆえに
自分の人生というものを、愛というものを学ぶ過程として
この地上の修行場があるということ、肉体修行があるという
そのような視点をあなた方は見失ってはいけないと思うのです。
それを深く学ぶ、それを明かしていく
それがあなた方の運動の根本であります。

魂が永遠であるということ。
そして、私たちは愛を学ぶためにこの地上に出て来ているということ。
魂を一人ひとりが磨くために、それぞれの役割を与えられて
この地上をともに活かし合う
神の子同士が活かし合うことをもって神の御意思を反映し
ユートピアをつくる。

でも、その中のどれが欠けてもいけないということ。
ユートピアをつくるということに優先し
自己の魂を磨く、修行するという立場を忘れてもなりません。

そして、神が愛そのものであるということを学ばれたのであるのならば
神の子であるあなた方が、愛を学び、愛を表現するためにこの地上にある
そのような魂たちであり、役割を持つ者であるということも
しっかりとその魂の根底に据えねばなりません。

けっして難しいことではないのです。
それを学ぶことに、地上の三次元の存在意義があるということ。
そこがわかったのならば
単に魂としてあなた方がエゴイスティックに生きていいというわけが
あるわけないではありませんか。

ましてや親子の関係、夫婦の関係という
地上ユートピアの愛の原点と呼ばれているものが家庭愛の中にあるのです。
結婚愛の中にあるのです。
親子愛の中にあるのです。
そこをしっかりと学び、しっかり表現し、受け止め合うことのできない者に
地上をユートピアにすることはできません。

愛を表現することはできないと、わたくしは言い切っていいと思うのです。
けっして浮わついた気持ちの中に、無限大に広げた愛という中に
愛というものが存在するのではなく、まず身近な、当たり前の
ささいな生活の積み重ねの中に、愛というものは宿るのです。
そこに真実の愛というものが宿り
真実に愛し合うということを私たちは学ぶのです。

夫を心から愛し、妻を心から愛し抜く
この間マヌ様がおっしゃっておられました。
一人の女性を、一人の男性を、時を超えて愛し続けることができるか
愛し抜くことができるか。
それが神が望まれていることなのです。

それを最後学ぶために、魂のパートナーというものを神は用意されている。
今わたくしたちの段階では、それは過渡期的なところにあるかもしれません。
でも、今それがほんとうの魂のパートナーでなかったとしても
今結婚愛というものを通して、パートナーに対して
男性を、女性を愛するということがどういうことであるかということを
今学ばせていただいている
修行させていただいている過程にあるということ。
それにおいては、わたくしもあなた方も同じであるということなのです。

そして、個人の修行がある程度わかってきたときに
そこに自分たちの魂のパートナーというもの
永遠のパートナーというものが明かされていくという仕組みとなっております。

そこに至ったときには、その相手と時を超え、時代を越え
そして未来永劫続く、この永遠の命の中でともに力を合わせて
神の国のために、神のお心のために男女が力を合わせて
神のしもべとして、道具として役割を果たしていく。
それぞれのパートナーと一体になることにより
オリジナルの役割を与えられているのです。

みな同じではないということ。
その男女が一体となることにより
その男女、パートナー同士でなくてはできないという役割がやはりあるのです。

光線の数によるように
私たちは個性の数分だけ創造されているということなのです。
その役割をもって
また神のお役に立っていくという使命が与えられるということ。

まあ、そこに至る以前の段階として、私たちは今、結婚愛というものを通して
男女の愛というものを学ばせていただいているのです。
そこにおいて、あくまでも私たちは成長の過程にあり
学ぶ修行の過程の一部として、かけがえのないパートナー
今の結婚の相手を与えられているということ。

そこにおいて、お互いが愛し合い、慈しみ合うということ。
それが家庭という花園に、愛という花を咲かすということ。
そのことをあなた方はおろそかにしてはいけないと思うのです。
c0171476_7522874.jpg

苦しいことがあるから成長があるのです。
夫婦の間においても幾度もくじけそうになることがあるでしょう。
信じ切れないで価値観が違うことがあるでしょう。
でも、自分にとっていちばん成長しなければいけないものを持っている
かけがえのない相手だからこそ、あなたの結婚相手として
自分も相手も今、目の前に存在していてくれるという
その感謝をあなた方は持たなくてはいけません。

今、相手との関係が苦しいから
「ここを抜け出て、ほかの相手と一緒になったらもっと自分は幸せになれる」
と思うなどは、愚の骨頂であるということ。
愚かしさの限りであるということ。
言葉はきついかもしれませんが、私はそう言わせていただきたい。

今の段階において学ぶべきことがある
いちばん大きなことを与えてくれる相手であるからこそ
今自分たちはともに結婚という
神の前に永遠の愛を誓って夫婦となったということ。
そのことを思ったのなら、永遠の転生輪廻の中の一回です。
次にはまた、もう一緒にならないかもしれない。

でも、今という人生が一回であるからこそ
でも、永遠の転生輪廻の中の一回であるからこそ
かけがえのない学びの時であるかもしれないのです。
そのために、相手も自ら自分との縁を結んでくれたということを
思ったのならば
心から感謝をし、こうならないから不本意である、苦しいではなくて
こういう相手として相手が目の前に出てくれたことを心から感謝して
うまくいかないのならば、そこに何か学びがあるのではないか
自分のいたらなさというのを浮き彫りにさせてくれるというのが
また魂のパートナーの役割でもあります。

(2005.9.22 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-26 07:52 | マリア・テレジア | Trackback | Comments(0)

ジャンヌ・ダルクからのメッセージ(2)

巫女としての仕事をする
天上界の言葉だけをしっかりと集中的に受け入れていく
そのことと、戦場において戦をしていくということ。
その両方にとって何がいちばん気をつけなくてはいけないかと申しますと
「己心の魔」、「外的な魔」、「魔との戦い」ということなのです。

霊言をとる者におきましても、最初はよくてもすぐ狂っていく者が多いのです。
霊言をとるには、それだけ純粋な、純粋な波動の中で
神の言葉を受け入れていくという
そのようなストイックなパイプというものが必要になるのです。

それは、少々何回かの人生の中で霊能力というものを磨いたぐらいでは
やはりこのような機能というものを持つ者は、難しいのかもしれません。
最初からそのような能力というものを持っている者たちがいるのです。
魔にも強く、かつ、天上界からのパイプをしっかり受け入れる。

そして、まさに阿修羅界と呼ばれている戦場においても
その神理の戦いとはどういうものかということを人びとに示しながら
この戦というものを、神の戦というものの中において
神の証明というもののステージとして、わたくしたちを使っていただく。

そのような意味において、魔というものに対して強い耐久性
魔に惑うわたくしの時代には、わたくしの時代の困難がありました。
人びとはまだまだ教養がなく、本来何が神の神理であるかという
高度な判断力というものを持ち合わせていませんでした。

だから、とても純度の高いけがれない神の子としての
その巫女としての姿を人びとに見せることにより
現象というものを打ち出すことにより
「ああ、この者は神の使徒である」というふうに認識されて
人びとがひれ伏すという、神の前にひれ伏していくという
そのようなことをもってわたくしの役割があったのですけれども。

アマーリエ様の時代におかれましては、皆さま方の時代におかれましては
もうわたくしのような時代のものではなく
高度な教育、知性、新たなる天上界から起こされた
ほんとうに多くの法というものを学ぶことによって
大いなる知的な判断力の中で
この時代を新たな宇宙への創世紀にもっていこうと
愛の星に変えていく時代がきたのであると
そのような天上界のひじょうに高度な法体系というものが
今地上に降ろされるということ。

それを、その知的な部分における教養も積んだ霊言というものを
今この方は降ろされているのです。

わたくしたち女性霊の中におきましても、これだけいろいろなことを理解し
霊言能力として降ろせる者は、なかなかいないのです。
女性、巫女と呼ばれている者たちは特にそうなのです。

男性方から見たならば
まだまだこのアマーリエ様の持っていらっしゃる能力というのは
劣って見えるかもしれないけれども
わたくしたちのように霊言を降ろすという意味において
はるかにわたくしたちの分を越えた、この神様からの法
智慧というものを一言語化し、翻訳し
私たちの言葉を地上に伝えることができるという
そのような霊媒機能を持った者というのは、ひじょうに珍しい
あまりいないということなのです。

おられますよ、天照様とか日向様とか、あのような方がた
そう、ヘラ様にしてもそうです。
ああいうひじょうに高度な知性の
女神様と呼ばれている方がたはおられるのです。

わたくしもそのような霊言を預かることはできますけれども
やはりそれにはそれなりの格と申しますか
それなりの力を待った者たちが当たらねばだめであったということなのです。

ですから、まあ今回でも巫女的な部分を持った女神たちというのは
たくさんではないですけれども、ある程度はおりますけれども。
まあ第三の計画の要員として埋め込まれたということは、万が一
万が一のときは相当な魔に支配された修羅場のような社会として
仏陀がその法を説かれることの
行き先をふさがれた時代であろうということを思いまして
やはり戦闘系と呼ばれている方、魔に強い巫女という者が
やはり今回お役をいただいて降りてきているということが事実なのです。
c0171476_123770.jpg

ですからこの方は本来、もし第三の計画が発動されなければ
ささやかな人生の中で
女性としての修行をしていきたいというふうに望んでおられたと思います。

しかし、そのことだけで本人は思っておられますけれども
済むわけではなかったのです。
やはり一大ギリシャの時代、もし仏陀におかれましても
そのご意図が成功なさったとしましてもね、そのあとに草の根の中で
ひとつの文化の発信として、社会を変えて光を放っていくという意味において
やはりこの方は駆り出される使命があったのです。

ですけれども、まさかこのような大計画の責任者として
このような数々の霊言を受ける者として呼ばれるということまでは
思わなかったと思います。

ですから、ひじょうに当初当惑し
この計画を進めるミカエル大天使様のお気持ちを見ながら
ご本人がミカエル大天使と、まあ傍らから見ていると言い合いのような
兄弟げんかのようなことをしながら、「いやだ、いやだ」と申されていたのも
わたくしは脇で見ていて両方の気持ちがわかるだけに
ハラハラとして見ていたのです。

でもやはり、ちゃんとするべきことは
いやだと申されてもちゃんと受け入れられ
そのご使命を果たされる方ですので。
まあ、最初はいやだと申されるのです、この方はいつも。
でも、必ずやらなきゃいけないことはわかっていらっしゃる方なので
必ずちゃんとやってくださるのです。
人一倍責任感の強い方ですから。

ただ、すべてをやらなくてはいけないと思うと
とてもこの方にしても苦しくなると思うので
どうか、あまり全部が全部やらなくてはいけないというふうに
ご自分を追い込まれるのではなくて、やれることから手をつけながら
やれることは今やれることだけを優先して
あとでやってもいいことは
他の方にお任せするぐらいの気持ちでいかれたらよいと思います。

一度に大きくして。
一度につぶれてしまうようなことだけは、もう、今回はなさらないように。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-24 12:03 | ジャンヌ・ダルク | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(47)

その中においても、今回のレムリアのね、活動のような
こういう時代の大きな分かれ目の時の、救世の大事業の中心に
あなた方のような、こういう計画、こういう仕事っていうものをやれるっていう
これは魂にとってものすごくたいへんな飛躍の時であり
あなた方にとっても素晴らしい成長の機会が与えられているということだ。

これから逃げるのもあなた方自由だよ。
いいかい、新しく来た人たち、言っとくよ。
逃げるのも簡単なんだ。
それは、けっして神様は強制はしない。
我々は何も強制しないよ。
でも、やりたい者はついていらっしゃいということだ。

やりたい者はここ
そしてレムリアを信じられるものたちはこれを語っているのが
「僕は高橋信次だ」といくら言ったって、僕の家内や娘たちだって
かつての弟子たちだって信じやしないわけだから。
でも、信じる者はついておいでと。

それ、生前言っていた僕の教えと、僕が語っていたことと
綿々とここのレムリアでも
まあかつてのOさんとこでもそうだけど、語り伝えてきたことが
果たして矛盾してたことなのか
それとも一貫性があると思って信じてくれるのか。
その中において僕が今命がけでやろうと
責任者としてやろうとしてる、この救世の大事業がある。
この計画がある。

この中において
もし、わたしの生前の教えを信じて慕ってくれていたのだったならば
僕がこの責任者になっている仕事のために、計画のために
少しでも僕の力になって命がけでこの場所で、修行を一緒にしてくれないかと
事業展開を一緒に頑張ってもらえないだろうかと
そういう気持ちが僕にはあります。
かつての弟子たちにもあります。
でも、それはけっして強制ではないから。

ただ、このような時代の流れの中でね、こういう場所にね
生まれ合わせたというだけでも君たち
たいへんな得をしたと思ったほうがいいと思うよ。
僕は、このような計画に参加できるだけでも
素晴らしい人生の幸運を秘めていると思う。
さきほど聞いていると
なに、僕が絶版にした占いの本のことをとやかく言っていたみたいでー。
ここにも占い好きのおっさんが一人いるみたいだからねえ。

あんたもだめだよ、占いに懲りすぎると、昔の僕みたいになっちゃうからねえ。
やっぱり占いというねえ
自然の流れ、宇宙のリズムというのは厳然としてあるんだよ。
それは宇宙のリズムの流れによってね、これは大宇宙もすべてが支配されて
その愛の旋律の中でね
この人、面白い言葉が入っているなあ、愛の旋律ねえー
愛の旋律の中でこう動いている、宇宙というのは動いてる。

そこにおいて、すべて神の子たちが生まれた時から
やはりそのリズムの支配下のもとに
ひとつのリズムを刻みながら生きてるということ。
それは間違いじゃないし、それによって僕が言ったように
ひとつの、ゼロから始まったその周期というものがある。
その時に、エネルギーが失速している時に、新たなことをやろうとしたとしても
それはやっぱり効率良くいかないということはある。
でもね、あまりそういうことにね、関わり過ぎると、自力でねー。

先程あなたも言ってたと思うけども
新たな人生を、逆流をものともせずに展開していく。
特にレムリアが、あなたたちがやろうとしていることはどういうことか。
時代の荒波に対して、真っ向から逆らった流れを
新たな流れを、価値観を、転換を
展開をしていこうっていう、そういう人たちだろう。
そういう流れの中にいる時には
もう竜馬君じゃあないけど、ほんとうに坂本竜馬が言ってたように
もう時代の流れなんていうものは、自分を押しつぶそうと何だろうと
自分がやるべき、坂本竜馬がやると言ったらやるんだ。
そのぐらいの気持ちであなた方も立っていかなくちゃあいけない。

人が何と言おうと、自分のことを言わば言えと。
自分がやるべきこと、信じたことをやるんだと。
やはりそのぐらいの不退転の境地を、あなた方は持たないと
このような新たな時代の中で、逆流の中で道をつけていこうというような
そういうことはできないと思うよ。

確かに、運命の支配の流れ、影響っていうのはある。
でも、逆に言うと、影響力ばっかりに
いつもびくびくびくびくしている人間をつくってしまって
今度は、時代の中で自力で生きていこうっていう
人間すらできなくなってしまうと思って、僕はやめたんだけどね。

だけど、それじゃあない
あなた方がやろうとしているのは、自力として生きていけではない。
人びとの、多くの人、大半が信じているものの既成概念を打ち壊して
新たな霊文明の幕開けとしての新しい価値観を展開せよという
それはどの使命の高い、水準の高い使命を負っている人が
そんな宇宙だの、じゃあない、占いだのね
易学だのということだけで自己限定をして
せっかく頑張れる人生の残り少ない年月をね
そういうものに無駄にするようなことはあまりしてほしくないなと
わたしは思います。
c0171476_11365486.jpg

確かに、その影響はあるということ。
それは認めるよ、僕もね。
でも、あなただって高橋信次の教えを学んだんだったら
やれることはいくらでもあるでしょう。
それと、あなた方の気持ちの一人ひとりの中に
どこかに何かに依存しようという気持ちをつくったら
もうこの道は終わりだっていうこと。
これ何かに対して逃げる、自分が失敗したのは
いや宇宙の流れが間違ってたからだ、ああだのこうだのってー。

もし、自分のやったことの責任をだよ、そういう何かの
それ以外の流れのせいにして
それを自分で自己正当化して、言い訳をして逃げたのならば
自己の成長もあり得えないしね。
原因結果っていう法を知っているだろう。
ねえ、自分でやったことの結果が、何かしらの形で戻ってきてる。
それをもし、それ以外の運命のせいにしたりとか
それからあと、これからやっていくような大きな流れをつくっていく時にだよ
自分がすべての責任をしょっていくんだぐらいの不退転の境地のない者に
こんな逆流の中をも歩んでいくような
このようなレムリアの計画を実行していくような実行部隊には
到底なれないということ。

だから、まあ、ほどほどにしなさいということだな。
完全否定はしないけど、ほどほどにしなさい。
だから、自分がこの時期は、よし、登り竜のごとく
この追い風で攻めていけるっていう時には
調子良く利用するならすればいい。

でもまあ、気をつける時には、気をつければいいけれども。
でも、それを言い訳にしたりとか、自分が行動しなかったり
自分の弱さから逃げるための言い訳にしないということ。

ときどき占いというのは、そういうものね
言い訳の理由にされちゃうんだよね。
で、ますます依存心の強い
自分の頭で判断できない自己判断で動けばいいのに
自分の判断じゃないところで
ひじょうに易者の先生とかに頼りすぎていくような
そういう傾向をつくってしまう。
それは、本来の神の子の教えではないということね。
ひとつの参考資料にすぎない。

たとえば、そうだろう、あなたたちだって、本とかやったりする
参考文献っていうのを調べるじゃないかい
大学のねえ、論文書いたりする時だって
その参考文献程度に判断の文献、判断する時の、その参考文献程度ぐらいに
参号資料ぐらいにしといてくれればいいんだけれども。

ときどき、それのほうが、なんかテレビに出てるおっかないおばさんにしても
なんか運命をまるで言い渡されるようなねえ
そんなことを言ってみんながびくびくしたり、萎縮する。
それは、全くの本末転倒であるということ。

逆に言うと、占いが害悪になってるというね。
だからそれゆえに、易学というのはひとつの
裏だとか言われながら忌み嫌われるところが、正統の教えの中の中では
やはりこう、ちょっと嫌われるところがあったっていうのも事実なんだよね。

(2005.10.15 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-22 11:35 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

日向(ひむか)からのメッセージ

今この日本において
女性の生き方というものが真剣に問われる時代になりました。
この者が「女性の法」というものを引き継いでくださるということで
私はたいへん期待をし、この者に助力し
何とか現代女性に指針となる生き方というものを私自らも通信し
この者においても女性の法というものを説いてもらいたいと
そのように願っているわけです。

まず現代女性の生き方ということの前に
ひとつ、私たちのこの計画におきます
この者の役割というものをお話ししたいと思います。

あなた方もたびたび聞かれたと思いますが、古来より、この日本におきまして
大和の地におきまして
女性というものが神託という高級霊界からの啓示を受けながら
地上の者たちの指導者の立場として、人びとを指導していったという
そのような歴史が数多くありました。
そのような時代がまた再びくるときがあるのだということを
私は天照様と一緒に語り合っていたのです。

この大和の地を最後、和をもって旨とし、最後、神のお心の中に返していく
完結したものにしていくには最後、女性的なる者の力により
この地上を、神の霊的な力により清めていくという
そのような過程が私たちの理想であったのです。

このように女性の巫女、霊媒という形を通して
天上界の者たちの意思というのを地上に降ろしていく。
このような指導体制というのは日本独特のものであるというよりは
世界に共通してあったものだと思います。

それが、今までは男性よりも女性のほうが優位であったということ。
そのような体質があったということをもって
女性の巫女というものが、数々の場所に多く出ていたのです。

しかし、今回のような大計画において
男性の指導霊の方がたが前面に出られて救済計画を行うという
大いなる計画の前に
女性はあくまで愛の補助者としての役割というのが本来
組み込まれておりました。

私が指導しておりました、守護しておりました方におかれましても
本来であるならば、彼女が巫女として霊道を開いていたのですから
霊言をとるという形で前面に出て、霊指導という形ができれば
それはそれでまたよかったのかもしれないのですけれども
あの時には、これから九次元の男性霊が出られるということをもちまして
霊的な意味におきましても
愛の補助者としての役割に徹するということが望まれましたので
彼女自身に、あまりほかの霊人からの通信というのは
控えられていたわけなのです。

でも、本来であるならば
彼女も十分、霊言の通信を受信する力というのはお持ちでしたから
最初からこのような形でなければ
彼女自体の力を、私がかつて、耶馬台国において示したかのような
あのような体制というのが取れたと思うのです。

しかし、今回におきまして
この修正案としてのレムリアの第三の計画の中におきまして
この者が最終的な軌道変更のための計画を担うことになり
私たちはこの者を通して
本来の女性指導体制における巫女という立場をもって
今一度、本来の計画のあるべき姿に戻そうという
そのような計画に賛同いたしました。
あくまで修正のための計画であるということなのです。

本来であるならば、第一の計画、第二の計画通りに
男性指導霊の方がたが事を進めていかれたのであるならば
このような第三の計画を発動しなくてよかったということなのです。

ですから、この者があえて自分から好んで、このような巫女的な立場により
女性の指導的な立場に出て来たというわけではないということ。
修正として、今一度、神理のバトンを引き継ぎ
それを次の男性指導霊の方に渡すというためにおいてのみ
この者は、今ひとたび霊界の通信を受けて
巫女として人びとに霊言というものを伝えるという
そのような使命を今担っているのです。
c0171476_6512577.jpg

あなた方が考えておられる霊界通信というのはどのようなものでしょうか。
あなた方の心の中にあるものは、神々が常に答えを出し
地上の者たちが、神々が言うことの
「はい」とか「いいえ」という言葉にすべて従っていく
そのようなものであると、古来より思われていたかもしれません。

しかし、今回の一連の霊言というものは、そのようなものではないのです。
地上の者たちは霊言が降りると言って
すべて神の意思であるということに平伏し
従わなくてはいけないということでもないのです。

その代わり、地上の者たちには地上の者たちの努力があるということ。
地上の者たちがあくまで自立して
私たち天上界よりの通信というものを受け止めて
それを地上の中において、あなた方の力でこの救済計画を実行していくという
それを問われているという、その大事な計画であるということ。

古代においてすべてが、天皇がどちらに行くとか行かないとか
戦争するとかしないとか、兵を引きあげるとか引き上げないとか
そのようなことで、霊言を巫女としてとっていたというのとは
本質的に今日の霊言というもの、巫女の立場というもの
それと古代の巫女としての立場というものとの、霊言の質の違いというものを
あなた方はよくよくわきまえていただきたいと思うのです。

私たちが古代巫女としてあったときには、やはり戦争とか、国家の体制とか
指導体制をほとんど神託により判断し
それに従うことによって人びとを治めていたのです。

しかし、今天上界より、天上界の叡智としての霊言が
今地上に降ろされようとしています。
それは、単に「イエス」とか「ノー」とかいうことだけで
人びとが従っていくのではなくて
あなた方自身で天上界よりの言葉を判断し
その中において、自分が納得できることを選び
自らの知恵として、自らの指針として生かして
この地球をユートピア化していくという
そのような推進力にしていくという、そのようなプロセスのために
あなた方は今霊言を受けているのだということ。
そのために今霊言を受信しているのが
今日の巫女であるこの者の立場であるということを
しっかりわきまえていただきたいと思うのです。

私が出て来て指導していると言うと
かつて、大和の国のとよという立場において
国家体制の指導者として
やはりこの者を指導したことがあるのですけれども
そのような霊言の受信の仕方とは、また今日ではひじょうに違うということ。
そのことをあなた方はよくよく理解していただきたいと思います。

どうも地上の方がたの判断を見ておりますと
霊言をとるならば、全部神が決めてくれるのだと
次は何をするのかと、神託を聞けと、神に聞けと
そのような依存心が強すぎるのではないかと私は見ているのです。
ですから、今このように申し上げているのです。

古代の学問もない時代の、原始農耕社会の中における
古代国家におけるシャーマンとしての役割というものと
今日のように科学が進歩発達し、学問も知恵も
さまざまな宗教というものを学んで
魂のパーニャパラミタを蓄えてきたあなた方の今の修行とでは
天上界の霊言に対する態度、姿勢、そして、その指導され方ということは
自ずと違ってきて当たり前なのだと思います。

あなた方はかつてに比べると、はるかに魂的にも豊かで
成長を遂げているはずなのです。
そして、最後のその総結集、総決算の立場として
今この第三の計画により、最後の地球救済大計画というものの中に
今あなた方が生きているのであると
その人生を問われているのだと思っていただきたいのです。

そうでなければこの者にすべてを、判断を仰ぎ
すべてを天上界に依存するのであるのならば
霊言などというのは、ほとんど毒になってしまうだけであって
地上の修行においては妨げとしかならないのです。

ですから、時代の要所、要所においては、霊言というもの
時にはシャーマンというものが出て来て指導したことはありますけれども
ほとんどが古代の時代より、あまりそのようなものが出て来なくて
人びとの知恵と努力によって歴史を形づくるような方向で
それ以外のわからないようなインスピレーションであるとか
宗教であるとか、新たな宗教改革であるとか
そのような教えの流れの中において
人びとを善導し、指導してきたという過程があるのです。

日向:弥生時代の邪馬台国を治めた卑弥呼(ひみこ)と呼ばれていた女王。

(2005.7.14 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-21 06:52 | 日向(ひむか) | Trackback | Comments(0)

マリア・テレジアからのメッセージ(2)

政略結婚ということがあると、あなた方は思われたかもしれません。
わたくしも、わたくしの夫と会ったときには
やはり親が決めたものでありました。
国対国のこと、あらゆることを考えて
ハプスブルク家というものを存続させるには
どうしても女性を王位につけなくてはいけない。
そのために選ばれた夫でもありました。

でも、その中において、私は運命を受け入れたという以上に
そのようになることが
すでに神代の世界ではもう決まっていたということなのです。
すべて決まって出て来ているのです。
偶然はひとつもないということ。

であるのならば
あなた方の親子関係においても偶然はないということを思われて
ご自分たちの運命をしっかりと受け止めるという
その厳しさが必要であるということを、わたくしは申し上げたいのです。

政略結婚と言うと、ひじょうに不本意なことに思うかもしれない。
でも、そうなるであろう時代ということを見越して
自分が一緒になりたいと思う、縁のある方をそのように選んで来ている。
そのような時がきたのならば、そのように話がいくようにもってきている
というのが現状でありました。

わたくしの夫も、そのようにやって決まって来たのです。
そして、わたくしの子どもたちも
わたくしがひじょうに政略結婚のように進めていって
いろいろな国に送り出していったのですけれども
それに適合した娘もいれば、適合しなかった娘もおりました。

それによって不幸になったり、幸せになったりした者たちもいるのです。
ひどいところに行っても、そこでそれなりに幸せを見つけた娘もおりました。
そうかと思ったら、満たされないと言って、放縦な生活をした者もおりました。
息子においてもそうでした。
わたくしが言っても、自分なりの政治的なものをやりたいと言って
わたくしと意見が祈り合わなかった者もいたのです。

でもそれは、その中において自分
わたくしはわたくしとしてやるべきことを実現し
そしてその次の世代の子どもたちは、その環境、与えられた環境を通して
16人のうちの10人なら10人が、まあ16人が
先に亡くなった子たちもそれなりの人生があったのですけれども
その者たちがその環境において
やはり今回生まれた上において修行したいというテーマがあったから
それを果たすために、彼らはそのような環境を選んで来たということなのです。

そこにおいて自分なりの幸せを見つける。
折り合いをつけ、そのような一見ひどいような環境に思えても
そこで得られた幸せというものを、喜びというものを見つけて
自己の魂の糧として、成長として、そして神に対する感謝として
周りの人びとに対する感謝と愛というものをもって
自分の人生というものを生きることができたのならば
そこにおいて政略結婚であったからといって、それが不幸であったと
すべての不幸の原因であったという言い訳にはならないと思うのです。

それは一見、政略結婚のない、自由恋愛の時代と呼ばれている
あなた方の時代においても、結果的にわたくしたちの目で見たのならば
結婚などというものは縁ある者としかしないのです。

それは、わたくしたちの世から出て来る時に
あなた方が計画をしてきたものであるのです。
そして、その縁の中で、まあ縁がひとつということはありませんけれども
その中のいくつかの中において、自分が今世やりたいという修行を果たすために
自分で選び、計画してきた人生のテーマというものがあった。
その中において、相手にぶつくさ文句を言うということは
まるでお門違いであるということ。
わたくしはそれを申し上げたい。

そして、結婚する、しないも、あなた方が選ぶことなのです。
自由意志の選択というものがあります。
そして、子どもも産む、産まないに関しても自由意志があるでしょう。
でも、産むと決めた以上は、あなた方に授かった子どもたちがおります。
そして、子どもたちにとっても、あなた方、親にとっても
それは偶然ではなく
すでに自分たちが自由意志により選択してきた結果であるということ。

お子様方、性別がどうであるとか、子どもたちがどうであるとか
そのようなことを嘆かれる方がたを、多々見受けられます。
しかし、それはあなた方が地上に出て行くときに
すでに縁を結んできた方がただから
そこにお出になっているということなのです。

だから、女の子だけであるとか、男の子が生まれないとか
そのようなことを嘆くことは
本来は自分の計画に対して嘆いているのと同じであるということ。
そのような環境を通して、何を自分が学ぼうとして出て来たか。
そして、子どもたちは何を学ぼうとして出て来たか。
それを前向きに人生はとらえるべきであるとわたくしは思うのです。
c0171476_1284874.jpg

なぜ、女の子しか生まれないのか。
王位継承するにあたって、なぜ女の子しか生まれないのか。
わたくしにおいてもそうでした。
わたくしの父などもひじょうに嘆きましたけれども
生まれても女の子ばかりが生まれ
そして母が体を壊し、もう子どもを産めなくなります。
その中でハプスブルク家の存続というものが
王位が途絶えてしまうのではないかと
危ぶまれた時代でもありました。

でも、それはなぜであったか。
それは、まあ、言ってはなんですが
わたくしが生まれていくための時代設定でもあったのです。
そこにおいて、わたくしが生まれるということは
わたくしの両親にお願いをして出て来ているわけです。
その時に、もし兄や弟がいたのなら
わたくしはわたくしの修行ができなかったでありましょう。
わたくしが神より与えられた使命というものを
その時代の中で果たせなかったでありましょう。
そのことを思いまして、周りに男子が生まれなかったのです。

でも、どうでしょうか。
下手な男子が何人生まれるよりも
わたくしが果たした役割というのがやはりあったと思うのです。

そして、その中において、わたくしも最初の三人が女の子でございました。
女の子ではなく、もう悲願のように、男の子が欲しい欲しいということは
わたくしたち夫婦だけではなくて、周りの宮廷の者たち
そして国民すべてにおいても王子、王子という声があったのです。
そのプレッシャーはひじょうにございました。

わたくしは、女の子でもかわいくて、かわいくてしょうがないので
別にどちらでもよかったのですけれども
やはりそのような立場にあった者として
王子を望まれておりました。

でも、最初の三人の子どもたちの中に
最初にもし男の子が生まれていたのならば
私は女帝となって役割を果たすことはなかったということなのです。
わたくしがわたくしの能力を発揮して、その時代の中で役割を果たすには
やはりそこに王子が出たのならば、わたくしは単なる宰相として
後ろで擁護する者として、そのような立場でしかなく
わたくしに統治権というものはなかったのです。

だけども、最初に女の子ばかり生まれたから
やはりこれは入り婿の夫ではなくて
この者を、わたくしを女王にして仕事をさせた方がいいという
そのような流れに自然になっていったということです。
そのことをもって最初に女の子が出て
そして、わたくしが、それで華々しい
ある程度、国民に認められる女帝としての立場
女王としての立場を確立したときに
待ち望んでいたかのように王子が生まれてくるわけです。

それは、なぜであるか。
全部そこは計画されて出て来ているということなのです。
そう、それぞれの魂が、それぞれの環境の中で最大限に発揮して
修行ができるように、そのために結婚のパートナーにおいても
子どもたちの性別においても
どういう魂を自分の子どもとして生まれて来るかということも
全部が決まっているということなのです。

そのことを思われたのならば、今、男女産み分けとか
あなた方はいろいろおやりになっているかもしれない。
でも、それにはわたくしは基本的に反対であるということです。
神のお心をお心として、あなた方は地上で修行する身であるということを
わかったのならば、わからなくても神のお心を信じることです。

子どもというものは神よりの授かりものであると思うのであるのならば
その家庭の中で預かった魂を
ただただ謙虚に、ただただ喜びをもって迎え入れ
たとえ女の子であろうと、男の子が五人、十人生まれようと
その魂を引き受けると約束したのでありますから、それを謹んで喜びをもって
愛をもって、子どもたちを迎え入れ、育て上げていくという
そのような運命に対する受け入れというものを持っていただきたい。

それは、そこにおいてあなた方が、単に不本意な運命に翻弄されるのではなく
生まれて来る前に、すでにあなた方の個人の自由意志によって選択し
計画されてきた人生であるということ。
そのことを人類はもう知らなくてはいけないということなのです。

(2005.9.22 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-20 12:08 | マリア・テレジア | Trackback | Comments(0)

ジャンヌ・ダルクからのメッセージ

わたくしは、皆さま方がご存じのように、農民の娘として生まれ
まだ十六歳の幼い時にさしたる教育もなく、母や父たちのもとで
ほんとうにのどかな環境の中におきまして、平凡な村娘として育ちました。

今のあなた様方のような、高度な知識や教育というものを受けておりません。
自分の名前を書くのも、のちにほかの方により教えていただいた
わたくしは無学な、そのような境遇に育ったのです。

そのようなわたくしが、いったい神様にとってどのようなお役に立てるのか。
そのことを考えただけでも
神様はずいぶん無謀なことをなさるのだなと、最初は思いました。

しかしわたくしにとっては、常にわたくしを指導してくださいました
ミカエル大天使長様よりご指導いただいて
フランスという国をもう一度立て直すために
「ジャンヌよ、降りていってくれないか」と言われて
わたくしはその命を受けて降り立ったのです。

わたくしがお仕えしていた国王になられた方におかれましても
わたくしには裏切りの連続であったかもしれないけれども
わたくしは難しいことは、何ゆえにこのような立場にわたくしが
普通の男性であってもあの時代に神様の指導により戦いをし
そして国王の位に、王位につけるために、わたくしのような者が出ていって
いったい男性でなくて、男性であってもたいへんな活動であったと思うけれど
このわたくしのような者が何かできるというのでしょうかという
祈りが常にありました。

しかし今となりますと
それはフランスという国が、あのときに王位につけるためとか
そういうことだけではなく
あの時にわたくしのような、まったく文字も書けぬ無学文盲な者が
ただひたすらに神様の、大天使ミカエル様の霊示を受けることにより
神のご指導により、神の臨在というものが確かにこの地上におかれ示され
そして常に天上界の指導のもとに
わたくしたちは歴史を進めているのだということを理解させる
ひとつの証のような時代として、わたくしの使命があったということを
あのあと聞かされました。

その意味において、いちばん多くのわたくしたちの時代のときには
教会の権力というものが村の、町の、国のシステムの中に
構造の中に入りこんでおりましたので
多くの人たちはキリスト教という神学というもののかせの中にいながらも
ほんとうの意昧での信仰心、素朴な意味での神とのつながりというものが
見えなくなっていたのです。

修道会とか国王とか、神ということをだしにして人を支配し
国を治めようとするそのような縛りの中に人びとは生きていたのです。

まだまだ教育水準も低く
貧しさも無知蒙昧な部分も多くの人びとの中にはあって
難しいことが、今あなた様方が説かれるような
難しい法というものが説かれましても
理解できる者たちはほんのわずかの者たちであったということ。

そのような、文字もわかり、ドイツ語もラテン語もすべてがわかっていくような
一部の学識者というのは、大体が僧侶
キリスト教系のいわゆる聖職者と言われている方がたでございましたので
わたくしのような普通の一般の者たちには
そのような法が難しく説かれましても理解する能力もなかったのだと思います。

そのときに、間違いなくそのような中において
純粋なる神につながる信仰心というものはどういうものなのか
そして確かに神の啓示を受けて
わたくしのように神の言葉を預かりながら人びとを救って
人びとの日常、人びとの幸せというものを
確かに天上界が見守っているのだよということを
多くの人びとに与えていく、示していくという
そのようなチャンスのひとつのステージの一部として
わたくしの役割があったのだと、今思うと、そう思います。

ミカエル大使様は常に、人びとの心の中に純粋な神とのつながり
信仰心というものが薄れることをお嫌いになり、危惧なさっておられるのです。
どのような戒律に満ちた
どのように宗教的に哲学か神学の僕であると言われるように
ひじょうに高度なキリスト教の教義に
がんじがらめの生活の中に生きておりましても
人びとの心の中に、やはり根づく素朴な信仰心というものが
純粋に指導されるというそういう時代ではなかったのです。

それを新たに人びとに、天上界の指導とはどういうものであるのかということ。
逆に、ラテン語やドイツ語や
難しい聖書の勉強をいっぱい知っている聖職者たちより
わたくしのような無学文盲な、このジャンヌのような村娘こそが
素直な気持ちになれば、神々のお声を聞いて人びとを救いうるのだという
その実証をするために、わたくしの使命はあったのだと理解しております。
c0171476_10101289.jpg

ですから、ほんとうの意味で知識、教養があり
その素朴さにおいても純粋なる信仰心により天上界につながるのであるのならば
それは両輪が整い、とても素晴らしい姿なのですけれども
わたくしが生きた時代におきましては、ほとんどが無学文盲な
高度な法など理解できない、そういう者たちが主流を占めていた時代ですので
その者たちの中において、ひとつの神というものを証しするための
一大ドラマであったかもしれない。
そういうふうにわたくしは思っております。

わたくしは、このアマーリエ様のことを長いこと見てきているのです。
この方がK会や、ある会でひとり
人びとをひっぱりながら奮闘しているときから
今度はわたくしが守護霊をしながら
この方にインスピレーションを送っていたのです。

ですから、この方がほんとうにもう最後、このレムリアになったときに
もうこのような運動はたくさんだと、こりごりだと
うんざりしている姿というのを私は痛いほどわかっていたのです。

ですけども、この最後の戦いこそにほんとうの意味があるのだということ
そのことを理解して、どうか一緒に頑張っていただきたいと
わたくしはこの方にいつも言っていたのです。
で、やっと重い腰を上げていただきましたけれども
わたくしはこのアマーリエ様の気持ちは痛いほどわかるのです。

ほんとうに子どもたちとともに幸せな、平凡だけれどもささやかな幸せの中に
女性として生きていきたいという気持ち
それはわたくしにおいても同じだったのです。

誰が好き好んでこのような、まだ何の社会経験も
ましてや戦の戦い方など何も知らぬわたくしが戦地に赴き
兵士たちの指導者になんかに、なりたかったでしょうか。

わたくしがいちばん望んだのは、母さんや父さんと兄弟たちと一緒に
あの田舎のフランスのあの地で、母さんと一緒に毛糸を編んだり
一緒にパンを焼いたり羊の世話をしたり
そのような生活を私はほんとうに好んでいたのです。

しかし、わたくしにおきましても、この方におきましても
神よりの啓示により
自分でいくら耳をふさいでも、次から次へと呼びかけてくる
天上界からの声というのが聞こえてくるのです。
それは、否定しても否定しても、呼びかけが続くのです。

ささやかな平凡な幸せに憧れながら、でも、やはり神からの
神様からの招命には受けていかなくてはいけないという
自分かちの本能のような魂の呼びかけの中で立ち上がっていく。

そこにおいては、けっして他の者たちよりも優れているとか
他の人たちよりもやりがいのある仕事だなどという
そのように男性方の考えられるようにそんな個性は
私たち女性の、たとえ「戦闘系」と先ほどおっしゃられていましたけれども
私たちのような立場にありましても、けっして好ましい招命ではないのです。

でも、わたくしやアマーリエ様のように、神々のお声が聞こえて
そして戦いというものに対して
もう過去世の中でいくつかの戦いを乗り越えてきておりますので
自然と戦い方というものを身につけている者というのは
ひじょうに少ないので
やはり神の声を聞けるという意味におきまして
このような場所には神々により招命されて
そのお役に立たせていただく場に呼ばれてしまうという
そのようなことがあるのですね。
ですから、わたくしはいちばんわかるのです。

わたくしが今度生まれてきて
またジャンヌ・ダルクとしての人生を歩みたいかと言いますと
そんな人生を望まないと思います。

でも、いつも言われているように
人にはそれぞれ現象、その私たちの個性を
神々により、根源の宇宙の神によりつくられたときにね、その役割というか
使命と申しますか、そのような力というものを埋め込まれて
わたくしたちは創造されているのです。

そういう意味におきましては、わたくしもアマーリエ様も同じなのです。
霊言をとるというひじょうに、そういう能力を持ちながら
かつ、ひとつの時代のうねりの中において
人びとを引っ張っていき、指導していくという
そのような女性霊の役割というのを
太初から持ち合わせているのだと思います。

そしてこのような者は、けっしてたくさんの人数が女性霊として
天上界にもおりませんので、どうしても特殊な役割として
わたくしたちが駆り出されてくるということがあるのかもしれません。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2014-11-19 08:04 | ジャンヌ・ダルク | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
ブログパーツ
ブログジャンル
画像一覧