地球を愛の星へ

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高橋信次からのメッセージ(52)

君たちがそれを見極めるために、その意味においては
今回、もうすごくメールとか
みんなでひじょうに活発に話し合いをしていた。
これをもって成長したのなら
次は我が身にかからないように自分たちも勉強しなさいと
こういうふうにならないようにしなさいと
これでひとつ君たちも学んだ引き出しっていうのができたんだと思うよ。

やっぱりこういうのは現場を通さないとわからないしね。
やはり、前向きな説得で通じる人もいるし
腹を割って話せばわかる人もいるし
でも腹を割らないで、ああだこうだ嘘をつきまくる人たちもいるし。
それに対しては、やっぱり相手を見て対応していく。
そして強く出るところは強く出る。優しく出る時には優しくして
相手のほろりとした人情に、やはり諭しながら別れていくという
そういうやり方もある。

わたしはだから、そういう意味では、何でも対機説法ってよく言うでしょ。
我々の世界でも、型通りのこと
マニュアル通りのことってあんまり意味がない。
逆にたとえば、我々の世界でも対機説法をする時は、今ここだったら
ここにいるあなた方の性格、理解、能力に応じて
今どういう話をしたらいいかなってことを考えて
あなた方の理解というものが
意識というものが高まるように話せてこそ
こういう話をする霊人の格というものが決まってくる。

それは、日蓮たちでも、みんな地上に出て行った時に
「対機説法の名手」と呼ばれているねえ。
日蓮なんかでも、人の情、人情という機微に通じながら
人の心をぐいぐい引っ張って話をしていくのが上手だった。
やっぱり、その場その場の雰囲気、空気、相手の人格
状況っていうのを見抜く洞察力がひじょうに強いということ。

っていうことは、あなたたちも型通りのことではなくて
そしてひじょうに不幸にして、こういうことが起きたときには
最大の、最善の善意をもって
やはりこの状況をひとつずつ見極めながら、みんなで対処していく。
でも、やっぱり最後はこの人に出て来てもらって
決着がつかない場合はつけてくっていうのがいいと思う。

だいたい、霊的なことで興味があってだよ
中で魔まで連れて来ちゃって撹乱している人間に
普通の論法で話して、反省して
「はい、わたしが悪うございました。だからわたしから立って、
ここから席を去らしていただきます」って言うぐらいね、いいかい
殊勝な素晴らい人だったら
レムリアからやめてくれなんて言われないんじゃないかい?

「こいつ、いたらもう臭くてかなわん。こいつ、いたらもう、この人いたら
もう魔ばかり連れてきちゃう。だから頼むから出てってくれ」っていう
そういう状況でしょう、だいたい。

もう、やむにやまれず仲間を切るなんて、そういうもんじゃないですか?
だからこそね、こういう時には、やはり修羅場になってしまう。
仕方ないと思うよ。
でも、それを恐れていたら何もできないし
でも、そういう可能性を常に持っているのが
逆に言うと人間でもあるということ。

人間たちがやって、人間たち同士だから
不完全な人間たち同士が手を取り合ってやる地上の計画だからこそ
逆に意味があるんだよ。
君たちがやるから意味がある。

神様が出て来て、神様が一方的にやって、地上の人間たちに粛清をして
そして去っていくなんていったら
何の意味もないし、何にも面白いこともない。
地上に生きた者たちが、何もわからないところで
一生懸命法を学びながらきて
我々の言葉の意味を知って、不完全な者たちが
お互いに欠点があって傷つけ合いながらも、それでも互いに助け合って
この神の国の計画をやっていこうと、逆にこういうつらいこと、苦しいこと
こういう悲しいことがあったのを乗り越えてきた時に
ますますあなた方の仲間としての意識というのは、より強く
絆というものは結ばれていくものではないのかと思うよ。

それで、どれだけ学問で、ね、書の中で法というものを学んでいたとしても
どれだけバイブルを勉強したとしてもだよ、これがやっぱり
こういう最前線の現場で瞬間的にどう動けるか、どう見極めていくか
こういう認識力、洞察力というのは、これはやはり
今世できる人とできない人が君たちの中でもいるだろう?

こうやって、やれる人はやっぱり先生役で出て来てるんだよ。
やれる人が、たとえばこの人がなんてこれを瞬間的にできるかというと
過去世たくさんやってきてるから。
こういうことをやって、やって魂に蓄積してきてるから
そういう時にはどうしたらいいのか、ああしたらいいのか
今世生まれてきたからっていうのも経験はあるけれども
それだけの経験ではない、過去世の蓄積があるということ。

それを知っているから、魔に対しても、魔が憑いている者に対しても
どういうふうに対応すればいいか、持ち上げればいいか
強く言って頭ごなしに怒鳴ればいいか
それとも抱きしめてあげたほうがいいか
そういうことを彼女流によく知っているということ。

それはもう、潜在意識から出てくるものであって、瞬時に反応していくもの。
それを、でも、ない者たちは、今世の経験を通して
目を白黒させながら学んでる。
そして、これをあなた方は魂の学びとして、蓄積として
次にまた出て来た時に、同じ使命を米たす時に
今度はあなたたちの中にパーニャパラミタとして
自然に、自動的に出てきて対応ができるという、判断がつくという
そういうことになるんだよ。
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だから、素晴らしい成長の場所にいるということ。
そのことをもって、一つひとつのことをね
嫌がらずに乗り越えていってごらん。
今までの、いろんな人たちがいたけど
みんなそれぞれパターンが違ったはずだよ。
みんなパターンが違ったはずだ。
そして今度の00さんだって、憑いてる者も全く
そして本人も悪びれてない様子にして全く違うだろう?

だから、人がいるならいる分だけ違うから
こういうルールにのっとったワンパターンのやり方で
次にもう一度、同じことが出たとき防げるかといったら
そんなことはないということ。

その時、状況、状況に応じて、精一杯最善の形
そしていちばん大事なのは
自分たちが何をやらなくてはいけない使命ある者たちなのかという
やはり優劣、優先順位というものをしっかり見極めて、自分の責任を持って
自己責任の範囲内で、自分たちの責任の範囲内の中で
何を守り、何を切り捨てていく
何をもって、自分たちが我慢をしていかなければいけないか。

仲間を切るのは悲しいよね?
つらいよね?
やはりとても苦しいことだし、そういう言葉を吐かなければいけないことが
やはりこの人もいつも、いつも
「苦しい、苦しい。やだ、やだ」と言いながらも
それでもやはり最後、いちばんつらいことをやっていく。
それをやって、悲しみを乗り越えながらもやっていく。

それをやっていくからこそ逆に、それを乗り越えてやっていくからこそ逆に
その先にあった使命を達成した時の喜びも大きいし
そしてそれだけの価値のある使命を今受けているんだという
その認識も自分の中で判断できるはずなんだ。

その判断がなければ、こんなつらいこと、悲しいことに関わるのはもういやだと
逃げ出してもおかしくないと思うよ。
繰り返し、繰り返しこういうことが起きる。
でも、たぶんこの仕事をやって、この仕事を死ぬまでやってくんだろうけれども
たぶん死ぬまでこのことの繰り返し。

そして最後、悪くなると「アマーリエさんが悪い」と
たぶん言われるんだろうけど
今回もどう言うかわからないけれども、でもそこにいってでも
それを受けて立ってでも、それでも地球を愛の星にしていきたい
天上界の救済計画のためにお手伝いをしたいという思いがあるから
この人のー。
だから、その悲しみや苦しみを受けて立てるだけの気持ちで
心を鬼にしてスパッと切ることができるわけだよ。

それを君たちも見習いなさい。
目先だけの優しさ、目先だけの思いやりというものが
基本的にいちばん大切なものを失ってしまったら
その人にとっても、その切り捨てなければいけなかった人に対しても
巡り巡ってたいへんな責任を負わせてしまうということ。

それは本人にとってもいちばんつらいことだから、あなた方が力を合わせて
その人と一時は去って別れたとしても、さよならを言ったとしても
本来の使命を全うしていくことのほうが
その人たちにとってもいいということ。
それをこの間、五合目、六合目で別れることのほうが
彼らを高山病にしなくていいんです」というふうに
言われていたことの意味でもある。

(2005.10.15 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-30 15:36 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

マリア・テレジアからのメッセージ(7)

愛というものの奥深くは無尽蔵にあり、未来永劫
私たちの魂が永遠の転生を超えて私たちが学んでいくことなのです。
奥はないのです。
どこまでも、高い次元まで愛というものは深まっていくのです。

その意味を通しまして、あなた方はこの地上でどうあるべきか。
どう判断するべきか。
やみくもに不幸があると思わないでください。

先ほどから言っている親子関係、子どもの性別、ね。
ご主人との相性、性格の不一致で別れるのがほとんどなんでしょ。
性格の不一致なんていうのは理由にならないということです。
それを選んで来たのであるというのなら
不一致があってこそ磨かれるということ。
本人にとっていちばん痛いことだからこそ
題材として与えられるということなのです。

いちばん痛いものを通してしか人は成長できないということなのです。
だからこそ、いちばん苦しいと思うこと、でも、耐えられることを
範囲内で神はちゃんと大事なことを
大事な時期に与えられてくるということなのです。

それから逃げてはいけません。
人生は逃げても何もないのです。
逃げたら、ただただ成長が遅れるだけなのです。
また別の時に、また同じ材料がやってきて自分の魂を磨くという
痛い過程を経てくるのです。

でも、ゴツゴツ、ゴツゴツと、そのような流れの中で学んでいって
丸くなっていくうちに、魂は成熟を迎え
丸くて豊かな魂として磨かれてくることでしょう。
そのための大事な修行として、たかが数十年の地上の生命があるということ。

私たちの世界に帰って来たのならば、波長同調の法則というのがあります。
同じ者たちばかりが集まっているのです。
同じ者たちがいるところでは磨かれないのです。
やはり同じ者たち同士でいたわり、深いところでいたらば
自分の欠点などなかなか浮き彫りにされません。

三次元はさまざまな世界から出て来ます。
上にいたから完璧ではないのです。
五次元の者より七次元の者が上にいたから、じゃあ完璧であるか。
そんなことはないのです。

七次元の者でも、五次元の者、六次元の者と一緒にいるうちに
自分の素晴らしいところも気づきながら、でも、やはり自分の欠点
自分がいたらなかったところというのを新たに発見するのです。
それには次元構造など関係ないのです。
次元の高さなど関係ないのです。

未熟な、まだまだ未熟な魂たちが、少しでも完成した
素晴らしい魂に成長していく過程の中において、素晴らしさがあるのです。
完成した、パーフェクトな人間など、魂の誰一人として
たとえ今、九次元の、救世主と呼ばれている方だって
完璧な方など一人もおられないということなのです。

完璧を望むのではなくて、成長することを喜びとし、感謝するということ。
それを、ただただ神に感謝して、私たちは昨日よりも今日、今日よりも明日
少しでも進歩、成長していきましょう。

そのためにともに手を取り合って、ともに励まし合って
つらいときは一人で泣かなくていいのです。
慰め合って、抱きしめ合って、一緒にこの課題を果たしていかれること。

そして、この救世運動のために
まだまだ多くの方がたがこの地上におられます。
その方がたを恐れることなく、呼びかけていってほしいのです。
その方がたに何かされるということではなくて
その方がたとともに何かできるのではないかという希望を込めて
あなた方は新たな人びととの出会いを求めていかなくてはいけません。
ちゅうちょしてはなりません。
それこそが、この者が言う、七色の虹をかける、希望の女神と呼ばれている
希望の天使と呼ばれている理由でもあるのです。
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七色の虹をかけるとは
けっして一人ひとりの霊団のことを深く知っているわけではないのです。
ひじょうに浅く広くと言われるかもしれません。
でも、あらゆる個性の者たちを愛し、その母性の中で受け止め
そして、彼らの使命を、天命を果たすために
もう一度、大空高く舞い上げていく。

そして、みんなで大調和をした姿の中で、神の素晴らしい虹という
未来に対する希望をかけていこうではないか。
そのためのお役をさせていただくのが、このアマーリエという魂の
神より与えられた使命そのものであるということなのです。
わたくしにも与えられた使命であるということなのです。
それをどうか現代の人びとはわかっていただきたい。

けっしてわたくしが、この者が
あなた方より専門的に卓越した知識を持っていたり
抜きん出た技術を持っているわけではないのです。
ただできることは、あなた方を受け止め、励まし
あなた方の天性の力を出すために、お力を貸すために
脇にいるというだけのことしかできないかもしれません。

でも、ひとつの時代精神を指し示しながら、あなた方を励まし
ひとつの神様の方向へ導く、いざなう、そのお役をさせていただく。
それがこの者が持っている力であり
そして、そのために戦っていくものが、この者に与えられた
神より与えられた使命であるということ。
それを今日、わたくしは明かすためにまいりました。

わたくしは今、マリア・テレジアではなく
本体エネルギーとして話をしております。
これがアマーリエの使命であるということです。

わたくしも数々の修行がございまして、ひじょうに周りの方がたに
たいへんなご迷惑をおかけしました。
今世、ひじょうに苦しい思いをしまして、自らの魂を修復したり
自分自身を取り戻すためにたいへんな時間とエネルギーをかけてまいりました。

よもやこのような使命が、このような段階で起きてくるとも
思いませんでしたけれども
今できる限りの力をもって、わたくしができることが、もし少しでも神様の
皆さま方のお役に立てることがひとつでもあるのならば
その残された命をかけましてお役に立たせていただきたいと
今、心からの決意を持っているものでございます。

(2005.9.22 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-29 15:54 | マリア・テレジア | Trackback | Comments(0)

日向(ひむか)からのメッセージ(6)

あなた方の世界から見ると、私たちのようなエネルギー体というのは
ひじょうに漠然としていてつかみにくいのだと思いますが
まあ、六次元ぐらいまでですと、本体、分身の構造という
高橋信次といわれる方がお話になられました六人一組とかいう
そういう理論というのが、やはり通用している
そのような段階もございます。

ただ、私たちのような世界になりますと
ひとつの大きなエネルギー体としての、立場としての仕事をしております。

さまざまな時代に、さまざまな個性を持ちながら地上に行って
地上の者たちを指導しながら、わたしたちの世界にまた帰って来たときに
それは一人の霊人という意識ではなくて
大きな本体霊の中に合流されていく、ひとつの記憶のようなもの
そのようなものとして、その意識の中に統合されるのです。

以前、イエス・キリスト様がおっしゃられていたと思いますけれども
「もう今、ナザレのイエスというような、やせ細った男の姿ではなくて
今はインマヌエルとして、インマヌエルだけではなくて
アモールという本体の中において、わたしは仕事をしている」ということを
おっしゃられたことがあると思うのですけれども。

私におきましても、皆さま方がお呼びになるときに
邪馬台国の卑弥呼、日向として出たほうが
あなた方に認識されやすいということをもちまして
邪馬台国の巫女であった、このような姿、個性をもちまして
あなた方の前に出て来るわけです。

でも、私の本体の意識の中から見たらば
邪馬台国の卑弥呼、日向としての記憶などというのは
ほんのわずかなものでございます。

ですから、地上に通信を送るときは、わざとそのような装束を着たり
そのような姿を見せたりしながら
あなた方に話をするというのがあるのです。

だからこの者におきましても、ギリシャの時代の女神の姿を使ったほうが
まだ、そのようなアテナ信仰というものが現在でもございますから
そのような姿をもって行ったほうが、この者の立場というのが
今地上の者に認識されやすいし
そして、それを通すことによって、この者の使命の特殊性、個性というものが
より明らかにあなた方に理解できるのではないかということをもちまして
私たちはそのような過去世の名前を出すのです。
では、じゃあ、あの当時のギリシャの格好をして上に行って
槍や剣を振り回しているかというと、もうそんなことはしていないのです。

その時代その時代で修行をしてきた、その思い出において、良かった業績
そして、失敗してしまったこと
それは私たちの世界においても、帰りましたら反省というものがございます。
反省をしっかりして
次にまた人びとを指導するときには
どのようなことをしたらいいのかということを
私たちもしっかりと反省と研さんをいたしまして
次の新たな個性をまた出しながら
自分の中にある新たな個性の部分というものを導き出しながら
次にまた別の時代の文明においての指導をするわけでございます。

ですから、またあなた方がこだわるほど
私たちは、たとえばギリシャの時の何女神であるとか
邪馬台国の日向であるとか、そういう、ヘラであるとか
そのようなことにこだわっているわけではないのです。

それもすべてが思い出なのです。
あなた方もそうでしょう。
幼稚園、小学校、中学、高校、地方からこの東京にお出になって
大学出られた方たちもおありになると思いますけれども。

幼少期の時に自分はどのような存在であったか。
どのような学校に行って、素朴に過ごして
自主性の中でのびのびと暮らしていた。
そのような時代がある。
それから思春期を迎えて、東京に出て来て、学生として研さんをした姿がある。
そしていつの間にか、まるで東京で生まれ育ったかのような
シティボーイのような格好をして、東京の中で青春を謳歌した
そういう時代もあったというのが記憶の中にあると思うのです。

でも、そのすべてを、一切を含めて、あなた方はこのような年齢になられて
ひとつの男性として、女性として、人格として
そのすべてをもって今現在がおありになるということではないでしょうか。
その姿を持たれて
私たちと同じであるというふうに思われればよろしいのです。
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小学校、中学の時に、私たちは、かつてアトランティスでどうであったか
レムリアでどうであったか、そのような過去世をまたひとつの経験知として
そしてまた、最近この文明においても、過去世どのような状態であったか
どのような過去世をして、また現在、今このように指導をしているか
そのようなトータルな思い出をもって
それをすべて自らのパーニャパラミタとして、記憶として
今現在の私は、そのすべての記憶、自分の能力も
そして、反省するべき点もすべてを含めまして
あなた方地上の者を指導しようという
そういうエネルギー体として天上界にあるのです。

その大きなエネルギー体の中の一部が
この地上に、肉体に宿るために出てまいります。

その肉体は、あなた方が考えている以上に
肉体というのは、バイブレーションというものは
ひじょうにわたしたちから見ると低いものであります。
粗雑なものであります。

たくさんの高度な精妙なエネルギーが入ると破裂してしまうような
肉体という浮き舟なのです。
ですから、そのようなところに入るのは、ほんのわずかなものです。

まあ、次元によって、その者たちのレベルというのは違いますけれども
私たちから見たら
ほんのわずかなエネルギーの個性を絞り込んで入っていくわけです。

そして、私たちの世界に多くの潜在意識というものが残されております。
ですから、地上にいる者が自分の過去世の意識を話すことは
いくらでも可能であるということです。

あなた方だってそうでしょう。
今四十、五十近くになっておられてね
じゃあ急に、「中学時代の話をしてごらんなさい」って言ったら
しばらく忘れていたけれども
「ああ、中学の時はああだった、こうだった」と
懐かしさを踏まえながら
そのときの経験知というのを話すことがおできになるでしょう。

小学校の時だって相当忘れているかもしれないけれども
幼なじみとどうであった、こうであったという話ができるではありませんか。
それと同じであるということです。

ですから、地上に今わずかなエネルギー体で肉体を持っているからといって
私たちが天上界の意識を地上に降ろせないとか
そのような経験を話せないということはない、ということです。

そういう意味で言うと、逆に言うと、地上に出ていて
しっかりとこのような、この者のように、焦点が合った場合は
潜在意識に同通しておりますので、潜在意識の記憶として
ひじょうにたやすく、逆に言うと、記憶が出てくる
過去世の話ができるというのはあるかもしれません。

ただ、それは本人がしたいかしたくないかの問題で
この者はひじょうに自分の過去世の話をするのは
苦手としているようでございますけれども
でも、まあ、そういうことはできるということでございます。

(2005.7.14 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-27 19:15 | 日向(ひむか) | Trackback | Comments(0)

坂本竜馬からのメッセージ(9)

今日、このレムリアの場所に、また俺が出て来ること、呼んでもらえること
そして、次にまた、明治維新の本が出ながら、俺の人気がある。
呼んでくれるっていうことがどれだけうれしいことか。

もう一度言っておこう。
いつもいつも後ろにいて、「姐さん俺出してくれ、出してくれ」って言うのに
この人はすぐ無視して他の偉い人呼んじまうから
俺がなかなか出番が欲しくても、ない。
そこらへんが、あの高橋信次さんとやらと同じかな。

今日は、新しい人が来ているようだけど
以前にも那須で会ったの、俺は覚えているよ。
それでだ、こないだから、心から思っていたんだよね。
ねえ、あんたに、俺は聞きたいことがあるんだ、あの時から。
ただ言われると、なかなかいろんなことがあるし
あんたの気持ちもいろいろ揺らいでいるだろうから
まあ覚悟が決まるまでと、俺も思ってた。
でも、ひとつ言わせてもらいたいことがあるんだけど。

今のこの場所にね、この時代に、あんたのように立派な肉体持って
この日本のこの場所にいるってことが、どれだけ
俺たちからみたら羨ましいことか、わかるか。
単に俺がやったこと、俺の名前だけに憧れて
ただただ、そんなこと言ってくれるなんて、俺はちっともうれしかない。

もし、俺なんかを呼んでくれて
俺なんかに少しでも憧れてるとか、今言ってくれたなら
俺の生き方をせっかくそんだけ、俺よりよっぽど頭いいだろう。
何か坊さんらしいような、辛気臭いような言葉、いっぱい知っとるだろう。
でも俺は知らない。
でも、ただ生き抜いただけだよ。
あんたたちより、俺が偉かったことなんて何一つありゃしない。
ただ思ったことを、自分の人生かけて、大義のために生き抜いた。
ただそれだけさ。

あんたぐらい、いろんなことを知って学んでいる。
それだけ健康な肉体持ってる。
それだったら、命がけでやれることは、いくらでもあるんじゃないかと思うよ。
俺はそれを、あの時からずっと言いたかった。
今回生まれるっていうことは、どれだけ
もう、どんだけすごい確率の中でこの人生をつかんだかっていうことを
あんたたちはもっと、一人ひとりわかってほしいと思う。

たくさんの人間が生まれたいと志願して
それもこの日本に生まれたいって志願して
みんなクジで、抽選ではずれたのに無事に生まれて
お袋さんの胎内に宿って、無事に出生して
交通事故にも病気にもあわんと、ここまで立派になって。
その挙句、いっぱい魔にやられて、堕ちていった者たちいるなかで
ちゃんと正法勉強して、頭いっぱい、ぎょうさん詰めこんで
ここまできて、ちゃんとこのレムリアの場所にいられるんだろう。

俺たちの時代には、この日本がこれから先
どうなっていくかということを考えて
何のために役立てて、自分の人生を燃焼できるか。
それだけを考えて生きとった。
ただただそれだけを考えて、最後まで生き抜いた。
そういうどあほ者、ばか者だけが
あとで、時代の中で名前残ったのかもしれない。

たいして偉いことしてないよ。
でも自分のこと考えるより、これから先の日本のことを考えて
自分の生活捨てて、自分の人生よりも、未来の日本人のために
未来の日本のために、すべて生き抜くことができた。
生ききることができた。
ただそれしかない。

西郷さんもこないだ出てた。
福沢さんもそうだった。俺もそう。
木戸さんも、松陰さんも、みんなそうじゃないか。
勝さんなんか、特にそうだ。
俺たちみんなそうさ。
難しいこと、なんもわからんさ。
俺に難しいこと言ってくれって言ったって、何も言えん。
でも、坊さんたちが多いから、逆に俺なんかが言えることがあるかもしれない。
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それは、今、言っちょったけど、確かに、なあ、あんたたち頭いいさ。
いっぱい学んでるさ。
だけど、学んでいることよりも、どうやったら今のこの日本のために
今この現状を打ち破っていくために、自らの命をかけて、生涯をかけて
やるべきことを探して、自分に問うて、逃げないで
男として、生き抜くことができるか。
そのことのほうが大事なんじゃないか。
俺はそう思うよ。

憧れなんて誰でもいい。
憧れなんて、いくらでもいるかもしれないけど
そんなことより俺はいつも、俺に夢中さ。
俺は、人がどう思うかなんて、何も考えとらん。
俺が今、何のために、精一杯生きたいか、それだけで夢中じゃ。
いつも、そうやって生きてる。

あんたも一度っきりの人生だ。
今こんなすごいチャンスに、今この日本に肉体持ってるなら
この生きたってことに、精一杯自分の中で答えを探してみろ。

残された時間は、永遠じゃないぞ。
あっという間、俺たちの世界に帰って来るんだぞ。
そのことを思ったら、あと残された人生どうやって生きたら
自分に後悔がないのか、悔いがないのかー。

逃げたってどこにも行けない。
逃げてたってどこにも行けない。
答えを見つけて、答えを探して、その答えを生き抜くのは
あんたしかいないんじゃないかと俺は思う。

それだけ神さんたちに期待されて
これだけ神さんたちに呼ばれて来るような偉い人は
俺なんかより、よっぽど素晴らしい過去世を持ってるっていうことは
俺だって、俺ぐらいだってわかるのさ。

でも、地上の肉体を持ったあんたが「そうだよ」って生きない限りは
どんだけ偉い守護霊さんや、指導霊さんがいたって
あんたが何にもしない。

このままでやって、生きて死んでっていいのかい。
こんなチャンス、ほかにいくらでも転生してった時に
いくらだってあるような人生じゃないぞ。

今のこのチャンスでこそ、腹くくって自分で答え探して
自分でやれる役割を見つけて
それで、自分からその仕事に取り組んで、悔いのない人生を生き抜く。
そして、自分の傷や、自分のさまざまなとらわれ事なんて
一度全部、ゴミ箱捨てっちまえばいいんだよ。

誰だって「ああすればよかった」なんて思ってる。
でも、そんなことにかかずりあうより、今何ができるか
今自分か何をしたいのか。
今、いまの自分をどれだけ燃焼できるか。
その中でしか、生きるっていうことはあり得ないし
生き抜くってことはできないしー。
神さんがくれた命なら
今を生き抜くことしか神さんに対する恩返しなんて俺はないと思っとる。

(2005.4.27 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-25 12:09 | 坂本竜馬 | Trackback | Comments(0)

モーゼ/モーリャからのメッセージ(4)

これからの伝道期の中において、たじろがず
どうか勇気を持って進んでいただきたい。
わが言葉は、常に神の正義を代弁するものであって、本来の正義というものは
神のお心がどこにあるかということを見極めてこそ
正義というものが価値を持つということ。

今までの、民族的な、歴史的な、小さな、小さな価値観に縛られた
正義というもののぶつかり合いの中で不幸を呼んでいく
悲しみや苦しみを生んでいく地球時代はもう終わりを告げて
ひとつの大きな人間神の子としての共通認識の中で
みんなが同じ価値観を持って喜び、愛し合うことができる。
そういう時代を、そういう未来をつくっていきたいのです。

そのために、次の世代の者たちが、今度は国境や、国や、組織や
さまざまな社会機構の大変革を行う者たちが出てくるでしょう。
その者たちはほんとうに捨て身で出てきているのです。

その者たちにバトンを渡すために、ぜひ、さきほどから言っている
この修正された新たな方針というものを伝えていく。
そして、そのために、彼らが動き易くするために、世論というものを
このような価値観の中の問いかけとして動かしていけるような
そこまでがあなた方の使命であるということなのです。

霊言を降ろす場所を魔より護り、ここにおいて我々の言葉を収録し
書籍、CD、小冊子というものを通して
そして、さまざまな集まりというものをする中で
本物はやはり多くの人びとを共感させていき
そして、ひとつ火がつけば社会の中のひとつの現象になるのです。

確かに一度、二度と失敗をしているので
日本の人たちにおいても
ひじょうに用心深くなっているというのはあるでしょう。

でも本物は、必ず最後は多くの人びとの心に残り
そして、求められていくということを私は信じて疑わない。
常に神の子たちというものの愛の心というのは
どんな人びとの心の中にも眠っているものなのです。

そして、もうひとつ言いたいのが、どんな人であれ、どんな世俗にまみれ
物質社会の中に翻弄されている者であれ
自らが自らの人生というものを振り返っていったとき
自分の人生をかけて、命をかけて
何か世の中を動かしていく、歴史の中に名をとどめるような
何か大きなもののために関与できる、そういう人生でありたい
そういう力を発揮する人生になりたいと
どこかでみんな思っているはずなのです。

その心というもの、そこに火をつけるのは、あなたたちの情熱であるのです。
情熱がなければ、やる気がなかったのなら、腹が決まっていなかったのならば
そういう方たちの心に情熱の炎を点火することはできないのです。

その情熱に火を点火していくためにも
あなたたちの心に決然とした意志というものを持って
この光の行進を始めていただきたいのです。

神より与えられた光というものがあります。
天上界より覚悟を決めた、光の愛の戦士たちの中において
あなた方が行進していくのならば、あなた方が死ぬ気で多くの人びとに
愛のメッセンジャーとして、かつての宣教師たちのように
命を張っていく気持ちになったのならば
天上界の光はますますあなた方という地上の体を通して
地上をあまねく光り照らし出すのです。

そうすると、地上に多くの光のパイプが降り、あなた方の体を通して
地上に光というものが満ち満ちていくのです。

それは多くの方がたに愛のメッセージを伝えんと
命がけで光の使者として生きんとして
多くの方がたに聞かれた思いで接していこうとしたとき
あなた方の肉体を通して
天上界から光のパイプが地上に放出されていくということです。

天上界から降りてきた光が、あなた方の体から
今度は横の広がりとして地上を照らしていくのです。

それは多くの方、自分だけがわかればいい
自分だけが悟ればいいという思いではなくて
天上界のメッセージを、神の愛のエネルギーを、少しでも地上にいる
この三次元の仲間たちにお伝えし、ともにわかり合い、喜び合い
そしてこの地上をみんなで手をつないで愛の星にしていこうという
そのほんとうの思いがあったときに
その天上界からの、上から降りてくる光は
あなた方の体を通し、心を通し
この地上に今度は横の動きとして放出されながら
地球全体を愛のエネルギーで包んでいくのです。
神のエネルギーで包んでいくのです。

そういう段階がある意味で伝道と呼ばれているときです。
伝道なくして広がった世界宗教は今までもなかったでしょう。

であるのならば、伝道という言葉をアレルギーのように思うのではなくて
無理な勧誘というような、そのような邪道なやり方はやめて
ほんとうに多くの神の子たちに、仲問たちに感動を与える
そういうメッセージというものを伝えていける、そういう自分たちであろうと
それが今回の、今世の自分の残された使命であると
そのように思われるぐらいの気持ちで伝えてください。

そして、それと同時に
あなた方が今地上で行っておられる職業、その仕事、家庭
そのような場所を通して、あなた方の存在というものを
レムリアの教えのように光り輝かしていただきたい。
それを発信していくことにより、社会にますます根づいたものとなります。
c0171476_10503521.jpg

今は多くの古い流れと新しい流れ、新たな価値観と古い価値観がぶつかり合って
新たな時代の方に発展していくか、それとも古いものの中に
逆流現象のように戻っていってしまうか、それは今はわからない。

でも、物質的な価値観だけが、目に見えない世界などは信じないとつっぱね続け
物質的な価値観だけを力により求めて
他の国をりょうがしてでも支配していこうと思う時代がピークまでいったのなら
必ずや国対国との関係の中において
核兵器というものを使う時代というのがきてしまい
地球人類が滅びてしまうという過程になるでしょう。
でも、それを選び取っていくのは地球人類であるということ。

もう結果が見えているのに
「そのようなことになってたまるか」というぐらいの気持ちを持って
あなた方は地球の同胞である仲問たちに伝えなくてはいけません。

「そのようなことをするために、我々は長い間、地球において
この地上において修行してきたのではないのである」と。

「この神の愛の言葉というものをもち、自らの心の中に神の子として眠る
愛のエネルギーにもう一度目覚め、
自らの神の子の誇りをかけてその光に、光を点火せよ」と。

そして、自ら神の子であるという、神の光に自らの心を点火したのならば
高々とその心を掲げて、多くの人びとに示しなさい。
恥ずかしがることなく、恐れることなく、堂々と「神の子である」と
「神はおられる」と、そして、「私は神の子であり
そして、愛のエネルギーの一部である」ということを
高らかに言えばいいのです。
その姿をもって、多くの方がたは感動をもって受け取られるはずなのです。

そのようなことをちゅうちょしているうちに
地球は滅亡、崩壊の時を迎えてしまうかもしれない。
だから一刻の猶予もなく、そこに気づけたのならば
これだけの書籍ができてきたのだから
それをもって多くの人びとにお伝えしていただきたいのです。

あなた方の中において、今はまだためらうことが多いかもしれないけれども
ひとつの流れとなったのならば、ブームとなるのはあっという間なのです。

(2006.4.22 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-23 17:31 | モーゼ/モーリャ | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(51)

やあ、皆さん、こんにちは。
こんばんは、かな?
高橋信次です。

わたしが呼んだ人だから
責任を感じて出て来たってわけじゃないんだけどねえ。
やはりわたしが呼んでほしいと、わたしの知っている人であったから
皆さん方に呼んでいただいたし
そして、ご苦労をかけたなあと、見ておりました。

でも、まあ、あなた方の今の質問を聞いて
あなた方が頑張っておられる姿というのをねえ
僕はずっと見ていたわけだけども、やはりねえ
こういうことをやっていく場合は
これからも延々と同じことが繰り返されると、やはり僕は思うよ。
僕の弟子たちだって
さんざん同じことがあったし
僕がいたときですらね、僕が生きていたときですら
G会の中でたいへんなことがあったし
僕の言うことを聞かなかったり、TKの言うことを聞かなかったりとか
そりゃいろんな問題があったんだよ。

だから、ああいう、逆に自信があるような人が来た時には、実力のある者ほど
あなたたちのように使命をわきまえて、素晴らしい力となって
レムリアを支えてくれるようになるか、逆に自信があるからこそ
「自分がほんとうは教祖をやりたいんだ」みたいな感じで
引っ掻きまわしてしまうような人がいるか、まあ、どっちかに転ぶ。
どっちを選択するか。

実力があればあるほど、霊的な力や、やはり過去神理を勉強してきたからこそ
実力があるからこそね、その、ある意味で、自信というものがついているし
その自信というものが人格として昇華されていれば、それはいいんだけれども
自信だけがついていって、「我こそは」がやはり出てくればね
やはりこういうふうなかく乱というのが
内部でこういうもめる種になるというのは
これは致し方ないことであって

じゃあ、100%最初からその確率として、悪い人といい人がいるかっていうと
そんなことはないんだよ。
最初から悪い人、最初からいい人なんていなくて
ただ、こういう環境、こういう状況を設定された時に
やはりその人がどういう判断をし
どういう道を選んでしまうかということ。
そのことをもって
その人が、やはりその場所にいられるか、いられないかが決まるし。

そして、さっき話しておられたけどねえ。
質問されておられたけど。
ここの中でずっとやっていくということが、これからも同じこと繰り返して
自分で席を立つということが可能なのか、ということをおっしゃっていたけど
やはり、なかなかこうなってくると自分で席を立つというのは
よっぽどのけんか別れでもしないと出て行けないっていうことがあるよねえ。

特に霊的に、信仰心的にものすごく求める人がいればいるほど
そういう人であればあるほどね、やはり、体面もあるし、プライドもあるし
そして、ここにつながって神様の世界をやりたいって思う人は多いし。
そんじょそこらで
これだけの霊言っていうのを降ろせるとこっていうのはないからね。
ほかにもちょこっとばかり降ろす人はいても
これだけ、とうとうと我々の言葉を降ろして聞かせてくれるところは
ないはずだから。

やっぱりそういう意味においても
「レムリアは面白くないけど、アマーリエさんは面白くないけど、
でも霊言だけは聴いていたいから」っていう感じで、離れたくないって思った。

前の連中だって、みんな同じだろう?
そうだろう?

この人のこと悪く言いながら
それでもこの人が降ろす霊言だけは聞いていたいと
霊言だけは我が物にしたいって思ってたじゃないか、彼らだって。

そういう意味では、霊言というものに対して興味を持って
霊言というものから離れたくないから
自分の本心引っ込めてでも、猫なで声出してでも
ここのレムリアにいたいと、なあなあで収めてしまおうと
丸く収めてしまおうと、まあ今回、彼も思ったと思うよ。

でも、実際に君たちが見極めていたように
おなかの中の言葉というのは違うしね。
たいへん残念なことだけど
やはり「呼ばれる者は多いけど、でも神の国に入る者は少ない」というのは
昔から言われていることだよ。

聖書の中にも書いてあること。
呼ばれて来る者は多いけど、残っていく者はやはり少ないし。
それだけレムリアの仕事というものが、この救世の計画が、それだけのね
君たちの全人格をもって、過去世の今までの修行のすべての総決算でもって
この仕事をしていると、繰り返し言われているだろう?

それの意味っていうのが明かされているというか
魂をほんとの意味で見極めさせられている、ね?

実際やってみたら、お粗末な中身であったということを露呈してしまう。
そういうことがやはり見えてしまう。
それはこういう実践の仕事、最先端の仕事にいれば、言い訳もきかないし
外の人に対しては適当に嘘でごまかすことはできても
実際にこういう霊言の場所に立ち会えるかどうかは
もうそれだけで濁っていたら弾き飛ばされてしまうということ。
そのことをもって、魂をいかに純粋に保たなくてはいけないかということを
まあ、みんなも一緒に学んでいくということだね。

だから、最初から絶対こうしなくちゃいけないとか
こうすれば絶対にこういうことはもう二度と繰り返されない
というようなことはないわけであって。
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天国と地獄ってよく言うだろ。
「天国も地獄もひとりの人間の心の中にある」って、僕教えたじゃない。
「人の心、一念三千」ね、天台さんが言ったように
一念三千の気持ちの中の
心の針の向くところで、天国もあれば地獄もあるんだ」ということを
それを僕は言った。
それがみんなの心の中にもあるんだよ。

いつも、いつも地獄を向いている人はいないよ。
その瞬間、彼もそう思ったんだよね。
だけども、地獄のほうを向いてしまったら
霊言の場にはいられないよ、ということでしょ?

だからそれを見てて、地獄を見るんじゃない、天国の方向を見て
常に自分たちが清く美しく
思いにおいても神の心に共鳴できるような波動として
自分が人格者として生きようと心がけること。
それを持っていれば、君たちも学んでいる原因結果の理論の中でね
良き種をまけば、良き美しい花が咲き、良き実を結ぶんだよ。

それと同じで、やはりどこかに悪しき種をおなかの底に持っているから
それが芽を吹いたんだってことを、昨日この人たちが話していたけども
やはり、彼の中でも心の奥底には、「自分が教祖様になっていきたい」と
「自分が、自分が注目を浴びたいんだ」と
「自分がやれることはこんなにいろんなことがあって
自分はこんなに宗教遍歴をして
信次先生にも呼ばれて、実力があるんだから」というふうに思っていった。

それがいい意味で、じゃあ実力があるのをもって
レムリアを盛り立てればよかったんだけど、やはりそういう意味で
「自分が」というのを引っ込められなかった。
まあ、あなたたち流で言う、無私の思いになれなかったという
それが結果だと思う。

でもこれはね、十人、百人来たら、百人、千人来たら、みんなその場合
その人の個性とその人の状況に応じてね、やはり出方
どういうふうに判断して
どういうふうに対応したらいいか、対処したらいいかっていうのを
全部、対処の仕方は、その人によって違うと思うんだ。

だから、ひとつのパターンだけをつくって、またそれを教条主義的に
「こういう場合は、こういうふうにしたほうがいい」
「魔はこうやって、こうやって手印をもってこうやったら、封印できる」とか
すぐこう、キリスト教でもなんでもこう、パターン通りにして
災難というものを避けようというマニュアルを君たちはつくりたがるけれども。

やはり「その場その場に応じて誠意を持って」
それを日蓮は言っているんであってね。
当事者を含めて、最後まで話し合いの中で全部解決しなさいと
そういう意味での話し合いではなくて、君たちが成長するための
それで、もし本人も参加できるのであったら
話し合いという場所を持ちながら
互いにそれを通して成長して、見極めていきなさいという
そういうことを言っていたのであって
絶対その話し合いの民主主義みたいな中で
多数決で「じゃあ、この人、除名するかどうか」ってことを決めるとか
そういうことでもまたないしね。

最後は、結果的にああいう人はね
やっぱり、まあ今までの人もそうだっただろうけど
アマーリエさんがきつく言わなければ
やはり言うことをきかないっていうことはあると思うよ。
何だかんだ言って、やめたくないわけだから。
やめたい人だったらまた別だけど、やめたくないっていうのが大半だと思うし。
その上に、あの性格を見ているとね
普通の人ではなかなか説得させることもできないと思うよ。

だから、そのためにこの人いるんで
この人も「悪役をやるためにわたしはいるんです」ということを
昨日も言っていたけど。
まあ悪役というか責任者というかね、この責任者はその責任を負うんだよ。

で、こういう人が来て、内部攬乱をされて
このレムリア号を沈没させたのなら
そしてこの最後の救世の計画をつぶしたのなら
結果的にやっぱりその、船長さんであるキャプテンが
責任を負わなければいけない。
これは我々の世界ではもう、これはしょうがない常識であるというか
ルールなんだよね。
だから、その意味において
この人はレッドカードを出す権限も持っているということ。

(2005.10.15 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-20 12:03 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

日向(ひむか)からのメッセージ(5)

いつか、天照様とも申しておりましたけれども
日本の地を今ひとたび、女性の指導者の手において
柔らかな調和ある大調和の中に
今一度返していくときが必要であるというふうに
昨今の日本の現状を見て思っていたのです。

どうも、ぎすぎすとした、ごつごつとした、そのような波動の中で
力による、力の明け暮れの競争原理の中で
日本という国はすっかり精神的に荒廃してしまいました。

戦後の日本ということを考えましても
そのような経済大国にはなりましたけれども
そこまでは確かに男性霊が頑張られたのですけれども
日本本来が大和の国としての美しさ、気高さ、それは大調和の
愛と赦しと自然と一体になった姿の中にあったのです。

この大和というこの日本という土地から、国から
神の法が発信されるということは
大調和の原理をもって発信されなくてはなりません。

それにはあまりにも、あなた方お坊様方は
知で競い合うことによっての戦いということに
神のお心というものをすり替えてしまったように私には見受けられるのです。

ですから、高い法の極みという
高さというものが今は降ろされる時代でございます。
それは大事なことでありますし
どうかどうか男性方、お坊様方、頑張っていただいて
法の再編纂をやっていただきたいのでございますけれども。

かたや、とても何やら抜けていて
何やら無邪気にしか見えない女性であるかもしれませんけれども
その懐には大いなる母性というものが眠っているのです。

母性という、愛と赦しという気持ちの中で、あなた方男性方をすべて
そこの胸の中に包みながら、あなた方の知恵というものを
あなた方の才能というものを、魂の力というものを
それぞれに発現させ、生かし、この地球改革の大救済計画のために
一人ひとりを伸ばして生かしめていくという
その大地のような愛ある母性というもの。
これは女性の力なのです。

女性がいるところに不調和な競争原理というのはないのです。
この者が言わなかったとしても、男性たちだけで
あのようなネットでの争いがあるでしょう。
全部、この者のせいにしておりますけれども
それは、言っている者たちの競争原理のぶつかり合いでしかないのです。

それを、やはり多くの宗教、多く立場を違えた者たちが
これからも多くのこと、自分たちが正しいと思う方たちが
自信のある方たちがやって来られるのです。

その中で、彼らすべてをまとめあげて
彼らを大いなる力の中で、ひとつの方向の中にまとめあげていくというのは
男性指導者ではできないことなのです。

やはり女性の、愛と赦しと母性という気持ちの中で
あなた方、優秀な男性たちを、その胸の中、しっかりと抱きとめて
この者はあなた方の計画というもの
あなた方の力というのを引き出していかれることでしょう。

その中でしか、この最後の計画というのは成功しないと
私も天照もそう思っております。
であるからこそ
この計画に女性の指導者が必要とされたという経緯があるということ。

でも、それは古代のわたしたち、原始農耕社会における
太古のシャーマニズムというものとは明らかに違う
シャーマニズムであるということを私は今日は説明させていただきました。
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この母性というもの、女性霊の愛ある受容性の姿というもの
愛と献身の姿というものを
また次の女性論のときにお話しようと思いますけれども
女性の本質というものは、愛の中における献身的な愛の姿にあるのです。

私たちのような霊的な女性の指導者というものは
以前もチラッと申し上げたことございますけれども
けっしてイニシアチブをとるための
自分が前面に出るための指導者ではないということ。

この者が今霊言をとっている姿を見れば、おわかりになると思うのです。
あなた方は受け入れていくよりも
男性方は物事を自分の中に受け入れていくということができないのです。
エネルギー的に無理なのです。
行動的なる陽、明るい陽性の原理を持っておられるのです。

女性というのは、静かに、静かに相手の存在を自分の中に受け入れていきます。
最大限の受容性。
普通の者はエゴが出て
とてもそのように神をトータルに受け入れていくということはできないのです。

でも、女性霊で高級霊になっていくと
大いなる受容性、最大限の愛による受容性ということにおいて
その愛と献身の姿において
最大限の神のエネルギーというのを自らの体の中に入れて
このように霊言を発することができるということ。
それに女性原理が尽きているということ。
これが女性の本来の姿であるということ。

陰陽という言葉があるのならば、陰と呼ばれているところにある女性本来の
女性エネルギーの姿があるということ。
そのことをどうか、あなた方は学んでいただきたいと思うのです。

それが、女性の高級霊と呼ばれていた者たちが
みんな霊言をとる力を携えているということ。
最後はその力を持っているシャーマンと同等になっていくという
そのような原理になります。

天照様におかれましても、当然、霊言をとられました。私もそうです。
フランスのジャンヌ・ダルクと言われる方も、神様の姿というものを
指導というものを直接ご覧になっておられます。

トータルな意味で、自らのエネルギーにおいて
愛と献身における受容性というもの
それを自らの中に悟りとして深めていったときに
女性の高級霊は自らを霊媒とし、シャーマンとし、神の言葉を受け入れて
この地上にお伝えするという役割を担っている。
それが私たち、女性霊の指導霊の姿であるということ。
そのことを今日、申し上げておきたいと思います。

(2005.7.14 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-17 19:06 | 日向(ひむか) | Trackback | Comments(1)

マリア・テレジアからのメッセージ(6)

女性の幸せというもの、母としての幸せを抜きにして
女性霊の幸せというものはないとわたくしは断言できるのであります。

ですから、今回は普通の、当たり前のところで
当たり前の女性としての幸せを望みました。
その中において、自分は何ができるかということ。
それを自分に常に問いかけてきた人生でもあったと思います。

でも、まあ結果的にこのような状況になりまして
わたくしのような者でも出て来いということになりましたので
わたくしはこれから自分の過去世、いろいろ学ばせていただいたもの
総力を挙げてこの者を援護しながら、この地上での生命というもの
神により与えられた役割というものを果たしてまいりたいと思います。

この者は、私の生命体における本体のエネルギーでございます。
本体エネルギーの者が出ております。
それは、アマーリエという名前を使っておりますけれども
この者が神より与えられたものは愛の女神であるということ。
そして、七色の虹をかける者という、その役割を与えられているのです。

愛というものが神の愛のエネルギーそのものであるということ
それを明かされた今におきまして
愛というものはイエス・キリスト様が愛というものを説かれました。
でも、それは普遍的な意味においての愛でございました。

そして、そのような根本法のような愛ではなく
私のような、この者が説くものというのは
現実生活に即した愛というもの、まあ、一女性の姿を通して
女性霊を通しての愛のあり方というものを社会に出していく。
そのような、逆に言うと、それが一人の、一介の女性である妻である
そして、母親であるという、愛の表現としての愛というもの。
本来、男女というものにおきまして
母性というものを神より預かっております。
その母性を通して男性方を包み、女性の母性をもって男性方をまとめあげ
時代の、ひとつの時代精神というものをつくっていく、謳い上げていく。

そして、このような時代に
やはり男性のいろんな方が出て来ていざこざを起こすのです。
そのような時に、女性の母性をもって、そのような男性方をまとめ上げて
男性方に素晴らしいお仕事をしていただくという
そのような役割というのが、やはり時代精神の中における
女性霊としての究極の姿でもあるということ。

そして、女性というものが、ひじょうに受容性に満ちているということをもって
このように霊言をとる能力というものが男性よりも優れている。
そのような受信能力というもの、「受信」と言いますね
それは全面的な受容性ということなのです。

男性はどうしても、こうあるべしという理念が先に入ってしまう。
そういう意味において、受信能力はやはり落ちているということなのです。
受信をするということは、自分の思いが入らないということ。
これからしゃべろうとする霊人の思いを
なるたけ自分を無にして、受け入れて伝えていく。
そのような意味において
巫女というものが女性たちに多いのもそういう意味なのです。

役割として女性霊が巫女という仕事を授かっている
役割において多いのも事実であるということをもって
女性の特性であるということ。
たまたま女性という特性を持って、愛というものがなんであるか
そして、その延長には、だから夫婦愛というもの
そして、親子愛というもの、そういうものも通しましたけれども
究極的には
まあ、この間、マヌ様が出て来て男女の法というものを説かれました。

これはやはり、この者の縁生を通して、男女の法というものが説かれたのです。
ということは、男女の法という部分においての、男女の、まあ、情念も
普遍的な愛というものに通しましても、やはり愛というものを授かっている
役割として表現していくということを授かっている。
そのような多様な部分において愛というものを表現していく。
そのような役割が、このアマーリエという者には神が与えられたものとして
いや、使命としてあるということなのです。

ひじょうに普遍的な愛という、イエス・キリスト様の説かれたような
人類愛のようなそして、この間、アモール様が説かれたような
宇宙の根本的な愛というものを説くような格にはございませんけれども
日常的な、この三次元の人生に即した
生きた愛というものの学びというものについて
わたくしなども、時代精神の中において
母性を通してわたくしのような形を通しても
愛というものを伝えていきたい。
女性指導者としての愛というものが、どういうものであるかということ。
母性というものがどういうものであるかということを
時代の中で表現してきた。
それがわたくしという魂のグループの持っている
魂の使命というものでもあると思うのです。
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そして、これから数々の者たちがやって来るでしょう。
それと同時に数々の抵抗に遭うことでしょう。
現代の科学、唯物思想的な、その究極の今の時代の中において
霊的な価値観の革命というものを起こしていく。
その中において、ひじょうに多くの抵抗に遭うのも目に見えているのです。

その中において、正面からぶっかり合うよりも、女性の愛というものを通して
神が愛の根本エネルギーであるということを通して人びとに伝えていく。
女性の愛という姿を通して、母性愛というものを通して
わかりやすく神の愛というものを中継しながら、解説しながら
この者はこれから愛というものを伝えていくことでしょう。

この愛というものが説かれていくことをもちまして
後の世から、レムリアというものが、愛の時代、愛の世紀というものが開いた
そういう運動の先駆けであったと
愛の時代というものがこれから訪れてくるということ。
そういうふうに言われてくる時代が、のちの世にくることでしょう。

愛を語るもの、それは普遍的な、神のエネルギーが愛の法則であり
愛のエネルギーである、その愛のエネルギーこそが
宇宙すべてを貫く根本的なエネルギーであるということを
わたくしたちはやっと学ばせていただく段階に来たのです。

ということは、キーワードは「愛」であるということ。
だから先ほどから言うのです。
地上の修行というものは、わたくしたちが愛というものを学ぶために
大事な、大事な愛というものを学ぶために
あなた方は、私たちは地上に生命を受けたのですよと。

それを、ほんとうに愛というものを深く学ぶために、修行するために
数々の人間関係、国家体制、宗教もすべてが与えられてきた。
そのような教材であり、資料であったということ。

そして、もうそれを卒業していくから
新たな、もっと大いなる価値転換の中で
高次元の愛というものを学ぶ段階に入りましょうという
そのような霊的な愛の世紀が始まるということなのです。

(2005.9.22 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-16 18:15 | マリア・テレジア | Trackback | Comments(0)

イエス・キリスト/アモールからのメッセージ(3)

霊言集とかで我らの言葉を伝えることにより
または、ホームページなどで見ることにより
あぁ、私たちも皆、同じ神の子であったのだと
光の化身であるのだと思って
自らがその愛の化身であることに気づき
神の子であるということに気づき
一人ひとりが、神の子として本来の姿に生まれ変わっていくことをもって
愛の伝道者と言います。
愛の担い手と言います。
そのことがいちばん大切なことなのです。

おなかを空かせ飢えているからといって
水やパンをいつまでも配っているのが
けっして愛ではないでしょう。

飢え死にしかけた時には、確かにその時に水とパンを与えることが
さしあげることが
その方の命にとって愛ある行為となることもあります。

でも、長期的に、長い間、この方たちにとって、どのようにすれば
いちばん愛ある姿かといったら
ひとつの井戸を掘ってさしあげることかもしれない。

水を与え、その水でもって、あなた方は稲作をするのだよ
食べ物をつくるのだよと言って、教えてあげることのほうが
長期的に見たら、その方にとっては
自立支援していくための愛ある行為だということがあるでしょう。
であるならば、あなた方がやろうとしていることは
ういうことなのです。

一見、もっと安易な、愛の配り方があるかもしれない。
でも、あなた方が今降ろし、霊言集として出そうとしているものは
その時は、すぐには効き目がないように思うかもしれないけれども
この霊言集の、天上界の言葉をもって
多くの人びとがその書物を読むことにより
自らの神性と、自らが神の子であるということ
自らの尊厳ということに気づいていくことにより
一人ひとりが、その気づいた時より、未来永劫に向け
神の子としての愛の化身として、生まれ変わっていくということ。

その瞬間が訪れるという、魂の歓喜の時がくるということ。
そしてほんとうに神の子として、自らを信じられた時に
彼らは光の化身として、今度は愛の担い手として
他者への愛を伝えていく伝道者となっていくのです。
そのようにして、愛というのは語り伝えられ
光というものは伝えられていくのです。

ですから、今やっていることが、まだるっこしく思うかもしれない。
今やっていることがどれほどの価値があるのか
もっともっと世間で見た慈善業のようなことのほうが
より愛深い姿ではないかと言われることもあるかもしれないけれども
ひじょうに遠回りで、地道な作業のように思われるかもしれないけれども
今、天上界よりの扉が開き、我らの言葉が直にこのように降りるときに
この霊言集を、この我々の言葉を地上に降ろしてくださるということ
そのことのほうが長期的に見たのならば
どれだけ数多くの魂を救っていくか知れないということ。
その意味をもって、あなた方の仕事を受け取っていただきたい。

霊言集を降ろすということ、霊言が降りるということ自体も
この時代の中におき、かつての時代から見ても
これほど立て続けに霊言が降りることはないけれども
我らの言葉を、直接この地上に降ろすこのチャンスに
少しでも多くの言葉を、明快な言葉を使い、ひじょうに日常的な
多くの人びとの目線に合った言葉として
納得できる素朴な言葉を使いながら
より明快に我々の意思を伝えていくということ。

その言葉を学ぶ人びとの、人目の多さということを考えると
易しい言葉を使いつつ
多くの人びとへのメッセージを伝えていくということ。

そのことが、のちに書物となって残ったときに、時代を超えて
次々と多くの人びとに
我々の天上界の意思ということを伝え、彼ら自身がその書物を読み
一人ひとりがまた、神の子へ、神の子へと気づいて
自分が本来、神に生かされた愛の化身、神の子であると知り得て
それを信じて、その自らが変身したとき
神の子としての自分自身に変身していったとき
その魂は光り輝き
時代から時代へと連鎖反応的に人びとが生まれ変わっていくのです。

それをもってなくしては、この地球を、今の戦争や、争いや、貧困や
様々な悲しみ、苦しみの差別の中で、乗り越えながら
愛の星にしていく道は切り開かれないのです。
c0171476_12472096.jpg

ですから、とても、今さら愛と思われるかもしれないけれども
信仰の世界も、この宇宙も、この世の中も
すべてが愛により、愛に始まり、愛により終わっていくのだということ。

愛は循環し、愛は未来永劫に、永遠に流れ続けていくということ。
愛なくして、いかなる者たちも幸せにはなれず、愛そのものの奔流の
枝分かれした自分自身が神の子であり
愛の化身であるということに気づいたのなら
自分を愛するように、他者を、身のまわりの者たちを
地球の生きとし生けるすべての者たちを愛していく。
その姿が当たり前になってくるはずなのです。

その時にはいかなる差別も、悲しみも、苦しみも消えていくのです。
自然に消えていくのです。

そのような星にするために、どうか、私に力を貸していただきたい。
愛を伝えるということに臆してはなりません。

愛を伝えていく、自らの使命というものを正面から受けとめ
このレムリアを中心に神の霊言を世に伝えていくということ。
霊言集を広めていくということ。

そのことをもって使命となされ
けっしてそれが
多くの人びとの悲しみ苦しみを救うことが、離れていることと思われず
今あなた方がおやりになることが、最終的には、多くの人びとの苦しみや
悲しみを救っていく大いなる力で、手段であるというふうに神は思われ
天上界はそういうふうに考えて、今の計画を降ろしている。

大切な、大切な計画の中に、あなた方がおられるだということを
どうか理解していただきたい。

(2005.5.14 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-15 19:09 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(1)

モーゼ/モーリャからのメッセージ(3)

歴史の中において、明治維新を行った坂本龍馬たちのように
時代の端境期というのがあります。
今はまさに、今までの古い体質から、新たな地球の
宇宙時代への幕開けという大きな流れが
ふたつの流れがぶつかり合っている時代なのです。

今までの従来の体質、物質文明中心できた流れから
これからは地球人類がみな神の子であるという、その自覚に基づいた
宇宙を見据えた上での地球、神の子の一体化した共通価値観の中における
新たな霊文明の発展というものを通した、神の子たちの生まれ変わっていく姿。

それはもう一度、「自分たちが神の子であった」と
「愛のエネルギーの一部であった」と
「最初からそうであったのだ」と再認識し、気づいていく。
そういう生まれ変わっていく、再生していく
ルネッサンスの、その時を迎えるということ。
その時に血は流れることはない。
戦争、力によって支配し
軍事兵器をもってこのような革命が起きるのではない。
あくまでも心の中における精神革命であるということ。
それを人類が選び取ることができるか。
その価値観を持つことができるか。
それが人類に課せられた最終的な課題でもあるのです。

それを指し示し切った上で人類が失敗したのならば
違うほうを選び取ったのであるのならば
我々も第三の計画を発動しなかったのです。
指し示し切ることがなく、人類に対して、その課題を提示することなく
途中で挫折してしまったから、我々は、あなた方に第三の計画を発動し
人類にこのメッセージを、この価値観を提示するという行動に出たのです。

でも、それを力の限りに伝えていく、パワフルに伝えていくということは
大切な、大切な仕事であります。
そして、あなた方の頑張り方次第によっては、大きな地球規模の
ほんとうに地球人類の神の子たちが根底からみんなで
草の根から手を取り合って
一致団結してこの地球を守るために、地球時代の将来をつくっていくために
生まれ変わり立ち向かっていく、感動的な劇的な瞬間を迎える
そういう可能性もあるということなのです。

戦争により、力により支配をしていく。
それが神の、神の代弁者としての正義ある姿であると
もし言うのであるのならば
その答えはどうなのかということを人類に問うているわけです。
力で支配するということ。
そのようなことは、何も内側から満足した結果というものは
導き出せないということを
あなた方はもっと認め、学ばなくてはなりません。

これから多くのことが起きるでしょう。
でも、命をかけて大改革をしていくのは
あなた方の次の世代の、若い子たちの世代にあります。
その彼らに引き継ぐのがレムリアの仕事でもあります。

本来曲がってしまった法を整え
そして我々のメッセージ、そして第三のというか
今回の救世の大計画というものの全容
概要というものを地上の者たちに提示し
伝え、そして新たな価値観をしっかりと、正しい価値観を伝えていく。
伝道していく。

そのごちそうを地球の神の子たちに示したらば
あとは地球人類の者たちがどちらを選び取っていこうとするか
その先駆者として、あなた方がその模範を見せていかなくてはなりません。

このように、神のメッセージを聴いた者たちが
どのように感動的な神の使者としての生き方ができるか。
それを多くの人びとは見ていると思います。

あなた方の生きざまを見て、多くの者たちは、ここにこそ神があり
神の使者ここにありと感動するような
そのような生きざまをしていただきたいのです。
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それはけっして
もうお坊さんや、修道士や、修道女であるということではなくて
あなた方が普通の当たり前の地球人として、バランスある生活をしながら
そこにおいても普通の生活をしながら、そこに神の子としての、神の使者として
普通の当たり前の姿の中に
神性というのを宿した愛豊かな生き方ができるということ。
あなた方のそれぞれの個性を通して、生きざまとして見せていただく。
その姿に感動して仲間が集まってくるということです。

これから、世界に対する大伝道期というものがきます。
それは無理に会員を増やしたり、無理な勧誘を行っていくのではなくて
多くの人びとに愛の言葉伝えていく。
ただただ無心に、無私な思いで伝えていく。
そのチャンスを少しでも多くの方々へ提供していくという、その姿なのです。

多くの団体がやっているように信者数や建物や
ビルやそういうものを維持するために
金をかき集めるというわけでもなければ
それでお金を儲けようとするのではなく、少しでも多くの人びとに対して
この我々の、天上界の言葉というのを聞いていただくことは
純粋に、純粋に神の言葉を伝えていくということに喜びを持てるはずなのです。
その姿をもって多くの方がたが集まってくるということ。
そういう段階がくるということです。

レムリアは組織を持ちません。
そして支部とか、そういうものもいらないけれども、みんなで助け合う
ネットワークのようなものをつくっていただきたいと思います。
大阪地区なら大阪地区、東京地区なら東京地区
それぞれの、自分たちの住まう静岡とか、あと九州とか、北海道とか
今はまだ駆けつけてはいない方がたも
話をすればそういう方がたが来られると思います。

ですから、霊言をとる、こういう内輪の会以外にも
今ネットの向こうで興味を持っている方がたを
フランクに受け入れていくような
そういう集まりをしていただけたらいいかなと思います。

その上で、その地区の方がたにも手伝っていただきながら
さっきの図書館での伝道も、あなた方の数だけではなく
日本中にいる、普段霊言を聴く場には来られないけれども
自分の地区で何とかお手伝いをしたいと思っている方がたに対して
そういう方がたの手も借りて広げていくということ。

そのうちに、一人でも多くの方がたの縁を通していく中に
多くの方がたと出会っていくことができるのではないかと
そして、多くの神の子たちの手に
あなた方のメッセージが伝わっていくのではないかなと
そのような期待を持っているのです。

(2006.4.22 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2014-12-13 11:59 | モーゼ/モーリャ | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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