地球を愛の星へ

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エル・ランティからのメッセージ

我はエル・ランティなり。
はるかの昔よりこの地上におき、あなた方の進化発展の歴史を、その任を受け
あなた方を指導してきた者である。

エル・ランティとしての我が言葉を語ることは
この者に伝えてより久しくなろう。
今我がここに、そなたたちにこのメッセージを伝えるということは
我がこの最終計画における責任者としての立場を
今あなた方に伝えるために参りました。

この最終救済計画のためにわたくしは、仏陀、エル・カンタラーの意識より
この任の責任者を預かり、この計画の最終的な責任をこの地上に
そして十次元以降の神々に対して責任を負うために
わたくしはその任を受けさせていただきました。

あなた方におかれては、たいへんな、たいへんな試練の中におき
任を受けられたと思う。
その重責の中において我らが下したる命令により
あなた方がどれだけのプレッシャーの中で
この今の任に当たっておられるかと思うと、たいへん申し訳ない。

しかし、今このレムリアの計画において我らが任を携えるしか
この地球を救い、新たなる愛の星へと
次元を上げていくということはかなわないということ。
そのことを思い、どうか命がけでわたしたちの手助けとして
あなた方が力を貸していただけることを
我は心からあなた方に願い、切に思うものです。
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我が名はエル・ランティ。
かつてヤハウェと、エホバと、アッラーと呼ばれていた者。
はるか昔、ベーエルダという星よりこの地上に生をもち
多くの者たちをこの地上に連れて来たものです。
ミカエルをはじめ多くの天使たちを連れ、この地球という星の依頼を受け
そしてこの地球という星を愛の星に変えるため
進化発展のためにわたくしは、この地上に招霊されたものなのです。

わたくし自らがこのように地上にメッセージしたということは
初めてであるということ。
わたくしはこの地上に直接メッセージする者ではなく
根源神として数々の宗教を指導して参りました。
そのことを思うと、わたくしのエネルギー体を
今あなた方に肉声として伝えることがかなう状態になったということ
そのことを今までの地球の歴史から思うと奇蹟に近いことであると思います。

あなた方もお聞き及びのことでしょうが
エル・ランティとしてわたくしが第一に興した計画
まあ第二の仏陀の計画が一番のメインでした。
わたくしエル・ランティが高橋信次という名によりこの地上に受けし命
第二の計画、仏陀につながれ
この救済計画がこの地球を愛の星と変えていくのであるのならば
わたくしが少々高橋信次として取りこぼしたものなどは何の意味もなく
何の落ち度でもないというふうに思っていたのです。

しかし第二の計画が、まさかこの救済計画が、魔軍によって落ちし後
新たな救済計画、最後の計画というものが発動されたということ。
それはひとえにひとえに、この者に頼るしかなかったということ。
ミカエルがこの計画を発動することを願い出た時
聞き及びであったと思うのですけれども
我々の間でもひじょうな動揺が走りました。
果たして第三の計画を発動してよいものか。
それとも第二の計画のまま、みすみすこの地球の終焉を迎えてしまうのか。
わたくしたちは悩みに悩み
そして第三の計画を発動するということをもって、最後の賭けに出たのです。

サタンが悪いとか、サタンが勝ったとか、我々が負けたというような
そういうことではなくて
地球進化の歴史の中において我々が学んだことの評価が
今下ったということなのです。
我々がほんとうの意味で神の子であるということを
我々が少しも学んでいなかったということを
結果として暴露してしまったということ。
それを最後、でもそれでも修行場としてのこの地球を投げ出す前に
最後の、最後の努力をしてみようという話し合いになり
第三の計画を発動し、第三の計画を発動するには
十次元以降のエナジーの補助を必要としたということ。
それを、我々は十次元以降の意識に願いいで
今回の発動の許可をいただきました。

その段階におき、エル・ランティというわたくしが
この計画の責任者ということを請け負ったという次第があるのです。
あなた方は、なぜにこのような第三の計画がおきたのか
あまりにも急な、唐突なことのように思われるかもしれない。
でも、我々にしてみたらばこの地球という
この文明を救うための最後の手段であったということ。
そのために我々が命がけになり
この救済計画のために数々の手段というものを用意したということ。

そのひとつの中に、この方に魂の修正をし、そしてマヌに地上に行ってもらい
この通信塔というものを高く打ち上げることにより
我々もどのような結果により、どのような通信手段により、アンテナにより
我々の言葉を受けられるかわからないけれども
この我々の言葉を受けてもらい
地球的な意味における精神文化の革命というものを興すことに
最後の、最後の望みをつないだのです。

だから、我々もいったい何が起きるかわからなかった状態であったということ。
それはこの方におかれましても、この彼女におかれましてもたいへんつらい
つらい試練の日々であったと思うのです。
しかし、思ったよりもこの第三の計画におきましては
我々が想像していた以上にプラスの方向に流れているのです。
たいへん素晴らしいアンテナが立ち上がり
我々の言葉を縦横無尽に受け入れられ
それどころか、我々の惑星以外の通信に対してもキャッチできるというような
アンテナが高く上がったということ。

そのチャンスをもって、我々はまた思いました。
どうかこのチャンスに、今までのマイナスにしてしまったことをすべて補い
かつ新たな地球文明に対して
地球という修行場が、どうかお役立てできるような
そのようなプラスの方向にまでもっていけないかと。
マイナスを取り戻すということだけでなく
マイナスを取り戻しゼロにするのではなく
ゼ口から先のプラスにできるのではないかという方針がまた
打ち出されたということなのです。

この方は何も知らないのです。
そのような方針があったということ。
そのような許可のもとにこの方は出ていないのです。
だから何も知らない。
我も何が起きるか、状態を見なければ何もわからなかった。

しかし、素晴らしい結果が降り
まさにここにおいてマイナスのエネルギーを取り戻し
プラスの方向に転向させるベクトルが出るのであるのならば
あなた方は命がけになってこの方の補助をし
プラスの方向にもっていっていただきたいと、わたくしは心から思います。
でなければ、地球はもうとっくに滅びていた。
今回の文明は、すべてが海中に没していたという事実があるのです。

あなたが日々平和で楽しく幸せに暮らせている。
夢を追い続け、おいしいワインを飲んで暮らせるという生活は
もうとっくに失われていたということ。
その夢を、幸せをつなげるためにも、人類の未来をつなげるためにも
今少数であるあなた方の努力が必要であるのです。

けっして魔も手をこまねいているわけではない。
このような状況にさせていくのは、魔も考えていなかった。
彼らは勝ったと思っていた状況の中にいて、第三の計画が立ち上がり
彼らも思っていなかった方向で、その展開がなされているということ。
そのことを思うのであるならば、彼らも気づき
今命がけで反撃にかかっているということなのです。

058.gif 十次元以降の意識: 惑星に宿っている意識体
恒星に宿っている意識体または銀河に宿る意識体などのこと。
マヌ: 地球霊界における最高次元(九次元)に存在する人格霊。
アマーリエの魂のパートナー。
エル・ランティ:エホバの神やアラーの神などとして天上界より指導。
現代日本に高橋信次として初めて肉体を持ち、正法神理を説いた。
第三の計画、レムリア・ルネッサンスの最高責任者。

(2005.2.19 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-28 08:51 | エル・ランティ | Trackback | Comments(0)

平塚らいちょうからのメッセージ(5)

地球の流れの中、歴史の流れの中は
トータルなエネルギーの流れというのがあるのです。
ですから、アメリカを別に弁護しているわけではないのですよ。
だけれどもイスラム圏を通しまして
やはりあのようなエネルギーがあのエリアには溜まっているということ。

そして、アメリカはアメリカとしての行き過ぎた結果をもって
自分たちの罪という結果を、墓穴を掘っていってしまうのですけれども
それだって、最初からアメリカが滅びると神々が決定されて
あの文化を興されたわけではないのです。

ただ、行き過ぎた自由というのが、他者に対する干渉や
そして守ってあげるという名のもとにおいて
大きな干渉というものをしていく。
それが他民族であっても、本来のお互いの自治権
文化の違いというものを認め合っていかなくてはいけないのだけれども
アメリカ自体が守ってあげるとか言いながら
実は自分たちの国の、自国の利益の中で
あのような自由という名のもとに戦争を
自由を保護するという名のもとに、戦争を起こしていますよね。

だから、これはやはり両者のカルマのぶつかり合いであって
この地球の文明の最後のときに、この自由権と
それと、ひじょうに弾圧されているけれども
宗教的なストレスがかかっている。

この間マホメット様がお出になられておられましたけれども
やはりあそこにおいて宗教と宗教がぶつかり合っていた
その最後のだから貿易センタービルの、見ておりましても
実にこの時代の最後のエネルギーのぶつかり合いであると
わたくしなぞは思うのです。

行き過ぎた自由を唱える暴君となった、ローマのようになったアメリカに対して
今度はイスラム圏の中でイスラムと
基本的にはキリスト教徒とイスラム教徒の戦いですよね。

それが結果的にイスラムの、キリスト教圏への怒りというものが
アメリカというものに対して、そのちょうど対象が、照準が合ってしまって
その貿易センタービルというものを爆破することで
ちょうどキリスト教圏とイスラム教圏とのカルマの
エネルギーのぶつかり合い、解消
そして、それが現代のローマというところに実はあそこの中東のところに
今はもうキリスト者としてのエネルギー磁場はないのですね。
ほとんどがイスラムなのです。
キリスト者としての、キリスト教のエネルギーの代表としてどこがあるか。
今はそれを象徴するのがアメリカなのです。

聖書の、バイブルの上でアメリカの大統領というのは宣誓をします。
今ヨーロッパはもうすでに死すべき形にして
キリスト教の文化の流れとしての大きなものはないのです。

自由というものを通して、自由と解放というものを通して
キリスト教圏の代表として
今行き過ぎた形でありますけれども、キリスト教圏の代表
そしてマホメットの説かれたイスラムの教え、一途ではあるけれども
ひじょうに間違ってしまった教えとの、間違ったものと間違ったもの同士との
最後のエネルギーの
地球規模でのカルマの総清算が行われているということなのです。

ために溜めたエネルギーがぶつかり合うことにより、それが解消され
やはりエネルギーというのはお互いの恨みというものが溜まったときには
それがやはりぶつかり合う。

出てこなければ、そうでしょう?
膿が溜まったら傷口を出して
膿を出さなければ傷口は治らないではないですか。
その膿が時代の流れの中で溜まっているのです。

最後の、別の意味で
浄化の時がきているというふうなことを伺っておられると思いますけれども
浄化の時の流れの中で、気候、この天変地異、今見ても数々の大津波や
インドで雪が降って死亡者が出たりとか、大雨、すごいでしょう。

このようなことはやはり、今まで地球全体としての
ひじょうに地球自体がバランスを失って
悪想念の集積が今最後、身震いすることによって
その膿というか、汚い想念を今洗い流そうとする
その最後の試みであるのです。

新たな時代に、美しい地球に戻るためには
やはり膿出しをしなくてはだめであるということ。
そういう意味においては
部分的に見たらアメリカの態度は行き過ぎであるとか
イスラムだって、みんながみんな
あんな過激なことをやるのではないというけれども
でもやはりトータルで見たならば、そのような傾向性の中で
そのようなエネルギーが溜まりに溜まってきた
そのるつぼにあるのがちょうどアメリカのアメリカに今エネルギーが強くて
そしてイスラムというところにそのような民族問題とか
それから宗教における積年の恨みつらみという悪想念が
ひじょうに暴力的な形において溜まってしまったということ。

だから今、イスラムの者たちが堪えに堪えた
そして信仰と剣というものを、武器というものを両立してしまっている。
彼らが今その暴力を
武器を使うと歯止めが効かなくなってしまっているという。

でも、歯止めが効かないというのは
それはある意味でひじょうに厳しい戒律の中で
自分というものを殺してきた、自由意志というものを殺してきたということ。
一人ひとりが自分らしく生きようとしても
やはり生活のあらゆるところまでイスラムの
コーランの教えというものはあって
一人ひとりの自由意志というのを束縛してきたのです。

自分自身をアピールできなかったその怒りというのが、やはりあるのですね。
それがある意味ですべてであるけど
行き過ぎた形にあるのがアメリカなのです。

自由意志の塊で行き過ぎて、他者に対して干渉しようとしているアメリカと
生活の中で、戒律の中で治められ、自由意志を失って
ひじょうに窮屈な中で自分らしさを発現できない
ただただ巡礼と、ただただ朝な夕なの礼拝というものだけにこだわり
人生というものを縛られて、ひじょうに、女性たちにおきましても
あそこにおいては真の男女の愛というものを考えられるような
地盤にはないのです。

かつて、その時代には良かったのです。
それは時代の中におきまして、ひとつの地域の中において
モーゼ様が説かれましたようなユダヤ教の時代も
あれはあれで、「十戒」を通して意味があったのです。

イエス様の時代もあれで良かったのです。
無学文盲な者たちが、愛というものを通して
信仰というもの、神というものにつながっていくという
そういう意味においてはよかったのです。
イスラム、マホメット様におかれましても、あの時代はよかったのです。

しかし、これからの時代のことを考えますと
あのような原始的な形の信仰形態ではもうだめだということ。
イスラムの者たちも、周りがどんどん高度に科学進歩して
グローバルな社会になってきているのに
イスラムの女性たちは依然と、取り残されているのです。

そして男性たちにおいても、やはりひじょうに不自由な
ユダヤ教徒もそうですけれども
ひじょうに古い慣習の中に縛られて、神の子は本来自由に
一人ひとりがかけがえなく人生をチャレンジして
大きく自分自身を探求することを
もっと自分のメインテーマにして、人生の中、挑戦して生きていく
チャレンジしていくっていうことがまったくない、彼らの中には。

一部のひじょうに恵まれた階級の者たちしか、それができない。
そのようなところから、もう抜け出さなくてはいけないということなのです。
逆に、その信仰という自分かちがすべて押し殺して
イスラムの教えの中にきたからこそ
だから自分たちを否定する者たちに対して
唯一残された剣というもので、凶暴に凶悪になって切り込んでいっている。
それは自由っていうものを謳歌しているアメリカ人という者たちに対する
一種のジェラシーでもあるのかもしれない。
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大きく見たならば、自由という人間の自由意志というものを大きく謳いあげて
それゆえに暴君化しているかもしれないアメリカと
自由意志というのをとことん犠牲にしながら、神につながることによって
でも剣という唯一の噴き出し口をもらってしまった者たち。
両方ともバランスが悪いのです。
両方ともいいところもあるけれども、間違ってきているところもある。
それが今ぶつかり合うことにより、お互いをせめぎ合うことによって
カルマを解消しながら、人類は気づいていくのかもしれないのです。

ほんとうの意味での自由意志とは
ほんとうの意味で神とつながっていくということは
ほんとうの意味で信仰者としてはどういうことなのか。
朝な夕なにカーペットを敷いて、聖地に向かって
メッカの方向に向かって礼拝するばかりがけっして信仰ではないのです。
もう寺院なぞなくても、私たちはみんな
一人ひとりが神の子だということを学んでいるのです。

輪廻転生しているということ。
そしていろんな国に生まれながら
イスラム、キリスト、仏教、いろんなところを経験しながら
経験を積んでいる一人ひとりが、かけがえのない魂であるということ。

そのようなことを学ぶ時期がもうきているのに、いつまでもあのような足かせは
モーリャ様がおっしやられていたように
一度すべての宗教をるつぼに入れて煮溶かして
そしてその中から「地球教」というのをつくらなくてはならない。

なぜなら、そのような足かせの
原始ローカル宗教であるようなそのような形態から
グローバルな地球教というひとつの宗教にまとめあげられ
そしてそれが大きな、巨大なひとつの政府というものをつくることによって
教えというものが法の秩序、法の秩序というのは
宇宙を統べる神様の愛の秩序によって
この地上的なシステムにおいても統御されていくような
そのような政府というものをつくっていく。
そこまで神様のご計画があるということをわたくしも聞いております。

そのような改革というものを、これからある意味で革命的なものが起きる。
そういう意味での、やはりあなた方が今降ろされているということは
理念的なものにおけるひじょうに根本的なものなのです。
これがなくては、そのあとの社会改革というのはできないのです。

わたくしたちは常に、出たときに、女性として、何か強い
まあ行動力というものはないわけではないのです。
わたくしにおきましても
この方にしてもひじょうに行動力はあるのですけれども
何をもって女性のリーダーというものを
オピニオンリーダーというものをしたかと申しますと
やはりひじょうに高い意昧での理念というもの
それをもってこそのオピニオンリーダーなのです。

だから、今わたくしたちの個人的な理念ということを越えた
神々の世界から降ろされた、救世主界から降ろされた
もっと言うのならば宇宙の根源的な法に通ずるその神々の法というもの
そういうオピニオン、そういう理念というものが今降りられている。
それをあなた方が今編纂なさっているということなのです。

これがあってこその社会改革であるということ。
それがあってこその改革者であるということ。
このあとに来る方たちは、あなた方が降ろされたこの理念というもの
グローバルに、この大きな長い時の流れの中で
これから神々が何をなされようとしているかということ。
それは、小さな、小さな一人ずつの一個人の人間ではわからないのです。

この大きな世界の歴史、私たちが見るならば
あの世に帰ればあなた方もわかるのです。
たかが今回の文明だけではない。
まあ、この人においてもレムリアとかあるでしょう。
アトランティスに出ているときもあるのです。
あなたにおかれましても
いろんなかつての文明の中に数々の転生をなさっている。

その大きな自分の魂の歴史の中でアトランティスがあり、レムリアがあり
ムーがあり、ゴンダアナがあり、そして今回の文明があるというその転生の中で
この今回の文明の今の時期というのは
大きな地球のターニングポイントになっているという
それくらいシフトアップする、たいへんな時期に今あなた方はいて
その理念を預かっている方たちであるということを考えたならば
たいへんなお仕事をしておられるということ。
そのように、わたくしのような者は思うのです。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-27 08:26 | 平塚らいちょう | Trackback | Comments(0)

ジャンヌ・ダルクからのメッセージ(6)

わたくしとかこの方におきます霊言能力ということ、霊言の通信
はっきり申しまして
わたくしが生まれていたときにおきましてもこれほど鮮明に
自分の次元を超えて霊言を降ろすということはかないませんでした。

わたくしはミカエル大天使、その他の数名の方々の呼びかけの中で
そして唐突における霊現象におきながら
人びとに伝えていっただけのことなのです。
このように一貫とした法体系というものを連綿と降ろしていくという
そのような機能がわたくしにあったわけではないのです。

ただその結果、信仰心に、一途に神の使命のもとに生き
そして、最後火刑台の中に消えていったということをもって
わたくしの評価というのが天上界においてひじょうに高く
わたくしが望むことではなかったにしても
ひじょうに高く評価していただいたということにおきまして
わたくしが身に余るその評価を得たということなのです。

この方におきましては、過去ひじょうに不幸な事件がございまして
ご自分自体の霊格をたいへん下げておられたということもあり
かつ、そのようなそのときの体験の中で
ご自分が霊言を霊媒者としてとるということを
ひじょうに嫌われておられたということがありますので
わたくしなどから見たならば、ほんとうに力がある方なのに
ご自分から歴史の表に出てくるということをひじょうに嫌うという
そのようなことがありました。

しかし、本来はプロの巫女さんとしての
霊能力の修行というのもしてらっしゃる方ですので
そういうことを含め、そしてひじょうに自由というか人びとを守るということ
英雄を守るということに対して
ひじょうにきっぷの良い面をお持ちの方ですので
ある意味で社会活動家と呼ばれている方たちともひじょうに意見が合って
よくお話になっておられるのです。

ですから、そういう意味で社会を改革していくという行動力、その能力の高さ
そして本来であるならば霊言能力の高さということ両面を持ちましても
まさにこの使命のために出られておられる方であると
わたくしなどはひじょうに尊敬申し上げて評価しているのですけれども
いかんせん本人がそういうことをやりたがらないという
今までの過程がございますので
今回このような立場にあって
第三の計画の責任者として割り当てられたということでありまして
けっして、けっして神々がこの方を軽んじられて
第三の最後の三番手にもってこられたということではないのです。
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ご本人が望まれてなかったということが、いちばんの理由かもしれません。
でも、このような事態に、第一、第二の計画がつぶされ
この地球の最後の土壇場の時期になりまして
皆さま方がこのようにお集まりいただき
わたくしのような者が守護霊させていただいて
このように霊言を送らせていただくような、このような立場になったときに
わたくしはどうかアマーリエ様に、力を発揮してこの時代のために精一杯
そしてもっと自分を信じて、自分の実力を信じて
頑張っていただきたいのだと心より願うのです。

そうであってこそ、次の時代の女性たちが、自分の才能を信じ
自分の人生を信じて自分の人生の挑戦をして生きていく
そして新たな時代がくるのであると、わたくしなどは信じるのです。
ですから、そのために精一杯守護霊をさせていただきたいと
わたくしは思っております。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-26 10:16 | ジャンヌ・ダルク | Trackback | Comments(0)

木花咲耶媛命からのメッセージ(2)

現代の女性たちに申し上げたいことがいくつかありまして
今日参上いたしました。
また私が申しますと、ひじょうに古い時代の日本神道の女性が
また時代錯誤的に何を言っているのかというふうに思われるやもしれませぬが
私がこの霊言の場につき合わせていただくようになりまして
この数年、この方の生活
人生というものをよく見ている場合が多くございました。

そして、私とは違う西洋の女性霊、それも、まあ私たちの世界から見ますと
戦闘的な、ちょっと私たちとは違う価値観の
はっきりものをおっしゃられる女性であられますので
最初はひじょうに、どのような女性観を、結婚観をお持ちなのかというふうに
興味深く見させていただきました。

その中でつくづく思いましたのは、今の日本女性の戦後のあり方というのが
アメリカから来た西洋女性の影響により
古来からの「大和撫子」と言われた
女性本来の生き方を見誤るような新たな生き方ゆえに
女性というものが不幸せになっていっているような
ウーマンリブと呼ばれているような、女性の自立がむやみに叫ばれた
それはすべて西洋的なものからきたのであると
そのように言われてきたのではないでしょうか。
でも、少なくともこの方を見ておりますと、違うのだと
私はつくづく思ったのです。

深いところにおいて、女性らしさというもの
神様がおつくりになられた女性の神性というものに対する価値観というものは
けっして洋の東西を問わず、変わらず同じであると私は思います。

それはなぜならば、この間こちらの方に
この方がおっしゃっていたと思うのですけれども
ご主人様にとやかく、ということをおっしゃられていたように思うのですけど
その時にこのアマーリエさんは
「ご主人を神様だと思ってお仕えくださいね」ということを
「だから、ご主人に内緒でお金は使わずに、すべてご主人にご相談になって
それから許可をいただいてからにしてくださいね」ということを
おっしゃられましたね。
聞いておりました。

「神様のようにお仕えしてくださいね」ということを
この方はおっしゃるのです。
それが本来の女性の姿であるということです。

家庭という王国の中において、ご主人は王様であり神様であられます。
そして、家庭を幸せに導くのも、平和に導くのも、それは女性の力によって
家庭というのは平穏を保たれるのです。

その女性が、ご主人様に対して
神のごとき、王様であるかのごとくお仕えするときに
ご主人たちは、男性としてとても幸せな気持ちになり
この女性のためには命をかけても守っていこう
そして子どもたちのために
自分が男として立派にこの家庭を守っていこうと言って
ますます殿方の中にある素晴らしい神様より与えられた神性のきらめき
使命感というものをますます発現し
男性はますます「男性」になっていかれることにより
その使命を果たされ、素晴らしき男性として成長され
社会に貢献される道を開くのです。

だから昔より、男性、殿方がその使命を発揮し
男性として大きく社会に貢献できる立派な男性になられるのは
その妻、女性次第であるということを、それを言われてきたのです。

「内助の功」というのは、けっして殿方が外に出て偉く
うちにいて女性が仕えて食べさせていただくから、それが劣っているのではなく
役割による違いがあるというだけにおいて
その役割が同じであっては家庭においては少しも機能しないのです。

かつて日向様がこちらではなく、以前の方のところで霊言をとったときに
少しおっしゃられていたように思うのです。
女性と男性というのは、どちらが上である、下であるというのではなくて
その機能において、その役割において違いがあるだけであると。

猫が猫であり、犬が犬であるということを
女性が猫であるのに犬のように首輪をつけて
散歩をさせようとしてもだめではないですか。

男性は犬です、女性は猫ですということをたとえ話を使って
日向様はひじょうに素晴らしいお話を以前なさられていたように思うのです。
私もそれを聞いておりまして、そのように思うのです。
ですから、男性というのは「陽」のエネルギー
女性というのは「陰」のエネルギーでございます。

男性は陽のエネルギー
ご自分の使命、才能、叡智、それを通して社会に向けて
陽のエネルギーで仕事をし、才能を開花し
そして社会を積極的に変えていくという使命を神様より与えられているのです。
それゆえに理論的であり、行動的であり、陽気であり
攻撃的であるということなのです。

女性はそれに対して陰のエネルギーであります。
陰というのはけっして陽に対して陰が劣っているのではありません。
陽が陽として輝くためには、陰のエネルギーの補助かいるということなのです。

そして陰のエネルギーの補助を、「内助の功」と日本神道では申します。
それはけっして自ら女性を蔑視しているのではなく
女性として殿方に対して、殿方の才能に対する
愛ある献身的な姿を与えることにより、男性をますます
より男性として光らすという
そのような愛のエネルギーそのものなのでございます。

自分が自分がと、今の女性たちは自己実現に走られておられるように思いますが
しかし女性が女性であるということを、自らを光らすということは
自分の愛を献身的に男性に、殿方に対して捧げたときに
その男性を通して、子どもたちを通してご自分の陰のエネルギーが輝き渡り
周りを愛と祝福で包み、お子様たちを、ご主人様を幸せの絶頂に導くのです。

そうやってお子様たちを、ご主人たちを通して社会に光を投げかけていく。
これが、神様が女性という神性に埋め込まれた役割であるのです。
それにおいて、劣ったところなどは何ひとつないのです。

女性が女性であり、自らを、自分が自分がではなく
自分が結婚し、この方のために捧げ尽くし
そしてこの方の子どもを産もうと決意をし、結婚するわけなのです。

そこにおいてその方を神と思い
その方を王様であると、お殿様であるというふうに
私たちは「殿方」という言い方を男性たちに対して申しますけれども
それは男性に対して殿、殿様という気持ちですね。
殿方に対してそのような気持ちがあったときには、やはり献身的であり
そして当然貞淑であるということは
ご自分たちの心のルールとして自然にわいてくるものなのです。
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ですから、けっして自分が男性より上にいて
ガミガミと差し出がましいことを言ったり
男性の決めたことに対して自分が指示をしたりとか
ましてや、男性よりも自分のほうが学歴が上であるとか
それから自分のほうが才能が上であるということを思ったとしても
口に出すということは、男性の大切な、大切な尊厳、プライドというものを
誇りというものを著しく傷つけるということを
昔の女性たちは知っていたのです。

男性というのは、ある意味で子どものようなところがあるのです。
だから、ひじょうに誇りが高いけれども、女性にくさされると
あっという間に縮んで、だめになってしまうというところも持っております。

その時に、「さあ、あなた。素晴らしいお力を持っているのですよ。
頑張ってください」と、心から愛と激励と励ましを
もしその方に、ご自分のご主人様たちに捧げたのならば
その男性は世界中の富や地位や名誉をもらうよりも
その自分を励ましてくれる妻のために
命がけに自分が社会に出て頑張って来ようと奮い立つのではないでしょうか。
それが殿方であられるように思うのです。

そして、その頑張る姿を見て喜ぶ
それが女性の喜びであり、幸福であると、幸せであるということ。
それを、昔の日本神道の女性たちは、その中で女性の幸福論、男性の幸せ
そして、殿方とともに家庭をつくるということが
どういうことであるかということを
身にわきまえ、そして、それを母親から娘たちへと
伝えられて育ってきたのでございます。

ひじょうに古く思われるかもしれませぬが
しかし、古いと言っても新しいと言っても
神様がそのような役割の中に
女性霊、男性霊をおつくりになられたということをもちまして
けっしてそれは古い、新しいではないのです。

(2005.7.28 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-02-24 13:37 | 木花咲耶媛命 | Trackback | Comments(0)

スペースエンジェルA.S

まあ、人間とはこういうものかなーっていう思いがあります。
私は地球に出ていって、今回やりたいことがいろいろあって
私なりに悩みながらもやれることはやったつもりなのです。

もっともっと実はやりたかったんですけど
やはり体の状態もいつも悪い状態を引きずっていまして
でもその中で精一杯自分なりの表現を、自分の魂に言い聞かせながら
表現してやってきたと思っているんです。

まあ、あれ以上長くいたから、じゃあ、どれほどのものが残せたかというと
またそう変わらなかったんじゃないかしらと思うこともあるんですけど
でも私が帰ってきて、今どういう状態かというのを見ていますと
あの時引き上げるのも潮時だったかなというのが今の正直な私の気持ちです。

だってそうでしょう。
どれだけ私がやったとしても、最後は私自身がやったことというよりは
私が伝えたメッセージを地上にいる皆さん一人ひとりが
どうとらえて自分の成長と飛躍に役立てていただけたか
それしかないわけです。

私がたくさんいたから、たくさんの絵を描いたから
たくさんの言葉を残したからっていっても
私が生きていた時に表現した絵やアートでわからない人が
じゃあ、たくさん私のアートがあったからといって
もっともっとお役に立って
その方の魂の成長ができるかっていったら
あの時、気づけなかった人はやはり今だってたくさん見たって
気づけない者は気づけないものなんです。

だから、ほんとに短い間でほんのわずかなものしか
残せなかったかもしれないけれど
でも、それを見て今こうやって私が亡くなって十数年たっても
私の描いた絵を通してこのように皆さん方がお集まりいただいて
私などを呼んでいただけるということだけでも
まあ、短くても十分意味はあったのではないかと。

残すものは何かしらあった以上それを通して
時を越えてもあなた方のように残っているものを手がかりにして
私を思い出し、そうやってこういう会の中で役立てていただけるのなら
私はたくさんのものを残す必要はなかったのではないかなと思ってます。

逆にたくさんいるとね
どんどんどんどん、いろんな訳のわからないグッズが増えて
いろいろなとりまきが増えてきて
私を利用するために集まる人たちがどんどん来て
私はそういうところとても無頓着な人間ですし
あまり欲っていうものがないんです。

だから、私は私のやりたいことだけしかやってこなかった人生ですから
私のことを利用しようとしまいとね
そんなものはどうでもいいわ、と思うから
逆にに私があまり長いこといると
彼らに罪をつくらせてしまったかもしれないんです。

でも私が死んでしまえば
残されたものを手がかりにこういうことをやっていても
それは私が残したものではないものが出てるわけですから
それ自体がほんとうに人を引きつけるだけのものがあるかといったら
やはりそこを見れば、見る人が見れば波動がそんなに高いものではない
調和度が高いものではないということがわかってしまうから
だからその人たちがつくったものに関しては自分で責任を負う
自己責任において自分のやったことの結末をつければいいわけですから
私のことを、私の作品を利用しようとして
お金とかを儲けるような人とはまた
仕事のやり方が違ってくると思うんです。

自分でやったことは自分で責任とっていただければかまいません。
私のようなふりを、私の作品の亜流のような形で
自分でつくったものはやはりほんとうに意味があったかどうか
それを決めるのは周りの皆さま方が決めることであって
私たちが決めることではないんですから。
私は私の心の命じるままに、思うままに宇宙の波動をとらえて
宇宙の愛の調和、愛と調和に基づいた作品というものを
私なりの手法で描きました。

私は誰のためでもなく、自分自身のために描いたんです。
表現したんです。
ただ表現するだけ、それだけをしたくて私は表現しました。
そのためにお金を儲けたいとか、それで名声を得たいとか
それでひとつの集団をつくりたいとか
そういう思いっていうのは少しもなかったし
そのような頓着を持つのは私の性格上
向かなかったというのも事実だったんです。

だからこそ、そういう損得勘定がなかったからこそ
私は自分の思いだけに忠実に無心な思いで
私のアートの世界というのに入っていくことができたんです。
その思いがなかったら、無心な思いというのがなかったら
大宇宙の中において自らのエゴというものを滅却した形で、消滅した形で
宇宙の根源的な波動に同調した
そういう無我の極致からくるアートというもの
そういう調和の波動というものをこの地上に降ろす、作品というものをつくる
そのような媒体にはなれなかったんだと思うんです。

私はそのためだけに絵を描いたし
自分の自己表現としてのアートというものを表現して制作したんです。
それしかしたくなかったんです。
今思うと、最後の個展の中において
私の今まで人生をかけたすべての悟りの境涯というもの
私がつかんでいったものを、あそこに作品に結集してきたんです。
c0171476_9154146.jpg

ほんとはあの個展の開催を見たかった。
それは事実ありました。
そこにおいては、「しまった」という気持ちはちょっとあったんです。
ちょっと肉体を駆使しすぎたなと。
やはり個展の準備のために相当無理がたたったのは事実だったんです。

ですからこの人のこともあなたたち
いろんなもの聞きたかったり興味津々なのはわかりますけどね
「あまりやると私みたいに脳の神経、爆発しちゃったりすることもあるわけで
ほどほどに上手にこの人の体のことも使ってあげないと
私の二の舞になりますよ」っていうことだけお伝えします。

相当体がまいっているのが見ていてわかるんです。
それは本来は聞くところによると、相当な数の霊言というのをとったみたいで
その去年、本来一年間でとってはいけない量の分をとっているんです。
それをここまでもってくるためには必要であったのかもしれないけど
ずいぶん無茶なことをさせたなというのは正直あります。

私ならやらないです。
私なら「嫌だ」と言って絶対とらないです。
でも計画とやらが遅れてるから
どうしても頼みこまれてとったんでしょうけどー。
相変わらずこの人は情にもろいところがあって
自分のことを考えずに情にほだされながら
無理に無理を重ねるということをしてるんですねえ。

(2006.1.26 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-02-23 08:10 | スペースエンジェルAS | Trackback | Comments(0)

モーゼ/モーリャからのメッセージ(12)

いつの時でも、100パーセントそのような計画通りの結果になるということは
いかなる文明においてもないのです。

計画は我々の世界から立てます。
でも、やはり地上に降りた状況
そしてメシアと呼ばれている者たちが一生懸命頑張っても、その時代時代の中で
どのような結果になるかということ。
そのようなことは、各文明において、九次元の世界でいくら決めたとしても
その結果通りの結果にはならないということなのです。

ですから我々も、一生懸命頑張ったけれども
どこまで今回かなうのであろうかということをひじょうに目を凝らして
ドキドキしながら見ているというのが現状でもあるのです。

その意味において、結果ではなくて、精一杯そのプロセスにおいてでも
みんなで力を合わせて頑張り抜いたのだという、そこを通して
やはりわたしたちが魂の学びを、大いなる魂の学びというものができる
今回の計画であるのなら、それもそれでまた意味のあることであると
わたくしは思うのであります。

ですから、結果ということだけではなく、プロセスの中においても
お互いに、わたしたち指導霊と呼ばれている指導者としても
「このような状況を計算してなかった」ということが実際に起きるのが
この三次元での修行でもあります。

光の天使たちでも
自分でもこんなことになると思っていなかったということが起きるのが
ある意味でこの世界の法則でもあります。

それを通して、我々もひじょうに多くの学びを得
そして、判断力というものをまた鍛え上げていくという
そのような意味においても、今回の計画はひとつとして無駄なものはないと
わたくしはそう信じております。

そして、この件に関してはあまり言われてはきていないことでありますが
やはり、以前Oの時に、これからの闇の時代が
閉ざされる時代がくるということを暗に言われていたと思うのです。

それは、起きるべくして起きる、総決算のときがくるということも
また事実なのです。
その手が、神の地上を叩く手というのが止められていたということも事実です。
でも、ある程度、あなた方が準備ができてくるということは
その時期が近づいてきているということも
また覚悟をしていただきたいと思うのです。

この地上において、生とは何か、いや、死というものは何であるかということ。
死というものは、一宗一派、教団、宗教というものを越えて
あらゆる人類の上に起きてくるもの。

その死というものを通して、多くの人びとはこの心構えのもとに、新たな価値観
アイデンティティーを学ぶことによって
人類はひとつの統一された価値観に結びついていくという
きっかけを得るのです。

それが、この地上にとって永遠の生命があると人びとは人間が魂であり
霊性というものをもう一度確認し、永遠の命の中で転生輪廻というものを通して
人びとが生きている神の子であるということをしっかりと学ぶ時がき
そして、それこそが医学の世界も変えて、教育の世界も変えて
女性たちも男性たちの価値観、生きざますらも変えていく。

それが最終的に社会を変えていくという、そういう姿になってくるということ。
その切り口が、死というものと直面するということ。
それは病気だけでも直面する場合の人生もあるのです。

でもこれからは、痛ましい事件がいくつも起きてくるでしょう。
そのときに、何ゆえにこうなるか。
どうやって、死というものと向き合っていったらいいのか。

いかなる民族であれ、肌の色や目の色が違い、宗教が違い、道徳が違え
教育、思想、習慣が違っても、その死という厳然たる事実の前には
人びとの心構えは、ある意味でひとつなのです。

そのための、シンプルだけど真実の知識というものを
人類は学んでいかなくてはなりません。
そのものを通して
人びとは種族や国や国境を越えてひとつにまとまっていくのです。
その切り口が、ここにあるということです。
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あなた方が学んだ、霊言でとった大量のものがあるでしょう。
でも、あれを全部学べと言ったら、多くの人びとは学べません。
あの中のエキスです。
エキスの中でいちばん大事なもの人間は神の子であり
神は愛のエネルギーそのものであり
ゆえに、わたしたち人間はみんな愛を胸に抱える神の子である。

そして魂は、本来人間にとってはいちばん大事なものであり
永遠の時を生き抜く、転生輪廻をする魂であるということ。
永遠の時を生き続け、そして修行の過程の中で進歩、進化していくことを
神より義務づけられた、そういう命であるということ。

そこがしっかりと根づいたのならば
ほかのことは自然に問題が解けていくのです。
根本定理であるということなのです。

「罪の子ではない。悪を持っている性悪説なんかではない。
神の子としての、本来は愛の光を発する神の子であるのが
あなた方一人ひとりの本来の姿であるのですよ」ということ。
そのことをあなた方が伝えていくということ。

そしてこの地上における、永遠の生命の中のいっときの中の修行場として
ここ今、命を持っているという、現在という視点を見たのならば
肉体に対して周りに対して、どういうふうに接するべきであるか。
そのことをしっかりと学んでいくことのほうが大事であるということ。

いたずらに肉体に執着したり、この地上に抱え込むような
お金や財産や地位や名誉みたいなことに執着するということ
そのようなことが、いかに無意味なものであるかということが
人に言われずともわかってくるのです。

ほんとうに大事なのは、自らの個性を大切にし、やれることの中で
自らの神より与えられた命を輝かして
多くの人びとを幸せにするために生きること。
そのことが、ほんとうの意味で自分自身の幸せに
原因結果の法則により戻ってくるということ。

もういらないと、結構ですと言っても、その法則は厳然としてあり
自分自身にその報酬というような、神の光という、祝福というものが与えられて
その本人の魂というもの、霊格というものが、おのずと上がっていくのです。

そのことをもって、我々は永遠の魂を
永遠の時の中を修行する旅人でもまたあるということ。
そのような方向で、もし理解したのならば
無意味な戦争などというものはなくなるし
宗教間の争いや殺し合いも、イデオロギーの対立もなくなっていくのです。

そして、この科学万能主義というような、物質主義的なものが変わっていくし
自分の子どもたちだけがすべてであると思うような
親の思い込みによる教育体制というものが
本来の、その子自体がかけがえのなく与えられた素晴らしい個性である
魂であるという、その本来の才能を開発していく。

それこそがいちばん素晴らしいのだという新たな教育的な観点に立って
教育者も親も子どもたちも
自分の人生というものを考えていくことができることでしょう。
そうすれば、教育改革というのもできてくるのです。

あまりにも多くの人種が、あらゆる国に分かれ
数々の方向性や、数々の宗教の中において、ばらばらの思いの中で
人類は進化発展の途上できたけれども
これをひとつのアイデンティティーとして
地球教として、地球人として、ひとつの教えのもとに統一していくには
やはり人類すべてが、肌の色が違え、髪の色が違え、何か違っても
人間として神というもの人間として生かあるならば死というものがあるという
その根本命題に立脚して人びとは自分自らを受け止め、考えていく。
そのようなことをもって人びとは初めて
すべての人種が、すべての人間たちが同じ場所に立つことができるのです。

そうでなければ、それぞれ、いや我々は違うというふうにくるかもしれない。
その意味において
我々は大いなる改革をしようと思っているのが事実なのです。

(2005.11.26 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-21 11:24 | モーゼ/モーリャ | Trackback | Comments(0)

エル・ランティからのメッセージ(14)

今は、宇宙時代の幕開けの、宇宙時代にステップアップできるか
それとも、また自己本位な我欲の流れの中で、光の軍勢が闇の車勢に負けていき
もう一度原点から立て直しになるのか、その分かれ目にいる時代にあります。
あなた方が、一生懸命蒔いてくださったこの霊言が
次の時代の者たちの、捨て身の活動により、働きにより
霊文明の具体的な時代の到来というふうになっていけるか。
それは我々もやってみなくてはわかりません。
だからこそ、我々の計画という青写真をレムリアに降ろしていきます。
青写真を降ろしますが、これが絶対ではないということ。
それをよくよく思ってください。

我々の希望的な観測の中において、このような方向にしていきたいということを
あなた方が理解できる範囲内でお伝えをしていこうと思います。
この青写真を伝えるというのは、わたくしエル・ランティの使命
この計画の責任者により
あなた方に直接降ろしたいと思って今回きているのです。
これはみだりに他の者が降ろせるものではありません。

よろしいですか。
次の時代、霊的な文明の大飛躍のときがくる
そのときに物質構造すべてが変わっていき
そしてあなた方が宇宙人と呼んでいる者たちとの交流が
軽やかにできるようになり
その者たちの知恵を借りて新たな時代をつくっていく。

最初にわたくしのいた、ベーエルダという星におきましても
この者がいたオリオンにしても、すでに高い段階にある星々なのです。
だから、欲というものがなく
まあ、神の子たちであっても人間でありますから
様々なあつれきはそれなりにはありますけれど
ベーエルダとオリオンのような星の段階においては
神は愛であるということをすでに学び尽くし
無駄な闘争、戦争とか、国境とか
そのようなあつれきと戦い、人生におけるロスといった
失われるものが少ないので
様々な文明、文化、発展がひじょうに高度に
科学においても文明においても芸術においても
あらゆるものが高度に発達した、そういう社会なのです。

中でもオリオンは上の段階で、もっと浄化されておりますので
この星の方がたは
物質的にみてひじょうに軽やかな肉体を持たれているということがある。
地球がオリオンのようになるには、まだとてもとても先のことでありますが
まずその第一歩として伝えます。
そのために、みんなが愛と調和に導かれ、統一し、心を開いて
神の子同士であると手をつなぎ合い、理解し合っていけるのであるならば
他の者たち、すなわち天上界の者たち、宇宙の友たちも
いかようにでも、地球人に協力できる立場にあるのです。
でも、みんながそこのところを理解できぬから
まず心から、神の子であるという
愛というものを理解し、欲を捨て去っていくという姿勢がなくては-。

よろしいですか。
いかなるイデオロギーも、いかなる政府組織、政治機構をもってしても
人びとの心をまとめに上げて
地上の天国というものをつくることは叶わないのです。
それを学ばせるために、かつての歴史はあったのです。

中世の、力による、専制君主による
英雄と呼ばれている者たちが戦国時代をつくり
一部の支配者たちが
力でねじ伏せるようにして治めていた時代というのがあります。
そこで人びとが真に幸せになれたでしょうか。
なれなかったはずなのです。
力による専制君主の後に出てきたのが、イデオロギーの対立でした。
共産主義とか資本主義とか、様々な、今でも多少残っておりますが
そのようなイデオロギー闘争の中において
人びとが新たな体制をつくっていきましたけれど
ではその政治機構だけでほんとうに人びとは幸せになれたでしょうか。
イデオロギー、二元対立、三元対立をいろいろ見てきましたけれども
人類は政治機構の中だけでは、幸せを感じられなかったはずなのです。

それを学び尽くすために人類の歴史はありました。
その事実を魂に刻んできてもらったということなのです。
そして、その過程を終わり、高度な科学が発達し
人びとの中に、科学の利便性というものに対する憧れ
科学こそ、物質こそ万能であるという考え方がこの二十世紀を占めていき
人びとの心の中が科学万能崇拝のようになっていったときに
我々が最後、科学や、溢れ返るほどの物質の中で心を見失った人びとに
幸せというものは外側にはない、物質にもない、外側の体制にもないと
イデオロギーの考え方にもないのだと-。

人びとの幸せというものは神とともに生きることであると
神の子という原点に自らが気づき、還り着くことであるとー。
そして人びとが許し合い、愛を分かち合って、ともに手を取り合って
神の子の原点にたどり着いたときに
人びとの心の中からは、戦争も、貧困も、いがみ合いも、イデオロギー闘争も
人を支配したいという欲もすべてが立ち消えて、溶けて流れていって
そして愛の心で人びとが手と手を取り合うことによって
人びとは許し合い、神の子として
みんなで地上の愛の星をつくろうという高度な認識と、高い科学の技術を持ち
今まで人類が学んできた歴史をすべて踏まえた上で
最高度に熟した次の段階
まあ今までが小学枚レベルであるとしたならば
中学校レベルの発想の中において修行ができる
愛の星になっていけるということ。

大気圏の外に出て、他の惑星、宇宙の友たちと交流するには
地球がせめて中学校レベルに至っていなければいけない。
そうでなければ
他の者たちとの交流は許されないというのが宇宙の法則なのです。
だから、せめてわたしたちは
地球を中学校レベルに至るような惑星にしていきたいと
そう考えて、人びとが学べるように指導してきたのです。
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科学が発展すれば、心を見失います。
しかし、科学を学んでいかなければ
宇宙の一員としての成熟した星にはなれない。
科学文明や利便性が発達することが
神の子の修行の反対側にあるということではけっしてない。
知性と、教養と、愛と、正義と、勇気と、そして最高度の科学をもって
人びとは神の子への道を歩んでいくのです。

これから中学になるとすると、中学の上には高校があります。
高校の上は大学があり、大学院がある。
宇宙には、さらにすばらしく、もっともっと高く、愛の化身である神の
愛の表現媒体として最高の惑星があります。
それをあなた方の感覚で言うならば、恒星意識といいます。
惑星意識の上に恒星意識があるのです。

惑星というのは、太陽の愛というもの、光というものを受けて
そこを豊かにしながら修行している場所であります。
恒星意識というのは、自らが愛の奔流として、高い愛の熱量をもって
愛をまわりに一心に注ぎ
他の生きとし生ける惑星たちに愛のエネルギーを供給することにより
他の惑星の者たちを生かしめようという、愛の体現者であり
また、愛を体現する星です。
そのような恒星が、大宇宙を見まわすと数々あるのです。
その恒星意識を目指すのです。

そこまでいくには遠い、遠い道のりがあります。
宇宙の中で進化発展していくレベルには、無限の段階があるということ。
地球以下の星も当然あります。
地球も今までの段階から、小学校レベルの段階を越え、中学校レベルになって
そして宇宙の友だちとコンタクトし、コミュニケートして
霊性時代の文明というのをつくっていける
そのような惑星になっていける、そういう地球であってほしい。
わたくしたちは、地球神と呼ばれている、地球を育み、指導してきた者として
そのような願いをもって今回の計画を立てているのです。

本来ならば、これは、地球を見守り
永い、永い時より育んでこられた仏陀がおっしゃられる言葉でした。
本来なら仏陀が、あなた方人類に告げなくてはいけない内容なのです。
仏陀は、わたくしより古くからこの地球という星を預かり
ご指導なさった方です。
しかし、今は立場上語ることを控えるとおっしゃるので
わたくしが代わりに今日参りました。
今の地球の使命、地球の過去の流れ
そして未来におけるレムリアの計画の位置づけということを
お話しするためです。
そのことを踏まえて、くじけず、忍耐をもって
自らの使命に毅然とした誇りをもって
そして、わたくしたちがあなたたちの後ろについているのだということを
いつでも忘れないでください。

あなた方を非難する者は、哀れな者たちなのです。
我々の心がわからぬ。
我々の気持ちから見たのならば、彼らが自分たちの因果律の中により
自分のやったことはすべて、我々のもとに取りにこなくてはなりません。
わたしたちの前において、自分たちのやった良きこともなにもかも
因果律の中で本人に戻るのです。
でも自分のやったことのマイナスは
わたしたちの目の前において、自ら受け取らねばなりません。
そうならぬように、あなた方も自らの人生を正して
一瞬一瞬を精一杯、がんばっていただきたいと思います。

わたくしたちがあなた方の非を責めるのではない。
他の者たちの非を責めるのではない。
裁くのではない。
あなた方の中にある、神の子としての愛の本性が
自らのやったことが愛の行いであったか否かということをもって
自ら、自分自身のやってきたことの、人生の総決算をしていくということ。
まあ、ご存知でしょうが、あらためてそのことを申し上げておきましょう。

あなた方の人生の中において
そのような一瞬一瞬がこれからもくるでしょう。
今やっていることが、天上界の我々から見て、適うことであるのかどうか。
そのことを一瞬も忘れずに、これから修行していただきたいと思います。
というのは、これから
あなた方の言葉で言うなら八合目を過ぎていくからなのです。
七合目、八合目にさしかかれば、神の使徒としての揺るぎが一瞬でもあっては
上にあがれなくなっていくのです。
常に、考えるとき、あなた方は肉体をもって
このアール・エル・ランティの言葉を聴いた者たちとして
よろしいですか。

いつでも迷ったときは思いなさい。
わたくしエル・ランティの前において
今やっていることが恥ずかしくないことであるのか。
堂々と報告できる内容であるか。
そのように人生を生きたかどうかということをもってのみ判断なされば
簡単なことであると思います。

今、目の前であなた方は、我が言葉を聴いております。
それをわたくしもしっかりと覚えております。
この名誉を、名誉とあなた方にいうのは失礼かもしれませんが
このようなチャンスを受けた者たちは
地上の者で今まで一人たりともいなかったのです。
でもわたくしたちは、次々と降りてきて
あなた方にこの言葉を語っております。
であるなら、どのように生きていかねばならぬか。
それはわたくし天上界の者たちが言う言葉ではないのです。

このような状況で、あなた方一人ひとりは
どのように生きるべきかを自分自身の心に問いなさい。
そして、その中において最大限の努力をなさってください。
その人生をもって、あなた方は自分の結果を、行動を決めて
精一杯の使命を果たしていただきたいと思います。

(2005.7.30 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-20 08:13 | エル・ランティ | Trackback | Comments(0)

平塚らいちょうからのメッセージ(4)

そのためにひとつの時代のうねりの中においてわたくしたちが出るのは
大体女性の意識の向上と発展というのがテーマでございますけれども
そのようなときには、やはり大挙して出てくる。

だから明治とか大正、それからそうですね
二十世紀初頭におきましても、女性の政治家とか
そういうふうな社会活動家として、昔だったら考えられないような
女性たちの活躍というのが出ていると思うのです。

そういう方たちは過去、この文明におきまして、かつての古代の時代
中世の時代におきましては
女性が活躍して名前が残るということがございませんから
転生しておりましても名前がないのです。

日本におきましてもそうでしょう。
菅原孝標の女とか
本人がどういう名前であったかということは残らないのです。
必ず夫であるとか、子どもであるとか
それの「女」、「娘」、そういう形でしか名前が残らないのです。

ですから過去世を言われても、大体残ってないのですけれども
やはり逆に言うと、古代とか中世とか
ひじょうに初歩的な段階におきましては
わたくしたちのような女性のオピニオンリーダーというのは
出る機会がなかったということですね。

ですから逆に言うと、これからは腕の奮い時かなというふうに思うので
これから次々と生まれていく予定というのがございます。
実際に、現にもう仲間ではずいぶん生まれていっている者がおりますので。
これから「女性の法」というものが集大成されていく。
そして、女性の法とともに男性の意識におきましても
変革されていただきたいというのが、わたくしたちの希望でもございます。

かつて、わたくしが出た時代におきましては
このようなことを言う女性というのは
ひじょうに小生意気で
とても嫁にはしたくないというふうに嫌われたけれども
今は逆に女性であっても四年制大学を出て
しっかりとした意見を学べる聡明な女性というのが、ひじょう
に好まれる時代という、土壌はずいぶん変わっているわけですね。
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ですから、これがまた新たな「宇宙時代」という
統一された時代になりましたら
やはり男性たちの中におきましても
女性がひじょうに知的に優れているという方たち、女性たちに対しても
やはり同等な権利というか、そのような。
一目も二目もおいてくれるような対等な関係というのが持てるような
そのような時代というのがくると、わたくしも期待し、望んでおります。
そのような時代が現にくるのです。

やはり精一杯努力とともに人生の中で生かしながら
その上でやはり女性としても幸せになってほしいって思われるのが
普通のお父さま方の姿ではないかなと、わたくしなんかは思うのです。

そこなのですよ。
その姿に、父親であるのならば女性に対して寛容になれるのに
男と女の関係になると、どうしても男性方は女性に対して厳しくなるのです。
そこのところを、どうか父親のような思いで
これからの女性たちに対して接していただきたい。

女性のほうから言うと、やはり女性が自分の中で
悪あがきの中で騒いでいるようにしか見えなくなっても
男性方のほうから、そういうあなたのように社会的にも
ステータスのある優秀な男性の立場から
女性を応援していただけるのであるならば
わたくしたちも女性の精神的な進歩向上と
そして解放というものに対しての、大きな推進力を得られるような
頼もしさというものを感じさせていただけると思います。
だから、ぜひとも応援していただきたいのです。

(2005.2.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-19 12:54 | 平塚らいちょう | Trackback | Comments(0)

木花咲耶媛命からのメッセージ

女性が上品であるとか下品であるというのは
やはり周りの方がたがそのようにお思いになられるのでありまして
その本人が上品に見えるように
または下品に見えるようにと思って振る舞っているのではないのだと思います。

そして、女性の美というものに関しましても
けっして周りの方がたから美しく思われたいとか
醜く思われたいと思い、装う者はいないのだと思います。
ただ結果として、周りの方がたがそのようにお思いになるという
そのような意味があるのだと思います。

それは内的にどういうことかと言いますと
私のようにこの霊天上界のほうにおります者から申しますと
女性であれ何であれ、内的なものはすべて
その方の魂、品性によるものであると思います。

ですから、その品性におきまして
慎ましやかな、清楚な、他者に対するいたわりと
そして愛にあふれた献身的な女性らしい生き方をしている者には
自ずとそのような謙虚さの中から醸し出す品位というのが
出るのかもしれません。
私はそのように思うのです。

ですから、内面を自分の自我我欲の中で、自己本位に生き続けていたのなら
たとえ若い頃いかに美しい目鼻立ちであり
そして高級な衣服を身に着けていようとも
年齢とともにその方の品性の醜さが、やはり目鼻立ちを通して醸し出されて
どんなにお上品ぶった言葉遣いや身なりをしてみたとて
その方の醜さというもの、品位のなさというものは、見る方が見たのならば
表面から見てわかってしまうのではないかと、私などはそのように思うのです。

それがわからず、女性はどうしても自分が
これが美しいと思い込んだものにより、一生懸命身を装い
そしてやはり、男性、殿方に美しいと言ってほしいがゆえに
一生懸命その美の外面的なものにのみうつつを抜かし
内面を磨くということをおろそかにしがちなのが、また女性ではないのかと
そのように思うのです。

男性であられますならば、若い頃
けっして美男美女と呼ばれる方でなかったとしても
内面的に男性でありますから
仕事や社会に出て磨かれ、そして、もまれていくうちに
己の仕事というもの、力量というもの、そして人間関係を通した中において
その方の精神的な人格的な成長というものが
やはり社会の中で人間関係の中で問われ
そして本人の自信となりますからその研さんの仕方により
年齢とともにそれにふさわしい顔立ちというのが出てくるはずなのです。

ですから、目鼻立ちを超えて、年齢を重ねれば重ねるほど
俗に言います、よき殿方、凛々しいお姿というものが
殿方にはふさわしい容貌として備わってくるものなのだと思います。
でも、女性の場合はいかようにしましても
やはり若き頃がいちばん美しく花の時であると思うのです。

ですから、女性は花にたとえるのならば、盛りの時は短く
その時のことが忘れられぬがゆえに、年いけばいくほど
あの若き美しき頃よ、もう一度、と思いながら表面だけを磨き
そしてその時に執着するがあまりに
若返りとかそのようなものだけにうつつを抜かして
内的なこと、そういうものにもまれるチャンスが
やはり家庭に入る女性などは少ないので
そういう内的な成長というものをおろそかにして
肉体の衰えゆく自分だけを嘆いていく。

そのような表面的な美意識
そしてそれに対する男性たちの反応に一喜一憂してしまうという
自分を見失っていくという、そのような哀れさ、悲しさというのが
また女性の性なのかもしれません。

でもそれはやはり、男性に愛され、男性に美しいと言われたいという
それにより守られて愛深く生きようと
神様よりそのようにつくられた
「女性」という神性ならではのものかもしれぬと
それも宿業かと、私などはとらえているのでございます。
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ですから、私たちの世界に来れば
霊的な美しさというのはもちろんあるのです。
霊体として皆さま方にも入っておられる姿というのがあるのです。
でも地上に出たときは、やはりご自分の計画、修行に合わせて
ご自分たちがその肉体をつくって来られるのです。

逆に、ものすごく女性にもてるような、そのような姿かたちをしたのならば
自分の霊的な、内的な成長の過程において、必要以上に女性に誘惑されて
そのような修行ができぬからと言って、ご自分の姿かたちを
あまり見目麗しすぎないようにと設定される
男性方もおられるということです。

女性においてもそうなのです。
飛びぬけて美しく出て来られる方というのは
その方の霊的な体の表現体である場合もございますが
それ以外には、逆にそのような環境において、逆に美しすぎる
美人薄命とよく申しますけれども
あまり幸せになっていない場合もあるのです。

幼き頃よりちやほやされることにより、心がひじょうに自己本位に走り
男性に仕えられることが当たり前になり
愛と優しさと獣身というものを学ばずして大きくなり
結果的に中高年になってから不幸な人生を閉じていくという
そのような場合もあるということなのです。

かつて美しいがゆえに業を重ねた女性は
また次に出て来たときに、飛びぬけて美しい姿を持ち
同じような試験を受けて
今度こそはそういう姿を持っていても愛深く生きることができるか
謙虚に清楚に、つましく貞淑に生きることができるかということを
問われる試験をその方たちが受けている場合もあるのです。

ですから、自分よりも美しく生まれている女性をむやみに
一般的に女性たちはうらやましがるかもしれないけれども
そのような課題というのが、個人個人の方の人生に課せられている以上
けっして人様の容姿というものをうらやむ必要はないのだと思うのです。

ご自分たちの宿業を返すために
あえてそのような姿を選ばれているということ。
そして、もし望むのであられるのでしたら、皆さま方、次に出られるときに
どれだけでも肉体的に美しい姿というのは用意できるのです。

そのような場所に出て来ればよろしいし
そのような遺伝子というものを持つところに出て来ればよろしいのです。
ですけど、そのようなことは逆に今の段階では
自分自身の道をあやまつものとして、あまり多くの方が好んで
平均か平均よりちょっと美しいぐらいでいいではないかというところで
逆に設定されて来るのが普通なのです。
ですから、女性にとって美という問題は、殿方の男性方から見ると
ひじょうに致命的に人生の価値観を左右する問題なのです。

男性方にはわからないぐらい女性にとっては、深く、深く傷ついたり
喜んだりするのがまた美というものであるのかもしれません。
でも、そのようなものにあまり見失われず
ご自分の心を研さんされていくということ。
霊的にも魂的にも、人格的にも
女性として美しく気高く生きていくということ。
そのことをもって、その方の品性というものを、女性としての美しさ
神の子としての女性霊の美しさというものを表現できるのではないかと
私などは思うのでございます。

(2005.7.28 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-18 07:46 | 木花咲耶媛命 | Trackback | Comments(0)

日向(ひむか)からのメッセージ(15)

原点は夫婦であります。

確かにもう少し地球が高度な惑星になれば
自分の魂のパートナーと呼ばれている方たちと
巡り逢っていくこともあるかもしれません。
今の地球ではそうでない場合もあるのです。

でも今生この方と一緒に結婚し、この人と愛ある生活を育み
そこで子どもをつくりたいと
一時はそれを覚悟し、結婚されたのではないでしょうか。

そうであるのならば、その状況をしっかりと受け入れることです。
そして、よっぽど問題ある場合でしたら
それは別れていっても構わないのですけれども
そうでない限りは子どもを授かったというのは
しっかりその夫婦に縁があったということです。

であるのならば、男性たちもそうですが
妻たちよ、女性たちよ、その夫に仕えなさい。
夫に主導権を渡しなさい。
夫を尊敬し、夫が当たり前のように、外でお金を稼いできてくれることを
当然の権利とし、子どもにうつつを抜かすのを止めなさい。

子どもよりもまず、夫を愛し、夫を大切にすることです。
夫婦がほんとうに愛し合っているところに、悪い子どもは育たないのです。
子どもが、やはり母親が夫をないがしろにし
父親のことをばかにしている姿を見れば、そのあとで思春期以降になって
母親たちがほんとうに子育てに苦労する段階がくるのです。

父親を大切にし、そして父親は母親を大切にする。
家の中でのことを任せっぱなしではなくて
やはり母親たちに対して、妻に対して温かい言葉をかけてあげてください。
女性というものは言葉によってひじょうに傷つきもしますが
また言葉によってたいへん喜べる生き物でもあるのです。

「愛しているよ」などというと
日本の男性に関してはとても照れくさいのかもしれません。
でも、「自分はほんとうに夫に愛されているのか」と
不安になるのが女性なのです。
「今さら言わなくてもわかっているじゃないか」っていうのが
ご主人たちなのです。

でもどうか、そこらへんをいとわず
愛しているよということを言葉でも何でも
照れくさかったら遠回しにでもよいのです。
奥様の喜ばれる言葉をかけてあげていただきたいのです。

そうしたら、奥様はまた頑張るのでしょう。
そして、なおいっそう仲睦まじくなるでしょう。
その姿を見て、子どもは健全に育っていくのです。
そのことを忘れてはいけません。

夫婦がまず仲良く、いたわり合って、愛し合っていく姿の中に
尊敬し合って、お互いに立て合っていく姿の中に
役割分担を尊ぶ姿の中に、家庭の愛の基本はあるのです。

そこに次の段階として子どもが授かってくるのです。
子どものために親の人生があるのではありません。
親たちの人生の延長上に、子どもたちが授かっていくのです。
そして子どもたちは、時が過ぎれば成長し、羽ばたいていく。
そしてまた、夫婦男女ペアの原点に戻ってくるということです。

老後の自分たちのことを
いたずらに子どもたちに面倒を見させるためにしばってはなりません。
夫婦でいたわり合うのです。
その時こそ、数十年の夫婦愛が何であったのかということを
再度問われるのです。

どれだけ社会で立派な仕事をされていた方でも
定年退職をし、家庭に入ってきたときに
仕事を終えて抜け殻のような気分のときに
妻による愛ある家庭が待っているのか
それとも粗大ゴミと言われてうっとうしがられるのか
それは数十年のそれまでの夫婦の架け橋の架け合い方によるのです。

そこがしっかりと絆ができていれば、戻って来たときには
それこそお二人で旅行に行ったり
楽しい、楽しい老後が待っていることでしょう。

その時に、家にゴロゴロいられるから嫌だとか
お父さんが毎日いるから私は好きなことができないとか
お給料をもらってこなくなったのなら
もう別れて、離婚してしまいたいとか。

よく退職金をもらったら離婚したいというご夫婦もあったようですけれども
そのような情けない―
それはもう、あなた方がどれだけ外で仕事をしてお給料を稼いでこられても
夫婦生活において、家庭愛において失敗したという結論がそこに出るのです。

そうならないために、数十年の人生、大切な今生の人生において
奥様方にねぎらいの言葉を、愛の言葉を
若いうちからかけてくださるということ
そのことを私はぜひお願いしたいと思うのです。

そして、女性たちに厳しいことばかり言っているかもしれません。
でも男性方が家庭の中に心を砕くよりも
妻たちが、女性たちが家庭に心を砕いてエネルギーをかけるほうが
ずっと時間的にもエネルギー的にもたくさんあるのです。

ですから、子どもたちの幸せのためにも、自分たち夫婦の愛ある生活
幸せのためにも、どうか家庭を第一義として
母親として、妻として、その宇宙の創造者として
神のごとき愛の体現者として
この家庭を通してご自分の修行をされ、学ばれることを誇りとされる人生を
ぜひとも生きていただきたいと思うのです。
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その子どもたちが、あなた方がいずれ死んでいったとき
私たちの世界に帰って来たとき、その次の地球の未来をつくるのは
あなた方が愛により育まれ、育み出された子どもたちがつくっていくのです。

この地球の未来は、あなた方の愛の賜物である
次の世代を担う神の子たちが担っていきます。
そのことを考えるのであるのならば
あなた方の仕事はけっしてつまならい仕事ではないのです。

外に出て、いかなる仕事があるでしょう。
確かに女性の教師や看護師さんや
さまざまな、女性でなくてはできない仕事があるでしょう。
でも、そっちを大事にして
家庭をおろそかにしていいということは少しもないのです。

あなたがほんとうに愛を学びたい。
神の本質が愛である以上、神の子の本質は愛であります。
男性であれ、女性であれ、愛のエネルギーによりできているのです。
その尊い神のごとき愛を学ぶために、家庭というものを神はお与えになり
結婚愛というものを与えられたのです。

そうであるのならば、その家庭というものを通して
どうか女性たちが修行され
神の子としての未来というものをつくるために力を貸していただき
女性の誇りというものを取り戻し、社会の中において要らぬ
今のような不幸の種というものをなくしていただきたいのです。

女性たちの努力次第で
そして、女性たち、妻たちを理解する夫たちの夫婦愛を取り戻すことにより
今の社会の中で異常に増殖しているこのような不幸な現状というものの
大半が取り除けるということを私は申し上げておきます。

暴力沙汰、その不良化におきましても
やはり小さい時の子どもたちとの接し方にあるということ。
そして、一時暴走していっても、不良化していっても、さっき言ったように
相手をほんとうの意味で信じて待ってあげる。
ほんとうの意味でその子どもが戻って来るのを待っていく。
それも、先ほど申し上げた忍耐というものの愛の側面でもあります。

けっして見捨てない。
けっして逃げない。
それが愛の本質でもあります。
神は常にそうして、忍耐の時の中で人類を育まれておられます。

私たちもそうであるのならば、家庭というものを介在として
私たちの中にある神性の愛というものを学ぶために
ぜひとも家庭人として、家庭の中における役割を
神性なる役割として受け入れ成長するために
私たちは頑張っていきたいと思います。

それは現代の女性たちに対しての、私の心からのメッセージであります。

(2005.8.2 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-02-17 07:56 | 日向(ひむか) | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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