地球を愛の星へ

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須佐之男命からのメッセージ(2)

清算をこれからするということは、けっして脅しでもなんでもなく
そなたたちが招いてしまった
大切な、大切なこの地球という星を汚しに汚してしまった
そなたたちの罪である。

それに気づいたのなら、一日も早く、一人だけで、自分たちだけで
一国だけで幸せになろうと思うような、自分さえよければよいというような
そのような自己本位な思いを、生き方を捨てることである。

愛と感謝に目覚めたのなら、今度は自分たちで、この地球という惑星に
大自然の恵みに対して返していけることを、なせることを
その一人ひとりの努力を始めなさい。
それがひいてはあなた方の命を守り、幸福を保証することになるであろう。

自分自身を捨て、多くの者たちのために、多くの者たちの幸せのために
多くの人びとを、多くの大宇宙の者たちを愛するために生きるという
その発想の転換をしなくては
そなたたちは今回の文明で行きつくところまで行ってしまっているのである。

究極的には、核兵器というものを使い、大自然の生態系をばらばらにし
この地球という惑星の息の根も止めようとしているのかもしれない。
そなたたちは、神の愛がなくて、この地球という惑星に抱かれて
育まれるという愛なくして、一体どこに行って住まおうというのか。
この美しき星は、丸く、そなたたちが汚してしまったものは
必ず一巡りして、そなたたちの国の上に、頭上に戻ってくることであろう。

自分さえよければいい、自分たちのエゴさえ通ればいいと
そのような思いでいるのではなく、自分の命をかけて
自分たちの存在が、多くの人びとを生かし
愛するために存在しているのだという
そのような使命感を持った者たちが出てくる時代がこなくては
この地球の危機は救われないであろう。

自然霊たちはそれを怒っている。
今まで必死に守り育ててきた、守ってきた地球の生態系それを
人間たちのエゴにより、動植物まですべてを含み、巻き添えにして
今この惑星を苦しめようとしている。
現に動植物たちは苦しんでいる。

やれることはいくらでもあるはずなのだ。
やれないというのならば、それはそなたたちがほんとうの意味で問題意識を持ち
自らの人生の中でやれることから逃げているだけに違いない。
やれることを探しなさい。

そしてこのメッセージを世界中に伝えていくことによって
多くの者たちが同じ思いで地球という惑星を愛し
自らの人生の方向性を、価値観を変えていったのならば
この地球という惑星は救われていくことであろう。

しかし、このまま各国の利害と、各国のエゴだけで
力に任せて競い合うのであったのならば
早かれ遅かれ地球は壊滅的被害を受けてしまう。

そなたたちの肉体がこの地上に存在することがもうできなくなる前に
そなたたちの肉体を使って
まだそなたたちが自分たちの主張が展開できるうちに
一人ひとりが今、これから未来の地球をつくるために何ができるのか
何を言わねばならぬのか、それをしっかり押さえ、発言していきなさい。
そして行動していきなさい。

神理というものは、神法というものは、頭でいくらわかっていたとしても
おのが人生の中の行いとして反映したものでなくては何にもならぬ。
生きた法とはならぬ。

わたしは地上に出た時、理屈よりまず何をせねばならぬかを思ったのならば
それに向かってしゃにむに戦い、挑戦し続け
行動し続けたという思いがある。

そなたたちも、今この時代の大転換期、新たな時代を生み出す
大きな、大きな潮流の要の中に今、生きているのであるのならば
わが身を捨てて、勇気を持って
次の時代の理念となるべき根本法を伝えていただきたい。

まだ社会を立て直す、荒療治の時代には少し早いかもしれぬが
そなたたちが見る、そなたたちが指し示す、地球の未来に向かって
これからの人類たちは歩んでいくことであろう。

それこそが、神が望み
神の子である地球人類が本来的に求めている道であると
一人ひとりが納得したのならば、いかなる奇蹟も起きるであろう。
しかし、それには、自らの肉体を、自らの保身を、気を取られ
その欲の中で人生を考えていくようでは
なかなかこの道は険しいかもしれない。

地上に肉のある身、それがたいへんな道のりであるということは
重々わたしも知っているが、その苦しみもよくわかっているが
どうかこの新たな道標を打ち出し
多くの人びとが気づけるところにこの神理の道を引くまで、道を通すまで
頑張り抜いていただきたいと思う。

地球人類が、自らが何者であるのか
そして、どのような方向に向かって夢を共有することが
新たな時代をつくっていくエネルギーになっていくか
新たな潮流をつくっていくことができるか
そこにかかっているようにわたしは思う。

いつでも新たな時流、そのときの時代の流れをつくるには
最初流す者たちの根気強い努力がいることはわかっている。
時には力任せで押さなくては道がつくれないときもある。
でもそれを、荒ぶることを、人に後ろ指さされることを恐れるな。
自らの名誉は、自らの保身は、自らの批判は、受けて立ちなさい。
そんなわずかなことに心を揺らし
そんな小さな心で新たな時代の幕開けは切って落とせないのである。

常に新たな時代の草創期というのは、そうやって切って落とされている。
女性が、姉上のように立つ、この時代であるならば
レムリアに集う男性たちよ
そなたたちは本来の男性霊としての、男としての力を発揮せよ。
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女性がその天の法を預かる時
それを地上に降ろし、実行するは男性の役割であるとわたしは思う。
その時に男が雄々しく、本来の男性として、男らしくなくてどうするか。
男とは、やるべき自らの使命に対して命がけで、命を捨ててでも
その生き様の中でその神法を預かる方の意思を実行するために
全精力を使って生き抜く者たちのことを言う。

男が男であるがゆえに、そのエネルギーの源は開かれていくであろう。
女性が男性のように生きることは、本来の女性のパワーを出すことにはならぬ。
男性がそなたたちの中にある
本来の男性としての力を引き出したいのであるのならば
女性を守り、神の法を実行するために命がけになってみよ。

その責任感、その使命感、そこをほんとうに腑に落とした時
そなたたちの魂が男性霊としてつくられた本来の力というものが沸き上がり
生命エネルギーとして立ち上ってくるであろう。

その力を全開させ、魂の中から男性としてのパワーを開いた者たちの上に
龍神たちは援護に行くのである。
そのような者たちでなければ、龍神は扱いきれない。
そのような龍神たちというのは、その者が実行しようとした時
その後ろ盾となって、追い風となって、その者の行き先を守り、協力し
エネルギーを倍増させる力を持っている。

でも、彼らに協力を願い、もし彼らを使いこなそうと思うのならば
彼らが主人であると認めるような男となっていかねばならない。
そうなった時、援護を受けた男の中の男たちは
社会を変えていく英雄となり、偉人となって
時代を、一時代をつくっていくことであろう。

大きな時代の転換期の中で、常に時代というものは
英雄と呼ばれてきた男たちの手により展開されてきたように思う。
そういう時代の節目、世界中の時代の節目の中に活躍をした者たちは
必ずや彼ら自体の力以上のバックアップというものを得て
その力を呼び込んで、一時代を築き上げて、たたきあげていくのである。

そなたたちの中には、このようなことをする役割がある者が
まだ少ないかもしれないけれども
仏教関係の者たち、キリスト教関係の者たち
法を預かる、法を編纂する方たちが多いかもしれない。

でも、わたしは言っておく。
これからレムリアに来る者たち
そして次の時代に集って来る者たちに言っておく。
そなたたちが
今この者たちが降ろして編纂しているレムリアの霊言の中にある神法
神の法というものを地上に打ち立てていく時、神の国をつくっていく時
今わたしが言った力を引き出していける男たちが
そのうち集まって来るであろう。

そなたたちの時代を、力を吸い上げ、そなたたちが力を合わせることによって
次の激動の男性たちの時代がまた繰り広げられていくのである。
ひとりで生きていると思うな。
ひとりだけで、自分だけですべてがなせると思うな。

依存心はもってのほかであるが
多くの者たちの協力により、神の導きにより、大自然の協力あってこそ
そなたの力も、魂の力も引き出され、作裂するのであるという
多くの者たちに守られているからこそ
そなたたちが力を発揮できるのであるという
その言葉、その心境だけはくれぐれも忘れないことである。

その思いがあれば、多少、力任せなことをしようと、押しの強いことをしようと
法力を使おうと、それはけっして間違ったものにはならぬ。
多くの人びとを幸せにし、神の愛に報いるために
我が身を捨て、我が人生を捨て、できることを探していく。

次の時代に来る政治家たちよ。
経済を動かしていく者たちよ。
学問、教育の分野を立て直していく者たちよ。

明治維新と呼ばれている時代に
憲法も含め、社会の根底から理念が変わっていった。
新たな宇宙時代と呼ばれている、神の国の幕開けをするには
憲法というものの代わりに、神法と呼ばれている
神の国の理念というものが中心になり、国家が再編成されていくことであろう。

そのときは、やはり自らの国、一国にこだわり、自らの宗教にこだわり
自らの概念、思想にとらわれ、あちこちでぶつかり合いもあるかもしれぬ。
でも、心を揺らすことなく、大いなる神の国実現、神の御心の中に存在する
本来の神の国、ユートピア実現のために
そなたたちは向かうべき、しっかりとした夢と
ヴィジョンというものを共有しなくてはならない。

全部同じである必要はないが、やはり皆が共通の
「ああこれこそが、この方向こそが、間違いなく多くの人びとを幸せにする
本来の地球のあり方であり、神の子としてのあり方であるのだ」と
それがいちばん神もお喜びになり
わたしたちもいちばん幸せで、喜べる姿なのであると
そのことを深く認識していかなくては
この地球の未来に神の子、我々の、幸せな姿はないのであると
そのように思っていただきたいと思う。

(2006.10.7 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-30 12:24 | 須佐之男命 | Trackback | Comments(0)

天之御中主之神からのメッセージ(10)

大方だめであろうと、もうだめであろうと悲観的になった時に
かつてのフランスにおいてジャンヌ・ダルクが出てきたように
ひとりの女性に白羽の矢があたり
本人が望むと望まないにかかわらず、嫌がろうと、嫌だと言おうと
天上界からのメッセージが降るように降ろされているのである。

その言葉を伝えることをもって、神が望まれる道
その計画の意義、右往左往し、狼狽する地上の者たちに
こちらの方向に行けという、道標を示すということ。
そのことをもってこの方の使命はある。

だから、細かいこと、詳しいこと、専門的なこと
そのことにのみこの人に期待し
追い詰めるようなことをしてはいけないと思う。

ひじょうに、男性が受けても難しいような、ダイナミックな
規模の大きな計画で、使命であるから、ひじょうに多くの責任感を感じ
また先ほど言ったような自分の能力に対する自信を失い
何かトラブルが起きるとすべて自分が至らないという
自己処罰の概念がこの人に出ているから
本来病なしというのにもかかわらず、病に苦しめられていく。

その思いはこの人の中にある責任感ではあるけれども
それは現実とのギャップの中で
ひとりで背負うべきものではないとわたしは思う。
だから、あれもこれもこの人にかぶせることはやめなさい。
そうしなければ地上での肉体がもたなくなってしまう。

それに対しては、あれもこれもレムリアに対して頼む我々が
天上界の者としてはたいへん心苦しいところではあるけれども
レムリアはやらなくてはいけないことがおおまかに見てもたくさんあるから
そのおおまかなことであるかもしれないけども
やらなくてはいけないことをまず整えていただきたいと思う。

欲を言えば、やりたいこと、降ろしたい霊人もたくさんおられると思う。
わたしたちのように、何度も何度も出て来られる者たちと違って
一人ぐらい、あの方も
この方も出してほしいと思われるかもしれないけども
でもそのようなことは二の次にし
まず今、天上界が何を望み、おおまかな道筋で
何を地上の人類に伝えなくてはいけないか。
それから優先してとっていただきたいと思う。

その上で、やはり様々なトラブル
撹乱というのはあるかもしれないけども
そのようなものは、この時代は一種の乱世の時代と同じであるから
そのようなものはただただ現れ、消えていく姿であると思い、とらわれず
その責任を全部自分たちでかぶり
自己処罰の概念で、そなたたちの心にも
肉体にもいらぬストレスがかからぬように
いらぬ病や不幸の種を自らが呼びこまぬように
わたしはそなたたちにお願いしたいと思う。

地上に今、生きているそなたたちの努力でこの地球の未来が決まり
そして多くの者たちの
この地球で修行しているこの多くの神の子たちの幸せというもの
幸せな未来というのがかかっているのである。

そう思うと、とても苦しいかもしれない。
過重な負担だと思われるかもしれないけども
今ここで踏ん張って、この計画が流れ去って壊れてしまうのを引き留め
体当たりでこの一度崩れかけた川の流れを
本来の道に戻す者たちが今必要なのである。

そのときに、その最先端にあたる者たちは
最も偉大なる常識人となれというふうに
そなたたちも学んできたかもしれぬが
時には奇異なことを言うものであると
世間に、家族に後ろ指をさされる者たちもいるかもしれない。

でも、この人類の大いなる文明の中における危機を
体当たりで道を修正することに
命をかけてくれる者がいるのであるのならば
どうかそのような世間の評価ではなく、神の目から見た評価に
そしてそなたたちが心の底で、神の子としていちばん知っている本質の
本心の神の子としての気持ちに納得できる生き方をしていただきたいと思う。

それぐらい、今あなた方の置かれている場所を、今の時代
今あなた方のいるということは
大切な、大切な意味を待った人生の時であるということ。
そのような歴史的な瞬間に今、命を持っているあなた方であるということを
気づいていただきたいと思う。

わたくしのほうから伝えることは
この日本神道として我々が光明思想と呼ばれてきた
光一元の思想というのがあるが
いずれは日本という国も使命を終えたのなら
ば衰退していく時がくるであろう。

そのときにこそ、世界に向けてこの光明思想が、神の子として誇りを持ち
大自然の中に生きるすべての神の子たちと和合し
大宇宙の神というのは、愛のエネルギー、愛の法則
ただただ愛のエネルギーが満ちているこの宇宙の神の体の中で
他の天体にいる宇宙人と呼ばれている神の子たちともみなで手を取り合い
大きな認識の中で互いに奉仕し合い、助け合い、神の体の一部として
愛というもの、光というものを表現しながら生きていく。

助け合い、地球というものを
もっともっと高い認識と、愛を表現できる惑星に光り輝かしていこうという
そういう素晴らしい未来を形づくっていく
そのような地球に、次の時代のページを開けていくことができるか
幕を切って落とすことができるか、それともこのままつぶれていくのか
そのぎりぎりのところにある今、時代である。

そなたたちも知っておろうが、北朝鮮という国が、今不穏な動きをしている。
それに連鎖反応的に、他の諸外国が、中道論ではなく
過激なことを考えながら、自国の利益というものでせめぎ合って
今世界的に危機的な状況をつくろうとしている。

ほんとうにちょっとしたショックがあったのならば
地球規模的な破壊は、ボタンを押した本人たちすら
その国の者たちですら滅ぼしてしまうにもかかわらず
思い込むと気が狂ったように戦い合い、滅びの道を突っ走るのが
悲しいことに人類というものであるかもしれない。
認識が育たない人類であるかもしれない。

だからこそ、今ほんとうの人類の
一人ひとりの魂のルーツを明かすことにより
その構造を、魂の構造を伝えることにより、このような悲劇的な認識の低い
殺戮にいたる滅びの道から人類は卒業できるように
我々は今回教えていきたいのである。

このような危機が追っている
このようにならなくてはわからないという者たちも多くいるであろう。
でも、もう我々の目から見たのならば、地球規模の大破壊が起きるか
一人ひとりが死ぬ気になって、この天上界からの言葉を伝えながら
本来の魂のあり方というものを、明治維新の時のように
一人ひとりが自覚をし
瞬間的に新たな時代の幕開けをしていくことができるか
ボタンを押して滅びの道に行くか
そのぎりぎりのところに立っている時代であるということ。
もっともっと時代認識を磨かなくてはいけない。
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我々が大げさなことを言って
地上にいる人類たちを、神の子たちを脅しているわけでも何でもない。
今そのような危険な状態に自らを追い込んだのは
地上にいる神の子たち、あなたたちではないか。
それを語ることしか、手助けすることしかできない我々が
必死にそこからの脱出を、脱却していく道標を必死に教えているのである。

どうか、そこのところをわかり、お一人お一人の、この地上での転生を
今の時というものを、自分の人生のチャレンジというものを
正面からぶつかり
日常生活のご苦労があるのはよくよくわかっているけれども
そのようなものに負けず、大切な人切な人生の時の中で
今あなた方は何をするべきか、何をしなくてはいけないか
それは我々からあなた方に命令するものでもなく、押し付けるものでもなく
あなた方自らが選び取り、覚悟を決め
命がけでこの計画に賛同し、頑張っていただけるか
そこにのみ今回の計画の成功か、失敗かの鍵がかかっているとわたしは思う。

どちらに転んだとしても、人類はまたその結果から学んでいくことであろう。
でも、できることであるのならば、このステップアップの機会に
一人ひとりが魂のより高度な学びの場へと行けるような
そのような幸せな未来をこの地球に、地上に表していける
そんな愛の星にできる
そのような今の時であったらどれだけ幸せであろうかと
そのために我々はどれだけこの今の時を待ちわびてきたかということを
私はそなたたちに伝えていきたいと思う。

わたくしが言うと多少、威圧的に聞こえるかもしれぬ。
でも、地上にいる神の子たちは、自由意志という
結果も自分で摘み取るけれども
人生の一コマ、一コマを自分自らが決めていけるという
自由意志というもの持っているから、よくよく見極め
そなたたちの人生をどう生きるかを、あなた方で決めていただきたいと思う。

この光一元という思想は、時として誤解をされてきたかもしれぬ。
でも、このような時にこそ、最も効力を発する教えであると思う。
今の時代、悲観的なこと、暗いこと
ネガティブなことばかりを考えていたのならば
どれだけでも悪いことが浮き上がってくる現代である。

その時に、なるたけ自分の中にある、素晴らしい誇りある神の子の道として
光だけを見続けていこうと、そこを信じて、勇気を持って、頑張って
明るく生きていこうという思いは、このような暗い時代であるからこそ
多くの人びとを明るい方向に引っ張っていけるのであると思う。

そして、もう一度見失われた、文明の爛熟の時に、素朴な大自然の教えの中に
もう一度自らのルーツを見いだし、大自然の中に溶け込むことにより
もう一度自分本来の道を、見つけ直してみよう、発見してみよう
それこそが本来の自分の魂のルーツである。

愛への、愛のエネルギーである神へ戻っていく道であったということを
そなたたちはもう一度気づいていただける
そういうことを人類に提示していく。
それが我ら日本神道が信じ続けてきた、光一元の教えであるということ。
そのことをわたしは今日、わたくしの立場にから
あなた方に伝えていきたいと思います。

ご苦労であるということは重々わかっております。
無理なことを言っているのも重々わかっております。
でも、今地上におられるそなたたちしか
やれる者はいないのであるということ。
この大和の地から、この神の法を伝えていく者たちがいなければ
アメリカを通し、世界に経由していく
メッセージを伝えていく者たちがいなければ
この神の法は地球中に広がり
多くの人類たちを救っていく道はないのであるということ。

どうか、その今、道が、川が氾濫し、堰崩れようとしております。
そこを今、必死で、応急措置でこの者たちが押さえているけれども
どうか多くの人びとを連れて来て、この破れかけている堰をもう一度補修し
本来の神の、神理の大河が流れる道を、もう一度神の方向の
神のエネルギーが流れる、天上界のエネルギーが地上に伝わる道へと直す
天上界の手伝いをしていただけないかと
そのようにわたくしは思い、今日まいりました。

わたくしで伝えられること
わたくしではなく、また天照たちが伝えることもまた多くありましょう。
みな役割分担を持っております。
またできることでありましたら、いくらでもありますので
どうかいつでもお呼びいただきたいと思います。

日本神道は日本神道としての教えがあります。
まだ教えを出していない者たちもいるでしょう。
でも、いちばん大事なことはけっして難解な法を説くのではなく
まずこの素朴な、和心と申しますか、日本の中における大調和の思い
神の分としての誇り、勇気、明るさ
それを多くの人びとに伝えていくということ。

それこそが神の子としての原点であり
その神の子としての原点を忠実に生きるためにこそ勇気が必要であるという
それに尽きている。子どもでもわかることであるとわたくしは思うのです。
それをどうか伝えていただきたい。
あなた方お一人お一人の言葉で伝えていただきたい。

誰が言ったからではなく、それをしっかりと心に受け止めたのならば
そなたたちの言葉で語れるはず。
そなたたちの個性を通し
そなたたちの職場、家庭、社会における発信をしていただくことにより
世の中は確実に変わっていくのです。
構いませんから、わたくしの言葉に忠実でなかったというのでも
本質的なことがわかっていれば、少々のことはいいのです。

芸術においても、文化においても
我らが思いをどうか伝えていただきたいと思う。
そのような道をつくっていくことが
多くの人びとに、また法に触れるチャンスを提供することになると思います。

今度十五冊の本が出るということを
天上界の者たちも知って、たいへん楽しみに待っております。
思わぬところから出ていくことが
神理というものが四角四面なものであると思っているのが
逆に多くの人びとに、神理に対する警戒心というものも
また自分たちでつくり上げてきてしまった既成概念というものを
打ち破る道になるかもしれない。

あらゆるチャンスに、あらゆる可能性にチャレンジして
試してみるということ。
だめなら他の道を選べばいいのです。

ただ、くれぐれも法敵と呼ばれている方たちとのことには
慎重にしてください。
まだまだこれから先があるということを思い
慎重にしていただきたいと思います。
せっかく出た、この大切な、大切な芽を、可能性を
わたしはつぶしたくないと、見守ってきた者として思うのです。

(2006.10.14 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-08-28 15:26 | 天之御中主之神 | Trackback | Comments(0)

ピカソからのメッセージ

わたくしが、なぜ今日どうしても参加したかったかと申しますと
この方(アマーリエ)と長いこと魂の縁が深いところにおります。
もっと言うのであるならば
かの昔、同じ惑星(オリオン)よりともに来た仲間であるということ。
それゆえ、今日の状況
今回のエル・ランティの海外伝道におけます宣言を通して
どうか皆さま方にもっと目覚めていただきたい
気を引き締めていただきたい。
そのように思い、皆さま方にひと言お伝えしたくて参りました。

少し前になりますが
わたくしはやはり天上界での昔からの仲間であるYという者に対して
ORを通してメッセージを送ったことがございます。
そのときにも申したのですが
「あなた方の個性を自由に光輝かし、
あなた方の使命を、あなた方らしくやり続けよ」と
「頑張れ」というメッセージを送ったように思っております。

しかし、あのような結果になり、彼も地上での生命を終え
こちらのほうに、世界に戻っては来ましたけれども
今同じ世界にはいない状況であります。
今回のORの計画におきましての挫折というもの、失敗というものを
やはり我々は天上界でも相当反省をして
みんなで、次の第三の計画だけは成功させたいと
そのように思っていたのです。

わたくしは今日、絵画論を申すために来たのではないのです。
皆さま方に言いたいこと
そして、もう二度とそのような落とし穴に落ちてほしくないと思う
その気持ちを皆さま方に伝えに来たのです。

わたしはYという魂をこよなく愛し、ほんとうに仲のいい友人であるのです。
でも、ORにおいても、なぜ彼らがこのようになってしまったか
わたしは生前、彼らに対しても
前回出た時においても、再三忠告していたのです。

「ゆとりを持ち、人生に潤いを持ち、経験を積み、自己の魂を縛ることなく、
已に正直に人生を生きなさいよ」と。
「何百巻というお経を背中に背負って
山道をいつも、いつも刻苦勉励して行くような、
そのようなものであっては、自分も行き詰まるし、
周りの人たちもついて来られなくなるんだよ」と。

「人間としての魅力は、けっしてそんな、間違わないことを望み
優等生になって生きることではないんだよ」と。
「逆に失敗をしても、その失敗から多くを学び、
多くの人びとの傷ついた気持ち、間違っていってしまう気持ちに
ともに共感でき、涙を流し合えるそういう人こそ、
多くの人びとの支持を受け、
そして多くの人びとを導くことができるんだよ」と。
わたしは繰り返し、繰り返し、彼にも言ったのです。

皆さま方ご存じのように、わたしの人生は画家として見ても
たいへん恵まれたものでもありましたし、何度も結婚もしましたし
恋人も愛人もいたし、あなた方ご存じのように、おいしいものも
お城にも住んで、好きなことをして暮らしたということもあります。

それが、じゃあ果たして間違っていて
そのあと、下の、地獄の世界に堕ちたかというと
そんなことはないんです。
それはやはり、絵画というものを通して
一大芸術を通して、神の国の世界を表現したいと
そういう思いに満ちて、毅然と、批判にも負けず
自らの使命を、自らのやるべきことを
仕事を通して貫き通したからこそ、そのような私生活などは
何もわたくし自身を地獄に落としたりということはなかったのです。

でも、お坊さんたちというのは、ちょっと生活が外れると
すぐ反省だのなんだの言って、自分をいじめてしまう。
自分をいじめすぎていくと、魂の自由な伸びやかな
自らの中にある良さというものを
自分らしく表現し、出すことに臆病になるのです。
人の人生を脅かすようなことが
自分の自由意志の発動によって他者を傷つけるのであるのなら
それは明らかに間違っていると思う。

でも、我々は神より、一人ひとりの魂を個性的につくられ
そして自由意志というものを与えられ、そして創造の自由というものを
その神の属性としての神の子の能力として与えられたのではないのか。
であるならば、わたくしのような芸術家でなくても
あなた方一人ひとりにおいても
あなた方自身でなくては人生の中に
世の中のなかにクリエイティブに表していく創造能力というものが
あなた方に与えられているはずなのです。

それは芸術家だけではないと思う。
でも、それは誰ひとりとして同じものではなく、あなた方であるからこそ
唯一のあなた方であるからこそ
できる仕事は皆、千差万別違うのであるとわたしは思うのです。

そのときに、他者と比べて間違えないことを、そして人と違うということを
世間の常識から外れないという型の中にはめて、自分自身の魂の
個性の可能性を表現することを限定してしまうということは
たいへん、わたしから見ると
魂にとって不自由な束縛を与え、自由を失わせ
自分自らの力を封印することになってしまうと思うのです。
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神は、「己自身に正直に、そしてあなた方自身を輝かせよ。
そして大きな神の子としての光を輝かしたら、高々と掲げよ」と
そのように望まれていると、わたしは思うのです。
わたしがキュービズムを出したときにおいても、わたしの私生活においても
そして画家がああいう生活をするということに対しても
ひじょうに批判的なもの、世間の評判はたくさんあったのです。

画家というのは貧乏で、芸術家の中においては
とってもアーティスティックに生きるほうが、美学的にもいいというふうに
やっぱりその時代のヨーロッパでもあったということから考えると
わたしのような生き方は、怠惰な、豪奢な生活であるということで
やはり、非難も受けましたし
やはり幾度となく型破りの恋愛をしていくということも
ひじょうに眉をひそめられていくことでもあったのです。

でも、わたしは負けなかった。
それはわたしが、わたし自身の魂に正直にならなくては
わたし自身の中から出てくるクリエイティブなパワーというのは
表現できなかったからです。
それをなぜわたしが言うかというと、あなた方お一人おひとりの力を
これから先出していかなくては、エル・ランティが言われたようなことは
実現不可能であるということを言いたいのです。

わたしはかつてYにも言いました。
「百冊の本を出せ」と
「百冊以上の本をあなたは書きなさい。
五百回以上の講演会をやりなさい」と。
「数をやり続けることが、いつかその中に、
いいものも悪いものもあるかもしれないけれども
打ち続けていく中に、多くの人びとに知られていき
その語っている言葉が真実であるという評価を世間に広げていく。
そして、その世間の評価で一流になることがあなた方を守り
あなた方の神理の伝道を守っていくことになるんだ」と。
「けっして有名になること、豊かになること、
それを、仕事を高く評価されることを怖れることはないんだよ」と。
そういうふうに励ましたのを覚えているのです。

レムリアが、今ひとつ本が売れない
そしてレムリアというところが今ひとつ飛躍できないところの中に
やはり今回、今までは資金的なこともあったかもしれない。
でも一人ひとりが、百冊以上の本を出すんだと
世界中の地球の裏側にまで、レムリアのメッセージが伝わっていくんだと
そのようにもう受け入れて、そのような現実を皆が固く信じて
そして迷うことなく行動していくという、そういう少々のことにへこたれない
弾丸のごとく出し続けていくんだと。
どんなことがあろうとも
たとえ、うまいものを食べ、酒を飲み、愛人を囲おうとも
そんなことかまわないと、それでもわたしは倒れても仕事をし続けるんだと
そのようなハングリー的な情熱
そのようなものが今ひとつこの頃欠けているように思うのです。
それがなければ、道なき道を開いていくということはできない。

どうもあなた方は、前回のK会においても、お坊さんばかり多いから
道から外れないように、道から外れないようにばかり思うから
型破りなパワーというのが出てこないように思うのです。

いいじゃないですか、人と違ったって。
わたしや、自殺をしたゴッホにしても
みんな下の世界に帰っているかといったら、帰ってやしないんです。
地上に生きている間に、どれだけ神の思いというものを表現することに
短い地上の命であろうと、長い地上の命であろうと
自分の信じた仕事をやり続けたか。
それだけが、こちらの世界に帰ったときに評価されるので
そのときの乗り物がたまたま数十年
あなた方の肉体を持っていたというだけであって
その終わり方などはそれぞれが決めればいいことで
それを神がいちいち裁くわけがない。

もっと自由になっていいということを
それをわたしはあなた方に伝えたくて、今日来ているのです。
そのパワーがない限り、道なき道をつくっていく
革命を起こしていくなどという
そのような大それた歴史的事業は、果たし得ないのだということ。

わたしは少なくとも、わたしの人生を愛しました。
そして、わたしの仕事を情熱を持ってやり続けていった。
ナチからいろいろ言われた時においても
わたしはけっして自分の方針は曲げなかったし
わたしは自分の作品をもって、我が人生の主張を押し通したし
キュービズムでおかしな絵を描いてると散々批判があっても
わたしから見ると、霊的に見た世界を表現することに
たとえ、後半それで批判され、収入がなくなってきたとしても
「それは確固としたわたし自身の芸術的表現である」と言って
引かず仕事をやり続けたということがあります。
あなた方もその覚悟を持ってほしいのです。

(2006.8.12 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-27 12:34 | ピカソ | Trackback | Comments(0)

墨子からのメッセージ(6)

神理知識もしっかりと積め込んだあなた方に必要なのは
感性を通した、理屈を超えた、あなた方の人生の実践の姿の中に
あなた方の神の子としての、本来ある姿を現していく姿であるのだということ。
そのために神はあなた方の前に、女性エネルギーを与えられたのです。

女性エネルギーの中に包まれなさい。
一切、理屈を超えて、弱さを超えて
すべてをこの母性の中に受け止めてもらいなさい。

あなた方男性たちは
自己の優劣関係を競うがために、へとへとにくたびれているのです。
そんなくだらないこと、お母さんの目から見たら
とてもつまらないことなのです。

悪いことをしていたのならば
お尻を出してピシャピシャ打つのがお母さんでしょう。
お母さんが本気で涙を溜めながら、その子どものお尻を叩く。
それは、ほんとうに子どもが憎くて叩くのではないのです。
愛の中に、子どもをほんとうの意味で、本来の姿に戻すために
愛しているからこそ叩いていく。
それが母の愛であり、それが母性であるのです。
そこに優劣はない。
男性はすぐに優劣を知で考えます。

女性の愛の原理の中には、ただただ、圧倒的な受容性というのがあります。
どれだけ違おうと、何十人、何百人、何千人、何十億子どもがいようと
その子どもたちがどれだけ違おうと、どれだけ優劣があろうと
そのすべてをいとおしさの中で包んでいく、受け止めていく。

愛の中で、彼らすべての天命を果たさせるように励まし、激励し
そして、夢を、本人たちに夢を持たせるために
本人たち、一人ひとりの天命のために、よみがえっていくために
母の愛というものは、ときには厳しく、ときには優しく
子どもたちを包むのです。

これが女性原理なのです。
地球を貫く大地の中における、母親としての母性の原理なのです。
この原理が、この地球意識の中にもあるのです。

今の、この母としての母性の原理の中に、傷つき挫折し
もう万事休すの状態になった人類たちよ。
一度、この女性原理の中に自らを素直な形で投げ込んで
受け止めてもらいなさい。
そして、疲れを癒しなさい。
そして、あなた方自身の素晴らしい力を、もう一度よみがえった力で
母の愛の後押しの中でよみがえり
神の子としての本来の使命を果たすのです。

あなた方は素晴らしいエネルギーを持っている。
素晴らしい力を持っている。
でも、これは一度、母の愛により清められなくてはなりません。

無私な思いということ。
他者と自分を比べるのではなく
最大級の、受け入れていく受容性という中において
愛の中において清められていくということ。
神の前に、ただただ謙虚に、自らを投げ出していく姿ということ。
理屈を超えて、この女性の原理の中で
女性の姿の中で、学んでいきなさい。

知識というものが、いかに必要ではあったとしても
究極的には人を救い得ないのであるか。
自分はほんとうに知識は学んだけど、智慧ある者であるのかということ。
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何度でも言いましょう。
知識を、もう一度智慧にするには、愛ある実践行為の積み重ねなのです。
他者の痛みを分かち合う、ひとりでも自分の人生があるのならば
他者ひとりでもいいから、ひとりでもいいから幸せにしていきたいと願う
その心そのものが愛なのです。
自分を捨てる姿なのです。

自分を守って、自分だけが高みにいて、自分だけが傷つかず
自分だけは悪いことをしないで、他者に対して愛を説いても
誰もついて来ないということなのです。
自らの身を犠牲にし、自らの人生を投げ出し
あと先考えずに、それでも人類を愛する。

その究極の姿は、イエス・キリストのゴルゴタの丘にはりつけになった
その姿にあるのかもしれません。
けっして、みんなに十字架にかかる姿などはお勧めしないけれども
でも、十字架についたイエス・キリスト、ナザレのイエスの姿の中には
究極の愛の姿が現れているのです。

愛というものの中に自らを捨てて、人類すべてを愛していこうとする。
自分自身のすべてをさらけ出し、投げ出す姿をもって
神の愛というものを表現していこうとする。
そこまで究極的にいかなくては、愛というのは実践できないのかもしれない。
それを常に、アモールという生命体は、ご自分の人生の繰り返しの中で
愛というものを説く、その表現形としてこられたのです。

あなた方が別に、ゴルゴタの丘につけとは言いません。
でも、自己保身の中に愛はないということ。
愛というものが分かち合いであり、弱き者の痛みを感ずることであり
ひとりでも多くの人びとを幸せにする行為につながらなければ
愛というものをどれだけ説いてみたところでだめなのです。

神の愛というものが、宇宙の中で、多くの人びとを幸せにせんがために
太陽も無償の愛で光を捧げ尽くしてくれているのと同じで
わたくしたちは誰に評価されなくても、自らの内にある神性に報いるために
自ら神の子として、神の子であるということを実証するために
愛ある人生を生き抜いていきましょう。

理屈を超えて、愛というものを心の中にわき上がる情熱として、弱き者たちの
そして地球を生きる、生きとし生ける神の子、仲間たちとともに
この時代を共有し、分かち合い、ひとつの時代としての素晴らしき思い出として
この、これからくるユートピアを建設するために
愛というものを人類は学んでいきましょう。

そのために、あなた方がいるということ。
その一番の場所に、レムリアの方がたがおられるということ。
その中において、もう、ご自分たちの枠というもの
鎖というもの、かせというもの
自分が何宗の何であったというようなことも捨てて
多くの人びととともに、もう、地球教の中における愛の実践の使者であると
使徒であるというふうに思われ
あなた方の心に、人びとの心を自分の心として生きるような
分かち合いの愛ある姿が根づきますように。

それを、わたくしは
アモールと呼ばれている方の愛の根本理念を補足する意味ももちまして
今日、説明させていただきました。

(2005.9.3 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-08-26 12:30 | 墨子 | Trackback | Comments(0)

ゾロアスターからのメッセ―ジ(3)

それは多くの日本人において、神という名を語るのは恥じるということ
わたしから見たらまことに信じられない、まことに考えられぬ
ひじょうに愚かな国民のように見えて仕方がないのである。

神というものを語る時、誇らかに愛に満ち、自分の全存在の心を
生きがいすべてを神に認められるためにしていこうという
今の中東の人たちの姿を見ていただきたいと思うのです。

彼らにおいては、自分たちの宗教の枠にはまり
アルカイーダとかいろんな者たちが残虐なことをやっており
とてもあなた方日本人から見ると、宗教による恐ろしさというもの
宗教に狂った者たちが、あのようにも残酷になって、命をかけるのかと
信じられない思いであるのかもしれない。

でもわたしはその意味においては
彼らは狭い判断力しか持たないかもしれないが
根本において、神に認められるためならば、神に愛され
ほめていただけるのであるならば
この命捨てでも、大儀のために命を果たすのであるならば
たとえ露と消えようと爆薬とともに吹っ飛ぼうと
それにおいては、まさにそのように生き、そのように死にたいと
神に対する熱き思いを持ち続ける彼らを
逆に、ほめてあげたいような気がするのです。

信仰心というものは、まずそこがなくては
どれだけ難しい言葉を、難しい法を、知識を勉強したとしても
その熱き神に対する思いがない者に、神を語る資格はないのです。
信仰を語る資格はないのです。

まして地上にいる人間たち一人ひとりが、すべてが神の子であるのだから
神の子であるならば、神の奇蹟を伝える
そのような使命において、神と同通できるような者たちが
多くの使命の中で
地上の者たちを善導していく、その使命を全うしていく
そのためにお役に立てる姿こそ自らの誇りとなっており
自分の生きる価値として神に認めてほしい
「神よ、私は正義のために、こうやって散っていくのです」と胸を張り
神の前に自分の人生を捧げていく。

その熱い思い、これが我々中東と言われている地域に住んでいる者たちの
神に対する熱い、熱いラブメッセージであるのです。
これが信仰の原点であるということなのです。

冷たい知に閉ざされた、頭でっかちの神理で人の心は動かないのです。
熱い思いだけが人の心を、ハートを震わせ、人びとを駆り立て
命まで惜しくないと言って
一国を動かし、世界を動かしていくエネルギーになるのです。

高橋信次という方がいまだに
多くの人びとを魅了してやまない姿はなぜでしょう。
彼は知で法を説きましたか?
けっしてそんなに賢いことを言った人ではないと思う。
でも彼には熱き情熱があった。

この地上に最後の命尽きる瞬間まで、神のために、自分の信仰というものを
現象を通して多くの人びとに証明していきたいという
熱い、熱い情熱が、仕事に対する熱い情熱があったし
多くの彼の周りに集まってくる人びとに対し
熱い愛の思いが、高橋にはあったではないか。

それがいまだに高橋という方のファンを次から次へと生み
死してなお、復活してなお
その語る言葉の中に人を魅了してやまないものがあるからこそ
「高橋教」とまでいわれるほどの多くのファンが
次から次へと出てくるのではないだろうか。

彼はやはり砂漠の神であったという意味において
私たちと同通する熱い信仰に対する思い
そしてこの「ヤハウェよ、エホバよ」と言って
慕い来る信仰心厚き民たちに対する、エホバ、ヤハウェの神として
すべての自分のもとに来る民人たちを愛してやまないという熱き思いが
圧倒的な愛が、彼から流れ出てくる。

その心と心のぶつかりが、死してなお、高橋という人を
多くの醒めた日本人の中においても、慕わせる原動力になっているのだ。
けっして難解な知で法を説いたから
高橋という方がいまだに人気があるわけではないはずなのです。

初期の頃に彼が説いたことは、間違いも多々あるし
けっして難しい言葉ではないし
けっしてそんなに優れた高次元のことを言っているわけではないのです。

でも、知でどんなに法を説いたところで、人の心はついてはこない。
人気も出ない。
そこがORの焦りとなり
高橋、エル・ランティに対するジェラシーを生んでしまったのです。

それは、仏陀として生まれたORだけの責任とは言えないかもしれない。
確かにこの現代の日本という土壌の中に隠された
悲劇であったのかもしれないと
私はそのようにも思うが、でも神近き神仏からの
まして我々の世界から出た使者であるのなら
神の心に立ち返るということを
今一度彼自身の中で深く悟り、認識し、若き頃に自分の中から
キリスト教を通してでも、仏教を通してでも
その熱き信仰心に目覚めてほしかったものだと
心から悔やまれるのです。

その厚き信仰心あってこそ、大量の書物を読み
法というものを降ろしてこそ
その法の中に、熱き信仰の血潮の息吹というものが流れいで
多くの人びとを直撃する、圧倒的なエル・カンタラーの法となったのです。

仏陀の法に至りきれなかったのは、結果的に2600年前の
インド時代の釈迦意識を出すにとどまってしまった
それに終わってしまったのは、そこにおける、厚き信仰心
神仏に対する情熱というものが欠けていたがゆえに
いくら知を降ろしてみたところで、知で悟ってみたところとて
エル・カンタラーの法にはならなかったということです。

天上界におられるエル・カンタラーというお方は
それは、それは圧倒的な愛の持ち主であり
圧倒的な神仏に対する、謙遜な、謙虚な、深い信仰心の持ち主の方であります。

それは、それは、圧倒的なまでに謙虚な
圧倒的なまでに多くの地球人を愛してやまない
熱い、熱い心情の持ち主の方であります。

その熱情に同調しない限り、いくら知で彼が、人間ORが説いたとしても
彼には仏陀の本来の悟りというもの
エル・カンタラーの法というものは降りないし
同通できなかったのは仕方なかったということです。
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アフリカなどで、難しいことはわからなくても
自然とともに愛深く、神を畏れて生きている
原住民と呼ばれているアフリカの方がたがおられます。

外宇宙から移住して来ると、まずそのような未開の地と呼ばれるところに
地球での日常生活に慣れさせるために、そういう地にまず送るのです。
そして、地球人として第一歩、まず何を学ぶかというと
けっして物質文明が豊かではなく、学校教育もそれほど
本などもたくさんはないけれども
何をいちばん初歩で学ぶか、魂が学ぶかというと
それは自然という中における神というものと一体となり
神を賛美し、神に感謝し、ご飯を食べていけるということ
そういうことを、神に感謝し、祭りを行い
信仰深くまず生きるということ、そこをまず最初に学ばされるのです。

そこあってこそ、徐々に物質文明
そして、小学校、中学校、高校、大学という
高学歴の高度な近代社会の中に、順番に生まれ変わっていくのです。

いいですか、基本はそこなのです。
目に見えぬ神に対して
圧倒的な信頼と感謝と畏れというものをもって生きる。
それが信仰の原点であるということです。

ここが善悪でいう善と悪のいちばん大事なところなのです。
神とともに生きて、畏れて、神とともに信仰深く生きる。
これこそが善そのものであります。

その後は物質文明の中におかされながら
悪というものが徐々に徐々に忍び寄ってくる。
でも原点はまず、神とともに生きるという信仰心であるということ。
まず外の生命体、宇宙から来た者たちは
そこを地球人として、原点として学ばされるのです。
そういうプロセスがあるのです。

近代国家に生まれ、学歴も
そして物質文明の豊かさの中で生きているあなたたちは
もうそこのプロセスは終わったものとみなされ
より複雑な難解な修行の中に、試されていくのです。

でもいちばん大切なことは、神とともに生きるということ。
神の真意を自らの真意とし、善とし、神に忠誠を誓い
おのが人生を光り輝かし
そして精一杯生きた姿を父なる母なる大地を通して、神を認めて賛美し
神に認めていただけるという、そこにおいて自らの喜びとしていくという
そのような信仰態度を
それこそが神の子としての絶対的なる善の価値に伴う
そのような神の子として誇り高い生き方であると
そのように唱い上げて生きていけというのが
地球としての根本的な神理の流れなのです。

その意味において、中東の者たちはぶれているところも多いかもしれない。
でも、日本のこの冷たい、寒々しい、信仰心失われた姿を見ていると
どちらかというと
間違って傷つけ合った愚かさを持っているかもしれないが
確かにいま戦争の坩堝と化しているかもしれないけれども
彼らが神を求める姿は、まるで幼子が母親の姿を見失ったかのように
神よ、神よと母親を追い求めるかのように
恋い慕いながら神を追い求めているではないか。
神のためであるならば、死ぬことも誇りをもって
喜びをもって死んでいくではないか。

その判断において間違っていることがあるかもしれないが
でも、心から神を恋い慕い呼び続ける、その幼子のような
神を愛する姿を私は上から見ていると、いとおしく、いとおしく
これこそが信仰の原点であると、現代のこの日本の姿をみている
私のような立場にあるものには目に映ってしょうがないのです。

(2004.7.22 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-25 13:13 | ゾロアスター | Trackback | Comments(0)

須佐之男命(すさのおのみこと)からのメッセージ

わたくしが常にこの地上に生まれる時
それは新たな時代をつくる、新たな文明をつくる草創の時
まだ秩序が確立せず、この地上に神の御心を展開するには
まだ混沌とした時代に、その骨格をつくり、その道筋をつくる
そのような役割を持って地上に降り立っております。

あなた方のように、今、新たな時代をつくる幕開けとして
新たな社会を誕生させる時
それはある種の破壊というものをもって
次の時代をつくる産声をあげさせる道筋となるのです。

わたしが、かつてこの国、大和の国に降り立った時
あなた方の意識の中では神話の時代と呼ばれているのであろうが
わたしはわたくしなりに国づくりに貢献したと思っております。

その時、天上界の指導により、姉、天照大神と呼ばれている方が
天上界の意思をこの地上に伝え
わたしは弟としてそのとき生命を持った者であります。

なにやら、日本の歴史の中において、わたくしは忌み嫌われる
乱暴者というレッテルが張られているように思うが
女性的な調和というものをもって
神の心を伝え、人びとの心を平和に導く
そのような役割の方がおられる一方、その意思をその命として受け取り
日本のあちこちの国に行って、中央集権的な国家の礎として
国を平定して回らねばならない
国家としての基盤をつくらねばならないという
ひじょうに荒療治のような役割をする者も、あのときは必要であったのです。

なかなか、知的なことを言って、理論で
理屈で話をしてわかる者たちばかり住んでいた時代ではなかったがゆえ
荒療治のように、有無を言わさず
この計画を強行したというとこはややもしてあったかもしれないが
それにより、大和の国という、日本の礎
それが後に日本武(やまとたける)という
日本武尊とあなた方が呼ばれている方も
わたくしの仕事の延長にあられる方であるが
ともに国家の基盤というものをつくるために
わたくしも頑張ったという自負心があるのであります。

女性的な者が人びとの心を和まし
その優しさと母性より、多くの荒らくれたちの心を治め、国を調和に導き
神の御心を地上に投影することができるのもまた事実。

ただし、女性的なるエネルギーが、光を放とうと思えば思うほど
男性的な力の源である、ときには猛々しい、ときには押しの強い
ときには勢いが強い、そのようなものでバックアップせねば
国家は立ち行かぬことがある。

新たな社会をつくり、新たな理念のもとに国家が誕生する時
常にその理念の後ろ盾となって働く、わたしのような荒神系の者たちが
正義の名のもとに実行していく、国家づくりの基盤をつくっていく
アレキサンダーたちのような者たちが
常に裏で骨身を惜しまず働いているということを
忘れないでいただきたいと思う。
それぞれに役割が違うということ。
そのことを思っていただきたい。

先ほど、質問にあったが、わたしはあなた方でいう
裏神、荒神と呼ばれている範疇に
多少所属しているかもしれぬが、「本来神の役割に表裏なし」と思っている。
役割の違いだけであり、表と言われている者たちが
理念だけでまことしやかに言ったとしても、それを実行していく時に
そのパワーとしての源、それの根源のパワーを持っているのが
裏神や荒神と呼ばれている我々でもあると思う。

今、天地が一体になり、すべての者たちが手を取り合うことにより
地球規模の大改革を行おうとしている。
そのとき、我らが力を無視して
我らが力の協力なくして新たな時代の産声はあがらないとわたしは思う。

ときに派手にやり過ぎてしまうので、ご注意も多かろうが
わたしもあなた方を、ぜひあなた方の後ろ盾として協力したいと思うので
よろしく頼みたいと思います。

言いかけたが、わたしの手足として動いている龍神たち
龍神は基本的に水の中の世界によく住まうというが
山にいる龍神たちというのをご存知であろうか。

山、山岳というのは、本来が男神たちが住まうところ
仏教とかよく言うが、山というのは荒々しい男の霊気を秘めている。
そこを飛び、その力の自然霊としているのが、山に住まう龍神たちである。
その者たちの力を、わたしは我が力として、この地上を治めている者である。
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山は、時としてすぐ天気を変え、あっという間に雨を降らせ、雷を轟かせ
そして大地を潤し
次の瞬間は素晴らしい天候で人びとの上に太陽の恵みを降らす
そういう力の激しい、でもすぐ変わっていくような
変転していくような力を秘めたのが、山の者たちである。
山の神と呼ばれているところに住まう精霊たち
その者たちを治めるのもまた山に住まう龍神たちの姿でもある。

海には海の、海神という者たちがおり
山の中は山の神と呼ばれている自然霊
我々の中でいう、山の神という者たちがいる。
その者たちが、龍神たちをそれぞれに仲間とし
この地上界の自然というものを守り、治めている。

自然霊は時として気性が激しく、なかなかいうことを聞かない時もあるが
地球というものが本来生まれた時からあらゆるものの中に自然霊が宿り
大地から、海から、川から、山から、大気、空から
あらゆるものの中に精霊は宿り、自然霊は宿り
地上にいるそなたたち、神の子たち人間たちの修行を側面から守り
育ててきているのが、彼ら自然霊と呼ばれている者たちの役割なのである。

現代の者たちは、地上にいる肉体だけがすべてであり
その知に、自分たちのわずかな知におぼれ
自分たちだけがこの地上を創造しているのだと
地球で、宇宙でいちばん賢いのだと思い上がっているが
そなたたちが今、生きていられるのは、この地球という神霊
そして、その環境を守っている自然霊たちの努力あってこそ
そなたたちの修行も、地上での生活も存在し得るという
自然霊に対する感謝の心というものを忘れてはならぬのである。

そういう大自然の循環の中のひとつとして、地球という神霊の
神殿の中に住まうひとつの存在であるという謙虚さを忘れるからこそ
この地球を破壊してしまうような
愚かな思いあがりに満ちた振る舞いを世界中でし
温暖化現象などを含む、この地球を破壊する方向に行ってしまうのである。

その思いあがりはいつか
そなたたちがやった自然界に対する法則を無視した姿は
必ずや自らの反作用として、そなたたち人類に振り返ってしまうのである。

神は罰は与えない、当てない。
だけれども、そなたたちが自分でやったことの償いは
自分たちでせねばならぬであろう。
その大浄化の時が、反作用がくる時代というのが今の時代であるかもしれない。

今一度、地球という宮に、我々神の子たちがみな
手を取り合って生きていくため
神の愛により生かされ、今この地上に存在し、生きている
その感謝がもう一度取り戻され、大自然の中においても
神のお心の中において目に見えぬ者たちに守られているという
愛の中に生かされているのであるという
そのような認識に、今一度人類は気づかねばならぬ。

龍神という姿を持っているから自然に感謝しろというのではなく
そなたたちが目に見えないと思う世界の中にも
そなたたちの幸せを支えるために
必死に努力している者たちがいるということ。

ひいてはそなたたちの肉体も、この地球という、地上の天体においても
そなたたちが無償で与えられている、そのことに今一度気づき、感謝をし
自分たちの魂の立脚点というものをもう一度取り戻さねばならぬ。

人間は、肉体のみで生きるのではなく
魂という、長い、長い歴史の中におき
それぞれの歴史を刻み、それぞれの成長をし
生かされ、愛され、助けられ
今のあなた方が存在しているということに気づきなさい。

太陽の恵み、雨の恵み、緑の恵み、大地の恵み、海の恵み
ありとあらゆるところから
あなた方はその人生の恩恵を受けているではないか。

貪ることばかりに夢中になり、生かされている環境に対する感謝と
報恩の心を忘れた時、大自然は人類あなた方に
その反作用となる結果をもたらすのである。

(2006.10.7 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-24 12:55 | 須佐之男命 | Trackback | Comments(0)

天之御中主之神からのメッセージ(9)

地上に降りた今の時は、あとで取り戻したくても取り戻せないほど
貴重な時の価値を持っている。
今できることを、永遠の魂の中で
地上で修行できる時はほんとうにわずかな時である。

わたしにしても、天照大神にしても
地上で転生している時というのはほんとうにわずかな時である。
であるならば、そなたたちにおいても同じなのである。

長い、長い永遠の魂の中で、そなたたちが今この地上に肉体を持ち
自らの魂を成長し、進化させ、学べ、そして多くの者たちのために
そしてそれ以上に神の使者として、天上界の意向を受け
その仕事ができる幸せに浴している、そのような貴重な瞬間は
これからの転生の中もそうはないかもしれない。

それにしても、この地上の時の一瞬一瞬は
黄金でできた時のような意味を持つ。
そのときに、「無駄な生き方をするな」とわたしは言いたい。
ほんとうにあっという間の数十年であるとわたしは思う。

毎日毎日が平凡なことの繰り返しであり
また今日のように明日が、明日の次に明後日が、一年後が、十年後が
永遠に続くかのように
そなたたちはこの地上の時を生きているかもしれぬ。

でも、そうではないということ。
いつか必ずや死というものが訪れ、そなたたちは地上の仲間たちから
家族から別れて我々の世界に帰ってくる。

それはすべての者において平等であり
ひとつの真実として、システムとしてあるということ。
であるならば、残された黄金の時を
月日をどうやってそなたたちは生き抜くか。

今回のように特に歴史的な
ターニングポイントにあたるような時代を生きているそなたたちは
この黄金の日々をどうやって生きるか。
世間の者たちの価値尺度に合わせ
そこに恥ずかしくない、そこに成功していくような
そういう生き方をしながら、最後まで生きる
まあそれもそなたたちの自由かも知れぬ。

でも、その黄金の日々を先ほど、病気になるというたとえでも話したが
いちばん大事なことは、神の子としての神性、あなたの魂のうずき
それとずれず、ギャップを起こさずに、一体となって生きる
そのぐらいのストイックな勇気がある生き方、そのようになった時
本来の神の子としてのあなた方と
地上であなた方が行う、振る舞う行いが一体となる。

そのような生き方をしてみせたのが
最近で帰天した中では
マザー・テレサと呼ばれている方がおられるであろう。

あの方は、地上に降りた神の子としての彼女の魂と
地上に姿を持っているその肉体の振る舞いが、言動が、すべて一体となった
ずれのない生き方をした方
それがマザー・テレサのような方であったとわたしは思う。

であるならば、そなたたちがそなたたちの光を最大限に発信するには
天上界の意向のために自己を犠牲にして不本意な生き方をするのではなく
そなたたちの神の子としての神性のそのうずきに
地上の肉体を持ったそなたたちが一体となる努力をして
そなたたちのオリジナルの
そなたたちでしか出せぬエネルギーと愛を地上に広げて
発散して生きて行くこと、発信して生きて行くこと
それこそが最大の神のメッセンジャーヘの道であるということを
わたしは言っておきたい。

そなたたちの中にある、そなたたちの魂の奥底にある力
魂の深いところにある、神の子としてのそのハート、エネルギー、力。
それは、天上界にあるそなたたちの、大いなる知恵を宿す
天上界にある叡智のエネルギーとつながっている。

そこと一体になることにより
地上にいるそなたたちの力がますます力を持ち
そなたたちのオリジナルの光を地上に発信するのである。

それを引くには、神の子としての本心に、正直に、忠実に、勇気を持って
地上の生ける神の子として、そなたたちが振る舞い出した時
すべての者たちが地上に生きる仏陀となり、覚者となっていくであろう。

何かの修行の方法論があるわけではない。
仏教ではそのようなものを、いちいち段階をつくっていくが
日本神道では、ただただ自然と一体になることにより
神の子として、神の使者として、大自然に流れる
神の愛のエネルギーと一体になることにより
そなたたちが本来の自分の力に気づけよ、本来の愛のエネルギーに気づけよ。

そしてその絶対的なる光と愛のエネルギーに忠実に生きることにより
疑いのない神の子としての力を発散し
幸せを多くの人びとにもたらすことのできるような
そして本人も幸せに満ちて生きるような、そのような生き方をせよ。

それこそが神が望まれる神の子の姿であり
神がわたしたちに期待されているその姿であると
そのような生き方を一人ひとりがしていった時
この地上は、この地球は、神の国ユートピア
楽園となっていくであろうということを謳ったのが
光一元の、神の子の思想である
我らが日本神道の教えにあるのである。
これを我々は世界に広めていきたいと思う。
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「日本神道」ではなく、「日本」をはずした
「神道」と呼ばれている、この光一元の思想。
それはけっして無理のない生き方だし、難しいことを知らねばならぬ
論理的なものが入ってなくて
そして特定な難しい肉体行がなくては
一部の者たちだけしか悟り得ないような道しかないとか
そういうものではないということ。

大自然から学ぶ、謙虚な、謙虚な姿があれば
あとはあなた方が持っている力を
あなた方の正直な、嘘のつけない本来の魂に忠実に生きるということが
あなた方を、神の子の道を、そして悟りの道を開いていくのだよ。

そしてそれこそがこの地上をシンプルな形で楽園にしていく
天国にしていく姿の道標なのだよということを
大自然と一体になることにより教えてきたのが
わたしたちの教えでもあったのである。

だから、日本神道は、すべてにおいてシンプルであり
多くのものをゴタゴタ使うことを嫌がってきた。
そして、大自然の中のすべての生きとし生けるもの
すべてを神の子として讃え合うという、そのような姿をもって教え
我々がすべてそのような大自然から学ぶ姿をもって
教えの道に悟れということで、難しい教義を残さなかったのである。
そこに日本神道と呼ばれている、光一元の思想の神髄があるのである。

まあ、それ以外のキリスト教には素晴らしい愛の教えがあり
仏教には仏教の教えがあり
それぞれの宗教と呼ばれているものの中には素晴らしい教えがある。

そしてそれをまた学ぶために、永遠の転生の中で
そなたたちはいろいろな教えを学んできたはずである。
魂の幅を広げていくために
そなたたちは過去世、十分な転生を積んでこられたと思う。

そしてそれが今ひとつとなっていく時
そなたたちが最後の救世の計画を降ろす場所が
この大調和を謳う、和の国、日本で
この最終的な神の計画が実行されるという
その意味を深く考えなくてはいけない。

様々な宗教が乱立し、様々なイデオロギーが出て
学問や哲学を含めて様々なものが、地上にいる人類たちに提供され
すべてを学び尽くしていった時に、最後にそのすべてを包んでいく
大調和し、神の懐のもとに、ひとつにまとめあげていく和の心、調和の心
それを神の名のもとにおいて実現する国が
その日本の国であったということ。

その意味をもちてこの日本という土地を選ばれ、そしてその国民性、国の風土
そしてその個性というものが我々に託されて
日本神道というものをつくってきたのである。

それぐらい気が遠くなるほどの長い時を、我々はこの最後の文明における
救世の時のためにこの日本の地を用意してきた。
その思いがあればこそ
けっしてあきらめぬという我々の思いがある。

(2006.10.14 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-08-23 13:00 | 天之御中主之神 | Trackback | Comments(0)

アウグスティヌスからのメッセージ(2)

時代を越え、価値観を超えてですよ、さまざまな状況は変化している。
わたくしが生きていた時代
それから今の時代ではまた、さまざまな文化尺度も違うでしょう。
そして問題も、複雑な問題が次々と起きてくる。
でも、あらゆる問題が起きたとき、そこの中で何を判断にするかというと
やはりほんとうの意味で相手にとって何が幸せであるかということ。

それは優しい言葉をかけなければいけないときもあるでしょう。
愛は励ましであることもあります。
そして愛は優しさをあらわすときもあります。
愛は寛容さを現わすときもあるのです。
でも、いつも、いつも優しい言葉ばかりを言っていてよいのでしょうか。

時には相手を叱りつけるような厳しさでもって
殴りつけるような思いで親が子どもを叱るときもあります。
愛の中には厳しさという部分もあるでしょう。
それがほんとうの意味で、相手にとって何か良き言葉であり
何が相手を真に生かすことであるかということ。
そのために心を砕き、思いを増し
そしてそこで智恵を、知識を使うというときにはじめて
知識の、智の神髄というものが出てくるのです。

知性を、理性を使って愛を表現していく、他者を愛していく。
愛のために知は使われるべきもの。
知のために愛がないがしろになってはいけないということなのです。

そして、それを一つひとつの状況の中において学んでいく
実行していくことができてこそ、その人は愛の使者となることができる。
それがインマヌエルがおっしゃりたかったことであり
そして我々が、我々の隣人の小さき神の子たちに対して
ささやかな行為の積み重ねの中において何ができるかということのその積み重ね
それがその方の実力になっていくのです。

そうでなければ、すべて誰か一人だけが神の子であり
インマヌエル、イエス・キリストだけが神の子であり
他の者たちは神の子でないというのならば
神の叡智というものはインマヌエルしかわからなかったでしょう。

でも違うのです。
インマヌエル、イエス・キリストが説かれた時
あそこにいた何千という群衆たち、学問も教育も食べ物も何もなかった
でも、ついてきた彼ら
であっても、彼らもすべて漏れなく神の子たちであったということ。

であるならば、彼らの心の中に、ハートの中にあるその愛の思いは
インマヌエルが語られたその言葉が
まさに神の愛を表すメッセージだったということを認めたからこそ
群集がイエス・キリストの
インマヌエルのあとをついていったのではないでしょうか。

そうでなければ、何も持たぬやせた男が語ったからといって
みんな仕事を忘れ、家を忘れ、裸足で
みんな食べ物も持たずについていったではないですか。

それは神の子であるインマヌエル、イエス・キリストの愛の言葉が
本物であるということを、あんなに学問も何もない者たちですら
ハートで感じることができたということ。
真実とはそういうものなのです。
愛の倫理というのはそういうものなのです。

あなた方はあまりにもひとつのノウハウやマニュアルを
求めすぎるのかもしれない。
こうあれば愛の人であるであろうと考えすぎるのかもしれない。
でも人は多く、あなた方が真実の人であるか、愛の人であるかを見破るときは
あなた方の全存在を、全行動を、語る言葉を
行いすべてトータルにその方の魂に触れながら
総合的に判断するものなのです。
だから、全存在を神の方向に開きなさい。
神の方向に開くということは、愛に向かって開きなさいということです。

愛に向かって開くのは何であるかというと、神の子であるあなた方一人漏れなく
すべてが神の子であるという真実を明かされたのですから
あなた方の中にある神の子としての愛を全開して
人びとにさらけ出して生きてごらんなさいということです。

そうすれば、あなた方の中に素晴らしい
神より与えられた愛の光の奔流が作裂したように飛び出てくることでしょう。
それをもってあなた方は、周りの人びとを変えていくのです。
小ざかしい知識や言葉で、多くの人びとを感動せしめ、変えていけると思ったら
それは思い上がりなのです。

神近き人と呼ばれる人が何であるか。
その方が寄って来られるだけで
人びとは思わず畏れを、荘厳さの中にひざまずくではありませんか。
肉体を持っているからそれは難しいかもしれないけれども
少し話せばその方がどれだけの過去を持っている方か
今の方がただってわかるはずなのです。

あなた方一人ひとりを神の使者として、誰かだけが偉いというのではなく
あなた方一人ひとりが神の使者として、神より与えられたメッセンジャーとして
自らの中に神の子として埋め込まれた神性を全開にし
世の光となって生きられることをわたくしはあなた方に希望いたします。
それをもってしかこの地上は救えないのです。

あなた方は今、法を編纂し
神より降ろされた言葉を一生懸命書籍に残しておられます。
その中には大いなる光が込められ、神の愛が込められているのです。
地上の者たちに対するメッセージがあるのです。

でもそれを聞いた者たちが知識の中において、すべてを理解できるかといったら
今レムリアで語られている言葉をどれだけ易しく言えるかが勝負なのですけども
それを聞いてもどれだけの方たちが
神が真実愛そのものであることを認識できるか。

それは書籍だけではまたすべて地球、六十億ですか
六十数億の人びとを変えていくには難しいかもしれない。
文字だけでは難しいかもしれない。
その時に、ここでも何度も言われたことでしょう。
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マザー・テレサという方が何をしたか。
彼女は本を書いたでしょうか。
たくさんの難しい法を語ったでしょうか。
でも違ったのです。

マザー・テレサのしたことは全存在を神の愛の法灯として、愛の光の奔流として
この世界中を照らしたのです。
彼女の愛で、彼女が神より与えられた神の子としての愛の大きなるたいまつを
彼女はあの小柄な体を通して輝かして見せたのです。

彼女のやった業績はたくさんあるでしょう。
ハンセン病患者の施設をつくった。
孤児院をつくった。
いろいろなことを、たくさんたくさんやられたことでしょう。
でもそれは他の方でもできたかもしれない。
では、何ゆえ彼女が聖女と呼ばれたか。

彼女のその生きる姿勢、その生きざま、語る言葉
その全存在をもって宗教宗派の違う者たちに対してですら
「ああ神は確かにおられるのだ」と
「この地上に、確かに神の使者は生きておられるのだ」ということを
彼女の全存在をもって、彼女の行動そのものを、人生そのものを通して
人びとは言葉を越えて神というものを感じることができたのです。
そのことに意味があるのです。

難しい言葉、確かにその知よりの探求によって
あなた方でいう神理の山の頂上に辿り着くということもあるのです。
その道もある。
あらゆる感性、知性、理性
すべてを通して山のトップに上がるということはできる。
でも多くの者たちは、わたくしの説いたような
あのような哲学的なもので山の頂上に上がることはできないのです。
上がるのは神の使者たちのその生きざま、その後ろ姿をもって
あなた方についていくのです。

神の子として、光の子として生きるとはどういうことかという
その模範を示すことをもって
あなた方のその生涯の価値もあるということをわたくしは言いたいのです。

知性が悪いとか申していません。
書籍も出していただきたいし、小冊子も出していただきたいし
我々がやったようなバイブルの口語訳
そして他の国の言語への翻訳をしていくということ
法の編纂をしていくということなども確かに大切な、期待されていることです。
これをぜひとも頑張っていただきたいと思います。

でも、それを通して救う時代
確かに知的な方がたが多くなった現代でありますから、それを通して伝えていく
それもひじょうに大切なこと。そしてそれをもっと易しい形で
一般の方がたの触れる言葉として、それを小冊子のように出していく。
そのようなこと、インターネットなど、あと芸術の方面を通して
多く一般大衆に伝道していくということも大切なことです。

しかし、それを読んだ方がたにその次に言っていただきたいのは
単なるベストセラーのようなものとしてだけではなく
それを読んだ方がたの生きざまが変わっていくような
そこまでをもってほんとうに真に理解したと言えるような
神の子として、光の子としての生き方とは、どうやって輝いたらいいのか。

みんな神の子なのです。
みんな輝けるのです。
でも光の子として、神の子としての輝き方を忘れてしまっているのです。
それをもう一度人びとに提示していく。
教えてあげる。

それをするにはどうするか。
あなた方一人ひとりが神のメッセンジャーとして
真にその人生をかけてトータルな言葉、トータルな生きざま、行動
それを通して真に神の子とはどうやって生きるべきかを
あなた方が表さなくてはいけません。

(2005.11.5 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-22 08:19 | アウグスティヌス | Trackback | Comments(0)

ミカエル大天使からのメッセージ(7)

それと同時に、このミカエルの計画というもの、これは神の使徒として
天上界における神の計画を実行するための、救世の計画であるということ。
当たり前のように思われるかもしれないけれども
どうかみなさま方、もう一度再認識していただきたいのです。

この計画は、けっして自分の、自己の夢を
自己の思いだけを達成するために組まれている計画ではないということです。
無心に、虚心に、自らを無にして、この天上界の計画のために
命がけで身を投げ出して頑張っていただく
そのような覚悟を持っていただきたいのです。

もし、「自分が、自分が」という思いがあると
そこに最も危険な魔の爪を立てられてしまうのです。
「自分が」が捨てられない者は、なかなか無の境地にはなれず
これから先、やればやるほど危険な目に遭うのです。

確かに自分を高めることは、今世自分の修行を極めながら
自らを成長させていくことは大切なことでしょう。
もし、今という時代でないのならば、さまざまな時代に
ひとつの目標、自分の努力目標というものを立てて、青写真、計画を立てて
あなた方は常に修行し、転生輪廻を繰り返されたのです。
でも、今世はそれだけではないのです。
自分が修行したいから、このような目的が欲しいからといって
それで一生を終える人生ではないということなのです。

たとえばこの者(アマーリエ)を見てください。
今これをやる姿は、この者が望んだものでしょうか。
この者が自分で人生の目標として立ててきたものでしょうか。
やりたいものでしょうか。
違うでしょう。

でも神の計画の歯車の一部として、神の道具として
神の手足となることにより、自分の人生のやりたいこと
やりたくないことすべてを度外視し
自らの人生を投げ出すことをもって、懸命に頑張り続ける。
そこにおいて、この者は自らの修行をしていくのです。

それは、好む好まざるにあらず
自分の中で、自分が望まないことであったとしても
神の計画に、神の手足となってお役に立つということを
無上の自らの喜びとすることによってのみ成長できる
そのような稀なるチャンスであるということなのです、今回の転生は。
そこをわかっていただきたいと思うのです。

みなさま方にはみなさま方の目標があったでしょう。
もし、このような急場の、このような展開にならなければ
みなさま方が立てられた青写真の計画という
努力目標があったと思うのです、それぞれに。

でも、今回はこのような結果になってきたことによって
本来、自分の人生の目標
立ててきた目標とは大幅に違うことを要求される場合があるのです。

それを通して、でも、それを通すからこそ
自分ではとてもしゃないけど臆病になって挑戦しなかったことに
あなた方は無理やりにでも挑戦し
それを通して、しゃにむに頑張り続けることによって
本来の成長以上の幅を、高さを、自分に課すことによって
ハードルを乗り越えることによって、あなた方は霊的にも、実力的にも
たいへん成長する機会を神から与えられるかもしれない。
そういうのが、今回の特殊な、こういう希有な場合の使命でもあるのです。
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ですから、不本意だと思うこともあるかもしれない。
こんなはずじゃなかったと思うこともあるかもしれない。
でもその時に、私かあなた方に聞きたいのは、ほんとうに命を張って
神の手足としてやる気があるか。
その覚悟があるか。

そこにおいて、あなた方は自分の人生をそんたくすることなく投げ出して
そこに、人類のためにお役に立てることをもってよしとするだけの覚悟を
あなた方はなさることができるか。
そして、その人生を、あなた方の残された命を、このミカエルにくださるか。
差し出してくださるか。
そのことを私はもう一度、あなた方に聞きたいのです。

私もこの計画を発動する段階で腹を括っております。
命をかけているのです。
この地球を何としても、いつまでも魔界の者たちにじゅうりんされる
不自由な暗黒の星にしておきたくはないのです。
地球意識をいつまでも苛むような
そのような惑星のレベルにしておきたくないのです。

もっと自由に神の子であることを謳歌し、みなが自由に伸び伸びと幸せに
自らの才能を開花していけるような
そのような愛の星にしていきたいのです。
そのために今、サタンたちに負けるわけにはいかないのです。

そのための最後の大救世の運動であったということであり
この計画が練られた根本的な意味があるのです。
この今、最後、クライマックス、土壇場に来ているということ。
この時に、ここまで来だのならば、最後はもうひと息なのです。

この法の種を人びとの手に届け
そしてそれを、人びとの心の中にその種を落としていくということ
それをすれば、次の時代の者たちが
それを文化として花開かせていくことができるでしょう。
そうしたならば、明治維新のように世界維新となって、ひとつのうねりの中で
怒濤のごとく地球が愛の星へと変わっていく時代が来るのです。
焦ってはいけません。
すべてはステップバイステップで起きていくことなのです。

これをもって世界に広げ、そして多くの人びとを感動させていくには
まだまだ時間がかかるかもしれません。
でも、多くの人びとが、世界中に生まれてきた光の天使たちが
その時を待っているということなのです。

(2006.12.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-08-21 09:01 | ミカエル | Trackback | Comments(0)

ゾロアスターからのメッセ―ジ(2)

知でばかり宗教を語っても、心がついてゆかない。
魂の叫びの中で、神を求める幼子のように、神というものを激しく追い求め
人生をかけて、神への道を全うしていく。
それこそが神仏の姿であるということ。
それこそが神の決められた善であり、神がよしとなされることなのです。

あなた方は何が正しく、何が間違っているのかを
自分たちの判断で決めようとしているのかも知れない。
私が申し上げるなら、善悪の善というのは
神の側に立った視点であるということです。
神の視点におき、正しいということ、それが善なのです。
それは天上界の神の一方的な押しつけに見えるかも知れぬが、そうではない。

神の子として、あなた方一人ひとりの魂の中に
天上界の神と同通する神の子としての、共通倫理としての教えが
あなた方一人ひとりの中に埋め込まれているからこそ
神の教え、神の心そのものが善であると、わたしは言うのである。

神から離れ、人間心だけでこの地球を汚し続け
人間の心の醜さゆえに、このような戦争が起きていく。
それは神の決めたお心による善ではなく
人間心による、招いたそのトラブルの結果としての悪があるということ。
そこに同通する地下の者たちが、彼らの悪意をもって
悪というものを形成してきて、暗黒の闇をつくっていっている。

本来神の心すべてであるならば
この地上も天界もすべてが光に満ち、明るさに満ち
多くの神の子である地上の人間たちの心も、生活も
すべてが光り輝く、そういう地上であり
人びとの心はそれにより平和に満たされ
善意なる思いの中で、神というものを表現し
神の子として、賛美をして生きていくものなのだ。

そこまで神は、神の子としての人間一人ひとりを信じ
愛すべき自分の分身として、地上の人間をつくられているのです。
それを人間心が、人間の心が神を裏切り
悪想念というものを呼び込んでしまっている。

悪というのは、神と反対のものということ。
神の意思とは反対のものということ。
神の意思には沿わぬということ。
その最初は何か。

神の意思を、神の心を心とせず
人間たちが勝手につくり出した、人間心によるその思い
それが膨れにがり、そこに地下の魔界の者たちに来られるという結果におき
天上界に相反する悪というエネルギー体が存在して
それが善悪二元論のように言われたかのように、今の日常では言われている。

しかしそれは、最初から善があり
最初から悪を神がつくられていたのではないのです。
神の心そのものが善の基本であるのです。

そこから堕落していったその人間たちの身勝手な思い
神を神とも畏れぬ思いのところに巣くった結果
一大勢力としての悪というエネルギーが
この光と闇という相対論の中においてエネルギーを伸ばしていき
まるで善が半分、悪が半分であるかのような
善悪二元という同等の価値を主張し始めた。

最初、地球において、悪という四次元幽界から地獄界という
そういう世界は広くはなかったのです。
ほんのわずかな者たちがいるだけに過ぎなかったのです。
けっして二元ではないのです。

二元ではなく、善一元であったところの中に、悪の勢力が着々と場所を増やし
まるで善に対抗する悪が、サタンが最初から神に相対立するものとして
同等のエネルギーを振るっているかのように
太初の起源からあったかのように主張しているだけに見えるだけであって
本来の神のお心を、神のエネルギーの相対量から見たら
ほんの小さなほくろにも過ぎないほどの
悪のエネルギーの量でしかないということなのです。

だから善悪二元論というものを、最初から二元論を相対量の中において
大きくとらえすぎてもいけないということなのです。
たまたま不幸にして地下に堕ちる者が続き
ますますその磁場を大きくしているということ。

その無限供給のエネルギーを地上界が地獄界に大量に発信しているという姿
その姿において地獄界がますます拡大してしまっているという
だけのことなのです。

それが最初から、神が創造のときから、神に対極するものとして
サタンという悪魔というものをつくり
天界に対して地獄界というもの、闇というものを
最初から悪としてつくられたというわけではないのだということ。
それをしっかり認識しなくてはいけない。
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ただ、古代の仏典、古代の聖書や神話の中においては
そのような経緯を話してもわかる者は少ない。
ただ、天上界があり、天国があり、地獄界があり
悪いことをすれば、地獄界で閻魔様によって罰を受けるんだという
そのように幼稚な理論で人びとを、教訓の中で正しい方向へ善導しようという
簡単な理論の中に、引っ張ってきたのも事実なのです。

しかし、私たちが今一度、善なるものを認めるときは
神の御心に沿うているのか
神を畏れ敬い、わたしは神の子として、正しく生きているのであろうかという
自らの善我なる良心に問い続けるという姿
そこにおいてのみ、善というものがあるのだということを。

悪を神は最初から創造してはいないと
神に逆らうもの、神の意思を素直に受け入れ
神の子としての神性を輝かすことを拒む姿
その自己保存欲という、自我我欲というものにおいてのみ
それを善ではないものとして、悪というふうな、結果の流れの方向において
悪という流れができてきてしまったということ。

それを考えれば、神のもとにつながり、神のメッセージを地上に伝えるという者
その者たちが、どれだけ神の期待を担い
この地上を善導するという言い方があるが
神に善導していくということは、多くの人びとを神の心のもとに引っ張っていく
そのような使命にある者が高級請霊である。
使命を帯びた光の天使たちの仕事であるということなのです。

そう考えるのであるならば
ORという人がこの世に多くの天上界の法を預かってきたのだが
根本的な、神を畏れ敬い、神を信じ、神を愛し、神の僕とし、神の道具として
この地上に人びとを善導し、善我なる良心に立ち返らせ
上のほうへ人びとを指導していこうとする
その熱意において
彼はまだまだ信仰の基本が押さえられていなかったということ
育っていなかったということです。

(2004.7.22 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-08-20 07:45 | ゾロアスター | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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