地球を愛の星へ

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シュヴァンツェル(聖徳太子)からのメッセージ(3)

わたくしは聖徳太子という、過去、飛鳥の時代に出た
その生命体だけだというふうに思われるかもしれません。
しかし、わたくしは世界的な宗教界、世界的な神の国を
神の国のための計画を練るその一員にございます。

単に日本という国だけに留まっている
聖徳太子と呼ばれているだけの、そのような者ではないのです。
ただ、世界の、神の視点から見たときに
世界中の宗教というものを統合する計画の指導霊団の一員として
この日本を見たときに、日本担当であるということは事実なのです。

この日本担当であるときに
日本の在来の、民族神と呼ばれている方がたと共に手を取り合いながら
今日まで指導してきた。
だから、日本神道だけではないものが導入されてきたというのは
わたくしの力でもあるし、わたくしの意見でもあったということなのです。

本来、日本神道が、もっと日本神道として
教えを残していきたいということもあったかもしれないけれども
日本神道だけが力強く、教えだけで一色に染まってしまうならば
イスラム教ならイスラム教一色であるならば、そこに仏陀がお出になられたとき
どのような地盤が出てしまうか。
そのためにも、日本神道の神々にはたいへん申し訳ないけれども
日本神道としての色を少し薄めていただけるように
お願いしてきたのが事実なのです。

ですから、教えが出ていないということだけではなくて
やはり仏教も入れなければいけない。
キリスト教も入れなければいけない。
あと、ほかの新興宗教、プラグマティズムというような
そういう光明思想も取り入れていかなければいけない。

そのような、いろいろな雑多なものが
この日本という土壌にある中において
最終的な統合されていく世界宗教としての集人成の磁場として
この日本という国がその使命を果たしていける
そのような磁場をつくるために
わたくしはこのような多宗教を導入してくるという立場を持ちました。

それゆえに、一貫した宗教的な価値観というものが
生活の中に、国民の中に根づかなかったかもしれない。
一神教であるならば、しっかりとその生活の中に
その人びとの心の中に根づくものなのです。

しかし、いくつもの宗教が入ってきたがために
「わたしは仏教」、「わたしはキリスト教」、「わたしは神道」
「わたしは無宗教」という感じで、いろいろな宗教が入ってきたから
国民の中に、信仰のもとに一括して
統率されるというものがないかもしれない。
でもそれが逆に言うと、宗教に対する寛容性というのを生み
ほかの宗教を統合していくときに
柔軟なものの考え方ができるのではないかというふうにも理解したのです。

であるならば、今の地に
最終的にエル・カンタラーと呼ばれている仏陀意識の本体が出られ
世界宗教をまとめられ、この日本の地から世界に向けて統一された
世界宗教を発信していくということ。
そのことを日本の使命とするのであるならば
土壌的には十分、用意された場所であったとわたしは自負しております。

ただ、宗教の信仰生活というものの中に
神というものが根づき切れなかったというきらいはあるのですけれども
やはりそれは
その個人の環境におけるものもあったのでないかというふうにも思います。

であるならば、あなた方におかれましても
けっしてバリバリの信者の家とかに生まれたわけではなかったとしても
あなた方が十分な信仰心と、一途な気持ちを持ち
今この場に集まられているということ。
一点の曇りもない純粋な気持ちの中で
使命を果たしていかれたいということを思われているならば
それは日本という磁場においても
十分あなた方のような存在は育ったということ。
そのことを思って
環境だけのせいにしてはいただきたくないというふうに思うのであります。

どのような環境におかれましても
最終的にそれを生かすも殺すも個人の心がけ次第でございます。
あなた方はこのような環境におき、今発信しようと思ったのならば
名もない国に生まれたのではない
この日本という国においてやるからこそ
インターネットにおかれましても、これから発信するのにおきましても
たぶん日本という土壌というものを上手に利用していくならば
武器になっていき
十分それを発信できる場所にいられるのではないかと
わたくしは思うのです。

ですから、今までのような
もう内部分裂を仲問たちとやっていた時代は終わりました。
今、このような体制の中で調和し
人びとが、あなた方が持てる限りの力を出しながら
この霊言というものをとりながら編集し
これを人類の財産として、書籍として
小冊子として、CDとして、この言葉を残していただきたい。

必ずや本物である以上、人びとは必ず求めてやって来ます。
海外からもやって来ます。
本物であるということが、その前提条件なのです。

偽物は、いくら立派な入れ物に入れて
きれいな飾りを施してみたところで、誰も欲しがりはしないのです。
一時の話題はあるかもしれない。
でも、本物であるならば、遠くより求めてやって来る者がいるのです。

かつて予言され、イエス・キリストが生まれたときにおいてもそうでした。
遠くの地から、イエス・キリストがお生まれになったことを求めて
東洋の博士たちがやって来たではありませんか。
必ずや、いろいろなところにおき、霊的なことにおいて感知する者たちが
世界中にもうすでに埋められているのです。

ですから、彼らは日本に生まれてきたくても
日本ではなく、それぞれの国にその神の言葉を
本来は仏陀の言葉を自国に持って
そこの国にまた神のたいまつを灯すがために
海外に生まれて行った光の天使たちも待っているのです。

彼らが彼らの使命を果たすのに、もうすでに年がたってきております。
彼らが生きているうちに、彼らがその言葉の意味がわかるうちに
あなた方がこの霊言を発していただきたい。

それができれば焦ることはない。
焦ることはないけれども、そのような神の計画の名のもとに
計画の流れの中の一環として
あなた方の今の使命の場所があるということを
その位置関係というものを、しっかりあなた方がとらえるということ。
それがとても大事なことであるかなと思われます。
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これから、打って出るときがきました。
これからは書籍も出るでしょう。
インターネット販売もやっていくでしょう。
そして、ホームページを通して、多くの人びとが見ていくでしょう。
これが行われようとしたときに、魔の力が入ったのです。

魔が、何がなんとしても、インターネットにより霊言が
小冊子が、本が出ることを防ぎたかった。
「二十八時間の奇蹟」が出ることにより
一大センセーションを起こすはずが
それを見事に封印してきたのが魔であったかもしれない。

でも、たかが数ヶ月です。
本物であるのならば、必ずや、人びとはその価値を見いだし
また戻って来ることでしょう。
なぜならば、彼らがそのあなた方の霊言集を読むことにより
永遠の命を授かるということ。
その本来の価値をいちばんわかるのが
神の子である多くの人びとの神性が
それを呼び求めているからです。

どんなものであるにせよ、その言葉がわかる限り
その価値が光り続ける限り
日本国内におよばず、海外からもその言葉を求めて
命の水を飲みにやって来る者たちがあとを断たぬことでしょう。
それを神は望んでおられます。

その、まず命の水を飲み、天上界の方針を、価値観を
しっかりと行き先を見極めたのならば、人類はそのあとに
「さあ、あなた方は何をするか」ということを
神々により問われるときがくるのです。
でも、今何が起きたのか、何が神のご計画であるのか
今地球がどういう位置にあるのか、ということをしっかりと
神理の神の価値観とともに理解しなくては
そのあとに地球中の者たちに向かって
「さあ、あなた方は何をなしていくのか」という問いかけが
神の側としてもできないのです。
そのためにも、しっかりとあなた方の霊言を残していただきたい。

その中には、今までであったとしても
神の目から見た価値観、神の目から見たこの地球における使命
神の目から見たこの日本の使命
そして、この我らがレムリア・ルネッサンスを通しての
今回の一大救世事業の流れと
その本来の使命というものが明かされてきているはずなのです。

その使命を深く、深く心に刻むのならば
この使命のためにただ降りていった光の天使たちが
たくさんまだ生きているのです。
この日本中に生きているのです。
その者たちもためらいつつ、疑いつつ
最後はレムリアの流れの中に合流してくることでしょう。

そしたら、その者たちがその子どもたちに伝えていきながら
そして、この救世の計画が何をするべきなのかを理解し
次の世代の者たちに、「さあ、あなた方は何をするのか」という
みんなが一斉蜂起をしていったときに
あっという間に地球中が神の色に塗り替えられていくときがきます。
必ずやくるはずなのです。

(2005.6.2 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-10-31 15:23 | 聖徳太子/シュヴァンツェル | Trackback | Comments(0)

カイトロン(ニュートンの本体意識)からのメッセージ(6)

みなさま、はじめまして。
皆さまの時代では、アイザック・ニュートンという名で知られています
カイトロンという名で来た者です。
カイトロンの意識として参りました。
彼女(アマーリエ)が私のことをとても嫌がって
なかなか呼んでいただけないもので
九次元の最後の一人になりました。

私は、彼女とはたいへん深い縁生がありまして
それこそ、小さなときからずっと見てきていますので
妹のようにかわいくてしょうがない。
いつも脇にきて話していたので
まさか、それがクート・フーミーと呼ばれている
ニュートンと呼ばれている私であるとは
認識できずにここまできたようです。
まあ、彼女と話すときは、難しいことを話してもわかりませんから
そのような話題は避けて話すので、なおさら
私が科学の神であるということを彼女は認識できずに
うろたえていたようです。

しかし私は、たしかに今日の科学というものを
シルバー光線の中で、文明を指導してきた者であることは事実です。
みなさまの質問、お聞きになりたいことを
私なりにひとつずつ、精一杯、お答えしようと思います。
ただ、彼女の、また怒られるかなー。
言語の中に、難しい数式などは入っておりませんし
特に彼女も嫌がりますので
今後の信仰と科学という問題、それと地獄の問題
それを、科学者としての
まあ、私は「科学の神」という言葉を使いたいのですが
その私の立場から、どのように考えているかということを
みなさまにご説明しようかと思います。

みなさまは、科学と信仰が全く別物であり
信仰深き者というのは科学的な発想を毛嫌いし
そして科学者として一流の者は信仰というものをけっして受け入れられない
現実生義的な人種であると
そのように思われている節があるのかもしれない。
しかし、私がカイトロンの意識で来たという意味は、私がいた星
そして我々がいた星のレベルでの科学者は
圧倒的な信仰心のなかで神と出会っている、神の情報を受け入れ
その星を進歩・発展させてきているという
宗教者以上に宗教者であるのです。
そのことを最初にお伝えしておきましょう。

科学が、唯物的な発想のなかで、信仰、宗教というもの
人間の心というものを超えて万能であるかのように
今回の文明も最後、発展してきているように思いますが
これが今の科学の限界であるということなのです。
前回も、これから新たな宇宙宗教
宇宙文明との出会いの時代が地球に到来し
地球教の原理で、この地球も発展していかなくてはいけないということを
神様が繰り返しおっしゃられていたはずです。
それが科学という認識のなかでも、新たに出会っていかなければ
あなた方が考えているであろうエネルギー問題とか、次元上昇の問題
シフトアップし、他の天体に移動することも
すべてが発見されないということなのです。

つまり、今の人類は、自力だけで、地球の法則の中でだけ割り切りだして
神の法則を全く無視し、大宇宙に流れている摂理、すべてに至る
大字宙の中に流れるその法則、真理を受信し
受け入れていくという方向性が科学者に少ないために
今のような限界があるのです。

科学者だけではありません。
芸術家においても、そして、新たな宗教者においても、ほんとうの意味で
己一人ひとりの悟りのなかで神と出会っていくという
そのような方向性、悟りがなくては
次の時代の科学も芸術も、新たなビジョンが開けていかないでしょう。
そのためのターニングポイントにきているのです。

今、世界は宗教戦争でもめています。
しかし、宗教でもめているかのように見えますが、実はどうでしょう。
実際はエネルギー問題でもめているのが現状ではないでしょうか。
自分たちの文明を動かすためのエネルギーが欲しくて
宗教の名にかこつけて、お互いに争っているのです。

エネルギーは大切なものでしょう。
しかし、今あるものは枯渇し
原子力も、上手に使いこなせない危険性をはらんでいます。
なぜ、原子力という、核エネルギーが人類に与えられているか
あなた方はわかるでしょうか。
ここには専門家もおられるようですが
核というものは、使い方ひとつでは地球を滅ぼし
使い方ひとつでは無限のエネルギーを供給するものです。
その使い方が、人類がこれからテストとして乗り越えなければいけない
精神性を問われているということなのです。
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すでに日本に、長崎、広島に原子爆弾が落とされました。
今はそれを凌ぐような水素爆弾や
もっともっとすごいミサイルができていますね。
地球を何回殺せるんでしょうか。
そのような境地であっては、人類は、エネルギーの問題を待たずして
滅びていかなくてはいけないのかもしれません。
逆に言うと、そのようなものを平和的に利用し、神に感謝し
互いに赦し合い、宇宙の根源なる神のために奉仕しようという
愛の思いがないような人類は
自分の星から他天体に出て行ってはいけないのです。
自己制裁として滅びるようなところにきているのです。

石炭があり、石油があり、天然ガスもあった。
けれども、原子力発電というものが出てきて
結果、原子爆弾というものができているという現状を見て
今、人類は何を問われているか。
物理的な意味でも、政治的な意味でも、人びとは神に問われているのです。

核エネルギーを、いずれなくなるであろう石油、石炭の代わりに活かして
生活を豊かにし、文明を発展させるように使うのか。
そのような心を神性として、核エネルギーを利用できるか。
それとも、爆弾をつくり、無抵抗な者たちや子どもたちを殺し
地球すら滅ぼすところにもっていくのか。
あなた方は、「どちらを選ぶのか」ということを
現実的な生活面において、神に問われているのです。

そのような幼い野蛮な神性で、他の天体に出て行ってはいけない。
宇宙にははるかに高度な文明があります。
しかし、まだ幼い文明の星々もあります。
そのような他惑星、他の星に出て行って
その星を植民地化するような、無礼をするような
そのようなお粗末な心根であるのならば
他天体からきているような円盤とか
そういう推進エネルギーを発見させることはできない。
今は与えるのを待たれているのです。

今、九次元が出てきて、エル・ランティ、仏陀がなぜ
「愛の星として生まれ変わらせよう」ということを言っているのか。
宇宙時代に仲間入りをさせたいと
他の神々も必死におっしゃっているのです。
それはなぜか。

「愛の星、地球」から、根源なる宇宙、神に対しての深い信仰心を持ち
その上で、他天体の仲間たちと出会い、手を取り合っていく。
自分たちの惑星のルーツに出会っていくという
次の次元が出てくるのです。
そのためにも、あなた方はまず
愛の教え、心の教えを学ばなくてはいけない。
そのためのひとつの試験として
核エネルギーというものが与えられているのです。

それを、原子力発電として使うのか-、
それならばいくらでも、使い方を学べば、核反応によるエネルギーは
核分裂エネルギー以外にも可能なのですから
今のような危険な、ウランなどを原料とする核分裂エネルギーでなくても
もっと安定した物質による
核反応によるエネルギー供給というのが可能になるでしょう。

そこにいくために
ひじょうに危険なウランという核分裂エネルギーを使って
人類が試されている。
精神レベルが、小学校レベルから中学校レベルに上がれるかということを
今人類は学ぼうとしているのです。
愛の心がなくては、宇宙連合には加入できない。
そのことが、科学の面にも存在するのです。

クート・フーミー:アトランティス文明の時代に転生した
カイトロンの意識の一部。
当時植物の発芽エネルギーを抽出することに成功し、
今でいう電力のように家庭などで利用されていたようである。

(2004.9.19 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-10-30 17:29 | カイトロン | Trackback | Comments(0)

ガブリエルからのメッセージ(3)

狭い発想をもって真の宗教者であり
間違いのない道であると思う者から見たならば
これからレムリアで下ろされるべき言葉は、とても混乱し
とても不道徳な言葉であると思うかもしれない。

でも、それは、本来が神の懐の中にある
すべてを今、明かされんがための時の
ありがたい言葉として人びとは、受け入れなくてはいけない。

あなた方は、すべてが統合される今のときの神理というもの
そのことをどれだけ理解できるかということに
あなた方の魂がかかっているということ。

それを、一人ひとりの認識、信念というものを変えていくことにより
あなた方が新たな未来を創造していくことの可能性が
許されているということをもっともっとわからなくてはいけません。

古い考え方の中で、自分の、イスラム教徒であるとか
クリスチャンであるとか、ブッディズム、仏教徒であるとか
神道であるとか、はたまた科学に対する無神論者であるとか
そのようなものすべての
自分の所属しているもののみが正しいと思うのであるのならば
あなた方は全体を見ることができないでしょう。

そして、それこそが、全体を見ることが、神が与えられたこと。
だから、その中におき、人種的な差別、男女における差別
思考における差別、その差別が多くの人びとにおいて
不幸の種をつくっているのではないでしょうか。

人びとのイデオロギーや考え方の中
宗教の違いというものの中における頑迷な
その選民思想というものを一度そのようなものをすべて一度拭い去り
神の中には多様な価慎観があるという
多様な表れ方があるということをあなた方が唱えることにより
神の法の素晴らしさというものがイスラム的に表されたり
ヒンドウ的に表されたり、仏教的に表されたり
はたまた白い羽をたくわえたキリスト教徒のように表されたり
さまざまな立場をもって表されていくという
それを見ることができるというありがたい時代に
あなた方は生きているのだということをもっともっと理解しなくてはいけない。

あと、科学技術こそがすべてであると
あなた方は思っているかもしれないけれども
科学技術などというものはどんどん、どんどん変化をし
今の地球レベルが小学生レベルだとしたのならば
他天体においては、もっともっと地球の、いや地球だけではなく
ほかの惑星からも、ほかの宇宙からも簡単にやって来ることができるような
科学技術というものを持った方がたというものがいるのだということ。

そのことをあなた方が、もっとわかったのならば
自分たちが信じている科学こそが最善であり、最高であり
他の惑星にはほかの生き物はない、ないしは科学技術を信じているからこそ
神など信じる者たちは劣っているのであるという
そのような科学無神論者という者と、宗教者という者
そのような対立というものも今これから拭い去られていくことでしょう。

あなた方は、そのような相反する、この二元対立の中の相対論的なもの
それをもっともっと拭い去り
統一化されたものの中に入れていかなくてはいけません。

それが統合される、神の最終的な、宗教的な、科学的なことも含めて
人類的な意味で、この地球をステップアップさせていくという
進化発展させていく星になるというための、そのような最終的な試みである
チャレンジであるということを、あなた方は理解しなくてはいけない。

一人ひとりの生きている者たちを活かすのは制度ではない。
何度も言いましょう。
かつて、今まで出た方がたも同じことを
おっしゃられているのではないでしょうか。

制度や憲法や、そのような国、体制のことを変えてみたとしても
そこに生きている人びと一人ひとりがこだわりを持ち
生きている一人ひとりの信念というものが変わらない
信条というものが変わらないのであるのならば
この地球を愛の星に変えていくなどは、ほとんど無理でありましょう。
政治的な、どんな有能な政治的指導者の力をもっても
この地球をボーダーレスのようにもって行くことはできないのです。
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でも、多くの人びとの信条というものを、その行動というものを決定し
行為というものを生み、そして、その行動の連鎖の中におき
国の体制というものを、国の指導体制、教育体制
文化というものをすべて生み出していくのです。

ですから、まず信念というもの、信条というものが
直接の天上界の神と直結したものとして
人びとの信念に落ちなくてはなりません。

そのためにも、大いなる秘密が明かされ
天上界における多くの光の天使たちの言葉というものが
いまやひとつの天上界における試み
計画のひとつであったということが明かされているのです。
それを伝えることをもってレムリアの使命というのです。

そのように伝えられたものを受け入れる、受け入れないは
それは、地上の者たちの勝手なのです。
でも、地上にいるあなた方、光の天使たちが
天上界から降りたパイプの霊言というものを聴きながら
その中において、あなた方はもっともっと多くの人びとに伝えることをもって
レムリアの使命となすのです。

だから、もっとあなた方が積極的にこれからやられることを望みます。
人数が少ないのはわかっています。
とても、ご無理がかかっているのもわかっています。
あなた方にご無理がかかり
もうたいへん申し訳ないということもわかっております。
でも今、他の仲間を下手に入れて
あなた方の中におき、混乱をさせることを望みますか。

今のような平安の、静けさの、楽しさの中におき
霊言をとり、霊言をテープ起こししていくことのほうが
たぶん、これから先のことを思いましても
やはり、いちばんよい環境をつくっておられるのではないかと思うのです。

降ろしたくても降ろせぬときがくるのです。
ですから、降ろせるときに精一杯
あなた方の力をもって降ろしていただけることをわたしは望みます。

これからのインターネット社会というものは
今人類が考えている以上に多くの変化というのをもたらします。
今、中国というところ、台湾というところ、韓国というところ
そして、これからインドネシア、タイと呼ばれているような
多くの国々において
世界中がインターネットというもので包まれることでしょう。

そのときに、かつてフランシスコ・ザビエルとか
かつてのイエズス会の修道士たちが命をかけて伝道しました。
鑑真と呼ばれている仏教の者も
やはり仏陀の教えを伝えるがために命をかけて
何度も何度も挑戦をし、渡航しようとしたのです。

でも、今はそんなことは必要ないのです。
光の天使たちはインターネットというものを使い、書籍というものを使い
文章をもって人びとに、神の言葉を伝えることが可能になりました。
そのことを思うのであるならば、かつて先人の者たちから見たならば
あなた方はひじょうに簡単に、楽に伝道できる時代がきたと思うのです。

ですから、どうかあなた方の気持ちの中に迷いさえなければ
これから多くの方がたに神理の言葉を伝えることが
可能になるでございましょう。
そのことをあなた方は思い、今これからのことを受けていただきたいのです。

(2005.5.7 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-10-29 13:56 | ガブリエル | Trackback | Comments(0)

ラファエルからのメッセージ(3)

ありのままを見つめましょう。
そして、神の世界はどれだけ多様であり
どれだけ素晴らしい色彩に彩られたものであるかということ。

今回は頭ばかりで、知性の文明でありました。
後半、科学が、技術が、知性的な部分が
ひじょうに優先した文明でもありました。
でも、神の子として
どうか、あなた方の感性をオープンにしていただきたいと思います。
全開にしていただきたいのです。

ほんとうにあなた方は、自分に正直に生きていますか?
人がどうであれ、どうでもよいではないですか。
あなた方自身が、あなた方自身として、正直に生きるために
たかが数十年の命、あなた方が望む姿として
今世の青写真をつくってこられた。
その中において、最大限にご自分の力を発揮されて
生きられたらよろしいのではないでしょうか。

人生は一回だけではありません。
今回の数十年の命だけではないのです。
永遠の、永遠の気が遠くなるほどの永い時を
あなた方は繰り返し生きてこられました。
その時に王様だったかもしれない。
乞食であったかもしれない。
お姫様であったかもしれない。
たくさんの子持ちの女だったかもしれない。
その中において、それぞれの役割を通して
あなた方は学んでこられたのです。

でも、その中で、たぶん
おそらく最大のものは、今回の転生になるであろうということ。
その、それだけの使命と自覚というものを
今回は問われて、この日本に降りてこられたあなた方であるということを
わたくしは知っているのです。

わたくしだけではない、ミカエルにしても、ガブリエルにしても
みな、あなた方に言ったのではないでしょうか。
あなた方に伝えているはずなのです。
忘れてしまっているだけなのです。

天上界に第三の計画がある前において
これが、こうあるべしというのはありません。
それが、そんなに簡単にルールで決まっているぐらいならば
こんな第三の計画は発動されていないのです。
どれだけのことが裏であったか、あなた方はその十分の一も知らないのです。

知る必要もないかもしれない。
でも、わたしたちは、それにいちいち対処してきました。
そして、十分の一の部分においても、あなた方はたいへんな
重い、重い負担の中に生きておられると思います。

でもね、その十分の一においても、しっかりと受け止めて
この第三の計画を成功させていただきたいと、わたしは思うのです。
それは、けっしてあなた方の残りの人生の価値を
卑しめることにはならないから。
命がけで、この計画を世界に発信していただきたいのです。

あなた方だけではないよ。
ほかの国にも、あなた方の仲間たちが、この、伝えてこられるときを待って
準備して孤独に頑張っておられる方がた、たくさんおられるのです。
あなた方はまだ日本に生まれたから仲間がいるし
そして、メシアも近くにいてくれたし
わたくしの言葉をこうやって聴けるチャンスがあるではないですか。

でも、何もなくて、何もなくて、でも、それでも魂のうずきの中で
一国に、自分の国に伝えられるときを待って、精一杯、努力して
神の法を自分なりにとらえたやり方で伝えて、頑張ってこられて
頑張っておられる光の天使たちが世界中にいるということ。

だめになった方もいます。
でも、頑張っておられる方がたの孤独感を思うと
あなた方は幸せであるということなのです。
だから、彼らも集めていきましょう。

世界の果てにというと、遠いように思うかもしれない。
でも、あなた方の掌にのった、ひとつのボール玉であると思ったのならば。
神の目から見たらそうなのです。
掌にのったかわいいソフトボールのボールがあるでしょう。
ボール球が地球なのです。
その中の、一点の中に、地球、東京、japan、日本があります。
日本から、日本が灯台となり
世界中にこの神のメッセージを伝えていくのです。
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難しいことのように思うかもしれない。
でも、かつての時代に比べたら、はるかに楽な時代になりました。
そして、そのためにもインターネット、コンピュータというもの
パソコンというものが普及されるために
あなた方にひとつの科学のテクノロジーとして与えられ
ここまで進化発展してきたのです。

その技術者も、あなた方の中に多くおられることでしょう?
そういう手段を通して、世界中に今回の第三の計画
いえ、第二の計画についても、広げられるはずだったのです。

頑張って、一緒に天上界と地上界のあなた方と
手を取り合って頑張りましょう。
どういう結果になるかはわからないけれども
結果のみを求めるのではなく
何もやれなかったということと、何もしなかったということは違いますよ。
何もしなかったら恥ずかしくて帰れないですよ。

一生懸命やったけど、だめだったと言っても誰も責めません。
自分自身が自分を裁かないことでしょう。
人生はすべて、そうだと思うのです。
結果において、それは神様にお任せしましょう。
自分の、個人の力ではどうにもならないことがある。
そのことまで責任を負いすぎて、自分を責めて苦しめることはないのです。

でも、その時において、精一杯やったのだと
何もやらなかったのではないよと、一生懸命、頑張ったけど
でも、ここまでしかできなかったと言ったときに
天上界の者たちは大きな拍手をもって、あなた方を迎えることでしょう。
結果ではないのです。

常において、あなた方の志であり、その時代の中において
自分たちとして何ができるかということを
真剣に自分に問うて行動したかということのみが
ひとつの、その人の魂の評価として戻るということです。

ですから、結果として動くのには、さまざまな要因があるのです。
地球規模的なものにおいて、原因結果において
さまざまな要因があります。
でも、第三の計画を発動した、されたミカエルの気持ちを思うと
やれるだけ精一杯のことを、最後わたしたちはやりましょう。

メシアが失敗し、メシアが伝えられなかったことを
凡人であるわたしたちが、あなた方が、精一杯やったときに
どのようなことができたかということを
そのことをお互いに後世の者たちが学び合う
ひとつの材料とすることもできる。

そして、逆にそういう者たちでなくても
みんなが力を合わせて愛のもとに、精一杯、死ぬ気で頑張ったときに
メシア以上のことができたではないかと。
そのように思うことは、後の人類にとっても、神の子たちにとっても
大いなる希望の光になっていくのです。

(2006.6.17 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-10-28 13:18 | ラファエル | Trackback | Comments(0)

アマーリエ(日向の指導によるメッセージ)6

今指導してくださっているのは、日向(卑弥呼)様ですね。
すごく毅然とした方です。
日向様は、職業婦人的な発想ありますからね。

邪馬台国、大和国といいましたけれど
そこには女性官僚がたくさんいました。
当時、才能のひとつの価値基準として
どれだけ神と深く結びついていくことができるかが
今でいうと東大に入るとかいう偏差値ではないけれど
その人の能力として評価され、そういう才能を買われた時代でした。

ですから、巫女さんたちが女性の官僚や地方を治める代表になり
その才能のもとに貢ぎものとかいっぱいあって
経済的にもすごく豊かだったりもしました。
だから、そういう時代はそういう時代で
女性が女性として、自分の才能を開花させられた時代です。

でもその後は、なかなか女性中心の社会がなかったので
いつの間にか女性たちは、ただただ自分の才能を押し殺す中でしか
自分の存在意義を見出せなかった。

けれども今、母性の開花、女性性の気づきと同時に
愛を表現するために、自分の中のオリジナリティの才能、能力を使うこと
磨くことにためらいを持たず、勇気を持ってほしいと。
そういう時代がそのうちに来ますよと。
それが今回、女性たちへのエールといいますか
天上界からのご指導であります。

これを持ってこないで、たんに母性と女性性だけでは
女性たちも、そうかやっぱりそこに来ちゃうのか、となってしまう。
たとえば女性が、ピアノを弾くのが好きとか
歌手になりたいとか、詩を書いていきたいとか
いろんな道でたくさん自己実現したいなあと思っても
やっぱり諦めるしかないのねって。
そこに落ち着いてしまうのは
やはり女性の法の本来のあり方ではないということをおっしゃっています。

そういう社会の展望がわかったら、ほんとうの意味で女性は幸せになれます。
目的さえ間違わなければ、表現の方向さえ間違えなければ
自分が自分らしく努力をして才能を開花させることは
誰にとってもそんな悪いことではないのです。

ただ、どんな表現であったとしても、女性が女性であるならば
女性性というものに忠実に
たとえば、やはり自分は女性の画家であると
女性である音楽家であると。
自分の立つべき位置、存在意義、原点をきちんとおさえ
そのうえで神の子として愛の表現をしていくんだと。

きちんとその立脚点みたいなものさえ認識していれば
けっしておかしなことはないし、間違うことはないのです。
そのうえで、おおいに豊かに羽ばたいていただければ
それが神が喜ばれる道でもあるのです。

女性であるからといって
自分の才能を諦めることを神はけっして望んではおられないということ。
それを最後、女性たちに対するメッセージになければ
やる気をなくしてしまう女性たちがすごく多いと思うのです。
c0171476_1361148.jpg

本来は、一個りんごを二つに割った片割れが女性であり男性であります。
本来的な意味においては、優劣はどこにもありません。
女性性としての役割、男性性としての役割
二つで一体になっていくものですから
当然男性たちが優秀なものを表現できるのであるならば
女性たちの中においても
そういう才能豊かな方がいても全然おかしいことではない。

ただ、女性性としての役割
りんごの片割れであることをちゃんと認識したうえで
愛豊かな表現者としての役割を果たしていただきたいという。
その認識のうえで、どんどん宇宙を彩り豊かにしていただくのが
神の望まれる道でありますよということです。

宇宙を見ると、ほんとうに神は偉大な芸術家です。
そのことを考えたならば
わたしたちが自分自身のエネルギーを表現していくことを
怠ってはいけないんだなあと。

神の子であるということは、逆に
表現者たれということを要求されているんだって思うことです。
ですから、この間から盛んに、そこを認識しないと
次の時代は生きていけないですよと言われています。

今まで女性たちは、考えなくても生きてこられました。
でも次の時代には、女性たちは夫の陰に隠れて
経済的にも安泰だということで
自分をごまかして生きていく道はもう許されなくなりますよと。

まず女性性というもの、母性というものの働きを学んだから
だから次にこうして、あなた方自身を探しなさいということを言われている。
きちんと順番があって、今それが出てきたということです。

最初にこれを出してしまうと、またファーと
間違った自己実現に女性たちがいってしまうので
順を追って出してこられるみたいですね。
やはり女性性というものをちゃんと学んだから
わかってくることかなと思います。

【2007.8.2 レムリア・ルネッサンス(なでしこルネッサンス)
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by nagoyasc | 2015-10-27 13:06 | アマーリエ | Trackback | Comments(0)

日蓮聖人からのメッセージ

霊能力があるということが菩薩の資格であるということは
少しもないということ。
逆に言うと、低級霊によって引き起こされ、逆に裏の行によって
いたずらに霊能力というものを欲しがった者たちが霊道、霊道と言って
霊媒師になっているケースのほうが多いのではないでしょうか。

ひじょうに自力において、今世霊道というもの、霊能力
神からのメッセージを伝えるという力を両方持っている者たちは
ある意味でとても少ないということです。

霊媒体質、霊能力、憑依、裏の行を焦る者たち
ヨガとかそれからいろんな山伏とか
今回、あなた方ご覧になったはずだと思いますけれども
その中で、今回学ばれたのではないでしょうか。

だから、私とて出た時に
けっして霊能力というものを全面に打ち出してやったわけではないのです。
ただただ人生を地道に堅実に
神の使徒として、死にもの狂いでその時代を生き抜いたという
その結果が菩薩行であり
菩薩としての生涯を、価値を決めていくというだけなのです。
霊能力というのは、基本的には関係ないです。

逆に、霊能力がなくてもあなた方の澄んだ心の窓を開いていた状態の中で
おのが使命を悟って、そして守護霊と一体になり
あなた方の使命をほんとうに自覚することができるのであるならば
それは立派な霊道であるということ。
霊能力ということです。

我々の悟りの段階における霊道というもの
その阿羅漢の境地における心の窓を開いていく霊道というものとは
基本的に違っているということ。

ひじょうにそれは質の高いものであり、それをみんなに求めていたら
高橋信次が高橋信次という方が生前おやりになったように
いろんな会場に来られるおじいちゃん、おばあちゃん
いろんな人たちを通して、自力で仏陀の悟りで
阿羅漢で霊道開く者たちがたくさんいるわけではないのです。
そんなものはほんのわずか、ごくごくわずかであるということですね。

で、もし過去開いて、今阿羅漢以上であったとして
その者が生まれていても今世、霊能力を出すかどうか。
それは本人が開いていたがゆえに菩薩であっても
ただ堕ちていっているということが事実なのです。

霊能力、霊道の自己管理ということがどれだけたいへんなことか。
それがわかるのならば
菩薩であったとしても霊道というものを開かずして
今世の人生計画を立てようと思って出て来る。
「菩薩行の計画を立てる上では霊能力は持たない」と
今世そう言って、計画を立てて来る者たちも多いのです。

霊能ということ、霊道を開くということが今回
あなた方もやってみて思うでしょうが
霊道開いたとたんに魔にやられる。
知識不足であったり、力不足であったり、魔と戦う者と、悟りの中で
守護霊と同通していく力というものが魔に弱い場合もありますので
ひじょうに地上に生まれた場合、危険であるということです。
神の評価は霊能力があるかないかなどということは
少しも評価の対象にはならないのです。

神の使徒として生きるということ。
仏の仏弟子として生きること。
それは神の法、仏の心を我が心として
いかに多くの人びとのためにこの地上を照らす
光の天使として生きることができたか。
それだけが菩薩行、神の使徒としての価値を決めることであって
けっして霊能力があるということ、神の言葉を伝えられるということだけが
霊道であり、価値のあることであるということではないということですよ。

わかりますか。
どうもあなた方は、霊道現象ということと悟りをごっちゃにしている。
悟りの段階におき、心を澄ませ、反省が進んでいけば
ま、一回の転生では無理です。
何度も何度もいちずにやっていく者たちがいれば、当然心の窓を開き
霊道がつくということが当然あるのですよ。

でも、ありますけども、でも、だからといって
その段階を終わったからといって
終了したからといって、次にまた上に行く時に
じゃあ霊能力を持って生まれてくるかといったら
それはその人、個人、個人が、まちまちが決めてくるということであって
霊能力というのは、悟りとはそう関係がないということです。

だから、今回見ておわかりでしょう。
ORという方は霊言能力はあっても
彼自体にはそれ以外の霊能力はほとんどありませんでした。
皆無に近いぐらいだったのです。

彼は自分のそれを恥じ
六大神通力に通じていくことが仏陀である証明というふうに
周りにも自己を誇示し
そして、自分もそういうふうに信じようとして自ら背伸びした。

それはエル・ランティに対する
高橋信次に対するライバル意識というのが確かにあったようにも
思われるのです。
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それは、高橋信次、エル・ランティという方が本来の、今回の使命の中で
霊道現象というものを通した過去世の、先程あなた方がおっしゃってましたね
過去世が確かにあるのだと
人間は永遠の魂であるのである、魂の兄弟がいるということ
実際に現象を通して知らせる露払いの役目があったらこそ
霊道現象というのが九次元であったとしても、特異に許され
その力を発揮されて人生を終えられたのです。
でも、それはもう現象をさんざんやったのですから
もう、それは終わったことだったのです。

第二段階でモーションとして、ひじょうに大事なあのK会の部分として
ORという方は、難しい高次元の法を降ろされたのです。
であるならば、霊言能力は必要であっても
霊視や霊聴能力はけっして必要ではなかったのです。

六大神通力といっても、全部持ってくるから仏陀である
そんなことはないのです。
九次元の方であったとしても
必要以外の霊能力というものは持たれないのです。
それがあると逆に危険なのです。
実際にとても危険なのです。

だから、九次元の方であったとしても
自分が法を説く上で必要な霊能力しか待ち合わせず
出て来られるということです。

イエス・キリストの時、イエス・キリストが七歳で霊道を開け
そして小さな時から天使が出入りし
彼の素晴らしい聖書の知識とかでユダヤ教の祭司長たち
パリサイ人たちに対して素晴らしい聖書の知識を表すことで
イエス・キリストという素晴らしい神の子であるということが
みんなに知れ渡ったということは
聖書の中に記載されていると思いますけれども。

それはイエス・キリストがああいう時代に生まれてきた時に
あのパンの奇蹟があり、水をワインに変えるという奇蹟を通して
あの時、学問もない、あの地域にいた女、子ども、娼婦たち、取税人たち
学問のない者たちに法を説かれる
そう、ひとつの便法として
霊能力というものをイエス・キリストは持ち合わせて
お生まれになったということなのです。

わかりますね。
だから、その時代、その時代で必要であった。
今のように知的な方がたがひじょうに多く
学問もみなさん、きちっとお受けになってるから
今はそういうことで、奇蹟のようなもので
神の力で畏怖させるということをする時代ではもう今はないのですよ。

わかりますか。
モーゼの時代はもっと古かったです。
だから、紅海を割り、多くの人びとに対して
現象、奇蹟ということを通して
神がいるんだということを人びとに伝えていく。
そういう時代があったということなのです。

神の法であっても、常に時代に要請されるもの
その時代の中でそこにいる人びとの質によって、レベルによって
どのような法を今回説こうかということを
九次元の方がたは常に考えられて
それを、それに応じる霊能力を強化されて、発揮されて
多くの人びとを救われ、法を残されてくるということ。

すべて、TPOと言われてる、あなたがおっしゃってた
TPOというものを通して我々も指導しているのです。
だから、八正道の正しさ、ということがある。
ひじょうに難しいということも、今回あなた方、学んでいるはずです。

正しさの基準というのは、ほんとうに相手を愛する
相手を生かすということ。
それのためには、何がいちばんその時代に
その人にとってふさわしいのかと
心を砕く思いやり、それが愛そのものであり
神の心であるということなのです。

よろしいですか。
正しさというのは常に一つの決まった
ガチガチのものであるわけではないのです。
神の法であっても、救世主たちですら
その時代、時代の中で常に切磋琢磨し、悩まれ
そしてイエスであれ、モーゼであれ
やられてお帰りになったあとに、とても反省をされて
次に出る時はどのように指導しようかという、次への指導方針の中に
反省を込めて人生を振り返られている。
ご自分の法をまたさらに練られている。
そういうことなのですよ。

阿羅漢(あらはん):反省行を通して心の曇りを取り除き、心に神の光を受けることができるような状態となった人のこと。その境地は六次元上段階に相当している。仏教では小乗における最高の境地に達した者を指し、この境地を経て七次元菩薩界へと進んでいく。

(2003.8.9 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-10-26 11:41 | 日蓮 | Trackback | Comments(0)

カイトロン(ニュートンの本体意識)からのメッセージ(5)

お話ししたいことはたくさんあるのですけれども
今、急に言ってもわからないこともあります。
ただ、状況の中において、たとえば今、このコインがあるところでやっている
これもひとつの磁場であります。

そしてあなた方の心の中に、今見ておりますと、曇っているものがない
ひじょうに清らかな透明なものがある。
そういうところにおいて、あなた方が座ってくださることによって
この空間にひとつの清らかな、我々が降りて来ることが可能になっている
磁場というものが存在し得ているのです。

ですから、このような波動というもの、このような磁場というもの
こういうものを地球中に広げていくことです。
その中において、人びとの心と心の理解をしていくには
やはり書籍でもって、神の世界とは何かということを
地球人の一人ひとりがちゃんと学ぶべきです。

学んで、法をしっかり学んで
そしてあとは、もう一度、生活の中に祈りをもたらすことです。
祈りというのは大事なエネルギーを持っているのです。
祈りというものは、ただ同じお題目を唱えるということではないのです。

また、自分たち自体が心の中から、ほんとうの意味で神の子として
素晴らしくお役に立てますように、自分たちの仲間を幸せに
神の愛の奉仕をしていくために、自分たちの
神の子たちの幸せをほんとうに願っていくことができますように。
神様に対する感謝を、ほんとうに感じていくことができますように。
そのような心の底から思った言葉、それが祈りの本質であります。
お題目のように同じ言葉を繰り返し、繰り返し言うこと
それがけっして祈りの神髄ではないのです。

逆に言うと、今やっている仕事、今やっているあなた方の個性
今置かれている立場において、心から神に対する愛の思いで語りかける思い
地球をほんとうにユートピアにしていきたいという愛の思い
それ自体がほんとうの意味での祈りの本質でもあるのです。

そういう思いで、一人ひとりが生きていって
その思いで、ひとりずつが静かに神に対して祈ることができたのならば
この地球は変わっていくのです。

今までいけないのは、祈りは祈りとしてパターン化されて
祈りを言っていることだけで安心して、実生活の中において
少しもその心が生かされない、そのことに問題があったのです。
そして、法を実践する者たちは、また、祈りというものを馬鹿にするのです。
現実を変えていく力のある、行動力のある方は素晴らしいのです。

確かに素晴らしいけれども、最後はやはり神に委ねていく
神の大いなる計画の中に委ねていくという、愛と感謝の思いと
委ねるという全託の思い、そういう思いをやはり持てない者は
この地球を変えていくようなエネルギーというものには
参加できないということなのです。

そういう意味において、実践主義だけで祈りを忘れた者、祈りばかりに偏り
実践的に生きて、智慧を学ぶことを、神の叡智を学ぶことをおろそかにする者
実践することから目を背ける者
そういう者のどっちかにいったからよくなかった。

でも、行動、即愛の思い、即祈りであると思って
もし皆さま方の中に、一日5分でも、10分でも
心の中で神に語りかける言葉があったのならば
自分の思いと愛と感謝というものを大字宙の神に向かって
我々でも、何でもいいです、神、天上界の者にでもいいです。
神に対して語りかける
そういう静かな時を持たれていくのも大事かもしれないと私は思います。
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愛は、イコールエネルギーなのです。
愛の思いが同調したとき、宇宙のエネルギーを引くことができます。

あなた方の体力においても、あなた方の力においても、ほんとうの意味で神に
高次元の神に対する愛の思いでの語りかけというのは
宇宙から、神の意識からのエネルギーを引くことができるのです。

このレムリアの仕事においても
パワーをいただくことができるということなのです。
それは、さっきから言う、エネルギー理論と同じなのです。

祈りにより、天上界からのパワーを引いて
このレムリアの仕事を成功させていく
そのくらいの気持ちであなた方が信仰心と関わってほしいと思うのです。

科学の神といわれるから、このようなことばかり言うのはおかしいと
思われるかもしれないのですけれども、私たちから見たらば
科学というのは単に神の法を預かる者としての
ひとつの手足としての方法論にすぎないのです。
たまたま役割として、シルバー光線という形があるだけです。

神の思い、神の子であるということ
神の愛の思いを伝えるメッセンジャーとして
私もその役割を、使命を担っております。

あなた方とともに、まずそこを学びましょう。
これを、まず実践できる地球でありましょう。
地球の神の子でありましょう。

そのあとに、科学技術というもの、物質的なものの発展というもの
新たな霊文明の科学的な側面というものは
また、新たな視点で聞かれてくることでしょう。

どうか、あなた方の中において、今学んでいること
そして与えられている仕事、これをどうかおろそかにせず
最大限の努力をもってやってください。

文証、理証、現証と申します。
その中において、今この者がやっているのはひとつの現証でもありましょう。
それであるのならば、あなた方がいちばん大事なことは
文証の部分をやることです。
まず、文証の部分をやることです。

書籍において、我々の言葉が降りるうちに
しっかりと書籍として、法の根幹というものを残すことです。
それがあってこその、次の理証の発展になっていくのです。
その意味において、今は文証の大事な時代でもあります。
現証が起きている奇蹟の時代でもあります。

その今の時というものを大事に使われ
皆さま方のお仕事を、立派に使命を果たしていただけることを
心よりお祈りしたいと思います。

(2006.3.18  レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-10-25 11:39 | カイトロン | Trackback | Comments(0)

ガブリエルからのメッセージ(2)

今の自分たちの立場がどういうものであるか。
孔子と呼ばれる、セラビムと呼ばれる方がお出になるとしても
今あなた方が天上界から直に、ダイレクトにパイプとして神の言葉を受けていて
それを霊言集や数々の神理の書物として残されていくという
法の神髄というものをこの地上に降ろしていくときは
レムリアをもって最後になるのだということ。

高橋信次、エル・ランティと呼ばれる方、そして、OR、仏陀と呼ばれている方
そして、このレムリアにおかれるアテナと呼ばれている
アマーリエと呼ばれているこの人が降ろしている言葉をもって
霊言の、その神理の言葉というものは集大成を見るのです。

本来であるならば仏陀により集大成が行われるはずであった。
しかし、それがなされぬが故にレムリアに持ち越され
我々の言葉が継続されることにより神のご計画というものが
神の法というものが
今まで継続されて降ろされているということ。
これをしっかりと、神理として後世の者たちに
今の地上に生きている者たちに伝えなさい。

今、科学的な文明が最高潮にある時、そして、インターネットというものを
コンピュータといったものが地上の隅々まで広がろうと
大いなるスピードをもって広がっているのです。

ですから、あなた方がかつては、はだしで、サンダル履きで
一軒一軒に対して伝道していたことが
今はパソコン、インターネットを通して
人びとに対して神の言葉を発信できる時代となりました。

イエス・キリストの時も、ただただ羊皮紙、パピルスと呼ばれている紙に書を
一人ひとりが書いていくしかなかった時代があったけれども
今あなた方は印刷技術というものの中で
書籍というものが流布される中において
あなた方はひじょうに楽に書籍として
レムリアの霊言集というものを出していくことができるでしょう。

今まで仲間とのさまざまなことがあったと思います。
それは、とてもあなた方にとってつらい、苦しいことであったのは
このガブリエルにとってもわかるけれども
でもね、いつも神の使徒が地上に降りたときは
同じようなことがあったということ。
同じような苦しみがあったということをもって
ぜひとも頑張っていただきたいのです。

あなた方の中で使命を持たれ、あなた方が選ばれた方がたであればこそ
今このような言葉が下っているのであるということ。
もし、あなた方が我々の言葉を受ける資格がないのであるのならば
あなた方は、今この場におられないということなのです。

しかれども、あなた方はその期待に見事応えられ
このようなインターネット販売ということにこぎつけてくださった。
我々も深く満足し、ミカエルと共に、エル・ランティと共に
数々の高級神霊と共に
このレムリアの今日的発展というものを喜んでいるのです。

いつのときにもインマヌエル、イエス・キリストのときにもあったのです。
数々の誘惑と数々の混乱というもの
内部の者たちによる反逆というものもあったのです。

でも、それを恐れていたのでは、光の使徒としての
メッセンジャーとしての使命は、誰ひとり果たせないということ。
そのことをどうか理解し、あなた方は、今この場において
できる限りのことを勇気を持って、頑張られていただきたいと思うのです。

これから新たなインターネットにより、書籍により
レムリアの新たな時代が始まるのです。
恐れることはない。
我が言葉があなた方に直接つながったということは
インターネット、書籍をもって
レムリアの使命の神髄がこれから表されるときが始まったということを
わたしの名をもって、あなた方に宣言したいと思います。

あなた方は、この神理の言葉を聴いて
もう慣れっこになっているかもしれないけれども
多くの人にとって、宗教というのが万能であり
宗教というものがあらゆるローカルなところに神の意思の表れとして
その時代時代として降ろされ、でも天上界はひとつであり
人びとはすべてみな神の子であり、神の子において
ひとつの統一された意識体の中における
手を取り合うべき仲間たちであると
イスラム教徒においても、キリスト教徒においても
ブッディズムにおける仏教徒においても
孔子、中国における儒教のもとに育った者たちも
日本神道の者たち
クリスチャーニティの中にいる者たちにおいても
すべてが手を取り合う神の子であるということ。

そして、今日このあらゆるローカルな宗教の中で育ったあなた方が
ひとつの天上界の指導のもとに
ひとつになる時がきたのであるということを
今わたしはあなた方に明かしたい。

けっしてけっして、自分自らの宗教の偏狭な
自分たちだけが優秀であるということ
優越的立場であり、他を見下しているということではなくて
どの者たちも、どの時代における真実の中におき
成長するために天上界が降ろされた、数々の、ヒンドゥにおけても
神々が降りられ、人びとを知恵豊かな
心豊かな神の子として成長させるために
神の法を降ろされた。そういうプロセスの中における
段階的な神理というものを明かされていたのであるということを
もっともっと気づかねばなりません。
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大いなる神の計画は、この愛の星、地球をひとつに包むがために
そのために神は、原始的なこの地球の人びとの中に
それぞれの光の使者というものを降ろされて
それぞれの時代、その地域
その環境に合ったものとして、人びとを教化させんがために
それぞれの民族神と呼ばれている方がたを降ろされ
人びとに神理の基本を教えられたのです。

でも、いつの間にか我が民族こそが他の民族より優れていると思い上がり
自分たちこそが、自分たちの神こそが素晴らしいと思い
殺戮の歴史になり、いまや世界戦争となっているのです。

そんな愚を解消するために、本来そのために仏陀と呼ばれる方が出られ
すべての宗教を統合し、ひとつの天上界のもとに
その天上界の組織図というものを
しっかりと地上の者たちに示すことにより
多くの人びとの、無知蒙昧な争いの不幸な種というものを
人びとに明かすことによって
その不幸というものを取り除こうとなさったのです。

それにより、天上界がひとつということによって
地球というものをひとつにまとめ上げていくということをもって
この地球をユートピアとしてひとつのものとしてまとめ上げようと
愛の星にしていこうというご計画があられたのだということを
わたくしは今日伝えていきます。

あなた方が当たり前だと思っている
高橋信次、エル・ランティから言われてきたこと
当たり前だと思うかもしれないけれども
これが世界の共通理念として欠けていることでもあるのです。

違いを違いとして認め合うということ。
すべてが必然の中におき、必要であったからこそ
今まで、天上界より許され、降ろされていたものであるということ。

違うということはけっして優劣を生むことではない。
違うからこそ他を認め合い、互いに尊重し合い、豊かさの中におき
神の愛というものに表現されるのであるということ。
そのことをあなた方はもっともっと理解せねばなりません。

神を信じる者であるのであるのならば、お酒を飲んではいけないとか
男性と女性と、異性と口をきいてはならぬなどと
神はおっしゃられたことはない。
であるならば、なぜ、そのようなものを
神がおつくりになられたのかということ。

そのような、ひじょうに局部的なもの、そのようなものに携われなければ
ただ清まり、神のもとに一筋に行けるという
そのヨガにおけても、すべての悟りの段階においても
世俗的なものから離れたほうが
より神にダイレクトに、ストレートに行けるということをもってのみ
宗教者として、神とつながっていける道だと思うのであるのならば
それはひじょうに、もう間違った考え方
ひじょうに狭い、狭い考え方であるということ。
それを最終的に統合していくために
我々はこのような最終的な計画を立てたのだということ。

(2005.5.7 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-10-22 18:27 | ガブリエル | Trackback | Comments(0)

ラファエルからのメッセージ(2)

お坊さんたちが言うような、神の側にいるような者は
確かに次元は高いのですけれども
でも、人の心の中において、神の光の子として生きる姿もあれば
状況において、時代の中において、追いつめられ
闇の部分を色濃く持ってしまう
そうやって悩み苦しみ、追いつめられた部分を持つのも
また神の子の姿、ありのままであるということなのです。

そこにおいて、裁きはいけません。
裁くのではなく、そういうプロセスの中において
わたしたちは愛を学ぶために永遠の時の中を生き続け
その中で、精一杯、その時、その時を学び
その時の中において、時代において
表現をしている、そういう旅びとであるということ。

そのありのままの自分を、プロセスとして受け入れていくということ。
そのことを、もっと受け入れてほしいのです。
白黒つけ、常に、正しいか、間違っているか
二元対立の中において人を裁き続ける
それが現代の世界なのです。

自分の相容れない価値観を受け入れられない。
自分だけが正しいのであり
自分だけが信じているメシアが絶対であると思い
神は絶対、自分たちが幼い頃から学んできた価値観だけの
神が絶対的なものであり
ほかの方がたの神の価値観、生活様式を受け入れない。
受け入れられない者は間違っているものであり
自分たちがなじんだものは常に正しく
ジャスティス、正義であると。
そのような正義と邪悪なものというふうな
間違ったものであるというふうなせめぎ合いの中において
この地上は二元対立の中において、互いに攻撃し合い、苦しめ合い
同じ神の子たちが、同じ宇宙船地球号の中において
ともに攻撃し合い、自爆しようとしている。
それが今の時代ではないのでしょうか。

二元対立、互いに裁き合う心をやめましょう。
ただただ、学んでいない旅びとの
途中としての未熟さがあるだけではないですか。
でも、神の子として愛を学ぶ道に、ここが終わりということはないのです。
永遠の過程がある、道があるということを考えたのならば
今の時代の中において、自分と違う状況の中で
過去から生きてきた方がたに敬意を表しましょう。

そして、互いに違いがあることを認め合いながら、互いに学び合うことを学び
そして、受け入れ合うことによって
今これから第三の計画により、地上にもたらされた
ひじょうにシンプルではあるけれども
ひじょうに本質的な宇宙の叡智を学びましょう。
難解なことに神埋があるのではないのです。

最後に、数々の、今ある宗教は淘汰されていきます。
小さい頃からモスクに向かい、常に絨毯を敷き、あいさつをしたり
日曜日に教会に行ったり、さっき言っていた赤ワインとパンをやって
聖体拝領を受ける姿が、それが天上界の神の子の道であり
神に最も喜ばれる姿と誰が言ったのか。

そんなことはないし、ブッディズムの中の、プリースト、僧侶でいいですか?
僧侶の方がたが決めてしまった、仏陀サンガーと呼ばれている中における
戒律という、ルールというものを守ることが
ひとつの魂の階段を上がることだと
そのように自分たちを縛りつけてしまったのです。

それは、ひとつの段階論として
無秩序さの中から学びをする学習の方法論として
過去、与えられたものなのです。
それは、その時代の中においては尊かった。
それはわたくしは認めます。
それによって、世界各地の宗教というものは、ここまで導かれてきたのです。

でもね、もう、その枠を捨てるのです。
その殻から抜けるのです。
あなた方は地球の、宇宙の、大宇宙の神の子であるという意味においては
他天体においても、ほかの宇宙においても一体であり
すべて、多くの人びとの意識の中においては、みんな神の子であり
互いに生かし合い、愛し合う存在であるということ。
そこには何教もないということ。

そして、地球人でも、火星人でも、金星人でも、アンドロメダ星人であっても
何であっても、みな同じ神の子であるということ。
最後、統合されるということは、二元対立を越えて統合されていくという道は
ひじょうにシンプルな道へ向かうということなのです。

宗教というものもなくなり、芸術という言葉すらなくなり
あなた方、神の子たちが本来の自分自身を取り戻し
そして、自分自身がどれだけクリエイティブな
創造的な存在であるかということに気づいていく。
あなた方は罪の子ではない。
神の子であるということ。
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愛の子であり、光の子であるということを学んだでしょう?
そしたら、それは何教であろうと、どの国民に所属していようと
どのような形態を持っていようと、あなた方の心が自分に正直に
愛の思いをたたえ続けていく限りは
あなた方は素晴らしい神の子として
すべての人びとと一体となり、結びつけ合い、協力し合い
愛し合うことができるということなのです。
それが統合への道なのです。

それは地球人類をひとつにまとめあげ
そして、他天体の者たちとも意識の交流を結びっけていく。
それが宇宙時代への
大事な、大事なレッスンになっていくということなのです。

自分たちだけが、因習や、ひとつの歴史的な習慣の中において
こうあるべしと決めつけたもので自己限定をし、自分を縛り続けて
常に、自分と相手を裁き続ける限り、あなた方の心の中に
他をほんとうの意味でありのままに受け入れ
そして地球規模で、宇宙規模で
ユニティ、統一、合一ということを学んでいく
そういうチャンスというものはないということなのです。
それを学ぶために、今回の計画はあるのですよ。

それを知らしめるために、かつての救世主たちが総出で現れて
かつて、彼らが打ち出された宗教ではあるけれども、もういらないのだよと。
そんなものは、もう捨てなさいと。
それで学んだのならば、上り終えた階段は、もういらないでしょうと。
あなた方の背中に羽が生えている
神の子であるということがわかったのならば
もう、そのようなローカルなレリジョンは捨てて
もう、あなた方自身の中で飛び立って行きなさい。
自由に大空に。
あなた方が、本来つくられた、ありのままの姿として
あなた方の才能をきらめかせながら、大宇宙へ飛び立って行きなさいと。
やっと、その段階がきたよと。
地球はその段階にきたんだ、アクエリアンエイジと言うんだよと。
それを、今、救世主の方がたが一生懸命声を大にして
メッセージを伝えておられるのです。

わたしはキリスト教の七大天使のひとりと
あなた方は認識しておられるかもしれない。
でも、わたくしの中においては
キリスト教の、なんていうことはないのです。
そして、ベーエルダからきたでしょうと言われていましたけれども
ベーエルダだって、どうでもよいのです。
わたくしは地球のために、地球の進化のために
地球の人びとと共に、命を添わすために、今まで生きて参りました。

よいですか?
キリスト教徒であろうと、ブディズム、仏教とであろうと
の、イスラムの者であろうと、すべてみんな、宇宙における神の子であり
神の創造者として、創造物として、愛された素晴らしい存在であるということ。
その意味において、神の子であるということにおいては
一体であるということ。
そのことをあなた方が、もっとわかったのならば、そのようなカテゴリー
そのような範躊における自己限定というものを脱ぎ捨てるべきなのです。
そうすれば、今の大方のトラブルはなくなるのですよ。

そのような思いで、自分だけは正しいと思うから、相手を攻撃するのです。
自分の中に思っている価値観だけがすべてだと思うから
相手を裁いて、自分が不幸な思いになるのです。

(2006.6.17 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-10-19 10:55 | ラファエル | Trackback | Comments(0)

アマーリエ(日向の指導によるメッセージ)5

今、学校教育を見ていても、みんな金太郎飴に育てたがっています。
子どもがいたら、子どもの数分だけ素敵な可能性があるのに
同じ方向で、同じベクトルの中で、偏差値というものの中だけで測ってしまう。
個性の多様性、才能の多様性、神の望んでおられる社会の彩りの豊かさ
それを担う天使たちだという観点はどこにもないのです。

そういう意味で、子どもたちを育てる時に
神様が与えてくださったあなたでしか表現できないことを
あなたが表していくということを、パパもママも信じているよと
背中を押してあげる。
そういうふうな受け入れ方をしてあげてほしいなと思うのです。
そうしないと多様性というのは育たないのです。

今は、多様性や個性の彩りの鮮やかさというのではなく
ちょっとでも他の人と違うと、叩き潰そうとします。
先生たち自らが叩き潰そうとします。

やはり子どもたちは無垢でピュアであるけれども
社会経験がないから、自信がないんです。
その時に「いいんだよ、あなたがあなたであって、それでいいのよ。
だからあなたらしく精一杯努力してごらん」って
背中を押し、励ましてあげる。
勇気づけて、「あなたでしかできないことを探してごらん」って。
そういう言葉をかけてあげたなら、男の子であれ、女の子であれ
小さいうちから自分らしく自分を表現するようになれると思うのです。

今、わたしたち大人は、みんなそれができないでしょう。
それはわたしたちが
そういうふうに育てられたということもあると思うのです。

特にわたしなんて、小さい時、イエス、ノーをはっきり言う子だったので
母に「なんてもう、はしたないの」と言われて。
「あまりはっきりものを言うんじゃない」とか。
「女の子はなるべく、控え目にしてろ」とか。
背が高かったら
「男性に対して威圧感があるから、ハイヒール履くな」とか。
頭にきて八センチヒールとか履いていたんですけど(笑)。

そういうふうに、他の人と違うとか、突出することを嫌がる文化が
この日本には特にあるように思います。
そして今子どもたちは多様性というものを封印されて
いつの間にか自分にそういう能力があることすらも忘れてしまっている。
そして、自分らしく生きられなくなるとどうなるかというと
無気力感というものが襲ってくるのです。

何をやったってだめなんだと、社会から否定されるんだと。
親とか学校から「いい子でいろ」と言われる。
でもそこには、全然自分のうずきがない。
だから、頑張ろうっていう気力も湧かない。
だから働かなくてもいいや、ゲームだけしていればいいやって。
それで、そういう子どもにまたご飯を持っていく親も親で
ご飯が出てくるからいいや、っていう。
c0171476_11234144.jpg

この間テレビで、興味深いものがありました。
ニートが、「これで働いたら、負けだと思っている」と言うんです。
三十何歳、いい年した男が、母親の年金を食い潰しているのですが
リュックサック背負って秋葉原行って
一万円札で自分の好きなキャラクターを買っているのです。
それで、「仕事はしないのか」って聞かれたら
「ここで働いたら、負けだと思っている」って。

でも、彼だって、「負けだと思っている」つて言うからには
やはり何か自分の自己主張、自分で何かやりたいって
そこのところが死んでないのです。

でも、何のために自分の負けまいとする思いをぶつけていいかわからない。
魂とか、自分の人生をどう燃焼させればいいかという
価値観を見出せないまま、育ってしまった。

ただただいい子ちゃんでいればいい
他と変わらない、困らせない子どもでいればいいということだけを
親も教師たちも望んできた。
そのあげく、こういう人たちを生んでしまったのです。

彼らを見ていて、次の時代に何をしないといけ力いかというと
子どもは財産でもありますから、次の時代を生きる未来の人たちに対して
ほんとうの自分のうずき、自分自身のオリジナリティを表現することを
もっと社会が多様な価値観の中で送り出してエールを送ってあげる
そういう社会をつくっていくということです。

それには、わたしたちみずからが自分自身に正直に
一人ひとりが自分のエネルギー、個性を
愛のもとに表現する喜びに満ちていなければ
仲間や子どもやよその人の背中を押してあげることはできないのです。

まず、自分が幸せになる。
わたしたちは気づけたのだから、気づいたら表現し、行動していく
自分自身のエネルギーを発散していく。

それがほんとうにできるようになったら
その姿を見て多くの人たちも変わってきます。
そして、そういう人たちとともに
子どもたちを豊かに見守っていってあげられれば
未来の地球も変わってくる。
そう思うのです。

自分自身の原点であれ、自分に正直であれ、と言われていますが
それは一見当たり前のようであって
実はものすごく今回の運動の原点になることだったのです。

【2007.8.2 レムリア・ルネッサンス(なでしこルネッサンス)
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by nagoyasc | 2015-10-15 11:23 | アマーリエ | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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