地球を愛の星へ

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マヌからのメッセージ(10)

この者(アマーリエ)においても
女性の理想像という形態を打ち出してもらいたい。
そのような期待がありました。
なぜであるならば、今まで女性の法というものが説かれることなく
仏陀においても、イエス・キリストにおいても、モーゼにおいても
女性たちの姿は出てこないのです。

ただただ信徒として、尼僧としてついていった者たちが
女性がどのように修行していいかわからず
男性のまねをする中で苦しみながら
独身の中で、男性原理の法を学ぶというだけのことであったのです。

そんなものは本来女性の悟りとは縁がなく、女性が女性の本来の
先ほど私が言いましたように、女性として深く深く自分を見極めるならば
女性には本来の女性の使命があり、女性の悟りがあるという
その方向性がひじょうに地球的で
今回の文明においては追求されないで終わっているのです。

そしてたまたま、高名な女性たちというのがあると、天照大神であるとか
今世あなた方が知っている限りはですね
彼女は過去では別な形でやってらっしゃいますけれども
まあ、マザー・テレサであるとか、そのような方がたである。

卑弥呼様であるとか、あなた方知ってるのは
あとどんな方ですか、聖母マリアですか
そのような方がたであるとか、いるんでしょ。

でも、今の現代の女性たちが、では彼女たちを見てですね
そのようになりたいと思うか。
あこがれるか。
あこがれはあると思います。

清まっていく過程の中で、あのように美しい、汚れなき、聖母マリアのように
あの清らかさのようになりたいとか
天照大神のような、あのような優雅さを持ちたいとかあるでしょう。

でも実際ブランドだのなんだの言っている、今の若い女性たちの心境を見ていて
彼女たちは目に見えない神を信じることすらできない。
で、逆に言うと、パートナーに対する、恋人や夫に対する
その謙虚な本来の愛の姿すら失い
その体を単なる快楽と、そして物質を呼ぶ
受け入れるための武器として使うことしかわからない状況に
陥っているように思うのです。

目に見えない神ということ。
その信仰の世界の美しさ。
信仰していく女性の美しさ。
そして女性が最後、悟って神に至る道。

それをもっと理解させるには、当たり前の生活の中で結婚し
子どもを、夫を持つ者たちがやはり理想的な姿として現代に打ち出していく。
そういうことが必要なんだということなのですね。
だからそういう意昧での期待がこの者にはあるし
この者に続く女性たちが今出てきています。

日本神道からも出ているし、日本神道以外のところからも出ているんですね。
だからそういう新たな女性像を打ち出すということは、もう尼僧、修道女という
それがイコール神を追求する女性であるということ
その足枷から女性たちは離れなさいと。

夫の愛を受け入れ、それを、喜びをもって
日常生活の中に信仰という姿を現していく。
もっと自由な立場で、そういう形態の女性の姿というものを
健全なものとして打ち出さなければいけない時期がきていると
そういう期待があるのです。

修行している女性であるからといって、結婚もしないという孤独の中に生きる
汚れないことだけを望んでいくという。
それでは彼女たちには、少しも悟りはしないし
袋小路の中に自分自らが迷いこんで行っているだけなんです。
だから、我々オリオンの場合は
女性は女性としてものすごく高度に進化を遂げているのです。

女性としてあそこまで行けば
「男性になど絶対生まれたくないぞ」というくらいの
彼女たちには自負心もありますし、誇りもありますし、役割もあります。

それは、それは美しい、それは、それは愛深き思い、慈愛の思い
そして、ある意味で、とても男性に対して忠誠を誓い
謙虚な姿というのが誇りとともにあるのです。

それは役割の違いということを
ちゃんと彼女たちが認識しているということなのです。
その意味においては男女はしっかり同等であるということ。
それが確立されているところの悟りを持っているのです。
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まあオリオンの悟りをすべてこの地球に出すということは
それは地球神としてのお考えもいろいろありますので
私は差し控えますけれども、私は皆さん方に提示できるのは
そのような星もあるのだということ。

そして、今地球の偏った状況の中で、そのような由来を出していくということが
とても意味のあるというふうに、他の九次元の方がたも判断なされたようなので
私かやってきたということもあるのです。

まあゼウス神なんかにおいても、初期のギリシャの文明の中で
解放的な部分を、男女の性においてもひじょうに解放的な
明るく屈託のないものを出したということが
このあいだゼウス神自体から皆さん方に通信があったと思います。

私はそういう意味においては、たいへん馬が合うと言うか
いやあ修行という、修行という言葉そのものがいやなのですけどもね。
神の子として生きることはこんなに楽しく
こんなに自由で、こんなに喜びがあり
そして、自らもまわりも共に光り輝いた、神の国をつくり上げていこう。

そして、我々の意識の中にはもうすでに地球ということだけではなく
宇宙そのものを神の宮として素晴らしいものを広げていこうと
美の親善大使のような役割を持っているのが
オリオンの人びとであるということなのです。

だから私たちから見たら、さきほどおっしゃっていましたけど
未開の地という感じの地球から、これから地球としての文明をつくるからー
という要請を私は受けたのです。

そしてまた、私もひじょうにエネルギッシュにやる気もありましたので
あなた方のご存知のように
マイトレーヤーとかクートフーミーという方たちといっしょに
分担して多くの者たちをこの地球に運んで来た。

そして一つの地球という新たな神の宮ができる時に
美という観点でこの地球を彩って
潤い豊かな芸術文化というものをつくって、使命を果たそうじゃないかという
固い、固い決意のもとに、はるか昔にやって来た者なのです。

知性を代表したり、理性とか礼節とか
それぞれ各星、みなさん来た星によって
それぞれの使命があるのです。
その部署があるのです。

まあ、あなた方わからないでしょうが、神の体と思えば、目のところがあり
鼻のところがあり、耳がありという、脳のところがありというように
星々においてもまたその使命、役割、個性づけというのがあるんです。
地球においてもあるのです。

だからそういう意味においては
美を司る星のところからやって来たという私たちの役割
それはとても自由を愛しているということ。

いいんですよ、さまざまな嗜好品をこよなく愛するという
そういう意味においては、レムリアのほうが数段上でありましたし
スパイスにおいても何においても、みんなとても洗練された
ひじょうに高度に発達した
そのようなものをたしなんでいたということ。

芸術においても、ひじょうに高度な感性的なものをたしなんでいたということ。
音楽でもですね、あります。
だから言語を超えてそういうものが今、打ち出されるということ
それはちょっと頭でっかちになり過ぎたあとの
一つの処方篭としては有意義かな、という気持ちもあります。

でも忘れないでください。
私は毎回出るのではなく、補佐をするために今回
この者の脇にこうやってきておりますので
一つの雰囲気として打ち出すことは、協力しますけど
基本はエル・ランティが今主導権を握られておられます。

そして、イエス・キリストであり、モーゼであり、ゼウス神であり
セラビム孔子であり
その方たちが責任を持たれてる文明であるということ。
そこの位置づけだけはけっして皆さん方
お間違えにならないようにしていただきたいのです。

あくまで彩りとして私が応援に来ているということ。
主流はあちらの神々であるということ。
そこをお間違えにならないようにしていただきたいのです。

(2003.6.22  レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-30 16:18 | マヌ | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(7)

どれだけ高邁な神理というものを、ORさんのように頭の中に入れておいてもね
無垢な心で神様と向き合っていない人間は、逆に知識のトリックによって
簡単に下の者によって落とされてしまうということ。
それは階段を上がっていけばいくほど
その危険があるということを僕はあなた方に伝えたいんだよ。

ここまで上がって来た。
六合目、七合目、八合目近くまで来た。
そこへ、ようこそあなた方は優秀について来て
誤解もなくここまで上がって来られたと。
でも、だからこそ、ますます知識においても理解度においても、悟りにおいても
難度の高いものを要求されてきている。
その時に、「原点はここであるよ」ということを僕は言っているんです。

上に行けば行くほど、原点をしっかり忘れちゃあいけないということ。
やれること、自分たちの技能、ものすごくいろいろなものが出てきます。
そして人間関係においても
いろいろな対処方法というものを学ばなければいけない。

でも、そういうことがたくさん出てくるからこそ、自分が神理の運動をやる
まあレムリアのメンバーの原点として
自分はいつも神様と同通し、神様の前に裸でいられるか?
見られてて平気か?

この高橋信次があなた方の前に行って恥ずかしくないかっていうことを
常に思って生きていただきたいと思う。
そうすれば、何をしなさいと言わなくても
あなた方の中にある神の子としての神性が
良心が、あなた方に何をするべきであるかをあなた方に選ばせて
選択していくはずなんだよ。

だから、知識と神理というものはそういうものであるということ。
僕が唱えた八正道とかそういうものあるよ。
たくさんいろいろ転生輪廻とかそういうもの、過去世のこととかねえ
魂分身の理論、いっぱい言ったけども
それは最低限必要なものとしては言ったし
神理として必要なものはたくさんあるけれども
でも、じゃあどうだっていったらば
それをほんとうに人生の中で生きて、神の子としての神性を光らせた者だけが
僕たちの法を聴いて
「ほんとうによかった」と言える者たちであるということ。

そうでなければ、ただ図書館に行って
知識をごった煮のように頭に詰め込んできただけのような者であるのならば
それは神理に触れてよかったのではなく
図書館に行って帰って来ましたっていうだけの、なんら魂においては成長のない
進歩のないという形になって
我々の世界に帰って来なくてはいけないということなんだよ。

いいかい。
だから魂の中に落として、そして、自分の魂の喜びをもって
自らの人生というものをこの神理の運動の中に
さっき言った倍率の高い難度の高いところでこのクジを引き当ててだよ
この日本に来て、このレムリアまで座れるチャンスがあって来たのならば
自分が神の子として今回、何をしたかったか。

みんなそれぞれ計画立ててきてます。
その計画に、自分の心に聞けば自分の心がいちばんよく知っているの。
それを自分の心に聞いてね、精一杯自分の人生の中で何ができるか選び取って
自分の残された人生の中で、最善の努力をして頑張っていただきたい。

それをやっていくうちに、いちばんその人に身についた成長というもの
神理の、神理をメジャーにした、規範にした
その中におけるいちばんの魂の進歩というのは、そういうものなんだよ。

たとえば前にあったように、初級、中級、上級編とか分けて、テストを受けて
みんなで一律に
「じゃあ、みんなで中級に、はい、よいしょって上がりましょう」
「上級に上がりましょう。よいしょ」って。
それがあなた方の魂が、ほんとうに
魂がほんとうに進歩する過程であると思うかい?
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みんな転生違うの。
みんな転生輪廻、違う。
みんなカルマ違うよ。

そして、みんな素晴らしいいいところは
神様が一人ひとりもれなくみんな違って
素晴らしいところを埋め込んでおつくりになった。

だったら、そんな一律に、「よいしょ」って言って
みんなで初級、中級、上級って上がっていけるような
そんな単純なものではないということだよ、魂の進歩というものは。

それはいちばん自分の人生に密着した
日常でいちばん地に足を下ろした姿の学習と体験と、挫折と
それを乗り越えていった努力と
そして神理というものを通して互いに助け合って、感謝し合って、愛し合って
そして、この地球のために、神のためにって
どんどん意識が広がって学んでいったときに
いちばんその人の人生の中でふさわしい段階に応じて
あなた方が学びを進めていくということなんだ。

それはある意味で、ひじょうに個人的なものであるということ。
それは努力を一生懸命すればね
どの道からでもみんなが九次元に上がって来られるということ。
それはみんなが平等であるということだよ。

僕たちだけが、九次元にいる十人の者たちだけが
特別に最初からつくられたんじゃないかという質問が、前にあったけれども
そんなことはない。

確かに指導霊団というのはいるけれども、それは魂が古い、時間が長いから。
ただ、何が違ったか。
ほかの時に古くつくられたけど、九次元になっていった者とならなかった者。
それは、ひたすら、ひたむきに自分たちの与えられた使命に対して
努力し続けた者たち、そうしなかった者たち、それだけの違いだよ。

みんな平等だよ、神の子は。
一生懸命努力して、光のほうへ、神様の方向へ
自分の命を、自分の個性を通して、少しでも多くの人びとを幸せにするために
神の使者としてふさわしい仕事を与えたまえ、と祈って、祈って、祈り続けて
願い続けて自己精進をし続けた者たちが
最後、行き着く境地というものが我々の境地であるということ。

その意味においては、神に対する、周りの万象万物に対する
圧倒的な感謝の思いの中でね、自分か生かされているんだ。
自分もなんかお返ししていきたいんだという思いで生きている。
そういう境地になったときに
自然にフウフウフウーッと上に上がっていくというだけのこと。

それにおいてはね、ここの中にいるあなたたち、全部で十二人いるの?
十二人の人たちがみんな九次元になってもおかしくないから。
九次元ね、十人じゃ寂しいからね、僕たち。
もうちょっといてもいいなと。

なんかむさくるしいモーゼみたいなのとか
なんかイカツイおやじみたいなのばっかりがいても面白くないから
女性でもどんどん嫌がらずに九次元へ来てください。

いいよ~、もうピチピチした若い女性たちたくさんいてくれたら
もう九次元楽しいだろうなと思います。
下の世界まで降りていかなくてもいい。
それぐらいチャンスというのは平等にあるということだよ。

ただ、その意味において一途になれるか、ひたむきになれるか。
自分自身の神の子としての神性において、ひたむきであり得たか。
それだけの思いだと思うよ。

(2006.1.14 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-28 16:06 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(4)

明治維新の方がたも出られて
さまざまな方がたも出られていたようであるけれども
我々においても、単なる一仏教の流布ということだけをもって
仏陀の教えだけが素晴らしいと思って私も説いたのではないのです。

やはり仏教というもの、あの時代にかいつまんで言うのならば
やはり仏教が伝来し、学問化していく中で、学問的に教えというもの
法というものをしっかりと残すということは大事ではあったけれども
やはり法だけではなく、学問ではないという側面において
信仰が信仰の世界であるということは
やはり、神の国とつながっていくというー。

私自身が多少、霊能力者だったということも含めて
霊界の不思議さ、その目に見えない、やはりそれを超越した世界が
神の国にはあるのだということを人びとに指し示す
そこにおいて畏れをもって神を受け入れていくという
そのような方向性を指し示すために、私の教えというものもあったのです。

ですから、それがすべての人に継承できるわけでもないし
逆に言うと、そのようなお大師信仰の中で
人びとにひとつの超能力者としての部分だけで
「ありがたい、ありがたい」と
地元のおじいちゃん、おばあちゃんたちに手を合わされて
まあそれも人びとを救う道ではあったかもしれないけどー。

我が本意というものは、本来が神の国の計画、神のあり姿、教えというものを
地上に降ろすことにあったので、ありのままに降ろすことにあったので
私は法の教えということだけはなくて、神の国の世界の奇蹟というもの
超常現象というものもひとつ表すことによって
このような霊能力というものがあることは、これは我々が神の国の表れであり
神の国の畏れというのがこういうのであるという
神とは本来こういうものであると
単なる思想や学問ではないのだということを
人びとに一番目にわかる形で示していく
それが信仰の世界の強さなのであるということを、知らしめたいがために
私はあのような教え方をしたのです。

でも、やはりそれも、時代の中における限定された教えでありました。
今、私はもうそのようなことを語るつもりはないし
今それを継承している者たちに対して、けっして非難も何もしないし
頑張ってくれていることも、それはそれでわかるのですけれども
私は霊天上界において何を考えて、何を指導したかったか。

それはもう最大の関心事は、今回の仏陀下生における
この法の流布ということを、この日本を中心にして
しっかりと根づいた法をどこまで降ろせるか。
それにかかっているというのが私の役柄上も含めまして
やはり必死な思いがあったのです。

ましてや降ろされた法に手が加えられ
間違った法として後世につなげて語り伝えられていく
誤って語り伝えていくなどということは、私にとってはとても耐えられない
とても許すことはできぬことであるということ。
そのことをぜひわかっていただきたい。

法というのは、本来純粋な法を降ろすことに意味があります。
今、源流が降りている時に、このような誤った形で
手垢にまみれた法を後世に残してはならないのです。

それを降ろすがために、あなた方、あなたのような仏典をしっかりと書き
本来始祖と呼ばれている人たちが、どのような思いで
どのような神のお心を伝えんがために下生し
その教えを説いたかということを万巻の書により語り伝えたのです。

書籍に降ろせば、そのあとの人びとの語り口調による誤謬というか
誤りのようなものが入る余地はなくなるので
そのような本にして伝えることがあなたの
ある意味で役目であったということです。

そして、それがまたレムリアの使命でもあるということ。
新たな、また霊言がこのように降りながら
本来の神の計画がどこにあったのか
何をするべきであったのか、どこが間違ってしまったのか。

偉大なる九次元霊がお二人降りられたこと。
その教え、そして谷口雅春と呼ばれているような方にしても
如来と呼ばれる方が立て続けで降りられているということ。

その中において、いちばん大事な、本来語り伝えなくてはいけない。
純粋な、手垢にまみれていない、法の神髄というものを選り分けて
今霊言を編集しながら
あなた方はその中で
本筋のものというものを語り伝えていかなくてはいけない。
書籍において残していっていただきたい。
それがやはりレムリアに対して期待されていたものなのです。
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今やめられた方がたにおかれましても
そのような意味において書籍を降ろすことに意味があったのであって
それ以外のものには、他のものの使命はないのです。

レムリアに集うということは、神の計画のもとに、無私なる思いにおいて
神の世界計画の一員として、命をかけて頑張られるということにおいて
ここに座る席が許されているのであるということ。
その認識力がないから、あのような愚かなことを平気で
世迷い言のようなことを言うのです。

あなた方はくれぐれも注意しなくてはいけない。
この計画が頓挫したのであるのならば
これを次の時代、次の世代につなぐ者たちはいないのであるということ。
そして、法自体の原点を今修正し、固めようとしている。
しっかりと継承できる原点をつくろうとしている。
そのために今このように次々と霊言が降りているのであるということ。

そのことを深く認識して、あなた方が書籍によって残すということが
大事な、大事な後世の人びとの羅針盤のように光を指し示す
神の国の方向を示す、大事なバイブルのような
聖書のようなものになっていくのだということ。

イエス・キリストが聖書を書いたのではない。
イエス・キリストの弟子たちが、イエス・キリストがどのように語られ
どのような愛の教えを伝えたかということを一生懸命思い出しながら
それを文章にし、書いて集めたものが聖書であろう。

であるのならば、あなた方も同じです。
今このような我が言葉を、我らが言葉を聴けるあなた方は
いったい何を我々が一番望んでいるのか
天上界の神々がこの世界計画のためにどれだけ必死であるかということ。
そのことを、肌をもって今聴いているのです。
知ることができるのです。

であるのならば、それをいずれあなたの知識の中に、記憶の中にとどめ
それを書籍として残していっていただきたい。
そうすれば、上が何を考え、どのような長い長いスパンの中
長い期間の中における今の計画というもの、この位置のあり方
そして何か起きたのかということ、そして今何をなさんがために
霊天上界においても、地上においても必死であるかということ。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-28 08:41 | 空海 | Trackback | Comments(0)

ミカエルからのメッセージ(8)

これから地球規模の精神的な
レムリア・ルネッサンスとしての精神革命というものが起きます。
再生というもの、新生というもの
新しく生まれ変わっていくという精神復興の意味を含めて
ルネッサンスというのです。

ルネッサンス、宇宙時代のルネッサンスとは、どういうことか。
一度は見失われた神の子としての愛の神性というものに
もう一度、神の子たちが出会っていく。
自らの力に気づき、回帰していく。
神の元に回帰していく精神革命のことをルネッサンスというのです。
レムリア・ルネッサンス、宇宙のルネッサンス
宇宙時代のルネッサンスということをいうのです。

それを担うための、我々が立てた最後の第三の計画という
その出先機関というのが、この団体であるということ。
そこに集うあなた方であられるということ。

そこで、あなた方一人ひとりはどのように関わり、どのように貢献し
どのようにご自分のプライバシーである人生に対しても
あなた方は頑張ろうとなさられるか。
それを我々は見ているし
あなた方の人生の生きがいでも、生きざまでもあるということなのです。
その両輪なのです。

誰でも、個人の修行というものを持っております。
過去世から連綿と伝わる、今世、生まれたときにおける
過去世からの個人の修行というもの、カルマ
いろいろな意味においての
清算という意味においての個人の修行があるのです。
個人の認識力を、もう一度高めるという修行もあるのです。

それと同時に、神の使者として
あなた方は自分以外の方がたをどのように幸せにしていくことを考え
道を考えるか。

そして、レムリアに集うのならば
レムリアを通して、あなた方は何をやろうとし、貢献しようとするか。
そのことを両方で考えていかれる。

でも、両方のように思われる、別々のように思われるかもしれないけれども
それはふたつのものではなく
本来は表裏一体のひとつのものであるということ。

多くの人びとを幸せにしようと思い、自分を高めることが
それは、返す返す、愛の循環の理論によって、自らの人生の質も
自らの悟りも高めるということに返ってくるのです。

原因結果ということを何度も言っております。
自ら、原因をしっかりと努力するのならば、いらないと言っても
その結果は自分に返るのです。

多くの人びとを陥れるような、猪疑心に満ちた不信の思いで
人びとを苦しめていくのならば
間違った情報を世に流していくのであるのならば
それを結果の、原因結果の理論において
最後に背負うのは本人であるということなのです。

ですから、前から申し上げておりますけれども
あなた方を非難する方がたに対して、何も批判することはないのです。
宇宙の法則の中において、自分自らがやったことは
自ら自身が背負わなくはならないということ。
誰でもがほかの方に押しかぶせることはできないのです。

自分が言ったこと、やったことは、自分自身が最後
その償いをしなくてはいけないということをもって
あなた方はその方がたを責めることはないのです。
淡々と、ご自分のことをやればいいのです。

やっていく中において、多くの人びとが
あなた方の姿を見て、生きざまを見て感動し
共鳴し、本来神の使者として
どういう人がいちばん信頼できるかということを
見てる方がたにとっても学びになり
多くの人びとが、あなた方を見ることによって
自らの神性というもの、自ら神の子として
どう生きなくちゃいけないかということを
感動の中で認識していく。
それが周りの方がたも教化していくということ。
発展させていくチャンスを与えているということにもなるのです。

つまらぬことに、いちいち口げんかのように携わって、言い合いをして
自らの品性を、神性をおとしめていくのならば
それを見ていた者たちは、どこにも、その言い合いの中に
救いは見つけられないことでしょう。

でも、あなた方が、それに関わらず、何を言われようとも、気高く関わりなく
ただただひたすらに愛と感謝を返していき
神のメッセージを伝え続けていくのならば
それを見守って、黙って見守っていた当事者でない者たちは、その姿を見て
神の使者というのはどういう者であるかということを
自らの人生の中に学び取っていくのです。

そしてそれに賛同し、このような場所にまた来てくれるかもしれない。
書籍の一冊も読んでくれるかもしれない。
それ自体がその方たちの人生に、キャンドルの火を灯したことになるのです。
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もともとがみんな持っている、神の子の神性の光
その先に、一人ひとりに光を灯していくことに
これから頑張っていきましょう。

わたしたちもけっして焦ってはいないのです。
これから十分な時があるわけではないけれども
多くのものが複合してやってはくるけれども
これだけ多くの霊言が地上に降ろせたということ
九次元の方がたのご意思というものが地上に降りたということを
今回の次に出てくる書籍のことを考えると
とうとう九次元の方がたのメッセージ集を
地上に降ろすことができたということ。
それをあなた方に心より、この一年を締めくくるに当たって
感謝申し上げたいと思うのです。

ほんとうにご苦労があり、ほんとうに九次元の方の霊言を地上でとるということ
それがどのような奇蹟であり、どのような負担があるかということ。
それを天上界にいるわたしたちはわかっているのです。
わかっているけれども、今回このような計画を強行しなくてはいけなかった。

天上界のわたしたちの熱い意思というもの
思いというものを、地上のあなた方に伝えて
そして九次元の方がたの法というもの
ORが、仏陀が降ろしそびれたことの補足をするというのが
本来のレムリアの使命でもあります。

それを大方において、根本法においてまで補ってくださったということ。
地上にこの書籍が出れば、あなた方がやったフォローというものは
ほんとうに大きな、大きな評価であるということ。

今はあなた方はわからないでしょう。
時間がたって、ある時期がたってみた時に
高橋信次、エル・ランティがやり、OR、仏陀がおやりになったこと
九次元のあのそうそうたる方がたがやったけれども
やり残し、道を歪めてしまったことを
あなた方のレムリアの、お一人おひとりが力を合わせたことによって
その道を修正してくださったということ。

九次元の根本法の補足を地上に降ろしていただき
書籍として地上に出していただけたということが
どれだけ天上界において、この計画を実行している者たちにおいて
大いなる救いであったかということを、あなた方にミカエルは伝えたいのです。

ありがとうございます。
「ほんとうにありがとうございます」という言葉しか
このミカエルには今、言うことはない。

(2005.12.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-27 17:51 | ミカエル | Trackback | Comments(0)

吉田松陰からのメッセージ(4)

ここに座るということがどれだけたいへんなことであるか。
今あなた方を誹誇中傷している者たちを見ると、皆ここに座りたいのである。
座りたいけれども、座ることはもうかなわぬ。
だから子どもが駄々をこねるように、泣き叫ぶように、怒りをぶつけて
あなた方に文句を言っているだけのことなのだ。

でも、この場に座ることは、やはりそれなりの境地というものが要求される。
当たり前である。
神仏の言葉を直で受ける場所にいられるというのに
心に欲とかさまざまなくだらないものをいっぱい詰め込んで
いずれこのレムリアを通して自分の夢を、自己実現をしてやろうなどという
悪しき思いをいっぱい心の中に、どろどろ腹の中に持っている者が
いかにしてこの霊言の場に立ち会うことが可能であろうか。

それを最も嫌う、そのような磁場を最も嫌う、この巫女の感性の中において
彼らはもう弾かれてしまっている。
だから、おのおの方も心から肝に銘じられよ。
何が神の国にとって、神の前に出た時に、何が一番尊いかということ。
それを、それのみをもって
おのおの方の魂を輝かす道があるのであるということ。

神仏の前にいっこうに評価されぬことに血道を上げたとしても
少しも魂は輝かぬ。
そなたたちが神の子であり、このまれに見る大計画の一助として命がけになり
不退転の境地において、神仏の力になるのであるのならば
またもや大きな功徳をもってそなた方の魂の光の量も器も大きくなり
後の大いなる、また使命というもの
重大な使命を受ける資格というものがあなた方に備わることであろう。

しかし、ここの今いる場所であるということを利用し
そこに私利私欲を忍ばすのならば
普通の社会において私利私欲を忍ばした以上の重大な罪になるということ。
そのことも肝に命じられよ。

あの、あなた方を誹誇中傷しているホームページの者たちは
その真剣さがなかったのである。
そして一生懸命自己正当化しても、そんなものは神の前に何も通じはしない。
正当化しようと思って嘘をつけばつくほど
罪を雪だるまのようにたくさん重ねていっているということを
彼らは知らぬ。
であるのならば、このような大計画に関わらなければよかったのである。
そこにおいて大きな罪をつくれば
ほかの人が失敗した以上の罪を償わねばならぬところに堕ちていく。
それが神仏の使徒の素晴らしさでもありながら、危険性でもあるのだ。

イエスの弟子に、十二弟子という中にユダという者がいる。
ユダはイエス・キリストを、インマヌエル
イエス・キリストという方を売って
自分で首は吊ったけれども
彼が行った世界がどこであるかということを考えるのならばー
普通の人が、普通の人間が
ほかの者を密告し、売ったからといって真下には行かないのである。
イエスのそばにいた者であったからこそ
彼が売った方がどういう方であったかということを考えて
普通の人間以上の償いをしなければいけないところに
堕ちて行ったということなのである。

それぐらい霊言を扱うところにいる者たちは厳しい思いで
自己点検をせねばならぬ。
それだけの重大な使命の中にいるということ。
神仏の使者、神より言葉を預かる者を害するということが
どれだけその罪を償わなければいけないかということを考えると
そう簡単にはできない、めったやたらなことでは関わっては危険なのが
逆にこのレムリアの仕事でもあるのかもしれない。
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もし疑問を持たれ、どうしてもついていけないと思ったのなら
黙って速やかに退かれよ。
それでよい。
それ以上のことをしてはならぬ。

人間だからその方針と合わぬこともあるであろう。
ついて行けぬと思うこともあるであろう。
ならば速やかに身を退かれよ。
けっして誹謗中傷してはならぬ。
そして、神仏の使者を罵倒、罵言雑言吐くようなことは絶対言ってはならぬ。
それは言った者の身を案じてこそ私は言うのだ。

そして、間違っても、わたくしの言葉なぞはまだよいが
わたくし以上の方がたからの数々の素晴らしいこの霊言が
降りているこの霊言を
けっして曲げたり、書き換えたり、軽んじたり
抹殺しようとするようなことをしてはならぬ。
そのようなことをしたならば、取り返しのつかない罪を背負うことになる。
そのことを私はあなた方に言っておく。

今のあなた方を見てると、ひじょうに安心して見てられるけれども
私がこれを言うのは
あなた方に攻撃をしている者たちのことを不欄と思うからこそ
彼らの立場を明かしているのである。
彼らもかつてはあなた方と同じ立場にいたのである。
誰よりもこの者を信じ、誰よりも霊言を心待ちにし
誰よりも熱心にレムリアの仕事をしようとしていた者たちではないのか。
それがあのような姿になっているということを思って
何か彼らとあなた方を分けてしまったかということを、私は今語っている。

このような大計画の中で
このような場所に使っていただけるということを思って
あなた方は人生の喜びとし
このような人生を生きるがために今までの過去世があり
そして今世の命を燃やす場所を与えられた喜びと感謝の中で
最後の一瞬までこの使命を生ききりなさい。
それこそが明治維新なぞというもの以上に
世界維新のためにこの地球が今生まれ変わろうとしている
この一大革命期にあなた方が命を持ったという素晴らしさを
あとで人びとに称えられる結果になるであろう。

(2005.3.10 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-26 16:48 | 吉田松陰 | Trackback | Comments(0)

なでしこセミナーのご紹介

Pureです。

みなさん
レムリア・ルネッサンスに降ろされた「女性の法」をご存じでしょうか。
神がどのような期待を込めて女性をつくられたのか
女性の力とはどういうものか
女性性の本質が、人類の歴史上、初めて明かされました。
c0171476_16595467.jpg

地球の未来を明るいものにしていきたい
そして、女性たちそれぞれの素晴らしい個性が
色とりどりに花開いていきますようにと
そんな願いを込められた女性のためのセミナー
なでしこセミナー」ですが
2016年は、5回シリーズで開催を予定しているようです。
みなさま、ぜひ奮ってご参加ください。
(お子さま連れでの参加も大歓迎)

日時:2016年2月27日(土) 13時~15時 (開場:12時半)

場所:品川駅周辺

参加費:2,800円(テキスト代込み)

http://nadeshiko.lmr.cc/seminar/2016/
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by nagoyasc | 2016-01-25 17:00 | レムリア・ルネッサンス | Trackback | Comments(0)

マヌからのメッセージ(9)

オリオンには、男性系があって、女性系があって
いわゆる第三の性という中性系の方がいらっしゃるんです。
だから、芸術関係においては、どっちかと言うと、そういうふうな形で
今でも芸能界とか、芸術の世界で力を発している方は、多いですね。

オリオンから来た場合に、芸術関係の人が今も活躍されていますけれども
オリオンでは男性系の方と女性体って
さっきお話しした、その悟りがあるんですけど
いわゆる第三の性という中性体の方がやっぱりもうそれは
そういうものとしてあって
逆に芸術を担う意味において、その男女の性を超えて
両方の意識から表現したいというものの中で
そういう形態の人たちがすでに肉体を持って存在していたということは
事実です。

その方たちも一緒にやってきましたので
その方たちが今逆に言うと芸術において
世界において、ひじょうに力を発してる人が多いはずなんです。

だから、それが性の混乱という形で
現代の問題になっているように思いますけれども
我々の感覚で言うなら少しもおかしなことではなくて
逆にそういうものからも自由になりたいという
彼らは基本的に結婚しようとか
子孫を残そうとか、そういう衝動は全くないのです。
芸術作品が彼らの子どもであり、その人生すべてである。
それにおいては何ものにもとらわれない。

まあ、我々の星では
生活にあまりあくせくしたことは好まなかったという傾向があるので
この者(アマーリエ)の日常生活、とても下手でしょう。
あまり日常的なことは得意ではないように思うんですけれども
あのあまり、そういう修行をしてないのですね。
どうなることかと、私は今回見ていたんですけれども、五人の子どもを
何とか育てているように見えるので、皆さん、助けてあげてください。

今回の文明においては、イエス・キリスト、モーゼ、エル・ランティ
孔子セラビム、モーゼという方たちが
やっぱり主流になっているということは
もう、以前に説明はもしたと思います。

やっぱりその時代、その時代における文明の責任者というのがあり
色づけ、個性において我々九次元も分担、担当しているということ。
そこのところをご理解いただきたいと思います。

私はこの者とたいへん縁が深くて
私がこの女性を私のパートナーとして母星から連れてきた者なのです。
ひじょうにいろいろな事態がありまして
長いこと別れていることが多かったのですけども
このたびもう一度、和解をして、これから共に歩んで行きたいと思っています。

まあ、そういう個人的な事情もありますので
あのちょっと、皆さん方には説明ができないところもありますけれども
まあ私はこういう性格ですから、聞かれれば何でも答えます。
そして、私はたいへんロマンチストです。

神様の道を歩むということ。
神の子として使命を果たしていくということ。
それをもっとおおらかな明るい、喜びをもってあなた方にも生きていただきたい
使命を果たしていただきたいというふうに私は思っているんです。

そんなに堅苦しく考えることないんですよ。
いいですか。
いろんなお酒も体を壊さないように召し上がってください。
私も芳醇な酒というのはとても好きですし
豊かな香りのするコーヒーも大好きですし
そういうものを全部九次元が拒否して
何もそういうものを楽しまずに生きていると思ったら
それは大間違いです。

使命を果たす意味での原動力として、多くのものを嗜好し
楽しみながら生きていくという
それは芸術作品においても、音楽においても
そして食べ物においても、味覚、嗅覚
そういうあらゆるものを私はこよなく愛し、楽しんで
たしなんでいるのです。

それにおいて、男女の性においても
どうもこのお坊さんたち、修行者というこのかたち
形態というのは、私にはひどく不自然に思うのですけれども-。

先ほど、この者が言っておりましたけれども
オリオンの悟りの中には究極においては
男女の結合ということ、男女の自分が宇宙の創造原理において
創造された時、それは陰陽合体であり
そこから男性系、女性系というものが分かれる。

そして、それが分けられて
女性、男性というものがつくられていって、そして再び相手を見いだしていく。
見つけていく過程が修行である
悟りであるというのがオリオンの悟りなのです。

だから最後、私たちが悟っていった時
自分が原初、魂が宇宙の中で創造された時に
自分が切り離されたパートナーを見つけ出せるかどうか。
そこが大きな悟りの最後のハードルになってくるということ。
その相手を見つけるということ。

だから、ひじょうにある意味自由に
男女の性が大らかに過ごされているように思うかもしれないけれども
それは私から見たら
地球の者たちの方が迷っているようにしか見えないのです。

けっして不自由な、それを拒否するものではないけれども
でもそのかけがえのない相手を見つけた時
他の女性に心惹かれるかと言ったら
それは惹かれる余地もないということ。

その意味において男女の倫理というのが確立されていくということ。
法的に縛られるから、ペナルティが課せられるから浮気をしないとか
フリーセックスにならないということではなくて
自分にその気がなくなるということ。
それくらい根源的なものが男女の仲にあるということ。

宇宙の創造原理というの、皆さんわかってらっしゃいますか。
陽の要因と陰の要因というものが出会い、ビッグバーンがおき
そしてあらゆる生命活動が始まっていくのです。

生物においてもそうでしょう。
陰陽が合体したところから、創造の原理というのが
すべてが開始されていくのです。
それは宇宙の創造の基本
太初の根源的な始まりから、神の中でそれが始まっているのです。
c0171476_15561768.jpg

たとえば、磁石がありますね。
プラスとマイナスの磁石があります。
そこに置いておきます。
しばらくそれを置いておきます。
しばらく離れすぎている時はわからないです。
ある程度近づいてきたらビヨーンと、お互いにピシッと付くではないですか。

これなんです。
これが宇宙の原理なのです。
それが男女の分かれている意味であり、そして男女の性の結合なのです。

そこにおいて男女、プラスとマイナスというものが出会っていた時
そこに宇宙においても、すべての創造原理が始まり
地球意識ですらそうやって、この惑星というものが進化発展し
多くの生物、鉱物、動物が繁栄してきた。

あなたたちから見たら、何億年、何万年というふうに見えるかもしれないけど
私たちにして見れば、早送りの画像を見ているように
それは陰陽合体、陰陽合体の中で創造原理が繰り返し、絶え間なくきた結果が
今日の地球という環境をつくってきた、生物をつくってきたということ。
それは宇宙の法則なのです。
その宇宙の法則のもとに人間の創造もありました。

だから、まあ、我々の中では第三の性というのもありますけれども
これは芸術家たちが希望して、そのような形態をつくってきたということであり
基本形においては男性系、女性系、プラスとマイナスということ
それが出会って創造原理が始まっていくというのが星々の誕生においても
すべてにおいてそこの原理が一貫して流れているのです。
それが我々オリオンにおける宇宙の悟り、宇宙の法であるということなのです。
そこまで悟れるということなんです。

そこにおいて自分が、前も話したと思いますけど
我々にとっての悟りということ。
あなた方の好きな悟りということ。
それは難行苦行し、修行しなければということではないのですよ。

いいですか。
結果的に最後は、自分に出会っていく。
まあ、おのが自分の中に神の子としての神性に、仏性に目覚めるというふうに
まあ地球的に、仏教系的に言うならば
そのように説明しておられると思いますけれども
我々的に言うならば
その根源的な創造原理の時から自分に期待されて神が創造された
己自身の魂、魂の役割と個性に気づいていく旅である。
それが私たちに言わせれば、悟りの階梯であるということなのです。
そして、その中で本来は、陰陽は合体したエネルギーなのです。
完全系なのです。

それが分けられることにより、個人個人の個性というものが
また男性、女性というものがつくられ、そして修行が始まるのです。
でも最後は、そこに帰っていくものなのです。

そこが結ばれることによって、大きな、大きな仕事、大きな、大きな子孫繁栄
そういう創造原理というものが働いていくということなのです。
それがひじょうにあなた方から見たら新しい角度かもしれません。

で、そこの部分をひじょうに毛嫌いし
そこの部分をひじょうに悪と見なすような傾向性が
どうも今回の悟りの中に色濃く根づいてしまったので
逆に私のような、本来はあまり出る場ではないのですけれども
そのような役割と色づけにおいて、私が出てきたという過程もあるのです。

(2003.6.22 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-24 16:28 | マヌ | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(6)

知識からたどり着いていく道もあるけれども
知識で悟ったのなら、それを心に落としなさい。
落としていく中に
よりたくさん蓄えてきた知識というものがますます花を開かせ
多くの役に立つ道というものも現していくでしょう。

でも、知識だけを頭に詰め込んで、心の中で自分が神の子であるということ
神の子の神性を持っている存在であるということを忘れてしまったのならば
あなた方は神理の使徒としての仕事は何もできないということ。

そんな書籍のようなものをたくさん頭の中に詰め込んだ
それだけが神理の使徒であると思ってしまってはいけないよ
ということを僕は言っている。

僕は生前言ったときに、頭がそれほど切れるほうではなかったから
ありがたいことにそういうところには落ちないで
自分の中でわかることをもっと勉強してから言えばよかったなと思うことを
ひじょうに大まかに言ったために
あとで混乱が起きて、反省しているほうです。
「もうちょっと勉強しなさい」と
逆にほかの指導霊に注意を受けたくらいですから。

勉強するということも大事なことはわかっている。
でもそのあとのね、流れを見ててね
どうしても知で偏りすぎたものというものは
「肝心な神理というもの、神の子としての神性というもの
自分が何のために出て来た光の天使なのかということを
忘れてしまってはいけないよ」
ということを僕はあなた方に伝えたいと思うんです。

だから書籍を読んでもね、いろいろ覚えていることもあるでしょう。
それが、神理の理解、時代の理解
自分たちの救世運動の理解としてどういうことか。

また、新たな神理というものは、宇宙を見ていく意味において目を開いてくれる
大きなビジョンを見せてくれるという意味での神理というものは
ひじょうに、レムリアも通してたくさん与えられていると思います。

でも、それ以上に大事なのはね
この我々が天上界から送ってくるこの波動の中で
あなた方すべて、もれなく神の子であるという自らを信じて
自らの中にあるその神の子のエネルギーに感応して
あなた方自身の本来の力を出していく
それをもっと勇気をもって輝いてほしい。

そうやってあなた方自身が、神の子としての本来に戻っていったのならば
この地球中の人たちがそういうふうに戻っていったのならば
戦争なんか起きないんだよ。

理屈でいったならば、「ああだこうだ」と
みんなそれぞれの立場の者たちがあって、理論闘争するでしょ。
理屈、理論で言い合いをすると思う。

みんなそれぞれの言い分というのはあるんです。
どこの国でも、どの理論においてもあるんです。
でも、みんな共通として神の子であるという
かけがえのない神性というものがある。
その前には、あらゆる理屈はなりを潜めてしまうようなものがあるんです。

その神理というものの大事なバイブレーションというものを
あなた方のこのレムリアの書籍、そしてレムリアのCD
そして、これからくるホームページですか、そういうものを通して
これを開けた人たちに、何か違うと思わすような
これこそ神の、懐かしい、懐かしい神様からの響きであると思わすようなものを
どうかこの地上に出していっていただきたいと思うんです。
そのために、今は法を中心とした、原点とした、まあ仏陀系の方たちと
それに対する、それを広げる方たちが、今あなた方来ていらっしゃるけれども。

これから先ね、これを文化の面でやっていく芸術家集団とか
それとあと職業においていろいろもっと具体的に
社会に展開していく方たちというのが出てくるんですよ。

彼らは、理論的な法っていうものを
根本的にまとめる力というのはあまりないんです。
ただ、その聴いたことを、そしてそれによって受けたものを
自分の神の子としての感性とかに響かせることによって
天上界のバイブレーションのこもった作品というものを
打ち出していくことができる。

それで地上を彩っていくことにより、それを見た人たちが
また神の波動というものに
チャンネルを合わすことができやすくなってくるという
そういう意味での神理の文化の発展というものですか
そういう時代がもうすぐー
まあ、これは今年やることではないけども、来年以降、出てくるということ。
その先が出てくるために、今のこれからの一年間があるということ。
それをあなた方にお伝えしたくて今日来ています。
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あなた方自体で、知識でどうあるべしということよりも
それだけがいちばん尊いのだったら、ORさんが何でもやっていると思うんだ。
知識だけ頭に入っていたから、世の中、世界を変えていけるならば
もうとっくにこの地上はユートピアになってたかもしれない。
でも、あれだけ神理の知識をたくさん知ってた人がどうしたかというと
いちばん簡単な心のエアポケットに落ちてしまったんだよね。

要は心というもの、心をチューニングして生きる
神の子としての波動に常に合わせて生きるということが
どれだけ難しいかということ。

どれだけ最高度の神理知識を頭に詰め込んでいたとしても
神の子としての神性に魂がチューニングできていなければ
光の使徒としては失格になるということ。
そのことをあなた方はしっかり学ばなくてはいけないと思うよ。
だから、けっこう巫女さんとか呼ばれている人たちというのは
あまり難しいことを言うのを嫌うんです。

それは、難しい理屈ばかり入れてしまうと
素のままで神様の前に立って受け取ることができなくなる。
理屈ばっかりでやると、こういうオープンな感性というのはなくなるんです。

あなた方も、ほらイエス様がおっしゃったように
「幼子のようになりなさい。天国はそういう者たちの国である」
ということをおっしゃっているでしょう。

それはどういうことかっていうと
「自分で努力精進し、いっぱいいろんなものを詰め込んできた
それを一度脇において
ほんとうの意味で素直な、無垢な純粋な気持ちになって
裸の自分になって、神様の前に立ってごらん」ということを言っているんです。
裸の自分になったときに、神様の前に立てるか。
その気持ちです。

自分をいろいろなもので囲ったり
ほかの人から見てどうのこうのという比較の中で
自分をすごくいじめたりとか、そういうものをいっぱいつけていると
裸の気持ちで神様の前ではいられない。
神様は全部見ているということ。

こういう霊的なことをやる人は、それこそお風呂に入ってても何やってても
私たちからの声が聞こえるから
もうそれこそ隠し立てができないって観念してますけどね。

あなた方は、神理を学んだのが長いわりにね
僕たちがいつでもあなた方のことをみんな見てるんだよってことを
けっこう実感としてわかっていない人たちがいる。

そうでしょう。
でも、それは怖いことでもなんでもなくて
裁いているんでも何でもないんだよ。
「人間だもん、当たり前だよ」と思って見てる。

だけども、ほんとうに神理の使徒として
神の子としての人生を歩みたいのならば
まず我々と同通できるような
シンプルな無垢さというものを持たなくてはいけない。
そこが原点であるということ。

(2006.1.14 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-23 12:41 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

出口王仁三郎からのメッセージ(6)

神の国は素晴らしい。
この宇宙は素晴らしい。
それを味おうて、味おうて、味わい尽くそうではないか。

神の世界の素晴らしさは尽きることなく、おなごの美しさも尽きることなく
わしは今回、日本神道だけではないおなごがいるということを知って
すっかりファンになったのだが。

仙女たちも美しいが、金髪の女もいいぞ。
日本酒もうまいが、たまには赤ワインもいいぞ。
わしにも注げ。

そなたたちの中で味おうている美しさ、味おうている多様さというものを
もっともっと前面から受け入れ
赤ワインを飲んでいる者たちも祝福できるような男でなくてどうするのじゃ。
そうであろう?

黒髪の女も美しいが
金髪の女も美しいと思うことにロマンというものがある。
神はなぜこのように素晴らしい幾多の女性たちをつくりたもうたか?

そのような女性を味わうということかも知れぬ。
そのようなものを通して、数々の美しいロマンスと出会って
素晴らしい男としての仕事をしろということかも知れぬ。
違うという声もあるが
でも、わしはそれを活力として仕事をしていきたいぞ。
モテて何が悪い。
そなたたちも、そのぐらいの気概を持て。

僧侶たちは、どうもおなごに触ると、それだけで地獄まっしぐらと思うようだが
そんなことは少しもない。
おなごの美しさを味わわなくて、何がおなごを愛するという
愛というものを語ることができようぞ。
酒のおいしさを味わわなくて、人生の喜びを語る資格があるか。

まあ、わしの言うことはちと、ちょっと極端なのは知っておるが
でもそのぐらいの気持ちでいけ。
そんなことを言うわしが下に堕ちてはおらぬということ。
それを見、聞いただけで、そなたたちは相当、安心したのであろう。
しないか?

わしでも下には堕ちてはおらぬということ。
堕ちるのは、逆に間違わないように、間違わないように
一生懸命、隠れたところで自分の欲望を募らせた
高位高官の僧侶たちのほうが下に堕ちておるのだぞ。

一見、大僧正と呼ばれて、一見、素晴らしい僧侶であると
仏弟子であると言われて
裏にドロドロの思いをため込んで、醜い思いを膨らませてしまった
そのようなへき積した思いで、下に引きずり降ろされている
元宗教家というのがどれだけ多いことか。

不自然な形で自らを
「宗教の指導者とはこうあるべし」と思って
自らを縛りつけたその結果の反作用で
逆に宗教家が下に堕ちる場合も多いのである。

当たり前のことは当たり前として楽しむ。
神の世界の美しさを、多様さを味おうてこそ
この地上を幸せにする機会もあるということ。

一般庶民の者たちが女を恋い慕い、男を恋い慕い、酒を飲み
おいしいものを食べともに家庭生活をしていく。
そして、美しい音色の音楽に聞き惚れ、美しい芝居や、大自然の中で
喜んで遊んで戯れる子どもの姿に感動する。
そういう姿を理解できなくて
そういうものを共感できなくて、どうやって衆生の心をつかみ
多くの神の子たちを幸せにする方法論を考えつくというのじゃ。

自分だけが悟りすませ、自分だけは問違いのないように
自分だけは堕ちないようにという思いが
清まり過ぎた潔癖さというものをつくって
一般衆生は男女まみえるが、自分だけはまみえず、自分だけは堕ちないという
自分たちだけは高いところに、一段上の境地において
他の衆生たちを指導してやらねばならぬという思いそのものに
もうすでにおごり高ぶりがあるということ。

みんなと一緒の思いの中で、分かち合い、共感し合い
彼らが望む、衆生たちが喜ぶ
その喜びをほんとうに味わってこそ、分かち合い
ともに彼らが幸せになる手だての中で、使命を果たすことができるのだ。
彼らを幸せにしていく道も考えつくというものじゃ。

自分だけが安全なところにいて、他の者たちが不幸になることより
自分だけが安全になることを思っていて、神の使者としての使命なんぞ
仕事の場所なぞはないということ。
それをわしは極端な形かも知れぬが
こういう形で、そなたたちに見せている。

だから、わしのような者が、このようなふざけたことを言う者が
下には堕ちていないということ。
そのことを思ったのなら、そなたたちはわしに比べたら
まだまだ放縦生活はしてはおらんであろう。
だったらば、喜んで前面から受け入れ、自分を許し受け入れ
そして、多くの人びとを幸せにしていく活力とせよ。
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そして、そなたたちが昧おうた、その人間の煩悩としての力をもって
多くの者たちがほんとうに幸せになるには
どのような道がいちばん幸せなのかということを
彼らとともに手を取りおうて考えていきなさい。
それこそがほんとうに人を救うということ。
神の子を幸せにしていく救世の事業の担い手となれるということ。
わしはそう思うぞ。

だから、これからも、わしをこれから呼んでほしい。
もう嫌がらずに、悪さはせぬから呼んでほしい。
そなたたちの中で、わしもこのように酒を一献傾けさせていただきたいと思う。

今まで竜馬と一緒に飲んでばっかりいて、時を待っていたのだが
竜馬もやにわに人気が出てきて
本なぞ出してもらうようなことを言っておったが
わしの本は出ぬかなあ?

これからいくらでも連載で、出口王仁三朗霊示集
以前は出してもらってなかなか人気があったであろう。
わしもこれからは連続して出て
レムリア版で霊言集を一冊出してもらってもかまわん。
いくらでも協力しよう。
だから呼んでほしいと思う。

我ら裏神道、荒神一同、そなたたちの成功を
れからの仕事の門出を祝い
今日は参上した。
では、そなたたちと一緒に乾杯をしよう。
そなたたち、頑張ってほしい、そなたには。
乾杯。
頑張ってほしい。
うまい酒と、いい女はいいのう。
ではわしはこれにて失礼しよう。

(2005.4.23 レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2016-01-22 09:30 | 出口王仁三郎 | Trackback | Comments(0)

ミカエルからのメッセージ(7)

自分自身の思いというもの、納得したいという思いというもの
それに真摯に向き合うことも大事です。
それと同時に、どうかあなた方が、今与えられている幸せというものを
ひとりでも多くの方がたを幸せにするには
どうしていったらよいのかということを考えていただきたい。

最終的にそれを考えるのは、飢えた人びとにパンー枚を
牛乳一杯をあげることではなくて、人びとの心の中に
神理の言葉という素晴らしいごちそうを差し上げて
指し示していくということ。
そのことのほうが、根本的に人を幸せにするお手伝いになるということを
あなた方が理解することです。

飢えていっている方がたに
その場しのぎでパンとミルクを差しあげたとしても
水を差し上げたとするよりも、その地に産業を興し
その方がたを励まし、教育をし、井戸を掘る力になるほうが
その方がたにとっては幸せになるではありませんか。

物質というものは、その場しのぎのものではよいですけれども
あなた方は神理の言葉という、大ごちそうをもって
多くの人びとに振る舞っていただきたいのです。
それだけの天上界のメッセージが今、地上に降りているということ。
それを世に問うために、このレムリア・ルネッサンスはあるということ。

ここまでくるのに時間がかかったのですよ。
ここまで立ち上げてくるのに、書籍を出していくのに
ホームページをつくり、小冊子を販売し
CDを出してくるまでに、どれだけの長い、長い苦労があったことでしょう。

でも、そのことがあったからこそ
この次の第二段階、第三段階の扉が開いていくのです。
今、これから、第三段階が開いていくのです。

第一段階は、この方を中心に、まずメッセージを伝え
やる気持ちというものを喚起するために、嫌がるこの方に必死に追っていく
その段階が我々の正念場とも言えるような時期があったのです。
それを第一段階といいます。

第二段階は、そのあとに
この間、トラブルを起こしたようないろいろな方がたが出られ、来られて
具体的に霊言をとりながら、書籍をどういうふうに出すか。
最初は書籍が出せませんでした。
そのような中で、どのように編集し
どのように書籍というものを出していくか。

そして、そのうちにさまざまな、力のある編集のできる方がたが来てくださり
今日、書籍が世に出て、CDまで出て、世に問うホームページとか
そういうものができるようになったのです。

そして、これからのち、何が起きるかというと
そのような体制が出たときに、これが世間一般に広がっていったときに
レムリア・ルネッサンスというものが、このメッセージというものが
ひとつの静かなブームとなっていくことでしょう。

けっして、派手なものはいらないのです。
人生の中で救いを求めている人、幸せになりたい人たちに
やはり正面から天上界の言葉というものを伝えていけるような
おおっぴらに伝えていけるような、そのようなチャンスというもの
そういう場所というものが必要であるということ。

そして、過去ならばあり得なかったことでありましょうけれども
今インターネットいうものがひじょうに普及しております。
小学校でも授業に出るというふうに聞いております。
今、幼稚園の子ですらパソコンをいじる時代なのです。

いずれそのような時代がくるということは、予言されておりましたので
どうか、このパソコンというもの、インターネットというものを
通して、日本を中心に世界に発信していくということ。
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くれぐれも申し上げておきます。
神の使者が神の子として、神のメッセージを伝えるメッセンジャーたちが
自らの安楽な利益を求めるような道に走ってはなりません。
そこに欲が出てきたときに、天上界のメッセージは伝わらなくなり
神の子としての使命は終わりを告げるのです。

あなた方、一人ひとりで見たのならば、神の使者としての使命というもの
神の子の本来の姿というものを
ごちゃまぜに考えておられるように思うのです。

神の子として一人ひとりを見たのなら
すべての方がたが神の子であるということ。
その意味においては、神性においては
素晴らしいものを内在しておられるのですということと
神の使者として神の計画を預かり
神の言葉を伝えるための、その使命を持ち
地上に降り立っている光の天使たちとでは
やはり使命の認識度というものが違うのです。

その意味において、光の天使たちは、自らに厳しくなくてはなりません。
しっかりと自らを見据えること。
周りをしっかりと認識すること。

その上でありながら、やはり自らがどのような立場として
どのような目的の中でやっていかねばならないのかという厳しさを
けっして忘れてはならないのです。

それがなければ、光の天使でその使命を担っている者だからこそ
魔のターゲットとなって、あっという間に堕ちていくのです。
あっという間に堕ちていった者たちの姿を見ておられることでしょう。
堕ちるときは一瞬なのです。
真上から真下に堕ちていくという姿を見ておられるでしょう。

それが厳しいと言い、怖いと思うのならば
もう逃げて行かれればよいのです。
興味本位で近づくのならば
ある意味でひじょうに危険な世界でもあります。

霊言と呼ばれているものを、あちこちでとっておられる方がたがおります。
彼らが、もし正しい者からの通信を、天上界からの通信ならばよいけれども
下の者からの通信をもってとっていったときに
その後、我々の世界に帰ってきたときに、どのような、その結末を見るのか
自らがその責任を取るのかということ。
その下からの者たちのメッセージを地上に広めてしまったという
その責任を取らされるということなのです。

その意味において
あなた方がどのような危険な目に遭っていくかということを考えたのならば
神の使者という者、霊言を預かるという者を
そんなみだりに、安易に考えてはならない。

ましてや、自己の名誉や欲のために
自分が一宗一派の新興宗教の教祖のようになりたいと
思うような、野心に満ちた者として霊言をとろうとするのならば
それは明らかに別世界に接続され
その払うべき代償は大きい、大きいものになってくるのです。

ですから、あなた方は
そのような興味本位で霊言というものに近寄ってはいけないけれど、
でも今、ここに降ろしているという霊言を見て
あなた方の人生の中に役立てていただきたい。

(2005.12.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-01-21 17:45 | ミカエル | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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