地球を愛の星へ

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空海からのメッセージ(6)

神の国への教えを、今この地上に広めていくことが
神の計画の、大計画の、世界計画の最後の一助として
この神国、神の国日本から発信することをもってこそ
神の計画の最終段階がなされるのだということ。
そのために九次元が続々とこの地上に降りられているのだということ。
そうでなければ、このような奇蹟はありえない。

我が空海が起こしたる奇蹟は数多かれど、今ここにレムリアにおいて
我らが言葉を、九次元の言葉を直でこの地上に降ろしていくという
このようなこと、このような奇蹟をもって他の奇蹟は何もないであろう。

空中からパンを出したり、空中から水を出したり
法力で人びとを張り飛ばしたり
そのようなことがいったい何になるであろうか。
そのようなことをもって奇蹟とは言わぬ。
そのようなことをもって霊能力とは言わぬ。

本来の霊能力は、神の国の意思というものを、この地上において
このようにダイレクトに直接的に人びとに伝えることを
この肉体を、三次元の肉体をもって
この地上においてしっかりと使命を果たせること。
それをこの地上の肉体の生活を、破綻をきたすことなく
神の意思も正確に伝えられるということ。
そしてそれを実行できるということ。
そのあなた方の今やっていること。
そのことをもって本来の霊能力という。

この地上においてあなた方が、もしこの地上的な野心や
平和な安逸としたものだけに流れるのであるのならば
あなた方だって、これほどレムリアのために命がけにはならぬであろう。

それはやはりあなた自身の、本来の神の子としての、霊性というものが
天上界の意思というものに呼応し、共鳴し、ともに頑張りたい
神の子として頑張りたいという
その神の子本来の意志というものをしっかりと発現し
そのレーダーによって、しっかりとその使命を実行しているからである。
そのセンサーが、その反応がないのであるならば
霊能力があっても意味がない。

そうであろう。
つまらぬ霊能信仰で空中浮遊したとて何になる。
人びとの病気癒しを多少したからといって何になる。
今神の国の言葉が降りているということを、ほんとうにわからない
そのような判断力もなくして
地下の者たちに操られていたのであるのならば
「何のための霊能力の開発であったのか」と言いたい。

イエス・キリストにおかれても
やはり霊能力というものは、ひじょうに、奇蹟現象として行われていたと思う。
でもあのようなものは、ほんとうに霊能力というのは
悟りが高くあれば
刺し身のつまのように自然についてくるべきものであるということ。

そのメシアと呼ばれている方がたが、なぜ偉大であるかということは
その本来の法の神髄というものをしっかりとおさえた上で
その上で霊能力というものをその流布のために、人びとに神というものが
どれだけ偉大なものであるかということを指し示すための
単なる一手段として、それにとらわれることなく
表現して見せることができてこそ、使いこなすことができてこそ
メシアの方がたの実力なのである。

そんなものだけがすべてであり、空中浮遊したり
サイババと呼ばれているような仙人たちがやっているようなものが
すべてがそのようなものが悟りの境地であるというような
そのようなことは愚かなことである。

私は、我が霊能力のすべてをもっても
私自身の使命が、法の神髄というものを管轄するということを
もっとわかっていただきたいのである。

法を担当する者、それは我が霊能力をもってしても
法の神髄こそ単なる霊能力より上にあるものである
本来価値があるものであるということを
私はしっかりとその生前の教えの中に伝えているはずなのである。

しかし、いつの間にか、霊能力信仰だけのように買いかぶられ
そのようなものだけが表面に出て
我が後継者たちはそのようなものを磨くために
必死になっているかもしれない。

しかし、それは単に神の国の、現象というものを表すことによって
神の畏れというものを
この地上に、人びとに目に見える形において示すことに意味があっても
法の流布において役立てることにおいて意味があったとしても
それ以外は単なる物珍しい
人びとを驚かせるような興味本位のものに流れてしまうのである。
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大事なことは法を学ぶこと、法の神髄を生きること。
仏弟子であるのならば法を流布すること。
それ以外にはない。
そのことを思いなさい。

法というものはけっして難しいものではないということ。
たくさんの本を書いても、難しい言葉だけでうずめるのであるのならば
どうやって一般大衆、衆生は救われようか。
易しい言葉において、わかりやすい言葉において
あらゆる神の子が救われていく。
神仏の子たちが救われていく道というものを
あなたはもっともっと易しい言葉において表現していきなさい。

それが今この我々の言葉を、直で毎回聞ける者の
逆に言うと責任であり使命である。
それを他の者たちは聞けない立場にいながら
あなたは毎回このように聞くことができる。
それは、それを過去、そのようなことをやってきた実績において
あなたが今選ばれて座っているのであるということ。
我が教えの直系にあるあなたであるから、私は法の編纂ということを
そのことをあなたにお願いしたいと思う。

できない者には言わない。
できるからお願いをしている。
そして、もうあとがないことである。
あとのない計画であるということ。わかるであろう。
あなたは自分自身をもっともっと認識しなさい。
そうすればもっと多くの実力が出てくる。
わかるか。

ORにおいても、TKにおいても、今回のこのアテナ(アマーリエ)においても
あなたは同い年であろう。
この計画の責任者で、必ず要となる者たちというのは
この年代に降ろしてあるということを、かつての霊言により言われていないか。
あなたにその使命があったから、同時代
昭和三十一年という時代に出て来ているのである。

そこにおいて、一列に並ぶことによって
それぞれが、どれが上とか下ということではなく
それぞれに重要な使命があるということ。
そのことをもって、あなたはこのレムリアに招かれているのである。

そして、今十分なまでにあなたはその使命を果たしてくれようとしている。
ひじょうに高い学識、実力を持ちながら、その心は謙遜に満ち
神の法を編纂しようとする情熱に満ちていると
私は深くあなたに対して感謝をし、かつ誇らしく思っている。
であるからこそ、あなたの過去世を明かされているのである。

それは単なるその名前において、あなたが有頂天になるのではなくて
今これからあなたが何をしていかなくてはいけないかという使命を
しっかりと明確に打ち出すために、あなたの過去世を明かしているのである。
書籍にして残せば、あとでさまざまなことがあったとしても
今回レムリアの分裂を見ていてもそうであろう、ああ言えばこう言うで
ひとつの真実がとんでもない事実に塗り替えられて
人びとに伝えられてしまうという
口からの出まかせというのがたくさんあるのである。

エル・カンタラーの法においても同じである。
あれだけ正確なものを降ろしていながら
かつ、あれを書き換えてしまっている。
でも、しっかりとした書籍が残っているから、いくら絶版になったとしても
その法の原典が出てくれば、初期の霊言集というのはまた出てくるのである。
でも、今レムリアで降ろしているもの
よいか
このものをしっかりと真実の先に照らし合わせて
文書として残していきなさい。

それが必ずや後世の人びとによって
天上界の意思というものがどのようなものであったのかということを
どのような気持ちで我々がこの世界計画
神の国の計画があったかということを今はわからなかったとしても
必ずや人びとは、時の流れの中で理解する時がくるであろう。
その時が、多少のずれがあるけれど
でも我々の世界から見ていたのならば
そんなのはいっときのことかもしれない。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-30 09:09 | 空海 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(19)

それを実証できたのならば、このレムリアというところを通して
本来の地球系団としての根本法の再編纂を通して
地球中に仏陀がしたかった、我々の悲願でもあった
地球系神理を地球人の神の子たちにすべて、メッセージとして伝えて
人びとが本来永遠の魂であり
みんなが神の子であるという共通認識の中において
埋め込まれた本来の素晴らしいエネルギーを爆発させて
本来の自分の姿に戻っていく。
神の子の姿に戻っていく。

そして神の子として、神の子たちの住まう神の星として
地球という修行場を新たな次元に上げていくということ。
その計画のために、我々は数々の霊言を降ろしていたということ。

そのことを思い、好奇心の中においてまあ、ある程度
その好奇心というものが多様な霊人を呼ぶというきっかけにもなったから
今までは許されてきましたけれども。

これからは、本来の仕事をするということが
大事なことであるということなのです。
知識というものを
怖いもの見たさみたいなところがあるかもしれないけれども
やはり、もう歴史の彼方に埋もれていったことを検証してみたとしても
何も新たな未来は起きないのです。

新たな未来をつくるために、あなた方はここに今存在します。
新たな現実をつくるために
あなた方は神の子の使命を発動しようとしているのです。

ですから、次に出てくるのは、これからが、実を言うと本番であるということ。
地球人同士が、ほんとの意昧での神の子として愛のネットワークを組んでいき
神の子としての本来の原点に目覚めていくということ。

今はまだ、スピリチュアリズムの人たち、ニューエイジの人たち
宇宙人信仰の人たち、そして古来からの宗教を信じている人たち
それぞれが自分たちの神理の断片の中で
自分たちなりに理論を展開しているのです。
それにひとつの筋を通さなくてはいけません。

私たちが言った守護霊とは何なのか。
「守護霊というのは、自分のエネルギーの一部である。
過去世の一部である」と僕は言いました。

その自分のエネルギーの一部
それが守護霊としてこの地上に出た時に守っている。
それがある意味で、いちばん困った時に親身になって聞いてくれる。
同通した時に出て来るのが、まず自分の魂の兄弟、守護霊なんです。

それをニューエイジの人たち、スピリチュアリズムの人たちは
それとほかの霊人とそして宇宙人と、全部混同してる方もいるわけです。
そのような混乱はいけません。
しっかりとそれに筋道を通し
何であるかを説明するために、僕たちの使命があったのです。

ですから、あなた方、レムリアの中において、何が潜在意識であるか。
ユンクやフロイトが言ったような潜在意識というのはどういうものなのか。
人間の魂というものはどういうものなのか、ね。

そして、守護霊というのはどういう位置関係にいるのか。
そして、それ以外の霊人とはどういうことなのか。
そして、それ以外の、何でもかんでも信じればいいというものではなくて
こういう危機の時代において、魔界の者からの誘惑もあって
陥れられることがあるということを僕は悪霊というもの
書物を著しながら数々の低級霊というものを出して
あなた方に見せて実証したわけです。
そういう危険もあるよと。

まだ分裂の中にいて
人びとが本来の神の子の意識に目覚めていないこの地球人の
地球という環境の中において、分裂という、破壊という、闘争という
まだその状況の中にある地球の意識状態の中においては
本来は宇宙においては光一元であるということを
あなた方はもうわかってきたでしょう。
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宇宙の中に圧倒的な神の愛のエネルギーというもの
愛の法則というものにおいて
神の子たちは光一元であるということ。
それはもう宇宙の、宇宙人と呼ばれている宇宙の高級霊の人たちは
みんなわかっているのです。
私たちもわかっているのです。

でも、地球という場所が、今修行の段階においてね
やっぱり二元論的な光と闇というもの
善と悪というものに分離されているところにおいて
何が善であり、何が悪かということを学ぶようなステージ
そのような段階の修行場としての星であるからこそ
今地球に転生している魂たちは
その見分けというものを学ぶ段階にあるのです。

そして、本来は神のほうに
光のほうに行くのが自分たちの本来の姿であるのに
まるでその悪と呼ばれているマイナスエネルギーのほうに行くのが
自分たちの本来の姿であるかのように錯覚して
落ちていく者たちもいるというそのようなトリックがあるのですけれども。
そこで、でも、また学ぶことも必要であるということ。
必要な段階であるということ。

そしてその中において、その修行場としての役割をそろそろ終えていく。
もうそろそろ光一元であるということ、自分が神の子であるということ
すべての者が神の子であるということを認識し、目覚めていく。
そのような段階に地球というものが上がっていく。
そこにいる者たちも目覚めていく。
そのような惑星になっていく。

そのような時期が、今地球のひとつのターニングポイトとして
大きな分かれ道として今きている、大事な時であるということ。
そのための救世の計画がつくられている時であるということ。
行われている時であるということ。
そのことをしっかりと見極めてほしいと思うのです。

あなた方の中においては、少しもその時代認識ということを見極めていない
今どういう時代に、今何ゆえにこの日本に生まれてきたということが
わかっていない方も多いように思うのです。

でも、地球レベルにおいて、ひじょうに精神的な意昧での認識というものの
波動というものが高まろうとしてる。
次の新たな時代に移行しようとする
宇宙からのエネルギーというのが
さんさんと降り注いでいる時代でもあるのです。

だからこそミカエルが言ったように、「この時を逃したくないのだ」と。
「この時を逃したら、またすべてを無から始めなくてはいけない」と。
このように霊的にパワーが高まった時にこそ、シフトアップしていく。
多くの人びとが内的な自分のパワーに目覚めていくという
認識に目覚めていくという、ちょうどそういう時期がきている。

その時に我々九次元が出て行って
魂の構造と我々神の子の神理というものを説くことによって
一人ひとりを霊的にも内面的にも目覚めさせていくという
そういう計画か立てられたということも事実なのです。

ですから、あなた方においても、どうかこの時期というのを逃さず
我々の計画の実現のためにお力を貸していただきたいと
成功させていただきたいと思うのです。

(2006.3.4 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-27 10:13 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

ヴィーナス(金星)の法~アマーリエ~

自分がと自己主張するのではなくて、相手をありのままに受け入れ
その姿になじみながら、相手を相手の命として輝かすために
自分の愛のエネルギーを役立たせていく。
それが女性性、「ヴィーナス(金星)の法」と呼ばれるものの根本なのです。
それを今回、「女性の法五か条」という中に与えられています。
女性たちよ
今、その力があなた方の中にあることに気づきなさいということです。

受容性ということは、条件をつけないということです。
ありのままの相手の存在を受け止めて愛するということです。
それは甘やかすということではありません。
ありのままの姿を見つめて、一度抱きしめてあげるということ。

それはどういうことかというと、相手を裁かないということです。
裁くんですよ、私たちは。
お子さんやご主人に対して、思わずやってしまいませんか。

テストで悪い点取ってくると、「まあ、誰に似たのかしら」と言って
裁いてしまう。
「何でかしらね」と言いながら
ほんとうは自分の期待が裏切られたからなのです。
でも「そんなことはいいのよ」と
「あなたらしく精一杯努力したなら、それでいいのよ」と。

私は、自分の子どもを成績のことで怒ったことはありません。
怠けていると、文句は言います。
けれども一生懸命頑張ったのなら
通信簿の成績が良いとか悪いとかで怒ることはありません。
そんなこと、どうでもいいことです。

もちろん親なら
子どもたちのために良かれと思って教育だってしますよね。
勉強だって、しないよりはしたほうが子どものためにいいと思うから
「勉強しなさい」って親は言います。
でも今の学校教育というのは、同じ方向で
偏差値というものの中だけで子どもたちを計ろうとする。
個性や才能の多様性
神が望んでおられる彩りの豊かさを見ていこうという視点はどこにもない。

だからご両親には、その子がいちばんできることで表現していくことを
信じているよと言って背中を押してあげるような
受け入れ方をしてあげてほしいのです。

ありのままの存在を受け止めること。
それができるのは、女性の母性しかないのです。
やはり男の人にはできません、見ていると。
「俺はできる」って言う人もいるかもしれないけれど
やはりそれができるのは、女性性の母性なのです。

もう不細工でも、ちょっと勉強できなくても
運動オンチでもわが子ならかわいいと思って抱きしめるじゃないですか
赤ん坊のとき。
そういうふうに思って赤ちゃんを抱いていたのが
いつの間にか子どもを自分の自己実現の道具にしてしまうのです。

あのときの赤ちゃんの姿を思い出してください。
その存在があるだけでも、授かったことがありがたいのだと思って
条件を付けないで、自分のエゴを捨てて
ありのままのお子さんを受け止めてあげてほしい。

そしてありのままのお子さんの花を開花させるように手伝ってあげてほしい。
そのために水をやり、栄養をやり
お日様に当てるためのお世話をさせていただく。
それが母親の、親としての仕事であると思います。
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いつも言います。
バラはバラのように、スミレはスミレのように、ヒマワリはヒマワリのように
ぺんぺん草はぺんぺん草のように、木蓮は木蓮のように
四季折々に、早い遅いの開花のときのずれはあるけれども
それぞれ色が違う、大きさが違うけれども、それぞれの美しさを込めて
神が、神の子として、その魂を創造なさったということです。

バラがたとえどれだけ美しいといっても
世の中に咲く花が全部バラだったらつまらないではないですか。
神様の花園にはいろいろな花があるからこそ美しいのです。
それが神様がおつくりになった神の子としての
私たち一人ひとりの存在の意昧なのです。
そして、その神様の目で、子どもたちを見るということです。

よそのお子さまが春に爛漫と咲く桜のように咲き誇っているからといって
その子と比べて我が子に遅いとキイキイ言って
何の才能もないのではないかと決めつけてしまっては
お子さまは自分の花を咲かす機会をなくしてしまうのです。

社会は、偏差値教育などで金太郎飴のように
同じベクトル、同じ価値観だけで
子どもたちを競わせて点数をつけるかもしれません。
でも、最後にもっとも美しい香りと輝きで咲く木蓮の花のような
大器晩成のお子さまもいるかもしれないのです。

まずお子さまは素晴らしい神の子であるということ。
必ずや必ずやこの世に存在する以上、神はその子だけの美しい花を
その子でなければ出せない才能を与えられたんだと
お子さまを信じてさし上げる。

ときの流れの中で、我が子を抱きしめて、その子の花の咲く時期を
その子の花を楽しむように、ありのままを受け止めて育む。
それが母性というものです。

それを母親がやらなくて、誰がやってくれるでしょうか。
よその方にそれを頼むことはできません。
その素晴らしい花の種を咲かすことができるか
それとも握りつぶしてしまうか
ある意味でいうと、その鍵をいちばん握っているのが母親であるのです。

人と比べたり、自分の願望で無理やりバラのように咲けと言っては
その子は苦しいだけです。
よそのお子さんと比べたり、兄弟と比べたりすることなく
そしてご自分の願望をお子さまに押し付けたりすることなく
どうぞありのままのお子さまを見てあげていただきたいのです。
条件をつけないで受け止めてあげてほしいのです。

この世の中に生まれてこなくてよかった人なんて、ただの一人もいません。
お子さまには、お子さまの数の分だけ
素晴らしい多様な才能が埋め込まれています。

どんな子であっても、たとえば障害があろうと
この世の中に誰ひとりとして生まれてこなくてよかった魂なんてないのです。
すべて、すべて、この世に存在する尊い命であり
必然でこの世に生まれてきているのです。

勉強ができるから、美しいから、才能が豊かだから
幸せになれるかといったら、必ずしもそんなことはありません。
勉強ができても幸せになれないことは、今の社会が証明しています。

幸せというのはごく個人的なことです。
その人がその人自身として
ほんとうの意味で自分自身を輝かす生きがいを見つけたときに
人というのは幸福感を手に入れられるものです。
他人の価値観を自分に当てはめて幸せになれるものではありません。

それをよくわかって
お母さま方は、お子さま方を受け止めてあげてほしい。
育ててあげてほしい。
そのように思うのです。

(レムリア・ルネッサンス / アマーリエ)

他のアマーリエからのメッセージ
http://nagoyasc.exblog.jp/i10/

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by nagoyasc | 2016-05-23 08:53 | アマーリエ | Trackback | Comments(0)

福沢諭吉からのメッセージ(2)

わたくしは生前、教育の中に信仰というものを入れないものでした。
逆に宗教ごとというのを言うと、合理的な科学的判断をふまえた
先進諸国に並ぶような、文明国の一員としての判断力を阻害すると
わたくしは判断したので、もともと信仰ごとは好きではなかったし
教育の理念の中においても、宗教というもの
信仰の大事さということは、いっさい盛り込まなかったのです。

逆に嫌っていた節もあったはずなのです。
教養人として、立派な判断ができる人間になることを
教育の理想においたのです。

しかし、わたくしが考えますに、信仰というもの、神の価値尺度というものが
こちらの世界に帰って来れば
いかに大事なものであるかということを考えますに
もし次に私が出るのであるのならば
教育改革の原点には、やはり信仰心というものをおきたいと思うのです。

逆に言うと、信仰心という価値尺度がしっかりしていない者が
これからどれだけ英語や、科学や、難しい高等数学を学んで
政治体系を学んだとしても
これから先多くの人びとを指導していくような人徳、力量として
人びとを説得していくような、人間としての魅力にはなっていかない
器づくりにはなっていかないのであると
私はそのように今、考えている次第なのでございます。

でありますから、まず神理の価値基準というものを
まず教育の根本において、最低限のことを学ばせる。
そして目に見えない神というものを
やはり信じていけるような教育環境、幼い頃から
そしていちばん多感である、青少年の思春期という時に
やはり信仰というものに出会っていった者と、出会わなかった者とでは
その後目に見えぬ神というものを受け入れられるかどうかという
大きな分かれ目がくると思うのです。

今回の、ORさんという方の顛末を見ておりましても
やはり教育体制の中に信仰心というのが根づいていない
日本社会というものをやはり、常々反省の目で思い
あの時代にわたくしも教育者として、教育理念を打ち立てた者として
わたくしも私なりに精一杯
合理的な啓蒙思想の教養人としての学校づくりというものを
目指したつもりではありますが
そこにひと言、信仰の大切さということを盛り込んでおいたなら
もう少し変わったのかもしれないと思うのです。

今のわたくしが創った大学を見ますと
ひじょうに優秀な者たちが集まってきており
そして歴史もあるので、経済界におきましても、たいへん就職におきましても
すべてのもので有利であるということのために
刻苦勉励する者たちが入ってくるのはとても喜ばしいことではありますが
やはりそこにおいて、では経済的に豊かになるためだけに勉強してきたのかと
問いかけたくなる者たちが多い姿に、わたしは内心少々失望感を感じるのです。
そうではない。
もっと高まいな理想があったであろうと

明治の者たちにはあったのです。
新たな価値観、尺度をつくり上げて
新たな日本を世界の列強のひとつにしていくのだと
植民地化されないためにも何とか先進諸国に追いついて
この日本を盛り立てていくのであると
明日の日本を、未来を我々若者がつくっていくのだという
学問をしながら、英語を学びながら
この経済というもの、社会構造をつくりながら
この日本の明日をつくるのであるという、夢があったのです。

その夢に応じてみんな努力した、一流の人材が集まってきたのが
慶応義塾大学であったのかもしれない。
でも今経済は爛熟し、先進諸国の仲間入りを、もうすでにした日本としては
そこに集う若者たちにもう夢はないのです。

その中でもうつくられてしまった体制、つくられてしまった経済大国の中で
いかに安穏と、自分自身の身を処するためだけに努力をしていくか。
そのような思い、そのような発想だけで受験勉強にいそしみ
得点を取り、偏差値を取って
間違いのない就職ができるための手段として大学を選んでくる。
そのような者たちを見ていると
わたくしが最初つくりあげた時の理念はないなというふうに思うのです。
であるならば、新たな価値観の、精神革命がこれから行われるわけなのです。

その時に、教育者たちがこれから大改革を行っていく時
政治構造も変わると伺っております。
政府の構造、経済倫理、すべての価値観が変わるのです。
その中において当然、教育体制も変わっていくのです。
逆に言うと、経済、政治体制、国家体制が変わる以前に
まず個人、個人の人間、人材ということを考えますと
教育理念の中にいちばん最初に神理知識というもの
神理の価値観というものが入る必要があるのではないかと思うのです。

神理の新たなる価値観のもとに、新たな人生観を構築し
新たな教育体制の中で
新たな未来をつくっていく若者たちをつくっていかなくては
明日の地球はないということ。
新たな神の星となる地球というものがあり得ないのだと
わたくしは思うのであります。

ですから、あなた方におかれましては
今、高級諸神霊からの言葉を収録しておられるようでありますが
その今あなた方が降ろされている神理知識というもの
根源神と呼ばれている神々からのお言葉というものを
ぜひとり集め、収録し
そして、易しい言葉でもわかるような状況で、人びとに伝えていける
わたくしの第二の『学問のすゝめ』に見合うような
一般の方がたに対する啓蒙の書となるような神理の書物を出していただきたい。
それがわたくしと同じような大ベストセラーになれば、社会は変わるのです。
人間は変わるのです。

わたくしの時も、それはどの出版技術がなかったにもかかわらず
多くの人びとがみな『学問のすゝめ』を持ち
そしてその書物を読みながら、新たな時代の中に、適合していったのです。
であるならば、あなた方も今書かれておられるこのレムリアの霊言を
難しいばかりのものではなく、根源的なエキスのところを
簡単な、子どもでもわかるような言葉として
第二の『学問のすゝめ』を、書いていただきたい。
それを大ベストセラーにしていただきたい。

社会は、一人ひとりの人間、人材によって構築されております。
一人ひとりの人材が真に目覚め
ましてインテリ層と呼ばれている教養人層がほんとうに目覚めていくのならば
その影響力というのは莫大なのです。

わたくしの時ですら、インテリ層はみな手に取って読んでいました。
今の時代は、わたしの時代に比べればですよ
ほとんどの人がインテリに近いような教育レベルを持ち合わせているのです。
文字も読めるのです。
であるならば、あれと同じような書物がもし
多くの人びとの、魂のニーズに合って
読まれていったのならば、社会は変わることでしょう。

人間が人間学として変わっていくのです。
目に見えぬ信仰心として、人びとが拒絶反応をするのではなくて
ひとつの啓蒙の書として、人間の書としてわかるような次元で話をしていく。
それがまた人びとの人間づくりを変え
そしてそれを基盤にして若者たちが、教育理念というものを学んでいき
多くの学校制度の、教育のあり方というものが、変化していくのです。
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今、「ゆとりの教育」とかいわれながら
コロコロコロコロ指導体制が変わっております。
価値観がわからないのです。
教育者の指導者層が
何を中心に若者を教育していったらいいのかわからないのです。

ゆとりをもって、精神的な豊かさをもったほうがいいといったら
いきなり学問をすることを緩め
知識を吸収しないと、結果的に子どもたちは怠け、退廃的なところへいく。
そして冷静な判断力もつかないような
愚かしい知識力でしかなくなってしまう。
それはゆとりとは言わない。

真のゆとりとはどういうことか。
一人ひとりの個性、一人ひとりの能力の許容量に応じて
最低限の教養人としての一般的なことを学びつつ
個性に応じた特殊な分野にまで、その能力を増大し、開花していくような
刺激を新たに与えられていく。
それにおいて、個が個であるという素晴らしさに真に目覚め
子どもたちに今生きていることの充実感と
人生に対するやりがいというものと自信というものを与えていけるような
そのような社会というものを、教育体制というものを、若者に提示しなくては。

今の若者たちは定職に就くことも、結果的に時間の中で縛られ
そんなお金の中で安定だけを求める将来に飽き飽きとし
少しも将来に対する夢を感じないのです。
だからフリーターなどという者たちがいて、人生を惰性の中に過ごし
若い貴重な時とエネルギーというものを無駄にして生きているのです。

新たな理想が必要です。
そして自分なればこそ
神がおつくりになった自分の個というものの偉大性というもの
尊厳というものに目覚めていくような
そのような価値観の提示というものがなければ
今の若者たちを真に目覚めさせ、その人生の中で燃焼して
新たな爆発的なエネルギーというものを得て
新たな時代の幕開けをするような
エネルギーを集めていくことはできないでしょう。

若者たちにそのような爆発的なエネルギーを打ち出させた時
そのエネルギーがひとつの一点に
共通認識として集まった時、社会は変わるのです。
革命が起きるのです。
それぐらいのエネルギーを増幅しなければ
あなた方がこれから見ようとしている未来、地球的なステップアップという
精神的な向上、価値観の大転換
そして地球教としての認識における地球、万人博愛の平等思想という
神の子思想というところには至らないであろうと
わたくしは思うのであります。

ですから、今だいじなことは
今教養人というインテリ層の認識力を変えていくこと。
それとあと、若者屑に対する夢と、新たな価値観の提示ということ。
信仰、信仰というと、目に見えない狐やコックリさんや
わけのわからない霊媒師のように考えてしまう人が多いのが現状なのです。
日本においては、美しい信仰心というのがなかなか根づいていないのです
理念において。
どうしてもおかしなものに関わりあっているという、今偏見が満ち満ちている。

そのようにわたくしは現代社会を見て思いますから
そんなものではなく、それをわかりやすい文章の中で、啓蒙思想として
ひとつの啓蒙の書として、人間学として
人間がどう生きるべきであるかということを打ち出していく。
そこの切り口から入っていく。
そういうふうにしていけば、抵抗なく、今の現代の日本人であっても
人間学として、人間を見ていく
そこの延長上に信仰心というものが当然に出てくる。

それは、信仰心は本来日本人は、ないわけではないのです。
それが理念的な意味で根づかなかった。
そこの部分に問題があったのであって、過去においては
日本はひじょうに美しい信仰心を持っていた民族でもありますし
世界を見回して、逆に言うと
信仰心を持っていない民族のほうが少ないのです。

ですから日本だけではなく、世界の共通認識として
人間学イコール神の子理論であるということが構築できるのは
そんなに無理のない設定であるのです。
ただ、今の日本を見ていると、人間神の子で
宗教の信仰心から入っていこうと思うと
ひじょうにアレルギーのほうが強いと思うので
人間学的な啓蒙の書という切り口から入って
宗教論という、神の子論というところに至っていけば
入り口さえ入れば、奥においてはみんな神の子でありますから
自らの神性というものに気づいていって
神につながる道というのは早いと思うのです。

逆に言うとあなた方の理論は
外国においてのほうが受け入れ易いのかもしれないのです。
キリスト教におきましても、イスラム教におきましても、仏教におきましても
自分たちが神のもとから出てきているということは
唯物思想がまかり通っている現代ではありますが
やはり宗教というものが根づいてる地域というのは
ひじょうに多くあるのです。
文明国においてもそうなのです。

でありますから、まず合理的な、この啓蒙思想というところに
江戸から明治以来
学問とともに、教養人の育成とともに、認識してきたのであるのならば
その合理的な教養、合理的な判断力っていうものを土台にして、入り口にして
これから今度神の子理論にいくように
上手に誘導してあげればよいのではないかと、わたしは思うのです。

それと若者、小さな子どもにおきましては
なるべく幼い頃より信仰ある環境にやるということ。
それはとても大事なことであるなと思います。
わたくしが今度出る時は
ぜひ信仰というものを裏づけにした
教育体制のある学校というものをつくりたいなと、思っているのです。

真っ白で、すごく素直に神の前にぬかずくことに対してためらいを持たぬ
そのような無垢な若者たちに対して、それを素直に受け入れていけるような
そして神の前に手を合わすことに抵抗を感じないような
そういう思春期ないしは幼少年期を送った者は、やはり心の糧の中に
信仰論というものは、神の理論というものは、自然に根づいているのです。

おとなになって一からやろうとすると、どうしても頭だけの論理になります。
そういう意味においては教育の一環の中に信仰というものを入れるということ
それはわたくしが生前ではことごとく拒否していたものではありますが
こちらに来てやはりそれは大事であると、まして時代の先を見ていくのならば
そういうふうに生きていくしかもうないであろうと
それにおいて地球の共通理念が統合されていくのならば
そういう意昧での総論としてのこれからの万教帰一、教育、政治、文化
すべてにおいてがそこに集約されていくのであるということ。

(2005.3.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-21 13:01 | 福沢諭吉 | Trackback | Comments(0)

勝海舟からのメッセージ(3)

今あんたたちがやってくれようとしてること。
この霊言集とか、こういうものを通して
いちばん大事な価値観の根本をしっかり根づかせるということ。
それをしていけば、そのあとにしゃかりきになって
今度竜馬も「出て行く」って今言ってるけど
そういう連中が出て来て世直しをしていく。

でも、世直しをしていくにも、出てってみんながいろんな場所に生まれてくる。
でも、そのときに時代の危機感として、やはり書物とか時代のムードの中でね
風潮の中で、「こんなすごい霊言集とかが出てる。
ああ、もう物質万能の時代じゃなくて、人間が神の子で、魂が永遠で
そういう価値観で、愛の、生かし合う価値観の中で
学校も家庭も、社会も、政府も、社会の根本的な経済理念も
全部をそういう方向に変えていかなきゃいけないんじゃなかろうか」
そういう問いかけがだな、若者たちの問から自然に出てくるような
そういう精神的な土壌、風潮というものを
今あんたたちが降ろしてくれようとしている本によってつくろうとしている。

それが逆に必要だということ。
そういうものがあってこそ、俺とか竜馬とかそういう連中が出てったときに
その時代のにおいを嗅ぎ取って、仕事をしていくんだ。

俺たちは宗教家じゃないから、神さんの声を聞けるとか
神さんからきた偉い言葉を編集して
あんたたちのようにこういうふうな霊言集とかいう
こういう「法」か、神様の「法」っていうものを
ちゃんと分類して出していけるような
そういう力はないさ、俺たちには。

だけども、それができる、まあ坊さん軍団みたいなのが今出て来て
言ってみれば一種の宗教改革に当たるようなことをやろうとしてるわけだ。
その大事な、大事な、さっきから俺が言ってる根本的な
精神的な価値観の原点みたいなものを
あんたたちが今降ろしてくれようとしている。

それがあってこそ、そのあとに続く荒々しい
俺たちみたいな腕っぷしの強い連中が出て、社会のいろんなものを変えていく。
だからその中において、教育論はなんだとか、経済論はなんだとか
俺も経済論とかいろいろ言ったよ、確かに。
でもあれはあの時代のこと。
あの時代だから通用した話。
これからの時代は、また全く違う価値観の中で経済体系も変わっていくんだよ。

考えてもごらんよ。
こんなに人が人の足を引っ張り合って、今も新聞じゃ買収だとかなんだとか
すごいことやってるけど-
買収をし合ったり、ちょっとでも心に隙があったら
相手の会社を乗っ取ってやろう
なんて思う連中の中に、神仏の愛の心なんてものがあるかい?

人間みんな神の子だ。
愛をたたえてるんだから、愛し合って、生かし合って
分け合って生きていこうっていうのがもし徹底したら
この貨幣制度っていうのは根本から変わっていくっていうことだよ。
そうだろ?

人を信じられないから
銭カネもらってその価値観を保有していこうという考えでしょ。
何でもあったものが、「互いに生かし合うもんだから分け合っていこう。
みんなおんなじ神さんから生まれた子なんだから」ってもし思ったなら
そんな貨幣制度はひょっとしたらもうなくなるかもしれない。
そこまでいくの時間かかるけどね。
そうでしょう。

だから、学歴社会とか今いろいろ言ってるけど
そういうもんだって根本的に、もしこの魂が永遠だとしたら
誰が財産、銭カネ貯めて一生を棒に振るよ?

また、肉体終わったら向こう、俺たちの世界に帰って来て
また修行し直して戻って来る。
生きてるこの「時」が、どれだけ人生の中にとって、銭カネよりも財産よりも
どんなものよりも尊いかっていうことが価値観として定着したなら
そんなに銭カネ貯め込むような
財産、財産って執着するような連中もいなくなるわけだよ。

あと、肉体もそうだろう。
この肉体だけで生きてるの?

俺たちの時代なんか人生五十年とかなんとか言ったけど
そんな長生きできない。
今は八十歳とか九十歳とか百歳とか生きる。
それだって、魂が永遠で、今の肉体がボロボロになってポンコツになったから
脱ぎ捨てて、またとっとと向こう帰って来て、いい世界行って
また帰って来たら、新しいぴんぴんな元気のいい
フレッシュな体をもらってくればいいわけじゃない。

そうしたら、いつまでも
まるで肉体がなくなったら命が終わっちまうみたいなことを思ってね
その病気だらけの体にしがみついたりするようなこともなくなるわけでしょ。

だから、すべてが、すべてがそこの根本的なことに対する無知さ。
それを「新たな認識力としてこの時代に神様が与えてくれる
その認識力をもって次の世直しをしなさい」と
「そういう時代をつくっていけ」と、そういう号令が発せられた。
これが、あんたたちがやろうとしている次の
日本から発信する世界の大改革の、その大号令なんだよ。

まず大事なのは、根本的な理念と呼ばれてるもの、神理と呼ばれてるもんだと
やあ、俺はつくづく今回考えた。
前からそうは思ってはいたけど
「宗教は坊さんに任しとけばいい」とか言ってても
これからはしっかりとしたそういう価値観の中で
それが最終的に地球っていうものを総仕上げしていく
そういう価値観になってくる。

そういう、その根本的な永遠普遍な神理、価値観というものを通して
最終的な改革をしてこそ、経済論においても政治論においてもね
教育論においてもね、文学論においてもね
すべてにおいて、ほんとうの意味で
価値のあるものっていうのが打ち出せるんだと思う。

それまでは、すべて、どんなに立派な過程はあったかもしれない。
それなりの段階論、段階論においては
素晴らしいことが過去の歴史の中では言われてきてはいるけど
やっぱりそれは発展途上の段階論にしか過ぎなかったんじゃないかと思う。

最終的には、ほんとうの意味で神仏の子である、と。
永遠の転生輪廻をしているんだ、と。
俺だって日本だけじゃない
いろんな国を転々としているっていうことをわかれば
ああ、大きく見て、魂として成長するために
そして神さんに少しでもお役に立ちたいと思って
いつも似たような連中が群れてやって来ては、世の中の世直しをしていく。
改革をしていく。
そういうひとつの群れでのひとりであるということ。
そういうことを認識したなら
みんな自分の仕事に対する姿勢も変わってくると思うよ。

自分でしかやれない仕事。
その時代を神さんに任されて
「俺でしかやれない仕事をやって来ます」と言って生まれてくるんだと
生まれたあとも教えられたのなら、どれだけ自分の人生にとって
誇りを持って一生懸命生きることができるか。
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今みたいにみんながみんな同じ生き方をして
ひとつの学歴社会みたいな方向の中で
同じような方向性の中で位置づけられることで
自分らしさも、自分の必然性っていうことも
社会が自分を必要としているかなんてまったく考えられない時代だろ。

そんなところで本気で若者がやる気になるかよ。
俺たちの時代は違ったんだよ。
若くてもね、卓越した意見を言う奴がいたなら
それは必ず人の耳に入り、あそこに坂本竜馬あり、あそこに誰ありということで
必ず優秀な人材同士が出会って
大いなる夢を、共通認識の夢というものを語り合うことで
今まで会ったこともない人間同士が会っても
お互いの夢とお互いの器、技量というものを認め合うことで
瞬時にして仲間になり、瞬時にしてその時代を変えていこうっていう
「自分たちこそが時代を変えなけりや、この日本を変えなけりや、
誰がこの日本を変える」
そういうふうに思えた若者たちが力を奮える時代が
逆に言うとあったっていうこと。

今の日本はどうだい。
違うだろ?

いろんな枠の中にはめられてしまって、若い者が言ってきたって
それが社会の中で発言力なんか持つことはなかなかできないし
逆に下手に言おうもんだったなら
あれやこれやでマスコミやなんかで足を引っ張られて
夢を語り合う前に若者をつぶすだろ。

だから若者に「夢を持て」なんて言ったって無理。
それに今の時代があまりにも複雑化して、多様化していながら
みんな人間が同じ方向性でしかものが考えられないから
これから先の時代というのを
見抜くというのができるような人材が育ってないっていうこと。

ここにいるあんたたちは、ある意味で時代認識
これからの日本、これからの世界、地球、神さんがこれから先
どんな計画を降ろして
どういう時代をこさせようとしているのかということを
ある意味で見抜いて、自分の大事な時間を割いてここに集まってる。

そうだろ。
一円もお金貰ってない。
それなのにみんなこうやって雁首そろえて今日
俺なんかの話聴いてくれるわけだ。
さっきも見てたら一生懸命、仕事してくれようとしてるじゃない。

これなんだよ。
一銭の金にならなくても命張れよ。
あんたたちみたいな若くて賢い連中が、時代の先を見て
命がけになった人間たちだけが、いつの時代も社会を変え、世の中を変え
多くの人びとを変えていくことができるんだよ。

今は何もできないかもしれない。
何の評価もないかもしれない。
でも、いいじゃないか。
今、あんたたちがやることが、この間松陰先生も言ってただろうけど
この一粒の種が、この理念がしっかりと根づいてくれたら
今俺がうまく語れなかったけども、その理念が根づいたなら
そのあとに理念を降ろせない腕っぷしだけの連中がいっぱい出て来て
各論はみんなが手分けしてやってくれるから。

それが、逆にいうと、その時代にとっていちばん大切な経済論であり
政治論であり、教育論やなんかをみんなやってくれるから
俺に細かいことを、先のことで各論を語らせようとはしないでほしい。

(2005.3.19 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-19 07:20 | 勝海舟 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(5)

人びとがみな排斥されたりとか、人びとがやめたりとか
何かゴタゴタがこのレムリアももめていたようであるけれども
やめていった者たちの覚悟が足りていない。
あれだけさまざまな高級神霊が降りて、直に言葉を聞いていながら
天上界がどれだけ必死であるかという、その厳しさの認識が足りていないから
あのようなくだらぬことが言えるのである。

もしほんとうに我々の必死さが、悲願がわかるのであったのならば
あのような
「安易に自分たちが切り捨てられたということが愛の心がない」と
「みんなが手を携えられないようなレムリアであるのならば
そのようなことは間違っている」などと
そのようなたわけたことを言うのである。

法の神髄を降ろすということは常に命がけのこと。
人びとの心の中において少しでも迷いが生じたのならば
地下の者たちによってこの計画は簡単につぶされてしまうのである。
そして、そうやってつぶされてきたのであるということ。
そのようなことはもう二度となしてはならぬのであるということ。
そのことがなぜわからぬか。
その厳しさがないから、安易な友好的な関係だけの仲間であるのならば
そんなものは外に行って、他のところに行っておやりなさい。

法の神髄を降ろすということ。
神の国を、計画を、この地上において単なる計画だけではなく
実行に移しているということが
どれだけの厳しさを要求されていくかということ。
常に魔界の者たちと、いや、魔界の者たちというよりも
自分たちの心の中にある弱さとの戦いであるということ。
その厳しさを彼らがわかってないから
安易な友好論、安易な手を携えるような
その愛の低次元のものの中で人びとが
「レムリアは間違っている」などということを言うのである。

あなた方はもっと我々の無念さをわかってほしい。
この時にこの地上に、この日本に
どうしてこのような法の神髄が降ろされる栄光の賜ったところであるのか。

そしてその場所に、どれだけの確率の中で、あなた方がこの地上に下生ていく
神の使徒となっていくためのチャンスをつかみ
この地上に肉をもったのであるかという厳しさがわかるのならば
自己実現であったり、自己保存であったり、己自身の悟りや名声や
そのような権力欲や、安易な愛の表し方というものは
はねつけられてもおかしくない。
そのような妥協ある姿というのが、心の隙間の中にじわじわと攻め込んできて
それによって引き倒され、この計画を頓挫させようとする者たちの力によって
この計画も危うくつぶされそうになっているのである。

もう立ち上げたときから、何度つぶされようとしてきたか、この計画が。
このような、今ネット販売というものにこぎつけるまで
あなた方がどれだけ苦労をなさってきたか、私も見ていて思う。
それは常に、いた仲間の者たちの心の中にあるさまざまなものを使い
何とか何とか地下の者たちがこの計画を引き倒し、つぶそうという
ありとあらゆる魂胆の中で
レムリアというものが荒波の中にもまれるような
一隻の船であるかのような
そのような動きをしながら今日まで来たのではないだろうか。

その中で、「ああ、溺れていく人がいるからかわいそうだから」と言って
その者のために命を投げ出して、船長が救うとしたならば
そのようなことをするのがほんとうの愛であるというふうに
もし言うのであるのならば
「自分たちで上がって来い」とほんとうに自分たちが法の神髄を今聴きながら
多くの人びとを救いたいと思うのならば
そんな甘えた、たわけたことは言わずに
「自分たちで、自力で船にもう一度上がって来い」と。
この船長は、今この最後の一隻となった船を、荒海の中に出しながら
この神の計画を実行するために命をかけているのである。
その厳しさをよく知っているからこそ、知っているからこそ
戦闘系の者が出て来たのであるということを、なぜ認識しないのか。

最初の者たちは、やはりそのような認識がなくても
やはりエル・ランティの教えや、仏陀の教えのもとに
一緒に法を編纂しようという者たちが集まっている。
この第三の計画に集うということは
これはよくよくのことであるということを
モーゼ様あたりや、イエス・キリスト様あたりによって
あなた方は何度も何度も聞かされているはずなのである。

この計画を、この一隻の、波間に漂ってもみくちゃにされようとしている
このレムリアという船を沈めるわけにはいかないのである。
地下から、うようよ、うようよ手がいっぱい出て
隙あらばこの船を転覆させようと
沈没させようと、あれだけの手が伸びているではないか。
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その中において神の光を、光を発しながら
「ここに神の光があるよ、あるよ」と
その船から真っ赤な明るいライトを四方八方に光らせながら
この船は必死に前に進もうとしている。
その時に
「私たちを救ってくれないから、あなたたちの教えは間違っている」などという
そのような次元の低いことを言っている彼らであるから
その船から滑り落ちていってしまうのである。

そして、そのような者たちにおいて、今までの計画もつぶされてきたのである。
船長自らがそのような誘惑に駆られて
大きな、大きな神の大愛、大いなる愛というものが
この船がひたすら闇の中をもまれ続けながらも
前進していくことが自分の使命であると
そのようにほんとうに思って、その船を沈没させなかったのならば
今のようなことにはならなかったのである。

そして、最後の一隻が船出しようとしている。今波間に進もうとしている。
その時に、「自分たちのことを考えてくれないから愛が足りない」とか
「法ではない」とか、「間違った法を言っている」などということを
今までともに霊言を聴いてきた仲間たちが言う。
そのようなことが、どのような浅はかなことであるかということ。
愛が何たるかを何もわかっていない者たちが
「盲が盲を指導できない」ということは
イエス・キリストもおっしやられているではないか。

もっと自己確立をし、自分に厳しくありなさい。
今自分たちが、レムリアというこの船の中に、船出をして
どのような段階にあるのか。
自分たちの自己確立はほんとうにできているのか。
不退転の境地はできているのか。

全人類のこの地球の幸せを
神々の大いなる計画の最終的な総仕上げの実行者として
実行部隊として、最後の一隻、残された一隻に
すべての期待と、夢と希望を背負って
この最後の一隻が船出をして来たのである。
その船に乗って、乗組員たちであるということを
あなた方は一人ひとりもっともっと考えなくてはいけない。
そのようなことが、覚悟がないから、あのような安易な者たちが
安易なことの手段の中で降ろされていっている。

優しく、女性の母性の中に包んでくれているように思うかもしれないけども
戦いがどういうものであるかということ
魔との戦いがどういうものであるかということを体で知っている人が
今船長でいるから
汚れたもの、間違ったもの、安易な優しさというものをはねつけて
しっかりと本筋の、神の国の計画というものを見極めようとする
そのまなざしがある限り、我々は信頼して
今レムリアというところに霊言を送れるのである。

あなた方も学んできたであろう。
魔によって引き倒されてくる神理の団体というのが
どれだけ苦難を伴ってくるのか。
どれだけ一人ひとりの修行というものが問われてくるのかということも
もう学んだはずであろう。

どれだけ情けない思いをしてきたかということを
もう体に刻んできたであろう。
それなのに、最後まだそのようなものにしがみつくのかと
私はほんとうに怒りを感じている。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-18 11:54 | 空海 | Trackback | Comments(0)

ミカエルからのメッセージ(20)

愛というものは、実践行為を伴っていないところに愛などはないということ。
愛を抜いて神に近づく道はないということ。
自らが神の子であるということを
高橋信次、エル・ランティにより知らされた。
それはどういうことかというと
自ら愛の階段を上り、愛の表現体として生きていきなさいということ。

であるのならば、愛というのは絵に描いた餅ではなくて、愛は実践を伴って
生きざまを通してのみ愛というのは語られていくのだと。
愛の実践行為をもってのみ
あなた方は神の子として評価されるのであるのだと。
そのことをあなた方は認識しなくてはいけないのです。

火の上を歩いたからといって、空中浮遊をしたからといって
ヨガをやったからといって、仏教の行をたくさんやったからといって
それが何になりましょうか。
そのようなことをもって、自らが深く神の子として神と対峙し
神へ向かって歩みたいという思いを育てるという意味においては
意味があったのかもしれない。

でも、もうそのような段階を人類は卒業しなくてはいけない。
圧倒的なる愛として、圧倒的なる愛の実践として、圧倒的なる愛の奔流の
宇宙の神のご意思の、ひとつのしもべとして、道具として、手足として
この大宇宙を彩る愛の芸術の、その作品として
自らのかけがえのない愛の光というもの、命というものを輝かせていく。
そのような人生を、あなた方一人ひとりが送られるということ。
そのことを神が本来、望まれているということ。
そのことを伝える。
それが宇宙界の法であるのです。

神の宇宙から眺めたときの、神の本意であるということ。
それを伝える立場に、わたしたちは、今いるということ。
それを、わたしはあなた方に伝えているのです。

これから宗教というものが変わっていくのです。
ひとつの民族宗教というものではなくて、神の子が神の子であるのなら
どの地域にいようと、どのような文化の中にいようと
どのような宗教の、過去の歴史の中に染まったものであろうと
地球人であるのならば、そして、もっと広げていくのならば
どんな天体にいようと
どんな惑星に生まれていようと、どんなところにいようと
この大宇宙すべてが神の子であるという、そのような認識の中で
神というのはひとつであり、そこから分かれてきた、すべてがひとつの命
親のもとに帰っていく命であるということ。

そこには地球人であるとか、何人であるとか、どの銀河の出身であるとか
そのようなものは何もない。
だから、はるか遠くの銀河から、わたくしたちはやって来て
地球のために命を投げ出すために飛んで来たのです。
あなた方のルーツもそういうところがあるのです。

であるのならば、地球の中で、キリスト教徒である、イスラム教徒である
仏教徒である、神道である、ユダヤ教である、はたまた無神論である。
そのようなつまらぬ枠を、鎖を自ら身につけて自己限定をし
狭い、狭い視野の中にいることをもっては
もう許されない時代がくるということなのです。

目を広く高く、そして、心に愛を、より広く豊かに持つことをもって
あなた方の認識力は無限大に、宇宙大に広がっていくことでしょう。
広がっていったときに、その偏狭な狭いところからくる無知な思いによる
愛の狭さというものが取り払われ、宗教などというものは、もう死語となって
ただただ神と共に、愛と一体となって
互いに隣人同士愛し合って、助け合っていく。
そのような社会が出現してくるのです。
そのような時代がくるのです。
そのようなところにわたくしはこの地球というものをもっていきたい。

それを、わたくしだけではない、わたくしの仲間たち
そして、九次元の方がた、十次元の方がた、そのような方がたをもって
みんな悲願として、この日を望んで
どれだけ長い間、わたしたちはこの地球と共に生きてきたことでしょう。

最後の総仕上げが成功するか、失敗するかの
その瀬戸際にかかっているということ。
この愛の理念を、宇宙の法を降ろすことが
今、ピンチーヒッターと言われつつも
ここにきてかなったということをもって、感無量の喜びをもって
わたしはあなた方にお礼を申し上げたい。
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ひじょうに一方的な、ひじょうに天上界から唐突な
勝手なお願いであったと思うけれども
あなた方はそれによって、ひじょうに苦しまれたけれども
今もまた、その迫害の中にはあるけれども
これから先、地球すべての人類、生きとし生けるもの
すべてを愛の循環の過程の中に導く
地球の最終的なレペルアップの時代になっていく。

そのことを思い、どうか、この仕事のために
愛の使者として、神の愛の使者として
我々に力を貸していただけないだろうか
この仕事を完遂させていただけないだろうかと
わたくしはあなた方に願うのです。

一部の者だけが優れ、一部の選ばれし者だけが、神のご機嫌を取った者だけが
神の通路、愛の通路となるのではないということを
わたしはあなた方に言いたいのです。

鎖を外しなさい。
心の壁を取り払いなさい。
宇宙大にまで広がるだけの
あなた方は素晴らしい神の子としての
愛のエネルギーをもう授かっておられるのです。

自己限定しないで、自らの素晴らしさを信じて
他者を愛するだけではいけませんよ。
こういう光の天使は、どうしても自分をないがしろにして
他者を愛することによって、ゆきすぎるのです。

さっき言った呼吸です。
息を吸うということは、自らを愛することです。
自らの存在を愛し、誇りを持ち、一生懸命自分を、自らを愛してこそ
他者を愛するエネルギーになるのです。

神から受ける愛の大きさが、神の子たちを愛するエネルギーになるのと同様に
あなた方も、自らを愛することを忘れてはいけません。
自らの愛のエネルギーに気づき、自らの神性をかけがえのないものとして
最大限に自らを、誇りをもって光らせるということ。
それをもってこそ、他者を愛していく
他者を光らすエネルギーヘとまた転化するのです。

この間、言われているはずです。
アモール様に言われているはずです。
愛は循環すると。
今、わたしは呼吸のことを
たとえをもって循環ということを申し上げているのです。
そうやって、愛は循環するのです。

人からむさぼる、愛を奪って、吸って、吸って
吸ってだけでは苦しいでしょう。
「愛はやはり、他者を愛することをもって、愛なのですよ」と言っています。
では、与え切りではどうでしょうか。
与えて、与えて、でも、自分はつまらない者だと、自分をいじめ尽くしていく。
そこには少しも
かけがえのない自らの神性の個性を輝かせるということは何もないということ。

自らも愛することです。
自らにも誇りを持つことです。
そして、あなた方自身を、ほんとうに誇りある、素晴らしいこの命だと
この個性だと気づいて、自らの内側の個性に気づいたのならば
そこには感無量の、自らを創造してくださった根源の神に対する
圧倒的な感謝というものが湧いてくることでしょう。

それをもって、他者を、神の子たちを、仲間たちを愛して、赦していくのです。
それが愛の循環の摂理なのです。
これをあなた方に知っていただきたいのです。
そうすれば、あなた方ご自身の光が輝くことでしょう。
かけがえのない個性が輝くことでしょう。

(2005.8.19 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-15 06:46 | ミカエル | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(18)

その意味において、専門的に相当なっているはずなので
その隅々まであなた方がそれを理解しようとするのではなくて
あなた方が全部やろうとする、表現しようとするよりも
彼らを所定の位置に取り込んでいき、彼らに本来の使命というものを
全体とのつながりという位置関係を
相関関係というものをしっかりとつかませていってあげる。
そういうことを、あなた方がするのが使命であるのです。

だから、専門的なことにおいて
たとえば隅々まであなた方が理解しようとすると
無理がかかると思いますよ。
全部細かいところまでやろうとしたらば
あなた方はそんなことやりきれないでしょう。

でもいいのです。
そのために、その自分のピースだけにおいて、とことん専門的に努力をし
業績を、実績を積んでいるのが彼らの仕事でもあるんですから。
その意味においては、専門的なことは彼らに任せなさい。

で、彼らが持っている仕事がどういう役割であり
どういう位置関係にあるかということ。
そして、どうやってネットワークを組んでいくか。

もし人類がですよ、人びとが自分を高めるために
その知識を要求した時に
速やかに「あそこに行って聞いてらっしゃい」と
「学んでらっしゃい」と言える
そういう道先案内をできる、そのようなことができるということが
あなた方にとって必要な役割なのです。

そうしなければ、地球規模での多彩な、ひじょうに多様な文化-
地球どころではないのです。
宇宙からも来る多様な神理、多様な文化
それを地球規模に照らし合わせて、練り合わせて
そして地球自身のオリジナルな未来を展開していこう
新たな次元へ上げていこうという
そういうひじょうに壮大なスケールのものでもありますから。

まあ、監督官というのはですねえ、大体が私なんかもそうだけど
高いところにいて、こう全体を見回しながら
「ああ、そこで馬が跳ねてるからダメだよ、ほら、ちゃんと列に入って」
「はい、君はあっち行きなさい、こっち行きなさい」って
そういうふうに言っているのが役目でもあったり
全体を見回しているのが司令官の役割でもあったりするわけであって
あなた方はそのスピリチュアルなものとか宇宙人的なもの
ニューエイジ的なもの、そうした本来の宗教のもの、地球人自体の
今度物質文明からこの霊的な内的なものに目覚めていく過程、ね
社会組織の変動、そういうものも全部含めて
あなた方がどのように大きな見方でそれを統合していけるか。

大所高所に立った上でそれらすべてを見つめ
そして、大きな意味で流れを
本来こっちに流れていくんだよという大きなウェ-ブというんですか
流れというものをつくって見せる
そのような役割がレムリア・ルネッサンスにはあるということです。

その、「ひじょうに細かいことにこだわりすぎると大局を見失うよ」って
いうことを僕は言いたいわけです。
「ひじょうに多くの人たちを、あなた方はその懐の中に
入れていかなければいけない。
だから、細かいことばかりにこだわりすぎるとね、
全体が見えなくなっちゃうよ。これだけの大きな規模だからね」と
それを言ってるんです。

でも、全体が見えるようになったら、それは相当なものです。
これは、だから本来は九次元がやるために出てった
そういうふうに立てられた計画でもあったわけですから。

また、孔子の手にこの計画が戻っていくためにも、しっかりとした
それまでに地球自体に発信していくという大きな役割という位置づけ
道づけというものをあなた方にしていただくということ。
それがひじょうに大事な時代であるということなのです。

だから、細かいとこまで、専門的なことまで
あなた方が全部やろうとしないこと。
そして、全体の大きな流れ
我々の計画の流れはどういうふうに流れていくかということを
しっかり見極めて
今横道に脱線してしまったものを、どうか本来の道筋に戻して
第三の計画を発信しながら、本来の九次元の指導体制に
もう一度持っていけるように道筋をつけていただくということ。

そのことがレムリアでの最大の仕事の内容となるし
いちばん大事な使命となっていくと、わたくしなどは考えているのです。
どうかそこのところを考えていただきたい。

そして、法というもの。
今さっき日蓮が言っていたように、法の編纂というもの。
最初わたしが説いたものは、今となってはとても稚拙なことでしょう。

魂が永遠であり、人間が神の子であるということ。
八正道に照らした反省をして、人びとの心をピカピカにして
神様の神の子に同通していきなさいということ。
c0171476_1603867.jpg

悪霊っているんだよと。
この怖い悪霊がいて、人間は憑依されておかしくなっちゃう。
目に見えない世界というのはちゃんとあるんだよということを言ったのが
大体、わたしの人生でした。
それを実証するために人生があったんです。

でも、今となってみたら、何もこんなことを言うためにエル・ランティが
ヤーウェが、創造神が出て来たのかと。
そんなこと今さらいぶかしがる方もいるかもしれない。

でも、そういうことの基本があって
そしてそういう絶え間ない積み重ねがあって
今日、あなた方の中に高い認識力というのが芽生えてくる
そういうルーツがあったということ。
そして、ORさんがやはり、天上界からありとあらゆる霊人を呼んで
霊言集を弾丸のごとく打ってくださった。
その中において、『太陽の法』、『黄金の法』、『永遠の法』という
素晴らしい三部作を降ろしてくださった。

その実績に基づいて、もう一度この日本を中心とした
この地球系団の救世の大計画の本筋は
第二の、ORさんがやった計画が頓挫したとしても
それを引き継ぐ者が、同じことができる者たちのみが
その継承権があるということ。

あなた方はそれを実証するために
今このように多くの霊人の霊言をとっているということ。
それをしっかり認識していただきたいのです。

僕の時でもそうだった。
あっちでもこっちでも、高橋信次の跡取りだ
後継ぎは私だ、俺だ、僕だって騒いだんです。

ORさんでもそうでしょう。
あっちでもこっちでも、いろんな霊言が出てきたかもしれない。
でも、「これだけ多くの霊人をとって、これだけ本に出して
これだけの質の高い霊言を、霊言集を打っているところがほかにあるか」
と言ったら、どうですか。
ないでしょう、今この日本の中で。

レムリアレベルの霊言集を、これだけ弾丸のように出していける
まあ、出版するにはちょっとお金の問題もあったかもしれないけれど
インターネットで発表しているわけでしょ。

これだけの内容の、質の高さを、そして間口の広さをですよ
出しているのはやはりここのレムリアというところ。
そしてこのアマーリエという人が霊言をとっているという
この使命を帯びているという、そのことをもって
本来の救世の計画というものがしっかりと続行されているということを
証明し、実証しているということ。
そこにレムリアの意義ということがあるんですよ。

そこがある限り、我々の意思は地上に対して
まだパイプはつながっているということ。
地球はまだまだ神、地球の神と呼ばれている私たちの計画の中において
けっして見限られて、あきらめられ
捨てられているようなことはないということ。

我々はけっしてあきらめないということ。
愛をもって、私の愛する地球の神の子たちを指導し、導き
この次の新たなる時代をつくるために
我々もまだこの計画をあきらめないで済んでいるということ。

そのことを、地上の神の子たちに
メッセージとして私たちは何より伝えたかったのです。
見捨てられたと思ってるんですよ、一時期集まって引いてった者たちは。

見捨ててないんだよ。
あなたたちの使命を果たすために
我々はけっしてあなた方を見放したりしてないんだよ。
だから、ここに来て、あなた方の生まれてきた存在意義
使命の本来の意味というものを
もう一度ここにおいて仕事をしながら果たしてほしいと。

そういうことを私たちは伝えたかった。
まず伝えたかった。
指導はちゃんと降りているんだということを、ちゃんと伝えたかった。

そのために、レムリアのパイプラインというのは
ひじょうに大事であったということなんです。
私たちのメッセージも、あなた方のところにおいて数々の霊言を送りました。

なんかわけのわからない人もとってほしいと
興味本位で出てくるかもしれないけれども。
いいですか。

今言ったのは、第二の計画と同じことをできると実証するために
レムリアが本物の救世の集団であるということを実証するために
我々は数々の霊人が出て来て、この人を通して霊言をとったのです。

いいですか。
であるということは
あなた方の好奇心や興味本位のものだけを地上にまん延させるために
私たちが協力しているわけではないということです。

(2006.3.4 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-13 18:02 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

福沢諭吉からのメッセージ

わたくしは生前、宗教者とは違う、一啓蒙思想家、教育者として
その生涯を送った者であります。
それゆえあなた方が望まれるような、神理知識というものに対してはうとく
参考になるようなことを申し上げられますか
わたくしも心もとないことでございますが
わたくしにとってできる限りのことを、現代の日本の状況
特に教育界を通しながらお話を申し上げようかと思います。

今、あなたがおっしゃられたことにお答えする前に
ひと言わたくしのほうから申し上げておきたいことがございます。
わたくしもかつて、ORと呼ばれる方に詔霊されて
一度語ったことがございます。
その時には、明治維新篇ということで
わたくしが教育家として、啓蒙家として
あの時代を彩る計画のひとりとして
協力者として出たのだということを申し上げたはずなのです。

ですから、その時点での話というのは、そのORさんの本をお読みいただければ
わかることであるかと存じます。
それを超えて、また時を超え、再度お呼びいただいたということに関しまして
今のわたくしの心境における、この計画の重大性、そしてこの計画が行われる
その思想的背景における価値観の転換に伴う社会構造
そして教育問題についての、おそらく訪れるであろう大改革時期というものが
これから先のことを思うと、多くのものが起こって
変化していくであろうということが今想像できるのです。

明治維新の時におきましてもわたくしのように
下級氏族の出の者におきましては
将来どんなに学問をしようと、どんなに頑張っていこうと
生まれ落ちたところで、すでに将来は決まっていたという
あがいても、あがいても、人生における挑戦も、努力というものも
なんら人生を切り開いていくという希望も活力も生まなかったという
そのあきらめに満ちた身分制度の中で、人びとは生きていたのです。

その封建社会の中から脱却していくには、新たなものさしが必要であった。
その意味において、政治的な大改革者、指導者、そのような者たちが
いろいろ明治の時には出たのですけれど
わたくしは教育、啓蒙思想ということを通して
新たな学問という尺度を人びとの中に呼び入れることにより
新たな、生まれ落ちた身分社会の構造を打ち砕くために
わたくしは学問というものを多くの人びとに広めていく
そのような新たな価値尺度というものを取り入れていく
それが封建制度を打破し
幕藩体制というものから新たな文明国への転換点として
新たな思想的なものさしの樹立ということを目指すために
わたくしは生まれていったのです。

そして、確かに学歴万能主義ではありませんでしたが
学歴ではなく、学問というものを人びとが、身分に関係なく
どんな家庭に生まれようと、向上心と克己心を持とうとする者にとっては
いかなる学問であれ、一生懸命やり、その業績を残していったのなら
新たな職業へ進んで行くチャンスを与えられていくという
そういう理念構造があった。
それが明治の新政府というものの中に取り入れられていった時に
多くの人びとを、身分制度から解放したあとの
新たな価値尺度づくりというものを人びとに提示したのです。

幕藩体制、士農工商という
そういう制度を崩壊させるだけではだめだったのです。
それを竜馬たちがひっくり返したあとに
新たな価値尺度というものを提示する者たちがいなければ
人びとは、今度は何を中心に生きていったらいいのかという
その意味において迷ってしまうからなのです。

そのためにわたしは
明治の志士といわれている者たちが大社会改革を行ったあとに、動乱のあとに
新たな文明諸国を手本としていきながら
かつ新たな価値尺度づくりというものにおいて
学問というものを中心にして、努力をし、向上心を持ったのであるならば
そして学問を通して、深い認識力、判断力
克己心というものを身につけていく中で
多くの青年たちが、新たな人生の
若者たちが自分の将来に対する夢と希望というものを
打ち立てることができたのです。
そのエネルギーが新たな明治新政府を通して
明治の時代、明治から大正にかけてのエネルギーというものを
つくっていったのです。

生まれ落ちたところの環境ではない、身分ではない、自分さえ努力したならば
石にかじりついてでも勉強していったならば
百姓のせがれでも、下級武士の子どもたちでも、商人であったとしても
明治政府の役人になっていくことができるのだと
新たな人生が開かれるのであるということは
ひじょうに多くの者たちに希望と功名心というものを与えたのです。
光を与えていったのです。
それをわたしはやったのです。

「天は人の上に人をつくらず。天は人の下に人をつくらず」と申します。
それはたとえどんなりっぱな家に生まれていても
怠け者であってはいけないということ。
新たな理想のもとに自分を切磋琢磨し、向上しようとして
学問にいそしむのならば
それは必ずやその人自身の財産として戻ってくるということ。
そのことをもって新たな社会の価値基準にしたかった。
わたしはそのつもりをもって、『学問のすゝめ』というものを書いたのです。

それがやはり、その時代のニーズというものに合っていたから
大ベストセラーとなり、多くの者たちの新たなる
新時代を切り開く指針となっていったのだと思います。

そして、その学歴が、学歴というのではない
学問の大切さというものをわたくしは言ったのです。
そして新たなチャンスというものが平等に開かれる
努力に応じて開かれるということをわたしは言ったのです。
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それからまた時代がたちました。
時がたち、その明治・大正・昭和というのが終わってきて
新たな時代がきた時に
今度はその行き過ぎてしまった学歴信仰、崇拝主義というのが
今の若者たちの首をしめる結果になっているのかもしれないと
わたしはうれいているのです。

けっして学問だけが、学歴だけが、同じ方向のベクトルの中において
みな同じ方向に向かって歩まねばならぬことなど
わたしはひと言も言ったことはなかった。
だけれども、行く学校、行く学校の、その偏差値が
たまたまその偏差値ということが
逆に言うとあの時代の、その生まれ落ちた身分制度と
幕藩のどの藩、強力な藩主の家系の者のところに生まれたかというだけで
その人生の価値が決まってしまうような
逆に言うとその、どの藩がというのが
たまたま入った学校がということで一生が彩られてしまうような
そのような体制をまた今は弊害として
生むような社会になってしまったのだと思います。

そんなことは、わたしは言っていなかった。
しかし、なんのものでも過渡期というものがあり
新たな価値観、理念というものが打ち立てられ
そしてその中でそれがしばらくたつと熟成し、それが腐敗した状況がきて
その初期の頃の良さというものが失われ
そしてまた逆に言うと、あの江戸末期から明治にかけて
説かれたからこそ意味のあった教えであっても
今この平成の時代、今度は新たな大改革期にきた、今この時代においては
わたしの教えたものは多少、もう古くなってきたのかもしれません。

学歴万能、崇拝主義というのは
もう新たな個人の価値というものを認める尺度ではないということ。
ただ生まれ落ちた環境、親が金持ちであるとか、名門であるとか
そのようなものだけで決めてしまうよりははるかに優れた手段
価値基準であるとわたしは今でも思っております。

しかし、そのようなことよりも人びとがおのれ自体の素晴らしい個性ある
個人の価値の希少性、おのれ自身にしかないものを打ち出して
人生挑戦していくのだという
そしてそれを受け入れていく、多様な価値観の社会の受容性というものも
社会はそろそろ成長していかなければいけないと思うのです。
そういうものを受け入れていくように
成長していかなければいけないと思うのです。

一方向だけではなく、わたしの時は最初蘭学でした。
蘭学を学ぶことが、そのひとつの知識水準の
最初のインテリ屑と言われている者たちの基準でした。
それから英語になっていって
そして新たなアメリカとか、そういう諸外国
ヨーロッパとかを知っていくということが
やはり大事なその時代の指導者層
リーダーシップを握る者たちの
ひとつの保険となっていったものですけれども

今度は新たなことにおいては竜馬たちだったらどうかと言うと、剣でしょう。
あの時代は道場破りをするような優れた剣があった。
そして英語ができる、オランダ語ができるということが
逆にその時代にとって指導者層の最低限の資質の基準であった。
そして、多くの者たちが学問をするようになった。
読み書きそろばんと呼ばれていたものを最低限みんな身につけて
最低限教養を持とうと、そのようなことをわたしは言ったはずなのです。

そしてその延長上に、みんなが教育を受ける権利というものが提唱されていき
多くの今日本国民は高度な
高等教育というものを受けられる環境というものをすでに
つくり上げてきたのです。

これから起きることは、ここを原点として
多様な価値観づくりということがとても大事なことなんですけれども
今度わたくしが霊天上界のほうにおきまして、さまざまな指導
そしてこの第三の計画における重要性というもの
意識レベルの向上というもの、ステップアップしていく
宇宙文明にいく意味での地球意識レベルでの向上ということを考えました時に
明治維新の時に勝るとも劣らない、いやそれ以上の価値観の大飛躍というもの
革命と呼ぶようなものが、これから行われるべきであろうと
わたしは思うのであります。

(2005.3.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-12 13:03 | 福沢諭吉 | Trackback | Comments(0)

勝海舟からのメッセージ(2)

あんたたちの時代は違うよ。いいかい。
宗教家だっていうことじゃない。
どんな役割、教育者の中においても、政治家においても
役人であったとしても、芸術家であったとしても
その宗教家なんていうんじゃない、そのひとつの価値観
その中にもうすでに神仏の心っていうものを織り込んだ上で
社会を変えていくっていうこと。
だからベースにおいては、すべて神仏の心っていうものを理解したその上で
分業して社会を変えていく。
そういう時代がきてるということ。

あのときは単に西洋思想に対して、その閉鎖的だった日本の発想をね
西洋思想のほうに向けて押し開いていく。
そうやって合理的な科学的な
そういう西洋の合理主義みたいなものを取り入れる中で
やっぱり後進諸国的な封建体制を打ち破って
多くの人びとを合理的に解放していこうっていう
そういう方向で話がついていたから
それぞれのその段階において、みんな自分たちの役職に応じて活躍をして
ひとつの時代をつくったんだと思う。

でも、あんたたちの時代は違う。
宗教家とか神仏というのは、あって当たり前。
そして、魂が永遠であって、転生輪廻していくとか、な
そういうことがもう当たり前でなかったら
そのすべてにおいて、国の体制においても、教育においても
それから、あんたたちがよく言うその、表現の自由とか出版の自由とか
この間も言ってたみたいだけれども、ああいうものもすべて
神仏の子としてどういう発言をするべきであるか
どういうふうに人の命とかを守っていくべきか。

まあ、表現の自由においても個人の自由の権利、権利の主張にしても
それは大きな精神的な遺産としてね
俺たちの時代にはそういうものを人びとに、庶民に解放していったけれども
今度は神仏の子、神の子として自由に世界中に
神の子だっていうことを豪語する時代がこれからやってくるっていうこと。

「神仏を信じる」って言うと
頭がおかしいとか危険だとかっていうような社会にしといちゃいけない。
そういう意昧での大きな価値観の転換
価値観の転換を日本から世界に発信していく。
そういう変革の時期というのをつくらなきゃいけない。

そのために俺たちのあの明治維新があって
その後の日本の経済大国としての復興、発展の
日本のこの歴史があったということ。

この経済大国日本というこのポジション、位置というものを通して
上の偉い神様がそこに神理の大計画、神様の大計画を降ろすことによって
日本から世界にこの神理の種が発信できる。

それが、地球全部に向かっての大いなる神様の計画というものを発信していき
世界中の価値観を一瞬にして変えていくような
世界中の価値観から、単に地球ということではなくて
宇宙の中の一員というところまで価値観をひっくり返していくという
計画を立てられたんだっていうことを、この間俺たちは聞いたわけよ。

「ああ、そういう大きな、大きな流れがある中で
指導を受けて明治維新というものを俺たちは任されて出て来たんだな」と。
そこまでは誰も知らなかったっていうこと。
そこまでは明かされないっていうことを、あんたたちもわかってほしい。

それでも精一杯、俺たちは俺たちの役割をあの時代の中で全うして
失敗したこともたくさんあったけど、精一杯やって、生ききって
死んでったっていうことがあるわけ。
それの意味においては
みんなものすごく熱い情熱も気概も持ってたと思うしね。
自分の個性の中で精一杯やったと思ってる。

だけども、あんたたちの場合は、もう神仏とか宗教とか
もうそれが神の子、神仏の子、「俺たちはみんな神仏の子だ」と
豪語できるような、そういう時代がこれからくるってこと。

神仏の子だっていうことを中心にしたら、すべてが変わるっちゅうことだ。
それが根本にくれば、神仏の子であらば、どういう政治をしたいか。
どういうふうに、もう汚職なんかしないで
多くの人びとを幸せにするような
国家組織体系というのはどういうふうにしていったらいいんか。

神仏の子として永遠の転生輪廻っていう、魂があるってことを知ったなら
その魂がみんな違って、カルマ落としっていうことを
「カルマ」なんていう言葉が一部の坊さんたちだけが言うんじゃなくて
俺たち、あと子どもたちみんな
一人ひとりの課題であるっていうことから逆算してくなら
どんな学校組織にしたらいい?
教育内容にしたらいい?

そういうことは自然に割り出してこられるという。
でも、いちばん大事なことは何だったのか。
地球にいるどんな国、目の色が変わろうが、髪の毛の色が違おうが
すべての世界中の人たちがみんな神仏の子だっていうこと。

そして、肉体がこの地上にいる間にあったとしても
まあ魂っちゅうもんは永遠に生きて
永遠にいろんなところを転々としながら修行してるんだ。
魂は生き通しの永遠なんだっていうこと。

そういうことがわかればだなあ、全部が変わっていく。
今、経済論のノウハウ、そういうものだけを言えとか
そんなことじゃあない。
いちばん大事なのは根本を押さえるっていうこと。

それにはやっぱりまず考える、その価値観の基本というものをね。
あなたたちは、今この日本に、世界中に伝えようとしているっていうこと。
ここがしっかりと伝われば
あとはみんなそのあとそれぞれに出て行った者たちで分業して
社会というのは変わっていくんだよ。
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明治維新においてもそうだった。
俺なんかだって幕府の中にいたっていろんなやつ
トンチンカンなこと言ってんの、いろんなのいたよ。
「開国しちゃいかん」、「開国するべきじゃない」
江戸の殿様は何百年でも何千年でも続いてくと思ってる連中もいれば
あと朝廷が最高だと思ってる連中もいるし、ね
何がなんでもみんなぶった斬んなきゃいけないと思ってるような連中もいたし
いろんな人たちがいた中で
これは開国していかなきゃいけないんだっていう思いは
どこにいたとしてもやっぱりそういう時代の先を見て
そういう精神的な種というものを広げていったら
俺がいた場所と竜馬がいた場所と
西郷さんがいた場所と福沢さんがいた場所と
みんな違うでしょう。
みんな違うところにいても、思ってたことはみんな同じなんだ。

日本の将来を思ったら、このままでいちゃいけないと
開国して多くの人たちの中で、多くの文明国の中に入っていかなくちゃ
これから先の日本はないっていう思いはどこにいても同じだったはず。

そしたら、自分たちのいた場所においてそれぞれの動きをした。
その先の未来を見通すという意味においては、見通せた連中たちだけが
あの時代を変えることができたし
社会の中で何かしら大きな仕事ができただろうし
やっぱりそのあと名前が残るきっかけになったかもしれん。

だから、大事なのは、今どんな状況であったとしても
どういう時代を生きようとしているのか。
そしてこれから時代の転換点というのがいつも、いつもあるわけではないけど
明治維新もそうだったけど、今回においても、ものすごく大きな
本だけではない、世界の転換点にあんたたちはいるんだよ。
その意識、わかってる?

そのことを思ったら、細かいことが、各論がどうのこうのじゃないんだよ。
各論じゃあない。
いっちばん大事なことを降ろさなきゃいけない。
それが、神さんが言ってることさ。
上の偉い神さんが言ってること。

それが神仏とか一部の坊さんだの神主だのが言ってることじゃなくて
地球人みんなに共通したことを、神様が伝えようとしてる。
そして神様の伝えてきた価値観でこれからの日本が、日本だけじゃない
日本から世界に向けてその大いなる価値観の転換を通して
地球上のあらゆる組織体系が一斉に変革しようとしてる。
そのヘソにあんたたちがいるっていうこと。
その時代認識というのを、しっかりとしなさいということ。

(2005.3.19 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-11 13:23 | 勝海舟 | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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