地球を愛の星へ

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マヌからのメッセージ(17)

陰陽合体の段階へ行くには、まず地球系神理で説かれていたように
自分が神の子であるという悟りに至らなくてはならないということなのです。
外にある物質的なもの、そんなものに惑わされるのではなく
頭や理屈などで考えるのではない-。

深い、深い自分の愛が溢れる、神の子の内にある扉を開いていく。
自己と出会っていく。
究極には、自らが神の一部であることを悟り、神に出会っていく。
まずそこを見つけなさい。
まず自らと出会いなさい。

自らと出会い、自分が愛の表現形であり、愛の子であり
神ご自身が愛そのもののエネルギー体であり
それと同通する一部であるのが自分自身であるという-。

そして、根源の神より期待されてつくられた、自らの個性をしっかりと悟る。
自分と出会ってこそ、自分の役割が何であるかをわかってこそ
自分自身が何であるかということを悟ってこそはじめて
自分のパートナーがわかるのです。
順番はそこなのです。

だから、地球系神理は、仏陀やモーゼやイエス・キリストが説かれたように
神との出会い、神の愛とは何か、神の子とは何なのか
天地に分かれて人類は住んでいるけれど
神の子たちはどのように神を礼拝し、神を崇めて
神性に目覚めていく過程を学んで
自己向上していかなければいけないかということを-。
発展の精神的なプロセスを経てきている。

だいたい、原始社会、古代の農耕社会から、中世に発展していく段階において
昨日もエリヤが話していたようですが-、ミカエルも言っていましたね
あなた方の中にある、多くのドグマ的なもの、教会とか
一部のローカルな宗教を通しての弊害を、昨日言っていましたけれど
確かにそうなのです。
そのような弊害があるのは、僕らも承知している。

でも、人工衛星もない
コンピューターもパソコンも、電話も普及していない時代に
インマヌエル、イエス・キリストは法を説かなければいけなかった。
仏陀も悟りを、神に至る精神的な段階というものを説かなくてはいけなかった。
救世主と呼ばれて地上に降りたった者たちは、精一杯、法を
それぞれの地域、習慣に応じて
自分たちの個性を通して、地上に提供してきたのです。

それがひとつにまとまる時代がきて
人々は、自分が神の子であるということを知り
愛のエネルギーであるということを、愛の表現形であるということを学んだ-。
その究極のときに、自分自身の個性
自分がどういう愛の表現体であるかということを、仕事をしながら理解したとき
自分のパートナーを最終的に認知することが悟りの究極にあるわけです。
そのときに出会った相手が、大事な、大事なパートナーであるという
そういう段階なのです。

あなた方の質問を聞いていると
まだ、究極的なパートナーがどういうところにあるかということが
わかっていない-
それは最終的な目標だと思っていただきたいのです。
いつかはそうなる、ということです。

出会っている方もいる。
パートナーとともに地球に来ている方もいます。
けれど、そうでない人たちもいる。
それは、今、学んでいる過程の方たちなのです。
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学びの過程では、結婚したときの相手が
魂のパートナーでない方もたくさんいます。
ですから、離婚とか、結婚をしてもうまくいかないとか
そのような段階が多いので、地球上に男女の苦しみが多い。
満たされるものが少ないからこそ、外に行って浮気をするとか
他の女性に目移りするという数々のトラブルが起きてくるのも事実なのです。

逆に言うと、究極的に進歩発展した星は
とても物事がシンプルになってきます。
ある程度の悟り、ある程度の理解をした段階にあれば
愛一元の世界になったときには
今言ったような男女の問題で苦しまなくて済むのです。

でも、この地球には数々の苦しみや悲しみが満ち満ちています。
それは、根源的な意味において、真実の自分のパートナーと出会っていないー
女性を裏切る男性も悪いけれど、男性の中にも、どこか
相手が真実自分のパートナーではないと思う気持ちがある。
満たされない気持ちがあるゆえに、そのような行動に走ってしまう
それによって、恋人、妻を苦しめてしまう
そのような悪循環が起きているのが、この地上生活だと思います。

ですけど、自分の根源的なパートナーとめぐり会っていないから
相手をおろそかにしていいということではないのです。
今あるということ、今ある現実は、すべてが今の自分に必要であるから
学びの場が与えられているということなのです。

今ある人生の中で、恋人を、結婚相手を、子どもたちを
感謝し、ほんとうの意味で幸せにしていこう。
男性として、女性として、どのような務めを本来学ぶべきなのか。

もし今の相手が違えばですよ、違う相手であった
真のパートナーではない人といっしょになった苦しみが多少あったなら
それをしっかりと学び、卒業したなら、必ずや来世においてはその先の-
次の転生においてはより魂の波動に近い
自分の魂に縁の近い方といっしょになる
それが許されていくということなのです。

ですから、今あることはすべてが必要なことであり
けっして、真の魂のパートナーでないからといって
現実から逃げていいということにはならない。
それを、一言申し上げておきたいのです。

(2005.8.20 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-31 12:12 | マヌ | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(10)

最初に日本神道の神々が、この日本という土地を整えられ
天照大神、天之御中主と呼ばれる方がたが
この日本という国を神の国日本にするために
あの高い、誇り高すぎるほどまでに誇り高いあの気持ちの中で
この日本を整えられてきたという、あの誇り高さはわかるであろう。

それはもう、彼らがこの日本ということを、国を預かった段階で
次に仏陀が下生され、この日本、自分たちが預かったこの国から
最終的な今日の世界計画が行われる
光の発信源となるということを言い渡されて
中央から彼らが降りて行って
この土地というものを、日本という国を整えてこられたからこそ
彼らがあれはどの誇りの高さをもって
この神国、神の国日本という大和の地を愛して
誇りに思われているのである。

長い、長い時を、我々中央官庁のほうから、あの方がたは預かられて
この日本という国を育んでこられた。
そして、その中において、あまりに長かったがゆえに
この日本という国をひじょうに特別に
また愛してこられたということはあるけれども
なぜそのようになったかということ。
どれだけ他のローカル神と呼ばれている
地域神と呼ばれている方たちに比べると
はるかに霊格の高い方がたが、この日本神道には多いのである。

それはご存じでありましょう。
なぜこのようなことになったか。
長い、長い時を、中央から降りて行った方が
この日本という国を、誇りをもって預かってきたということ。
最終的にこの地球を大浄化していく計画の中の、発信元として
この日本という国が、最初から白羽の矢を当てられて用意されてきたから
こそ、彼らはそれはどの使命感の中で
必死にこの日本の国を素晴らしい国にするために
命をかけてこられたのである。
そのことを思うのならば、日本神道の神々に心から敬意を表したいと思う。
「よくぞこのような国土にするために用意していただいたものである」と。

ただ、日本の神々だけではなくて、やはりこのような地になるためには
中央のほうからさまざまな宗教を導入し
このように変えて、ということで、竜馬たちも中央から出てきた者ですし
そのような世界計画で一助として
日本の国の計画のために我々も出てきている。
聖徳太子と呼ばれているこの間出てきた方にしても
シュヴァンツェルという方ですけれども、あの方も来られているという
私たちと出所は同じであるということ。

あなたにおいても、この者においても同じなのです。
日本だけにしか出ていないという方もまれにはおられるけれども
でもほとんどが世界を股にかけて、こういう法が流布されてくる時には
その使命を果たすために、異国の地に降りて来るという
そのような立場にあるあなた方であるということ。

だから、まあ多くの者がそうなのです。
だからこそ、ひとつの国だけにとか、地域神と呼ばれている方においては
日本の国に在来することが長いけれども、他の魂においてはだいたいが
もういろんな国を転々としていくことによって
自分の魂の経験というものを積んで、魂の経験知というものを広げていこう
キャパシティというものを広げていこうという
そのようなことの修行というのが課題になっておりますから
どの者においてもいろんな国に生まれて
いろんな宗教のもとに生まれているということ。
そのことは、どの者に語り伝えたとしても
だいたい共通理念としてあるのであなた方は堂々とおっしゃればいいと思う。

だから、そのような日本の流れというもの
人びとの心の変遷ということを今回お話ししました。
大事なものというものはいくつもないのです。
そして、今の時だからこそこれが明かされるということ。
そして、自分たちが何者であるかということ。
神の実体は何であったかということを今明かされているでしょう。

そのようなことをほんとうにわかることによって
地球人類というものがほんとうにひとつの神の
地球神ともに一体となったとき、初めてそこをもって宇宙連盟という
その宇宙の外の方たちに対する自分の認識というもの
宇宙連盟の中における地球人というもの
そのような認識に上がっていくのです。

一度に言ってもわからないかもしれない。
このような段階にいる地球人においては
まず心の中において神の子であるということ。
そして、永遠の転生の中で、もう宗教によりいがみ合うのは
ひじょうに、「やめなさい」ではなく、「ナンセンス」なことである。
やる気もなくさせる。

愛する兄弟を、愛する自分の同胞たちを殺し合うことほど
愚かなことはないだろうという認識にもっていけてこそ
彼らの手から銃を捨てさせることができるのです。
そこにおいて、いかなる強制力も支配欲も、恐怖心があっても
彼らはますます怖くて、その銃を離すことはないでしょう。
でも、そのようなことからもう離れて、人びとの心に愛豊かに
そしてこの肉体生命だけがすべてではないので
この人生だけが、一回きりの人生だけがすべてではないのだということが
ほんとうにわかれば、あなたが専門としておられる医学の世界においても
大いなる革命が起きてくるはずなのです。

人にはそれぞれの寿命においての限界があるのです。
それは望む、望まないではなく
本人自らがそのように設定してきているということ。
最初から与えられた寿命の中において
後半病気でとか、そういうので亡くなるけれども
そのようなものがちゃんと
自分で自己設定してきた時限爆弾のようなものが
病気という形において自然に爆発して
その肉体生命を終わりにさせるということ。

人においては幸せな時に死にたいという者もいるのです。
「やるべきことをやり終わったなら
いつまでもこの不自由な三次元にいたくない。
早く向こうに帰っていきたい」と
逆に「前回よりまた長く生きていると魂を落とすから
いちばん子どもの時の、いちばんいいところだけをやって
それで一度こちらに帰って来て、その霊格を上げていきたい」とか
さまざまな計画があるのです。

だから、けっして肉体だけですべて関わり合って執着するのではない。
それはすべてのことに言えていくと思う。
そういうふうになるのならば、いたずらな肉体に対する執着がなくなれば
お金とか、このような身を飾るものに対するいたずらな執着というものも
なくなっていくことでしょう。
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価値観も大いに変わってくるはずだし
魂が永遠で、今回の人生における計画というものを
もっとみんながほんとうの意昧でのパーニャパラミタを
神性を開く時がくるのです。
同通できる時がくるのです。
まああなた方は閉じさせているかもしれない、危険だから。

だけども、もっともっとそれを開いていく。
それこそがほんとうの修行の段階にきた時に
人びとは肉体を持って生きながら
このわずかな、この人生の中で何を今回学ぶべきであるか、
それは個人的な問題として
人びとが教育システムの中で自分自身に問いかけるような
そのようなシステムが出てくるはずなのです。
それであってそ教育のほんとうの意味をなすのです。

自分が今世、何を学ぶために、習得するために
使命を果たすために出てきたのか。
そのために教育を受け、そのための手段として技術を学んでいきたい。
そうやって自分自らが選び取っていくような
そのような教育システムというのが現れてくることでしょう。
それをもってこそ、人びとが自分たちの個性を発現し
ユートピアの中で、一人ひとりが自分の命を輝かすことによって
貢献できるという道を開くのです。

同じである必要はないという、同じであることは全く無意味であるということ。
自分自らの命を輝かすということ。
お役に立つということ。
そのことを、喜びをもって、人びとが人生の中で生きるように
子どもの頃から教育されてきたのならば
今日のようなことは何もなくなるでしょう。

だから、今の教育の
ひじょうに間違ったところからくるあつれきのようなものが
あぶくのようなものが、いっぱい上がっていますが
そのひとつひとつにキーキー、キーキーすることよりも
もっと根源的なところ、根源的なところで出世していったのならば
そのような人生の中において
今のようなものはなくなっていくことでしょう。

金太郎飴のような一律な人間たちをつくり、ひとつのベクトルの中で
ひとつの方向性の中だけの価値観で人びとを、優劣を決めていく。
そのようなことがそのうち
もうナンセンスであったという時代がくることでしょう。

七色の個性、七色だけではなく、一人ひとりすべての者たちにおいて
かけがえのない個性と使命と、愛というものを
愛の表現媒体としての役割というものを神はお与えになっています。
そのものを本来が発現させていくための教育、それは人生論であり
それが子どもの頃から、子どもたちに語り伝えていける社会がつくられてこそ
教育システムにおいても、社会の安定、平和ということも
イデオロギーということも、文学においても
すべてにおいて人びとの心の中に
神の国というものが浸透してきたときに
ユートピアというものがこの地上に現れるのです。

すべて原点は心であり、神の教えであり、法であるということ。
そのことをあなた方が、今あなた方がやることが
未来の、将来の地球の子どもたち、人びとの幸せをつくっていく
その原点であり、種であるということ。
種まきであるということ。
そのことをあなた方はわかってほしい。
それがレムリアの使命であるということ。
あれもこれもやろうとしなくともよい。

イエス・キリストがおっしゃられたように
ケシの実の粒の種のたとえにあるように、「一粒の種、地上に落ちて」
救世主と呼ばれている方たち、法の担当者という方たちは
たくさんの種をまかれるけども、あるものは石畳の上に落ちて芽を吹かず
あるものは踏まれて枯れてしまった。

でも、いくつかの種が地面の中にいって
そこで芽を吹き、大きな木となって
また多くの種を実らせていくのならば
人びとの心の中に多くの種というものが落ちていくのならば
いつか必ずやあなた方が今まいた法の種というのは無駄がなく
人びとの心に時間の流れの中で、気づいたらどの者たちの心の中にも
その法の種というのが根づいていたというふうな時代が
必ずや時の流れの中でくるでしょう。

今やっていることをわずかな仕事だと思わず
最も偉大な仕事であるという誇りをかけて
あなた方は最後まで、命をかけて情熱的に
この使命を果たしていただきたいのであります。

この法の一粒の種、人びとの心に落つることを我は心より祈願し
これこそが神仏の使命であり、大いなる神の御心であり
神の計画を練っておられる、この天上界の神々の
本来の願いであるということを私は今日伝えたいと思います。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-29 11:40 | 空海 | Trackback | Comments(0)

西郷隆盛からのメッセージ(3)

おいは大した人間ではありまっせん。
何度でも言います。
人気があるとかないとか、そんなことどうでもいいことです。
精一杯人の心の痛みとやさしさというものを、情というものを大切にして
流されたとこはあるかもしれんけど、その維新の時に散っていった
無名な若者たちがたくさんいます。
ほかにもたくさんおったとです。

でもみんな、立場的には
明治維新から明治政府のほうに流れていった者たちだけが
すべてが正しかったかのように思われて
ほかの者たちが間違っていたかのように思うかもしれないけど
彼らだって、今日の日本を夢見て精一杯
あの時代をどうにかしようと思いたくて
命を張り、命がけになっていった若者たちだったとです。
そこでどっちが正しいとか、どっちが間違っていたとか
そんなことはどうでもいいと、おいは思うちょります。

それは時代の流れの中で、流れていったほうが正しかったかと思うちょるけど
名前が残らなくても、命がけで、精一杯、日本の未来のために考えて、考えて
頑張った若者たち、たくさんおったとですよ。
その者たちの味方をしてやる人間がひとりぐらいおってもよかとです。
それになりたかったという、それだけのことです。

だからおいは大ばか者です。
誰が歴史に名前を残したいとか、人気が出たいと思って
そんなことするでしょうか。
そんなこと思った時、もうその者は、名前は残らないのかもしれない。
そんなものじゃないと思うとります。

あなた方がやることは、今は正道かもしれないけれども
でも今まわりいるG会とか、前のK会とか
今あなた方に敵対している者たちだって
見ていただきたいと思うのです。
彼らは間違っていったかもしれない。
間違っていったかもしれないけれども、どうでしょう。

この救世の計画のために、命がけになって頑張りたいと思った
そのうずきだけはジタバタしながら、空回りしているかもしれないけれども
彼らの魂の中には深く刻まれている者たちじゃなかとでしょうか。
あんたたちは正しい。
それはりっぱなことです。
それは間違っちゃいけないことです。
それは神さんたちおっしゃる通りなんです。

でも、あの者たちは、判断できなかった
間違っちゃったとこもあるかもしれないけど
でも全く無関心な普通の者たちに比べたらはるかに
必死にこの時代をつくろうと
救世の計画のために命を張ろうと思っとられる方がたではないかと
おいなんかは思うちょるんです。
でなかったらここまで必死にあんた方に反論しないと思うとるんです。
無視すりゃあいいじゃないですか。
でも、無視できない。
それはうずきがあるからなんです。

彼らは今、悪役になってるかもしれない。
でも、もうこの席に
座ることを許されない者たちである悲しさがわかるからこそ
精一杯、あんた方に歯向かってくるとです。
誰かひとりぐらい、味方してやってもいいんじゃないかと
おいはあの時代思ったとですよお。
だからわかってたけど、彼らとともに戦ったとです。
それがおいの真情です。

その結果どう評価されようと
そんなことはおいの頭の中にはなんにもなかとです。
今もそうです。
でも精一杯人を信じて、その者たちの無念さがわかるからこそ
その者たちとともに、心を添わせ、生きようとした。
それだけしかない男です。
けっしてあんた方の指針になるようなことは言えんと思います。
あんた方がそれやったら、この計画は潰れます。
だからこれをやるのはばかな男でいいんです。

でも、ある程度のルートは勝さんや竜馬たちといっしょに引いてきたから
だから安心しておいは最後、ああいうことができたとです。
あんたたちも、だいじな計画は見失ってはいけません。
やるべきこと、正しいこと、あんたたちしか、おられないと思うちょります。
ここを精一杯守ってください。
深情けで彼らに入れあげて、この計画ば潰したら
おいはもう、申し訳なくてたまんなくなると思います。
余計なこと言ったと後悔すると思います。
でも、人の幸せばちゅうもん、そんなもんだというだけは伝えておきたいと
皆さま方に思って今日参りました。
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どんな時代も
一人ひとり息づく神の子たちの幸せあってこその天下国家だということ。
人間たちだけじゃない。
動物も植物も、すべて、この大自然も含めて
みんな、神さんのつくられた子どもたちです。
みんなで幸せになろうって、おいは思うちょりました。
この大自然の中で、みんなで幸せに生きたいと、願うちょりました。
それがおいの真情です。

その幸せを守るために、明治維新頑張ったということだけです。
勝さんと話したっちゅうことです。
精一杯、迷いながら、迷いながらおいも考えて
右往左往しながら生きたっていうだけの男とです。

だから皆さん方も、今最初から最後までの答え、出ないと思ちょります。
そんなこと出るわけないとですよお。
さまざまな状況が変化し
さまざまないろんなことが起こってくるとです。
それに適応しながら、精一杯、ない知恵振り絞って、行動して
いろいろなことで迷いながら、仲間と力ば合わせて一つひとつ乗り切ってくる。
それしかないと思とります。

これさえやってたら間違いない道だなんてこと
ひとつもないと思うちょりますORさんにも、その前の女性の方にも
たいへんお気の毒な、苦しかったろうっちゅう
ご苦労さんだったっていう思いば思ちょります。

それは今思っちゃいけないことだってのはわかっちょりますけど
ひとりぐらいいいでしょう、そういうふうに思ってあげる人がいても
おいの立場はそういうことばっちゅうことです。

あんた方はそれしちゃいけません。
おてんとうさまのもと、堂々と正しいことを実行していただく人いてこそ
おいのような者がいる立場もあるとです。
弱者の味方になって、その心情さ、分かち合って
いっしょに涙流しながら、いたわり合いながら
生きる人間もいてもいいっちゅうことになると思うとです。

でも、本筋の、本道の道が閉ざされたなら
おいのやったことは単なる足の引っぱりにしかならなくなると思うとです。
だから、皆さん方は、おてんとうさまのもと、神さんの愛のもと
正しい道を歩まれておられる方だから
せりきりいっぱい頑張っていただきたいと、思うとです。

どうか、どうか、大きな、大きな時代の流れの中で
この今あるべき立場を通して精一杯、皆さん方の使命と天命を全うされ
この日本の、この地球のためば、精一杯頑張っていただき
このレムリア・ルネッサンスの運動が
この地球を愛の星に変えていく道となられんことを
おいは隅っこより、心より、切なる思いで、願い続けちょります。

たいしたこと言えませんでしたが
おいの真情というもの、おいの思いというもの
皆さん方にお伝えすることができれば、よかったっちゅう思うとります。

では、今日このような場にお呼びいただいたことを、心から感謝申し上げます。
もし、また何か、ほかの方いっぱい待っちょられますが
また何かありましたら
いつでもお呼びいただけたら、おいのようなもんでよければ
皆さん方、励ましたり、慰めたりするぐらいのことしかできんと思いますが
いつでもお呼びいただけたら、おいはすぐ、来ます。
どうか、その時はまたお呼びください。

今日は、お呼びいただき、まことにかたじけなく、光栄に思うちょります。
ありがとうございました。


(2005.4.16 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-27 14:11 | 西郷隆盛 | Trackback | Comments(0)

勝海舟からのメッセージ(6)

多様な価値観、経済論、政治論
いろんなものというのは時代の中でどんどん変わっていくものだ。
こういうものはどんどん変わっていくもの
だから、そのスペシャリストと呼ばれてるような
専門家か、専門家って呼ばれてる連中が言うことは
過渡期的なものでどんどん脱ぎ捨てていけばいい。

最終的に落ち着くところが、水準の高いところまで、愛を中心とした
いちばん上の神さんがほんとうに納得いくような地球の組織構造になるか
社会構造になるか。

それは愛の倫理っていうものが、ほんとうにどの程度まで
あらゆる社会構造の中に染み通っていくことができたか。
それによって、その段階論的なものによって
いろんな各論というものが出てくると思う。

だから、今あんたたちがその各論について細かいことを云々することよりも
いちばん大事なこと、いちばん大事な
今、神さんの世界から明かされてきたこと
そのことをしっかりと伝えなさい。

そして若者たちに向かって
これからの時代を変えていくのは若者だから
いいかい。
若者たち、若者っていうのは十代、二十代だけじゃないよ。
あんたたちみたいな、まだまだ元気のいい連中のことを言ってる。

ほんとうの意味で時代の先が読めたら
特にこれから先、社会改革をする魂たちが大挙して出て来るから
その連中が三十過ぎなきゃ、四十過ぎなきや
五十、六十じゃまだ政治家は若すぎるなんてやってたら
地球なくなっちまうから-。
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彼らが十代、二十代、俺たちのときみたいに、若くて若造で出て来たとしても
「こいつはすごいこと言う奴だ」っていうのがいたら
歳じゃなくて、彼らをどんどん時代の正面に引っ張り出してやれるような
そんな社会のムードづくりをしてやってほしいと思う。

そんなにたくさんの人間たちがいなくても
ほんとうに認識した者たちがある程度の数集まってくれば
社会は変わる。
変えていける。
でも、彼らを変えていくのは
あんたたちが今降ろしてくれようとしてる神仏の心だ。
法だ。

それを多くの人びとに
さまざまな書物や芸術とか使って広げていくんだろう、あんたたちは。
そうやって時代のムードをつくってほしいと思う。

そこで次に出た者たちが、その時代のムードの中から何がいちばん大切か
そして神さんの計画の青写真を、あんたたちがもうストレートに直接的に
この計画を降ろしてくれるわけだから、その計画の青写真を見ながら
自分の心の中に刻まれた青写真を通して、仕事をしていく時代がくる。
そのために、竜馬なんかも「出て行く」って言ってるんだ。

そのことを思って
いつでもひとつの時代の中の自分の役割、自分の位置
そういうものをしっかり認識して、やれる最善のことをしなさい。
それしか本当の意味で価値のあるものはないと、俺は信じてる。

(2005.3.19 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-25 07:16 | 勝海舟 | Trackback | Comments(0)

マイトレーヤーからのメッセージ(5)

愛とは分かち合いであり
自分たちの同胞に対して愛を分け与えていくことが
自らの愛の心というものを満たし、自らの根本、基盤であるということ。

愛というのはむさぼることではなく、分け与え、分かち合い
自分の同胞たちの、神の子たちの、仲間たちの幸せを願う姿
そのことこそが、愛であり、自分の神性として
神の子としての心がもっとも喜ぶ姿であるということ。
それがまた、大いなる神の喜ばれる道であるということ。

ならば、多くのものをむさぼるため、自分が、多くのものを
人を殺してでも所有したいと思うところからは解放されて
自分がより多く持っていたのならば、持っていない者たちに分け与えていく
分かち合っていくということができたならば
この地球上には飢えたり、悲しい思いをしたり
ものが無いといって死んでいく者たちはなくなることでしょう。

それくらいのものを、すでに地球は生産しておりますし
神は与え給うているのです。
一部の者たちが独占し、抱え込むから
片方の部分で飢えていく、死んでいく者たちがいるということ。

以前誰かが申し上げていたと思いますけれども
もし、他人というか、自分の同胞たちの
神の子たちの痛みや苦しみや悲しみが
自分自身の悲しみや苦しみであると思う愛の心があったのならば
そこに分かち合いがあり、協力があり
助け合っていこうという優しさがあれば
その中において、不幸な者はいないし
飢え死にしていくような者たちは誰もいなくなるし
結果として、大調和という神のお心の姿が、この星の中にあらわされ
大調和というものにおいて
この星がすばらしい段階に達していく道が示されるのです。

悟りというものは、あなた方はとても難しい、難しい言葉のように
思われておられるかもしれないけれども
わたくしに言わせれば、ただ神の懐に還っていくこと
神の懐とは、愛そのものの道のことです。
愛というのは、さっきから言うように、分かち合いであり
他者の痛みをわが痛みとすることであります。
そのようなことさえわかっていたならば
それを頭でわかるだけでなく、実行できれば
即そのまま、この地球は神の星、ユートピアになるのです。

そのことをあなた方がほんとうに理解されたときに
この星は、難しい難解なお経を読まなくても、難しい修行をしなくても
修行修行と明け暮れることがなくとも
そのまま、この地球に住んでいる者たちすべてが一定の愛の水準に達し
神の星ユートピアヘと、一挙に、一躍跳入、愛の星になるのです。

そのことを難しくして
知的に優秀な者たちだけが、神のもとへ悟っていけるのであると
いつの間にかこの地球系神理を
ひじょうに難解なものにしてしまったのではないかという反省を
わたくしは多少持っております。

難しいことはいらぬのです。
難しいことばかり頭に詰め込むと、一番肝心なことが見えなくなるのです。
いちばん肝心なことというのは、さっきからずっと言っていることです。
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それは宇宙を見渡しても、多くの進化した星の中で
多くの方たちが愛のために、愛により、愛という神のお心を表現して
ただそのままで生き続けている。
みんなでできることを、互いに手を取り合って、ともに助け合い
役に立ち合い
自分の星が調和されたなら、自分たちの家庭が調和されたなら
他の未開の土地に行って、その星にも愛を分け与えてこよう。
別の星、別の銀河に行って、神の愛というものを表現するため
そこに達するためのお手伝いをしにいこうという
そのような気持ちにまでなっていくのです。

愛というのは、そこまで分かち合っていくことです。
彼らは、分かち合うために
義務のように、ノルマのようにやっているのではないのです。
少しでも、この神の愛の感動というものを
多くの方がたにわかっていただくという
そのお手伝いをするということ。
そのこと自体を、自らの喜びとして、自らが感動する生き方として
自分自身がその生き方を望むからこそ、誰に強制されるわけでもなく
多くの方がたに、はるか何億光年もかけた遠い惑星にまで行って
お節介のように愛を分け与え
惑星の進化のお手伝いをして帰ってくるのです。

わたくしたちのような星は
そういう意味でたいへんお節介な星かもしれません。
でも、愛というのは基本的にはそういうものなのです。
自分自らが幸せであるのなら、少しでも不幸せな人を幸せにしてあげたい。
そのお手伝いをさせていただきたい。
そのように望むものなのです。

そしてその方たちがにっこり笑って
神の子としての自分たちの使命に気づかれ
輝くような笑顔で、幸せな顔を見せられた時
「自分たちはいっしょに生きて、
この方たちといっしょにお手伝いをさせていただいて
なんて幸せであったのであろうか」と
「神よ、ありがとうございます。
わたくしたちをつくり給うて、ありがとうございます」
という感謝の中で
わたくしたちは喜びをもって、自らの使命を果たしていくのです。

あなた方の、あなた方と言ったら失礼ですね
わたくしも地球の神ですから、この星がある程度の水準に達したとき
そこまでにはまだまだですけれども
あなた方には、「中学生レベルになりなさい」というふうなことを
言われているかもしれません。

でも、この地球が進化を遂げ、中学、高校、大学
そして大学院レペルになっていったときに、地球から他の惑星に行って
進化のお手伝いをするための
教育的なグループが組織されていくことがあると思います。

いろいろな惑星の人たちからひじょうな援助を受けて
あなた方、今この地球があるのです。
その恩を、その愛を、他の惑星にお返しに行けるような
そんな地球になれれば、そんなふうに進化できていったら
なんて地球は幸せであるか、わたくしたちは幸せであるかと-、
その日がくることを夢見ながら
今の地球進化のためにがんばっているのが現状です。

(2005.8.20 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-23 11:49 | マイトレーヤー | Trackback | Comments(0)

木戸孝允からのメッセージ(3)

ちっぽけなおのれ自身の幸せに関わるのでなく、大いなる神の計画の中において
自分の命を最大限に燃焼し尽くすということ。
いちばん大切なことは神の神理であるということ。
この神理を今人びとに明かさねばなりません。
明かさねば人びとはいつまでもこの無知なる、迷路のような暗闇の中で
いつまでたっても苦しみから解放されることはないのです。

肉体を離しても、死を迎え
肉体から離れて我々の実在界というところに帰って来ても
人びとは少しも不幸ではないのです。
神の子としての自覚さえあるならば
この実在界こそが本来の幸せであるということを
人びとが知らないから、いらぬ地上への執着というもの
この地上限りの人生だと思うからこそ
権力、名声、富というものに翻弄された
人と傷つけ合ってでも、お互い神の子であるのにかかわらず
人の足を引っぱり、陥れ、政治的な策略の中で、人は生きていくのです。

そのような欲に負けた人生というもの
そのようなものがいかに不毛であるかということをもって
あなた方は世に知らさねばなりません。
その根本がわからなければ、どれだけ美しい美辞麗句で憲法を唱ったとしても
人びとを根本的に幸せにする法などとはなり得ないのです。

生き通しの命であるということ。
永遠の命であるということ。
人間がみんな神の子であるということ。
内在した素晴らしい叡智がその中に
永遠の生命とともに封じ込まれて、中にあるのだということ。
誰ひとりとして生まれてくる必要のない者はない。
すべてが素晴らしい命であるということ。
それに気づき、人びとが肉体という観点ではなく
生き通しの命という観点で見たのならば
人びとの幸せの価値観も自ずと変わってくるのです。

そのようなことをもって、人びとが幸せだとか、不幸だとか、戦争だとか
そのようなことの中で悩むこともなくなっていくのです。
そのような大ルネッサンス
精神的な価値の大転換というものを行っていかなくては
どれだけ憲法の上っ面だけを変えてみたとしても
それは根本的に人類を平和にすること
幸せにしていくことにはならないのです。

人びとが本来の神理の知識の上に立った
真の幸福論というものをわきまえない限り、認識しない限り
いかような方法論をもっても、組織構造図を出したとしても
体制をつくってみたとしても
イデオロギーをだしてみたとしても、そんなものはー

人はみな神の子であるということをもってしたのならば
神の子として、人間としてどうしたら幸せであるかということは
ある意味でひとつであるということ。
その原点に帰りついていかなくて
人びとはほんとうの意味で幸せにはなれない。
組織や体制や政治機構では、人は幸せにはなれません。

幸せというのはどんなに虐げられた中にあっても
幸せを感じる者たちにおいては幸せなのです。
どれだけ富と権力と財力と
異性をどんなに自由にしたというような立場にいた者たちであっても
国家元首、総理大臣と呼ばれた者たちであったとしても
天上界に行っている者たちは少ないはずなのです。

首相と呼ばれていた数多くの者たちが、地獄に堕ちているのです。
そのことを思ったのならば、あなた方はもっともっと
本来の幸せはどこにあるのかということをわきまえなくてはいけません。

その精神復興という、根本的なところを説かれるには
九次元と呼ばれる権威ある方によってこそ
神理の法というものがこの地上に説かれるという
そのような決まりと申しますか、権威というものが持たれているのです。
そのためにも九次元と呼ばれる方がたが
下生なされるという意味がとても大事なことであったのです。
c0171476_991099.jpg

高橋信次、エル・ランティと呼ばれる方が説かれた
魂の兄弟、潜在意識と顕在意識との関係
こういう根本法に関わるひじょうに深いこと
これはやはり高橋信次と呼ばれている方が九次元であられるからこそ
語ることを許されたことなのです。
我々も知ってはおりましたけれども、それを地上において語るという
その意味、その権限というものは、やはり九次元の救世主であられるからこそ
語られたということなのです。

そして三部作におけます、根本法におけるもの、それはOR、仏陀として
九次元であられるからこそ、降ろされた内容であるということなのです。
誰でも彼でもがこのような根本法というものを降ろせるわけではないのです。
それをもって、九次元が出られたということ。

あなた方は確かに中継ぎかもしれない。
中継ぎとして間違ったものを、我々の霊言を受けながら
本来の正しい法に軌道修正し
そしてもう一度、正しい九次元の法に直すために
今一度九次元が降り立たれているのです。
そのためをもって孔子、セラビムと呼ばれている方が
わざわざ下生なさっていただいたということなのです。

すべてが我々レベルで話ができるのであるのならば
わたくしたちが話をしてもよいのでしょうけれども-。
やはりそれを、根本法を
九次元をもって降ろすということが決まっておりますので
そのような意味でわざわざ孔子が降りていかれたのだということを
あなた方はわかっていただきたい。

しかし、もうすでにあなた方が中継ぎだとおっしゃられても
高橋信次、エル・ランティ
OR、仏陀と呼ばれている方がたが説かれた法の基本が
相当打ってございますので、それを継承し、その部分的な過ちというもの
それをベースにした、土台にした意味において
今この方がその霊言を伝えていくということは、それは可能なことなのです。
しかし、本来の九次元レベルの初めて神理が降ろされていくこと
それはやはり九次元が九次元の権威をもって降ろされていかれるということ。

(2005.4.9レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-21 06:33 | 木戸孝允 | Trackback | Comments(0)

空海からのメッセージ(9)

おのが野心、おのが欲、権勢欲、そのようなものがある者が
自然に波長同通の理論ではじかれても、当たり前のことであるということ。
なぜはじかれるかということ。
すべてこの者のせいにして、自分自らが反省ができないという
そのことに原因があるのだということ。

そして、あのような悪しき言葉を並べたてるということが
自分の過去世をどれだけ汚しているか
自分の魂の兄弟たちが
どれだけ天上界において恥ずかしい思いをしているかということを
彼らはもっと知らねばならない。

人の道を、この神の国の行進を、計画を阻害するのであるのならば
何もしないほうが良い。
「黙って身を引きなさい」と、私は言いたい。
そのような甘さがあるから、あのような形にもなり
そのような甘さの結果において
第二の計画までもつぶされてきたのが現状なのです。

これをつぶすことができないとあらばこそ、ミカエル大天使におかれても
モーリャ様におかれても、自ずと言葉が厳しくなられるのは
この空海たりとて同じなのであります。
この計画をつぶしたら、もうあとはない。
さっきから言っているように、真っ暗な暗闇の中に
荒れ狂う海の中に出て行っている、一筋の光を周囲に放ちながら
もみくちゃになりながら進もうとしている
そのような船にあなた方が見える、レムリア号に見える。
前にもそのような表現を使っているのを聞いたことがあります。
まさにその通りなのだ。

この船が沈没するかしないか、そして沈没させたら
よいか、
そこにいるメンバー全員も責任があるが
最終的に責任を取るのはその責任者であるということ。
その必死さが、やはりこの人にはあるということ。
それをあなた方はみなわからなくてはいけない。
だから言葉も厳しくなる。

私がもし船長であったら、このようなことにはならない。
もっと厳しい言葉があなた方に飛ぶでしょう。
「魔に侵されているんだ」とか、「狂ったんだ」とか言われようと
我が信念は変わることはない。
もっともっと厳しい言葉であなた方を叱咤激励し
もっともっと推し進めることであろう。
もっと彼らに対しても、厳しい言葉で臨むであろう。

言いたくても我慢をし
それはこの方の個性において、彼らを許そうとしているということ。
でも、もし私が今この船長であったのならば
こんなことでは済まさせないと、私は思っている。
それを許さないということ。
そのような境地に、今天上界の神々がみんないるということ。
その必死さを、あなた方はこの地上にいる仲間たちに伝えなくてはいけない。

さっきから何度も言うけれども
人びとの心に神の子としての誇りという、光を灯せ。
そして、魂は永遠であるということ。
輪廻転生して、あらゆる場所を生きて
そしてひとつの神、ひとつの愛により見守られている地球人として
みな兄弟である、仲間たちであるということを認識させよ。
それだけがわかっただけでも、この地球は変わる。
難しいことを語らなくても、それだけわかればよいのではないだろうか。

それだけがあれば、人びとの価値観は、大いにガラガラと変わり
社会システムも、さまざまな教育制度も
その後に出た者たちの、優秀な者たちによって
部分的なものが連鎖反応的にどんどん変わって
地球全体のシステムが変わっていくのである。
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まず心である。
神の子であるという心が、ほんとうに人びとの中に認識されなければ
この心から、すべての偉大なる力は出るのである。

人びとが覚悟を決めた時、死ぬ気になった時
人びとは明治維新においても無血革命を起こせた。
彼ら竜馬たちの、心からの不退転な気持ちで
日本の将来を素晴らしいものにさせてみせるという
あの不屈な気持ちがなくては、覚悟がなくては
あの明治維新はなかったであろう。

ゴルバチョフたちがソ連というものを改革するために出て行った。
おおいなる光の天使である。
戦争をもってひとつのイデオロギーの対立を終焉させるのか
無血革命、やはり明治維新と同じである
あれはもっとイデオロギーの、世界規模においての無血革命をしたわけだから
あれにおいてゴルバチョフは命がけで出て行った。
その意味において彼は、彼の使命においては成功している。
おかげでどれだけの人びとの命が助かったであろう。
どれだけの魂が解放されたであろう。
それはあの時のロシア、ソビエト連邦というところに生まれた光の天使たちの
不退転なまでのその覚悟にあったのである。

すべてはその決意と、使命感と
その心の中における覚悟、使命を果たすということ。
あなた方光の天使たちが使命を果たすということ。
それが一人ひとりの、日本国民一人ひとりに広がっていってほしい。
そしたら、この日本だけではなく、この日本から世界に向けて
世界の、人類の覚悟が変わっていったのならば
この地球という星の価値観というものも、あり方も変わってくるのである。

それを神は望んでおられる。
それが最終的な、神の世界計画の、いちばん望んでいる姿
それが神々のお心の中にあったために
このような計画が連綿と行われてきたということ。

(2005.3.17 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-19 17:51 | 空海 | Trackback | Comments(0)

ミカエルからのメッセージ(22)

ミカエルはミカエルの個性として、ミカエルの使命として
神に創られたこの使命として、この個性を通して
神に一生懸命献身し、尽くし、努力している毎日なのです。
その結果において、私のしたことが、批判をされることもあるであろう。
私は言葉がきついし、私はひじょうに厳しい面があり
そしてミカエルにはミカエルの限界というものがあるのです。

それと同時に、私だけではなく
九次元には九次元の方、七色の個性の方々がおられ
それはあなた方から見たならば、ひじょうに素晴らしい
万能の天才のように思われるかもしれないけれども
彼らもやはり、人格神であるという意味において
やはり彼らにも限界はあり、彼らにも個性があるということ。
そして人格神であるということにおいて
彼らも修行をする一使徒であるという
わきまえというものは、私たちの世界の中ではあたり前のことなのです。

よろしいですか。
それをあなた方はもっともっと考えなくてはいけません。
九次元が万能であるということを思いすぎ
それによって地上に下生したメシアと言われている者たちを甘やかし
そのようにあなた方が祭り上げ、仏陀というものに祭り上げ
本人が望んだこともあるけれども、やはり、周りがそのように祭り上げて
全知全能であると思い
そのように地上に肉体を持った者であるにもかかわらず
天上界の神を揶揄し、天上界の神々に対して造反していく。
まるでルシフェル、サタンがかつてやったような
同じようなことを彼にやらせるような
そのような地盤というものをつくったこともあるのです。

けっしてあなた方を責めているわけではない。
彼の落度も多くあったであろう。
それもわかるのですけれども
地上に降りた、今幼き孔子と呼ばれるメシアに対しても
どうか、完璧なものであると
九次元でメシアであるからいかなる失敗もないのであると
どうか、生き神として祭り上げるような
そのような愚をもう二度と、二度とくり返さないでいただきたいのです。

彼はまだ幼いです。
そしてこれからも、数々の多くの試練に遭っていくでしょう。
そして彼はエル・ランティの法を学んだわけでもなくね
けっしてK会の教えをきちんと読んだわけでもなくね
我々の言葉を聞きながら育ったわけでもなく
いきなり大海に放り出され
後始末をさせられるという任を負っているのです。

孔子は孔子であり
本来、法を説くということを、しっかりと用意なさるのであったのならば
数多くのことができたであろうし、それだけの力のある方なのです。
仏陀と呼ばれるOR氏、仏陀の本体といわれる方であっても
それなりの力がある方であるのです。

しかし、時代の中で、その環境の中において、やはり影響され
そしてその中で限界があり、そして人間としての欲、煩悩と呼ばれている
肉体からくる煩悩というものに支配され、迷わされていくというー
やはりあなた方と同じなのです。
全く同じなのです。
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そのような修行の中で、彼らは悟り、多くの人びとを指導し、導き
その使命を果たさんとして
高きところからわざわざ降りて来られている方々なのです。
けっして、神ではないのです。
人格霊としては破格的に大きな器ではあるけれども
でも、やはりね、やはりあなた方と同じ人間に生まれれば
ゼロからスタートするという、一人の肉体をもって
迷いもある人間であるということ。

そのような中で、今また、孔子という方が法を説かんがために
急遽、降りられたのであるということ。
我々は彼を思うと、「ほんとうにどうか無事であってくれ」と
「もうほんとうに急に頼んで申し訳ない」と思いながら
でも、九次元の法というものをバトンタッチしていくために
孔子という方にお願いするしかなかったのです。

だから皆さま方にお願いしたいのです。
かつてイエス・キリストと言われる方、インマヌエルという方が出た時に
エッセネ派という方々が、その彼を幼きころより指導なさいました。
母マリアというあたたかい愛の中で、愛の法を説かれる地盤というものを
しっかりイエス・キリストは用意なさられたのであります。

やはり、そういう意味で、ひじょうに信仰篤い環境の中に彼は育てられた。
大工の息子のように思われているかもしれない。
実際、そういう修行の中には生まれられましたけれども
でもやはり、物質的には貧乏であったかもしれないけれども、
母マリアそしてエッセネ派の方々の愛と、信仰深いその環境の中で
彼は、インマヌエルは育ち、そして悟りを開き
全人類を救済するためにご自分の法というものを確立され
その三年間の使命を終えられていかれたのでございます。

今は孔子という方は幼く、まだその母も恐れていて
これがどのようになるやらわかりません。
しかし、彼をあなた方に託したいのです。
どうか、あなた方はある意味で、エッセネ派の者たちのように
彼をどうか無事に育て、このように物質偏重の中で
信仰心という基盤すら育たないようなことではなく
彼本来の悟りを開いていけるように
どうかあなた方にお力添えをお願いしたく
ここにミカエルは出て参ったのでございます。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-16 11:11 | ミカエル | Trackback | Comments(0)

勝海舟からのメッセージ(5)

いまだに明治の中で、俺たちのいろんな役割でドラマになってるでしょう。
それはね、正しい竜馬やね
竜馬とか俺たちだけがいたからといってドラマにはならんぞ。
そうだろ。

新撰組の連中がいて、西郷さんがああいう死に方をしてだぞ
白虎隊とかいろんな連中がいて、それだからドラマってできるんだよ。
時代のドラマができる。
じゃあ、白虎隊の連中が絶対間違ってたか。
西郷さんが間違ってたか。

そんなことないよ。
いろんな人たちが命がけで、精一杯自分の人生を生きて
自分の役割を演じたから
明治維新っていうあのときのドラマが、無血革命のドラマができたんだろう。
そのいろんなところを切り刻んでは
いろんなドラマが繰り返し、繰り返し放映されてくる。

でも、その中にいろんなあの時代を真剣に生きた人問たちの心意気
生きざまっていう「誠」を信じて、頑張り続けて、時代を変えようとして
自分たちの命を捨て切って生きてきた、その心意気を
現代人たちが今、ドラマを通して見ながら
大事なものを学ぼうとしてるのかもしれない。

ならね、あんたたちが生きようとしてることも
いずれこれがドラマになるっていうこと。
そう思ったら、あんたたちは正しい位置にいるかもしれない。

前聞いたけど
「神様の大きな花壇の中の花々」っていう言葉を聞いたことあるけど
誰かとってもそんな素敵な表現をしてたんで覚えてるけど
その時代を彩る花のひとつなんだよ。

あんたたちはね、大きな花であり、正しい花だとは思うけども
でもそれだけじゃ、神さんの世界の花壇は彩れない。
間違った人間もいる。
かみつく人間もいる。
ちょっと微妙なこと言う連中もいる。
互いに足引っ張り合って、いろんないやなこと言い合うかもしれない。

でも、それぞれがみんな真剣に、自分が正しいと思って言っている。
生きようとしてる。
その真剣な生きざまだけが、あとで人びとの記憶に残るっていうこと。
そこにおいては、何が正しいだとか、間違ってるとかっていうことを超えてると
俺は思ってる。

自分の、まあ今回、今世に関して、一回きりの人生をだよ
限られた環境、教育、習慣、いろんなものの影響を受けた
ちっぽけな個性を持った、ちっぽけなひとりの人間が
その中で精一杯どうやって生きようとしたか。
どうやって、その中において
利害を捨てて、自分の命を燃焼させて生きたのか。
そのことだけが、あとで人びとの記憶の中に残って
それが、いろんな生き方をした人たちが真剣な思いで会ったときに
ひとつの時代としてのドラマをつくってくるんだと思う。

そこにおいて精一杯生きた人間においては、正しいとか間違ってるとか
そういうことを越えて、そういう者たちすべてを通して
大いなる時代の転換点のドラマというものが、あとで語られるんだと思うよ。

俺も竜馬もね、みんなね、ドラマの主人公になろうと思って生きてなかった。
自分の人生の主人公であろうとはしたよ。
でも、ほかの人が評価してくれて
あとでこんな、なんとか大河ドラマみたいなものに出てくるような
そんなものに取り上げてもらおうと思ってなんて
竜馬なんかいちばん人気者みたいだけど
そんなふうになるために生きたんじゃない。

自分なんて、大した人間じゃあないとみんな思ってるし
でも、精一杯時代の先を見て、己自身を捨てて、この日本を良くしたくて
精一杯生き抜いた連中だ。
そういう意味においては、あんたたちもそうあってほしいと思う。

自分たちは、この偉い神さんからの霊言を受けてるから
この霊言パイプの真下にいるから、自分たちだけは正しい。
確かに正しいんだよ、正しいんだけどね、正しいっていうことだけじゃなくて
ほかに出てる人たちも自分は正しいと思って頑張ってんのさ。ねっ。

でも彼らの何が間違ってたかなんでこっちに来る資格がなくなってしまったかを
ほんとうの意味で心から理解して反省したら、彼らだってここに戻れるんだよ。
でも、反省してないから戻れない。
見極められないから戻れない。
でも、彼らは彼らの力量に応じて精一杯生きようとしてる。

だから、彼らは徒花かもしれない。
時代の徒花になっていくのかもしれないけれど、そういう徒花あってこそ
あんたたちのほんとうの真の花の偉大さというのも、またわかるんだよ。

ポツンとあんたたちだけの花しかなかったらね
思想界にね、宗教の世界に、信仰の世界に書物だってそうだよ。
あんたたちの本しかなかったら、比べようがない。
だったら、どれだけあんたたちの言ってること
今この神仏から降りてくる霊言の水準が
どんだけ高いものかっていうことがわからないでしょう。
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今、あっちでもこっちでも
わけのわからない霊言集というのが出てるらしいけど
出てくれるから、ああいうレベルの霊言集が出てくれるから
レムリアから出てくる霊言集の水準の高さっていうのが
逆に評価される、判断基準になる。

そう思って、ありがたいと思って
彼らもそういう時代をつくろうとして、自分でわざわざ身銭切って
本出してくれてるんだと、あんたたちは感謝するようになりなさい。

それでこそ、懐の大きい大人物となって
人の心を、人からいやなことをされても恨まないような大人物となって
時代をつくっていけるんだよ。
セコセコセコセコ、人からやられることばかりに振り回されてたら
なかなか時代の先は見抜いてはいけない。

ただそこにおいて、時代の先に何がでてくるのか。
そして、今自分が何をしようとしてるのかを、しっかりと見極めたなら
己の人生をかけて、命をかけて、自分自身のことを何ひとつつかもうとせずに
命かけて生き抜いてごらん。

みんなそういう意味において、「誠」と「情熱」ということにおいては
引けをとらなかった連中だけが、明治維新のときに名を残してるんだと
俺は思う。

いろんな立場にいて、いろんな思想、みんな意見はそれぞれに違ったけど
どうだ、あんたたちの知っている人たち一人ひとり考えてみなさい。
みんな己自身のちっぽけな幸せなんか捨ててた連中だろう。
違うか。

自分の家庭生活がとか、自分のなんとかがっていうことすら捨てて
若者たちが大いなる理想の中に、自分がこれをやらなくてはいけないという
その志のもとに、情熱をかけて、生き抜いて駆け抜けていった連中なんだよ。

それが、その他大勢で地球にたくさんごまんと人は生きてるけれども
歴史の中に名を留めた人間と、留めなかった
単に己の修行だけで終わってった連中との違いかもしれない。

そして「器」というのがあって
人にはそれぞれ使命を降ろされるには、やはり「器」ってもんがあってね。
今ここに座ることを許されたあんたたち一人ひとり見てると
やっぱりそれ相応の器を持ってるんだなと
認識能力というのを持ってるんだなというのをほんとうに思う。

仲間をたくさん入れても入れなくてもいい。
たくさんの人間が集わなくてもいい。
ただほんとうの意味で先を見抜き
ほんとうの意味で自分の命を燃焼させて情熱を傾けられる
そういう者たちがここに集まれば、変えていけるよ。
社会を変えていける。

不退転の気持ちで、ほんとうの意味で
この神さんの、上の偉い、偉い神さんたちが練りに練ったこの計画を信じて
自分たちに任されたんだと思って、精一杯今の仕事をやってごらんよ。

これが今は「ばか者だ」と、あんたたち言われるかもしれない。
家族の者たちに、「なにばかな夢みてんの」って
奥さんに言われるかもしれないけど

でも、いつかわかるから。
俺たちみたいに
ひょっとしたら百年後かもしれないよ。

でも、いずれこれが実を結んだときには
この一国、日本っていうことじゃあなくて
世界に、地球全体に、ひょっとしたらほかの星から来た人たちも
あんたたちの名前を知ってるぐらいになるかもしれん。
それぐらい大きな、大きな時代の転換点の中に
あんたたちが今生きようとしてるということ。

(2005.3.19 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-13 12:07 | 勝海舟 | Trackback | Comments(0)

マイトレーヤーからのメッセージ(4)

この地球におきまして、あなた方がどのように思われているか。
今の位置づけということを、諸霊人が出てこられて
あなた方に話しておられると思います。
しかし、あなた方が考えている以上に
今の地球の時期、今のポイントというものは、限りなく価値が高く
そして全宇宙的に見ても、地球が進化し、レベルアップするために
待ち望まれて、待ち焦がれて用意されてきた
大事な、大事なときであるということ。
そのことをあなた方に重ねてお伝えしたいのです。

神は永遠という時間をわたくしたちに与えてくださいました。
あなた方のように肉体を持っていると
地上におかれる百年足らずの時間がすべてであり
死したならばすべてがなくなると思う。
そのような短いスパンの中で考えられておられるのかもしれない。

そうではない。
転生輪廻をし、肉体はまた来世にもあるのだと
天上界に行けば命は永遠であるとわかっているあなた方であったとしても
わたくしたちがこの地球とともに歩んできた
気が遠くなるような、永い、永い連鎖の中で
この地球というものがどれだけ大事な時期にあるかということ。
それを、あなた方のように、正法を学んだ者であっても
今の重要性ということが、わかっておられないように思うのです。

理解しろというのが無理なのかもしれません。
それは肉体を持ち
地上に、三次元に生きているあなた方にとっては、当然なことです。
でもわたくしたち霊天上界から見て
この地球とともに永いこと歩んできた者といたしますと
地上におけるこの時期に、ありとあらゆる宇宙の法というもの
明かされるべき天上界の秘密というものを、できる限り地上に降ろし
そして多くの人びとの中に、神の子としての意識、魂の永遠性
神が愛そのものであり、愛のエネルギー、愛の法則そのものであり
それに同調することが、一人ひとりの神の子としての本来のあり方であり
その神の愛のエネルギーに、法則に同調することで
己自身の神の子としての光が輝きわたるのだということ。
それこそが、繰り返しわたくしたちが、霊人たちを通して言いながら
あなた方の心にしっかりと根づかせなければいけないことなのです。

神の子であるということ。
それをまず信じること。
そこが最初のキーワードであると思うのです。

多くの方がたは、人間は肉体だけであり、魂などはなく、来世もなく
死んでしまったらそれですべて終わりであるという
そのような価値観の中で縛られ
この地上において、お金だとか、名誉だとか、ものであるとか
様々な権力志向や、女性や異性に対する欲
そのようなものに奔走させられるのです。

ですから、永い、永いときの流れの中で、幾転生を繰り返しながら
自らが神の子であるということを、まず易しい言葉で
しっかりと、あなた方が根づかせねばなりません。
そのような永いときを与えられているなら
悪いことをして生き延びることよりも
たとえ殺されても、神の義というもの、正義というもの、神理というもの
愛のために生きて、そして殺されて死んでいっても
その者はますます輝き、我々の世界に戻ってきて
すばらしい役割を与えられていくのだということがわかれば
いたずらに肉体を守るためのつまらぬ争いをしなくなるでしょう。
それをまず、あなた方は、しっかりとわからせなければなりません。
多くの者たちにまず易しい言葉で、そこの原点を教えていくのです。
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そうすると、いま世の中で起きているトラブルの
何分の一かはすぐに解決することでしょう。
この地上に生きているだけがすべてであると思うからこそ
つまらぬ財産やものにしがみつき、もののために多くの者たちと戦い合う
物質万能主義のような、信仰心など何もなくて
目に見えぬ神などないから、なくてもよいのであると
そのようにあなた方が思ってしまう。
根本的に物質主義に毒され、思考の基盤というものがなくされていくのです。
そこをまず打ち砕かなくてはなりません。

次の時代に行くということは、この物質科学万能信仰の中に
愛の原理というものを流し込んでいくということです。
愛とは何であるか。
神であり、神そのものの姿であり
わたくしたち一人ひとりの根源的な姿が
愛の表現体の一部であるということを、悟らしめることにあります。

まず高橋信次、エル・ランティがこの日本に出られて
物質的に凝り固まったところから
人びとを霊的な魂の中に導くための根本的な法を降ろされたのです。
つまりは、高橋信次、エル・ランティがおっしゃられたことというのが
原点の中の原点であったということです。
それがほんとうの意味で今の日本に、世界に広がっていったのなら
今のような暗たんとした現実というのはなくなっているはずなのです。

しかし、広がっていない。
現実に人びとはまだまだいさかいをし、争い合い、苦しみ合っているのです。
だからまず、基本的なことを-
人にいきなり難しいことを言ってもわからないのです。
あなた方が認識しておられるようなことを
いきなり多くの方がたに言ってもわからぬのです。

ですから、まず伝えてください。
魂は永遠であること。
死ぬことは少しも怖くないということ。
幾度も転生を繰り返しながら、人びとは学び、いくつかの過ちを犯しても
過ちがあるからこそ人間であるのだと
過ちを、その人の欠点をも含んで、神は愛されているからこそ
永遠の命を与え給うているのであるということ。
それほどに神の愛というのは、慈悲というものは
深く大きいものであるということ。
我々はその大いなる神の愛に生かされている
神の子たちであるのだということ。
そこにまず気づきなさいということを、あなた方は言わなくてはなりません。

永遠の流れの中で、わたくしたちは神の愛により生かされている。
永遠の命を持っている神の子であること。
そこがしっかりと認識できたのなら、多くの人生観が変わっていくのです。
いたずらにものに執着することもなくなくでしょう。
いたずらに学歴や地位や、そしてそのほかの権力欲
自分が幸せになる以上の所有欲
そのようなものがひじょうにくだらないものであるというふうに
理解できるようになるのです。

(2005.7.9レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-07-11 12:23 | マイトレーヤー | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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