地球を愛の星へ

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マヌからのメッセージ(19)

昨日も「あなた方のまわりについている鎖を取りなさい」ということを
言われたでしょう。
大事なことなのです。
僕が男女の法を説く意味の中で、昨日エリヤが言ってくれたことは
基本的な認識として必要なことなんです。

鎖というもの。
それは、鎖をもって自分を統御することで、放縦に流されず、自らを律して
神理の道に、学問の道に
そして救世の初期には、鎌倉仏教や、原始キリスト教、仏陀の教え
多くの貢献をあなた方はなさってきてくださったのです。
自分自身のやりたい放題なこともしないで
人生の限られた時間とエネルギーを神に奉仕するために使う
そういう人生を送ってこられた。
その意味では、自己を律することは、ひじょうに尊い教えでもあったのです。

八正道において、自分自身を中道に保ち、自身を神の方向に向け
正しさを追求する中で、エネルギーを神の方向に、プラスの方向に発揮し
人類に貢献するための道として
教えを堅く守って普及してくださったというのが
あなた方の過去世の姿そのものだったのです。
今は、そこから一歩先のこと
一歩進んだ法を説く時代がやってきたということなのです。
そこをご理解いただきたい。

けっして、独身で、一生懸命自己を律し
学問や、神理の道に励んでこられたあなた方の人生が尊くないとか
間違っているなどと言ったわけではない。
それは尊い、尊い姿であったのです。
その姿があったからこそ
今日の、これだけの法を降ろせる時代をつくることができた。
あなた方の過去世のお仕事があったからこそ
僕らはこの愛の法、宇宙の法に至る法を説く時代を
やっと招くことができたのです。

ですから、そこを極論して
今までやったことがすべて間違いであったというふうには
とってほしくないのです。
発展段階として多少の個性はあったとしても、ここまで神理というものを通して
多くの人びとが神に至る道というもの
そして、神に至るために自分をどのように研鑽し、努力したらいいか。
愛の言葉を通して自らの魂を高めることが、どれだけすばらしいことか。
そのことを学んできたキリスト教や仏教や
ユダヤ教やイスラム教の歴史があったということなのです。
それは、すばらしい過程であったということ。

そして、それぞれの宗教の中から、ひとつに地球教として統一されていく
そういう時代がきたということ。
人びとは、今でもイスラム教や、仏教やキリスト教という枠の中で
自分たちの救世主やドグマや戒律によって、殺し合いまでしている
まだまだ幼さのある時代なのです。
エリヤが言ったように
「視野を広く持ちなさい。そうすれば鎖はなくなる。
それが宇宙の法である」と。
まさにその通りなのです。
地球がひとつの星である以上、いくつもの宗教などは、本来はないのです。

地球の神はひとつであり、天上界はひとつであり、神の子たちは一丸となって
神の指淳のもと、天上界の指導霊のもとに
大いなる宇宙の根源に至る道を見つけ、地球だけでなく
地球以外の星の者たちに対しても愛を差し伸べていけるような
そのような精神的段階に至らなくてはいけない。
この計画で繰り返し言われているはずなのです。

男女の法も
今までは、まだまだ自分のほんとうの魂のパートナーにはめぐり会っていない
でもどうでしょうか、最初から自分の魂と出会ってしまっていたら
魂のパートナーと出会ったときの喜びがはたしてわかるでしょうか。
失われていたからこそ、見いだしたときの思い、喜びは
愛の思いは深いのです。
感動も深いのです。
だからこそ、神は一時的に、自分の魂のパートナーを別々のところに分けて
わからないように生まれさせていくのかもしれません。

その中で、多くのことを人類は学びました。
多くの女性も、女性原理がどういうもので
そして、どのように愛というものが
自分の根源的なものに埋め込まれているか
男性における愛の原理というもの、女性における愛の原理というもの
その宰福感はまた別のものがあるのです。

女性というものはやはり、いかなる悟りがあろうとも
「この地球すべてをくれる」と言われたとしても
愛をその命の中心に、魂の中心に据えて生きていく、そういうエネルギーであり
男性は、その女性の愛を受けながら
自分自身の魂からくる叡智、智慧、行動力を通して
進歩発展のために、自分の仕事に全身全霊で打ち込めたときに
限りない幸福感があるのです。

しかし、それはひとりでやるものではなく、愛する女性の愛を受けながら
自分の智慧、叡智を、神に期待された個性を発揮できてこそ
自分のエネルギーが満たされた幸福感がに与えられるということ。
そのことを、もう人類は学んできたはずなのです。
もうそろそろ、それを認識して
その段階に至らなくてはいけないということなのです。

男性の聖職者たちが女性と結婚することや
女性の法を求めたい者たち、巫女さんや、尼さんや
シスターでいる方たちが、男性と結婚していくことが
ひじょうな罪悪感をもって、魂に刻まれておられる方が多いのです。
でもそんなことは全然ない。
異性を愛し、異性に愛されて幸せに生きることは
本来神が望まれていた根源的な姿であるということを
受け容れる段階が来ているのです。

そこにおいての罪悪感などは
一度たりとも神の世界において、言ったことはないのです。
いつの間にか、人びとの偏見と
自分たち自身の中で、罪悪感がつくられてしまった。

キリスト教でも、原罪説のようなものの中で、自分自らを卑しいものとし
罪の子という意識とレッテルを貼ることで
自分たちが謙虚でいなければ、とうてい神の道には至れないなどという
そのような思いがあるのです。

そんなことをインマヌエルはひと言も言わなかった。
そんなことはひとつも言っていない。
迫害された、娼婦と呼ばれた者たちですら、インマヌエルは愛され
そして、取税人と呼ばれていた
その時代で最も卑しい職業として軽蔑された者たちですら
取り巻きの中に置いて、ひじょうにかわいがっておられた。
そういう方であったのです。
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あの素朴な、愛深いインマヌエルの性格、イエス・キリストの性格の中に
どこを探したら、あなた方は悪い罪の子であるとか、原罪があるとか
常に正しい道にいなければ駄目だとか、そんなことを
人を裁くような言葉があるというのでしょう。

「汝、人を裁くなかれ」愛の教えの中で言われたのにもかかわらず
中世のキリスト教の中においては、人びとをがんじがらめにし
原罪というものの中で人びとの魂を縛り、鎖に巻き
そして、多くの人びとから、喜びをもって神と出会うことを奪い
喜んではいけない、信仰の喜びを持ってはいけないのではないか
神への道に到達できないのではないかと-
常にしかめっ面をして、苦しい難行苦行をしていく-
そして常に、傑になっていく姿にこそ信仰者の道があるという間違った思いを
キリスト教の中に埋め込んでいった。
それは後世の者たちがやったことです。
インマヌエルが言ったこととは全然違います。

それは仏教においても同じなのです。
仏陀も、そんなに難しいことは言わなかった。
説法を通して、弟子や、集まってくる衆生に対して
ひじょうにわかりやすく法を説いていかれたのです。
それが、数々の仏教経典となって、哲学化していったものの中で
一部の仏弟子たちだけの専売特許であるかのように
難しい、難しいものにしていって、庶民には解放されなくなった。
難しい難解なものを、しかめっ面をして理解するからこそ
まるで偉い人であるかのように自らを取り繕い
自分たち自身のステータスを確立し、上げていった。

キリスト教でなくても、仏教でなくても
様々な宗教の流れの中にそういうことがあるでしょう。
これらは、時代の流れの中で、人類がつくっていったものなのです。
一部の特権階級のための、箔づけのために、あえて難しくしたのかもしれない。
でも、「本来、神の世界は違う」ということを、僕は言いたい。

(2005.8.20 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-28 14:07 | マヌ | Trackback | Comments(0)

マイトレーヤーからのメッセージ(7)

あなた方の人生を
これからどのように生きていったらよろしいのか。
そしてルシフェル、サタンに対してわたくしたちがどのような思いでいるのか。

ルシフェル、サタンが戻ってくる日を、わたくしたちみんな待ち望んでいます。
彼が悟り、気づき、戻ってくるならば
この地上にいる者たち大半の者たちが気づき、帰ってこられる。
そのような星になれる。
そのときまで、あとどのくらいかかるかわかりません。

でも、やるべきことをやりながら、永遠の忍耐をもって
サタンがルシファーと呼ばれる前に、ルシフェルと、エルと呼ばれていた
神の光の天使と呼ばれていた彼が戻ってくる日を、わたくしたちは待ちわび
彼を迎え入れていきたいと、彼が戻ってきたときに抱きしめてやろうと
そのような思いで、九次元の者たちは待っているのです。
それが神の愛なのです。

彼によって我々の計画が、何度も何度も潰されてきました。
今回の文明だけではなく
アトランティスにおいても多くのむごいことが起きてきたのです。
でもそれを通してわかったのは、そのサタンの策略に
トリックに引っかかる地上の者たちにとって
それはひとつの学びの姿であったということ。

もしトリックを仕掛けられても、それによって
神の子としてどのように生きるべきかということを
地上の者たちが学んだのなら
サタンが何をしようと、何の意味もないことなのです。
効力もないでしょう。
でも、次から次へと策略に陥れられていったということは
地上の者たちがまだまだ、何が神の意思であり
神のもとに自分が何をしなくてはいけないのかということを
学んでないということだったのです。
つまり、我々はまだまだ地上の者の修行ができていないということ。
だからこそ、サタンの動きを封印しないのです。

ですからあなた方は、神の姿を見てもじれったく
神も仏もあるものかと、よく呪いに近いような言葉を言いますけれども
どうか苦しみに負けないでください。
苦しみも、わずか地上に住む数十年です。
苦しみの中を通してしか学べぬこともある。

先ほど聞いておりましたら
ヘレン・ケラーと呼ばれている、美しい女性が出ておられましたね。
三重苦の中で、彼女はどれだけ苦しかったことでしょう。
何も聞こえず、何も見えず、何もしゃべれず
一切の外界とのコミュニケーション手段を遮断された
真っ暗な孤独の淵の中で
しかし彼女は、己の神性を輝かしきったのです。
あのような肉体の中においても
燦然と神の子として光り輝くことは可能なのです。

あなた方はどうでしょう。
五体満足で、他の方以上に知性も教養も持っている方がたです。
そして神の使者としての使命も言い渡され、この場所にいて、毎週毎週
わたくしたちの言葉を聴くことができるのです。
ならば、ヘレン・ケラーに比べて、あなた方は
何十倍、何百倍も光り輝いてよいのではないでしょうか。

できないことの言い訳を探すのではなく、できぬ自分を恥じて
できる限り、残された数十年の命の中で、その肉体の中で
今の環境の中で、最善に光り輝かせるということ。
その道を選ばれること。
それこそが、地上に出たあなた方としての
実りあるすばらしい時の使い方ではないかと、わたくしは思うのです。

言い訳をすれば、いくらでも言い訳の種は見つかるものです。
でもこのような状況で、我々九次元の言葉をこのように毎週聴ける方がた
そして理解し、素直に受け入れられる方がた
そのような方がたはここにいるあなた方ひと握りでしかないのです。
わたくしたちの世界から見たら
ひじょうにまれな幸せの中にいるあなた方ならば
今回の転生を大事に、大事になさられることをー
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具体論をレムリアは出さないと申します。
具体論はあなた方一人ひとりが探すのです。
そこまでの手取り足取りを神に望んではなりません。
一人ひとりの地上の修行があるのですから

できることを探す。
そして、あるというのは目先だけではないのです。
人生を通して、行動を通して、愛を表現していくことをもってこそ
愛の意味がわかり、神の子が愛の表現体であるならば
愛というものを行動の中で、人生の中で、あなたなら何を表現するのか
何を生きるのか、何をしようとするのか
オリジナルのものを工夫して出さなければ
そんなことまで口を開けて
神から棚ぼたのように霊言を待っているのであるのなら
そんなものは何もあなた方の修行にならない。
先ほど言った、「苦しいから病を取り除き給え」
「苦しいから貧困を取り除き給え」というのと同じなのです。

あなた方はもっともっと、光の天使として、自らに厳しくあらねばなりません。
わたくしたちはそういう意味で理念を降ろしているのです。
その理念の中で、今レムリアが何をしなければいけないかがわかったならば
地道に足元を固めながら、やるべきことをやりながら
その上で、個人においては、自らの個性を
自らの仕事を持っているのですから
それを通して具体的に何ができるかということから逃げてはなりません。
それを考えるのが、あなた方個々の悟りであるということ。
そこから逃げて、一人ひとりの神の子の悟りはないのです。

仏教者の中には、悟りというのは阿羅漢になり、ボサッターになり
数々の修行、難行苦行をやったり、経典を読んだりとか、難しいことを学んで
目先だけで愛を語り、目先だけで法を説き、目先だけで宗教を
神というものを語ることが修行の課程であり
悟りであるというふうに誤解されているかもしれない。
しかし、そんなことはないのです。

当たり前の人生の中に、当たり前に積み重ねる日常の中に、あなた方の悟り
人生の進化が問われているのです。
だから、学ぶことはしっかり今学んで
自分の人生の中で何ができたかという結果のみをもって
修行の結果というものが出てきて
それが自分自身の悟りの高さとして問われるのです。

どれだけ言葉を学んでも、どれだけ目先で偉そうなことを言っても
どれだけ立派な教団をつくって帰ってきても、その行い、行動の質において
ほんとうの意味で他者の痛みを
他者に対して愛を分け与え、指導していく立場になかった場合には
それは本人だけが良いと思っていたことであり
天上界においては誰も評価しないし
その者にとっても少しも評価としては返らず
まわりから軽蔑されるだけなのです。

目先だけではいろいろなことを言っている者がおります。
嘘八百を並べながら、人を先導している者がいるのです。
でも、その者たちを怒ることはひとつもないのです。
放っておけばいいのです。
宇宙をあまねく貫く因果律の中で、自分のやったことは
今度は自分の元に何百倍にもなって返ってくる。
それが法則としてあるから、あなた方が裁く必要はないと
前にもほかの霊人がおっしゃられていたと思います。

その法則の中にあるあなた方も同じです。
愛の種を蒔けば、何百倍にもなって、自分に戻ってきます。
無私であれというのはそこなのです。
見返りを求めず、無私な思いで愛の種を蒔いていったのならば
いらないと言っても、その何百倍もの幸せとなって
あなた方の人生の中にかえってくるのです。

今世死ぬまでに「あの人はあんなに神のために人のために生きたけれども
少しも人生の中でいいことなかったじゃないか」と
言う話も聞かれるでしょう。
でもそれは、この肉体の数十年だけを思うから
何もないと思われるだけなのです。
必ず、ほかの人の幸せのために努力なさった方は
今回の人生を終えて、こちらの世界に戻ってきても
そして来世においても、すばらしい祝福となって
愛として、本人に戻るのです。
それは法則なのです。

ですから、自分が一生懸命人のために行ったことを、もったいないとか
無駄なことをしたなんていうふうに思うことは、少しもないのです。
心根において、ただただ無私な思いで、他者を幸せにし
自分の愛を分け与えていくことに生涯をかけていきなさい。
それこそが光の天使であり、それこそが神の子の本来あるべき姿です。

その神の子たる本来の姿に、地球の一人ひとりすべてがなったときに
この星は誰も殺し合いをしたり、他の者を中傷したり、陥れたり
飢饉や、子どもたちが死んでいくような貧困や
悪想念が満ち満ちたところからくる病ばかりが流行るような
そういう事態は終わりを告げるのです。
そして、大調和の姿としてこの地球が愛に包まれ
神のもとに戻っていったときに
地球は神の国ユートピアになって、人びとは幸せに満たされることでしょう。
そのことをもって悟りというのです。

(2005.7.9 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-25 20:04 | マイトレーヤー | Trackback | Comments(0)

木戸孝允からのメッセージ(5)

前回の不幸なる失敗というものを見ておりますと
自己保身の固まりなのです。
法を説く仏であろうという者が、自己の欲にかられ
自己保身に走った結果なのです。

人の心にはみんなそれぞれ欲というものはあるのです。
それが悪いとは申しません。
しかし、そのようなもの、自分を捨ててほんとうに世界を救おうとしたか。
自分自身をほんとうに捨ててでも、この地上を仏国土、ユートピアにしようと
命を竜馬たちのようにかけたかというと、わたくしは彼らの意気込みの中に
その意気込みが欠けていたように思うのです。

やはり、ほんとうに自分たちが置かれている位置の意味というものを
ほんとうの意味で認識していなかった。
その甘さに、人間としての、肉体としての弱さ
欲というものが人間にはあります。
それはいいのです。
そこに鎌引っ掛けられ、落とされたというのが現状ではないかと思うのです。

竜馬たちのように酒を飲み、女を抱き、好き勝手なこと
言いたい放題言っていても、堕ちない者は堕ちないのです。
なぜ違うか。
自分を捨てて、天下国家のために、日本の将来のために、神の計画のために
命を張ったからでございます。
その意気込みがあったからなのです。

そこにおいて少しも
自分の口では言いたい放題言っていたかもしれないけれども
やはり自分を捨てた意味において、神の国を建設したいという意味において
純粋なる思いがあったから、魔などが寄ってきたとしても
そんなものは跳ね返してしまったのです。
そんなものは寄せつけることもできなかったのです。

その意気込みがなかった。
わたくしはそう思います。
だから、ここにおいてなぜ明治維新シリーズをやったかということを
あなた方学んでいただきたい。
彼らがどういうふうに命を張ったかということ。
その意気込みが何の意味があったかということ。

彼らは深い、深い、そのような魂の兄弟とか
永遠の転生輪廻の詳しい過去のどうのこうの-
逆に霊視できたり、神の国、天上界からの霊言など、何も知らなかった。
信仰心ということすら、このあいだ福沢諭吉さんも言ってましたけれども
「神なんか嫌いであった」というような人たちであっても
おのれ自身を捨てて、人びとの幸せのために、天下国家のために生きるという
その思いは、イコール神の子としての生き方そのものであったということ。
そのことをもって人びとは神の懐へ帰っていけるのです。

どれだけ目先で偉そうなお経を唱えていても、立派な袈裟を着ていても
どれだけ立派なペンダントを下げていても
そんなものが少しも神の国に帰る時の
その人の仏智や、その人の悟りの高さの証明にはならないのです。
その人がやってきた、生き抜いてきた人生の仕事の総決算をもって
それをもって、愛の深さと
その時代、人びとに対していかようなことができたかということをもってのみ
人びとは悟りというものを、愛というものを評価されていくものなのです。
そのことを忘れてはいけません。

お坊さんたちは、表面だけで法を説くことに慣れ過ぎていると
わたくしは思います。
神という言葉を語れば神の子であると
神を語れば神の代弁者であるかのように思っておられるかもしれないけれども
きついことを言うように思われるかもしれないけれども
神などという言葉を語らなくたって
神の子としての生きざまを見せていくことは可能なのです。
生きざまをもって語っていくことは簡単なのです。

無私なる思いで、神の子としての命を燃やし続けていくならば
そこに人びとは神を見るのです。
神という言葉を語らなくても、生ききって見せた時に、そこに神を見るのです。
それをどうか
明治維新の、この面々の生きざまの中において、学んでいただきたい。

そこが欠けていたから、莫大な量の神理知識があったとしても
あなた方は迷っていかれたのではないかと思うのです。
その決意が足りなかったのではないかと思うのです。
その決意の深さ。

今回のような場所に、今回のような位置に、この時代に生きるということは
ほんとに千載一遇のチャンスにして
あなた方は今ここに集っておられるということ。
このような場所に生まれてきたいと計画したって
生まれてこられるものではないということを考えていただきたい。

でもそれは、あなた方の過去からやられて頑張ってこられたその業績
心がけの素晴らしさ、生きてこられた徳の深さにおいて
今、ここに座っておられるのだということなのです。
しかし、ここにおいて座れるのであるのならば
このように我々の言葉を再び聴くことができたのであるのならば
どうかあなた方においてこの
今生の人生をけっして無駄にしていただきたくないと、わたくしは思うのです。

このようなことはもう二度とないでしょう。
次にある時は、地球がだめになったか、地球がシフトアップしたかです。
このような大転換期に、地球の大転換期に今ここの場に
この日本のこのレムリアに座っていられるということ。
我々のメッセージをこのように聴けるということ。
このような時もしばらくたてばまたなくなっていくのです。

今のこの時を大切にし、今この時の中で、人に頼るのではなく
あなた方一人ひとりが何ができるかということを、その胸に問いかけ、問いかけ
この時代の中で、自分の個性を使って、何を生き抜くことができるか
竜馬たちのように生き抜くことができるかということを
常に心の中に語りかけ、生き抜いていただきたい。
この今地上生命の一時いっときを惜しむかのように生きていただきたい。
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あと何十年生きてる、あと数十年ということを話しておられるようですけど
我々のこちらの世界に帰って来た時の長さから見たらば、地上での数十年など
あっという間のことなのです。
あっという間に過ぎ去っていく時なのです。

そのことを考えて、どうかあなた方は今の一瞬一瞬を大事にしていかれ
そしてあなた方でしかできない
この今の法の編纂という仕事に、命をかけていただきたい。

前回除名されていった者たちを見ていると
わたくしが見ていても、これではやっていけぬと
十分甘かったくらい甘かったと、わたくしは思うのです。
しかし、あの方たちでは法の編纂はできないのです。

今ここに残っていくということは
今座っているあなた方にも申し渡しておきましょう。
心の中に迷いが出てきて
神の計画のために一心に命を張ろうという気持ちがなくなったならば
次はあなた方もここの席に座ることはできなくなるかもしれない。

前に去っていった人たちを見てください。
いつの間にか霊言を聴くことに慣れ
いつの間にか霊言をとることが当たり前になっていった中において
そこから学ぼうという、今という時の必死さというものがなくなって
自分のための自己実現の道具や、自分の自己正当化するためだけに
レムリアの霊言を使おうとしていく
ひじょうに間違ったものに変わっていっているんだと思うのです。

そんな者の中に神々のメッセージが降りるわけはなく
我々は通信を送っているのではないのです。
地球を救うために、全人類を救うために
この地球を宇宙の愛の星にしていくために
悲願のような思いで我々が命を捨て、未来に託した夢を今あなた方が行い
具現化しようとしてくれている。
その今、要にいるのであるということをもって
あなた方に命を張っていただきたい。

もし迷ったならば、もしわからなくなったならば、自分が、竜馬のようなら
どのようにしたらこの一回きりの人生を生き抜くことができるか。
そのように問いかけていただきたい。

まだ若干三十代初め、松陰さんは二十代後半
三十そこそこでみんな死んでおります。
そのことからみたら、あなた方は十分もう今回の人生
生きているはずなのです。
一度捨てた、もう終わった人生。
彼らと同じ長さであるのなら、一度もう終わった人生として
もう一度もらった人生として生き直す気持ちで
これからの一時いっときを生きてみたらいかがでしょうか。

そうしたならば、深い感謝の中で
もう一度転生、転生二回分をもらっているのだという感謝の中で
あなた方はこれからの時を刻むことができるでしょう。

明治維新の者たちは、その段階で斬られておしまいなのです。
死んでおしまいだったのです。
自決しておしまいだったのです。
そんなことではなく、そこからその知識を持ったまま生き抜くことができる。
今回人生継続できるという幸せをもって
それも神の最大の計画の中に使っていただけるという喜びと感謝をもって
これからの一時いっときを生きていかれたらいかがでしょうか。

そのような決意をもっていかれたのならば
このような膨大な素晴らしい霊言と神理というもの、神理知識というもの
法というものが降りているのです。
それを狂わすことはないでしょう。

わたくしはこれが、いつかテープに出ることを望みます。
そしてCDで、多くの地球上の方がたに語りかけたい。
レムリアの今ここに座っている方がただけではない。
これからレムリアの霊言集、さまざまなことにより集って来られる方がたよ。
世界中の方がたよ。

たとえ肌の色、目の色、髪の色が違っていようとも、歳が若かろうとも
歳が老成していようとも、そんなものは関係ない。
言葉が違っていようと、どんな国の言葉で違っていようと
どのような階級に所属していようと、富があろうとなかろうと
知識があろうとなかろうと
あなた方はみな平等、神の子であるということ。
命ある永遠の転生を生きている、生き通しの
神の愛される神の子であるということ。

あなた方は認識なされ、多くの人びとに、互いに神の子としての認識を持たれ
愛し合って、この地球というものをひとつにして
まとまっていかれるという時代がきているのだということ
無益な民族間、無益な国境間でのさまざまの争いをもう捨てなさい。
そんなものではない。

肌の色が変わっていようとも
みんなあなた方のかつての同胞であったかもしれない。
いろいろな国ぐにに幾転生していきながら
あなた方はいろんな国ぐにに生まれている。
今あなたが戦争している、しかけている国にかつていて
そのあなたのかつての子孫たちがそこで苦しんでいるかもしれないのです。
そんな無益な戦争はやめなさい。
愛し合いなさい。

それぞれが握ってしまっている宗教的な理念、民族的な理念
政治的なイデオロギー、価値観、そういうものをいちど白紙に戻し
地球という、この神がおつくりになった愛の星に住む、同じ地球人として
同じ神の子としての認識の中で、みんなが手をつなぎなさい。

そのような差別意識ではなくて、みんな神の子であるという思いの中で
心の手と手を取り合って感謝し合った時
この地上は危機的な破壊から救われるのです。
そうでなければ、あなた方が同胞を、仲間を、兄弟を
憎しみ合う想念がこの地球の上空にうず高く、どす黒く取り巻き
今地球意識が苦しみ
地球自体の存亡に関わるほどのたいへんな状況にきているのです。

これから多くのことが、天変地異も起きるかもしれない。
でも、それを最小限に食い止め、愛の波動により、光の波動により
このマイナスのエネルギーの総決算を終え、無事に嵐が過ぎ去ったあとの
美しい虹のかかった青空として眺め渡ることができるような
そのような心境をあなた方は今これから築かねばなりません。

台風のあとの、台風が去ったあとにあるでしょう。
台風のあとの、美しい、美しい青空が見えるでしょう。
そこには大きな、大きな七色の虹がかかっているのです。
人類に希望はあるのです。

その希望につなげるために、わたくしたちは明治時代の時にも命を張り
今日の計画のために、命を散らしていったのだということを
どうか、どうかあなた方、わかって、現代の日本人
今現代の世界中の人びとよ、気づいていただきたいと
わたくしは切にお願い申し上げたいのです。

この神々の起こされた最大級の計画は
このレムリアをもって最終計画となっております。
このレムリアが最終的に、上手に次の九次元へのパイプが渡され
この計画が無事遂行できるかどうかにより、わたくしの見た
嵐のあとの美しい虹がかかった青空を見られるかどうかが
決まってくるのです。

でも虹をかけましょう。
命を張り、我々が本来の夢を、神の
神とともに同じ夢を見るのであるのならば
わたくしたちは必ずや美しい虹を見ることができるでしょう。
そのためにこのレムリアは存在します。

今天上界のパイプが通り、このようにわたくしたちのメッセージが
地上の方がたに今ひとたび、あなた方に伝えられることを
心より神に感謝します。
今日はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました。

(2005.4.9レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-23 12:59 | 木戸孝允 | Trackback | Comments(0)

ミカエルからのメッセージ(23)

第一の計画、第二の計画、力ある者、TK女史も
そしてOR氏も、何によって堕とされたのですか。
魔によって、魔のトリックによって堕とされたのではないのですか。
「焦り」というものを通して、「組織・団体の維持」ということを通して
彼らは魔に引き下ろされていったのです。

光の天使を地獄に堕とすという方法において
サタンという者は、プロ中のプロであります。
あなた方より、よっぽど人間の心を、人間の欲というものを利用して
光の天使のもろさというところを突いて堕としに来る。
それは私も知っておりますけれども
彼らは、そういう意味ではひじょうにプロフェッショナルであるということ。
それをもっともっとあなた方は認識しなくてはいけない。
あなた方の能力くらいでは、彼らに勝てる訳がないのです。
だから援護に、いろいろな世界中の宗教、日本神道からも一丸となって
あなた方を守護しに参っているのでございますよ。

第三の計画というものの厳しさ、そして後がないということ。
第一第二の、あれだけの方々であっても、魔により堕とされたのである。
そうして魔が今
エネルギーを増幅している時であるということを考えたならば
一人ひとりが戦闘系の者たちのような覚悟、厳しさを持って
今、このレムリアの仕事に立ち向かうべきではないかと
私などは思うのであります。

釈迦教団の仏弟子といわれている方々は
法というものを極めることにおいては、ひじょうに真摯な
ストイックなところがあったとは思うけれども
でも、魔に対する警戒心ということにはひじょうに無防備であり
それで、法さえ学んでいればいいという、ひじょうに自惚れた心の中で
戦闘系の者たち、他の者たちに支えられているという感謝や
愛の思いというものが
自分の分をわきまえたものということが少しもなかったから
自分たちだけで助かって、自分たちだけでK会をやっているような
そのような自惚れた思いであったから
OR氏にしても、他の者たちにおいても
簡単に魔に爪を引っかけられ、堕ちていったのでございます。

TK女史においても同じなのです。
霊道が開いている分、まだ若くて幼かっか分
彼女はひじょうに不幸であったとは思います。
しかし、彼女の中にも、やはり若くして感情高く、自惚れる中で
やはり焦りの中で、自分を神格化していきたいという
そういう功名心のようなものに、魔が取り憑いていったのです。

あなた方が、TK女史を慕い、OR氏を慕う気持ちはわかるのです。
でも、彼らの魂をほんとうに救いたいのならば、彼らにほんとうに感謝を持ち
彼らを、あなた方の師である彼らを救いたいと思うのならば
真の弟子であると思うのならば
この難局をみんなが力を合わせて、乗り切りなさい。
乗り切っていきなさい。

そして、彼らがいつか、その反省行を済ませ
我々の世界に、あなた方の世界に戻って来た時に
「そのようにたいへんな使命を、ご苦労様でした」と
仲間として迎え入れてあげていただきたいのです。
あなた方の師としてもう一度、仕えていただきたいのです。

そのためにも、それまでの時を、弟子であるあなた方が
彼らに対して指導されてきたという感謝の思いがあるのならば
彼らが今、たいへんな瀕死の状態にある時に
彼らが果たせない使命を代行するように、あなた方が力を合わせて
その穴埋めを、埋め合わせをしていただきたいのでございます。

それをすれば、この計画が、本来の計画として流れていって
この地球救済という、法を降ろすという計画が
この地上にひろまっていったのならば
彼らのした失敗は、けっして失敗だけに終わるのではなく
やはりあのようなことがあったから、このような者たちが出て来たと。
そして新たな修行場を、新たな体験をさせていただけたのだと。
それによってあなた方が本来以上の力を授かり、本来以上の修行ができ
パワーアップしたのであるという
そのような光の発想を持っていくことができるのですよ。
c0171476_84630.jpg

あなた方は彼らにより指導され、愛されてきた方々なのです。
指導者という者は、常にその危険の中にいるのです。
それでも彼らは、より多くの人びとを愛したいがために
この地球を救いたいがために
大きな計画の責任者として、常に出て来られるのです。

TK女史という方も、そうなのです。
けっして彼女が悪かったわけではない。
それは私もよくよく知っているのです。
私にとってもまた、特別な方であられますが
ほんとうに彼女の魂を救いたいがために
私はこのようにお願いにあがっているのです。

みんなで力を合わせて、この魔界の者が強い時に
このレムリアの計画というものを、皆さまで力を合わせ
そして孔子に引き継がんがために、引き継いで無事にいくことができるように
この時代の新たな波を起こし、この孔子様という方を迎え入れる
その道を整えようではありませんか。

そのために茨の道は続くでしょう。
あなた方を非難中傷する方々も出てき
あなた方は嫌な思いもされることでしょう。
魔界の者たちによって、マイナスエナジーによって
苦労をかけることもあるかもしれません。

でも、そのことを振り切りながら、光のもとへ
光のもとへ
神の国はここにあるのだと
どうか、大きな、大きなたいまつを、光を灯し、
多くの迷える人びとを光のもとに、神のもとへ導いてあげてほしいのです。

そのために我々は、今、来ているのです。
あなた方には見えないかもしれない。
でも、今はこれ、天上界のほとんどの神々が見ておられる
この場であるということ。
その中に、今ここに座ることを許されたあなた方であるということ。
そのことを感謝し
あなた方は、今できることを探していただきたいのです。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-18 06:50 | ミカエル | Trackback | Comments(0)

マヌからのメッセージ(18)

あなた方を見ていて、以前もおもしろいなと思いましたが
「お坊様系」が多いですね。
法の神理を、このような時代で、計画を潰されても、潰されても
神のもとに、神理の運動のためにがんばろうと思う方がたは
やはり、幾転生越えながらも根源的に法を一筋、神との出会いを
魂の底から渇望してこられた方が多いということでしょうね。
ですから、お坊様であったり、聖職者であった方がたが多い。
また、独身歴が長い方が多いですね。

で、これが、以前にも話しましたけれども、今回の文明においては
独身で聖職者となるという色合いがどうも強くなってしまっている。
イエス・キリストも独身でした。
仏陀も、妻子の元から離れて法を説かれた方でした。
そういったことが、どうも聖職者たちの中にストイックさを
女性と付き合ったり、交わったりすることに罪悪感を持つという
そのような傾向をつくってしまったということがあるのです。

それは、過去のアトランティスなどでもそうであったかというと
そんなことはないんですよ。
レムリアでもそうではない。
アガシャー王は結婚なさっていましたし、奥方も、お子様もおりました。
ラ・ムーと呼ばれる方も、ムーのときの仏陀と言われる魂ですが
お子様はなかったのですが、ちゃんと奥様がおりました。

ですから、法を説かれる方が妻帯するということ、子どもがいるということ
そういうことがいけないわけではないのに
人びとの手本になる、救世主と呼ばれていた者たちが
今回たまたま結婚をしなかったので、独身だけで、男性だけで、女性だけで
がんばらなければ神に至れないという、そういう風潮が
今回の文明においてひじょうに色濃く打ち出されてしまった。
しかも、先生の後に続いた弟子たちが、先生のいいところだけではなくて
その環境までを学ぼうとしてしまった。
それゆえに、このような結果になったのかなと思うのです。

それと、聖職者の仕事をするうえで、自分が結婚し
子どもや妻を養わねばならなくなった場合
もっともっとストイックに仕事をしたいと思う聖職者は、やはり、足手まとい
言葉は悪いですけれど、足手まといになると、自分の負担になると
こういう考えは芸術家にも多いのですが、「結婚したくない」と言って
好きな道を歩みたいと思う、そういう者が多かったから
それと先生がそういう見本を示したということもあって
独身のほうが圧倒的に多いという現象を
今回の文明においてつくったのではないかと思うのです。

そうなるのではないかと、僕やゼウス神などはひじょうに危惧しておりまして
それを避けたいがゆえに、ゼウス神は、ギリシャ文明という大らかな側面
男女の神々が大らかに、まあ愛を謳い合うというような
そういう自由な世界が神々の世界なのだよと打ち出す
ギリシャ文明というのをおつくりになったのです。

その後に厳しい法がくるからこそ、最初に大らかなものを出していった。
そして僕も、今回、この者(アマーリエ)が知らないことだったんですけど
僕はレムリアにおいてもそうですが
マヌと呼ばれている、今呼ばれている名前ですね。
その、マヌがどういう者かっていうと
古代のインドにおいて、『マヌ法典』というものを
生活、儀式、宗教、社会構造におけるまでひじょうに細かいことまで定めた
古代の方がたに、宗教や、信仰というもの、法というものを説くときは
まだ認識力が発達していませんからー
発達していない、学問もそれはどない人たちの中である程度
「こんな細かいことまで規定するなんて、神はなんてひどいことを」と
思うかもしれないけれど、神の子としてより間違いのない道を
原初的なルールにおいて、モーゼの十戒ではないですが
手取り足取り教えていくことが、社会秩序においてプラスになると判断して
マヌとして僕が生まれたときに、ひとつの教えというものを出したのです。

その後に、いろいろな地域、ヒンドゥー教とかさまざまな教えを統合しながら
結局『マヌ法典』という膨れあがったものになったので
すべてが逐一僕が言ったことばかりではないのです。
ただ、マヌとして出たときに教えたもの
そして古代インドの上空霊域の指導をしてきた、僕の管轄において
タントラの教えというのがあって
そこで男女合一の性ということを初期の段階に打ち出しています。

男性原理、女性原理というのが一体となって
それが融合することで最終的に神につながり、神の仕事をしていく。
その道があるということを伝えたのですけれども
それが、性交というものだけをクローズアップしてしまって
退廃的な混乱を招いてしまったこともあって
あまりその路線は前面に打ち出さないことにし
それを今回の指導方針として、他の仲間たち、神々と話をしながら
あまりその色彩を前面に出さないできたということがあります。

でも、いつかは言わねばならぬことであり
それをテーマとして出しておいたからこそ
今あなた方に、「ああいうこともあったでしょう」
「ああいう教えもあったでしょう」と言えるのです。

本来、男性だけである、女性だけであるということは
ひじょうに不自然なことなのです。
バランスが取れないということなのです。
バランスが取れないがゆえに、自分自身が高まりたい
強烈に安定したいというエネルギーが働くものなのです。
そこに、自分自身を高めていこうというエネルギーが働く。
その過程において、まず自分自身を浮上させ
進化発展していく、向上させていく。
上昇するエネルギーをつくろうとすることが
あなた方に求められていた段階でした。

最初から簡単に合一、融合してしまうと
その後の進歩発展というエネルギーが止まってしまうこともありましたから
あなた方に対して、まず男女の性というものを分けて
そうですねえ、ある意味でハングリー状態にしていた。
その中で自己と出会って、自分の内奥の神と
神の子の部分と出会っていったとき
そのときあなた方は、究極の姿として
自分のパートナーと出合っていくのです。

以前に僕が磁石のたとえを使ったことがありましたね。
離れすぎていたときは、磁石というのは引き合わないものです。
でも、ある程度の悟りが出てきて、その者の近くにきたなら
多少離れていても、磁石と磁石というのは
跳ねるようにして、ポーンとくっつくではありませんか。
ここが許される段階にいく。
そこまで近づく。
そこにいくまではまず、自分と出会う旅ですよ、自己を高める旅なんです。
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自分が神の子であるということにまず気づきなさい。
自分自身がまず「愛」だと
愛を分けてつくられた神の子だということに気づきなさい。
それが最も大事なことなのです。
そう、もし、ほんとうに根源的な相手と出会いたいという衝動
そのハングリー精神を埋め込まれなかったなら
たぶん、ひじょうに低い次元で満たされたまま
人びとは自分を進化発展させていくことを止めてしまうでしょう。
それくらい、人類というのは怠け者にできている、というか
それほど向上したいという原理を持たないのです。
しかし、学んでいくということ、それがひとつのテーマになっています。
進歩、発展していくことを神は求めておられるのです。

まず自らを高めること。進歩すること。
その究極に、男女のパートナーが出てくるということ。
そして一体となって、神の根源的なエネルギーの中で、愛の奉仕者として
その喜びを、ふたりが一体となれたという喜びをもって、神の愛に報いていく。
神の子たち、仲間たちに対して、その使命を果たすために
本来の個性としてなしていく。
それが神の子としての使命なのです。

そこに至る道が、ある意味で、僕が言う「男女の法」であるということです。
そこに至るまで、自分の本来のパートナーも得られず、認識力もひじょうに低く
あろうことか自らが神の子でなく
罪の子、悪の子かもしれないという罪悪感でがんじがらめになっている。
そういう現在の人類の状況では、人びとは自ら、数々の苦しみや悩みをつくり
家庭生活や男女の愛情問題に苦しんで、数々の悩みの中に埋もれている。
それが地球の現状です。

それをトータルに解決するには
あなた方が、まず神の子であるということを知って
愛のステップアップ、愛の大ルネッサンス運動に地球人が至らなくては
そこに至って、自らの人生を通して、愛の奉仕者として
この地球を愛の星に変えていくことができれば、愛一元の世界になって
すべての地球人が神の子として、愛の光の奉仕者としての認識ができたときには
自分自身のパートナーに次々と磁石の原理のように出会えるのです。

愛に清められた魂たちは、本来の姿を取り戻します。
そのとき、ほんとうの自分のパートナーと出会っていくのです。
ですから、僕らが今願っている、この救世の計画、第三の計画の後に訪れるのが
あなた方の魂のパートナーとの出会いだと
ようやく、そのような状況になるわけです。

今抱えている、離婚とか数々の問題
それは、発展段階の途中で、あまりに認識が低いために
そのような苦しみを自らがつくり出してしまっている
因果応報の摂理における、因果の果として
自らが呼んでしまっているに過ぎないのです。

一人ひとりがいろいろな課題で苦しんでいたとしても
それは誰がつくったものでもない、誰のせいでもないのです。
離婚しようと、男性運が悪かろうと、女性運が悪かろうと
それは、自分自身が、過去世からおこなってきた
その想念の結果であるということなのです。

(2005.8.20 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-15 13:07 | マヌ | Trackback | Comments(0)

勝海舟からのメッセージ(7)

人間は「胆力」と「器」
胆力はやはりね、さっきから繰り返し言ってるように
どんな時代かということ
今何をするべきかということをしっかりと見抜いて
そして、いかなる敵の、いかなる困難、艱難に対しても
常に堂々と最善の努力をもって乗り切っていこうというその気概、情熱
それが大事なんだと、俺はいつも思ってる。

その上で、あとは自分の「器」を越えた役割はできないのよ。
やっぱり、自分の器に応じた使命しかできないっていうこと。
そのことを思ったなら、自分の器というものが自己限定ではなくて
どこまではできるかということを思ったら
精一杯その器に応じた努力をすること。
命がけで仕事をすること。

でも、人は自信を持ってくるとどんどん過信するものだから
どれだけでもできるさと思って、自分だって救世主になれると
そこまで思う連中もいるけど、やっぱり己の分をわきまえて
やっぱり器の中で謙虚さをもって生きようとすることもまた大事。

それと、人並みはずれた使命を預かり
人並みはずれた志を持つ者には、やはり敵も多い。
あんたたちと同じだ。
そしたらもう、闘って当たり前。
常に足すくわれて当たり前。
そんなことぐらいでへこたれて、自分の夢や情熱を投げ出してしまうような
そんな人間であるならば、そんなのは最初から夢を追いかけたり
「世の中を、世直ししてやろう」なぞということを言うには
はばったいような自分であったと思って
どんなに足をすくわれても、叩かれても
そんなものに怯まない自分というものを、常に維持し続けるということ。
負けないってこと。
自分の夢を信じ続けるってこと。
その情熱を捨てないってこと。

それはね、老人になるとできない。
やっぱりある程度若くないと、この情熱は出ないかもしれない。
もう老後の設計ばっかり考えて、いつあの世に帰るのかなんて
寿命の計算ばっかりするようになったら、人間はおしまいだっちゅうことだ。
でも、あんたたちはまだまだ十分若いし、明日死ぬなんてことじゃなくて
今自分かどんな仕事をできるか
逆に今ちょうど年齢的に見たらノリにのってるでしょう。
いろんなことも経験してるし、知識も持ってるし
いろんな意味でまだ体も動くしね、気概もあるし

逆に言うと
あなたたちみたいな立場にいるのが十代の若い連中じゃ困るわけだ。
ある程度の、この宗教っていうか
今回の神仏の計画の流れというものをしっかりと認識してる
それでいてまだ十分若い

そして、こういう活きのいい連中が出て来たら
当然、足をすくう連中が出て来て当たり前なんだ。
そのときには負けるな。
自分たちが一度夢見た、このレムリアっていう神さんの計画を
いっしょに最後まで夢を見続け、情熱をかけ続けて、生き抜いてみろ。

今の日本、誰も殺しには来んだろう。
俺たちの時代にはみんなぶった斬られたんだからな。
腹斬って、切腹して、みんな責任取って死んでったんだからね。
そのことを思ったら、あんたたちは死ななくていい。
だったら、命がけで、今この日本のためにやってみろ。

これが一国、日本じゃない、世界中のために、地球のために、素晴らしい
俺たちなんかから見たら、かなわんような
立派な立派な、神さんの喜ばれることになる。
そんなことを思ったら、命がけでやっても惜しくはない人生だと思うよ。

俺たちの明治維新のどうのこうのってよく言うけど
そんなことよりはるかに今このレムリアの
このテーブルに座っているあんたたちのほうがうらやましい存在に
そのうち多くの人びとがなると思うよ。

俺たちはね、こんな直接の霊界通信なんてものは一言も聴いてないよ。
俺たちの心の中にあるうずきと、頭ん中で考えてる
みんなそれぞれの時代認識における危機感というものを
それぞれが自分たちなりに問い詰めてった結果、自分たちの夢を持つたんだ。

あんたたちはこんな上の、俺たちぐらいでもそうだけども
俺たちのもっと上の偉い、偉い神さんからの直接の言葉を
こうやって自由自在に聴けてるんだろう。
神さんの青写真を直接聴けるんだろう。
相談もしてもらえるんでしょう。

あの日蓮聖人って人は、俺たちの世界では、それは、それは偉い聖人様だぞ。
当たり前のように来て、相談ができる。
その言葉を聴ける。
たぶん人類の歴史の中ではほんの一瞬の時代だと思うよ。
前のORさんのときだって、こんなふうに開けっ広げには話が聴けなかったし
こんなに手取り足取り相談なんか乗ってもらえなかったと思う。

今あんたたちは手取り足取り、好きなだけ誰でも呼べば出て来る。
そういう状況で神さんの話を聴ける。
神さんじゃなくても俺たちの話だってこうやって聴ける。
そういうことを思ったら
ものすごく恵まれた場所にいるんだと思ったほうがいいと思う。

俺たちは、こんなこと何一つ聴かなかった。
でも、時代のうずき、時代の要請というものを必死に嗅ぎ取って
懸命に命を張って生き抜いた。

あんたたちは、偉い神さんから直接声を聴けて、計画まで教えてもらえて
何をしなきゃいけないかまで教えてもらって
毎週毎週こうやって言葉が聴けて、あんたたちしかいないと頼まれて
それで命が張れなかったら、神の子じゃあないぞ。
男じゃあないぞ、お前ら。
もっともっと男として、日本男児として
腹をくくってほしい。闘ってほしい。

それはもう、今は俺たちの時代みたいに刀を振りかぎして
あそこの道場でなんだかんだという腕っぷしの強いのがいるからって
その男の格を上げる時代じゃないだろ。

あんたたちの時代の時には
まあその学歴偏重っていうものがあったかもしれない。
でも、そんなものすら打ち破る時代くるから。

時代の先を見抜いて
その時代の中でどういうふうに暴れて生きていったら
いちばん多くの人びとのために、社会のために
地球のためになるかっていうことを見抜いた者だけが
真に器の大きい偉大な人物というふうに言われる時代がくるから

その過渡期として、福沢さんなんかが言ったような
「学歴主義」の物差しってものを出す時代に今はなったけど
封建時代の士農工商の中でとらわれてた時代から見たら
福沢さんが出してきたような学歴主義というのは
生まれ落ちた場所から人びとを解放してったんだよ。
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努力をしながら、その中で努力をした者たちが
どんな環境でも切り開いて幸せに生きていくことができるっていう
その封建主義を打開していくためには
そういうものが物差しとして一時的に出たと思う。
でも、これも段階的なものだ。

そのあとに、そんな学歴偏重主義ではない、真の知性、智慧というもの
それがそのうちに神理の基準っていうものをしっかり学んだ者たちが
社会のイニシアチブってものをとるような、そういう時代がくるから
それこそが、真の、人間にとっていちばん大事な価値観だということ。

その意味において、多様性というものが
神さんがつくった多様性というものが
ほんとうに彩って意味があるっていう時代がくるから。
今、あんたたちじゃ感覚的にわからないだろうけど
そういう時代くるから。
そのためにも
今あんたたちのやってくれようとしてることが大事なんだっていうことを
俺は言っとく。

偏差値がいくつだ、やれなんだ、なんて言ったら
真っ先に俺や竜馬なんか一発で落ちちまうんだから。
腕っぷししかなかったような者たちが明治維新つくったんだから。

で、今あんたたちがそれをやってるかもしれない。
でも、その先は違うよ、言っとくけど。
偏差値で、いくつが標準なんだかよくわからんが、高いからといって
それが社会の中の一級の人物だなんて
それに頭良くて松陰先生みたいに
頭も良くて器もあって時代の先も見てりゃそれは素晴らしい。
でも、今ただ学歴だけが上にあればそれで社会のリーダーみたいな
そんな安直な時代はもうこなくなるということ。

その新しい物差し、価値基準は何になるか。
それは、神理をどれだけ学び、神理をどれだけ体得したか。
その人間の判断力、見識、そして仕事の質を通して
神理というものが、その人の中でどれだけ人徳としてこなれていったか。
言葉に力が出てきてるか。
行いとして出られるか。

それが、ほんとうの意味で、人を、新たに価値を決める基準として
物差しとして社会に提示される時代がこの先にくるから。
その時代をつくるために、あんたたちが今やろうとしてるってこと。
価値観の転換をしようと神さん考えてるってこと。
そのためには、まずこの神理の書物、教えってもんが何より大事だってこと。
そのことを信じてほしい。

けっして「知性が悪い」と言ってないよ。
いいかい。
「ちゃんと勉強することが悪い」って言ってないよ。
ここにいる人はみんな賢いから、いっぱい本も読んでるし
勉強できるから、何も言ってないけど
でも勉強することは大事なことだよ。
逆に言うと、俺たちみたいな、俺や竜馬たちみたいな
その、体を使った、な
肉体からいく精神の気丈さ、真剣さというものを学ぶということも大事だ。
俺たちの時代のことだって大事だろ。
だったら、学問をしたってあんたたちの時代だって大事だろ。
でもその上に、神の子としての基準をしっかり学んだかどうかっていうこと。
それが何より最前列にいちばん大事なこと言われる時代がくるってこと。

いいかい。
そういう時代がきてこそ
世の中はほんとうの意味でいい方向に循環していく。
そのために、今あんたたちがやろうとしていることがあるということ。
そのことを信じてやってほしいと思う。

今、みんなあのときいっしょにやった者たちは
今どっちかどっちの仲間だった、やれ討幕派だった、薩長派だった
なんてそんなこともう笑い話にしか過ぎない。
それぞれの立場はあっても、もう役は終わった。
その芝居の幕は終わった。

今みんな神の子として、そのひとつの時代を彩った同志として
ひじょうに仲間意識を強くしてる。
その者たちが今、明治維新ということで、我々が次々と呼ばれてるから
応援する意味をもって今日ここにみんなして来てる。
みんな笑ってる。
俺たちの時代には殺し合った者たちが、今、肩を叩き合って、笑いながら
あんたたちを応接に来てる。
そのことを伝えたくて、今日みんな連れて来た。

あんたたちは、これから俺たちがやったこと以上のスケールで
地球を動かしていく人間たちだから
その時代を、ドラマをつくってる主役級かもしれないけど
ほかの脇に、いろんな役で真剣に生きてる者たちに対しても
どうか許してやって
あんたたちと同じ仲間だということをもって
彼らを迎え入れてやってほしい。

彼らが、ほんとうにあとで自分自身を苦しめないためにも
あんたたちがほんとうの仕事をしなきゃいけない。
これで彼らの惑わしで、あんたたちが道を誤ったら
こっちの世界帰って来たとき
彼らはもっと何倍もの罪を背負わなきゃいけなくなるだろう。
でも、「ああいう時代の、ひとつの時代の徒花をやってくれたから
自分たちのこのレムリアの仕事が素晴らしく価値を認められたよ」と
言えるようにするには
あんたたちがあんたたちの仕事を精一杯やって全うしてこそ
らも救われる。

脇役として、脇役だけじゃなくて悪役になってる連中もいるけれど
悪役あってこそドラマは面白いんじゃないのかい。
脇役がいてこそ、主役の演技が光るんじゃないのかい。

そういうことを思って、みんな仲間だと
みんなひとつの時代をつくってるドラマの役者たちなんだと思って
でも自分がなんの役を今演じようとしているのかということを
真剣に考えて
その今自分たちがやっている仕事が正しいのなら
その仕事を精一杯全うするために
命をかけてほしい。
生き切ってほしい。

時代が変われど、価値観が変われど、民族、風習が変わって
時代が要請されることはこれからもいろいろ変わるかもしれないけど
いつも大事なのは、その時代の中で何が要請されているか
その先に何があるかということをしっかり見極め
自分の役割を精一杯果たすこと。
それしかないと思う。

だから、あまり詳しいことではお役に立てなかったかもしれんけど
俺は俺で竜馬とは違うけど、松陰さんとも違うけど
俺なりの気持ちを今日伝えるために来ました。
うまく伝えられなかったかもしれないけど
今日はここのとこで失礼させてもらいます。

(2005.3.19 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-13 10:31 | 勝海舟 | Trackback | Comments(0)

木戸孝允からのメッセージ(4)

あなた方が今生きていらっしゃるこの時代
この日本というところがいかに希有な
まれなる素晴らしい時代にあなた方がめぐり合わせ
今転生し、肉体を持たれているかということを
たぶん亡くなられて、この我々の世界に帰って来たときに
「今わかっている」とおっしゃられるかもしれないけれども
もっともっと認識されるでしょう。

多くの者たちが出たかったのです。
今の日本に生まれたかったのです。
しかし、あなた方は
選ばれに選ばれ抜いて、この地上に出ていかれた。
そして出ていかれる時は、数多くの決意書というものを書き
数々の誓いというものを立ててこの日本に出て来られているということです。

そのことを思ったのなら
あなた方はもっと今世の人生を大切にしていただきたいのです。
おのおのの個性を開花させるとともに
一瞬一瞬をもって神の子であると、神の計画の具現者であるという
そのような認識において、その命を燃焼させ
それを光り輝かせていただきたい。

神の計画というものは、計画という組織の中において
一人ひとりの個性を押し潰し、ロポットのように、命令系統の中で
おのれ個人の個性を抹殺せよなどということはけっしてないのです。
前回そのような傾向性があったかもしれない。
そんなことはないのです。

神の計画というのは本来、計画の中で精一杯命を燃やすのならば
一人ひとりの命が、個性が輝き渡る。
明治維新の時もそうであったでしょう。
一人ひとりが命を捨てて、命を張って
大いなる志、大義のために、志のために命を燃やして
竜馬たちも生きていったのです。
勝さんも西郷さんも、みんな生きていったのです。
松陰さんもみんな生きて死んでいったのです。

その中においてどうでしょうか。
彼らは壮絶なる個性の光を放ったではありませんか。
誰から見ても吉田松蔭であると、どこから見ても勝海舟であると
どこから見ても坂本竜馬であると
みんなそのような神からつくられたオリジナルの
その本人でしかない個性というものを、きらめきを輝かせて
最後散っていったのではないでしょうか。
それこそが神が望まれていることなのです。

個性を捨てて、ロボットのようにイエスマンになって生きろなどと
そんなのは本来の神の計画のもとに生きるということではない。
本来の神の計画というのは、一個人、個人をいかにしたら活かし
その本来の、原初の神がつくられた
その個性というものを輝き渡すことができるか。
そのために立てられるのが神の計画なのです。
間違ってはいけないです。
それだから少しも恐れることはないのです。

その中でいかにしたら、竜馬たちのような
あのような光を解き放つことができるか。
おのれ自身を捨てよということです。
おのれ自身の一回の幸せを、欲をつかんでいる限りは
あの壮絶な光は出ないのです。
おのれを捨てて
日本の将来のために彼らは気づいていなかったかもしれないけれど
将来の日本というのは、本来の神の計画の具現されるユートピアの日本
輝く日本というもの、そこに彼らは夢を見て
その夢の中に死んでいったのです。
生き抜いていったのです。

そこあってこその無私な思い、そこあってこそ神の光が作裂して
一人ひとりの個性がきらめく瞬間であるということ。
その思いをもってわたくしは、あなた方にも言いたい。

みな坂本竜馬になれるのです。
みな勝海舟になれるのです。
みな吉田松陰になれるのです。

あなた方一人ひとりの個性をもってきらめき
一人ひとりの個性と努力をもって、咋裂した
神につくられた大いなる神の子としての誇り高き人生を生き抜きなさい。
それをもってあなた方の名は必ずや
歴史の中に名を留めることはできるでしょう。

名前を残したくて死んだ者はひとりもいません。
しかし、結果として残るのです。
なぜならば、それこそが神が本来希望された
本来神の子として生きるべくして、期待された道であるからなのです。
彼らはその模範を示してくれたということなのです。
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生き抜くとは、人間として生き抜くとはどういうことであるか。
組織やひとつの体制や、憲法で、彼らが生きたでしょうか。
彼らのような生き方ができたであろうか。

西郷隆盛という人を見てごらんなさい。
彼が組織というもの、体制というものにこだわったであろうか。
彼は情の人でした。誠の人でした。
彼が信じたのは常に、常に常に深い情愛の中で、人びとを愛して、自分を捨てて
この国家を考え、若い人たちを愛し抜いて生きたのです。

そこにおいて、情をもって
多くの人びとを活かすということに彼は、樫の樹のような
大いなる素晴らしい大木のような思いで
人びとの前に立ちはだかって見せたのです。
その頑として大いなる彼の不動心の中に、多くの若者たちが慕い寄って来た。
その大きな腕を広げ、その張った大いなる枝の葉の陰に
多くの者たちが、安らぎを求めて集って来たのです。
それを彼はしっかりと抱きしめて、その時代の象徴として立っていったのです。

彼はけっして自分の名を残そうとも思わなかった。
彼自体が天国に入ろうとか、神に認められたいとすらも思わなかった。
しかし、ひとつの時代を生き抜いた者として、彼のような情深き
愛ある人がいてくれたからこそ、あの殺伐とした時代も潤いというものをもって
人の情を大切にし、愛に生きることがどれだけ大事であるかと
けっして明治の偉人と呼ばれた、三傑と呼ばれた人の中においても
愛というものは不在ではなかったのだということを
彼は実証してみせてくれたのではないかと
わたくしは彼に感謝をしているのです。

どうしても切った、張ったとか、誠とか、正義とか
そういうものばかりが横行した時代でありました。
油断をすれば叩き斬られた時代でもございました。
人が人を裏切っていった時代でもありました。
その中において、彼のようにたとえ小さき者であったとしても
弱い者で、若い者たちであったとしても
彼は大いなる愛で、情と申しますけど、愛であります。
彼の愛であります。
愛でもってその時代をくるみ、両手で包んでくれた。
その愛をもって、彼はその明治維新のひとつの象徴となったのであります。
だから彼がいまだもって、人びとに愛される理由ではないかと
わたくしは思います。

我々は仏弟子ではありません。
明治維新をやった者たちはだいたい革命家、改革家が多いのです。
だからあなた方のように
法を直接に預かっている仏弟子と呼ばれているお坊さん軍団ではないので
わたくしたちは直接法を説く権限というのはございません。
わたくしには少しございますけれども
ほかの方がたはそういうのはないのです。
神がとか、仏がとか
宗教がとかいうことを語るような立場にない者たちなのです。

でも、彼らの行いを通してしっかりと
神のまことというもの、神の真義というもの
我々は真義とか、まこととか、情とか
いろいろな立場で、いろんな言葉を使っておりますが
それは究極でいくならば、神への信仰心におかれる
法の一部としての真義であり、愛であります。
そのようなものを彼らは行動、実践の中において
命を捨てきる愛の炸裂というものを-。

時代を愛し、未来の日本を愛するということ。
具体的に行動原理として、どのようにして見せたならば
神の子として生ききることができたということか。
そしてその結果において一人ひとりの個性というものを作裂して
本来神に期待された命を生ききるとはどういうことであるかということを
行いの中で見せてくれたのであると、わたくしは思うのです。

そういう彼らをわたくしはたいへん誇りとしております。
この計画で招集し、彼らがこの計画のために参画し
そして地上に生きてあの時代をつくってくれてきた
そのような者たちとして、それを見守ってきた者としても
わたくしは彼らに深い、深い感謝をしているのです。
そしてその姿をもって、あなた方は彼らを見習わねばなりません。

(2005.4.9 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-10 05:50 | 木戸孝允 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(22)

お金の問題、そういう問題もあったでしょう。
でも、必要なものはみな神から与えられていく。
ちゃんと私たちが見守っているのです。
ですから無心な気持ちで、つまらない気持ちであくせくすることなく
まずやるべきことをしっかりやってください。

そして、今出会えた、そのあなた方の素晴らしい仲間たち
この出会いを大切にし
この計画に参加できたということを心から感謝して
あなた方の最善の、最良の工夫をし、努力をし
この使命というものを果たしていかれることを私は心から願っています。

あなた方が考えている以上に
今回の使命は大きなものになったかもしれない。
でも、これをほんとうの意味で乗り越えていったのならば
ほんとに何転生分以上の大きな大きな力というものが
あなた方の中に経験し、貯えたことになるのです。

多くの人びとを救い、神の力の助力のために使命を果たす
命をかけるということは、神の子として最大の価値のある仕事であります。
そのことを認識し、あなた方の中において
この人生を最後の瞬間まで無駄にすることなく頑張っていただけることを
僕は心からあなた方に祈っています。

どうかわたしたち、わたし、エル・ランティにおいても、仏陀においても
そして宇宙の友たちにしても
この最高霊域の方たちが出てくるという
このレムリア・ルネッサンスという場所の
チャネリング、霊媒という、霊界通信というものですね
そういうものがどういう位置づけにあるかということ
そのことをあなた方はしっかりと認識して、それを統合し束ねていき
多くの人びとに自分たちの位置づけ
自分たちの役割の気づきというものを与えていけるような
そのような流れの中に
あなた方の役割というものを知っていただきたいと思います。

隅から隅まで徹底的にマニアックにやろうとしたらば、つぶれてしまいます。
そして、実際にこういう仕事というのは、肉体を持っている
肉体霊媒においてはひじょうに負担がかかっている。

今こうやって見ていても
もうすでにこれだけ立て続けにとってきたということにおいて
この人の肉体がボロボロになりかかっているという、この現状を見るにしても
やはり、いつまでもこの霊界通信は続かないのだということを
あなた方は肝に銘じて
今あるうちに最大限の情報源というものをとり
自分たちの仕事を果たしていくために役立てる。

そして、その方向性というものを
自分たちの地上の者たちの努力において、判断において
しっかりとした業績として確立していただきたいと思うのです。
すべて私たちの指示だけでやるわけではないのです。
c0171476_1724580.jpg

何度でも言います。
以前も、何度も何度も言いました。
上の方たちの努力において、工夫において、あなたたちの頑張りにおいて
そしてどの方たちが、どのような裁量の方たちが
今のこの時に集まって来られるかにおいて
レムリア・ルネッサンスの仕事内容はその時その時で全然変わってくるのです。

ですから、私たちの世界から予言をするということではなくて
今集まって来た方たちとあなた方の創意工夫において
最大限のできる可能性にチャレンジしていただきたいと思うのです。
その中において、未来というものは見えてくると思います。
その中において、ひとつの流れが出てくるのです。

「無為自然」という言葉がありますけども、精一杯の努力をしていたのならば
あとは自然の流れの中において、最良な結果が与えられるのです。
宇宙には、すべてあるのは原因と結果の理論しかないのです。

原因、あなた方が精一杯やられ、今の現状の中において最良の精一杯の
努力をされたのならば、それに伴う結果が
今の現段階においては最良の結果が実を結び、戻ってくるということ。

自分の気持ちに正直に
精一杯の努力をするということこそが大事なのであって
結果はそれに伴ってついてくることだから
あくせく悩まなくてもいいということを私は言っているのです。

ですから、その未来については信じて
今できる限りのことを精一杯やってごらんなさい。
そしたら、精一杯やっているうちに
また新たな力を持った仲間たちが与えられて集って来て
またどんどん新たな展開が出てくるのです。
それをもって、私たちも天上界から見て、次にこの人を動かそうかとか
そういうのを見ているわけですから。

あなた方の努力というのがまず前提になっているということ。
その地上の者たちの、あなた方の修行があるということ。
その自由意志においての修行というその形態において
私たちは口が挟めること、挟めないことというのがあるのです。
そうしなければ、あなた方の修行自体も、能力自体も
実績自体もつぶしてしまうことにもなりかねないからです。

(2006.3.4 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-08 06:01 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

ノストラダムスからのメッセージ(6)

そして、この事実を具体的に明かすには
やはり九次元指導霊と言われる方たちこそが
その法の権限というものをお持ちなので
それを今回降ろしてこられたということなのです。

それこそが人類に対する福音であり
この神理こそが、人類に対する神の祝福であるのだということを
あなた方は思いこれを伝えていただきたい。

わたくしは長いこと、この計画を実行してくるメンバーにおりましたから
最初から、神の計画あってこそ、個人個人の使命であるということを
今回繰り返し申し上げてきているはずなのです。

神の計画の中にある者こそ、この大いなる使命を果たすことができる。
もし、それを今、その枠から外れてしまったのなら
けっして、その計画を阻害する者になってはいけない。

それはこのレムリアが5年、6年、10年前からおきた
たかが10年足らずの間の計画ではなく
過去、何百年、何千年かけてこの地球の大周期のために
神々が考えられた大計画のピークにある
クライマックスにある大事な時であるということを思ったのならば
とてもではないが、わたくしなら妨害などできないのです。
そのピークにあるということ。
そのことをあなた方は思って、これからの天変地異を迎えていただきたい。

どこが、ということは申しませんが、これから数々のことが起きてくるのです。
ポールシフトなども、けっして避けられないことであるので、起きてはきます。
それであなた方を恐怖心に陥れようとは思わない。
でも、同じ起きるのであるのならば、このレムリアを実証していく方向に今
上の、わたくしよりまた上の方がたがお考えになられているということ。
そのことをお伝えしていきましょう。

そして、何より尊いのがこの神の理念、アイデンティテイ、神理。
それこそが神の、宇宙の根本法則を今、伝えるために
今このメッセージが行われているということ。
メッセージのシャワーの中で
あなた方がこのような時代に生きていることを神に感謝していただきたい。

このような霊言を受けようと思っても、今まではこの瞬間のために
この百年、二百年のスピリチュアリズムの活動があったのであると
わたくしは言えると思うのです。

徐々に、徐々に人びとの霊的なものに対するアレルギーのような
反感というものを一枚一枚、薄皮を剥ぐように
わたしたちは気の遠くなるような忍耐と努力をもって
ここまで漕ぎ着けてきたのです。
だから、このようなことが今、霊言集というようなものを出したとしても
それはどの反感というものはないはずなのです。

一部の方たちにはあるでしょう。
それはいつの時代でもあるのです。
でも、文化の中において、こういうものが
本を出せるような時代になったということ。
このような日本をつくるために、また、この間からとっておられた
明治時代の志士の方がたの霊言もあったでしょう。

いろんな意味において今日、この神の国の計画を地上に降ろすために
あらゆる分野での光の天使たちの活動があったということ。
そのクライマックスはどうするためだったのか。

これをやるために神々は
そして、神の光の天使たちはそれぞれの分野に散っていきながら
さまざまな革命を起こしながら、改革を起こしながら
科学においてもそうなのです。
すべて努力してきた歴史があるのです。

その彼らの努力を無駄にしないためにも
最後、クライマックス、この地球の浄化をかけて、光の愛の星を取り戻すために
天上界の神理を今、地上に降ろせる限り降ろしていくという
それが人類の偉大なる遺産となり、至福となり
祝福となっていくことをわたくしは知っているからなのです。

このシンプルな、この神の国の理念
これはたとえば、エドガー・ケーシーとかが亡くなったあとに
彼の言葉がもっと聞きたかったと、質問したかったと言っても
もう聞けないでしょう?

過去のファイルを見て
今は一生懸命、研究者たちが本を書いているのでしょう。
シルバー・バーチとか、ホワイトーイーグルとか
いろんなのが出ましたけれども
あの時にこそ、あちらの方がた、専門の天上界の扉が開いていたのです。

その霊媒がこの世を去ればその扉は閉じられてしまうのです。
今はこの者を通して、天上界の扉が
この霊媒を通して今、地上にメッセージを送っている時なのです。
c0171476_619748.jpg

永遠ではない。
この今、降りているもの、このクライマックスをもって
今、天上界がこの計画の集大成をしようとしているのです。

ですから、この霊言というものを大事に預かり
それを英訳することにより地球の裏側にまで、どうか伝えていただきたい。
そのために努力していただきたい。
そのためにコンピュータというものを使っていくのならば
ネット通信というものを使っていくのならば
今の時代においては、ひじょうに大いなる意義であろうということを
わたくしは今日、お伝えしました。

具体的な、もっとわたくしが専門とするところを
期待されておられたかもしれないけれども
今の段階では、まだ許可が下りないので
これ以上のことは申し上げられません。

わたくしも、予言だけをしていた者ではないのです。
わたくしも、かつて、医者として頑張っていた時代もありますので
その同じ医師としての見識をもって、神の真理を、いいですか

あなたは霊言を通して神の真理というものを学んでおられる。
そして医者という、肉体舟を治すという立場におられる。
その結びつきが、いかに今の時代、大事なことであるか。
根本的な価値の転換をかけているのです。

肉体舟を維持すること、肉体にしがみついて生きること
物質界にしがみついて生きることのみを幸せの基準におくから
すべてがおかしいのです。

そのようなものは感謝しても、けっして、それがすべてではないのであると
逆に言うと、本来の実在界というのは天上界であるのを
天上界を実在界と本来、言うのです。

魂はみんなこの世界から出てくるのですから。
いっとき仮の姿、仮の役割において
この地球において活動するための手段として
わたくしたちに肉体舟を授かるのです。

その修行の大事な肉体舟として、維持するために感謝することは大事だけれども
それにいたずらに延命しようとか、その病をなくしていくことだけが
少しでも長く生きることだけが幸せの象徴であるという、間違った感覚がある。

だから、愛する子どもを亡くす別離の苦しみはあるけれども
妻や夫を亡くす、恋人を亡くす、友人を亡くす悲しみはあるけれども
それは、また、あの世に帰れば会えるのだと言えば
地上の苦というもの、苦悩というものは
ひじょうに多く、なくなっていくのです。

発想の転換が必要なのです。
それと同時に、あなたはお医者様ですから、体、肉体に関しての
やはり方法論というものを変えなくてはいけません。

臓器移植をしていくということは、すべて三位一体
いいですか
霊と肉体と心というのは、この肉体がこの地上に出たときに一体なのです。

その中からほかの方の臓器を持ってきても、そこには三位一体で
その方の霊魂が亡くなったとしても
その方の霊的な意識というものが染み付いているのです。
ですから、その霊的な意識がその別の肉体に入って
本来は馴染むことのほうが少ないのです。

(2005.4.7 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-06 06:14 | ノストラダムス | Trackback | Comments(0)

マイトレーヤーからのメッセージ(6)

愛という観点において、自らが、夫婦愛とか
隣人愛とか、他国に対する愛とか
そのようなものすら築けず、家庭は地獄のようになり
夫婦は離婚をし、人殺しが横行し
そして自分たちの地域、共同体においても
孤独死していく老人を助けることもいとい
もっと言えば、自分の国は愛してもほかの国は愛さない。
国境意識、民族意識という偏見。

さらに、自分たちの宗教こそ、自分たちの神こそがすべてであるといって
いがみ合い、殺し合っている。
それが地球です。
まだまだ野蛮なレペルなのです。

そこにメスを入れていくには、まず一度愛のもとに戻ろうと
愛という大調和の中に戻っていこうと
愛というのは分かち合いであり、助け合いであると
そしてその愛こそが神のお心すべてであると
そのことに気づかねばなりません。

制約された肉体だけの数十年がすべてであると思うから、刹那的になり
生きているうちに、すべてのもの、すべての快楽をむさぼりたい
それこそが悔いのない人生ではないかというような
大きな誤解をしてしまう。
しかし時の流れははるか何億年という
もっと昔の意識を持てるものであるのならば、何兆年という
そのような深い深い意識まで
わたくしたちは記憶を持っていくことができます。

逆に言うと、今逃げたとしても、死んで、自殺して逃げたとしても
人生というのはそれで終わりになってくれるほど甘いものではないのです。
肉体が終わったからといって、それで自分が逃げられるかといったら
それは逆で、あちらの世界に帰ってから、自分のしたことは
因果律の中において、何倍もの苦しみとなって
すべて自分に戻ってくるのです。
結果は、すべて自分が引き受けて
自分で乗り越えていかなければならない課題となります。

その因果律を考え、では、今この肉体のあるうちに
あなた方は何をするべきなのか。
人のことを悪く言ったり、人のことを憎く思うことよりも
ただ、何かを守るために
人はそのように悪の心に身をゆだねるのかもしれないけれども
でも、守るものなど本来は何もないのです。
肉体が殺されるから、相手を殺すのか、そこが究極かもしれませんが
それなら殺されればいいのです。

肉体がなくなっても、もしそれで愛する者との別離があったとしても
それは一時の別離なのです。
そのために自分が殺人者になってはいけません。
他者を傷つけてまで守るほど、肉体は価値があるものではないのです。

だからといって
むやみに自分から殺されればいいのかといったらそれは嘘です。
感謝をもって、肉体を修行の大事な舟として
肉体舟として大事にしなくてはなりませんよ。
ですけれど、ほんとうに守るべきものというのは、自らの神性
神の子としての愛、けがれのない神の子としての誇りです。

そのことをほんとうにあなた方がわかったのなら
今肉体を持っているこの三次元において、あなた方は何をなさいますか。
どのように一瞬一瞬を使われますか。
そのことを考えて生き抜けばよいのです。

何かを守るため、家、屋敷、財産を守るため
果ては愛する妻を、愛する子どもを守るためといって
正義のように語られた多くの美談があります。
子どものため、妻のため-、守らなくていいというのではないですよ。
男なら守るべきであると思う。
正義という名のもとに守るべきであると思います。
でも、ほんとうに大事であるのは、神の子として、わたくしたちの使命
何をやるために命を張るべきなのかということ
それをしっかりと見つめることなのです。

ですから、肉体を、お金を、世間的な地位を
職業を守るために、他者を傷つけたり
他者を憎む気持ち、憎しみを持つのであるなら
それは取り返しのつかないことになるのです。
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答えだけを与えてわかるなら
わたくしたちはいつでもあなた方に答えを与えます。
でも、問題集でただ答えを与えるだけで、あなた方に実力がつくでしょうか。
心の底から理解して、わたくしたちのもとに
ともに神の星をつくるために、喜んで協力してくれるでしょうか。

違いますね。
人というのはどんなに答えがわかっていても
心の底から納得しなければ、同意できなければ
何の努力もできないし、何の意味もありません。
だから、間違うことでは、神は、神の子たちを裁きません。
そのための慈悲として、神は永遠のときをあなた方に与えているのです。

この永遠の繰り返し、転生輪廻という過程を通して
自ら傷つき、自ら悩みながら、数々の人生のテーマを持ち
「人びとよ、神の子たちよ、一つひとつ学んでいきなさい。
しっかりと魂の底から学んだことだけが
あなた方の魂の力になるのですよ」と言って
神は、永遠の修行として、転生輪廻という過程を組み込まれたのです。

だからわたくしたちは、間違うことを恐れて臆病になるような
自分だけが正しいとして他者の非をなじり合うような
そんな愚を犯してはなりません。
あなた方は今レムリアにいて
すばらしい正法の中にいると思われるかもしれないけれど
過去世でどうであったかはわからない。
過去世において、間違いをしていない者など皆無です。
でも、それでいいのです。
それだから人間なのですよ。

様々な感情、複雑な、正論ばかりでいかない悩み苦しみ
そのような感情を持てばこそ、真の愛が何であり
真の優しさが何であるかということを、その体験を通して
他者に対する真の愛の表現を学べるのです。
それが神の子の姿です。
わたくしたちはその過程として、この地上の修行を受け入れねばなりません。

この肉体、この地上にあるあなた方ならば
八十年足らずの時間をどのように生きるか。
その結果を、それぞれが選択できるはずなのです。
やり残しても良いのです。
来世があります。
学び残したなら、わたくしたちの世界にさえ戻ってくるなら
その先を学ぶことができるのですよ。

でも、現世で学べなかったからといって人を蹴落として
自分はここにいたいからといって、心を暗黒面に売ったとしたなら
帰っていくのはわたくしたちの世界ではないのです。

だから、たとえ仕事が途中であろうと
肉体、財産、さまざまなことがあろうと
肉親がたとえ殺されようと、神の子として、純粋に愛の方向へ向かった
神の子としての誇りある人生、それを貫き通さねばなりません。
そういうベクトルさえしっかりと固定されていたのならば
永遠の時の流れの中で、焦らずとも
いくらでもあなたたちは進歩発展できるということなのです。
下に墜ちるのではなく、上に、光のもとへ歩み続けていけばいいのです。

前回、エル・ランティが出られたときに
愛とは忍耐であるということをおっしゃられていたと思います。
わたくしたちはそれを学んでいるのです。
目の前で苦しいことがあったら
「神よ、この苦杯を取り除き給え」という願いを
地上の者たちは祈りますね。
病が苦しいから、苦しい貧困があるから
「わたくしたちを幸せにしてくれ」という
どちらかというと自分の欲から出たような祈りが
たくさん、たくさん、わたくしたちのもとにやってきます。

でも、もしその苦い杯を取り除いてしまったならば
あなた方の人生の中に、成長と鍛錬はあるのかと
あなた方にとって真に意味のある人生を生きるきっかけはあるのかと
そこを思うからこそ、すぐにでも取り除いてあげたい
病気でも何でもすぐ取り除いてあげたいと思っても
わたくしたちは沈黙をもって答え
すぐにはけっして病を取り除かないのです。

なぜなら、病を通してしか
その者が人生の意義というものを学べないということだからです。
それを計画しているご本人のことを思うのならば
絶対にその病を取り除いてはいけないということもあるのです。

貧困の中で愛を学ぼうと思って、出てこられている方がたもおられます。
ならば、安易にお金を天から降らすことが、神の愛ではないということです。
そのことをわたくしたちの立場から申し上げておきます。

(2005.8.20 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-08-03 10:54 | マイトレーヤー | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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