地球を愛の星へ

<   2016年 12月 ( 9 )   > この月の画像一覧

アポロンからのメッセージ(6)

あなた方が、もし悟りということを極めていきたいのならば
難しい学問をすることも大切かもしれないけれども
今これからレムリアで説かれていくことを通して
ひじょうに簡単に到達していくのならば
愛が何であるか愛を難しい理論で語る時代は終わり
それを今度は感性の中により、自分の自らの感性を通して
自らの内側にある愛一元の、神の子の思いの
光の天使と呼ばれている光そのものの、神の子の部分を通して愛を学び

神の子になっていくという、その道を通して悟っていくという
これからはそのような悟り方、そのような修行の仕方を通していくほうが
もしレムリアを手本とし
レムリアを通して学びながら自分を進歩させたいと思うのならば
そのような手段のほうが
私は少しでも高みに行けるのではないかと思います。

けっして、高く登ることだけがすべてではないけれども
やはり向上心というものも大事ではあります。
自らを少しでも、昨日の自分よりも一歩でも、今日があり
明日の自分が一歩でも、今日の自分より進歩し、多く人びとの幸せのために
貢献できる自分として成長したいと思うことは、素晴らしいことであります。

ですから、悟りということを通さずとも、自らの進歩を通し
他者への愛のために貢献し、奉仕してくという
その愛の姿、原理そのものを通して
この感性というものを通したレムリアの教えの中で
あなた方は学び、神の子に戻っていき
愛の神そのものの懐に抱かれ包まれていくという
そのような道も、今回のレムリアの霊言を学んでいく
過程の延長にあるのだということを申し上げておきましょう。

ですから、たいへん易しい言葉で、一般的な語り口調で
この方の口調を通して語られるのがレムリアの教えであるかもしれません。
でも、一人ひとりが、その学んだことを自らの魂の中に照らし合わせ
自分自身の神の子としての神性をどれだけ解放できたかが
逆にいうと今世の最終決算の修行の課題でもあります。

そして、それを光り輝かせた光の量、愛の量を通して、社会をどれだけ改革し
どれだけ愛の光を発信することによって、多くの人びとの心を通し
社会を変えていくことがまた可能になったかということをもって
愛の実践がどれだけあなた方の人生の中でできたかということを
また問われる行動の原理にもなるのです。

ですから、思いにおいて、魂において、どれだけ口先で言い訳をしても
その方の魂を見て真っ黒であるのならば
どれだけ口先で、一生懸命、言い訳をしたとしても
その言い訳は天上界に帰って来て通用しないのです。

一生懸命言い訳をする方たちのことを見ていても
そのように反省できぬ思いの中で、自分を守るために
一生懸命塗り固めたとて
その真っ黒な心では我々の世界へは帰って来られないよとー

ほんとうに神が愛深き平等であるのなら、私たちはなぜ如来界に
なぜ私たちを九次元のところに入れてくれないのか。
それは神に愛がないからではないか。
そのようにごねているのと同じように思うのです。

段階があって、上にいるから偉いのではなく
ただ学んでいないから、学ぶ必要があるから
今あなたは、あなたの位置において学んでいらっしゃいと
言っているだけなのです。

すべての苦しみも、悲しみも孤独も、すべてが愛を学んでいき
自らの愛の神性に気づくために、すべての時はあります。
学びはあります。

それを、今学べる、ありがたい素晴らしい時代を、素晴らしい時代精神の中に
あなた方は、今肉を持ち、地上で修行されておられるこの時ということを
感謝し、無駄にせずに、この数十年の地上での修行を終えられ
帰って来ていただきたいと思います。

私はこれからもレムリアを指導し
これからもレムリアにおける、ルネッサンスの時代精神として
次の時代にかけてもあなた方を善導していきたいと
指導していきたいというふうに望んでおります。

ですから、これからもあなた方の要請があれば喜んでこのように参ります。
ですから、どうか、私もひじょうに近い縁があるものでございますから
いつでもお呼びいただけたらと思います。

愛深き神の子たちよ。
神の本源に戻るために
さあ、愛の旋律を奏でましょう。
難しき言葉は何も生まず
難しき言葉により人びとが救われるのではない。
ただただ深い愛と、分かち合いと
調和の精神により地球は救われ
愛の星として輝かん。

人びとよ。
もう一度、神の懐の中に
愛深き神の愛の慈悲の中に
今一度
手を携え、手を取り合い、戻りましょう。

私は次の時代にかけ、あなた方にこの教えを、感性を通し
語り伝えていきたいと思います。
では、今日は、これにて失礼させていただきます。
ありがとうございました。

(2005.6.16 レムリア・ルネッサンス
スピリチュアルメッセージ集のご案内
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-29 15:48 | アポロン | Trackback | Comments(0)

日蓮聖人からのメッセージ(13)

このあいだ、巫女さんたちがおられて、現象がありましたね。
〇〇さんも、立ち会っておられましたね。
あれが現象なのです。
あれは何の意味があったかわかりますか?

霊視のできる巫女さんが二人おりましたね。
あれは、ジャイナ教、シヴァ神、インドの古代霊
そして、日本神道の龍神、数々の者たちのオンパレード。
また、あなた方が認識できなかった
ものすごく多くのローカルな宗教の神々が一堂にあそこに集まっていたのです。
もっと霊視能力が優れていれば
あらゆる宗教の者たちをこの者(アマーリエ)は伝えられたでしょう。
それはどういう意味であったのか。

このあいだ、あなた方ホームページで戦わせていたでしょう。
はね、天上界はそれぞれのエゴを出して
天上界も我を張り続け、分裂し、争っているのだという
そういうトリックを使うのです。
それは、いつも使うのです。

それは、七色の個性により、それぞれの使命が与えられているという
法の個性である、それぞれの民族の個性であるという解釈を抜きにして
それはお互いが我を張り合っているから違うのであると
分裂しているのであると
彼らはいつも、そのように論理展開をしてくるのです。

そうではないのであるということを、現象として
もう事前にわかっていたからこそ(あの聖者の大行進を)見せたのです。
あまりにもインパクトが強くて、まあ、びっくりしてしまって
逃げ出してしまった巫女さんが一人おられたようですけれども
彼女はすごいものを見てしまったわけですね。

なかなか難しいのです。
現象が見られる巫女さんというものと
やはり、巫女さんは巫女さんとしての技術において
過去世から技術を磨いてきておりますね。
でもやはり、法の部分を学んでいる方がひじょうに少ないのです。
ですから、法が入っていないと、単なる現象だけであると理解できなくて
これだけのものをやっていると怖じ気づくのです。
そして、こういう現象が起きれば、同時に魔にも狙われるのです。
それが、霊道を開いた途端に見えるのです。

だから、こういう時に
女性であっても、出て来る人たちは戦闘系の女性たちが出て来るのです。
そうでなければ、とても身がもたないのです。
きれいに清まって神を降ろすというだけの者では
今の時代に務まらないということなのです。

レムリア文明の時代にも、この者の周りには多くの巫女たちがいて
ひとつのエネルギーを調整し、結界を張り
そこで我々の言葉を降ろしていったのです。
今は、かわいそうに、ひとりで、そのすべてをやっているのです。
エネルギーをこのように廻し、このように私のもとにエネルギーを送りながら
周波数を合わせているのですよ。

本来なら、これは四、五人でやる仕事なのです。
でも、他のもうひとりの日本神道の巫女さんも
(やはり)出て来ないでしょう。
ここに来れば危ないことを知っているから
もうひとり、このあいだ逃げ出してしまった巫女さんもいるのです。

この者は、霊天上界の言葉を受けるということを
どのようにすれば危なくないか
どのような覚悟をもって周りの者たちが受け入れてくれたら
そのメシアと呼ばれている者たちが堕ちることがないのか
ということを伝えようとしているのです。
しかし、この者のために力になる巫女さんたちが集まらないのです。
それくらい、時代がたいへんな時代なのです。
波動が悪いのです。

普通の、清らかなだけで言葉を降ろしていた巫女さんたちでは
とても身がもたないのです。
霊道を開いた途端にー
だからあなた方のように
知的に優秀で使命のある者たちには、霊道は聞かせないのです。
阿羅漢の境地を超えていないとか、菩薩でないとか
そんな紙に書いたような悟りの方法論なんて、捨ててしまえばよいのです。

あなた方は、使命あってこその使徒である、光の使徒であるということ。
神の手足となり、神のご計画の中でいかなる仕事ができ
大いなる愛により、大いなる光により、多くの衆生を救い得てこそ
あなた方の学んできた法というものが役に立ち
己自身の霊格を上げていくのだということ。
それ以外に、神の仕事以外に、己自身の悟りも何もないのだということ。
その順番を間違えていたのです。

その行き着いたところが、OR氏の
あのエル・カンタ-レ宣言というおかしなものになっていったのです。
ひとりで悟りすまし、ほんとうの意味で愛の行いをしていない。
弟子たちすらも愛せなかった人が、なんで宇宙即我なのでしょうか。

九次元の上に十次元の方々、惑星意識になっていかれる方は
その身のすべてを投げ出し、その身のすべてを全人類のために
地球の全生き物のためにその身を投げ打ち
エネルギーのすべてを、身体をズタズタにしながら捧げ出し
愛でもって育んでいかれる。
それこそが、九次元を超えた十次元の惑星意識になっていくのです。

いかに自分を捨て、大いなる愛のために己自身を捨てていくことができるか。
大いなる愛の根源に向かって
宇宙の法の中の一部として、己を滅して生きていくことができるか。
それこそが神の愛なのです。
己自身が高いところにいて、我こそはメシアであると言って宣言をするような
あのような高慢な姿がメシアであるわけはないのです。
c0171476_1654714.jpg

そんなこと、なぜ、人びとはわからないのであろうか。
そんなことのために、あなた方は幾転生して
信仰というものを学んできたのであろうか。
それが、ついていった者たちに問われているのです。

いいのです。
ついていった者たちは、最後の試験で羊と山羊を見分ける時があるという
黙示録の中の聖書の言葉があるでしょう。
羊であるか、山羊であるか、見分けられなかった者たちなのです。
そして、仏陀ご自身にとっても
今回は大いなる試しの場であり、学びの場であったということ。
でも、これを単なる学びとして、魔の手に堕ちてしまってはいけないのです。

正しき者は強くあれ。
正しき者は光と共にあり、神のもとに人びとを指導し
連れていかなくてはいけません。
法灯を絶やしてはいけません。
神の光のたいまつを消してはならないのです。
その光のたいまつを、一人ひとりがその手に持ち、たいまつは
よろしいですか。

光というものは高く掲げることをもって、たいまつというのですよ。
机の下に隠してはいけないという聖書の言葉があるでしょう。
光のたいまつは、高く上に掲げてこそ、光のたいまつであり
光の使徒であるのです。
それは、あなた方一人ひとりに埋め込まれた個性、七色の個性を
役職を通してあなた方が神の光をこの地上に発信していくのです。

よろしいですか。
それ以外にないのです。
焦っても駄目なのです。
大伝道期とかいって、無理やり人びとを折伏し、会員にしたり
無理やりK会の一教団の名に染めようなど
私日蓮は一度たりとも言ったことはないはずなのです。

他宗排撃をしてはいけない。
他宗のことを批判してはいけない。
神の花園にはいろいろな花が咲くのであると。

多くの霊人たちが
それぞれの自分の者たちに通信を送っていないわけがないのです。
ただ、下からの惑わしもあるのです。
だから、神の本筋の、今、光がここに降りているのです。
高橋信次、エル・ランティやモーゼや私日蓮が
他に通信を送っているわけがないのです。
ここにしか降りていないのです。
それを信じなさい。

そして、多くの偽預言者がたくさん出ている。
時代が終末に近づけば近づくほど
偽預言者が蔓延するというのは、いつの時代でもそうなのです。
いつの文明でも同じなのです。
ですから、そのことにおいて、あなた方は、また来たのだと思って
本来の神の純粋な光というものを、言葉というものを
伝えていくことに使命を賭けていただきたいのです。

レムリアに招かれたということは
レムリアの神々の基準にあなた方が合格したということでもあるのです。
ここに来たくても、招かれなかった者たちも多々いるのです。
それを考え、どうか、あなた方もご自分で
わざわざこんな遠いところまで来てくださったのですから
どうか、このご縁をもって
私日蓮からも、今後、指導して参りたいと思います。

どうか、この「レムリアの風」のために、日蓮たち、仏弟子
この黄金光線の法再編纂のために、お力をおかしいただけますよう
ここにて長くなりましたが
初めてのご挨拶を終えさせていただきたいと思います。

レムリアの風:レムリア・ルネッサンスの以前の名称。

(2004.8.20 レムリア・ルネッサンス
スピリチュアルメッセージ集のご案内
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-26 11:50 | 日蓮 | Trackback | Comments(0)

高橋信次からのメッセージ(29)

あなた方は見てると、とても知的に優秀な人たちが多いよねえ
ほんとうに。
でも知的に優秀なだけで、心を忘れるとこのような結果
(愛なき宗教団体が起こした各種事件や顛末)になるということ
我々は学んだと思う。
知は大切だけれども、知で裏づけをしていかなければ
法というものは体系化されないけれどもね
でも、最後、人びとを救うのがほんとうの法であるということ。
人生の中で、生きざまの中で、行いにより、愛により、具体化されたもの。
それだけがほんとうに多くの人びとを救う根本法になっていくということ。
法というものは、けっして難しいものではないということ。
シンプルなものであるということ。

いいですか。
それが日常の些細な行いの中に生きていった時
その法というのは光を帯びて、血の通ったものとして
多くの人びとを変えていく力になるんだよ。
それが法なんだよ。
わかるかい、君たち。
絶対に優秀な人たちであっても、知だけで偏らないように。

僕は生前、それほど頭のいい人間じゃあないからねえ。
頭のいい人間じゃないから、頭では、知では、法は説けなかったけど
説かなかったけど、でもハートで、思いの中で精一杯
四十八年という人生の中で、多くの人びとにー。

間違いも多かったけどね。
後でいっぱいいろんなこと言われちゃったけど
でも、精一杯、僕なりに法を説いてきていたつもりなんです。
その時はどのような結果が出るか
間違いも多かったから、自分でも反省しきりだったけれども
あと僕のかわいがっていた弟子たちが、あのような結果
(霊道が開けたために、ほとんどの者が増上慢となり
真の光の天使となりきれなかった)になったので
悲しみに暮れて、悔やんでいたことも多いけれども

でも今思うと、高橋信次という人間が、個性を持って
そして多くの人びとがいまだに、「信次先生、信次先生」って。
僕はね、天上界にいて、こう下を見ていてもね
「信次先生、信次先生」って言ってくれる人たちがね
見えるんだよ、聞こえるんだよ。
その人たちを見てると、「ああ、今回、生まれてよかったな」と

いっぱい失敗もたくさんしたけれどもね。
僕だけじゃない。
仏陀もいろいろとしちゃったかもしれないけれども
でも、あの人たちの中に、僕が八正道を中心にした
永遠の命ということ、転生輪廻があるということ
神様というのはどういうことかということを説いたこと
反省をして、瞑想を中心にして、
曇りを取り除いたら、神の光が差し込んで来るんだということ。
ひじょうに簡単なことだったと思うけれども
でも、その基本というものをね、伝えることができた。
やってよかったなあって、今、思ってます。

そしてこの人生があったからこそ
今こうやって呼ばれて来ることができるんでしょう。
ヤハウェだの、エホバだの言われてたら
みんなまた怖がって、呼んでもらえっこないからねえ。
この人だって、そういうの、すごく嫌がるんだよねえ。
「エホバ」とか言うと、すぐ「いやっ」て言いますからねえ。
だから「アマーリエさん」って言って、高橋信次が出てくると
ニコニコッとして
「あら、信次先生」って言って、話を伝えてくれるんだよねえ。

だから、今回、高橋信次で生まれてよかったなと。
これでまた、この高橋信次という名を通して
僕は仕事ができるなって思ってますよ。
それを思うとね、私には救世の情熱というのが限りなくあるので
このチャンスを使って、また『高橋信次、再復活』というかたちで
ぜひ本を出していきたいと、私はまた強く思って
一年前から言ってるんだけど
なんかまた嫌がられて、「信次先生は後にしてください。
もう、じゅうぶんストックはあります」なんて言ってるけれども
「いやいや、僕はもっとたくさん本を出す」って
前(K会の時)にも言っていたのに
その約束守らずして、通信パイプが途切れちゃったんでねえ。
僕とすると、まだ仕事、未消化だなあと
まだ言いたいなあということ、たくさんあります。
だから、テープ起こしすると僕の文章長くなるかもしれないけども
嫌がらずに皆さん、聞いてくださいねえ。

やさしい言葉で、法というものは伝えられるものなんですよ。
やさしい言葉で語ったことだけが、人びとの心を潤して
人びとの人生の中に流れ出ていくものなんです。
そんなに難しい言葉や理論ばっかりわかる人が
この地球上、今、何億ですか、六十億ですか、そのぐらいになったのかな
そのぐらいの人たちの、いったい、どのぐらいの割合でいるというのでしょう。
私たちはねえ、ひとりでも多くの人たちを救いたいんです。

さっき皆さんの話を聞いていたけれど、僕の『人間釈迦』よかったでしょう。
聞いてわかるでしょう。
何も仏教、何も知らない人だって、あの本だったら、お釈迦様という人が
仏陀という方が、どんな考え方で、どんなふうに悟っていって、何が尊いのか。
人間の身体というのは、けっして楽器の絃にたとえれば巻き過ぎてもいけない
緩め過ぎてもいけないという、中道の思いというものを通すことで
あの仏陀ですら、悟りを得たのだということを聞くことがね
多くの修行者にとっても、多くの人びとにとっても、悟りの入り口として
何が大切かということを、僕は簡単な言葉で伝えたかったんだよ。

難しい理論で伝えたって、さっき言ってたけど
あの難しい理論書の中で、あれを読みこなせる人が
どれだけの数いるんだろうねえ。
あんなに難しいこと、僕だってわからないかもしれないよ。
あの難しい漢字の羅列の中で、あれをもって
一般大衆、衆生がどのくらい救えるっていうんだろうかねえ。
それが法かい。
我々はそんなこと、法だなんて言った覚えがないよ。

イエス様だって、どんな言葉で伝えた。
ほとんど学問のない人たち、もうそういう人たちが、ぞろぞろぞろぞろ
イエス様とその十二弟子たちの後について、浜辺だとか、荒野だとか
いろんなところで、何もないところでイエス様の話を聞きたくて、聞きたくて
何千人という人たちが後を、裸足で追って来て
イエス様の話をうっとり聞いていたんじゃないのかい。

その人たちが難しい言葉、知ってたかい。
知らなかったろう。
それこそ今のあなたたちよりも、今の一般の人たち以下の知識力、学力の中でね
イエス様の言葉に涙を流して、人びとが仕事を捨てて
イエス様の後をついて、愛の言葉を、語る言葉を聞きに
後をついて行ったんだよ。

わかるかい。
それが法なんだよ。
人びとの心を感動させ、涙にふるわせ、愛という思いでいっぱいにして
感謝の涙が思わず湧き出て
「ああ神様、生かしてくださってありがとうございます。
私たちもこんなに許され、愛されているのだから
私たちもできることをひとつでもして
多くの人びとを救って、愛していきます。
ありがとうございます」という、その思い。
それだけをイエス様は、一生懸命伝えてまわったんだよ。
それがね、法の基本なんだよ。

難しい言葉で身を飾ることは簡単なことだ。
でもやさしい言葉で、大衆を感動させ、涙を流させ、ふるわせる。
これがね、逆に言うと
六次元、七次元、八次元、九次元と上がっていった者たちの修行になるんだよ。
c0171476_1722459.jpg

この人(アマーリエ)に聞いてごらんなさい。
このあいだ「詩を書きなさい」ってゼウス様に言われて
あなたたち読んだでしょう。
あのアマーリエの詩。
「難しい言葉使ったら、落第」って言われたって、言ってたでしょう。
この人の修行も、難しい言葉は使っちゃいけないんだよ。
やさしい言葉に愛を込めて、人びとに伝えていく。
それがこの人の使命なんだよ。

難しい言葉でね、言って喜ぶのは、学者か専門家か
あとは自分の知恵に自惚れた者たちだけなんだよ。
ほんとうに人びとを救いたい、そういう思いがあるならね
まず相手の認識能力、相手が何を必要とするかという理解力
それをまず優先して
その人に合った言葉で語りかけることが、縦横無尽にできるという時に
ほんとうの実力ある者というふうに、私たちの世界では評価されるんだよ。
それをほんとうの対機説法っていうんだよ。
わかるかい。

君たちはどうも見てるとね、難しい言葉にね
ずいぶん振り回されてるようだよ。
たしかに、学問僧、仏典結集
そういうことの任を常に負って来ている優秀な君たちのことだからね
それに流れるのはよくわかるし
そうやって学問的な、高度な裏づけがあってこそ
法というのは後世に残されていく。
僕だってそのくらいよくわかっているよ。

でも今はね、源流がね、降りているんだよ。
源流が降りた後に、難しく、難解な法の体系化をするんだろう。
キリスト教だってそうだろう。
まずイエス様は、本は書いたかい。
書かなかったでしょう。
やさしい、やさしい、女、子供にわかる言葉で、愛の法を説かれたでしょう。
その後、十二弟子たちが福音書で、まとめたでしょう。
使徒行伝とかそういうのもあるけれども、新約聖書というものを作った。

その後に、中世に、キリスト教神学なんていうので
どんどん哲学とタイアップして、難しいものにしていったよねえ。
そうでしょう。
それで形骸化していって、マルチン・ルターを出して
「おいミカエル、ちょっと行って、改革して来い」って言って
キリスト教の改革を、僕たちがさせたんじゃない。

仏教でも同じように流れてきたと思うよ。
それをね、最初からメシアが、というか、法を説く者が
源流が降りている時にね、難解なものにしようとしちゃったわけですよ。
それはね、メシアがメシアとしての仕事を、もう失敗した証拠なんだよ。
やさしい言葉で法を語ってこそ、意味があるんだよ。
衆生、大衆を救うというのが仏陀の仕事ならね。

仏陀はね、少しも難しい言葉をね、語らなかったんだよ。
僕は生前にそれを、みんなに伝えたんじゃないのかなあ。
どうだった。
『人間釈迦』を読んでどう思った。
難しい言葉ではないよ。
般若心経とかだって、あんな難しいお経のように
意味もわからずにみんな唱えてるけど
あれは自分の弟子たちに語ったやさしい言葉、その教えの内容の口語体を
その後インドの言葉から中国の言葉、日本語の言葉とかいうふうに
どんどん、どんどん言葉だけが伝えられて来て
わけのわからない偉そうなものにしただけだよって
僕、そういう言葉で伝えなかったかなあ。

ほんとうはね、とってもやさしい言葉でね
お釈迦様は、仏陀は語られたんだよ。
けっして常軌を逸脱したね、ヨガの行者たちのような
荒行をやるような、極端な断食をする中で
一部の者たちだけが悟りすましたものが悟りではないのだと
中道の普通の生活の、本来の中で、中道で相和して
心の中で八正道に照らし合わせて
神の子として、おのが神性に目覚めて生きていくという
内在した光を出していくということ
それが全てのものに平等に分け与えられた、神の子の証明なんだよということ。
それをやさしい言葉で大衆にも、そして比丘、比丘尼たちにも
やさしい言葉で仏陀という方は説かれたんだよ。
ひとつも難しい言葉は語られなかったんだ。
難しい言葉で語ったということはね、我々の世界では、落第を意味するんだよ。
それだけ大衆に対する愛がないという証明になるんだ。
なら六次元神界の専門家の方が、よっぽど難しいこと知ってるよ
我々以上にね。

君たちは、法というものを少し誤解しているよ。
悟りというものが、どういうものかを誤解しているよ。
難しくなればなるほど、ありがたがっているんじゃないのかなあ。

私はそれを原点(『心の原点』高橋信次著)の中で、
やさしい言葉で、やさしくてもハー卜のある言葉で
「それが神の声だよ、それが神の子である人間たちの、神様へ還っていく、
回帰していく道だよ」というその道筋を示したんだよ。
けっして難しいものじゃないんだ。
六十億いたら六十億の人間、みんなが神様のもとへ還られる階段は
はしごは登れるんだよ、ということを言ったんだ。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
スピリチュアルメッセージ集のご案内
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-23 12:12 | 高橋信次 | Trackback | Comments(0)

ヴィーナス(金星)の法~アマーリエ~(3)

お子さま方の、ご主人様ま方の命を育み
本来の姿として、開花するエネルギーとして援助していく。
それが、水というものをもって、ガイアという地球の母が
長い間、無言で私たちを生み出し育んでくださった
その女性性のエネルギーに気づくことなのです。
そして、私たち女性が
そのエネルギーを自分たちの力として気づくことなのです。

そのことに気づいたときに私たちは何ができるでしょうか。
子どもたちを未来に送り出すことができます。
ほんとうの地球人として、ほんとうに地球の未来をつくり
光の天使を育てることができる。
それがやはり女性たちの力です。

もう、国境や人種やイデオロギーで殺し合いをする
そんな愚かな子どもたちを
男の子たちをつくるのはやめましょう。
それができるのは女性たちなのです。

分裂して傷つけ合って、核爆弾を打ち合って
地球を滅ぼしてしまうのか。
それとも、愛のもとに互いに生かし合い、希望ある
光のある未来を地球にもたらすために
女性たちが手を取り合い
そして、多様な違いを違いとして認め合いながらも
その中でみんなが分裂することをやめて
統合の時代に向かおうと愛を叫ぶのか。
最後は女性たちの力であるということです。

女性の力。
その力が今まで永いこと見失われていました。
今までの歴史というのは
ほとんどが男性の陽の意識によって
その積極性の中でシステムがつくられてきました。
その中で女性たちはただただ守られ、子どもを生み育てて
自分たち自身の力に気づけないできたということです。

やはり、それを教えてくれる方がいなかったのが
原因だと思うのですけども
女性たち自身が、女性性というものがどういうものか
どういうふうに自分たちの存在に誇りを持っていいのか
わからなかったのです。

仏陀の時代においても
女性というのは、色香によって男性を迷わす者として
忌み嫌われました。

悟りたいと思うならば、女性は誘惑であると。
ですから、女性に対する法
教えというのはあまりなかったのです。

キリスト教においても同じでした。
女性で、もし神のもとに行くのならば
シスターとして、聖母マリアに献身する形で
この世的なことは一切捨てていく。
そうでなければ神に仕える道というのは
女性には与えられなかったのです。

ほんとうは、十月十日の間
自分の肉体の中で、天地創造を行える
素晴らしい生命というものを生み出す
そのような根源的な
母性の大いなる愛の力を神により授けられていたのに

そして、女性たちが、その身体を張って、命をかけて
子どもたちを生み続けてきたことによって
人類が脈々と続いてきたという側面があるにもかかわらず
私たち女性というのは
自分の中にある根源的な力に
誇りを持つことができないできたのです。
c0171476_15333035.jpg

でも、この最後のとき、どうでしょうか。
物質文明が究極まできて
そして、科学という唯物信仰がはびこってきたときに
人類が傷つけ合って滅びようとするときに
最後、それを分裂していくものを統合していくもの
やさしく包んでいくもの
怒り狂っている人類を、なだめ、落ちつかせ
本来の姿にしていく、愛で清めていくもの。
それは、人類の半分の女性たちが持っている
大いなる本来の母性というものなのです。

「その力によって地球を清めていくんですよ」ということです。
それを伝えるために出てこられたのが
月意識のセレニティ様という方です。
ほんとうに美しい方で、プラチナの透けるような
見事なプロポーションのお優しい方です。

その方は、聖アントニウスと呼ばれる
太陽の恒星意識の方の奥様です。
セレニティ様が出られるとき
大きな聖アントニウス様が
ずんと後ろで腕を組んで
必ず見守って立っていらっしゃるのです。
いかに奥様を愛してらっしゃるのかと思うのですが
とても素敵ですよ。

そのセレニティ様がこられて、地球人類のために
「女性たちが、自分たちの本来の力に、
エネルギーに目覚めるときですよ」ということを
伝えてくださったのです。

「私は人類と約束しました。
このときがきたら必ず私は出てきて、女性の法を語りましょう。
その約束を果たすために、私は今出てきました」と。

ですから、長い人類の歴史の中でも
私たち女性の永遠の転生輪廻の中でも
今日、この機会だからこそ
「女性の法」を学ぶ機会が与えられ
セレニティ様の霊言が聞けるということなのです。

レムリア・ルネッサンス / アマーリエ)

他のアマーリエからのメッセージ
http://nagoyasc.exblog.jp/i10/

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-20 15:07 | アマーリエ | Trackback | Comments(0)

坂本龍馬からのメッセージ(2)

この間も出た時言っちょったと思うけども
まあ明治維新なんていう一国の日本の問題だけじゃない
世界維新というものをあんたらはやろうとしてるんだ。

だからそういう意味において神さんが
まあ上の上の偉―い神さんたちが今大号令を発して
まああんたたちがここに集められ、偉い偉い神様たちの言葉を受けながら
その計画を今やろうとしちょるわけだ。

そしてあんたたちの言葉をもって、次の時代に出てくる者たちが
俺たちがやったような社会改革とか意識改革、構造改革
もう組織的な変革だよね、それをしていく。
そういうための、まあ時代をあなたたちは今任されようとしてる
このレムリアっていう計画の中で任されようとしてるということ。

そのことを思って俺が、出て来なくちゃならんだろう。
もっと俺なんかが出なくても夢を任せられるような、この竜馬の思いを
竜馬が散った思いは
あんたたちが頑張ってくれるためにこの日本をつくってきた。
でも、あんたたちが頑張ってくれないなら俺が出て行くしかないだろう。
もっともっと出て霊言とればいいんだろうけど
俺はあまりしゃべる言葉の中で、あんまり気の効いたこと言えない
松陰先生みたいにえらい難しい言葉言えるタイプでないから
単に情に訴えるような言葉しか言えんからねえ。

でもそうすると、竜馬の言葉はあまり聞いてても同じことぼっかの繰り返しで
あまり底がないぞとか、前も言われたしのう-。
まあ、内容つまらんと言われたかもしれんけど
俺は前回出た時には俺なりの気持ちで
西郷さんとか他の人たちの気持ちを伝えたつもりだ。

でも、もう明治維新は終わった。
お前らも、もう明治維新は終わったぞ。
いつまでも明治維新引きずるな。
おまんらがやろうとしてることはなあ、世界維新だ。
この地球を変えていくことだろ。

だからあの時代に倒幕派がどうだったとか、何派がどうだったとか
もうそんなことほじくるのはやめろ。
俺がどんなふうに殺されたかどうでもいい。
そんな俺が結婚したかどうか、そんなことはどうでもいい。
そんなことばっかり題材にするんじゃなくて
おまんらがやろうとしてることがどれだけ俺や松陰先生がやろうとしたこと
勝たちがやろうとしたことから見たら
はるかに規模のでかいスケールの大きいことかということをわかってなあ
命がけでやれ。
それだけじゃ。

今あんたらがやってくれることがなけりゃあなあ
俺がこれから急いであわてて冬支度してだぞ
あわててこの地上に出てったとしても、なんもできんかもしれんな。
なぜならこの世界にいる言葉をみんな忘れちゃう。
思いもみんな記憶消されちゃうだろ。

おまんらもそうだろ。
見てるとこちらに来たらさんざん、ぎゃあぎゃあ言ってやってくるだの
ああだのこうだの立派な演説して出てった連中ばっかじゃ。
でもその連中、忘れたろう。
自分がどんな演説したか、忘れちまったろうに。
立派な、俺にもわがらんような難しいこと言うとったぞ、おまんらは。
でも出てったらみんな忘れて、ねえ。
ここに来た連中はいいさ、まだ。
そうじゃない人たちは、まあそれは立派なもう
頭の痛くなるような立派な言葉を、いっぱい演説ぶってだぞ
その挙句が神様を裏切ってだぞ、今どうなっとると思っとる。

そのことを思ったらね、人間ばかでもええんや。
ばかでもいい、ほんとうの本筋のことさえわかってれば。
いちばん大事なことだけ見失わなければいいって、俺なんかは思う。
逆にいうと、そういうざあっとしたがさつな人間だから
俺はほんとの根幹の部分だけをやってこうと思ってる。

この世界維新のために必要なこと。
それはおまんらが残してくれる、大事な霊言っていうものをな、いいか
今はしっかりと残してもらうことだ。
それが今、神さんたちが今期待している、計画してる
計画を今地上に教えてくれてる貴重な時だぞ。
その青写真なくしてこの地球の改革は行われんぞ。

そんな簡単に神さんの言葉を
地上にいて記憶消されてる連中が理解できるなんてありえんぞ。
ちょっとした二代前三代前の死んで化けて出たじいちゃんかなんかの
先祖の霊の話を聞くぐらいならわかるかもしれんが
こんな偉い偉い、上から見た、はるか首が痛くなるぐらい
もげそうなぐらい上を見なきゃわからんような神さんの言葉をなあ
計画をなあ
この地上で肉体を持ってるうちに聞けるような人間なんてそうはおらん。
でもその青写真抜きにしてこの地球を変えるなんて
めっそうもないようなすごい大計画を実行するなんてことは
さすがの俺たちでもできんのだ。
c0171476_200634.jpg

日本の将来をどうするか。
黒船が来て開国したほうがいいかどうか。
文明開化やったほうがいいかどうか。
そのぐらいの判断なら俺たちだってできる。
でもこの精神的な革命を通して、宇宙人とやらが来るような
そのUFOとやらの来るような、宇宙人と話しながら
この愛のルールで、俺の大っきれえな坊さんたちの話聞きながら
宗教改革をしていくなんていうことをだぞ
世界規模でやるっていう大計画を
俺たち普通の人間たちが考えて青写真つくれると思うか。
思うか、おまえら。

そりゃ偉い、偉い神さんたちが
練りに練って考えついた計画なんだってことだよ。
その計画を降ろしてもらえるから、地上にいる戦闘部隊っちゅうか
革命部隊っちゅうか、その連中が行動できるんだろう。
地上にいるふつう一人の平凡な人間がだぞ
考えたってそんな計画考えつかんわ。

これは地球の永―い永―い歴史を見守ってきた偉ーい神さんたちが
ちゃーんと永いこと計画立てて
今の時っていうものをつくってそのために、今用意した。
そのために明治維新を
「行って、おい竜馬たち、おまえら行ってちょっと日本の地を文明開化させて
いずれ地球の大計画の神理運動の地盤となるために整えてこい」
っちゅう言われて「わかりましたー」って出てったのが俺たちさ。

だからそういう意味で言うと、いろんな国に出てって
いろんなところでそういう革命の
これから神理が説かれるための土壌というものをつくるために
俺たちはいつも出てってるんだ。
そのためにブルドーザーのように荒くれの連中が出てく時代が必要だろ。
だから出てった。

そしてその上であんたたちみたいな人たちが出て来て
偉い坊さんたちみたいな人たちが今回いっぱい出とる。
仏陀っちゅうのが出てるぐらいだから相当偉い坊さんたちがいっぱい出てる。
でもそういう偉い坊さんたちが出てる時っていうのは
俺はあまり好かんから出ん。
社会の構造改革っちゅう基本的な荒くればっかりが出てく時代のほうが
俺はよっぽど好きだ。

いつ、たたっ斬られたって構わんしなあ。
いつ、どんなふうにされたっていいが
もう辛気くさい話ぼっか聞かされて、勉強ばっかしろとか言われたり
この神さんごとばっかりやれって言われんのは、そりゃ御免こうむるから
そういう俺みたいな荒くれの連中が出て
社会の構造改革をするような時こそ俺は仲間と出てく。

だけどあんたたちはそういう法っていうものが説かれる
ひじょうに知的な頭のいい人たちがいっぱい出てる時代に
今出てることも事実。
うまくいけばそれで改革できたでしょう。
でもまあ、人間のやることだから、失敗もあったってことだ。
それで修正の修正計画というものが行われて
上の神さんも相当本気で躍起になってやろうとしちょる。
で、最後の、最後の計画だということを俺もねえ、集められて聞いたよ。

松陰先生もさっき言ってたけど
その我々から見たらまあ、人格霊としては、おらんだろうと思ってた
そのアラーとか言われてるような、ものすごく上の
我々から見たら太陽そのもの、光そのものだから
人格霊でないと思うぐらいすごいお方から、集められてなあ
こちらの世界にも、大きなホールみたいなとこがあるんじや
そこに集められて、だいたい菩薩界から如来界の下段階ぐらいの連中かのう
集められてのう、エル・ランティっていう方自ら来られてのう
今回の計画のあらましっちゅうのを話されたんじゃ。

それでどんなことが行われてるか聞いて
「はーっ、すごい計画があるんだな」と
その意味において、その我々から見たその九次元と呼ばれてる
その方がたがどんな計画を行われ
どんなふうにまあ
魔にひっくり返された計画を建て直そうとされちょるかということを
まあ今の段階で、明かされる限りのことを伺ったということ。
だから、まあ松陰さんもみんな知ってるわけだけど
ま-あ、ようもここまでやられたなと
俺がいたらこんなことさせんかったのになあと、思うとこもあるけど
まあ坊さん軍団がほとんどのな、今回の計画だから仕方ないかなとも思う。

(2005.3.12 レムリア・ルネッサンス
スピリチュアルメッセージ集のご案内
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-17 19:54 | 坂本竜馬 | Trackback | Comments(0)

アポロンからのメッセージ(5)

どうか皆さま方におかれましても
愛の共鳴、愛のバイブレーションというものは
あなた方が語る以上に深い、深い共鳴性というものを持っております。
共鳴というのは、離れていても
人びとがほんとうに愛の本源、愛のエネルギー
神の天上界からのバイブレーションというものに感動し
語り伝えていくのならば
必ずや内に入っている神の子としてのみんなが共通のバイブレーションが
愛の波動と同じものを、このレムリアの指導霊たちは
天上界からのメッセンジャーたちは、同じ波動を地上に送っているのです。

それを、CDを通して、私たちの言葉を、そして文章を読んでいくうちに
読まれる方がたの中に、すべての方がたにある愛のバイブレーション
根源の神につながる神の子としての愛の波動に共鳴するのです。
共鳴したものは共鳴したものを生み、振勤し
愛の波動が駆け巡っていくのです。
そうやって、人びとの神の子としての愛の波動に点火されていき
人びとの心の中に神の子としての自覚が次々と芽生え、光り輝き
愛のたいまつが点々と、ろうそくの炎のように、次々と点火されていく。

まるでクリスマスのキャンドルサービスのときの、キャンドルたちのように
小さな、小さな光であっても
すべての光が順番に順番に点火されていく中におき
だんだんそれがその熱により、みんなの心の奥にある神の光に
神の心に次々と、国を越え、時代を超え
人びとの心に神の子としての光が灯されていき
いつの間にか大きな、大きな神の愛の熱、炎というものが
光というものがこの地球を通して輝きわたるような
地球すべてから愛の光を発信する、愛の星へと共鳴することによって
地球中を覆うような、そのような愛のバイブレーションの輝きの中に包まれる
そのようなことを私たちは希望し、夢見ております。
それが天上界の夢です。
何もないところに、無理やり火をつけようというのではないのです。

もう、私たちが創造の最初から
神によりつくられた愛一元の魂たちであるという
その魂の内奥にある、そのフレイム、炎、炎ですね、炎のきらめきの中に
私たちの愛という灯火に点火していく
そのような光の行進というもの、それを点火していく。

そう、まるでオリンピアの
オリンピックと呼ばれている聖火のリレーであるかのように
レムリアは天上界のその神の光というものを
レムリアの霊言という愛のバイブレーションという
たいまつをもって行進するのです。

そのたいまつを持っていけば、必ずやそのたいまつを愛のバイブレーションに
天上界から降りてくるメッセージの愛のバイブレーションに
それを聴き、感銘した者たちが自分たちの心の奥にある
神の愛のバイブレーションに火を灯します。

ひとつひとつ小さな神の子たちのキャンドルに火が灯り
それを灯しながら、灯しながら、あなた方は行進して行くのです。
それを発信し続けていくのです。

光一元の、愛一元の教えこそが神の根源であります。
悪などはその迷っている、学習がまだ至らない、愛を学ぶ途中の者たちに
その結果として
今、一時の因果として結んでいるだけの影にすぎないということ。

そのような考え方をもちまして、あなた方は絶対的なる宇宙の根源の、愛の法則
愛の神というものを認め、愛の法則のもとにつくられし、愛の神の子たちの
その心の中に光を灯し、そのために、今、霊言があるのだということ。

そして、灯された一人ひとりのキャンドルである神の子たちは
みんな力を携え合いながら、次の愛の時代がくる、愛の精神を基盤とした
愛の星の実現へ、それこそが神の国の実現であるということ。
そのことをもってあなた方の使命とし、地球人類として次の時代に
愛の輝ける地球として、愛の地球、愛の星として、地球を輝かすことをもって
次の宇宙時代の幕開けとさせていくのです。

その神の子である、神の意識の
愛のエネルギーの分けみたまの自分たちであるという
最低限の共通認識を持たねば、次の時代において
宇宙の仲間たちと共通理念において
彼らと同じ段階での話し合いというステージには登れないのです。
他者を傷つけ合ったり、侵略したり
自分の我欲のために他者を踏みつけにしたり
支配していこうなどという愚かな考え方があるうちは、愛の分かち合い
共鳴の波動の中から弾かれてしまうのです。

さっきから何度も申しますけれども、波長同通なのです。
愛の波動理論から見まして
愛を持たぬ者は、そうでないものが混じっていったときには
愛という磁場からははねつけられ同調できぬという
彼らとは意思をコンタクトしたいと思っても、彼らとはコンタクトできない。
彼らはすぐ近くに来ていてコンタクトしたいと思っていても
一部の霊能者以外、そういう感性を持った者たち以外とは同通できないのです。

それはなぜか。
心の中に愛を思う比重が少ないということなのです。
霊能力だけではありません。
あなた方の中に霊能者と呼ばれている方たちが
いろいろ巷にはいるでしょうけれども
愛をもって神を語ることができてこそ真の霊能者なのです。

それは霊能者という言葉を使わなくても
みんなが愛というものを深く自分の中に蓄え
愛という波動の中で、その精妙なバイブレーションの中で、魂を磨き上げ
日常生活を行っていくことができたのならば、どんなものでも
愛というバイブレーションの、共通の波動の中において
天上界の我々とコンタクトできるのです。
宇宙における仲間たちの声を、本来は聞くことができるのです。
c0171476_1864751.jpg

我々の世界は愛一元、愛の波動そのものであります。
宇宙の、宇宙から来られておられる、兄弟たちにおかれましても
地球をたいへん心配し、愛の思いで見守られております。
波長同通の原理においてのみ、我々の言語というものは理解できるのです。

それができぬということは、その愛の思いから、神の子としての愛の思いから
自分自身の魂が放つバイブレーションが、いかに愛の次元から見て
ひじょうに共鳴できぬレベルのものであるかということを
反省していただければよいかと思います。

たとえ、現象としての霊道現象というものがなかったとしても
人びとの奥に深く眠る愛の思い、神の子としての愛の深い波動に共鳴し
自分が掘り下げていくのならば、必ずやインスピレーションとか
様々な文章を書く、言葉を、語る言葉の中に
神の意思というものは常に入ってくるものなのです。

そして愛の深さがそのまま人徳となり
人びとを惹きつける魅力となっていくものなのです。
それが神の子としての光り輝く道なのです。
修行していく過程なのです。

いたずらに霊言を欲しがり、いたずらに霊道現象を求めるのが
そこから阿羅漢になろう、如来になりたいなどと思うこと
そのもの自体が基本的に間違っているのです。
そんなものではなく、愛深く、愛深く、他者を自分のように思い
愛して世の中のために、少しでも人びとの愛を受け入れて
神のご意思を地上に広めて、愛の中で生きていきたいと
切に、切に願っていく。
そのような知恵と深い精妙な愛のバイブレーションが
自らの魂の中に蓄えられたとき
人びとはいやでも神の声を聞くことができるということ。

それが宇宙の本源につながっていく智慧になり
いつでも神のもとからの叡智というものを、自分のパーニャパラミタを通して
人びとが引き出すことができる。
それをもって、たとえば九次元の救世主界におられるような方がたの
あの叡智は存在するのです。

その時代の中で知識を、少々、ゴタゴタと学んだからといって
あのような方がたのようになれるでしょうか。
時代は変わり、そのような価値観も、学問や学識のレベルも変わるのです。
であるなら、なぜ、あのように叡智、知恵深き素晴らしい
万能の天才のような方がたがおられるかと申しますと
あの方がたは自分の中において愛深き思い、神に同通する道というものを
深く、深く学ばれたことにより、本源である神のエネルギー体に直接同通し
その中から神の叡智というものを自由に引き出せ
ご自分たちの智慧として活用できるという
そこまで悟られた方がたであるからこそ
あのような指導、大指導霊、大救世主と呼ばれている世界におられて
人びとを善導することができるのです。
地球を任されていることができるのです。

ですからひとつの時代の中において
どれだけ優秀であり、知識を蓄えたといっても
それは時代を貫き、星々の価値観を超えて
それでも、なおかつ不変の真理、叡智となるには
神の叡智というところまで到達せねば、真の智慧者とは言えないのです。

その真の智慧者というのは何であるか。
最後はどれだけ責任を取り、どれだけ多くの方がたを愛し
どれだけの多くの方がたを幸せにしていくことができるか。
そのような決意の中に生きておられるか。
そのような思いの深さ、愛の深さにより
その方の叡智というものは愛の根源により任され降りてくるのです。

(2005.6.16  レムリア・ルネッサンス
スピリチュアルメッセージ集のご案内
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-13 18:04 | アポロン | Trackback | Comments(0)

エル・ランティからのメッセージ(11)

我々がこのような話をできるような時代になったということ。
そしてこの愛の原理に我々一人ひとりが気づいたときに
大宇宙より多くの友が
あらゆる技術をもって応援しようと地球のまわりにきてくれています。

彼らはもともとわたくしの友でもあり、この地球人たちのルーツでもあり
我々を援助してくれようとする、宇宙のすばらしき仲間たちであります。
しかし、彼らが援助しようと、様々な知識を与えようと思っても
もし宇宙人があらわれたなら、ロケット砲などで円盤を打ち落としてやろう
などというような野蛮な民族の星の者たちに
どうして彼らが近づいてくることができましょうか。

他の星の者たちから見るならば
地球に住まうものは、ひじょうに原始的な星の住人であるわけです。
だからこそ、愛に同調した
本源の愛の神の子としての自分自身をしっかりと見つめ直した
友好的な愛に溢れる姿を見せなくてはならない。
そうすることで、今その存在をけっして見せない
見せてはいけないのではあるけれども
その姿を見せない彼らが次々と姿を見せて
あなたたち地球人に様々な技術を与えてあなた方を助けて
新たなアクエリアスの宇宙の
霊性文明の発達の時代に導いてくれる手助けをしてくださるということ
そういう時代がくるということを、あなた方は知っておきなさい。

それと同時に、地球神としてのわたくしたちの指導も
前以上に多く、あなた方に指導できるようになるでしょう。
自分自身が愛の塊であり、神の子であるという原点にあなた方が戻り
わたくしが高橋信次として説いたときの反省法に則り
己自身の霊性というものをしっかりと反省し
神の子本来の原点に戻ったのならば
あなた方に失われている
今、まあ、この者(アマーリエ)などは
霊言というものをとって当たり前にやっていますが
他の方にも本来備わっている
霊道現象と呼ばれている霊能力が復活してくるのです。
テレパシーなどは当たり前のことなのです。

別に、霊言をとるこの者だけではなく、本来であるならば
犬であっても、猫であっても、虫であっても、自然界の花であっても
そのような精霊たちはみんなテレパシーで交信をしているのです。
それを今、あなた方地球人は失ってしまっている状態なのです。
その状態を、能力を回復していったとき
宇宙の友たちと自然にコンタクトできるようになるでしょう。

このような口から出る言語。
この者の通信をみていてもわかるでしょう。
この者は言語に一生懸命、翻訳しているのです。
よろしいですか。
翻訳の前にテレパシーで言いたいことは伝わっているのです。
伝わっているから本人はわかるけれども
あなた方に伝えるために言語化をしているのです。
それは宇宙の者たちも同じです。

テレパシーで来れば、言語がたとえ違おうと何であろうと
言いたいことは伝わるのです。
しかし、言語でしか地球人が理解できないから
だから彼らは、宇宙語というのはそれぞれの母国でしゃべる言葉ですけれども
彼らはひじょうに苦労しながら地球語を学び
しかも変換機のようなものを使いながらでなければ話ができないのです。
c0171476_658530.jpg

本来、あなたたちが亡くなり
こちらの天上界の世界に戻ってきたときには、肉体を脱ぎ捨ててきます。
そうすると、あなた方の肉体は霊体という形になるのですが
そうなったときには、当然のようにテレパシーが使えるのです。
これは、肉体に支配されたときに、ひじょうに限定された
硬い、硬い肉体という物質的な限定の中に閉じ込められているから
あなた方は本来神が与えられたテレパシー能力を失っているのです。

地上にいても、先ほど申しましたが動植物などでは
鉱物においてもそうですが、テレパシーでの交感ができます。
だから、この間話しておられたように
花の精霊と話ができるというようなことは当たり前のことなのです。
あなた方全員が、話せて当たり前なのです。
彼らは一生懸命伝えようとしています。
しかし、受け手がそのような澄んだ心を持たぬから
あなた方は彼らの言葉がわからぬ。
精霊界や妖精の言葉がわからぬということだけなのです。

それと同じであって、心が澄んでいったならば
反省により、本来の神の子であるきれいな丸い心になっていったならば
当然のように宇宙の者たちと
テレパシーでコンタクトできるようになるのです。
それは一部の霊能者だけではなく
地球人みんながそのようになっていけるということ。
そのような時代が必ずや、飛躍的な今回の計画が成功したのなら
遅かれ早かれそういう時代が来るのです。
そうしたら、言語というものを使わなくても、他の惑星の者たちと交流できて
彼らの言いたいことがわかっていくようになるでしょう。
そういう時代が来るということです。

それを霊性の文明の開始と申しますか
水瓶座の時代のはじまりということをもって
我々は宇宙時代の幕開けというふうに呼んでいるのです。
その時代が来るための
大自然の最後の地上浄化の学びのときが今であるということ。

今までと明らかに波動が変わるのです。
明らかに今までの、戦国時代とかいって人びとが戦い合ったり
自分たちの欲や地上の権力などに振りまわされて
お金などに振りまわされて
ひじょうに原始的なレベルの話でいがみ合っていく、そういう時代から
自分たちが神の子意識であり、愛の奔流であり、宇宙は愛そのものであり
愛のボルテージそのものが神の、地球として
期待された次元になっていくために
わたくしたち一人ひとりがあるのだと
他の言葉で言うならば、神の花園に咲く花になっていこうと
そのような言動になっていったのだと思います。

愛のボルテージが高くなっていくこと。
そして、愛そのものになっていくということ。
それが宇宙における神の法則であり
神のご希望になる姿そのものであります。
あなた方はそういう時代をつくるための、そのための最後の先ぶれというか
ステップアップのときの大事な、大事な使命を担う
使者としての仕事があるのです。
それを常に思い、今の仕事を考えていただきたいと思います。

(2005.7.30 レムリア・ルネッサンス
スピリチュアルメッセージ集のご案内
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい。
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-10 10:38 | エル・ランティ | Trackback | Comments(0)

マヌからのメッセージ(23)

男女の姿というのは、あなた方が思っている以上に自由なものであるし
そして、ちゃんとした意味があるということ。
その意味を人類は知らないから、間違った方向に濫用しているから
不幸の種を、混乱を、混迷を導き出してしまっているのです。

ほんとうの意味で心惹かれるもの
その魂のパートナーに出会っている方がひじょうに少ないのが
今の地球の現状です。

その中で、あなた方が何をなしうるかといえば
心と心で引き合った相手、神より与えられた相手を
心から感謝をもって受け入れて、ともに歩んでいくこと。
もし、その相手が魂のパートナーでなかったとしても
そこから学ぶ意味は大きいのです。

ひとりで生きていくよりも、ふたりで生きていった方が
愛が何であるかということを、根本的に学ぶことができるのです。
自分の魂のパートナーでないから一緒にならないなどというのは
思い上がりです。
傲慢です。
自分自身を幸せにするのではなく、まず自分のパートナーを、愛する者を
家族を幸せにしていくことができなくては
その先の、ほんとうの魂のパートナーに出会う道はないということなのです。

確かに、自由を束縛されたり、不自由なことはあるでしょう。
自分のやりたい時間も犠牲にすることもあるでしょう。
でも、どうでしょう。
あなた方はこのレムリアのために、どれだけのエネルギーと、時間と
お金を使っているでしょうか。
でも、喜びをもって、奉仕の心で使っていますね。
これが神に対する愛の奉仕です。
愛なのです。

あなた方が、大事な貴重な時間、小説を書きたい方もいるでしょう。ね。
ここになんか来たくない、家に帰って小説を書いていたいのに
こんなところに来て何日も泊まって、やらなきゃいけない。
時間とエネルギーをどうしてくれるんだ、と思うかもしれない。
けれども、それでも来てくださった。
レムリアでたくさんの仕事をしてくれている。
みなさんも、ほんとうに多くの仕事をしてくださっている。
自分がやりたくない、ほんとうはやりたいことがあるのに
やりたくないことのために、自らの時間と、お金と、エネルギーを犠牲にして
やれることをする。
そういうことが愛なのだということ。
それをどうか、学んでいただきたいのです。

あなた方がそういうことをもっと学ぶ、実践的な日常の中で
愛を日常の一コマーコマの中で電ね、積み上げ、愛を学んでいるということ。
今回の人生があって、次の人生がある。
一歩一歩、階段を上がっていくように、学んでいくのです。

でもね、自分の魂のパートナーにめぐり会ったとしても
別れてしまう場合もあるわけで、でも、一時別れていたとしても
別れていたことが、お互いの魂にとって
どれだけマイナスであったかということ
苦しかったかということを思えば、再び出会ったときに
より一層、前以上に大切にすることを学べるのです。
そんなものです。

だから、すべての人生が
すべての一コマーコマが、かけがえのないものであるということ。
無駄なものは何もない。
そのことを、僕はあなた方に伝えていきたい。
愛というものに無駄はないのです。

もし縁があるなら、ひとりでいるよりもふたりでいること。
そこから学ぶこと。
そういう人生をお勧めしたいと思うのです。
だからといって、強制するわけではありません。
ひとりで生きていきたい方はそれでいい。
でも、もしご夫婦でいて、結婚しているなら
ここにも「お子様がー」という方がいますけどね
あなた方にも縁があるのです。
子どもがいるかいないかということが
男女の魂にとっての縁の強さ、弱さにはならない。

霊天上界に帰ると子どもはいないのです。
子どもはいないけれど、魂同士は引き合うのです。
そうやって、男女の性はあるのです。
男女の性は、いっしょに暮らしていても、子どもができても
そこで学ぶことがたくさんあります。
確かに、愛というのはいろんなものを学びます。
しかし、いずれ、子どもというのは巣立っていくものです。
最終的に残るのは、夫婦です。
男女なのです。
そこから、愛の根源的なことを学ぶのです。
子どもがいるから、いないから、それが成功失敗の要にはならないということ。

逆に言うと、それを通して、自分が今回何を学びたいかということ
何を第一義にしてきたかということ。
そして、自分ではわからないかもしれないけれど
それこそが、過去世からのカルマの刈り取りであったりするのです。
そのようなことを考えて、あなた方の今回の人生というものを
大事にしていただきたいのです。
c0171476_16594961.jpg

魂は永遠です。
永遠の魂の流れの中に、「今」というときがある。
それを少しでも豊かに、愛の実り豊かなものにするために
男女というものがあるのです。
そのために、一切のものがある。

だから、自分が、ひとりで生きたいと思うならば、それはそれでいいのです。
それを、その質問をした方の中にも
「あらねばならぬ」という思いがあるのかもしれない。
どうしても、自分が、男性として独身で生きていたいなら
そのように生きればよいのです。
自分で選べばいいんです。
僕は「お勧めする」と言っているだけであって
「ならねばならぬ」などという言葉は、僕は大嫌いです。ね。
義務感で結婚などするものではないし、義務や責任だけを課せられて
付きあわなくてはいけないなんてことはないのです。

フォールインラブって言うでしょう。
愛するというのは、愛の中に、気づいたら落ちているものです。
ハートがときめくものです。
喜びがあるものです。
その中で生きたいと思えば、選択すればよいのです。
「ひとりよりもふたりで出会っていく、愛の中で生きることのほうが
より豊かな人生になりますよ」「学ぶことがありますよ」
「愛を豊かに学ぶことができますよ」と、そう申し上げたいだけなんです。

そして、もし、愛というものを学ぶことが
あなた方の中で、自分自身の中で、つまらない罪悪感があるとしたら
僕は、その罪悪感からあなた方を解放してあげたいと、そう思うのです。
気持ちを解放して、喜びをもって男女の愛を睦み合っていくような
よりオープンに表現していけるような、そのような地球世界にしていきたい。
それが、愛のルネッサンスが起きた後の、男女の姿そのものかもしれません。

どこに行き交う者たちも、恥ずかしがることなく手と手を取り合い
愛するパートナーとともに行動し
ひとりよりもふたりでいっしょにいるからこそ
ともに仕事ができる。
その姿を、僕は、今回あなた方に見せているのです。
本来の根源的なパートナーでなければ、このようなことはできない。
男性のエネギーと女性のエネルギーが合一するからこそ
このようなことができるということ。
しかもそれが、男女が合一するだけでなく、エネルギーが合一するだけでなく
天と地を結ぶ架け橋にもなるということ。
そのことを、あなた方に見せているのです。
それほど、神のエネルギーは偉大だということ。
奥が深いものであるということ。

なのに、男女が出会っていくことが間違っているとか、罪であるという意識を
もういい加減、神理を学ぶ者たちから、拭い去らねばいけないと
僕は思うのです。
性がいたずらにもてあそばれている現代だからこそ
根源的な愛がいちばん基本にあり、最終的にそれが帰結する姿として
性的に合一する姿があり、性的なものが合一する姿は
クライマックスには神の懐に戻っていく旅であるという
そこへ昇り詰めていく姿であるということがわかれば
少しも卑しいものでなく
少しも醜い、いやらしいものであることはないはずなのです。

そこから、大いなる神の子孫が、人間が持つ創造エネルギーの究極として
男女がめぐり会うことによって
新たな魂が、生命が誕生するのではないでしょうか。
生命が誕生するということは、人間に与えられた創造
神より与えられた創造原理を
そのまま創造者として、この地上に行っているということなのです。
だからこそ、男女のエネルギーが出会っていくこと。
そのことを、もっともっと喜びをもって
そして、何が根源的な姿であるか
それを今日申し上げたのですが
そのことに則って、愛を行っていただきたい。
日常というものを行っていただきたいのです。

(2005.8.20 レムリア・ルネッサンス
スピリチュアルメッセージ集のご案内
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-06 14:03 | マヌ | Trackback | Comments(0)

坂本龍馬からのメッセージ

アマーリエ:困ったね、これ。飲んでるよね、すごい。
これで飲んでない?
飲み方、全然違うんだもの。
今私じゃなくて、竜馬様が飲んでいるのよ。
わかる?

坂本竜馬:日本酒はないのかな。

アマーリエ:もう、だめよ。

坂本竜馬:もう一口。

アマーリエ:ちょっと、この人いくらでも飲むからだめ。(ゴクゴク)

坂本竜馬:ふうーっ。

皆さん、久しぶりです。
いやーっ、いつも姐さんの後ろから見て、見させてもらってるけど
まあ今日もまあ松陰先生なんか呼ぶから、僕は、脇でお酒も飲めないし
どのぐらい待つのかなあと思っていたけど、皆さんのやっぱり要望があって
今日も僕は出て来ることができました。

そろそろ通信手段も覚えて
この人の言語中枢とやらを使うのがうまくなったんで
もし俺のわずかな言葉が、皆さんのお役に立てるならねえ
こうやって何度でも来させてもらおうかと思ってます。

さっき、松陰さんがいろんなことを言って、やあ怖い人だけども
彼自体もやっぱり日本の将来っていうことを考えて
あと世界の将来っていうことを考えて
あなた方に、まあ素晴らしい意見をおっしゃってたわけだけど
もういくら毎回出してくれってこの人、この姐さんに言ってんだけどね
もうなんか忙しいんだか、霊言とるのが嫌いなんだか
何なんだか他の人の順番があるんだか知らないけど
俺の霊言集だけ出してりゃ絶対にベストセラーになるって
あれだけ言ってるのに、あんまり呼んでもらえないんだよねえ。

だから、もうみんなに俺の気持ちを伝えるのは
伝えてみんなに動いてもらうってことを待ってるには
もうとうとうしびれを切らして
俺も出て行きたいなあって思って、その申請をして
今そういう段階に入ってます。
もう我慢できない。

君たちねえ、今こういう時代になってきて、こんなに社会の中で
この今の日本っていう場所が
大いなる計画の中で素晴らしい仕事をできる場所にきてて
やらないって手はないと思うよ。

男なら、大きな壮大なスケールの中で、今この地球のために何ができるか
前、言ったでしょう「平成維新だ、世界維新をやるんだ」って言った。
「脱藩しろ」って言った。
その思いっていうのがこれからねえ、この地球規模で起きてくる。

世界の人たちが脱藩するんだ。
世界中の人間が脱藩して、今までのこの物質文明の
この一方的なこのつまらない
人が人を殺し合うような、いがみ合うようなところから脱藩して
神の子っちゅう、もう世界中の人びとが愛し合うような
そんな時代の幕開けをやるために、精神的な脱藩をして
この地上を改革していくという、そういう大革命の時を越えて
この地球を変えていくという、そういう偉い神さんたちが計画をしたっていう
そういう計画があるんだろう。

さっき聞いてたと思うけど、我々はその一部として
その前段階として明治維新というものを興すために
この日本の地を整えるために
我々は出てったっていう過去があるんだけれど
でもまあだからといってあんたたちがやろうとやるまいと
どっちでもいいんだけどねえ。
やりたくなきゃやらんでねえ、帰ってくりゃいいんだけどねえ。

でも、我々としてみたら、こんなあ、男として本懐を遂げるに最高の場所だと
死に場所だと、俺なんかは思うぞ。
俺だったら明治維新ぐらいで使わないで、こっちに出てくりゃよかったと
つくづく今のこの連中の姿を見てて思うんだ。

日本男児も落ちたもんだと思いながら、そのこないだの、なんだ
あの連中のあれを見てたけど
まっ、ちんまい奴らばかりで、もうほんとに張っ倒してやろうかと思って
たたっ斬ってやろうかと思いながら見てたけども
ほんとにもう情けない。
あんなことをするために、神さんの言葉を毎回聴いてたのかと思ったら
情けなくて情けなくてねえ。

俺なんかよりよっぽど頭のいい人たちでしょ。
まあ、あんたたちも俺なんかよりよっぽど頭いいんだ。
おれはあまり本読まんし、勉強せんし。
さっき松陰先生が、なんだって
ああ「サタンにあらず、怠け者がどうのこうの」とか言ってたけれど
俺なんか怠けもんの極致よ。

ねえ、剣は好きだよ。
で最後の瞬間まで頑張り続けるということはやったけど
あんまり努力精進とかねえ
こう型にはまったことで努力するってこと苦手な人間だから
ずぼらだし、まあ好き勝手なこと言いたい放題言って
好き勝手なことやって人生終わってきた人間だけどよ。
だけど、一つの大義というものはあった。

その時代の中で、多くの人びとのために
何をするのが今のその時代にとって必要かということ。
その中でこの坂本竜馬なんていうひとりの人間がね
どうなろうとそんなことはどうでもいいことだった。
だからあの当時にするなら、松陰さんも言ってたけど
日本をあのまま放っておいたらどんどん立ち遅れてしまう。

やっぱり世界の情勢、流れっちゅうもんがあってなあ、そこについていって
そこの中でやはり学んでいかなければ、いつまでもあんなちょんまげをやって
刀をやってるような時代の中で
江戸時代っていう徳川幕府の将軍様の言うなりになってるようなねえ
世の中に、時代の中にいちゃいけない
社会の中にいちゃいけないよって、俺は思ったさ。

だからそれならば、何をしていくのが
どうなっていくのが日本の理想的な姿かっちゅうことを
ない頭ふり絞って考えたわけだ。

そしたらやっぱり文明開化という世界の波に乗りながら
その中でこの日本っていうものがやはり
それなりの世界と肩を並べるような力を持っていかなかったら
いずれ他の中国とか他の国々みたいに属国にされて
多くの者たちの、支配者が入って来て、この日本がずたずたにされて
日本っていうものの存在理由なんかどっこもなくなっちまうだろうと
そういうふうに思ったのさ。
c0171476_12491259.jpg

だから命がけで日本を開国させ
日本をなんとか世界のレベルについて行かせるように
俺たちなりに頑張った。
命を張った。

そういう大義をするためには、自分が長州の出だとか土佐の出だとか
薩摩の出だとかねえ、そんなつまらんこと考えずに
日本人としてみんな手をつなごうじゃあないかと
そして日本の将来のために
日本という国を素晴らしい国にしていかなかったら
俺たちは駄目じゃあないかと
そういうことを西郷さんたちにもね、言って回ったわけだよ。

その時において
あんたたちの時代から見たら考えらんないかも知れないけど
俺たちは土佐藩士とかね、薩摩藩士とか、会津藩士とか、長州藩とか
そういうことにひじょうに、なんていうかとらわれていた時代なんだ。

そこでしか、逆にいうと自分たちの意見とか
存在理由っていうものを出せなかった時代だから
薩摩なら薩摩の立場ってことを常に大前提
そして士族なら士族、どの殿様に仕えてるかとか
そんなことがまず大前提になった、個人の意見よりな。
だけど、そんなことがいちばん大事なことじゃあないんだよ。
俺はそう思った。

だから何藩であろうと手を結んで日本のために
そして黒船が来た、外国に対して日本としてみんなで手を取り合って
日本の将来を明るいもんにしようよっていうために、そういう大義のために
そういうビジョンのために俺は命を張って、駆け抜けて生きていった。
燃え尽きていった。
その意味においてあの時代の、俺の坂本竜馬としてのね
一生は少しも悔いることはなかったと思っとる。

でもその評価を今日みたいになんだか知らんが
テレビのドラマとかでいろいろやっておるが
まあ当たるのもありゃあ、当たっちょらんものもたくさんあってな。
なんかいろいろ持ち上げられたり、けなされたり、いろんなことがあってな。
まあいいんだけど、そういうふうになりたいからやったわけじゃないぞ。
そんなためにやっとらん。

ただただ日本の将来を明るいものにし
日本っていう場所が素晴らしい世界の列強の中に出てっても恥ずかしくない
そういう日本国民として日本の民として
どうしたら日本っていうものが取り残されないようにするかっていうことに
焦点を合わせて自分の考えを一生懸命、ない脳みそをひっくり返して考えて
そしてあとは死に物狂いで走って生き抜いたというだけのことなんだ。

(2005.3.12 レムリア・ルネッサンス
スピリチュアルメッセージ集のご案内
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村*あなたの愛に感謝! バナーをカチッとして下さい
[PR]
by nagoyasc | 2016-12-03 12:45 | 坂本竜馬 | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
ブログパーツ
ブログジャンル
画像一覧