地球を愛の星へ

ヴィーナス(金星)の法~アマーリエ~(24)

そのためにも、まず私たち
女性たち一人ひとりが母性の力に気づき
ほんとうの意味で女性本来の誇りを取り戻すことです。

母性というものは、母親だけが持っているものではありません。
すべての女性に神が与えてくださったものです。
これまで、その女性本来の力というものが
ずっと見失われてきていました。
今まで女性たちは抑圧され過ぎていたのです。

かつては教育も受けられず、選挙権もありませんでした。
しかし今は、大学に行くこともできて
知識を持って世の中を見渡し
判断することができるというありがたい時代です。

戦後、女性たちは、「ヨーイドン」という感じで
いっせいに自由な方向に開放されたのです。
しかし、そうすると今度は、女性が男性化し
女性が男性と競い合うようになっていきました。

日向様は、「猫と犬のたとえ」をされています。
猫は女性で、犬は男性です。
猫は、ゴロニャンって言いながら近づくけれど
首輪をつけて散歩なんかされるのを最も嫌う
気ままでしなやかな生き物です。

それなのに、私も犬になりたいと
首輪をつけて散歩をさせてちょうだいと
勘違いした猫たちがいっぱいいる。
猫は猫だから素敵なのに
犬になりたがっているとおっしゃっています。

振り子というものは、一度開放されると、両極端に振れます。
でも最後は、中庸、中道がいちばん大事なのです。
端から端までよく見極めた上で
ならば、新時代の中道とはどういうことなのだろうと。
神からつくられた女性性というものに
もう一度戻って見極めましよう。
本来の女性としての誇りを取り戻しましようということです。

女性が女性であるという母性、女性性に気づいて
そして美の体現者であり、表現者であるという
その使命をしつかりと自覚したところで
皆さま方お一人おひとりにしかない可能性
個性、才能を開花させ、新しい時代に向けて羽ばたいていく。
その自覚があってこそ
きたるべき宇宙時代の女性たちと言えるのだと思います。

そのときには「女だからできないよ」なんていう仕事はないのです。
「女性だから、母性的だから、子どもを産んで素晴らしいから、
家の中だけに入っていろ」と、そういうふうに持っていくために
私たちは、今、女性の法を語っているのではないのです。

新時代に行くということが、閉塞感の中に
また逆戻りする」のではないということ。
自分の中にある手かせ、足かせ、それをみんなはずしていって
ほんとうの意味で私たちの魂を自由に解放させていくことなのです。

神の子として
きたるべき新しい時代にふさわしい姿とはどういうものか。
主体性をもって、オリジナルの自分を表現していく。
そして、それは宇宙を貫く原因結果の法則で
すべて自己責任で刈り取るものなのです。

自由意志という尊厳で私たちは守られているのだから
自由意志で、自分の個性に応じて仕事を選び
そして悔いのない姿で愛を表現して
愛の仕事をしていきなさいと、そこに気づいていくことが
最後この女性の法を学んできたところの
究極にあるのだと思います。

今までは何だかんだ言っても
男性たちに金銭的な意味でも
社会的にも守られてきたんですね。

「男性や古い習慣、形に守られながら
受け身の依存的な姿勢で不満ばかり言って
自分の不幸の原因を他の方がたに責任転嫁するような
もうそういう甘えは許されない時代なんですよ」と。
そういうことを、逆に、新たな宇宙時代の女性たちに
求められているということです。
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女性性と自分の力をわきまえたうえで
自分の足でしっかり立って
個性と可能性を開花させてごらんなさい。

そうなったとき、自分を自分らしく素直に表現できて
分の中にある女性性と戦わなくなって
そして、ものすごくやさしい思いで
人類を、神を、宇宙を、受け入れていく。
そういうエネルギーになるのだと思います。

女性たちの認識が変わって
自分の中にある根源的な母性と女性性を
余すことなく表現しだしたら
それに触発されて男性たちも社会も変わってくるはずです。

ですから、皆さま方だって
ご自分ならではの素晴らしい才能を
たくさん持っていらっしゃいますから
女性性のエネルギーを職業の中においても発揮していく。

ただ、子どもが母親を必要としているときというのもありますから
そのときは、お母さまとして育んであげていただきたいと思います。
また、そういう女性が社会復帰できるような社会をつくることも
とても大切だと思います。

人生の中にむだなことはありません。
今回結婚されて子どもをお産みになった方がたは
どうぞ送り出していったあとに
今度は社会を育み、包んでいってください。

今、世の中には、ホームレスとか
孤児のお子さま、孤独なお年寄り
さまざまな形で愛の手を必要としている方がたがいます。

マザー・テレサがおやりになったように、自分の子どもだけではなくて
どこか他の子どもたち、そして社会に対して、愛を実践していく。
どんどん女性性の母性で、介助のお手伝いなど
できることをおやりになっていただけたら
女性の中にある力はもっともっと広がり
ぎすぎすした世の中を
潤いある素晴らしい社会に変えていけると思うのです。

レムリア・ルネッサンス / アマーリエ)
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# by nagoyasc | 2017-06-08 06:29 | アマーリエ | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(6)

私、イエスの所属する光線の中では、愛というもの
その中で「慈しむ」というものをもって法の骨格としております。
それゆえ、病で苦しみ苦痛でのた打ち回る者たちを優しい眼差しの中で
その苦しみを軽くし、人びとを救わんとする、その医療行為をもって
人びとを幸せにし、慰めていくという
その使命があるのもホワイト霊団なのです。
だから私のもとに所属をし、私のもとに帰依しているということをもって
彼らが白衣をまとっていることも事実なのです。

そして、ここにもお医者さんがおられ
介護をしている女性がいるということも私は知って
今日は来ているのですけれども
あなた方に、ぜひぜひ、お願いしたいことがあるのです。

苦痛を和らげるために、地上の肉体的病というものを癒すために
たしかにあなた方の仕事はあることでしょう。
たしかに肉体の苦痛にのた打ち回っていては
やはり「愛ある許し」ということのできるようなゆとりはないはずなのです。

しかし、どうか、いちばんの不幸は、肉体的苦痛ではなく
魂を腐らせ、見失っていくことのほうが
どれだけ本来、不幸であるかということ。
その観点に立ちまして、病というものと、病を治療するということ
介護をするということを見守っていただきたいなと思うのです。

肉体だけをいたずらに延命させ、肉体だけをいたずらに治療し
薬漬けにすることをもつて
その人の苦しみを癒し、愛で包むということではないのだということ。
永遠に生きるのであるならば、永遠に修行したほうがよいのであるならば
神は肉体の寿命というものをもっと長くされたことでしょう。

しかし、やはり、どんなに生きても八十年、九十年
短い方では二十代、三十代で亡くなられる方もあるのです。
しかし、それは悲劇ではないということ。
どのように限られた天命の中で、寿命の中で、己の修行をし
どれだけ光を発信し自分自身の本来の仕事をなして
そして、その寿命の中で、無事に魂を輝かせて還ることができたか。
そのための修行のひとつの道具として
この肉体というものが与えられたのだという、深い感謝をもって
この地上を修行する、そのような大事な道具であるということ。
そう思って、肉体というものを見ていただきたいのです。

ですから、たとえば、野球の名ピッチャーと呼ばれている方であったとしても
自分の大事なボールやグローブ、バッターであるならば、大事なバット
そういうものを軽んじて粗末にしたら名選手にはなれませんよね。
やはり、卓球をしたり、テニスをしたりする名選手と呼ばれている方も
音楽家でもそうです。
大事なヴァイオリンを、大事なピアノを、どれだけ慎重に選び
そして手入れをし、慈しんでいることでしょう。
それと同じなのです。
肉体というものは、そういうものなのです。

二十代で還ることを良しとして
設計された人生を迎えられた方がいるのです。
そして、そういう肉体において、最後、ピリオドを打つには
やはり、病というものをもって、終止符を打つ場合が多いのです。
交通事故で亡くなる方もおられます。
沢山おられますけれども、最後にどうですか
人生計画を立てて、地上に降りて来る時に
最後、車にひかれるをもって、ジ・エンドというふうになさる
そのような計画を立てられるでしょうか。

やはり、その時期が来たら、生命体というのは、自然に
自分でセットされた爆弾が、自然に爆発するかのように
ある一定の状況というものを細胞変化の中で起こらせ
そして、その肉体に終焉をもたらすものなのです。
それは静かな、ある意味で自爆的な死というものを
自分に引き起こしているのです。
それが病の根源である場合もあるのです。
そのような、いろいろな意味をもって
人生計画というものを立てているのです。

ですから、どうかお医者様は、いたずらに長く苦しみを引き延ばしたりとか
延命だけのために、病気と不必要に戦わせるという態度を
どうか考え直していただきたいのです。
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何がいちばん大切なのか。
いちばん大切なのは魂であり、肉体ではないということ。
魂はまた、輪廻転生で生まれ変わればいくらでも別の肉体は与えられます。
しかし、それにより、不必要に魂が傷つけられた時
その魂を復活させるのはたいへんな年月を要し
傷ついた魂を修復するということは
本人にとってもたいへんな苦しみを伴うことなのです。

ですから、最後、看取る時に
マザー・テレサがなされたように、最後、彼女は延命はしませんでした。
最後、死に行く時に、死んでいく者たちの手を、彼女は両手で握り
そして、安らかに
人間としての尊厳の中で、魂を天上界に送り出して行かれたのです。
それが神のもとへ、確実に送り届けるという手段であるということを
彼女は信仰心の中で知っていたのです。

だから、肉体だけが人間であり、肉体の苦痛を救うことだけをもって
病める人びとの幸せがあり、それがホワイト霊団の目的であり
医療行為の全てであるというふうに思われぬこと。
魂を救い、最後、時間の流れの中で、この肉体の終わりをもって
死を迎えるのであるならば、どうか、「その生きてきた人生に幸あれ」と
そして「安らかに神の国に旅立たれよ」と
そのような思いをもって苦痛を和らげ
見送ってあげるという愛の思いで
その肉体生命の終焉を看取っていただきたい。
そのように介護していただきたい。
いたずらに戦わないでいただきたい。
戦ったり、いたずらな延命や、いたずらな身内の嘆きや執着というものは
その魂を迷わすことになるのです。

私たちから見れば、神の国に戻って来ることのほうが
この地上界、殺伐とした地上界に長らくいるよりも
よほどその魂にとっては救いになり
これ以上いたならば、どれだけ傷ついて
これ以上いたならば、どれだけ自分の魂を汚してしまうのかという
さまざまな状況がある中で
今いちばん、還るのがよいと本人も決め、守護霊も決めたからこそ
そのような病気が起きているのだということ。

そうでない病気もありますよ。
不摂生によって行われたこと
一時的な事故や、一時的な薬害、薬などにおいて起きてしまったような
そのような病気は、最善の治療策をもって治してあげていただきたいのです。
しかし、その魂において、その肉体において
セットされた時限爆弾が爆発するように、癌とか肝臓病とか
そういう致命的な病気が起きてきた時は
患者本人の苦しみの中で、最善の治療をする中で
「今は、そのホスピスというところで死を迎える」ということを
正面から受け入れさせ、その患者の魂の指導をするということが
医療の一部として出てきてはおりますが
もっともっとお医者様たちには
そのシステムというものを開発していただきたいのです。

医療系の方たちというのは、ひじょうに知的に優秀であり
理論的な方が、理数系の方が多いですから
やはり、目に見えぬ世界というもの、魂の実在というもの
本来は、自分たちが戦っている
「肉体物質というよりは、魂のほうが優先されるべきだ」という理論に
なかなか同意できない方々が多いのは事実なのです。

しかし、ここにおられる方々のように、法を学び、G会やK会というもので
我々の生の声を聞き、魂が永遠で、生き通しであり、幾転生をし
本来、何がいちばん価値があるか
ということを学んだあなた方であるのならば
多くの人びとを看取るという方法においても
もっと心のケアと申しますか、魂のケアにおいての方法というもの
見送るということ、マザー・テレサが行ったようなことを
もっと高度に、医療システムの中に取り入れていただけたらと思うのです。

肉体というのはひとつの道具であるのです。
どんなに愛して、どんなに手入れをしていても
使い込んで古びていって、折れてしまったバットでは球は打てないのです。
折れたバットは、「ありがとう」という感謝を込めて
処分するべき時期が来たというのも、また、事実なのです。

そのように、肉体というものをお考えいただきたいのです。
人間の肉体をもって、人間の尊厳があるわけではないのです。
魂の輝きをもって、神の子人間の尊厳があるのだということ。
それをどうか
医療の中に少しでもよいですから輝かせ、活かしていただけたならば
この私の気持ちも、多くの医療系団の方々の具体的なお仕事として
レムリアの仕事として、花咲いていただけるのではないかと、私は思います。

(2004.8.21レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-06-05 08:44 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

モーゼ/モーリャからのメッセージ(33)

かつてミカエルが言っていたけれども
それだけのことをやってだめであったのなら
わたくしたちもあきらめようというふうに思うと
ミカエルは言っておりました。
わたくしも脇で聞いていて、そのとおりだと思いました。
それだけのことをやって、最善の努力をして、それでも地球人がわからず
マイナスエナジーの中に溺れていって
また原始社会の中に落ちていくのであるのならば、それもいたしかたないと。
それはけっしてエル・カンタラーだけの責任ではないのだと
わたくしたちの責任もあったのであるのだと思えるのではないでしょうか。

たまたま最後、エル・カンタラーはご自分自身の責任をもって
この地球というものを最も愛し
古くから指導してきた霊として
最後のこの一大決算の時にエル・カンタラーがお出になったということ。
そのことをもってね、今回出られたということ。
ひじょうに任が大きかったということです。

『太陽の法』、『永遠の法』、『黄金の法』というものを通し
『宇宙の法』までいかれるということ。
そのことはね、ものすごくたいへんなことであった。
根本法としてたいへんなことであった。
そういう意味においても、最初の三部作が出たというだけでもあなた方は
人類は幸せであると思わなくてはいけないよ。
あの三つが出ただけでも、あれを学べただけでもね、幸せであるということ。

次の『宇宙の法』というものに関して
これから先行きの地球の未来というものを通して
エル・カンタラーは残りを語られようとしている。
その気持ちをね、この者を通して
たとえ言葉が全部伝わらなかったとしても、それを伝えようとなさっている。
その必死さ。

そして、それを支えようとするマヌの気持ち。
それをみんな援護しようとする九次元の気持ち。
どんな気持ちで我々があの方を思い
この今、地球を愛そうとして、あなた方に願い出ているかということ。
わたくしはあなた方にもっとわかっていただきたいのだよ。

簡単に魔にやられないでほしい。
魔は常に勝ってきたかもしれないけど
大いなる神のもとにおいて本来であるならば
一部の影にすぎないのである。

本来の神の子として、光の中を歩みなさい。
いかなることがあっても負けてはなりません。
いかなることがあろうとも、光の中を歩むのです。
影に負けてはいけない。

影の中において暗躍する者があったとしても
それは歴史の中において、けっしてメインの者ではないのです。
本来神の光があり、大宇宙の神があり、光の中におき
大いなる創造の原理の中で、愛の原理の中で、神はその意思を発現し
人びとを創造され、生き物を創造され、愛の原理の中で
大いなるご自身を表現されようとしているのです。
その一部としてこの地球というものが
これから役割を果たしていくということ。
そのことを思ったのならば、一部の魔に負けてはなりません。

大いなる光の影というよりは
本来の、小さな地上の人間たちが誤った意志の中で地下に堕ち
そして、サタンというような者になったかもしれないけれども
根源的な光のエナジーの中から見たならば
わずかな、わずかな握一点にしかすぎないのです。
そのような大いなる圧倒的なる神のエネルギー
大いなる神の光のことから思ったならば
悪の力などということを恐れてはならない。

けっして恐れてはならない。
しかし、侮ってもならない。
あなた方は侮りすぎたのです。
第一、第二の計画において、彼らの力というものを侮りすぎたのです。
でも過大評価することなかれ。

今回の計画において戦闘系の者たちが出てきたということをもって
あなた方はもっと自信を持ち、彼らより神の子である自分たち
自らのほうが力があるのだということ、天上界のバックアップを得て
神の意思を得て、この地上を神の星とするのであるということ
愛の星にするのであるということを
あなた方はもっと覚悟しなくてはいけない。

そのような意識があなた方一人ひとりにあればね-
十人いればこの地上を救えるのです。
かつてそのようなことを言った者がいたかもしれない。
そう、坂本竜馬という者が出たときに、言っていました。
十人いればこの地上を救える。あなた方は十人いるのです。
であるならば、一人ひとりがそのように肺に落としなさい。

あいまいな、優柔不断な者はもういらない。
これからはもっともっと覚悟を決めた者だけが十人いるならば
この地上を救えるのです。
どうかそのような、けっして絵空事ではないということ。
映画のようなフィクションの中にいるものではないのだということ。
あなた方、一人ひとりがキーパーソンであるということ。
そのことを真摯に受け止め、我々の力になっていただきたいのです。
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魔を侮ることはないけれども、けっして魔を過小評価することなかれ。
そして、今この場に座れるという栄光に浴しているあなた方であるということ。
我々の言葉を直々に、個人的に聴けるということが
どれだけありかたいことであり、どれだけ貴重なことであるかということ。
あなた方はもっともっと肺に落とさなくてはいけない。

かつてそのことに慢心し、神をも裁いた男がいたけれども
けっしてそのようなことになってはいけない。
常に謙虚でありなさい。
神の前において謙虚でありなさい。
そして、おのが使命を果たすのです。
そして、状況判断を誤ることなかれ。

今どういう立場にあなた方がおかれ
どのようなことをしなくてはいけないかということを
もっともっと一人ひとりが気づかなくてはいけない。

紅海を割ることよりも、あなた方が今しようとしていることが
はるかに難しいことであるということ。
そのことをもっと思って
この地球の命運を肩に背負って頑張っていただきたい。

荷が勝ちすぎると思われるかもしれない。
この者においても、胸がつぶれそうな思いで毎日
を生きているということも事実なのです。
でも、この任を誰かが背負わなくてはいけないのです。

であるならば、あなた方、一人ひとりがこの者に背負わせるだけではなく
みんなで任を分かち合って、背負うことにおいて
この天上界の大いなる計画を遂行していただけることを
心よりあなた方にお願いするものなのです。

(2004.12.25レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-05-31 10:22 | モーゼ/モーリャ | Trackback | Comments(0)

天照大神からのメッセージ(3)

こうやってお見受けいたしておりますと
皆さま方は、聖職者、仏弟子の方々、そういう方々が多く
家庭生活よりも、男女の道ということを極めるというよりは
神様の方が大好きな
そういう法の求道者といわれる方たちが多いように見受けられます。

昨日、日蓮様、高橋信次様のありがたいお言葉をいただいておられましたが
このような法が降り、じかに言葉を聞けるという時代は
今までの時代の中でも、たいへん稀に、稀に見る時代なのでございます。
わたくし天照の言葉も
このように自由に地上の者たちに伝えることができる。
そのような時代は、何千年ぶりであろうかというふうに
わたくしの中でも思うのです。

じかには伝えられないのです。
肉体を持った地上の者たちに、このように我々、高天原から降りてきて
自由にわたくしの気持ちを伝えるなどということは
なかなかなかったのです。

以前、ORという方に、わたくしは降りて
メッセージを送ったことがあるのです。
しかし、やはりあの方の頭の中は、やはり男性であり
女性に対する独特のご意見があり、わたくしの思いというものを
女性のものやわらかさの中で、皆さま方に表現するということが
なかなかできなかったのです。

しかし、この方が今、女性としてわたくしの言葉を受け
皆さま方にお伝えいただけるということにおいて
わたくしはとても心からの喜びを感じているのです。
言葉や難しい理論ではないのです。

優雅さ、優美さ、秩序というものの中における
女性本来の謙虚さというもの
信仰心の美しさというもの、礼節が本来どういうものであるかということ。
礼節がどういうものであるかを
理論の中で、言葉だけで定義できるものではないのです。
これは、ひとつの波動の中で
皆さま方に感じていただくものでしかないのです。

わたくしたちは、高天原の頂点にいるからといって、自らを偉しとし
神の中の神であるといって
国民たち、人びとを見下しているようなことはけっしてないのです。

上に行けば行くほど、己が未熟さというものを知り
大いなる大宇宙の神の前にひれ伏し
「我々をどうかお使いくださいませ」という、謙虚さに満ちた中で
さらに高級神霊と呼ばれている、根源の神に向かって
礼拝をしているのでございます。

そのような気持ちというもの、そのような言葉の中に
礼節というもの、秩序というものがあるのです。
本来の秩序なき礼節はないのです。

皆さま方の、このあいだのホームページを見ておりましても
わたくしは、「信仰者たるもの誇りを持て」と
やはり言いたいのでございます。
秩序があり、礼節がある。
それがないものの中に、自由も愛もないのだと思います。
けっしてそれは神の御心ではないのだと思うのです。

あなた方は本来であるならば
このような最高霊域からの言葉は受けられないのです。
その神の使者として、人びとを見下すのではなく
神の使者としての誇りを持って
礼節というものをしっかりと踏まえた秩序というものを
確立せねばならないと思うのです。

そして、「生かす」という、大いなる愛の思いの中で
秩序というものは自然に見出されてくるものなのです。
人を支配する組織ではないのです。

秩序というものを
皆さま方は間違ってとらえられておられるかもしれないけれども
謙虚さに満ち満ちた、人びとを生かし続けようという愛の思いの中に
自ずとできてくる秩序の形式なのです。
それを、今一度、打ち立てていただきたいのです。
そのような思いがあれば、いたずらな混乱は防げることでしょう。

そして、神の心を、神の言葉を
すべての判断基準の中心に据えることなのです。
この神の国、神国日本というものは、常に神の言葉を降ろし
神の言葉のメッセージにより、政治というものが営まれてきたのです。
その時にこそ、この国土が、無事に、安らかに治められることができ
そして、女性が指導者として立つ時、この国は最も安定していくのです。

今は魔が暗躍し、暴れ狂い、法を学ぶ者たち、光の使者たちを惑わし
地下へつぎつぎと引きずり込んでいるのです。
このように、波動が乱れた暗い想念の時代の中で
今ひとたび、女性が神の言葉を授かるところに立たれたのです。

この方は、外国の神であるということを
ご自分のことの中にひじょうに引け目としてあり
わたくしや卑弥呼様に対してひじょうに気を使われており
このような言葉を受けるということに躊躇されていたのですが
どうか、そのようなことを思わないでほしいということを
再三、申し上げてきたのです。
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わたくしたち神道においても、「日本神道」の中から
「日本」というものを外すべき時というのが参ったと思っているのです。
神道の中にある素晴らしい教え、理念というもの
それを単なるこの日本国土という中ではなく、世界へ発信していくという
そのような時代が参ったのだとわたくしは思っているのです。

その時期がやってきた。
そのような時代がやってきた。
それで、この外国の女神がこの地に降りられ
わたくしたちの言葉を伝えるという意味が
ますますもって、大きな意味をなしてくるのだと思うのです。

この方とは、かつて昔、わたくしも共に同じ時代に出たことがあるのです。
わたくしは、この方を妹として出ていた時もあるのです。
ですから、魂の根源は、日本神道であるとか、ギリシャの神々であるとか
キリスト教であるとか、仏教であるとか、あなた方の今回の文明の中では
そのような位置づけをするかもしれない。

そして、わたくし天照も
日本神道の主宰神としての立場がございましたので
日本神道の女神であるという、主宰神であるということをもって
大和心を、女性の美しさ、優雅さというものの中で
この日本の国民たちに指導してきたものであるのです。

しかし、その時代はもう終わりに近づき、日本神道ではなく世界神道に
いえ、世界神道という枠を超えて
大いなる宗教がひとつのものの中に統合され
そして、本来の大いなる法が
この地球の法として確立される時期がやってきたという
大いなる時であるということ。

今までは、とても、地域的な宗教が、地域的な神々が腕をふるい
世界的な交流のできない時代でございましたので
地域的に、ローカルな宗教の神々としての役割を果たしてきたのです。
しかし、これが、大いなるもののご指導の中で
大いなる神の、中心におられる神のご指導の中で
ひとつにまとまる時期がきているのです。

わたくしたちも、最初は、他の天体から来ました。
他の星から来て、そして、今は地球の神となり
地球を最も愛する神となっているのです。
地球人になっているのです。

ですから、他の惑星から来た者であるという
他の惑星から持って来た理念というものに
固執しているわけではないのです。
地球としての、本来の在り方というものを
これから地球教という、教えを一本化する
大事な、大事な時期が来ているということなのです。
そのために、今、大いなる力が働いているのです。
そのことを皆さま方が、その「時」というものをわきまえられ
この今回の改革というものに取り組まれていただきたいと思うのです。

物質的な豊かさというものだけで
幸福、不幸というものを限定しすぎるものではありません。
本来、人の幸せというものは、幸福というものは、物質だけではないのです。
心の中にある充足感によるのです。

神に生かされているということ。
大事な人びとに愛され、愛し合っているという幸せの中にあるものなのです。
その心を、今一度、取り戻すために
たかが数十年の修行の場として、この地上を与えられているのです。

しかし、素晴らしい学びができる地上の修行場とするために
どうか、光のユートピアの修行場とできるように
皆さま方に力をお貸しいただきたいのです。

この日本というものの使命も、そのうちに終わりを告げていくことでしょう。
大きな天変地異がある中で、長い目で見たならば別な意味で
地球の意識の中の一部として統合されていく時期が来ると思うのです。
その前に、地球の理念として
今ひとつに、中央の神々が努力していらっしやる根本法というものを
今、地球上にひろげる、そのための発信基地として
この神国目本というものが選ばれているということ。

そのために、九次元といわれる、最高霊域におられる
九次元のエル・ランティ様、仏陀という方の本体が
そして、我々、紫神道からいいましても
最高位にあられる孔子様といった方が
次々とこの日本国に、大和の地に降り立たれているのです。

そのために、わたくしたちは努力をし
この国を光の国とするために努力をしてきたのが
わたくしたちの役目であったのです。

そのような光の場として、この大和の地という
ものを、わたくしたち本来の目的の中で、今、活かしたいと思うのです。
閉鎖的な島国という感覚で
ほかの神々を排他的にするような思いというのは
わたくしたちの中には、けっしてないということです。

(2004.8.21レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-05-27 12:59 | 天照大神 | Trackback | Comments(0)

マヌからのメッセージ(32)

僕らが考えているのは表面的な体制のことではないのです。
個人の意識の中に、あなた方は地獄のサタンの子じゃないんだよ。
神の子なんだよ、とー
前にも言いましたね。七色の虹が架かるように
それぞれの光線の中に、あなた方がつくられた個性がある。
役割というものがあるよ、と。

自分に出会いなさい。
自分自身の外側ではないよ。
内側にどんどん入っていったときに、あなた方は自分自身と出会うんだよ。
それを僕たちの世界では「悟り」というんだよ。
けっして悟りは外にあるものではない。
荒行や修行をしなければ得られないものでもない。
小難しい理論や神理の知識や、妻子を捨てた孤独の中で
人を愛する喜びも知らないで生き続ける、修行をする
それだけが宗教者の姿であり
その究極にあるものだけが悟りであるというふうな
間違ったものを悟りだと考えているのかもしれないけれど
そんなものではないんだよ。

神の世界は、愛とやさしさと信頼に満ちている。
美に満ちている。
無限の赦し合いで、神につくられた美の中で
自分の生まれてきたことの意味を知り
多くの人びとを愛し、愉しみ、豊かに生き続けていく。
それこそが、神の子としての悟りそのものなんだ。

幸せというのは、悟りというのは、頭の中で考えたり
外部で修行して苦しいことをして得ることではなくてね。
自分の内側にあるものに出会い、自分自身の中に発見し
幸せというものを感じることなんだよ。
そういう、いちばん大事な感性というもの
それに悟りが入ると悟性というものー
悟性を通して一人ひとりが行き着いていく道。
それこそがほんとうの意味の悟りなんです。

あなた方の今の悟りを見ていると、知性、知的な思考パターンばかり。
それから非人間的な修行、荒行ですか、人間としてバランスを欠いたもの
それを一部の宗教者たちが刻苦勉励していくことが
悟りというふうに思われているがそれは違う。
悟りというのはそんな難しいことじゃないと前から言っている。

軽やかにステップを踏み、生きていることの喜びをみんなで分かち合って
歌を歌って、お互いに愛し合って、神の喜び
自分たちが創造され、実在しているということに幸福を感じー
感じなければ感謝も出ないでしょう。
お互い幸せなんだって称え合うこと。
喜び合うことを忘れて、どうやって分かち合ったり
目に見えぬ神に感謝するの、君たちは。

そして、かけがえもなく愛する人びとたちに対して
いっしょに生まれてくれてよかった
ありがとうという思いで、助け合って生きていく。
ねっ、それがいちばん大切なことであり、神が望まれていた姿なのです。
それが神の子というものの姿。
愛や信頼や分かち合いのないところに、赦しのないところに
神の子は存在できないのです。

この間も、オリオンの母上があなた方に通信を送ってこられたとき
けっして難しいことは言わなかったでしょう。
でも圧倒的な愛のハーモニー、旋律の中で
優雅な、美的な、赦しに満ちたやさしさの波動というものを
あなた方に送ったはずです。
すべてこれに尽きるんです。

母親が娘を思う気持ち、多くの人たちに対して自分の命をかけて
地球の人びとのためにお役に立ってきなさいねと励ますー
寂しかったことを言いたくても言わず
それをすべてのみこんで激励したではありませんか。
その姿、そこに、神の子の姿というものが如実にあらわれている。

愛が、世界の中に、日常の中に生き様の中に、すべてに浸透していったときに
「宗教」はなくなるのです。
「天使」という言葉もなくなるのです。
なぜなら、みんな同じ神の子の仲間たちだから。
ただ、指導者はいます。
いつの時代でもいつの社会でもいる。
でも、神の子として別格のものがいるというわけではない。
その道は、すべての神の子たちに対して聞かれた道であるということ。
そこに至るのが早いか遅いかだけです。

自己研さんの道に厳しかったかどうかだけ。
しかしそれは、どれだけ自分にストイックに、家族も捨てて修行しなさいとか
小難しい理論だけを学びなさい、ということではない。
どれだけ多くの人を愛することができたか。
どれだけ多くの人びとを赦すことができたか。
愛するために、どれだけ大きな業績を、人びとに対する愛の表現媒体として
すばらしい作品とか仕事をなすことができたか。
それが問われるということ。
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レムリアのときは一部分で実現していました。
人の判断基準、芸術作品を通して、その方がたの人格を判断する-
ハイレペルな神の旋律を表現できたのだから
当然、ハイレペルなものを受信できる器であったのだと
溢れんばかりの愛の思いがなければ
それに同通した神の次元のものは降りないわけですからー
自分だけ良かれと、自分だけが名声を受けたいなどというやましい心があると
高い次元の神の愛の作品をキャッチする波動には合わせられないのですよ。

無私な思いで、自分自身もすべて捨てて
「どうか神よ、私たちを神の表現媒体としてお使いください」と全託する思い
「どうかお役に立ちたいのです」という思いになったときに
神の根源的なソースと直結して
その方の個性に応じたすばらしいインスピレーションが
降りてくるものなのです。

それを受け取ったとき、今度は自己研さんした技術を使って巨大建築をつくり
音楽やいろいろな作品の中に表現していった。
その作品を、自己研さんの技術レペルプラス、その人の愛の波動で
それだけのインスピレーションを受信することができたということには
トータルなものがあるわけですね。
偏っているとできない。

トータルな人格においてその作品ができたということを
作品を通して(表現し)それを見抜く民衆、大衆の目があった。
それだけの水準にあったわけです。
文化も技術もハイレペルなものを、民衆が持ち合わせていたということ。
そしてそれを降ろす人たちも、神に至る道の中に芸術という使命があるとー
究極的に、芸術の真髄に神がある
神の愛があるということを知っていた者たちが
自己研さんしたというのが、レムリアの姿です。
そのように僕らが、ゼウス神や僕などが指導したのです。

今のように学歴とか、一部の思考理論だけに卓越しか者たちが
価値が高いというベクトルをつくるというのではなく
感性で神と出会っていく道というもの
やはりそれのほうが理屈を越えて神を享受する
感知する力を持つ、それこそが本来の悟りである
修行であるというふうに打ち出したのが
レムリアという文明の特色だったのです。

それがすべていいとは言いませんよ、私は。
それは私とゼウス神がやったひとつの方法であって
そういう個性の文明をつくったということなのです。
そして、ひとつの文明の色づけとしてね
今回も、多少、初期のギリシャのように
解放的な部分をオープンに出していくー、オープンにして
神の子としての化身としての肉体人間というものを受け入れて
誇りをもっていこうという、それがギリシャの思想の根本にあるわけです。

神託というものもあるでしょう、ギリシャの中に大いなる神からの言葉を
巫女たちがぬかづいて、多くの為政者、王族たちも
大きな時代の転換点になれば、デルフォイの神託などを伺ったはずなのです。
時の為政者たちであっても
究極は神の本意に従いたいとそういう思いがあった。
さらに、人間が神の子であるということを堂々と表現する形として
芸術を栄えさせていった。
だから、ギリシャというのはひじょうに水準の高い文化だったのですね。

仏陀とか、イエス・キリストの愛の教えとか
それぞれ、モーゼの教えた正義を通したひとつの教えがあるんですけれど
ギリシャ的な部分もないと、人間は苦しくなってしまいますから
私やゼウス神が、文明の色づけとして
ギリシヤという時代を打ち出していった、というのもあります。
そのルーツはレムリアにあり、レムリアのルーツはどこにあるかというと
ゼウス神がいるから別なんですけど
オリオン的な部分が多分にある、オリオンの系統をひいている。
このアマーリエも僕といっしょに出てきていたという
そういう過程があるんですね。

(2005.2.9 レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-05-22 08:34 | マヌ | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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