地球を愛の星へ

天照大神からのメッセージ(7)

今、この時、多くの者たちが傷つき、魔が跳梁し
ずたずたになった光の天使たちの屍が、あちこちに転がっているのです。
そして、また新たに地獄に引き込まれようとしているのです。
ですから、どうか、わかっていただきたいのです。

傷ついた者たちを癒し、抱きとめるのは、母の愛なのです。
それゆえに、この女性が立っているのです。
彼女が体現するのは、理屈に満ちた難しい理論ではないのです。
その母性による愛なのです。

それで彼女は、傷ついた人たちの
あなた方男性たちの傷を癒そうとしているのです。
それを思い、その母性を預かったということ。
この母性ある女性というものがこの地上に降りているということ。
それが女性の最高神といわれている
わたくしたち女性指導者たちのするべき務めであるということ。
けっして、男性と競って、男性の指導霊と同じようなことをしようと思って
この地上に降りているのではないということ。
それをどうか、皆さま方、深く心にお留めいただき
この方を盛り立てていただきたいと思うのです。

この方をつぶさないでください。
この方をつぶすと、もう後がないのです。
それだけ申し上げておきます。
計画書は何枚もあるのです。
しかし、この期に及びまして、この方が最後の切り札であるということ。

魔界の者たちも相当な思いで来ているのです。
相当な思いで、あなた方をつぶそうとして来ているのです。
今日、この場に集まったということは
これから、あなた方も標的になるかもしれないということなのです。

しかし、ご安心めされ。
わたくしたちには強い警備の者たちがおります。
竜神たち、不動明王、そして、裏神道の者たちも
あなた方を護るために警備にあたっております。
そして、西洋の世界からは、ミカエル様をはじめ、数々の戦闘系の方々が
あなた方を何重にも包んでお護りしているのです。

よろしいですか。
お護りしているこれだけの強いエネルギーの中にいるから
わたくしもこのように言葉を降ろすことができるのです。
しかし、魔界の者の手引きから、わたくしたちがいくら護ろうとしても
あなた方の心に濁りが生じ、欲念が湧き
そして、増上慢の心が起きた時には
わたくしたちがどれだけ何重にあなた方を護ろうとしてもね
護ることはできないのです。

その時は、悲しいけれども、堕ちていくのを見守るしかない。
時が経ち、その方が理解し、また上がってこられる時まで
お待ち申し上げようと思って、悲しい涙を流しながら見守るしかないのです。
そのようには、ぜひ、ならないでいただきたいのです。

今、あなた方の心の中の様子を見させていただきますと
ひじょうな謙虚さに満ちた、深い覚悟の中で
今日集まっておられることがよくわかります。
どうか、仲間を信じてください。
けっして、裏切ったり、相手よりも自分か優れているなどと思うのではなく
あなた方一人ひとりが、すべて必然の中で呼び集められ
すべて、一人ひとりがどれだけ素晴らしい魂として
神から期待を込めて創られたかという、その誇りを持って
このレムリアのために貢献していただきたいのです。

ここに来て、みんなで調和をするという
礼節をもって調和するという思いは大事です。
しかし、己が個性の力を発揮することをためらってはなりません。
最大限に発揮するのです。
それを恐れることなく、誇りを持って発揮してください。

自我をもってぶつかり合うのではなく、お互いの違いを認め合い
お互いの良さを互いに引き出すような、そのようなふれあい方をし
仲間としての結束力というものを深めてください。
そして、あなた方男性の積極的な陽のパワーを使って
どうか社会を変革してください。
構造変革をしてください。
法の再編纂をしてください。


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これから、政治家の方もいらっしゃるでしょう。
医療系団の方もいらっしゃるでしょう。
芸術家の方もいらっしゃるでしょう。
いろいろな方々が来るのです。

そして、過去、傷ついて
また新たな思いの中で来る宗教者の方たちもいらっしゃるのです。
光の天使といわれている法を預かる方たちも集まって来られるでしょう。
でも、ここに今いるあなた方はね
その世界の方々の指導者となるべき中核の方たちなのです。

今回は組織を持ちません。
会員制度を持たないのです。
でも、イエス様の時でも、常にそうだったのです。
組織はないのです。
原始キリスト教と呼ばれたものには、なかったはずでしょう。
それで良いのですよ。

組織というものを運営しようとする時に、魔が忍び寄って来るのです。
宗教団体というところで、いつの間にか、お金とか、そういうもので欲が湧き
組織を維持しようと必要以上に思うところに、魔が入り込んで来るのです。

ですから、十二使徒という言葉がありましたけれども
十二使徒が二十二使徒でもいいのです。
ほんとうに覚悟を決めた者たちが集まって来て
多くの者たちを指導できる指導者層を、今、つくり上げるために
わたくしたちが、しきじきに言葉を伝えているということなのです。

これから後に来る方たちは
じきじきに、このような言葉を聞けるとは限らないのです。
書物を通してしか聞けないということは、いくらでもあるのです。
でも、あなた方は
わたくし天照の言葉を、このようにじかで聞けるではありませんか。
本来であるなら、これはたいへん、稀なことであるということなのです。

ですから、今日のこの言葉を、このわたくしの波動というものを
お一人おひとりの心の中に留めおき、お持ち帰りいただき
ご自分たちの心性の中で、神の光というものを灯していただきたいのです。
そして、みんなが素晴らしい光のたいまつとなられんことを
わたくしは、高天原より深く祈っております。

また、今日は、たいへん長くなり、この方がちょっと疲れておりますようなので
今日はこれにて失礼させていただきたいと思います。
また、何かお尋ねしたいことがございましたらば
どうか、何なりとまた、この天照をお呼びいただけることをお願いして
今日はこれにて失礼させていただきます。

(2004.8.21 レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-08-05 19:34 | 天照大神 | Trackback | Comments(0)

マヌからのメッセージ(35)

我々の星(オリオン)ではね
別に「ユートピアにしよう」とか、「仏国土にしよう」っていう
そういう発想はないわけですよ。
調和度に応じたユートピアっていうのが、それぞれの星にあるわけですね。

この世、地球のように傷つけ合って、戦争をしたりとか
そういう状況はけっしてユートピアではない。
でもそれは、この地上に現象として表れている殺戮とか争いとかいうよりは
一人ひとりの心の中がまず調和されていないから、神仏、信仰心というもの
神の子としての本来に目覚めていないから
そのような結果として立ち居振る舞い
人を傷つけるような野蛮な行為というのが出てきて
それが社会悪として、社会をひじょうに醜くゆがめたものとして
そして美しい星にしない、ユートピアではない
仏国土ではないという結果になっているんではないかなあと思うんですよ。

ユートピアっていうのは、じゃあオリオンが進んでいるから
じゃあユートピアのオリオンが最終段階かっていうと
そんなことはないわけでしょ。ね、
もっともっとオリオンよりも進んで
高次元で調和されている星というのもまたあるわけです。

だから、我々はオリオンとしてはオリオンの使命を持って
我々の歴史の速度において、あのレベルまで調和して
あのオリオンの星というのはああいう美意識のもとに飾って
具現してきたということがある。

あなた方地球人から見たら、オリオンというのがひじょうに進んだ
ユートピア化した星だというふうに思うかもしれないけれども
そこに住んでいる者たちからしてみたら
まだまだ百パーセント悩みや悲しみや不幸がなくなったわけじゃあないわけだ。
オリオンにしてもね。

だから、そこはそこで修行しているわけですよ。
オリオンの人たちがめざしている
より高度なユートピアというのもまたあるわけ。

だから、それぞれ進化していく、神に近づいていく過程という意味においてはね
無限に進歩発展というのがあるということ。
だから、どこかの星だけを出してきて
地球がそれをうのみにしてそれをまねたら
それが、地球がユートピアになるか、イメージ化されるかというと
またそれはちょっと違うんじゃないかなあと思って、聞いてました。

ま、ただ高度に
「あなた方から見たら高度に調和された星というのがこういう状況なんですよ」
という情報を聞くことがね
それはどういう方向性であなた方が努力をしていって
どのようなこだわりを捨てていくのが神に近づいていく道かということを
あなた方が参考にするという意味においては、意味があるかもしれないと
私は思って聞いていますよ。
でも、あくまでもユートピアというのは
一人ひとりの神の子の心の調和度によるということです。
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まず心が幸せで愛に満ちるということ。
そうしていったら、人を傷つけたいと思うこともないしね
人をむやみに殺したいとか
不幸の種をまくようなことというのは自然になくなる。
そうすると時間の流れとして、原因結果の論理で
結果として家庭が平和になり、調和され
そして地域社会が、社会全般が、国が、そして地球全体が調和されて
ユートピアになっていく、幸せになっていくという
それがユートピアとか仏国土と呼ばれている言葉に
あてはまるのではないかなと、私は思うのです。

この間、カイトロンが「我々の星には宗教がない」という言葉を言ってました。
それと同じで、ユートピアという発想もね
地獄があるからユートピアなんじゃないの。
地獄っていうのをひじょうに強く認識するから
天国とか天上界という言葉があるのであって
本来はこの地上の物質的な修行場があったら
あとは霊界という言葉がひとつあってもいいのかもしれないけれど
それにおいて天国だの地獄だの、そういう言葉が強く認識されるということは
いかにこの地球という惑星が、地獄というものの勢力が大きいかということを
私は逆に認識させられるような気がしてならないんですよ。

ユートピアというのは、仏国土というのは
あくまでもそこを裏付けに出てきている言葉でね
惑星自体が調和されていけば
けっして「仏国土に向かって」なんていうんじゃなくて
一人ひとりが神様からつくられた
さっきも言ってましたけど、階層社会じゃないです。
役割に応じてみんな職業を自分自らが選択していくのです。
オリオンに関してはそうでした。

だから、けっしてそんな上下関係というのはないけれども
でもやっぱり、そのようなところに生まれていれば
そういう部族に生まれても、やはりそうじゃない人生を生きたかったという
個人個人の段階においてはね、苦しみや悲しみや葛藤というのは
やっぱりどこの星にでもあるのです。

だから完全にそれが解消されてみんなが平和ボケして
幸せ幸せで生きているかっていうと、そんなことはない。
進化発展していこうと思えば、やはりそこに苦しみが生じ
個性の違いによりあつれきが生じ
人の世の中というのはやはり切磋琢磨というのもあります。
でもやっぱり、こんなに地球ほど野放しに暴力的なものが大手をふるって
人びとの幸せや生活や個人の自由意志というものを侵していくような
そういう社会でないということはいえます。

(2004.11.27 レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-08-02 06:37 | マヌ | Trackback | Comments(0)

エル・ランティからのメッセージ(13)

今、あなた方の肉体は粗い波動で、粗雑な
ひじょうに我々から見ると粒子の重い
重い、重い肉体を持つようになっているのは
あなた方の心の中に
地位とか権力とか様々な名声とか支配欲とか
様々な欲が心の大半を占めているからです。

金銭や異性に対する執着とか
そういう欲が心を占めている。
そのように抱え込むものが多いから
我々から見ると、物質的な低レベルなものに対する執着心が強いから
肉体においても波動においても粗雑な
質量の重いものを肉体としてまとってしまっているということなのです。

すべての執着を解き放ち、すべてのものを足るだけのものにし
食べ物にしても何においても、余分に貯め込まない、抱え込まない。
自分が生活していければいいだけ
そしてそうでなければ多くの者たちに分け与えるということを思ったならば
人びとは、食べるためにあくせくしたり、他の者から守るために
険しい表情で他人を敵視することなどなくなるでありましょう。

宇宙の星で、ある程度進化したところに行けば
大きなセンターのようなところがあり
食べ物、飲み物などはどこにいても、お金など使わなくても出てくるのです。
人はそんなにたくさん食べられるものではないでしょう。
食料にしても、たくさん買い込んでも、食べられる量は決まっていて
余ったものは腐らせてしまうはずです。

ですから、そのときに、その時代その地域において
必要な者たちが分かち合うということ。
分け与えるということ。
ほんとうに愛の思いの中で学んだときに
地域の中において人を蹴落としてでも余分にお金が欲しいとか
余分なものを貯めこもうとか、他の者と比べて自分が惨めだとか
優越感だとか、劣等感だとか
そのような思いもすべてがきれいになくなっていくのです。

この肉体を維持するために必要な分だけを神様から与えられる。
そのためにみんなで働き、地域共同体のように食べ物を用意する。
愛と感謝によって、互いが分け合っていく。
農産物も分け合っていく。
そうしたなら、この世の中から
今の地上界が抱えている多くの悩みとか、貧困とか
そういったものが消えていくことでしょう。

今の地球を見ていても、食べ物の絶対量が足りないわけではないのです。
水にしても富にしても足りないわけではないのです。
一部の者たちが独占してしまうから、飢えて死んでいく者たちがいるのです。

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教科書がなくて勉強もできぬ者たちがいます。
でもかたやこちらでは、贅沢三昧に育って、甘やかされて
物質のあり余ったところで
ぜい弱になっている子どもたちがたくさんいるのです。

彼らにかけている、溢れるようなお金、彼らにかけている物質的なものを
アフリカやハイチなどで飢えている子どもたちに分け与えていく気持ちが
地球人というトータルな目においてあったのならば
子どもたちは学問を受けることができないとか
教科書もないとか、鉛筆もないとか
ついには食べていくものがなくて死んでいくようなことは
地球で起こるわけがないのです。

分かち合うということ。
他者の痛みを我が痛みとしていくということ。
そういう、自分だけが良くなればいいという思いの対極にあるもの
それが愛です。

それを、地球人がほんとうの意味で地球意識として持てたとき
地球人意識として持てたとき、愛と分かち合いができたときに
この地上から様々な不幸が姿を消していくのです。

そういう時代が必ずやくるでしょう。
そのときには肉体も先ほど申しましたように変化を遂げ
物質的に軽やかなものになります。
それは何度も申しました。
そのためには欲を捨てなくてはなりません。

地上的な、自分さえ、我が身さえ良ければいい
我が身かわいさという、その欲を捨てていく。
みんなが、神がおつくりになられた神の子であるという
そのような原点に戻り、愛というものをほんとうに学んだときに
人びとの目は、霊的な目も、霊的な耳も
霊的な様々な第六感、第七感と呼ばれているものすべてが開いていき
この者がやっているように、いろいろな者たちと、精霊たちと話ができ
宇宙人ともコンタクトができるような、そういう時代が来るでしょう。

そのときこそ、霊文明の開化という時代が
宇宙の中における地球にもやって来るということなのです。
その時代、そのときが来るのを、我々は長い間、気が遠くなる程の長い間
人類を指導しながら、楽しみに、楽しみに待ってきたのです。
我々が待ち望んでいたとき
大飛躍のときでもあるということを伝えておきます。

(2005.7.30レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-07-30 07:15 | エル・ランティ | Trackback | Comments(0)

アモールからのメッセージ(9)

あなた方が、失うことを怖れているものは何ですか。
地位ですか、名誉ですか、権威ですか、お金ですか、または家族ですか。
家族であったとしても、あなた方が神の子として神性を開き
天命を全うして帰られたのならば、あとで家族が天上界に帰ってきたとき
「わたくしの父は、母は、このような神命の中においてよくやってくれた」
「わたしの娘は、すばらしい思いでがんばってくれた」と
誇りに思われることでしょう。
地上だけの観点で考え過ぎるから、苦を抱きしめすぎるのです。
悲しみをつくり過ぎるのです。

仏陀は「生・老・病・死」と言われました。
「生・老・病・死」の中で、病というのは何であるかと
もうすでにレムリアでは言われているでしょう。
寿命、病は、病ということだけを言うなら
過去世での大量のカルマの清算という場合もあるでしょう。
魂を穢したくないから早く帰ってきたい、と設定した場合は
何かしらの病を設定しなければ帰ってこられないので、病があるのです。

だからそのようにとらえたなら、病は別に何も怖がることではありません。
必要以上に病むことはないのです。
病を引き起こしている原因が、もし自らの心の中にあるのなら
その心を反省すればよいのです。
そして、病はただひとつだけの原因によって
起こることではないことさえわかれば
病と闘うことなく、病と寄り添って生きていけばいいのです。

そして老いていくということ。
いずれ、誰でもが実在界に帰ってくるのです。
この地上の数十年の命がすべてだと思うからこそ、老いも苦しい。
死も苦しいのです。
病も、すべてを抱えて、苦の原因をつくってしまうのです。

でも、あなた方に言います。
あなた方はすべて神の子です。
永遠の命を持っています。
苦しみを握りしめることなく、執着を捨てることにより
苦しみの大半は消えていくのです。

握っているものは何ですか。
怖れているものは何ですか。
地位や名誉、財産、家族も、肉体も、一度離してごらんなさい。
この地上で、何が苦しみでしょう。
いちばん怖れるべきは、神の子としての神性に目覚めないことです。

地上の神の使者としてあなた方が目覚めた現状があるなら
そこで精一杯神の使者としての仕事をしていけば
何も怖れることはないのです。
もしそれで命を奪われるようなことがあったとしても
火あぶりにあったような者たちも
わたくしのキリスト教の弟子たちにはたくさんいました。
それでも、喜び勇んで天上界に帰ってこられたのです。
神の使者として、光の使者として迎え入れられてきたのですよ。
魂にとって、栄光ある歴史になったのです。
あなた方も、そのような神理の価値観を持ってください。

地上は、実在界で修行したことの試験場であるということ。
そして、あなた方が神仏の使者として地上に降り立ったとき
この地上を、地球を修行場として
神の愛の星として光らしめるための使者として
神の代行者として地上に生まれたという、そのことを思い
今何をやらなければならないか、何を悲しむべきか、何が苦しみなのかとー。
もうその境地に達しなければいけません。
今までのような初期の苦しみ
初期の悲しみを抱えるような人類であってはならない。
人類は魂の奥から解放されていくのです。

たとえ死にたいと思っても、自らの魂の記憶をストップさせたいと思っても
肉体が死んでも、それをストップさせることはできないのですよ。
死んだとたんにまた別の意識が芽生え
魂の永遠性を実感することになるのです。
魂は永遠です。
神が無限の修行の中で、わたしたちに無限のときを与えてくださる中で
永遠の中でわたくしたちは進歩発展し
自らの神性を開花させていくというそのような立場に
その場所を神は与えてくださっている。
それは地球だけにとどまりません。
ほかの惑星に行っても、同じ修行が続行されるのです。

であるならば、地上においてあなた方が抱きしめようとする
守ろうとしているものは一体何ですか。
地位や名誉、プライドとは何ですか。
あなた方の文明の中では意味があるかもしれない。
しかし、ほかの文明の中ではまったく価値のないことかもしれないのですよ。
それは神の子としてのほんとうの意味で
あなた方の魂を、あなた方の価値を高めるものになっているのでしょうか。
それをもう一度考えてください。

神の子としての誇り、生きがいを守るために
あなた方があえて守ろうとするものなら、それは価値のあることでしょう。
でも、そうでない、それ以外のことに目がくらんでいるのだとしたら
それは単なる執着で、魂の進化を遅らせているだけかもしれません。
地球人類は、もうそのことに気づかなくてはいけない。

魂が、この地上における命だけで有限のものであるという認識を
あなた方は捨てねばなりません。
そして、愛というものが何であるか、自らが神の子であるとわかったときに
神が宇宙の愛の根本原理であるということをわかったときに
自分が愛の化身であり、愛の分光であるということを理解したときに
あなた方が、愛をなさなければ何の意味もない存在であるということを
学ぶでしょう。
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何度も言いますが、愛は、条件付きのものではありません。
まわりの環境の一切のものを我が痛みとして
分身として感ずることにあるのです。
であるのなら、一見あなた方を誹謗する
敵であると思われる者たちも、神の子たちなのです。
ただ迷い、苦しみ、自らが進むべき方向がわからないゆえに
あなた方を非難しているのかもしれません。

でもそのときに、あなた方も今まで間違ってこられたのですよ。
自分が神の子であるということに気づかず
神が宇宙の中で、無限のときの中で、黙って酸素を、太陽の光を与えて
わたくしたちを育んでくださったことに
まったく恩知らずだったではありませんか。
それにもかかわらず、神は、無償に愛を投げかけ
あなた方を育み、進化発展するための環境を整え
祈りをもって、あなた方を生み出してくださった。
その恩知らずなわたしたちであるならば
あなた方を誹訪中傷する敵を赦すことで
神への恩に報いるとしても、よろしいでしょう。

それをわたくしは言ったのです。
「汝の敵をも愛せ」と。
「右の頬を打たれたのなら左の頬も差し出せ」とも言ったかもしれません。
それは、極論であったかもしれないけれど
敵である彼らも、同じ神の子である、仲間である
兄弟であると言いたかったのです。

「汝、人を裁くことなかれ」ということも申しました。
隣人を裁くということは、己自身を裁くことになるのです。
愛の摂理の中で行なったことは、必ず自分に戻ってくる。
そのことを思って、あなた方は同胞を愛しなさい。
自分の友を、自分の敵をも愛していくことが
巡り巡って、原因結果の法則によって
あなた方が多くの方々から愛されるという結果になり
幸福を生み出すのです。
それは、根本的な宇宙の法則に則っていることなのです。

愛は循環します。
与えた愛を、その人からだけ返してもらおうと思うから、苦しみが湧くのです。
他の人たちを赦しなさい。
あなたの愛を求めている人は、あなた方の身のまわりにいるはずなのです。
できることからしなさい。
無理はしなくていい。
無理をする必要はありません。
あなた方がやれる些細なことはたくさんあるはずです。

毎日、行き交う人ににっこりと笑って
「おはようございます」「こんにちは」と言うことも愛の一歩でしょう。
難民の子たちに五百円のお金を送ることも
その子たちが教科書をもち、食べるものを得
井戸の水を掘ることができたら、それもまた愛でしょう。
それ以外にも、あなた方のように、我々の言葉を直接、出版物にし
多くの人々に対して愛の言葉として直接的な伝道をする。
そういう仕事をするということも愛でしょう。
私生活の中でも、レムリアの仕事でも、職場においても家庭においても
できる限り、愛を与える存在になりなさい。

愛はむさぼるものではないのです。
愛は与えられると思うから怒りがこみ上げるのです。
愛を批判するものとして
批判されることに対して怒りを持つから、苦しみになるのです。

あなた方を苦しめているものは、わたくしも知っています。
わたくしが法を説いた時代にも、数々の法敵はおりました。
身の危険もありました。
命を狙われ、わたくしは毎晩毎晩いろいろなところを渡り歩いていたのです。
寝ることすらままならない。
いつ命がなくなり、神理の仕事ができなくなるかと
弟子たちとともに逃げ回っていたときもあるのです。

あなた方は殺されることもなく
平和な現代で、人権というもので守られています。
ジャンヌ・ダルクと呼ばれる方も、火あぶりになられたとおっしゃっています。
わたくしの弟子たちも数々火あぶりになり
わたくしが十字架に架けられたので
彼らも十字架に架けられてしまった、不幸な悲しみを負っているのです。

そして、あなた方がお話ししている、明治維新の方がたも
命を張って、正義のために、現代の日本を実現するために
刃のもとに命を散らした、若い命を散らした
その覚悟で、今日の日本をつくってこられました。

あなた方は今、命を狙われることはない。
最低限、命を狙われることはないのです。
だから、守るということより、愛というのは与えきりに与えるものであるとー。
見返りを求めるものでなく
条件付きの愛は愛とは呼ばないということをもう学んでいただきたい。
勇気を持っていただきたい。

(2005.7.30レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-07-27 07:13 | イエスキリスト/アモール | Trackback | Comments(0)

モーゼ/モーリャからのメッセージ(36)

九次元は、四次元から八次元の気持ちがわからないという
修行の仕方はしてないのです。
十次元とか、もっと上のほうで惑星意識として
つくられている場合はあるのだけど
九次元があくまで人格霊であるっていうことは
基本的には、四次元からの修行を一緒に地上でこなしながら
悟りの階梯、はしごというのを上がるようにできているから
やっぱり、四次元、五次元、六次元の者の気持ちがわかってこなければ
その悟りのはしごは、どんな入り口から上がっていったとしても
上がれないようになっています。

そうでなければ、万人のリーダーシップというのはとれないでしょう。
リーダーシップというのは、いわゆる普通の民衆の気持ちがわかってこそ
その心をつかんでこそ、リーダーシップというのをとれるのであって
我々はその修行をしています。

だからけっして、王様ばかりやってきてわからないからこそ
最初から九次元で救世主をやっているのではない。
救世主に誕生していく過程は、万人に与えられたチャンスなんです。

最初からそうつくられているところもあるかもしれないけれども
万人が修行していけば九次元になっていく。
その可能性は、あなた自身にも残されているんですよ。
最初から九次元だから、下の者の気持ちがわからない。
そのような悟りの流れ方、成長の仕方は許されていないのです。

九次元があくまで人格霊であるということは
九次元はけっして最高のものではない。
わたしたちの世界では、それはもう十分認識している。
だから九次元十人が力を合わせるというところでいさかいは起きない。
あなた方のほうが、逆に自分の力量をわかっていないから
お互いに自分の「我こそは」っていうのが出てきて
いがみ合いをしているのではないか。

上に行けば行くほど己自身の限界と謙虚さというのを学ぶし
上に行けば行くほど、自分の上がはるか何十次元まであるかということ。
我々でも、その上の先はわからない。

二十次元以上、先があるのはわかっているけれども
そこまでいくと宇宙の根源神になってくるのでわからないけれども
上には上があるということ。

この地球レベル、太陽系レベル、銀河レベルで話ができるような
指導者以上の指導者が、宇宙にはおられるということを考えたら
九次元がまだまだ小学生レペルにしか映らない我々の感覚を
わかっていただけますか。

けっして完成された姿ではない。
だから我々だって誰だって、修行の過程で
今回のような危険な目に遭うということは十分承知している。
ただ、我々の仲間の中からこういうことが起きたということを
ひじょうに厳粛な事実として受け止めて
我々も気をつけなくてはいけないんだというふうに理解している。
自分の仲間がこうなっている以上、できるだけ彼のために
みんながフォローしてこの埋め合わせをしたいと思っています。

我々の仲問を助けて埋め合わせをしていくことが、我々の今残された使命であり
自分たちにはやらなくてはいけないことだと思っているから
裏に回っていた九次元たちまで、今総動員して出てきているのである。

けっして我々は完成体ではない。
悟りが高まれば高まるほど、己の不完全さと向き合う、そういう道なのです。
悟ったと思うのはまだまだ
自分が小さな中で満足しようとしている無知さに裏づけられている。
だからわたしは、「無知は最大の罪である」というふうにあの時言ったのです。

みんな、我々が、あの世界(九次元)の者は
自信があるように思うかもしれないけれども
それは我々なりに精進努力してきたところの結果であって
自己信頼しているという意味においては
自信があるように思うかもしれないけれども
自分たちの限界ということ
自分に対して神がどのように個性を、期待を込めてつくられたかということを
知っているという意味においては、あなた方よりは優れているのかもしれない。

だから、あなた方も、何でもかんでもやろうとしないで
神があなた方一人ひとりに期待を込められた、その個性、使命というものを
己自身に対して正直に生きるということ。
それが己自身を最大限に活かすということ。
それが世の中をユートピア化していくためにいちばん必要なこと。
そこを抜きに悟りはないのだということを
もっと確実に理解していただきたい。

悟りという完全体のものがあるわけではなくて、一人ひとりの個性に応じて
人のために、神のために、宇宙のために、万人の幸せのために
生きんとするその姿の中に、己自身の悟りというのが輝いている。
そういうものが悟りだということ。
仏教関係者はそこをもう少し理解しなければー

悟り、悟り、というのがひとつのワンパターンのものの中にあるように思って
自分をいたずらに苦しくさせー
一人ひとりが、みな同じではなく、あなた方、墨衣を着ているから
みんな同じ悟りがあると思っているかもしれないけれども
その墨衣を脱いでみたら、仏弟子たち一人ひとりだって
みんな違うんだということ。

そうでしょう。
三人お坊さんたちがいたとしても
その三人のお坊さんたちの個性は、全部違うはずです。
でも、墨衣を着たら、みな何か同じ者たちであり、同じ悟りの段階を経て
みな同じ境地に至らなければ、アラハンだとかボサッターになれないって
思い込んでいるかもしれない。
でも、それは違うのです。

三人の仏弟子がいたならば、三人の黄金光線の中にいながらも
三人の一人ひとりに対して、期待を込められて
神がつくられた個性、使命が賢なっているということ。
もっと自分に自信をもち、もっと自分の魂に誇りをもち
自分の中で、己自身で己自身を輝かすということ。
もう、その仏教とか、キリスト教とか、神道とかいう呪縛から
人びとは抜け出さなければいけない時代がきているのです。
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根源的な神が、何を期待を込めて一人ひとりをつくられたか。
確かに光線というのはあります。
七色の光線のどれかに所属するように
わたしたちがあなた方をつくってきた過程の中にあるように
自分の所属する系団というのは確かにあるのです。
でも、それと己自身が、その七色光線の中の全部が黄色、全部が赤
そして、もっというならば、自分たちは仏教徒である
自分たちはイスラム教徒である
自分たちは神道である、キリスト教徒であるだから、この枠から抜け出せない。

だから、わたしたちはみんながイエス様のもとに、愛というものの中で
イスラム教徒と戦わねばならない。
アラーの名のもとに、クリスチャンを殺さねばならない。
それが今、ひじょうに過渡期的なものとして清算される
そういう時期が、今これからこようとしています。

あなたが、さっき聞いていましたけれども
ローカルレリジョンからスーパーレリジョンヘということ。
それは高橋信次のG会からずっと言われてきたことです。
それを今回求めている。

宗教、あらゆる地域宗教を一度、ひとつのるつぼに投げ込み
金属を溶かすようにすべてを溶かして
そして、純金である地球規模的なスーパーレリジョンというものを
抽出しようという試みが今回の計画の本筋であるのだということ。

このまま地域宗教を放っておいてしまっては、けっして人類に幸せは
そして神の正しい姿というものが認識されないままに
戦争や殺し合いが行われるだけでしょう。
その悪いサイクルから抜け出すためには一度、救世主が
本来の根源的な地球規模的正法の中に統一するという
今回の役割があったのです。
それをORはやろうとしたのです。

それをしなくては駄目なのです。
そうしなければ、いつまでたっても
無意味な戦争や殺し合いは延々と続くことでしょう。
毎日ニュースを見ていて、あなた方はどのようにお感じになりますか。
あのような戦争、アメリカにとっても、イスラムの人たちにとっても
そして、それに巻き込まれて、援助させられながら
いろいろな苦しみをつくっている日本をはじめとする他の国々にとっても
ひじょうに世界的に不幸なことではないのでしょうか。

その根源に宗教というもの、その根源に神があるということ。
そこの矛盾を我々は解かねばならないと思っているのです。
そして、やっとそれができる時代がき、その時がきたのです。
人びとの魂が成熟してきたのです。

ラクダに乗り、砂漠をわたり、羊や山羊と共に暮らしている者たちに
その規模のことを言ってもわからないのです。
砂漠の民ということですね。
その時代では、わたしの行ったシナイ山紅海を割って
奴隷がエジプトにいる時代では
このようなことを話してもわからなかったのです。

よろしいですか。
今は皆さんがひじょうに知的にもすぐれ、いろいろな仏教やキリスト教をー
わたしは砂漠の民という、その時代の者のほうがたとえにしやすいので
その表現をしましたけれども、それは古代ということですね。
そういう時代では、なかなかわからなかったのです。
今の時代になって、わかるようになりました。

だから、わたしたちが指導する一貫の中に
イスラム教徒であった者が次にはキリスト教に出るように
そして仏教も体験するように
神道も体験するようにという指導をしてきたつもりなのです。
だから、あなた方一人ひとりの中に、ひとつの宗派だけではなく
ほかの転生、ほかの宗教の中で生きた時代というのが必ずあるはずなのです。

それを長い魂の転生の引き出しの中にパーニャパラミタとして
さまざまな宗教を学ぶことによって
神はひとつであり、自分の魂というのは生き通しであり
ひとつの宗派に、ひとつの地域に固執するのは
どれだけ無意味な愚かなことであるかということを
魂の歴史の中で学習させてきたはずなのです。
そのことをどうか思い出していただきたいのです。

(2004.1.11レムリア・ルネッサンス
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# by nagoyasc | 2017-07-24 05:55 | モーゼ/モーリャ | Trackback | Comments(0)



一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。
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