祈りとは個性あるエネルギーであり、その人の存在そのものがにじみ出てくる。
それは、隠しようがない波動バイブレーションです。
2007年にレムリア・ルネッサンスのアマーリエさんが降ろされた
スピリチュアル・メッセージです。
今までは祈り方がわからないから、形の中において、気高き言葉を並べることをもって
主の祈りにおいても、神につながるのはこのような境地で
このような語りかけをしていくことが、魂を純化し
神につながる道であるよということで、イエス・キリストも、モーゼも
そしてイスラムのマホメットも、そして我らが日本神道においても、仏陀におきましても
そういうもの、祈りの言葉というものを示していったのです。
しかし、もうこのような言葉が形の中で、隠れている時代ではないということ。
逆にいうと、さきほどから女性の問題、ありのままである大変な時代が来るよと
申しましたけれども、その方その方から、語る祈りの言葉によって
その方の言葉のバイブレーション、言霊のレベルによって
その方の認識がどの程度のものであり、愛がどの程度の豊かさと深さを持つものであるか
それが他の者にもわかってしまうほどの
そのような純粋な霊域の時代が来るということです。
他の方から見ても、もっと言うのであるのならば、今みなさま方が
イスの上に座っておられますね。
イスの上に座っておられるこの個性あるエネルギー
そのあなた方のこのエネルギーそのものが祈りであるのです。
愛の祈りの姿である、あなた方が神の子であるのならば
神の子として、愛のエネルギーとして、愛の親たる神に、どのようにつながっているか
それがむき出しでわかってくる、その語りかけ、存在を持って愛のエネルギーであること
神の子であるということを証明している、その姿、その存在そのものが
祈りであるということです。
神との関わり合い方、愛の存在の仕方、それがあなた方自身でもあるし
それの存在を通して、祈りが行われているのです。
言葉を語らなくても、あなた方の存在を見たならば
あなた方の愛の祈りがどのようなものであるか
それが他の方々から見て一目瞭然わかってしまうのです。
だからイエス・キリストは公会堂で
人の目の前で大きな声で祈りを捧げるユダヤ教徒たちに戒められたのです。
大きな声で人前で、美辞麗句を並べて祈るようなことはするなと
そのようなものは、神の心へは届かないのだと。
何もしなくても、片隅で豆を売っていても
一生懸命病気の母親のために、売って仕事をしていた少年は
その存在、その行為そのものが愛の祈りそのものであります。
それを神は喜ばれるのです。
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