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地球を愛の星へ

子どもに対する親の心構えー日向(卑弥呼)からのメッセージ⑤

「バラは薔薇のように、ひまわりは向日葵のように、すみれは菫のように育てなさい」

という言葉をこの方はよく言うのです。

そのときに、スミレに薔薇のように咲けと言っても無理なのです。

向日葵として大きな使命を持っている者に、それは差し出がましいから

すみれのように咲けと言ってもまた酷な話であります。

その子どもたちの魂というもの、香りというものを母親たちは、親たちはしっかり見守り

その子どもが何を本来、魂として要求しているかということを考えていく。

それを与えていく。

それがわからなくても、ただただ無償に愛していく。

見返りを求めない。 そして、成長を喜ぶ。

社会の中に出て恥ずかしいような言動をするようなものであるのならば

ほかの人は冷たく笑っているだけかもしれない。

でもそのときには、腕まくりをしていって、命がけでその子どもと体当たりをして

人間のあるべき姿を教えていく。

その姿が愛であります。 親の愛であります。

今の母親たちは、子どもが少ないゆえに見ておりますと、子どもに嫌われたくないのです。

特にひとりっ子の母親たちは見ていてそう思います。

子どもにいつも、いつも機嫌をとって、自分だけは何とかちゃんの味方ですよ

と言って愛されようとし、父親よりも息子に機嫌をとっていく。

そのようなことの中で、たとえば間違ったことをしたときに

ほんとうの意味で子どもを殴れますか?

ほんとうの意味で厳しく子どもをとがめられますか?

昔の母親はすごかったのです。 強かったのです。

なりふり構わず子どもとぶつかっていったのです。

怖いときは、お母さん、怖かったのです。

そしてそれで聞かなければ、出てきて最後に怖いのはお父さんだったのです。

お父さんはいつも、いつも怖いのではありません。

お父さんは黙って後ろで控えていればいいのです。

お母さんが一生懸命なりふりかまわず言うときに、たとえ母親にぶたれたとしても

何されたとしても、ほんとうの意味で自分をだめにしないために

この母親は命がけでぶつかってきてくれるのだと

愛されているのだという実感さえあれば、子どもは悪くなりません。

手を上げたから悪くなるのではないのです。

手を上げたからといって子どもが急に悪くなるとしたら

それまでにしっかりと親子としての絆を築き、ちゃんと小さいときから

ぶつべきお尻とかをぶってこなかった。

体当たりで正面からぶつかって来なかった。 親が逃げていた。

そのようなことに対する子どもたちの怒りがあるのです。

自分をほんとうに良くするために怒ってくれる、叱ってくれることを

子どもたちは無意識に喜ぶのです。

昔の先生たちだって、ほんとうに子どもを良くしようと思ったら体当たりでした。

竹刀を持ってでも、お尻を叩いてでも子どもたちを一生懸命育てようとした

立派な先生たちがおりました。

でも今は、手を上げたら問題が起きます。

教育委員会のほうに問題がいきます。

それをまた、ぎゃあぎゃあ言うのは過干渉な母親たちなのです。

自分の息子に手を上げたと、必要なことだったならば、「どうぞ先生、うちの子が悪さをしたら叩いてください」と言うぐらいの、度量のある母親たちがいないのです。

なぜなら、子どもの機嫌をとって、大事な子どもに自分すら手を上げたことがない。

まして父親たちにも手を上げさせない。

そのようなことの中で溺愛しているから、よその人が、よその先生が手を上げるなんて

とんでもないことになるのです。

ですから、教育委員会のほうに文句が出るのかもしれません。

でも、愛というものはそういうものではありません。

神の愛を見てください。

神がいつも、いつも甘いことばかりを人類に言っているでしょうか。

愛というものは無限に赦し、無限に与えることである一方

因果応報という摂理のなかにおいて、自らがやったことは自らが刈り取るということ。

愛というのは、厳しさという面も反面あるのです。

そして、愛には忍耐というのがつきものであるということ。

忍耐というのは何であるか。

愛すべき者をトータルで受け入れたのであれば、ありのままに、その愛する者の成長を

見守るがゆえに、成長を望むがゆえに、忍耐というものが必要になるのです。

いつも、いつも甘いことばかり言わず、やはり数々の試練を通しながら

苦しみ、悲しみを通し、この魂が成長していく過程を望むからこそ

より素晴らしい未来をこの魂に望むからこそ

厳しさの中で涙を流しながらも、忍耐をもち見守り続けていくのです。

その神の姿を見習っていただきたいのです。

成長というものを見守ってくださる神のお姿、愛の姿があるように

私たちはその縮図である家庭を通して、神の子を授かり、その魂を育て、成長させ

それを愛で包み、それをまた社会に帰していく。

ある意味で、神と同じことを、家庭を通して、創造者と同じことを試練として

私たちも魂の進歩発展のために子を預かっている。

そのように尊い場が家庭であるということなのです。

056.gif053.gif(2005年スピリチュアルメッセージ/レムリア・ルネッサンス/アマーリエ)053.gif056.gif
子どもに対する親の心構えー日向(卑弥呼)からのメッセージ⑤_c0171476_14183647.gif
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by nagoyasc | 2010-10-07 10:33 | スピリチュアルメッセージ | Trackback | Comments(0)
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一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。

by nagoyasc
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