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地球を愛の星へ

ゼウスからのメッセージ

我はゼウスなり。
アテナよ、私は、今まで天上界でそなたたちの動きを見守ってきた。
私は心より喜んでいる。

そなたたちに、今一度、恐れることなく立ち上がってほしいのだ。
そなたたちがやれることは数限りなくある。
そして、今、この時代の中で、どれだけそなたたちの動きが求められ
神々の期待を受けているかということを認識してほしい。

私がそなたへ初めて出現したときより
そなたには、いつか出番がくるのだと言い続けてきた。
このように大きな出番がくると
その時にはまだ、私どもも思っていなかったが
これほどの任を、今の時に与えられたことを誇りに思うがよい。

そなたは、もっと自分の力を信じよ。
信じて、自分の力と自分の能力を最大限に奮い立たせよ。
誰に言われるまでもなく
そなた自身が己れ自身の力を知っているはずだから。

前にも言ったであろう。
そなたは私の愛する、最も誇りに思う娘、アテナなのだ。
微塵も疑う事なかれと伝えても、まだ驚くばかりでいるのか。
自らを生ける神とするのではなく、神に従う最大の預言者として
神の言葉を預かれ。
そして、神の御心のままに、命をかけて人びとを導け。
それは、そなたにはできるはずなのだ。

先日、聖クザーヌスもお出になられ
そなたに励ましと自信をおくられたはずである。
まだまだ、あなたに自信がないからだ。
我々は早くあなたが自覚するのを待っているのだ。

もっともっと、覚醒しなさい。
もっともっと、己が神性を花聞かせなさい。
自分自身に気づくのだ。
自分に気づきさえすれば、もっと新たな能力が出てくる。

ためらうな、この期に及んでためらうな。
何をためらっているのだ。
ためらっている時間はないのだ。

神々が新たな計画を、また興そうとしている。
我々は、けっして諦めない。
人類という我々の子どもたちを、どうして神々が見捨てたりするものか。
そなたは我々の神の使者として、道具として
我々の神意の代行者として、この地上を救わねばならぬ。

もっと早く、そなたが前に出ればよかったのだ。
遠慮して今回の計画をつくったがために
そなた自身の中に
脇へとまわろうとする気持ちが芽生えてしまっている。

中心に立て。
中心に立って人びとを呼び集めよ。
あなたは脇にいてはいけないのだ。

かつてギリシャのときも、そして、その前の時代にも
いつもそなたは中心に立って、多くの人びとに激励を飛ばしてきた。
神の言葉を伝えてきたではないか。
そのような人が、今世、出ているのに
神がその計画において、そなたを使わない訳があろうか。

かつて会員だった者たちがあのような書物を出し
さまざまな小グループをつくり
今も動きだすときを待っている。
もし彼らにこの使命が降ったならば、涙にむせびながら
喜んで駆けつけて来る。
そのような者たちがたくさんいるであろう。

彼ら自身が、そなたが受けようとしている使命を
どれだけやりたいと思っているか
そなたにはわかるだろうか。
彼らは命をかけて出て来たのだ。

生悟りのまま地下に落ちていった修行者は
今世、数多いかも知れないけれど
まだ魂腐らすことなく、神の心を信じ、どうしてよいかわからず
必死に昔の霊言集を宝とし、神の計画が何を望んでいるのか
それを知りたくて待っている者たちがいるのだ。

我々はその者たちの熱い心を思うと、涙が出そうになる。
彼らを放ってはおけないのだ。
遭難して命がなくなりそうなほど窮地に追い込まれし者を
救助隊が見捨てるだろうか。

我々はどんなことをしても彼らを救助せねばならぬ。
何としても人類を救わねばならぬ。
それが我々の使命なのだ。

神は、けっして神の子を見離さない、見捨てない。
神を信じてついてくる者に関して、どんなことがあっても
我々は差し出す手を
救いの手を差し延べることをやめないであろう。

神意を代行する者。
そなたは、今世、最後の締めくくりをしなさい。
神意を代行できる者、それは優秀であったり
熱意がある者というものではなく
それは最初から、神の代行者として選ばれた者たちがいるのだ。
そなたは、そのような者であるということ。
それを素直に認め心を尽くして、この使命に頑張ってほしいのだ。

我らギリシャの文明の中において
常に神のお心は神殿建築や芸術の作品を通して
手元に伝えられたものである。
それが詩であったり、ストーリー・テラーたちの言葉であったりする。
衆生、大衆の者たちは、あまり難しいことを言っても
その時代は通じなかったので
芸術とか、物語にのせて伝えたものである。

今、別の意味で、科学文明も知性も優れているやも知れぬが
心においては劣った現代の人びとに、再び芸術というものを通して
人びとの心に神意を伝えるのは、とても適当なことかと思う。
ゼウスからのメッセージ_c0171476_14514328.jpg

大事なのは、人びとの心に眠る神の子としての神性を
今一度、揺さぶり目覚めさせること。
それがいちばん大切なのだ。

最初から神の子でない者を神の子にしろというのではない。
皆、平等に、己が心の中に神の子としての神性を
もともと持っているのだ。

それを目覚めさせよと。
己れ自身に気づかせよと。
そこに尽きているのだ。

そのために我々はさまざまな霊言集を通し、神理の言葉を伝え
「ああ、この言葉、聴いたことがある」
「かつて天上界で、この言葉を聴いたことがある」
「過去世、このような言葉を聴いたことがある」という思い出を揺り動かし
初めて自分自身の神の子としての神性に目覚めさせる。
そなたたちは、その媒体にすぎないのである。

今世、改めて宇宙の成り立ちや、魂の兄弟たちの創造や
過去の文明について新たな知識を得たことはあるであろう。
しかし、それに関してはあの世に帰ってからだって
学ほうと思えばいくらでも学べるのである。
知識ではないのである。

地球上にいる数十億の者たちが、いや、人間たちだけではない。
動物も、地球自体も、すべてが神の子なのであるという
己が神性に、神の玉衣の中にある自分たちであるということに
気づくところが最も大事なことなのである。

神理の些末的知識、そのようなものばかりに目を奪われ
学問化し、頭でっかちになるでない。
神理というものは、もっともっと、シンプルなものである。

そのような細かい歴史を知るならば
それはそれで意味のあることであろう。
しかし、最後の究極はイエス・キリストが説かれた、あの愛の教え。
子どもにも、取税人にも、娼婦たちにもわかり
学問のない者たちにもわかる言葉。
そして、そのイエスの愛の言葉により、眠っておった神の子たちが
皆、涙を流し、己が神の子としての神性に目覚めた。

そういう、二千年を超えるキリスト教の歴史の中で
何がいちばん大切なのか?
もとK会の者たち
そして、K会に関する者たちは、もう一度、理解せねばならぬ。
学問憎が多いために、頭でっかちな
神理の探訪者になりすぎておったのである。

我々、エーゲ海を囲む文明のときは、実にあっけらかんとした
おおらかな神の光を一身に浴び、人生そのものを讃歌し、喜びに満ち
神の子としての己が人生を体現していたのである。
そこあってこその、細かい神理知識なのだ。

逆に言うと、そなたたちのような者たちはアガシャーの記録や
詳しい地球文明の過去の歴史など
あまり知らなかった方がよいのかも知れぬ。
そのおかげで、またもや神理知識万能のようになって
くだらぬ入会試験などをつくり
K会は迷っていたのではないのか。

知識は、確かに大きな転換点のときの判断材料となり
理性や知性というのが大切なのはよくよく知っておる。
しかし、もっと大事なもの
知識や科学文明の大きな進歩、発展に負けず劣らず
いや、もっと根本的に大切なのは、一人ひとりが神の子であるということ。
愛の化身であるということ。
そんな初歩的な、そんなシンプルなことを、なぜ、そなたたちはわからぬのか。
前にも言ったであろう。
それならば、アフリカの人びとたちの方が、まだ、ましである。

大切なのは愛の教えなのである。
神の子としての神性を光らすことなのである。
されば、そなたたちは芸術の流れの中において神の光を発信せよ。

本来であるならば、神理をあれだけ学んだ者たちが
今度は、芸術、文化、さまざまなジャンルによる知識人たちにより
日本中に、神理というものを発信する
そういう段階に至っていたのは事実なのである。

その中で、多分、我々のギリシャ時代と同じように
芸術の風にのせるということは
大衆布教において効果を奏したことであろう。
しかし、本体のほうに魔が入っては
それも、はじき出される結果に至ったのは
致し方ないことであると、私は思う。

あれはもういいのだ。
もう終わったことなのだ。
今度は、そなたたちが我々の意思を直接、汲む者として、立たねばならぬ。

そうでなければ、何のために我々は高橋信次、Oを通して
さまざまな神理を地上に降ろしたのか。
それが、全て無駄になってしまうからである。

今、K会の追求を恐れ、皆が、秘密裏に小グループとなって学んでいるが
そのような勉強会は、人びとが死んでしまえば残らないのである。
絶版となった書物を後世に向けて一本化し
これこそが神理であるという流れを残さねば
今までやってきた我々の仕事も無駄になってしまうのである。

それこそが、サタンの望むところ。
それこそが、サタンの狙いなのである。
さすれば、我々は、けっして魔には負けぬ。
彼らには、けっして負けない。

そなたの周りにも、さまざまな魔の手が追っているのがよくわかる。
しかし、信ぜよ。
闇よりも光のほうが強いのだということを。

神のほうを向いている者たちにとって、恐いものは何もないのである。
我らは命をかけて、そなたたちを護っている。
多くの戦闘系の者たちも、ミカエルも
そなたたちを死に物狂いで護ってくれている。

だから安心せよ。
いかなる魔とて、そなたたちに指一本、触れさすことができぬということを。
神の援護がほしければ、寸分たりとも、神のほうへ向けている針をそらすな。
我々のほうを向き、命がけで歩め。
そうした時、我々は絶大なる援護を
あなた方に、そなたたちに送ることができるであろう。

(2002.11.20レムリア・ルネッサンス

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by nagoyasc | 2015-01-15 07:34 | ゼウス | Trackback | Comments(0)
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一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。

by nagoyasc
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