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地球を愛の星へ

墨子からのメッセージ(3)

あなた方の中に、寛容さというと、びっくりされる方がおられるかもしれない。
でも、「こうあるべし」という
ひとつの中に凝り固まったものは、寛容さを失うのです。

今、世界の宗教を見てご覧なさい。
キリスト教圏であるならばキリスト教圏として、イスラムの者たちに対して
魔である、悪であると、自分たちこそ正義であると思う。

イスラムはイスラムで
自分たちこそアラーの名のもとに、自分たちこそ正義であると思う。
キリスト教圏の者たちを悪だと思う。

そのようなことのせめぎ合い。
キリスト教とユダヤ教のぶつかり合い。
それも、やはり自分たちこそが正義であるということのぶつかり合い。
そのように、自分こそが正しいと思い他者を裁く姿、他者を悪だと思う心
そこに愛がほんとうにあるであろうか。

宗教というものをあれだけ学んで、信仰というものを学んでいる者たちにとって
なぜ、あのような見苦しい戦いが、普通の一般の者たちよりあるのかというと
そこには寛容さというものが欠けているからなのです。

自分の理解できないものを受け入れていく。
それが、ほんとうの愛ある姿であると、成長していく。
そして、この人類の最終ユートピアをつくる、統合されるべき時代に
今までの自分では考えられないようなことが
すべて明かされてくる時代であるということをもう学んでいるはずなのに
自分がやはり理解できないものに対しては不寛容になり
そして魔であるという安直な結論をつけていくという
そのような浅い理解でもって、どうしてユートピアなど建設できようか。
愛というものをこの地上に実践していくことがかなうだろうか。

まず日常の中において、仲間を、自分の愛する家族を、友人を
そして、地域にいる者たちを
そこにほんとうの意味で根ざした愛の中で生活を生きることによって
最終的に地球をユートピアにすることができるのです。
人類を愛することができるのです。

ほんとうの意味で愛というものが
逆に言うと自分の知らない者たち、自分の周りにいる者たちにより
自分の欠点を赦していただく、そのような関係、そのような旅路が
ほんとうの愛ある人生航路の大事な道しるべであるということを
ほんとうに学んだのならば
人びとは自分の価値観以外の者に対しても
寛容であることができるはずなのです。

でも、自分でこうあるべしと決めてしまった
イスラムならイスラムの教え、キリスト教圏ならキリスト教圏の教え
ユダヤ教ならユダヤ教の教えの中で
皆がそこから、不寛容さの中から出てこないから、人びとは傷つけ合っている。
これが最終的な、今のこの地球の現状であるのです。

それは今の、あなた方のグループの中においても
過去のグループの中に、救世の運動の団体においても同じなのです。
正しいと思うからこそ命がけなのはわかります。
でも、自分の理解を超えたものに対しては謙虚になるという寛容さがあれば
自分のわからない者たちに対して一歩引いて、その者を受け入れるという
愛ある寛容さを示すことができるはずなのです。

キリスト教が間違っているわけではありません。
キリスト教の者たちは、キリスト教の者たちで素晴らしいのです。
イスラムの者たちは、イスラムの者たちで素晴らしいのです。
仏教系の者たちは、仏教系の者たちで素晴らしいのです。
ユダヤ教の者たちは、ユダヤ教の者たちで
それなりに素晴らしい教えを生きているのです。

そして、それ以外の数々の日本神道にしても、いろいろな宗教があります。
そして、信仰というものを謳ってない者たちもおります。
でも、その者たちもすべてをくるんで、神の子であるということ。
神の表現体の一部であるということ。
その多様性を受け入れるということ。
その多様性が今、最終的に地球の上ですべてが明かされ
人びとの中に呈示された時代であるということ。
すべてを統合していく時代であるということ。
そのことをもって、今世の文明の終局を迎えているのです。

それを、我々が人類皆家族であるということ。
多様性を、違いをお互いに認め合い、赦し合い、受け入れ合い
逆に受け入れ合うことにより
自らの進歩発展を促すような、お互いに刺激としていく。
お互いに愛ある成長の過程として、お互いに受け入れ合っていくということ。
その姿があってこそ、一歩、高等な
次のステップにいける人類となれることができるのです。
その寛容さがないから、「謙虚さ、謙虚さ」と口で言いながら
ほんとうの意味で謙虚さのない者たちが多い。

遂に言うと、今まで神職にあった者たちのほうが
実生活の実践というものを通していないから
あなた方の中に、愛というものがどれだけ互いに赦し合って
そして、その中で逃げ出すことなく、互いにいつまでもその襖の中で時を重ねる
責任を持ち合うということ、守り合うということ。
愛というものがそういうものである、情愛を込めているものであるということを
基本的に学んでいないから
あなた方はそういう、人びとに対する愛というものを通した寛容さというものを
学べなかったのかもしれない。

自分たちが常に神の代弁者であり、法の権威者であるというような
そのような裁くような立場でいたのならば
いつまでたっても宗教を超えた愛ある統合というものが
地球レベルで行われるなどということはできないのである。
あなた方が愛というものを語れば語るほど、信仰というものを語れば語るほど
その言葉はうつろな響きを漂わせる。

愛という中には、けっして見捨てぬこと
お互いに、お互いの命を受け止め合うこと
つらい時に逃げ出さないこと、相手が苦しんでいるときに
励まし合い、慰め合い、受け止め合い、分かち合うこと
それが愛の根本であるということ。
それを学んでいない。
墨子からのメッセージ(3)_c0171476_12525025.jpg

家族はどうであろうか。
たとえば、夫婦はどうであろうか。
どれだけ少々、相性が悪かろうと、どのような問題があっても
夫婦というのは手と手を取り合いながら乗り越えていくもの。
ひょっとしたら、ほかにもいい異性がいるかもしれないと思ったとしても
そこに子どもなどがいれば
この相手といっしょになんとか乗り切っていかなくてはいけないと思って
そこから逃げ出せない環境の中で
二人で必死に悲しい思い出を共有しながら、つらい思い出を乗り越えながら
ともに思い出として、人生の素晴らしい瞬間として、二人して時を重ねていく。
そのようなものが、愛ある実践の姿であるということ。

そして、そこに生まれた希望を通して
次の世代に夢をつないでいくということ。
励まし合い、慰め合い
そして、お互いに人類の将来に、未来に対して希望をつないでいく。
そのような基本的な、基本的なこと。
そして、愛する者を守るという責任感。
愛されることの喜び。
守られることの幸せ。
そういうことを学ぶのが結婚生活なのです。

そこから逃げないということ。
受け止め合うということ。
責任を持つということ。
そこに、ほんとうの意味での愛の尊さがあるということ。
そして、自分でこうあるべしと思った姿に
相手がない場合が多いのが結婚生活なのです。

わたくしもそう思いました。
そして、パートナーだけではなくて、配偶者だけではなく
子どもたちにおいても数々いれば
自分とは全く違う個性体が出てくるということ。
それを受け止め合い、ともに生活をしながら、彼らを守っていきたい
いとおしいと理屈を超えて学んでいく。
その生活の積み重ねの中で、自分がまた、そこの彼らの存在を通して
未来に対する希望を、夢を見ていったということ。
それがまた、子どもを持つ素晴らしさでもあるのではないかと
わたくしは思うのです。

そこの事実、その絶え間ない、当たり前の生活の積み重ね。
けっして、特別なことだけが愛ある生活ではない。
けっして、特別なことをすることが、愛の理念の中で
「素晴らしい聖者」と呼ばれるものではない。
日常に密着した当たり前の生活の繰り返し、特別なことではない
当たり前の生活の行為の積み重ねの中で、責任を持ち、いたわり合い
ともにひとつの時の中で、同じ時を、同じ場を共有し合って、励まし合って
夢を持ち合って、ひとつのグループの中で、ひとつの理念の中で
ともにその永遠の時の流れの中の一瞬を共有し合うという
その素晴らしさの中で、ひとつの共通の思い出をつくった。
その喜び、感謝、それが家庭生活の原点であるのです。

他人であるのならば、嫌なら逃げ出せばいいのです。
関わり合わなければいいのです。
ちょっとトラブルがあれば、逃げ出せばいいのです。
でも、そういうわけにはいかないのが家族なのです。
そこの中で向きあい、ひとりの男と女が、とことん愛というものを学ぶために
逃げ出さない中で、お互いを磨き合い、受け止め合い
愛の本質というものを学ぶのです。

この間、マヌ様がおっしゃられていたように、愛の究極の中には
自分の魂のパートナーと出会うということをおっしゃられていました。
でも、そこに至るには
まず究極の悟りの中で、神の子としての自らの修行があり
愛というもの、男性原理、女性原理として、しっかり神の子として
どういうふうに愛というものを生きるべきかという悟りがなくして
最終的なパートナーに巡り会えないということを
神はちゃんと摂理の中でおつくりになっておられるのです。

まず、進歩発展せよ。
成長せよ。
自己を研鐙せよ。
今、地球はその段階にあります。

永遠のパートナーに巡り会う者は、ほとんどわずかな者なのです。
でも、永遠のパートナーでなかったとしても
この大きな大きな永遠の大河という時間の流れの中で
ほんの一瞬の、数十年の肉体を待ったこのドラマの中で
ともに同じ空間を、同じ時を生きて、自分という者を受け止め、赦して
分かち合って生きてくれるという相手に対して
絶対的な感謝といとおしさを感じる。
それをほんとうの意味で、自分の中で学ぶことができる。
そのような体験を積み重ねるために、この地上の生はあるのだということ。

愛というものは、頭だけで、理念だけで学ぶのであるのならば
我々の世界にいても、天上界にいても学ぶことはできるのです。
でもこれを、愛ある実践の姿
生きざまの一コマ一コマの中で生きてみせるという
生き抜いてみせるということをもって
その者にとってほんとうに愛というものを理解していたのか
実践していたのかという、実践できるのかという、そこが問われるのです。

そして、人びとは、ほんとうの意味で愛ある実践を伴った者に
そういう者にしか人はついてこないのです。
それは、その者の言霊、生きざまを通して
ほんとうにこの者が指導者として
この者のあとをついて行っていいものなのか
人びとはちゃんとハートで見抜いているのです。
そして、指導者になりたいと言って指導者になれるものではなく
指導者の資格を持った者でなければ指導者にはなれないということ。

(2005.9.3 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2015-07-10 12:52 | 墨子 | Trackback | Comments(0)
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一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。

by nagoyasc
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