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地球を愛の星へ

福沢諭吉からのメッセージ(2)

わたくしは生前、教育の中に信仰というものを入れないものでした。
逆に宗教ごとというのを言うと、合理的な科学的判断をふまえた
先進諸国に並ぶような、文明国の一員としての判断力を阻害すると
わたくしは判断したので、もともと信仰ごとは好きではなかったし
教育の理念の中においても、宗教というもの
信仰の大事さということは、いっさい盛り込まなかったのです。

逆に嫌っていた節もあったはずなのです。
教養人として、立派な判断ができる人間になることを
教育の理想においたのです。

しかし、わたくしが考えますに、信仰というもの、神の価値尺度というものが
こちらの世界に帰って来れば
いかに大事なものであるかということを考えますに
もし次に私が出るのであるのならば
教育改革の原点には、やはり信仰心というものをおきたいと思うのです。

逆に言うと、信仰心という価値尺度がしっかりしていない者が
これからどれだけ英語や、科学や、難しい高等数学を学んで
政治体系を学んだとしても
これから先多くの人びとを指導していくような人徳、力量として
人びとを説得していくような、人間としての魅力にはなっていかない
器づくりにはなっていかないのであると
私はそのように今、考えている次第なのでございます。

でありますから、まず神理の価値基準というものを
まず教育の根本において、最低限のことを学ばせる。
そして目に見えない神というものを
やはり信じていけるような教育環境、幼い頃から
そしていちばん多感である、青少年の思春期という時に
やはり信仰というものに出会っていった者と、出会わなかった者とでは
その後目に見えぬ神というものを受け入れられるかどうかという
大きな分かれ目がくると思うのです。

今回の、ORさんという方の顛末を見ておりましても
やはり教育体制の中に信仰心というのが根づいていない
日本社会というものをやはり、常々反省の目で思い
あの時代にわたくしも教育者として、教育理念を打ち立てた者として
わたくしも私なりに精一杯
合理的な啓蒙思想の教養人としての学校づくりというものを
目指したつもりではありますが
そこにひと言、信仰の大切さということを盛り込んでおいたなら
もう少し変わったのかもしれないと思うのです。

今のわたくしが創った大学を見ますと
ひじょうに優秀な者たちが集まってきており
そして歴史もあるので、経済界におきましても、たいへん就職におきましても
すべてのもので有利であるということのために
刻苦勉励する者たちが入ってくるのはとても喜ばしいことではありますが
やはりそこにおいて、では経済的に豊かになるためだけに勉強してきたのかと
問いかけたくなる者たちが多い姿に、わたしは内心少々失望感を感じるのです。
そうではない。
もっと高まいな理想があったであろうと

明治の者たちにはあったのです。
新たな価値観、尺度をつくり上げて
新たな日本を世界の列強のひとつにしていくのだと
植民地化されないためにも何とか先進諸国に追いついて
この日本を盛り立てていくのであると
明日の日本を、未来を我々若者がつくっていくのだという
学問をしながら、英語を学びながら
この経済というもの、社会構造をつくりながら
この日本の明日をつくるのであるという、夢があったのです。

その夢に応じてみんな努力した、一流の人材が集まってきたのが
慶応義塾大学であったのかもしれない。
でも今経済は爛熟し、先進諸国の仲間入りを、もうすでにした日本としては
そこに集う若者たちにもう夢はないのです。

その中でもうつくられてしまった体制、つくられてしまった経済大国の中で
いかに安穏と、自分自身の身を処するためだけに努力をしていくか。
そのような思い、そのような発想だけで受験勉強にいそしみ
得点を取り、偏差値を取って
間違いのない就職ができるための手段として大学を選んでくる。
そのような者たちを見ていると
わたくしが最初つくりあげた時の理念はないなというふうに思うのです。
であるならば、新たな価値観の、精神革命がこれから行われるわけなのです。

その時に、教育者たちがこれから大改革を行っていく時
政治構造も変わると伺っております。
政府の構造、経済倫理、すべての価値観が変わるのです。
その中において当然、教育体制も変わっていくのです。
逆に言うと、経済、政治体制、国家体制が変わる以前に
まず個人、個人の人間、人材ということを考えますと
教育理念の中にいちばん最初に神理知識というもの
神理の価値観というものが入る必要があるのではないかと思うのです。

神理の新たなる価値観のもとに、新たな人生観を構築し
新たな教育体制の中で
新たな未来をつくっていく若者たちをつくっていかなくては
明日の地球はないということ。
新たな神の星となる地球というものがあり得ないのだと
わたくしは思うのであります。

ですから、あなた方におかれましては
今、高級諸神霊からの言葉を収録しておられるようでありますが
その今あなた方が降ろされている神理知識というもの
根源神と呼ばれている神々からのお言葉というものを
ぜひとり集め、収録し
そして、易しい言葉でもわかるような状況で、人びとに伝えていける
わたくしの第二の『学問のすゝめ』に見合うような
一般の方がたに対する啓蒙の書となるような神理の書物を出していただきたい。
それがわたくしと同じような大ベストセラーになれば、社会は変わるのです。
人間は変わるのです。

わたくしの時も、それほどの出版技術がなかったにもかかわらず
多くの人びとがみな『学問のすゝめ』を持ち
そしてその書物を読みながら、新たな時代の中に、適合していったのです。
であるならば、あなた方も今書かれておられるこのレムリアの霊言を
難しいばかりのものではなく、根源的なエキスのところを
簡単な、子どもでもわかるような言葉として
第二の『学問のすゝめ』を、書いていただきたい。

社会は、一人ひとりの人間、人材によって構築されております。
一人ひとりの人材が真に目覚め
ましてインテリ層と呼ばれている教養人層がほんとうに目覚めていくのならば
その影響力というのは莫大なのです。

わたくしの時ですら、インテリ層はみな手に取って読んでいました。
今の時代は、わたしの時代に比べればですよ
ほとんどの人がインテリに近いような教育レベルを持ち合わせているのです。
文字も読めるのです。
であるならば、あれと同じような書物がもし
多くの人びとの、魂のニーズに合って
読まれていったのならば、社会は変わることでしょう。

人間が人間学として変わっていくのです。
目に見えぬ信仰心として、人びとが拒絶反応をするのではなくて
ひとつの啓蒙の書として、人間の書としてわかるような次元で話をしていく。
それがまた人びとの人間づくりを変え
そしてそれを基盤にして若者たちが、教育理念というものを学んでいき
多くの学校制度の、教育のあり方というものが、変化していくのです。
福沢諭吉からのメッセージ(2)_c0171476_13124886.jpg

今、「ゆとりの教育」とかいわれながら
コロコロコロコロ指導体制が変わっております。
価値観がわからないのです。
教育者の指導者層が
何を中心に若者を教育していったらいいのかわからないのです。

ゆとりをもって、精神的な豊かさをもったほうがいいといったら
いきなり学問をすることを緩め
知識を吸収しないと、結果的に子どもたちは怠け、退廃的なところへいく。
そして冷静な判断力もつかないような
愚かしい知識力でしかなくなってしまう。
それはゆとりとは言わない。

真のゆとりとはどういうことか。
一人ひとりの個性、一人ひとりの能力の許容量に応じて
最低限の教養人としての一般的なことを学びつつ
個性に応じた特殊な分野にまで、その能力を増大し、開花していくような
刺激を新たに与えられていく。
それにおいて、個が個であるという素晴らしさに真に目覚め
子どもたちに今生きていることの充実感と
人生に対するやりがいというものと自信というものを与えていけるような
そのような社会というものを、教育体制というものを、若者に提示しなくては。

今の若者たちは定職に就くことも、結果的に時間の中で縛られ
そんなお金の中で安定だけを求める将来に飽き飽きとし
少しも将来に対する夢を感じないのです。
だからフリーターなどという者たちがいて、人生を惰性の中に過ごし
若い貴重な時とエネルギーというものを無駄にして生きているのです。

新たな理想が必要です。
そして自分なればこそ
神がおつくりになった自分の個というものの偉大性というもの
尊厳というものに目覚めていくような
そのような価値観の提示というものがなければ
今の若者たちを真に目覚めさせ、その人生の中で燃焼して
新たな爆発的なエネルギーというものを得て
新たな時代の幕開けをするような
エネルギーを集めていくことはできないでしょう。

若者たちにそのような爆発的なエネルギーを打ち出させた時
そのエネルギーがひとつの一点に
共通認識として集まった時、社会は変わるのです。
革命が起きるのです。
それぐらいのエネルギーを増幅しなければ
あなた方がこれから見ようとしている未来、地球的なステップアップという
精神的な向上、価値観の大転換
そして地球教としての認識における地球、万人博愛の平等思想という
神の子思想というところには至らないであろうと
わたくしは思うのであります。

ですから、今だいじなことは
今教養人というインテリ層の認識力を変えていくこと。
それとあと、若者層に対する夢と、新たな価値観の提示ということ。
信仰、信仰というと、目に見えない狐やコックリさんや
わけのわからない霊媒師のように考えてしまう人が多いのが現状なのです。
日本においては、美しい信仰心というのがなかなか根づいていないのです
理念において。
どうしてもおかしなものに関わりあっているという、今偏見が満ち満ちている。

そのようにわたくしは現代社会を見て思いますから
そんなものではなく、それをわかりやすい文章の中で、啓蒙思想として
ひとつの啓蒙の書として、人間学として
人間がどう生きるべきであるかということを打ち出していく。
そこの切り口から入っていく。
そういうふうにしていけば、抵抗なく、今の現代の日本人であっても
人間学として、人間を見ていく
そこの延長上に信仰心というものが当然に出てくる。

それは、信仰心は本来日本人は、ないわけではないのです。
それが理念的な意味で根づかなかった。
そこの部分に問題があったのであって、過去においては
日本はひじょうに美しい信仰心を持っていた民族でもありますし
世界を見回して、逆に言うと
信仰心を持っていない民族のほうが少ないのです。

ですから日本だけではなく、世界の共通認識として
人間学イコール神の子理論であるということが構築できるのは
そんなに無理のない設定であるのです。
ただ、今の日本を見ていると、人間神の子で
宗教の信仰心から入っていこうと思うと
ひじょうにアレルギーのほうが強いと思うので
人間学的な啓蒙の書という切り口から入って
宗教論という、神の子論というところに至っていけば
入り口さえ入れば、奥においてはみんな神の子でありますから
自らの神性というものに気づいていって
神につながる道というのは早いと思うのです。

逆に言うとあなた方の理論は
外国においてのほうが受け入れ易いのかもしれないのです。
キリスト教におきましても、イスラム教におきましても、仏教におきましても
自分たちが神のもとから出てきているということは
唯物思想がまかり通っている現代ではありますが
やはり宗教というものが根づいてる地域というのは
ひじょうに多くあるのです。
文明国においてもそうなのです。

でありますから、まず合理的な、この啓蒙思想というところに
江戸から明治以来
学問とともに、教養人の育成とともに、認識してきたのであるのならば
その合理的な教養、合理的な判断力っていうものを土台にして、入り口にして
これから今度神の子理論にいくように
上手に誘導してあげればよいのではないかと、わたしは思うのです。

それと若者、小さな子どもにおきましては
なるべく幼い頃より信仰ある環境にやるということ。
それはとても大事なことであるなと思います。
わたくしが今度出る時は
ぜひ信仰というものを裏づけにした
教育体制のある学校というものをつくりたいなと、思っているのです。

真っ白で、すごく素直に神の前にぬかずくことに対してためらいを持たぬ
そのような無垢な若者たちに対して、それを素直に受け入れていけるような
そして神の前に手を合わすことに抵抗を感じないような
そういう思春期ないしは幼少年期を送った者は、やはり心の糧の中に
信仰論というものは、神の理論というものは、自然に根づいているのです。

おとなになって一からやろうとすると、どうしても頭だけの論理になります。
そういう意味においては教育の一環の中に信仰というものを入れるということ
それはわたくしが生前ではことごとく拒否していたものではありますが
こちらに来てやはりそれは大事であると、まして時代の先を見ていくのならば
そういうふうに生きていくしかもうないであろうと
それにおいて地球の共通理念が統合されていくのならば
そういう意昧での総論としてのこれからの万教帰一、教育、政治、文化
すべてにおいてがそこに集約されていくのであるということ。

(2005.3.24 レムリア・ルネッサンス
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by nagoyasc | 2016-05-21 13:01 | 福沢諭吉 | Trackback | Comments(0)
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一般財団法人レムリア・ルネッサンスより許可を受けアマーリエを介した天上界からのスピリチュアルメッセージを転載させていただいています。

by nagoyasc
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